TS転生悪役令嬢、仮面のヒーローになって無双する~婚約破棄されたけど気にせず闇落ちルートを回避しつつ成り上がります~ 作:折本装置
「さて、今日はもう戻りますわね」
ハグを振りほどいて、ヴェーセルは背を向ける。
「ああ、ちょっとこの後、夕方まで用事がありまして」
「……何があるんだ?」
「昨日、アナタ達と食事に行くという話をしたのですが、それを聞いたメイドたちが拗ねてしまったので、埋め合わせとして夕方までは一緒に過ごすと決めておりますの」
「……なるほど」
時刻は朝の三時。
おそらく、夜に宿を抜け出して、ここまで来たのだろうと彼女は推測した。
そして、きっと無断でてきたのだろうなというところまで彼女にはわかっていた。
「では、またあとで」
ヴェーセルは手を振って、塔から立ち去った。
アインスは、それを目で追い続けていた。
◇
夕方の五時。
ヴェーセルは、宿の前でルーナたちと話していた。
「じゃあ、行ってきますわよ。九時には帰ってきますからね」
「はい、行ってらっしゃいませ、ヴェーセル様」
「ヴぇ、ヴェーセル様、もう朝帰りはしないでくださいね」
「わかっていますわよ。もうゴレイムもいませんし、食事だけしたらすぐに戻ってきますわ」
露骨に、ルーナたちの顔が曇る。
やはり、アインスのことが気になる、あるいは気に障るのだろう。
「……アインスに、今度会わせてほしい」
「アル?」
無表情のまま、アインスは眼帯に触れる。
古傷が痛むのか、あるいは思い返そうとしているのか。
「誤解しないで、危害を加えるつもりはない。私に傷つける手段はないし」
「え、ええ」
「だからこそ、いつか話しておきたい。ヴェーセルが人間だと、仲間だと認めたのが何者なのかということを知りたいんだ」
「ええ、わかりました、アインスに伝えておきますわ」
きっと、アインスも人と関わりたいと思っているはずだから。
それに、関わる相手は多ければ多いほどいい。
きっと、人と関わるという経験は、アインスをさらに人間たらしめてくれる。
ヴェーセル以上に前世の記憶は希薄で、今世では人との接触はほとんどない。
それでは情緒が育つはずもない。
「では、行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
ルーナに、一度だけハグをしてからヴェーセルは出ていった。
このまま何事もなく終わるのだろうという、実際とは全く異なる妄想をしながら。
◇
「これはこれは……」
地図の通り歩いてたどり着いたのは、街の端にある小さなレストランだった。
入ってみると、中にいたのは二人だけだった。
「きたか、ヴェーセル」
一人は、アインス。
いつも通りモノトーンの服と、髪と肌である。
もう一人は、コック帽をかぶった人物。
おそらくシェフだろう。
「ガンドック様は?」
「ああ、少々事後処理で遅れることになります、とのことです」
「そうですか……」
「魚料理のコースをお願いいたしますわ」
「かしこまりました」
聞き覚えのある声をしたスタッフが、恭しく頭を下げて厨房へと戻っていく。
「さて、ここからは食事を楽しむ時間ですわ」
前世ではコース料理を食べる機会などなかったが、貴族として生まれた今は違う。
貴族として恥ずかしくない振る舞いを身に着けるため幼少期から様々な教育を受けてきたのがヴェーセルであり、テーブルマナーもその教育には含まれる。
「うまい…………」
目を丸くしていた。
ついさきほどまで、一触即発の状況でも変わらなかったというのに。
「人らしい食事をするのは久しぶりだ」
「普段は何を食べていますの?」
彼女は、長期的に活動しているようだが、どこかからエネルギーを調達する必要はあるはずだ。
「その辺の草とか、木とかだな」
「何度でも言いますが、その辺の草と木は食事とは言えなくてよ!」
ヴェーセルは思わず突っ込んでしまった。
なんとも野性味あふれる食生活だが、同時にアインスの反応にも納得がいく。
貴族生活に慣れ親しんだヴェーセルにはありふれた食事でも、彼女にとっては豪勢な食事である。
「これも大別すれば草であるはずなのに、どうしてこんなにもうまいのか」
「……素材と、あとは手間と工夫の差でしょうね」
「確かに、素材そのものと努力量で結果が変わるな。何につけても同じだ。戦闘、魔術、あるいは勉強もだ」
「う、勉強。耳が痛いですわね……。待ってくださいまし、勉強、ということは前世の記憶がおありで?」
アインスはずっと戦い続けていると聞いていた。
ゆえに、この世界でのまともな記憶などないはず。
「ああ」
「それはアインス・オーキドマンティスのものではなく?」
「ゴレイムになる前の、記憶だな。といっても、自分の名前などのパーソナルな部分はほとんどない。一般常識的な部分だけだ。今の私の頭の中には、その記憶と、アインスとしての記憶が共存している」
「なるほど」
続いて、オードブルとして出てきたのは、サーモンのカルパッチョだった。
「わあ、綺麗ですわね」
「確かに、山の中で食べたメダカやアブとは比べ物にならない」
「…………比較対象がいちいち最悪でしてよ?」
ボケているのか、あるいは素なのかわからないアインスの発現に突っ込みながら、ヴェーセルは苦笑する。
「あの、生魚は苦手でして?」
「我に食物の好き嫌いはない」
「あ、そうですわよね」
何しろ植物のようなどうやって消化しているのか不可解なものまで食べるのだ。
苦手なものがあったほうが不自然だろう。
では、なぜ、手を止めたというのか。
「…………ふむ」
彼女は、ナイフとフォークをテーブルに置き、すっくと立ちあがった。
そして――地面から大鎌を取り出した。