異伝 Muv-Luv UNLIMITED 作:第4計画諜報部
最低限の光源に照らされた、仄暗い部屋の中。部屋の中心に置かれた椅子を囲むようにしてU字型に並べられた机には、帝国陸軍の制服を身に纏った者達が、険しい表情を浮かべながら並んでいた。
いずれも、戦略研究会の幹部ともいうべき者達であった。
彼らの鋭い視線を一身に浴びなければならない位置に座らされている男──島崎重興帝国本土防衛軍大尉は、怒りに満ちた視線がまるで気にならないとでもいうように、泰然とした様子で腕を組んでいた。
「……昨日のことだ。まさか、記憶がないなどという訳ではあるまいな」
重苦しい沈黙を破って声を上げたのは、浮田喜一郎中尉だった。上官に対する礼儀すらかなぐり捨てるほどの怒りと共に、重興を睨みつけている。
事の発端は、難民キャンプに収容されていた避難民の一部が……佐渡島から命からがら逃げだすことのできた者達が、いまもって危険地帯に認定されている故郷へと、無断で帰ってしまったことにあった。
ようやく取り戻せた故郷だけに、気持ちは分からないではない。
しかし、奪還にこそ成功したものの、BETAの支配下に置かれていたことから、佐渡島の基地施設は見る影もなく破壊され、更地も同然であった。
基地の復旧は国連軍と共同で急がれているが、もしBETAによる早期の再侵攻に見舞われれば、現状では持ち堪えることは不可能であった。
そして、BETAの再侵攻ともなれば、島に戻った民間人の安全は保障できない。事態を重く見た軍が救出のために動いてから2日後、テレビではその帰還者たちが無事に保護されたと報道していた。
だが、実情は報道とはまるで異なっており、隠匿されていた情報を入手した戦略研究会では、救出作戦に参加した重興を糾弾するために呼び出したのであった。
「貴様は、佐渡島の難民に向けて、上層部の命令通りに麻酔銃を撃ったそうだな」
難民たちと交渉したのはただの1度きりで、しかも交渉のための時間はわずかに10分足らず。さらに難民が立ち退きを拒否したと見るや、避難作戦の指揮を執っていた重興は随伴していた陸軍の歩兵に麻酔銃の使用を命令して、強引な方法で非難を完了させた。
喜一郎は、その情報を作戦に参加していた会の一員から得ており、即座に研究会の人間を招集したという訳だ。
重興の対面に座る、研究会の指導者であり中心人物の沙霧尚哉は、両眼を閉ざして沈黙していた。その左隣に座る副官の駒木咲代子大尉は、多くのメンバーと同じように怒りに満ちた視線を重興に向けていた。
「……順序立てて説明させていただくが、よろしいか」
わざとらしく溜息をついた重興の態度が気に食わないようで、テーブルを叩く激しい音が響き、間髪入れずに椅子が倒れる音が室内に響き渡った。
「弁明を聞く必要などない!」
「そうだッ! こいつは会の思想を踏み躙ったのだぞ!」
恫喝に等しい声にも、重興は動じなかった。尚哉もまた黙したまま身じろぎもせず、咲代子は渋面を浮かべながら視線を動かした。
「浮田中尉、阿賀野中尉……貴官らの気持ちは分かる。島崎大尉の行動は会の思想に反したことであり、許しがたいことではある。だが、何も知らずに一方的に断罪するのは間違った行為だ」
咲代子は、遠回しに会が敵視する連中と同じ愚物になるつもりかと告げた。
言葉の裏に気が付いたらしい喜一郎が、そして椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がった阿賀野道幸中尉が一瞬言葉を失い、両者とも示し合わせたように舌打ちを漏らすと、乱暴に腰を下ろした。
小さく溜息をついて、咲代子は重興に視線を戻した。
その視線に促されるように、重興は口を開いた。
「……報告書にも書いたが、最初は対話を試みた」
救出作戦に際して、重興の指揮下には1個戦術機甲大隊が預けられていた。万が一、救出作戦の最中にBETAの佐渡島再侵攻という事態が発生した場合には、そのまま援軍として運用するためだった。
ともあれ、重興は周辺警戒のために2個中隊を置き、直率する中隊の衛士と随伴していた陸軍歩兵と共同で、難民たちとの交渉に向かった。最悪の場合には説得を試みている間にも、警報が鳴り響くかもしれなかったからだ。
佐渡島近海には増強された帝国海軍第8艦隊──大和型戦艦『信濃』『美濃』を中核とする艦隊が遊弋し、国連軍からは1個戦術機甲連隊、帝国陸軍も2個戦術機甲大隊を派遣して再侵攻に備えていた。
よほど大規模な侵攻でなければ、佐渡島を守り切ることは可能だろう。しかし、基地施設が壊滅している状況では、民間人の安全を確保することは困難だというのが重興の考えだった。
「返事は、否だった。ようやく取り戻せた故郷だ……生まれ育った地で死ねるのなら悔いはないと、全員が同じような答えを返された」
分かっていたことだが、どうするべきか重興は判断に迷った。
強引に連れ出すか、諦めて放置するか……せめて、基地施設が復旧してからの帰還であったなら、他に方法があったかもしれない。
内心に抱いた葛藤を語る重興に、喜一郎は噛みついた。
「佐渡に戻ったのは、彼らの意志だろう……各々の矜持に従って、死に場所を求めたのだ! それを命令だからと、強引に連れ出すとはどういうつもりだ!」
「その通りだ……だが──」
浴びせられた罵声に肯定の声を返しつつ、視線を咲代子へと向けた。
「佐渡島に散った人間は、彼らを守るために戦ったのではないか?」
視線と問い掛けに、咲代子は押し黙った。熾烈を極めた佐渡島防衛戦──当時の佐渡島の人口の半分が犠牲となり、展開していた防衛部隊も司令部以下ほぼ壊滅した戦いの、数少ない生き残りだったからだ。
知ったような口を──と、罵声を浴びせるのは簡単だった。
しかし重興もまた、かつては佐渡島防衛部隊に配属されていた身だ。BETAの佐渡島侵攻の直前に本土への援軍部隊に選出されたため、佐渡島陥落の報告を新潟の駐屯地で聞くことになったが。
佐渡島に配属されてから間もなく防衛戦を戦った咲代子とは違い、重興は長く佐渡島防衛隊に籍を置いていた。狭い島内のことだ、部隊内や島民との交流も深かっただろうし……ことによると、帰還者の中には見知った顔もあったかもしれない。
「佐渡への帰還を選んだ彼らの覚悟か、佐渡で死んだ戦友の意志か、どちらかを踏み躙る必要があった……」
「島崎大尉は、前者を選んだ……と」
咲代子の問い掛けに、重興は頷いた。
「あの場所で死なせてしまうようなことになれば、彼らを守るために死んでいった者達に、顔向けできないと思った……」
そこまで言ってから、重興は小さくかぶりを振った。
「いや、違うな……ただ、彼らを死なせたくなかった。それだけのことなのだろうな」
自嘲するような声が、静まり返った室内に吸い込まれていった。
ややあってから、喜一郎が幾分落ち着きを取り戻した声で言った。
「大尉が強制退去に踏み切った理由は分かった……だが、決断に至るまでが速すぎるようにも思える」
「BETAの物量を鑑みれば、佐渡再侵攻が即座に決行されたとしても不思議はない。監視システムすらも再構築の最中にある状況では、万が一の事態が起これば、住民や随伴していた兵士達も巻き添えになる危険があった」
そして、と重興は声の調子を下げて続けた。
「兵士が死ねば、戦死で終わる。だが、民間人が巻き添えになったとなれば、話は違ってくるだろう」
本土の難民キャンプには、人が溢れかえっている。東南アジア方面に疎開することのできた人間もそれなりに居るが、日本に残る選択をした者も多い。それも、生まれ故郷を追われた者達だ。
「日本各地に溢れている難民たちが、強引に故郷へ戻り、そして死んだと。そのような情報が漏れればどうなるか……」
「軍に対する責任追及は、もちろんあるだろうな」
「それだけでは収まるまい……厄介な事態はいろいろと考えられるが、もっとも拙いのは上層部が追及を逃れるために美談に仕立て上げた場合だ」
どういう意味かと、重興の言葉を反芻する研究会のメンバーの中で、いち早く答えに辿り着いた沙霧尚哉が、眼を開きつつ言った。
「事態の推移はどうあれ、故郷で死ぬことができたのだ──と。そう報じられれば、取り返しがつかなくなるということか」
「その通りだ。難民キャンプでの生活に不満は高まっている。しかも、キャンプに残っている避難民の多くが、危険地帯に指定されている近畿や中部地方の人間だ」
いずれも危険地帯に定めているが、難民たちにしてみれば奪還された日本の国土で、しかも目と鼻の先にある故郷だ。
なぜ帰れないのかと不満を溜め込んでいるところに、故郷で死ねたのだという報道を見ればどうなるか……軍は強引に故郷へ戻ろうとする難民たちへの対処に追われるか、護るべき民間人を見捨てるという選択を迫られることになる。
「そして、軍の手が回らず、難民達が放置された場合が最も拙い」
佐渡島の奪還に成功し、大陸方面からの攻勢も取り敢えずは収まっている。しかし、BETAの侵攻が再開されればどうなるか……物量は正義との至言そのまま、押し潰すように迫る異形の怪物を相手に、各地に散らばってしまった避難民たちを救出するのは、おそらくは不可能であろう。
重興は、かつての戦場と照らし合わせてそのように判断していた。
1998年の日本本土の戦い──佐渡島から新潟への援軍に向かった重興は、押し寄せるBETAの前に避難の遅れた民間人が、救出のために派遣された部隊ともども犠牲になっていたことを知っていた。
そして、民間人の救出が間に合わず、あるいは派遣部隊ともどもBETAの犠牲となれば、どのような影響が出るか。
「臆病すぎるという批判は甘んじて受けるが……常に最悪の事態を想定しておくのは、軍人の鉄則でもある。そのため、死者を出さない方針を徹底させた」
「なるほど、島崎大尉の行動はもっともではある」
黙って聞いていた阿賀野道幸が、皮肉っぽい声を上げた。
「それらの問題は、確かに懸念してしかるべきだろう。しかし、それは我々軍人が対処するべき問題であり、民間人に責任があるものではない……解決は可能なはずだ」
上層部がまともならば──と、語気を鋭くしながら道幸は続けた。
「問題は、現地の状況も考えずに強引な命令を下した上層部にある。最初は、交渉する必要もないと言われていたのだろう?」
「……そうだ」
強引に避難させろ、という命令だったのかと問い掛ける道幸に、躊躇いながらも重興は頷いて答えた。
「それこそが最大の問題だ。現場を鑑みることなく、効率だけを考えて民間人さえも動かしている……将軍殿下が、このような真似を許すはずがない」
吐き出す言葉には、燃え上がるような怒りが乗せられている。
「殿下を蔑ろにし、民に苦境を強いる方策を取り続けている……米国には甘い対応を取り続けているのに、だ」
「……そうだ。そもそも、今回の命令も佐渡に展開する国連の要請に従ったものだというではないか!」
研究会の不満は、何も重興の行動にばかり向けられたものではなかった。そもそもは、佐渡島を取り巻く状況にこそ怒りを覚えているのである。
先の佐渡島攻略作戦は、極東アメリカ軍団、極東国連軍、そして日本帝国軍の3軍が協力することで、明星作戦にも匹敵する大規模作戦となるはずであった。
ところが、アメリカ軍の作戦不参加……敵前逃亡と揶揄され、アメリカ国内ですら大問題となっている行動によって、当初参加が予定されていた兵力のおよそ4割が作戦開始前に失われた。
そして、アメリカに同調した国連軍は、航空宇宙軍による軌道爆撃こそ事前計画の通りに行ったが、軌道降下兵団は温存され、攻略作戦の要となる地上戦力は精鋭とはいえ2個大隊を提供したのみで、参加が予定されていた国連太平洋艦隊も攻略作戦に参加することは無かった。
日本帝国軍は、予定の4割程度の戦力でのハイヴ攻略を余儀なくされ、結果的に作戦参加部隊の6割を喪失する大損害を被った。いずれも、日本各地から集められた精鋭部隊であり、帝国軍にとっては大きな痛手であった。
しかも、多大な犠牲を払って奪還に成功した佐渡島には、帝国軍よりも国連軍の方が多く駐留している状況となっている。
戦力を消耗した帝国軍に、大部隊を張り付けておく余裕がないのは事実だが、奪還した国土に他国の軍隊が駐留しているというのは、気分のいいものではない。
国連軍の駐留は、佐渡島の基地施設が復旧し、周辺警戒の体制が整うまでの期限付きであることは明言されている。しかし、帝国海軍の協力まで取り付けて運び込まれた大型機材の存在を考えると、その約束が果たされるとの保証はない。
横浜基地という前例を考えれば、かつてのように国連軍の基地が建設され、国土を奪われてしまうのではないかという危機感は、帝国軍の誰もが持っていた。
横浜に続いて佐渡までもがアメリカの手先である国連軍の駐屯地になってしまうなど、帝国軍人として──いや、日本国民としても許せることではない。横浜も、佐渡島も、同胞たちが血を流して取り戻した地なのである。
「国民も、国連軍という組織がアメリカの尖兵であることは知っている。そして、アメリカから受けた仕打ちも、だ。それなのに、今回の命令は……っ!」
怒りのままに、喜一郎が叫んだ。
それが契機となって、皆が口々に声を上げる。
「度し難いにも程がある。民の心を完全に無視して、自分たちが思うままに民を振り回しているのだ!」
「奴らはっ、民を何だと思っているのだ!」
「政府や軍上層部の行動に、殿下の意志が介在している様子もない……これを専横と呼ばずして、何と言うのか──!」
部屋に居る者達が、口々に政府や軍上層部への不満をぶちまける。収拾がつかなくなるかに見えた喧騒の中で、各所の同士を統括する立場の人間が立ち上がった。
「帝都内の各施設に対する手筈は、すでに整っています。こちらからの指示があれば、いつでも動ける状況になっています」
「そこまで、準備はできているか。しかし、気取られれば終わりだ」
「ああ……帝都の怪人も、いまは国内で動いているとも聞く」
「アメリカの動きも、だ。佐渡の敵前逃亡で国内が混乱しているとはいえ、事態が収拾すれば露見する可能性は増えるだろう」
「……いまを逃せば機会を逸することになる」
室内を支配し始めた狂気に、重興は内心で舌打ちを漏らした。
止められないのは承知しているが、クーデターには問題があり過ぎる。
まずは、単純な戦力の消耗だ。睨み合いに終始すれば良いが、おそらくは戦闘が発生して内乱に突入するだろう。犠牲は避けられず、世界情勢を考えれば、諸外国に対して恥を晒すことにもなる。
(決起に成功すれば、戦力ではこちらが優勢……しかし、政府や斯衛が研究会の要求を一方的に呑む筈がない。間違いなく戦闘は発生するが、厄介なのは、いざ戦闘となっても成算があることだ)
これまで、研究会が決起に至らなかったのは、戦闘となった場合の見通しが立たなかったことも理由だった。
研究会は、帝都守備隊の大部分を取り込んではいる。しかし、帝都の外にまでは勢力を伸ばせていなかった。
それだけではなく、帝都の中に限っても精強を誇る斯衛軍が存在し、真っ向からぶつかれば、どうなるか分からなかったのだ。
しかし、先の佐渡島攻略作戦において、帝国軍は大きな消耗を強いられた。国土防衛のための戦力が減少したのは痛手だが、研究会のクーデターを阻止するための戦力が減少したことも意味していた。
さらに、ハイヴ突入部隊として作戦に参加した斯衛軍の精鋭──五摂家の当主が部隊長を務める第3大隊、第16大隊の2個大隊は、いずれも4割近い戦力を喪失する大損害を被っている。
帝都城守備の要である斯衛の最精鋭は、半身不随に陥ったのだ。
斯衛軍では大急ぎで2つの大隊の再編成を進めているが、精強を謳われる斯衛の中でもさらに選りすぐりの精鋭衛士や量産性に難のある『武御雷』の大量喪失は、一朝一夕に補いが付くものではない。
しかも斯衛最精鋭を誇る双璧のうち、第3大隊は戦力再編のために帝都を離れ、現在は仙台に駐留している。
帝都に残る斯衛の戦力は決して弱体ではないが、こちらも帝都守備を預かる精鋭だ。主力を欠いた斯衛の帝都守備部隊を相手にするならば、充分に勝算はある。その予測が、研究会の人間を強気にさせているのだ。
しかし、自分たちに立ち塞がるのは何も斯衛だけではない。
国連統合軍……日本本土に展開している部隊のうち、もっとも厄介なのは横浜基地に駐留する特殊作戦任務群──総司令部直属の化物たちだ。
佐渡島ハイヴ攻略以前から日本本土に展開していた第2遊撃戦隊に関しては、ハイヴ攻略作戦はもちろん、九州防衛戦や間引き作戦でのデータもあるが、個々の実力、部隊の連携ともにそこらの精鋭では比較にもならない。
研究会の人間の多くは、「米国に尻尾を振った売国の徒が、我が帝国軍の精鋭に勝るなど有り得ない。何かの間違いだ」と主張して、彼らの実力を認めようとはしないが、少なくとも重興は過小評価していなかった。
先の佐渡島攻略作戦において、戦力の6割を喪失。生きる伝説とまで謳われたギュンター・バイエルライン以下の歴戦の衛士を失って弱体化しているとのことだが、増援を受け取って戦力を回復したとの情報もある。
もっとも、増援を受け取って額面上の戦力を戻したところで、部隊の連携精度が以前の水準に戻るまでには相応の時間がかかる。そういう意味では、特殊作戦群を脅威とみなさない研究会の判断は、ある意味では正しい。
しかし、いまの特殊作戦群の中核は、かつての第2遊撃戦隊だ。
新たに総隊長に就任した敷島隆也……かの『山吹の修羅』と同一人物だと囁かれる衛士を筆頭に、帝国武家の出身でありながら国連軍に身を置く異端児たち、諸事情から帝国軍を追い出された、しかし腕だけは確かな衛士達がなおも健在だ。
斯衛にせよ特殊作戦群にせよ、戦闘となればこちらの払う犠牲も大きなものとなる。しかも、戦力の減少はそのまま本土防衛のための戦力をすり減らすことに繋がる。佐渡島を攻略したとはいっても、大陸からの侵攻の危険が去った訳ではないのだ。
(それに、考えなしの馬鹿が多すぎる)
排除するべき売国奴がいることは、重興も承知している。しかし、何処までの人間を排除するべきなのかという線引きはできていない。政治家の身辺を探れるような協力者がいないのが原因だった。
例えば、榊是親首相……研究会では諸悪の根源のように忌み嫌われている人物だが、BETAによる日本本土侵攻よりも前から日本の政治を任されていた現在の首相がいきなり暗殺などされてしまえば、どれほどの影響が出るか分からない。
さらに、研究会の熱狂ぶりを見れば、秘書や関係者までもまとめて暗殺しかねない。そのようなことになれば、知識や背景、さらには他国との密約など、日本の死命を決するような政治情勢に致命的な空白が生まれてしまう。
研究会が見境なく、売国奴だけではなく日本に必要な人間さえも排除してしまえば、殿下に後を託すどころではない、致命的な事態に陥る危険があるのだ。
(それに、彼の国の諜報員が入り込んでいないとの確証も……ないのだ)
重興の最大の懸念がそこだった。研究会が目論んでいたのは、国家に反旗を翻すクーデターである。だというのに、会は帝都守備隊のほぼ全軍を手中に収めたばかりか、富士教導隊などの外の部隊にも浸透している。
浸透速度が速すぎたこともあるが、なによりもクーデターの動きが外部に漏れた様子がないというのが、いかにも不気味だった。
もちろん、研究会でも情報漏洩には気を遣っているし、研究会に所属する人間の身辺調査なども行ってはいた。しかし、ノウハウを持たない素人の調べでは、本職の諜報員を相手に通用するか分からない。
もし、彼の国の諜報員が紛れ込んでいれば……もし悪意を持って介入してくるようなことになれば、取り返しのつかない事態に陥るかもしれない。
(だが、止めようにも……!)
そもそも、決起は最後の手段として考えられていた。できることならば、軍上層部や政治家たちと対話を行って、日本帝国の歪みを是正する──それが完全に不可能だと、会の全員が判断してようやく、決起に踏み切るはずだった。
しかし、室内の様子を見れば決起はすでに既定路線のように見える。
「先手を取るには、気が付かれていない状況でなければならない……寡兵の鉄則を考えれば、ここで立たねばどうにもならぬ!」
興奮した衛士が叫ぶように言い、周囲も同調した。
抑え込んでいた不満を燃料にして、準備が完了した……してしまったことで、火が付いてしまったのだ。取り返しがつかないほどに、気炎は高まっている。およそ冷静に思考を回しているのは自分だけだろうという感覚が、重興にはあった。
決起を止めようとしても、おそらく誰も聞く耳を持とうとはしないだろう。それどころか、この場で処刑ということすらあり得る。
無力感に苛まれる重興の耳朶に、椅子を引く音が響いた。
「────もはや、救い難し」
静かな、しかし力強い声が場を包んだ。
「考える時期は過ぎたのだ。もはや、言葉で止めることは不可能であるが故に」
「……それでは、沙霧少佐」
「ああ」
大きく頷いた尚哉は、期待に満ちた声に応えるように腰から下げている日本刀を持ち上げると、刀の鯉口を切りながら忌々し気に言った。
「国を身体に喩えようか……その身体を脅かす癌が居る。あるいは水のように思うか……その上澄みにならぬ、汚物が我が物顔で漂っているのであれば──切り捨てるか、手で取り除く他に方法はなかろう」
意味するところを悟った全員が立ち上がり、重興もそれに倣った。
そして、中心に立つ尚哉が告げる。
「各員に通達だ──火を入れろ。決行は明日の明朝。かねてよりの作戦を、ここに開始する」
横浜基地の地下施設──基地勤務者ですら立ち入りを制限されるエリアに設置された特殊作戦群専用のブリーフィング・ルームには、所属する衛士のほぼ全員が緊急招集を受けて集められていた。
現在この場所に居ないのは、総隊長を務める敷島隆也大佐、マーティカ・ビャーチェノワ大尉の2名の他、副官の九條楸少佐の3人だ。
敷島大佐とビャーチェノワ大尉は、昨日の早朝から帝国軍の調布基地に出向いていて、九條少佐は実質的な指揮官として、横浜基地司令のパウル・ラダビノット准将と事態の対応にあたっているらしい。
何だって、総隊長が不在の時に──と、タイミングの悪さを呪いながら、白銀武は東雲虎三中佐の状況説明に耳を傾けていた。
本日、9月26日明朝に帝都で発生した事件──帝国本土防衛軍・帝都守備隊内部に存在していた超党派勉強会……戦略研究会を名乗る集団が憂国の烈士を自称し、軍事クーデターを起こしたという連絡が入ってからおよそ1時間後、横浜基地にもようやく詳細な情報が入ってきたのだった。
「──敵ながら天晴、と褒めるべきか……クーデター軍は首相官邸、国会議事堂を最速で制圧し、浄水場、発電所等の社会インフラもほぼ制圧を完了。最新の情報によれば、抵抗していた国防相も陥落したらしい」
平坦な口調とは裏腹に、虎三の表情は渋かった。
当然だと、武は思った。誰だって、敵が優秀なのを喜びはしないだろう……しかし、それにしてもクーデター発生から1時間足らずで帝都を制圧したということは、クーデター軍はかなりの規模と、綿密な計画を持っていた、ということじゃないのか。
武の疑問を肯定するように、虎三の説明が続いた。
「クーデターの首謀者は、帝都守備隊・第1機甲連隊を率いる沙霧尚哉少佐らしい。帝都を知り尽くしているからこその早さだな……この分だと、帝都守備隊はそっくりそのままクーデターに参加していると見るべきだろう」
手強いな、と漏らした虎三に、武も頷いていた。
帝都守備隊──文字通り帝都を守るべき部隊であれば、帝都に存在する重要設備の場所や防備は知り尽くしているはず。制圧も容易だろうが、帝都防衛のための戦略も心得ているはずだ。
しかも、帝都守備隊と言えば帝国軍でも指折りの精鋭だと言われている。
情報によれば、仙台に設置された臨時政府は帝都と将軍を奪回するための討伐軍を編成しているらしいが、そもそも帝国軍はこの間の佐渡島ハイヴ攻略作戦で相当に消耗しているはずだ。
しかも、佐渡島の戦いには関東、中部、近畿地方の精鋭を洗いざらい投入したとも聞くし、帝都守備隊は関東方面に残された最後の精鋭だったんじゃないか!?
攻者3倍の法則──攻撃側が防御側に対して有効な攻撃を行うには、3倍の兵力が必要になるという軍事戦略の基本だが、戦力補充も満足に行えていない帝国軍に3倍もの兵力を用意できるのか?
九州や北海道に展開する部隊を集めるには時間が掛かり過ぎるから、関東方面を中心に掻き集めしかないだろうが……烏合の衆と言っていい討伐軍に、帝都守備を預かる精鋭を、しかも守り方を心得ている敵地で撃破できるのか?
愕然とした武は、ふと隣に立つ彩峰慧の顔色の悪さに気が付いた。
気にならない訳がないが、いまは東雲中佐の状況説明の最中だ。帝都の状況を把握するという意味でも、まずはそちらに耳を傾けないといけない。
そのうち、一瞬口を閉ざした虎三が、視線を動かした。
「──榊千鶴少尉」
「は、はいっ!」
上ずった声で返事をした千鶴は、虎三の視線を受け止めて顔色を変えた。
数秒の沈黙が流れた後、
「仙台臨時政府からの報告だが……クーデターの首謀者、沙霧尚哉によって、榊是親首相以下、政府閣僚のうち数名が国賊と見做されて殺害された」
その瞬間、千鶴の顔は絶望に染まり、慧が身を震わせた。