異伝 Muv-Luv UNLIMITED   作:第4計画諜報部

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第10話 流血の幕開け

 何故、戦略研究会はクーデターに至ったのか……その根底にあったのは、政府や軍上層部に対する不信感で間違いないだろうと、その男は思っていた。

 大陸派兵による戦闘、支援を問わない人員の大量損失、光州作戦における責任のすべてを兵からの信頼が厚かった彩峰中将に取らせたこと。京都防衛戦における国連軍とアメリカ軍の怠慢と、安保条約の一方的な破棄。

 さらには、恥知らずにも日本に戻ってきたばかりか、類を見ない威力と副作用を持った新型爆弾を事前通告なしに投下し、まだ戦っていた将兵たちをBETA諸共に消滅させたアメリカ軍に対して強い態度で交渉を行わなかったこと。

 かてて加えて、先の佐渡島ハイヴ攻略作戦におけるアメリカ軍の敵前逃亡に等しい作戦参加拒否についても、まるで追及を行っていないこと。

 そればかりではなく、政府の一部高官や軍の上級将校たちの腐敗……BETAによる被害を受けていない諸外国と交渉し、財産の移動を行っているという、下劣極まりない行いも知っているのだろう。

 積み上がる一方だった不満は、上層部への反感は、遂に噴き出したのだ。それも、帝国本土防衛軍の精鋭にして、国家に対する忠誠が他の部隊より高くあるべき部隊を覆い尽くすほどの規模となって。

 その不満を集め、クーデターを主導する男──沙霧尚哉は、入ってきた時と同様にごく落ち着いた、静かな所作で首相執務室を後にした。

 閉じられた扉の向こうで足音が遠ざかっていくのを確認した男は、足元のスーツケースを持ち上げながら、執務机に突っ伏して血に塗れている日本帝国総理大臣、榊是親へと歩み寄った。

「いやはや、まさかこのスーツを切断するとは……」

 うちの連中が着込んでいる物と同じ規格なんですがね、とぼやくように言いながら是親を床に寝かせた男は、スーツケースに偽装したメディカルバックを開いて、慣れた手つきで手当てを始めた。

「……君は、何者だね?」

 囁くように、血まみれの是親が聞いた。

 自分に手当てをしている男が秘書官となったのは、つい先日のことだった。前任者が急病で辞任することとなり、推薦もあってこの男が任命されたのだが、深く考えるまでもなく不自然な流れだろう。

 そして、いま是親が着込んでいるスーツ……仕立て上げられたばかりのスーツを用意したのはこの男で、しかもご丁寧に防刃・防弾仕様の上に、胸元には血糊までも仕込まれている代物だった。

 ただ、尚哉の一刀は表面と裏地に施された防刃加工を見事に切り裂いて、是親の胸元に大きな刀傷を残していた。

 しかし、その傷は大きいものの浅い。こういうこともあろうかと……ではないが、最悪の事態を想定して持ち込んでいたメディカルバックで充分対処可能だった。

「国連軍少佐の、大嶽吾妻──とだけ名乗っておきますよ……しかし、血糊を仕込んだ分だけ脆かったかな」

「……そうか」

 得心した様子で、是親は呟いた。

 大嶽吾妻──事情を知る人間にとっては、有名な人物だった。

 帝国武家の頂点たる五摂家の1つ、斉御司家の生まれだが、幼少期の素行不良が原因で直系の親藩武家で後継ぎの居なかった大嶽家に養子に出されている。

 BETAの日本本土侵攻の直後に当主となり、京都防衛戦こそ参加していないが、その後の主要な戦いにはすべて参戦している。

 出雲奪還作戦の折にMIAとなったが、しばらくして生存が確認された。それも、あの特殊作戦群に所属していることが判明したのだった。

 何故武家の人間が──という疑問がないではなかったが、もとより特殊作戦群には……その前身となる第13独立戦術機甲大隊にはあの九條家当主の妹を筆頭に、譜代武家の東雲、葛西、雉宮が名を連ねていた。

 強いて疑問点を挙げるならば、敷島隆也と大嶽吾妻という点を繋ぐ線がまるで見えてこないところであったが……これは多分に偶然の要素が強かった。

 というのも、大嶽吾妻はかつての出雲奪還作戦の折に、斯衛軍第24戦術機甲大隊に所属していたのだが、この部隊は斯衛第3大隊と同様に敵陣深くに切り込み過ぎていて、撤退の機会を失って殿を引き受けることになったのだった。

 幸いと言うべきか、摂家の血筋であるためにまだ生産数の少ない『武御雷』をあてがわれた吾妻は部隊の主力中隊を率いて奮戦していたが、BETAの物量に圧倒されて第24大隊は壊滅状態に陥っていた。

 もはや死を待つのみ──という状況だったのだが、偶然にも隆也ら第3大隊所属第3中隊の残余が脱出する局面に遭遇し、なりふり構わず追随した結果、吾妻だけがBETAの包囲を突破できたのだった。

 しかし不運だったのは、脱出した先で横浜基地の機密に触れてしまったことで、そのまま強引に横浜基地に……正確にはE-01に編入され、こき使われる羽目に陥ったことであろうか。

 特殊作戦群編入に至るまでの裏事情は知る由もない是親だが、今回のクーデターに対して特殊作戦群が……敷島隆也や香月夕呼が手を打っていた、ということが分かればそれで充分だった。

「──取り敢えず、応急処置は済ませました。手筈通りなら、もうすぐ救護班が駆けつけますので、私はこのあたりで」

 これから帝都城にもいかねばならないので、と言い置いて、吾妻は硝煙と血の匂いが残る廊下へと足を踏み出した。

 

 

 佐渡島ハイヴ跡地──地下に広がる広大な茎構造の中に設営された研究室ともいうべき部屋の中で、香月夕呼はモニターを見つめていた。

 厳しい視線でモニターを見つめる夕呼は、先程から開始された戦略研究会による声明発表──電波に乗せて自らの考えを発表しているクーデターの首謀者を眺めながら、思考を切り替えた。

 戦略研究会の声明に、耳を傾けるだけの価値があるのかを見出す傍観者としての立場を捨てて、彼らの主張をどのように利用し、活用して自らの利益に繋げるかという、謀略家としての考え方へと。

(それにしても……具体性がないわね)

 研究会の主張を聞きながら、夕呼は溜息をついた。

 声明の内容は、主に現政府への不満と、殿下に国政を任せるべきだという、自らの願望を突きつけるだけのものでしかない。

(殿下に国政を任せる……それは良い。だけど、任せた後にどうするのか、その具体的な策を持っていないと見えるわね……せめて、自分たちの手で信頼できる政治家や軍の将兵を用意する、というのならば、ねぇ?)

 その程度の根回しがされた上でのクーデターであれば、彼らの主張にも聞くべきものがあるかもしれないと思う。しかし、憂国の烈士を自称する研究会が主張しているのは、とどのつまりは〝他人任せ〟に過ぎない。

 BETAの侵攻によって難民となった日本人に対して、充分な衣食住を提供できていないと非難し、佐渡島に戻った民間人を強引に避難させたことに対して、意志や権利を尊重していないと責め立てる。

 国民を守るという、軍がなすべき崇高な使命を果たしていないと声高に主張し、殿下が国政に携わっていれば、そんなことはなかったと嘆いている。

(どこまで、本気で言っているのかしら?)

 呆れると同時に、信じたくないという思いがあった。

 魑魅魍魎が跋扈する政治という世界で生き残り、日本の国政を任される立場まで上り詰めた榊是親という傑物を、こうまで過小評価できる人間が……BETAの本土侵攻以来、積み上げられるばかりだった数々の問題を、誰もが納得できるように解決できるのなら、すでに多くの問題は解決されているはずだと、その程度のことすら分からない人間が、帝都守備隊の大部分から支持を受けているという事実を、認めたくはなかった。

「殿下に任せれば上手くいく……なんて、本気で信じているのかしらねぇ?」

 愚痴っぽい呟きが、思わず口を衝いていた。

 政威大将軍を神様か何かと勘違いしているのか、それとも、自分たちの力を信じられなくなり、縋るものを求める愚か者なのか。

 どのような結末を迎えるにしても、死は覚悟の上だろう。

 だが、夕呼にしても帝国軍のまともな上層部の人間にしても、冗談ではなかった。クーデターが成功するにしても失敗するにしても、帝都守備隊の大部分が戦列から失われることになるのだ。

 佐渡島で精鋭部隊の多くを磨り潰した帝国軍にとり、戦略打撃部隊として指揮下に3個戦術機甲連隊を、それも精鋭を揃えた帝都守備隊は要だったのだ。それが、無為に失われることになるのだから、嘆かない方がどうかしている。

 しかも、厄介事はそれだけではないのだ。

 首相、閣僚が不在となってからの臨時政府の発足は、まるでクーデターの発生を予期していたかのような早さだった。そこまで彼の国の手が回っているとは考えたくはないが、太平洋艦隊所属の任務部隊が日本近海に接近していることを加味すれば、可能性は高いと見るべきだろう。

「臨時政府の動きで、そのあたりも分かる……か」

 帝国軍の戦力だけでクーデターの鎮圧が難しいと判断したアメリカが、偶然にも日本近海を航行していた艦隊から、増援部隊の派遣を国連経由で要請する。そして、アメリカの意向を受けた臨時政府は安保理を迅速に承認し、その結果クーデター部隊は無事に鎮圧されることになる。

 クーデター鎮圧後には、増援部隊派遣を強調して交渉を迫り、臨時政府はアメリカ側の主張を全面的に受け入る。それによって、アメリカは日本国内で好き勝手する口実を得られるという訳だ。

 そうなれば、第4計画は完全に封殺されることになるのだ。夕呼にとって、到底受け入れられる筋書きではない。

 とはいえ、ここで夕呼が気を揉んでも意味はなかった。

 横浜基地の中央作戦室に居るのならともかく、佐渡島の地からでは、本土の騒乱に干渉するのは不可能だ。夕呼にできることは、ただ横浜基地からの連絡を待つことだけ……とはいえ、さほど心配はしていなかった。

 横浜基地には、敷島隆也を筆頭に政戦両略に長けた者達がとぐろを巻いている。もしも彼らがアメリカの筋書きを阻止できないというのであれば、自分が横浜基地に残っていたところで結末は同じだろう。

「頼んだわよ……」

 横浜基地のある方向へ視線を向け、夕呼は小さく呟いた。

 

 

 同時刻、横浜基地の中央作戦室には大声が響いていた。

「──では、どうあっても増援部隊は受け入れられない、とおっしゃるのですか!?」

 テーブルを叩いて声を張り上げたのは、珠瀬玄丞齋国連事務次官──珠瀬壬姫の父親であり、対面に立つラダビノッド横浜基地司令や九條楸少佐からは、国連では貴重な話し合いのできる人物として評価されている。

「そうは申しておりません。正式な手続きがなされていない以上は、時期尚早である、と申し上げているのです」

「もはや一刻の猶予も残されていないのですよ!? 対BETA極東防衛線の要たる日本が不安定な状況に陥るということがどういうことか、お分かりでしょう!」

 ラダビノッドの冷静な反論に、玄丞齋は噛みつくように言葉を返した。

「……国連は、そんなにもアジアにおけるアメリカの発言力を回復させたいのですか」

 冷たい声で、楸が言った。

「増援という建前を掲げていますが、結局のところアメリカの目的は佐渡における失点を誤魔化すことと、日本への内政干渉……ではありませんか?」

 楸の指摘に、玄丞齋はしばし沈黙した。

 佐渡島ハイヴ攻略作戦におけるアメリカ太平洋軍の敵前逃亡は、現在に至るまでアメリカ軍の政治的立場に大きな影を落としていた。

 敵前逃亡──佐渡島ハイヴ攻略作戦の作戦開始24時間前に行われた作戦参加拒絶には、当然だがアメリカ政府の思惑が関与していた。

 アメリカ政府が狙っていたのは、権勢を取り戻しつつあったオルタネイティヴ4の完全封殺であった。

 帝国軍単独では、ハイヴ攻略作戦が成功する可能性は極めて退く、大損害を被って敗退することになるはずだった。そして、敗戦によって日本軍は作戦に投入した精鋭の大部分を失い、大作戦の失敗による混乱は、軍部のみならず政府にまで波及して、日本そのものが大混乱に見舞われることになる。

 日本国内の混乱が収まらないうちに、アメリカ軍主導で佐渡島ハイヴ攻略作戦を再興し、日本軍が通常兵器でのハイヴ攻略に失敗した、という戦訓を利用してG弾の使用を正当化して佐渡島ハイヴ攻略を成功させる。

 ハイヴ攻略の成功によってG弾の優位性を全世界に示すと共に、オルタネイティヴ4の発言力を削ぐ。さらに、戦力の多くを失い、BETAの侵攻を物理的に防げなくなった日本に佐渡島攻略を〝貸し〟として強調し、日本を事実上の傀儡国家としてアメリカの影響下に組み込むことで、オルタネイティヴ4の後ろ盾である日本政府を無力化し、対外的にもオルタネイティヴ4を放棄させることで、以後の対BETA戦略をアメリカが完全に主導することが可能になる……はずだった。

 ところが、日本軍がほぼ単独で行ったハイヴ攻略作戦はまさかの成功を収め、ハイヴ攻略にはG弾が必要だというアメリカの主張が否定されてしまった。そればかりか、敵前逃亡と見做されても仕方のない、作戦開始24時間前の作戦参加拒否という巨大な政治的失点がアメリカに降りかかったのだった。

「……しかし、クーデター後の政権が、この横浜基地を……人類の切り札の接収を要求してきたらどうなさるおつもりです!?」

 楸の冷たい視線に怯むことなく、玄丞齋は続けた。

「人類全体の命運を賭けたオルタネイティヴ計画……その中枢たる横浜基地を危険に晒すわけにはいかんのです!」

「……なるほど。ですが、このタイミングで太平洋艦隊の主力部隊が相模沖に展開しているというのは、どういうことでしょうね? まるで、何かが起こることを知っていたかのような用意の良さです」

「……艦隊については、緊急の演習と聞いております。まさに僥倖……といったところでしょう」

「僥倖、ですか」

 吐き捨てるように、楸が言った。

 アメリカの魂胆など、考えるまでもない。クーデターを発生させることにより、ハイヴ攻略で上昇した日本帝国の国際的な立場を失墜させると共に、クーデター鎮圧という事実とアメリカに取り入りたい臨時政府の協力を取り付けることで、日本国内で好き勝手をする大義名分を得る。

 つまり、先の謀略で失敗した日本の傀儡国化とそれに付随するオルタネイティヴ4の封殺を、今度こそ成し遂げようというのだろう。

「珠瀬事務次官……貴方も日本人なら、アメリカの強硬姿勢がこの国でどのような反発を招いているのかはご存知のはずでしょう」

 ラダビノッドが、幾分困惑した様子で口を挟んだ。事務次官という立場はあるが、いくらなんでも職務に忠実過ぎると言いたげだった。

「彼の国は、第5計画の頓挫と第4計画への回帰によってしびれを切らしつつあります。もはやオルタネイティヴ計画そのものに見切りをつけ、独自行動に踏み出す機会を窺っているのです」

 一呼吸を置いて、玄丞齋が続けた。

「私も、国連職員である前に1人の日本人として、日本主導のオルタネイティヴ4を完遂させたいのですよ!」

「……では私も、日本人として言わせていただきます」

「九條少佐──!」

 制止の声を無視して、楸はことさら冷たく言った。

「結局アメリカは、自国が戦場になるのを避けたいだけでしょう。戦略の見直しだのと謳っていますが、要するにG弾を盛大に使って、戦後の世界に君臨したいだけ。それも、自国は無傷のままで……違いますか?」

「……国連がアメリカの要求を受け入れない組織になれば、彼らは強引にでもG弾の運用を開始するでしょう……」

 苦衷に満ちた玄丞齋の言葉が、アメリカの言いなりにならなければならない国連という組織の現状を表していた。

「ご安心ください、事務次官。オルタネイティヴ4は完遂させますし、アメリカの独断専行など許しはしません」

 楸は幾分語気を緩めながら言った。

「ずいぶんな自信ですが……」

「虚勢と取っても構いませんが……大きな貸しがあることをお忘れなく」

 微笑を浮かべる楸に、玄丞齋が気圧されたように黙り込んだ。

 そう、国連上層部は特殊作戦群に大きな借りがあった。佐渡島ハイヴ攻略作戦において、極東国連軍はアメリカに歩調を合わせる形で、敵前逃亡に等しい作戦不参加を表明していたのだった。

 アメリカばかりが非難され、国連に対する批判が少ないのは、国連最精鋭を謳われる特殊作戦群が、大きな犠牲と引き換えにハイヴ攻略に貢献したからに他ならない。

 もしも特殊作戦群が、国連上層部の出していた作戦不参加の命令(特殊作戦群は独自権限でこれを拒否し、作戦に参加した)を全世界に公開でもしようものなら、国連の権威は失墜してしまう。

「……仕方ありませんな。一旦退散いたしますが、すぐに戻って参ります。また、後程お会いいたしましょう」

 説得は不可能と判断して、玄丞齋は中央作戦室を後にした。

 その後ろ姿を見送って、楸はラダビノッド顔を向けた。

「では司令、後は手筈通りにお願いします」

「うむ。こちらは任せてもらおう……そちらのことは頼む」

「了解です」

 敬礼を交わし合ってから、楸もまた中央作戦室を後にした。

 中央作戦室でのやり取りから数時間後、異例の早さで承認された安保理に従い、アメリカ軍の増援受け入れが始まった。

 

 

「兵装指示はどうなっている!?」

「C装備だ──次のコンテナだ!」

「全機、実弾装填ッ! 兵装はCだ!」

 ハンガー内の喧騒を眼下に、白銀武は複雑な表情を浮かべていた。

 緊急招集のブリーフィングの後、即応状態での待機を命じられた武は、他の隊員たちと同様にハンガーに移動していた。自然と関わりの深い者達が集まる形になり、武の周りには同じワルキューレ中隊に所属する面々の姿があった。

(BETAと戦うために訓練してきた俺たちが、初の実戦で人間相手に実弾をぶっ放すことになるのか……)

「──実弾」

 ふと聞こえた声に目をやると、ブリーフィングの時から浮かない顔をしていた慧が、険しい表情で作業を見つめていた。

 やっぱり、簡単に割り切れるものではないのだと、武は思った。BETAと戦うために腕を磨いてきたというのに、最初にその成果を発揮する相手が、本来なら協力できるはずの人間だというのは、どうにもやりきれない。

 しばらく無言で作業を見つめていると……。

「──み……みんなたいへん──あうっ!」

 外の空気を吸いに出ていた壬姫が、転がり込むように──というか、足を滑らせて盛大に頭を打ち付けながら駆け込んできた。

「ど、どうした、たま?」

 頭をさすって唸る壬姫に、武が慌てて声を掛ける。

「──たたた、大変ですっ! 基地の周りに帝国軍が!!」

「なんだって?!」

 武は叫ぶと同時に、ハンガーの外に走り出した。

 背後から聞こえてきた制止の声を無視して外に飛び出した武は、目の前に広がる光景に唖然として立ち尽くした。

 帝国軍の識別色である黒色に塗装された『激震』や『陽炎』が、基地の全周を取り囲むようにして背中を向けていたのである。

「なんだよ、これ……」

「……完全に包囲されているな」

 呆然と呟いた武の背後から、冷静な声が聞こえた。振り返ると、連れ戻しに追いかけてきたらしい冥夜が、基地を包囲する機体に視線を巡らせていた。

「……クーデター部隊ではなさそうだが……あれは──『武御雷』!?」

 基地を包囲する戦術機の中に帝国斯衛軍が誇る戦術機を──それも、五摂家の当主のみが扱える〝青〟の機体を見つけ出して、冥夜が驚愕の声を上げた。

「クーデター部隊じゃないなら、何でここに……」

「……国連軍の基地内とはいえ、他国の軍隊が無断で上陸してきたのだ。主権国家としては当然の措置であろう」

「……くだらねぇ」

 怒りに満ちた目で、武は背を向ける戦術機を睨んだ。

「こんなところに部隊を派遣する余裕があるんなら、何でさっさとクーデターを鎮圧しに行かないんだ!!」

「……そういう問題ではない。すでにアメリカ軍はこの基地に進駐している……その事態に対する、当然の反応だと言っているのだ」

「こんなことやってるから、BETAに好きなようにやられるんだよ!」

 歯軋りする武を、冥夜は無言で見つめた。

「こんなことやっていて、勝てる相手かよ……!」

「……目的が同じであっても、重んじるものが違えば道を違えることもある」

「BETAに勝つ以上に、大切なことなんてあるのかよ!!」

「……それは」

「ある訳ないだろう?!」

 冥夜が口ごもり、武が畳みかけた直後だった。

「──あるから、あの国はこのタイミングで仕掛けてきたのでしょう?」

 いきなり浴びせられた冷静な声に、慌てて振り返る。

「葛西少佐──それに、月詠さ……大尉……」

 驚きつつも、葛西榛名少佐に先程の言葉の意味を聞こうとした武だったが、それより先に冥夜が声を上げた。

「其方ッ、こんなところで何をしている!? 殿下の危機を知りながら、何故ここに居るのだッ!!」

「め、冥夜!?」

 豹変ぶりに驚いていると、あくまで冷静に真那が言った。

「──お言葉ではございますが、冥夜様の警護こそが私共が殿下より賜ったお役目でございます」

「痴れ事を申すなっ! 帝都がどうなっておるか、知らぬわけではあるまい!」

「おい、冥夜!」

 いまにも掴み掛らんばかりの冥夜の肩を抑えながら、武が声を掛けた。

 冷静沈着が常の冥夜がここまで取り乱していることに、武は少し混乱していた。将軍が冥夜の親類だということは聞いていたが、いくら何でも我を失い過ぎに見える。

 混乱し始めた状況を見かねてか、溜息交じりに榛名が口を挟んだ。

「──御剣少尉、少し落ち着きなさい。気持ちは分からないでもないけど、まずは帝都の状況を把握するべきでしょう」

 その言葉で冷静さを取り戻したようで、冥夜は頭を下げて謝罪を口にした。

「……それで、帝都の状況はどうなのです、月詠大尉殿」

 どことなく挑戦的な口調の榛名に、真那は鋭い視線を向けた。なんとなく剣呑な雰囲気が漂い始めた瞬間、冥夜が問い掛けた。

「──月詠、どうなのだ?」

「は──」

 冥夜の声を受けて、真那は視線を逸らしつつ頷いた。

「現在、斯衛軍第2連隊と決起部隊が堀を挟んで睨み合っています……決起部隊は帝都城に背を向け、銃口こそ殿下に向けておりませんが、包囲部隊の数は徐々に増えている模様です」

「では、殿下はご無事なのだな?」

「はい……警護を預かる第2連隊は精鋭中の精鋭です。ご安心ください」

 ほっとした様子の冥夜に代わって、武が質問を投げかけた。

「あの包囲部隊は、何処から?」

「斯衛部隊は、調布基地からの派遣だ。帝国軍部隊はおそらく……甲州絶対防衛線から抽出された部隊であろう。帝都奪回作戦の主力は甲州絶対防衛線と、第2次防衛線から抽出されたと聞いている」

「第2次防衛線まで……!」

 佐渡島ハイヴが消滅したとはいっても、危険すぎる。ただでさえ戦力不足の防衛線から戦力を引き抜いたとなれば、もしもBETAが日本海沿岸に突発上陸して来れば、対応しきれないかもしれない。

「──馬鹿野郎がっ! 国家の主権がどうこう言ってる場合かよ、くだらねぇ!!」

 武が叫んだ瞬間、榛名が目を細めたが、彼女が口を開く前に真那が言った。

「……聞き捨てならんな。国家の主権がくだらぬとは」

「くだらないじゃないですか、国家主権なんて。極東の最前線で権力争いなんて……国連の力を借りてさっさと鎮圧すればいいんだ!」

「国家の主権は、そう馬鹿にしたものではないよ」

 冷ややかな視線が、武に浴びせられた。

「どこぞの国に言わせれば、G弾の大規模運用によってBETAに勝利することは可能──ヨーロッパ大陸全土を、草木も生えない永遠の荒野に変貌させる犠牲を容認するならば、だけどね」

(それって、オルタネイティヴ5のことだよな……だけどそれは──)

「少尉は顔に出やすいね……まあ、対外的には第5計画は凍結されているけど、あの国はG弾の副次効果を公式には認めていないし、第5計画も所詮は凍結であって、計画そのものが撤回された訳じゃない」

(なんだ……何が言いたいんだ?)

「第4計画が再び実現の可能性なしと判断されれば、第5計画が再び動き出すことになるし……そもそも、あの国はオルタネイティヴ計画そのものを切り捨てて、独自の対BETA戦略を──G弾の大規模運用戦略の実行を狙っている」

「なんだって……!」

 掠れた叫びが武の口を衝き、冥夜や真那も顔を歪めていた。

「さて、白銀少尉……オルタネイティヴ4の後ろ盾は、何でしょうか?」

「後ろ盾……ですか?」

「……日本政府、でしょうか?」

 言葉に詰まった武に代わって、冥夜が答えた。

「正解。なら、この国の主権が揺らげばどうなるかも、分かるよね?」

「…………この国の主権が揺らぎ、政府が事実上の傀儡となれば、アメリカの専横を食い止める術はなくなり、横浜基地は封鎖……オルタネイティヴ4は完全に封殺され、彼らの望む通りの戦略に切り替わる……でしょうか?」

「──そんなっ!」

「うん、正解」

 武の悲痛な叫びに、榛名の軽い声が重なった。

「あの国は、G弾を使えばBETAに勝てると本気で思っている。だから、その戦略を阻むものはすべて邪魔だと考えている」

「だけど、G弾は──!」

 その副次効果がどのようなものか、世界中が知っているはずだ。いくらアメリカが公式には認めていないといっても、大規模運用なんてしたら世界中から非難が……。

「ええ。G弾のもたらす影響は凄まじい──けど、世界の半分が廃墟になっている状況で、誰が文句を付けられるの?」

 武は口を半開きにして、絶句した。

「国連軍の軍人として、少尉の主張は間違ってはいない。だけど、主権を軽んじることがどれほど危険なことか、理解だけはしておくように」

 冷たく言い放ってから、「お先に」と言い残して榛名はその場を離れた。

 その後、冥夜が真那により詳しい帝都の状況や、斯衛軍の今後の方針などを聞いていたが、立ち尽くす武の耳には、2人の会話はほとんど入ってこなかった。

 

 

 暗い顔でハンガーに戻った武と冥夜を、千鶴たちが困った顔で迎えた。

「……どうしたんだよ?」

「そっちこそ……」

 余計に困った様子で、千鶴が聞き返してきた。酷い顔をしているという自覚はあったが、心配されるほどかと内心で苦笑する。

 軽く頭を振って思考を切り替え、深呼吸をして落ち着きを取り戻す。

「俺は大丈夫だ……って、慧は?」

 ハンガーには、まりもちゃん以外のワルキューレ中隊の全員が揃っていたはず……どこかで息抜きをしているとも考えられたが、それなら千鶴たちが深刻な顔をしている理由の説明がつかない。

「それが……」

 言い難そうな千鶴の両脇から、美琴と壬姫が口を挟んだ。

「慧さんが……」

「九條少佐に、連れていかれちゃったんです……」

 しかも、呼び出された慧はかなり深刻な顔をしていたらしい。

「九條少佐からの呼び出しとは、あまり良いものではなさそうだな……」

 敷島大佐が不在のいま、特殊作戦群の実質的な最高指揮官である楸からの呼び出しともなれば、確かにいい知らせではないだろう。

「もしかして……」

 武には、なんとなく思い当たる節があった。

 少し前に慧の部屋に入った時、未開封にもかかわらず検閲印の押された封筒が机に散乱していた。普通、基地に届く郵便物は、機密書類でもない限りは必ず中身がチェックされるはずで、未開封で検閲印が押されることはない。

 何かの陰謀に巻き込まれているかもしれないとも思ったが、結局何も聞けないまま部屋を追い出されてしまった。

 やはり、何かの陰謀に巻き込まれているのだ──と思った武は、またしても唐突に走り出すと、再び聞こえた制止の声を無視してハンガーを飛び出した。

 そこまでは良かったが、少し冷静になってみると、探す当てなどまるでないことに気が付いて、武は深々と溜息をついた。勢い任せにハンガーを飛び出した手前、ただでハンガーに戻るというのも気まずいものがある。

 どうしたものかと考えながら基地内をさまよっていると、ふと近くの部屋から人の気配を感じた。

 即時待機命令が発令されている現在、特別な用事でもなければこんなところに人が残っているとは考えにくい。ドアに近づいて聞き耳を立てると、間違いなく九條少佐と慧の声だった。途切れ途切れで、しかも不明瞭な声に苛立っていると──。

「……白銀少尉ね。入ってきなさい」

 いきなり中から掛けられた声に、思わず身を固くした。

「──早くなさい」

「は、はいっ!」

 飛び込むように部屋に入ると、手紙を握りしめた慧が重苦しい空気の中で楸と向かい合っていた。

「即時待機のはずだけど」

「す、すみません……」

 頭を下げる武に、楸は小さく溜息をついた。

「まあ、いいわ。彩峰少尉、そこのアホにも見せてやりなさい」

「……了解です」

 そうして差し出された手紙に目を通すが、内容は何を言いたいのかまるで分からない文面だった。ただ、妙にきな臭い単語が目についた。

「……手紙の差し出し人」

「えーと……津島萩治?」

「違う──その人の名前は、沙霧……沙霧尚哉」

「────!!」

 声にならない叫びを上げた武に、慧は淡々と言葉を並べ始めた。

「最初は、意味が分からなかった。もしかしたら、って思いはあったけど」

 佐渡のハイヴを落としたといっても、日本が置かれている状況はまだ危機的なのだ。だというのに、防衛のための戦力を削るなんておかしいと、慧は言った。

「……まあ、手紙のことはどうでもいいのよね」

 沈黙の降りた場に、楸の冷静な声が響いた。

 驚いた武と慧の視線が集中するが、気にした様子もなく続けた。

「驚くことでもないでしょう。彩峰少尉がその手紙をすぐに私や隆也に届け出ていたとして、それで止まるような杜撰なクーデター計画であるはずがないでしょう。それに、国連軍から、帝都守備隊でクーデターの兆しがある──なんて指摘されて、『はい、そうですか』と帝国軍は動くはずもないでしょう」

 謀略の類だと思われて警戒されるだけでしょうね、と苦笑して見せる楸に、それもそうかと武は納得した。

「それよりも問題は、その手紙を持ってきた大東亜連合の軍人を名乗る奴らね」

「え……?」

「大東亜連合の政府や軍上層部は、オルタネイティヴ4推進派と緊密な連携を取っている立場よ。だけど、この手紙はクーデター幇助とも取られかねない危険な代物……日本の情勢が混乱すれば、その影響は当然こちらにも波及する」

 大東亜連合は、オルタネイティヴ4推進派──その中核である特殊作戦群からは、情報提供や技術提供を受けているのである。クーデターの幇助などすれば、第4計画派からの印象は最悪となり、連携に亀裂が入る可能性すらある。

 その説明を受けた慧は、顔を蒼褪めさせながら呟いた。

「日本の情勢……もしかして……」

 父である彩峰萩閣と沙霧尚哉の関係を、軍関係者が知らないはずもない。そして、自分と尚哉の関係も、だ。

「泳がされた……?」

「そうでしょうね。事実として、帝国軍内部に溜まっていた不満や、上層部への反発心は限界だった……身も蓋もない話だけど、どこかでガス抜き──要するにクーデターの暴発を招くことは上層部の一部では計画されていたことよ」

「じ、じゃあっ、今回のことは──」

「すべて計画通り──だったら、苦労しないわ」

 目を剝いた武に、楸は苦笑を向けた。

「クーデターへの賛同者の多さと、展開の早さ……アメリカ軍の増援を受け入れるまでの時間の短さ、と。不自然なことだらけでしょう?」

「……まさか、全部仕組まれている、ということですか?」

「少なくとも、私たちはそう考えている。彼らに踊らされている自覚があるかは分からないけれど、第4計画を潰させるわけにはいかない……いずれ、こちらからも打って出ることになるわ」

 そう言いながら、楸は慧に視線を向けた。

「さて、貴女はどうする?」

「え……?」

 目を白黒させながら、慧は呟いた。クーデターの主犯と親しい衛士を、この局面で出撃させるなど、有り得ないことだろう。

「うちは特殊作戦群よ? 軍服を着崩そうが、踵を踏みつぶそうがお咎めなし。上官への敬礼をさぼろうが、命令不服従でも処罰されない……望まれるのはたった1つ、作戦目標の完遂だけよ」

 軍令すら無視するような無法者の集まりに、クーデターの主犯と親しい人間がいたところで不思議はあるまいと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「まあ、気になるなら……」

 と言いながら、楸は何処からともなく灰皿を取り出して──武の手元から手紙をひったくるなり、ライターで火をつけてしまった。

 灰皿の中で燃え落ちていく手紙を呆然と眺める慧に、楸は処分するから届いた手紙はすべて提出するように、と言い添えた。

「さて、これで後は貴女の意志次第だけど」

「──意志……ですが、私が手紙のことを黙っていたから──」

「それは関係ないって、さっき言ったでしょう。貴女が報告したところで、国連軍という立場からではどうしようもなかった……この言い回しは嫌いだけど、死んだ人間よりも生きている人間を気にしなさい」

 誰のことを言っているのかは、すぐに分かった。

 父を失って、失意に飲まれているだろう千鶴……冷静さを欠いた衛士が、戦場で簡単に死ぬというのはここ最近の訓練でよく分かっていた。そして、1人の死が全体に波及し、下手をすれば全軍を瓦解させかねないことも。

「──さて、私がまだまだやることがあるから、後は白銀少尉に任せるわ。出撃する気があるなら、着座調整は終えていくように」

 取り残された2人の間に言葉が交わされたのは、重苦しい沈黙が降りてからしばらくのことだった。

 

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