異伝 Muv-Luv UNLIMITED   作:第4計画諜報部

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第11話 嵐の前

 決起軍部隊と、斯衛軍第2連隊の対峙──帝都城の堀を挟んだ睨み合いを終わらせたのは、決起軍側から放たれた1発の砲弾であった。

 先制攻撃を受けた斯衛第2連隊は即座に反撃を開始しており、帝都内からは幾条もの黒煙が立ち昇っていた。斯衛軍、そして決起軍からどれだけの死者が出たのか……そして、どれだけの民間人が巻き込まれたのか。

 執務室の窓から彼方の黒煙を見据える政威大将軍、煌武院悠陽は突きつけられた無情な現実を前に、掌を強く握った。

 第2連隊を含めた帝都防衛部隊には、戦闘を避けるように厳命していた。しかし、攻撃を受けた防衛部隊は反撃に転じ、帝都が戦火に包まれようとしている。

 窓から視線を外した悠陽は、執務室の扉へと足を向けた。政威大将軍の名のもとに、戦闘の停止を厳命するつもりだった。

「──どちらへ行かれるのですか?」

 悠陽の移動を遮るように、眼鏡をかけた男が立った。

「……そこをお退きなさい」

「なりません」

 冷たい声で、男は悠陽の言葉を退けた。

「ご心配なく、仙台臨時政府は今現在も事態の収拾に努めております。殿下の御身に万が一のことがあれば、未曽有の大混乱となりましょう……殿下自身が動かれる必要はないのですよ?」

「……戦闘は避けるよう厳命しておいたはずです」

「正当防衛です。先に火種を巻いたのはあちらですぞ」

 口調だけは最低限の礼節を守っているが、悠陽を見下ろす眼には政威大将軍への敬意など欠片も感じられない。

「ならば、すぐに停戦命令を──急ぐが良い」

 悠陽が視線を持ち上げ、男の眼を真っ直ぐに見据えると、

「……承知しました」

 気圧されたように頭を下げて、男は執務室を後にした。

 扉が閉まると同時に、悠陽は内心で溜息をついた。

 あの男は、急遽設立された仙台臨時政府と親交が厚いという者だった。どのような目的をもって帝都城に居るのか、立ち振る舞いや視線、物言いから想像するのは難しいことではなかった。

 仙台臨時政府の人間は、現行政府の首脳陣の強制排除と、象徴である政威大将軍の発言力、あるいは威光の低下を手土産に、この国をアメリカに売り渡そうというのだろう。どのような対価を提示されたのか……あるいは、アメリカの傘下に入れば、保護を受ければ状況は改善すると信じての行動か……。

「何としても生き延びたい……人として、その思いは間違っていないのでしょうが」

 その言葉が悠陽の口を衝いた刹那、扉の向こうから鈍い音が響いた。

「──いやはや、イースター土産が役に立ちましたな」

「鎧衣──それに、其方は……!」

 悠陽の視線の先には2人の男がいた。右手にモアイ像を持ち、顔には不敵な笑みを張り付けている鎧衣左近と、帝国武家に連なる人間の間ではいろいろな意味で有名な人物である大嶽吾妻だった。

「お迎えに上がりました。すでに、準備はできています」

「外の者達は?」

「殿下と同じで、寝不足のせいでしょうな。ぐっすり仮眠を取っているようです」

 左近の言葉に、悠陽は防寒着を着込みながら頷きを返した。

「急ぎましょう。そろそろ、連中が雪崩れ込んでくる頃合いです」

 部屋の外で周囲を警戒していた吾妻の先導に従い、悠陽は気絶している人間を避けながら歩を進め、早くも左近との情報交換を始めていた。

「──帝都城脱出と同時に、他のルートにも囮を巻いておきます。これで、あちらも戦力を分散せざるを得ないでしょう」

「先に命じておいた件は如何に……?」

「ご安心を。半刻もすればさる筋から伝わるようになっております……しかし、よろしいのですか?」

「構いません。これ以上、帝都の民に類を及ぼすわけにはいかぬ」

 悠陽と左近のやり取りを背後に、吾妻は全周を警戒し続けていた。

 帝都での戦闘勃発──それに伴う混乱によって、帝都城内の警備にも少なからぬ穴が生じている。自称敷島派……権力闘争に敗れた武家共が、殿下を狙うには最大の好機が生まれつつあるのだ。

 連中は、敷島隆也を神輿に担ぎ上げているが、実際には隆也と腹を割って話し合ったことも無ければ、接触したことすらない。だから、勝手に想像を膨らませて、隆也が斯衛に恨みを持っていると思い込んでいるし、敷島家の再興を狙っていると考えている。

 連中のおめでたい頭の中では、悠陽を殺すことで隆也の歓心を買い、その影響力を行使してもらうことで返り咲くというシナリオが描き上げられているのだろう。

 確かに、政威大将軍が暗殺されて混乱する斯衛に隆也があれこれと工作を仕掛ければ、連中を引き上げることくらいは造作もない……まったくもって、自分の上司ながら恐ろしいものだが……連中も、よくもそこまで自分たちに都合よく考えられるものだ。

「まあ、捕らぬ狸の皮算用、では済まないが……」

 地下に続く階段の途中で、吾妻は呟いた。

 自称敷島派が隆也と何ら関係を持たないことや、その目的についてはすでに斯衛では知れた話だ。まだ潰されていないのは、連中が尻尾を出さなかったというのが理由の半分で、もう半分は各個に叩くのが面倒だった、という斯衛側の事情に過ぎない。

 しかし、戦闘の混乱に乗じて殿下を襲おうとしたとなれば言い逃れはできないし、組織だった行動でなければ帝都城襲撃などできようはずもない……つまりは、斯衛側にとっても一網打尽にするチャンスという訳だ。

 すでに帝都城からは、執務室前に転がっている男と同様の、臨時政府に関わっている人間を除いて、暗部以外の人間は退去済みだ。意気揚々と帝都城襲撃に赴いた自称敷島派は、待ち構えている斯衛の暗部とぶつかることになる。

 政威大将軍の暗殺には失敗し、実動部隊は文字通りの全滅。そして家は取り潰しと、彼らにとっては最悪の未来が待ち構えているはずだ。

 懸念されていたのは、殿下が帝都城を脱出する前に会敵することだったが、どうやら杞憂に終わったらしい。

 目的地まで無事に辿り着けたことに、ひとまずは安堵の息をついて。すぐに気を引き締めた吾妻は、万が一の襲撃を警戒しながら悠陽と左近を促した。

 頷きつつ先に進んだ左近は、停車している列車に飛び乗ると悠陽を振り返った。

「──では参りましょう、殿下」

「ええ。この争いを止めるために」

 

 

 ────帝都で戦闘が始まる少し前、箱根町の芦ノ湖南東にある塔ヶ島城の周囲には、奇妙な編成の戦術機部隊が展開を終えていた。

 国連軍所属を示す鮮やかな空色の塗装が施されているのは、帝国軍が新たな主力機と定めて配備を急いでいる『不知火・弐型』であり、青、赤、山吹、白と各々で異なる装甲を纏うのは、帝国斯衛軍が誇る『武御雷』だった。

 この奇妙な混成部隊に唯一共通しているのは、『不知火・弐型』も『武御雷』も、日本製の正式採用された戦術機である、という点だった。

(戦力不足のきらいはあるが……さすがに、な)

 円型陣形の中心に位置する『不知火・弐型』のコックピットで、敷島隆也は溜息交じりに指揮下の部隊を眺めていた。

 混成部隊の編成に『羅刹』や国連軍識別色の『武御雷』が含まれていないのは、隆也と楸の行動をできる限り秘匿するためであった。

 どちらの機体も、事実上の専用機として広く知られているため、かの国の諜報員が目を光らせている状況で動かせば、すぐに行動を把握されてしまう。今回のクーデターを仕組んだのがどの組織にせよ、警戒対象が動いたとなれば何らかの行動を起こすはずで、それは状況をより混乱させかねない。

 そのため、隆也は調布基地からの移動も可能な限り秘匿していた。

 クーデター発生の混乱に乗じて、調布基地の指揮系統から外れている恭子を頼り、横浜基地の警戒を名目にして臨時に小隊を編成してもらい、『武御雷』に便乗して横浜基地に戻ったのである。

 横浜基地とは連絡を取らず、調布基地には移動に使った車両を残してきたが、それでも完全に行動を秘匿できるなどと思ってはいない。しかし、先手を取られている以上はできる限りの手を打つべきだろう。

 ともあれ、隆也の帰還と同時に横浜基地も動き出したのだが、後方警備の名目で塔ヶ島方面に展開した戦力はいささか弱体だった。

 隆也が直率するサジタリウス中隊からの参加は、九條楸、マーティカ・ビャーチェノワ、ユウヤ・ブリッジスの合計4名だけだ。ヘルガローゼ以下の海外衛士は、横浜基地にて警備任務にあたっている。

 戦力を分散するのは愚の骨頂であるが、しかし現状では戦術的思考よりも、政治的な配慮が求められる場面だった。

 横浜基地に残してきた面子は、自国製の戦術機をもって部隊に参加している。もちろん、所属は国連軍に移っているのだが……〝自国製の戦術機がクーデター鎮圧に参加した〟ことを貸しにして、法外な要求をしてこないとも限らない。

 まあ、欧州連合や大東亜連合については心配していないが……騒ぎ立てそうな国がない訳ではない。もっとも、馬鹿共が騒ぎ出したところで叩き潰すのは容易だが、そのために人を動かすのは、今後のことを考えれば下策だろう。

 こうした判断から、海外衛士の大半は基地に残留となり、『不知火・弐型』の操縦に精通しているマーティカとユウヤの随伴だけが許されたのだった。

 さすがにこれだけでは数が不足し過ぎているということで、第2戦隊所属のワルキューレ中隊も塔ヶ島方面部隊に参加しているが、本音を言えば、ワルキューレ中隊こそ横浜基地での待機を命じたいところであった。

 なにしろ、ワルキューレ中隊所属の面々は、神宮司まりもと白銀武を除いて、各々が複雑な背景を背負っている。どこまでの情報が漏洩し、そして伝わっているかは定かではないが、アメリカ軍や帝国軍の動き次第では、全滅してもおかしくはない。

 彩峰慧はクーデター首謀者と関係し、榊千鶴は将軍を傀儡としていた総理の娘。珠瀬壬姫はアメリカ軍を国内に引き込んだ国連事務次官の、鎧衣美琴は今回の件を仕組んだ諜報員の娘となれば、何処から恨まれるか分かったものではない。

 そして、日本に傀儡政権を立てたいアメリカにしてみれば、正体が伝わっているのなら、という注釈は付くが、御剣冥夜も殿下と同様に排除するべき対象で、この状況下では情報が漏れていると見てしかるべきだからだ。

 とはいえ、塔ヶ島方面で起こることを考えれば、サジタリウス中隊の分隊だけではどうにもならない。そこで、ワルキューレ中隊に加えて、行動可能な斯衛軍の部隊を加えて強引に頭数を揃えることにしたのだった。

 塔ヶ島方面に随伴した斯衛部隊は2個小隊──臨時編成のハイドラ小隊は、崇宰恭子が篁唯依と山城上総を指揮下に置き、第19独立警備小隊が月詠真那以下、神代巽、巴雪乃、戎美凪によって構成されている。

 総勢16機──だが、額面通りの戦力とは言えない。ワルキューレ中隊のうち6機を別にして考えれば、戦力として数えられるのは10機だけだ。

「……厳しいな」

 隆也の口を衝いて出たのは、先が見えるが故の言葉だった。

『──隆也』

 ふと、楸からの通信音声が耳朶を打った。

「……始まったか?」

『ええ』

 簡素な答えを聞きながら、状況の変化を知らせる情報を呼び出した。

 予想した通りではあったが、顔を歪めるのに充分な情報に目を通した隆也は、重苦しい息を吐きながら麾下部隊への通信を開いた。

「帝都が戦場になった……始まりは、決起軍による砲撃のようだ。斯衛第2連隊は白兵に努めているようだが、時間の問題だろう。沙霧も戦闘停止を命じたようだが……事態は悪化している、とのことだ」

 状況は最悪の一歩手前と言っても過言ではない。通信機の向こうからは驚愕と、悲痛な息遣いが聞こえるが、隆也はそれらを無視して淡々と状況説明を続けた。

 先発していた横浜基地の第1戦術機甲大隊と、品川埠頭に強襲上陸を敢行したアメリカ第117戦術機甲大隊が決起軍と交戦中。同時に、埼玉の県境から、クーデターを鎮圧すべく帝国陸軍が移動を開始した、と。

「何にしても、帝都付近に戦力が集中することになる……たった1人の兵士が誤射したせいで、とんだ有様だな」

 始まってしまえば、兵士たちは簡単に戦闘を停止することはできない。状況も分からないままに武器を下ろせば、待っているのは自らの死だからだ。しかも、無軌道な戦闘の拡大を制止するはずの上層部の声が届いていないとなれば……泥沼の内戦に突入する危険性が一気に高まってしまった。

『……質問をしても、よろしいでしょうか?』

「許可する……何か気になるか、篁少佐」

『はい……展開が早すぎるように感じます。まるで、誰かの筋書きに沿って動かされているような……それに、違和感が酷い』

「……同意するが、いささか抽象的だな。主観で構わんが、何処がおかしい?」

『決起部隊が重んじているのは、殿下の御心です。だというのに、殿下の御膝元である帝都内で、殿下の部隊である斯衛に向けて発砲するというのは……』

 決起軍も斯衛も、帝都内での戦闘など望んでいるはずもない。にもかかわらず戦闘が発生し、しかも拡大しつつあるというのは、不自然極まりない流れだった。そう発言した唯依は、溜息と共に告げた。

『日本近海に展開していた艦隊に、何時になく早いアメリカ軍受け入れの承認、戦闘開始直後の強襲上陸……その全てを、偶然で済ませるつもりなのでしょうか』

 ユーコンの時と同じように──と締めくくった唯依の言葉に、一部の人間を除いた全員が驚愕と共に息を飲んだ。

 ここに居る全員が、ユーコンで起こった大規模テロ事件のことは知っていた。最悪の場合には、世界中を巻き込んだ未曽有の大惨事となっていただろう巨大なテロ事件……いろいろと黒い噂もあるが、ともかくその事件の渦中に居た唯依が同じ匂いを感じるというのは、無視できないものがある。

 もっとも、隆也達にしてみれば分かり切った話だが……。

「偶然、で押し通すつもりだろうな。あるいは開き直るか……自分たちは少し煽っただけで、大火事になったのはそちらのせい、だとかな」

 皮肉めいた口調で、隆也は言った。

 煽ったのが誰であれ、武力をもって政治を動かすという民主国家にあるまじき蛮行を犯しているのは、他ならぬ日本人だ。火種が用意されていたのは事実だが、帝国軍内に蓄積された不満を燃料に、火を点けたのは戦略研究会なのだ。

『──では大佐は、決起が間違いだったと言われるのですか?』

 突然割り込んできたのは、冥夜の声だった。誰かしら……主に斯衛の人間が口を挟んでくることを予想していた隆也は、咎めることなく言葉を返した。

「国連の軍人としては、間違いだったと言わざるを得ないな。武力を用いてのクーデターはもちろん、極東の防衛線を崩壊させかねない行動を、認める訳にはいかない」

『……1人の日本人としては、どう思われますか?』

 続いて質問を投げかけてきたのは、興味深そうな顔をしている上総だった。

「日本人として……か。それは何とも言えない。ただ、世界中を見てきた人間としては、連中の主張には同意できない」

『例えば、どういった所が?』

「効率を重視したことを責めたことだな……日本の難民キャンプは、最低限の衣食住は保証されている。その上で心まで救えというのは、無茶が過ぎるだろう。政府も軍も最大限の努力はしているはずだ」

『実際、世界中の難民キャンプを思えば、最低限生きていけるだけの環境は整っていると言って間違いないわ』

 隆也の言葉を、楸が補足した。

『……東南アジアなど、劣悪を極めた環境が多かったな。あの光景を思えば、日本政府はよくやっていると思っていたが……日本人から見ると、あれでは不足なのか』

 贅沢だな、と感想をこぼしたマーティカの声に、驚きの声が上がった。

 国内の難民キャンプの状況は、軍人であれば誰でも知っている。軍事教育の一環として授業に組み込まれているし、実際に目にすることもあるからだ。

 だが、帝国軍にせよ斯衛軍にせよ、さらには日本に展開する日本国籍の国連軍の軍人も、国外の難民キャンプを目にしたことはない。

 海外に派遣された人間がいない訳ではないが、どの国も難民キャンプの状況を他国の人間に見せたくはないし、派遣された人間にしても、軍事面とは直接関係のない難民キャンプの状況など気にしないからだ。

 一方で特殊作戦群は、最前線に展開する遊撃部隊であるため、特定の拠点を持たずに行動していた。そのため、難民キャンプが併設されているような野戦基地にも立ち寄ったことがあり、各国の難民キャンプの状況を直接目にしていたのだった。

 確かに日本の難民キャンプもそれほど褒められた環境ではないが……しかし、いつの間にか子供が姿を消していたとか、目の届かない場所に死体が転がっているということはない。何よりも、配給量は少ないとはいえ、飢えて死ぬ難民はいないのだから、よほど恵まれていると言えるだろう。

「まあ、とにかく……連中は難民キャンプの実状を挙げて、民を蔑ろにしていると語っていたが、少なくとも俺には同意できないってことだな」

 強引に締めた隆也に、今度は壬姫が遠慮がちに問いかけた。

『……明星作戦の後、国連との関係強化を進めたことには、反発を覚えなかったんですか? 日本国民の感情を、無視してでもアメリカの協力を受け入れるのは……』

「間違ってはいない。少なくとも、感情論を排除して考えればな……」

 即答しながらも、隆也の声には苦みが混じっていた。

 政府と軍の上層部の仕事は、最悪の事態を想定して策を練ることだ。明星作戦において、帝国軍と斯衛軍は多くの戦力を失った。兵士を育成するにも、兵器を生産するにも時間が掛かる以上、取れる選択肢はおよそ2つだけだ。

 積み重なった不信感や憤怒の感情を押し込めてアメリカに頭を下げるか、軍備が整うまでBETAの再侵攻が起らないことに賭けるか……賭け金が数千万の日本国民の命であることを考えれば、およそ答えは決まっていただろう。

 日本政府は国連との関係強化を──アメリカに頼る方を選んだ。

 妥当な判断だと、隆也は当時から思っていた。現実が見える人間であれば、誰であっても同じように判断しただろうとも。情勢が見える人間であればあるほど、BETAの侵攻という脅威を前にして、悠長に戦力の回復を待てるほど楽観的にはなれないのだから。

「とはいえ、人間は感情で動く生き物だからな……」

 言いながら、隆也は溜息をついた。

 謀略の世界を生き抜いてきただけに、隆也は最善手が白く清いものだけではないということを知り抜いていた。綺麗事で解決できる問題の方が遥かに少なく、正道に固執すれば簡単に潰されてしまうことも。

 逆賊として斬られた内閣の首脳陣は、圧倒的という以上に足りない手札で、次々と押し寄せる国難に対処してきた。敵であれ味方であれ、ありとあらゆるものを利用して、時には汚名すら被って、日本国民の安全を守ろうと努力してきた。

 しかし、彼らの努力は表に出せる類のものではない……だから、何も知らない一般人や政治から距離を置いている軍人にしてみれば、憎きアメリカに媚び諂う弱腰政府にも見えるだろうし、将軍を傀儡に貶め、国民を蔑ろにする売国奴にも見えるだろうということも、理解できていた。

「そういう意味では、連中が決起した理由も、分からないではない」

 BETAによる本土侵攻──多くの命と、国土の半分を失ったあの時、日本という国が崩壊に至らなかったのは、日本という国家の象徴が健在であったからだ。

 京都で、関東で、絶望的な戦況にあってすら士気が保たれていたのは、殿下を、将軍様を守り抜くのだという目的があったから……正しく、政威大将軍は国家の象徴であり、心の礎として日本国民と共にあったのだ。

 ところが、1度BETAに敗れたことが、政府を変えてしまった。日本帝国単独ではBETAに対抗し得ないという現実の前に、国連との関係強化を政策の基軸と定めたが、それは同時に彼の国の干渉を少なからず受けることも意味していた。

 それだけが原因ではないにせよ、政府が国民を蔑ろにし、将軍を傀儡に貶めたような状況が日常化してしまった。己の利益や保身ばかりを考える輩が国を蝕んでいたというのは、残念ながら事実だった。

 それは認める──と、そう言いながらも隆也の顔は渋いままだった。

『……それでも、彼らを認められない、と?』

「というよりは、気に入らないんだよ」

 冥夜の躊躇いがちな声に、隆也は吐き捨てるように返した。

「政府や上層部の腐敗──確かに、それはある。だがな、それを招いたのは本土防衛戦での敗北だ」

 その言葉に、幾人かが顔を歪めた。いずれも、熾烈を極めた戦闘に参加した経験を持つ衛士達だった。

「京都で負け、関東で負けた。乾坤一擲、全力を投じた横浜でも、勝てたとは言い難い。敗戦の原因を、政府や上層部に求める声はある……だが、負けたのは俺たちだ」

 無念の嘆くのは、誰にでもあることだ。一時の言い訳として、責任を転嫁して喚くのはストレス発散の方法としては一般的だ。だが、自分たちが背負うべき責任までも押し付けるのは違うだろう。

「たら、れば、を言い出せばきりがないが……俺たちが勝てていれば、政府だってもう少し取れる手段があった。確かに、効率を優先して国民感情を無視してきたが、そうでなければこの情勢下で国民の命を守ることなどできはしない」

『しかし、国民の生命と財産を守るのは──!』

「軍人の責務──だと言いたいのだろう」

『……はい』

 冥夜の返事を受けて、隆也は深く息をついた。

『……確かにその通りではある。しかし、軍人であってもこの国の民であることに変わりはあるまい。民間人を優先するのは当然のことだが、かといって軍人を無用な危険に晒していい訳ではないだろう。まあ、研究会の連中は民の生命財産を守るために軍人が危険を冒すのが当然だとでも考えているようだが』

 その言葉に、冥夜は押し黙った。研究会に対する言葉のように聞こえるが、おそらくは自分にも向けられたものだと思ったからだ。

 ──帝国軍人は国民の生命財産を守るためにある。そのために危険を冒すのは当然のことだ。とは、かつて冥夜自身が口にした言葉だった。

 佐渡島の不法帰還者救出作戦の報道を目にしたとき、冥夜の胸中に湧き上がったのは深い憤りだった。危険を覚悟して故郷に戻った者達を、有無を言わさず難民キャンプに送り返したことに対してである。

 そういう意味で、不法帰還者を強制退去させた帝国軍の行動を非難する戦略研究会の姿勢には一定の理解を示していた。

『……研究会の考え方も、一般論としては正しい。だが、いまの日本に我儘な民間人の行動につき合ってやれるだけの余力はない』

「我儘な行動……とは、佐渡島の一件でしょうか?」

 網膜投影に映る隆也の顔を睨みながら、冥夜は聞き返した。

『そうだ』

 これ以上ないほどはっきりと、隆也は言った。

『佐渡島の戦いで、帝国軍が受けた被害は、軍組織を崩壊させかねないほどの大損害だ。いまだBETA侵攻の危機に晒されている状況で、民間人の保護に部隊を回すなど、正気の沙汰ではない……内務省の一部であった、放置やむなしの声にも頷ける。が、帝国議会が救出すべしと結論を出した以上、部隊を出す他にはない』

 そこまで言って、隆也は溜息と共に言葉を区切った。

『あの救出作戦のために、帝国軍の行動がどれほど掣肘されたか、分かるか?』

「……いいえ」

 特殊な背景を持つとはいっても、一介の衛士に過ぎない冥夜には知る由もない。むしろ、公的な立場としては国連軍に所属する特殊部隊の隊長に過ぎない隆也が、そうした情報を得られることの方が異常なのである。

 ──不法帰還者救出作戦の折、帝国軍は本土防衛軍から抽出された1個戦術機甲大隊と、陸軍歩兵部隊を強制退去のために佐渡へ送ったが、全体で見ればこの救出部隊の規模は微々たるものだった。

 帝国海軍では、BETAの本土再侵攻に備えるべく警戒線を広げ、佐渡島近海に展開していた第8艦隊を大陸からの照射範囲ギリギリまで進出させていたし、手薄になる佐渡島へと増援の艦隊を送ってもいた。

 さらに、帝国陸軍も作戦完了までにBETAが佐渡へ侵攻した場合に備えて、4個戦術機甲連隊を新潟に集結させていた。艦隊も陸上部隊も、本来は大陸方面からの侵攻に備えるべき戦力だった。

 それが他方面に転用されているというのは、最前線の将兵にせよ軍上層部にせよ、背筋が寒くなるような状況だった。しかも、艦隊も戦術機部隊も、長距離移動の上で戦闘即時待機状態だったのだ。元の配置に戻ったところで、点検と整備を済ませなければ戦力としては数えられない。

『──原隊復帰が遅れれば、それだけ前線の兵力が薄くなる期間が長引く。外聞が悪かろうが、強制退去は妥当なところだ』

「ですが、帰還者の意志を完全に無視するというのは──」

『軍人である以上、無駄なリスクとコストを避けるのが当然だ』

 冥夜の反論に対する隆也の声には、明らかな怒りがあった。

『新潟に集められた部隊は、中国地方から引き抜かれた部隊だ。佐渡島ハイヴ攻略作戦に投入された近畿、中部、関東地方の主力部隊が軒並み大損害を受けた以上は仕方のない措置だが……最前線である大陸方面の後方が手薄なのは、甚だ不味いだろう』

 そんな状況で、もしも大陸から──重慶ハイヴや鉄原ハイヴからの大規模侵攻が発生すれば、どうなるか。

『……下手をすれば、98年の悪夢が再現されるわね』

 隆也の声に応えたのは、恭子だった。かつての本土防衛線を目の当たりにしてきただけに、声の調子は固かった。

『九州戦線は持ち堪えられるとして、98年のような強襲上陸を受ければ、戦力を引き抜かれている中国地方は危ういでしょうね。新潟に派遣された部隊が間に合えばいいけれど、まかり間違えばBETAは近畿地方に雪崩れ込んでくる』

『……中国地方を抑えたBETAが九州方面に向かう可能性もあるわね。あるいは四国地方を狙うか……いずれにしても、九州、四国地方の戦線は崩壊し、帝国軍は戦力の大部分を失うことになる』

 恭子に続いて、楸が淡々と最悪の事態を口に出した。

『中国地方を襲ったBETAが真っ直ぐ近畿地方に押し寄せたとして……近畿、中部、関東の部隊は佐渡島攻略作戦に戦力の8割を投入し、6割を完全喪失している。動かせる戦力は、帝都守備隊と斯衛軍、横浜基地の国連軍が精々だ。東北方面の部隊を転用すれば堪えられる可能性はあるが……九州戦線が抜かれれば終わりだな』

 隆也が、締めくくるように言った。

 自分の顔が蒼褪めているという自覚を持ちながら、冥夜は唾を飲んだ。いつの間にか、喉がカラカラに乾いていた。

 いま語られた最悪の事態は、想像するに容易だった。

 98年のBETA侵攻でも、九州方面軍はBETAの侵攻を食い止めたが、中国地方沿岸部に強襲上陸を仕掛けてきたBETA群によって戦線を突破され、京都が陥落し、関東にまで侵攻を許している。

 同様の事態が発生し、中国地方を突破された場合……近畿、中部、関東の部隊にはBETAを受け止められるだけの力はなく、たとえ東北方面の戦力を加えても、かつての本土防衛戦と同等の戦力すら用意できない。

 国連軍やアメリカ軍の支援を受けたとしても、おそらく帝都陥落は免れない。いや、それどころか──。

「本土失陥……」

『──たとえ本土失陥を免れても、日本は終わるわね』

 蒼褪めながら呻く冥夜の耳朶を、楸の声が打った。

『BETAの撃退に成功しても、帝国軍は軍事力の大部分を失う……極東の防衛線が重大な危機に晒されることになるわね。そうなれば、防衛線の崩壊を防ぐ──という名目でアメリカは武力進駐を行おうとするでしょうし、日本政府もそれを認める他にはない』

 国軍が壊滅してしまった以上、国を、国民を守るためには他国の軍隊を受け入れるしかなく、大規模な派兵が可能なのは国連とアメリカのみ……かねてから日本の実効支配を狙っているアメリカならば、喜んで戦力を供出するはずだ。

 日本を実効支配したアメリカは、日本政府を傀儡として、アメリカの提唱する対BETA戦略を認めさせるだろう。世界で唯一G弾を投下された国として、反G弾の急先鋒である日本帝国がG弾戦略賛成派に回れば、形勢は一挙に変わる。

 並行して、アメリカは第4計画を抑えにかかるだろう。政治的な駆け引きであれば対抗しようもあるが、先の失敗に学んだとすれば、横浜基地そのものを抑えるはずだ。第4計画完遂のための拠点を物理的に抑えられてしまえば、さしもの隆也も動きようがない。

 いずれにしても、対BETA戦略はアメリカの望む通りになり、凍結されているバビロン作戦か、それに類するG弾戦略が動き出すことになる。

 オルタネイティブ計画については知らない人間も少なくはなかったが、アメリカが日本の実効支配を狙っているというのは、アメリカの動きを注視する人間にとっては、言うまでもないことであった。

『かの大国が、他国を平気で踏み躙るのは知れた話で、極東における影響力を強引にでも取り戻そうとしている、というのも分かっていた……だからこそ、政府も軍上層部も、佐渡の件には頭を痛めていたのだけど……研究会はそのあたりをどう思っていたのかしら?』

 恭子が、溜息交じりに言った。

 アメリカが極東で動いているというのは、周知の事実だった。だというのに、国内情勢を混乱させるような真似をしたというのもそうだが、内戦の危険を冒したというのも、分からない話だ。

 作戦は成功し、日本帝国は喉元に突きつけられた刃を取り除いたとはいえ、佐渡島ハイヴ攻略作戦における帝国軍の消耗は大きかった。戦力補充は容易ではないというのに、さらに消耗を強いるというのは、どういう意図があってのことか。

『何も考えていない……というより、何も知らないのだろうな』

 戦略研究会などと、大層な名前を名乗っているが、所詮は帝都守備隊に所属する衛士の私的な勉強会に過ぎない。

 研究会が政府を敵視していることもあり、政治家との繋がりは皆無だった。クーデター計画の露見を恐れていたのか、軍上層部にも協力者はいない。隆也が調べた限りでは、外務省や軍部の諜報機関とも連携している様子はなかった。

『研究会の情報網は自分たちの目と耳だけだ。連中なりに、徹底的な情報収集はしているだろうが……素人の情報網では、得られる情報には限りがある。日本の置かれている現状、政府の考えとアメリカの思惑……どこまで分かっているのか……』

 隆也の慨嘆が、冷え冷えとした空気に溶けていった。

(敷島大佐が、彼らを厭うのも分かる……)

 内心で忸怩たる思いを噛みしめながら、冥夜は瞑目した。

 軍人たるもの、国民の生命財産を守るために力を尽くすべきだし、可能な限り力なき者達の心まで守るべきだと思っていた。先ほどまでのやり取りを聞いた今でも、その考え方が間違っているとは思わない。

 だが、知らないことが多すぎたのだ……自分も、研究会も。

 佐渡島の救出作戦だけを見てもそうだ。危険を覚悟して故郷に戻った人々を、強制的に難民キャンプに送り返した──表面的な事象だけを見れば、沙霧尚哉の主張するように、本来守るべき国民を蔑ろにしているようにも見える。

 だが、その裏側を知れば同様の非難ができただろうか? 最悪の事態を想定して策を練ることが政府や軍上層部の責務である以上、不法帰還者のために日本国民すべてを危険に晒すなど、容認できることではない。

 立場が違えば、見える景色も違うと言うが、まさしくその通りだ。

 日本帝国が置かれている危機的な状況を、冥夜はまるで知らなかった。佐渡島ハイヴの攻略により、危機は遠のいたとばかり思っていたのだ。ところが、実態はむしろ逆で、軍事的な損耗とアメリカとの謀略戦の加速は、日本を追い込んでいた。

 異質な存在であるということは分かっているが、しかし国連軍所属の一部隊長に過ぎない隆也が日本の現状を把握しているというのに、より中枢に近い帝都守備隊内部の戦略研究会が、その程度のことも分かっていなかったのだ。

 隆也のような現実が見えている人間にとっては、戦略研究会こそが彼らの言う国賊や亡国の徒であり、それに同調する自分の考えは、笑止なことなのだろう。

(……しくじったな)

 沈鬱な表情でうつむいた冥夜を見やりながら、隆也は内心で呟いていた。

 我に返ったといってもいいだろう。つねに氷のように冷徹でなければならない指揮官が、感情に任せた物言いをしてしまった上に、彼女の反論に対しても、苛立ちをぶつけるような返答をしてしまった。そのことに気が付いたのである。

「……おしゃべりが過ぎたな。各員、周囲の警戒に戻れ」

 口調を務めて冷静なものに戻しながら、隆也は命じた。

 すぐに『了解』の声が返され、網膜投影から映像が消えた。束の間、コックピットが静寂に満たされたが、すぐにからかうような声が秘匿回線を通して響いた。

『ずいぶん、熱くなっていたわね』

「……情けなくも、な」

『まあ、気持ちは分かるけどね……連中の裏の狙いは分かるけど、こちらの予定も大幅に狂わされることになるし』

 沙霧の裏の狙いは、分かっていた。他国に通じている政府高官や軍の高級将校──正しい意味での売国奴と、国内で動いているアメリカ諜報員の排除……分かりはするが、素人に動かれたのでは面倒なことになる。

 アメリカの諜報員と一口に纏めてしまえば簡単だが、その中には日本政府や第4計画が送り込んでいるダブルスパイも存在するのだ。彼らを失えば、対アメリカの諜報戦で後れを取ることにもなりかねない。

 それだけではない。諜報員の中には、通常は活動しない休眠状態の者もいる。通称を「モグラ」と呼ばれる休眠状態の諜報員は、普段は組織との連絡を完全に断って、大勢の人間の中に目立たないように潜んでいる。

 沙霧らがこの休眠状態の諜報員に気が付いているかは定かではないが、気が付いていたとして、排除に動かれると厄介なことになる。というのも、隆也達はこの「モグラ」を使った罠を仕掛けていたのだ。

 諜報員というものは、いわば消耗品の一種だから、摘発したところで新しい人物が送り込まれてくるのは当然だ。そこで、意図的に「モグラ」の一部を摘発せずに残しておき、新たに接触してきた人間を洗うことによって、新たな諜報員を炙りだすのである。

 しかも、「モグラ」が有能で野心的であれば、交友関係は広がるので、追い続けているうちに全く想定外の工作員の存在を掴むことすらあった。

 しかし、逆に「モグラ」を含めた諜報員や工作員を、目についた限り放り出してしまえば、スパイ探しは最初からやり直しになってしまう。これは、苦労ばかりが多くて成果の上がらない捜索方法だ。

 当然だが、素人の沙霧らにこうした心得はない。彼らが思う様に動くことで日本国内のアメリカ諜報網はそれなりの打撃を受けるかもしれないが、隆也達の監視から外れる可能性もあるのだ。

「……厄介だな」

『……ええ。まったくね』

 揃って溜息をついていると、新たに恭子からも秘匿通信が入った。

『──いま、いいかしら?』

「ああ……例の件だな?」

 恭子に頼んでいた斯衛内部での根回しの件か──と確認する隆也に、恭子は小さく頷きながら、少し複雑な表情を浮かべた。

「駄目だったか……」

『いいえ……改めて、貴方の影響力の強さを思い知らされたのよ。もとよりそちら側の私と崇継は別にしても、斉御司、九條もすぐに賛成派に回り、煌武院の老人達も、あっさり首を縦に振ったわ』

「まあ、誰の差し金かはすぐに分かるか……」

 駆け引きに疎いと自他ともに認めている崇宰家の当主が、いきなり謀略に類する動きを見せたとなれば、裏に誰かが居ると疑うのは当然だ。そして、恭子の後ろに誰が居るかなど、考えるまでもない。

『さぞかし見ものだったでしょうね、老人たちの顔は』

『相変わらず性格が悪いわね……私もそう思っているけれど』

 クスクスと笑いながら楸が言い、恭子も辛辣なことを言いながら追随した。

 恭子の提案を受けて、隆也の顔を思い浮かべたらしい煌武院家の老人たちの蒼褪めた顔はいっそ哀れだったが、もともとは自分たちの蒔いた種だし、勝手に報復に怯えているのだから、自業自得でしかない。

 恭子にしたところで、隠居しておきながらいまだにあれこれと口を挟んでくる老人達には辟易していたので、同情などするはずもなかった。

 それどころか、個人的には恨みの方が強い訳で……楸と共に、どこか根源的な恐怖を感じさせる笑みを浮かべる恭子を見て、隆也は乾いた笑いを溢した。

 少しして、笑いを収めた恭子が改まった様子で口を開いた。

『……例の件には許可が下りたのだけど』

 そう言いながら、恭子は探るような視線を隆也に向けた。

「……なんだ?」

『御剣冥夜──彼女を、ずいぶんと買っているようね』

「そうだな……期待はしている。まだ、未熟な面はあるが、優秀な指導者になれる素質はある。なってもらわねば困る、とも言えるが」

『確かにね……』

 タイミングの良し悪しは別にして、クーデター騒動の中で御剣冥夜の出自──政威大将軍の双子の妹だという事実は露見することになるだろう。そうなれば、当然政治的な利用を目論む勢力が現れる。

 特殊作戦群に所属している間は良い。どのような勢力であれ、敷島隆也を敵に回してまで、と考えるのは少数だからだ。しかし、傘の下を離れれば話は変わる。ただ利用されるだけで終わらないためには、彼女自身の価値と見識を高めておく他にはない。

『少し、理想的に過ぎるところは気になるわね……真っ直ぐすぎるところも』

 曲がりなりにも高貴な出自からだろう。高い理想と、曲げられない信念に、清廉としたいかにも武家らしい印象……と、まるでかつての自分を見ているようだと、恭子は苦笑交じりに懸念を口に出した。

 御剣冥夜に求められるだろうことを考えれば、恭子の懸念は当然であった。

 政威大将軍、煌武院悠陽の双子の妹……露見すれば、斯衛の中核たる立場に押し上げられることは間違いない。しかし、まだ若く経験の浅い彼女に、そのような大役を務めることができるのか、と。

「清廉な印象など持っているのが当然で、そうでなければ人は付いてこない。しかし、清廉なだけですべてが解決できるのなら苦労はしない……だったかしら?」

『……そんなことも言ったな』

 小首を傾げながら問えば、隆也は思い出したように言った。

 清廉さを白とするなら、その反対は黒……清濁併せ呑むとの言葉があるように、白も黒も噛み砕いて動くことができないのであれば、指導者としては片手落ちだと、かつて隆也から言われたことがある。

『とは言え、だ。状況に応じて身を変え続けるような人間にも、人は付いてこない。正道だけでは切り抜けない状況で、それでも、と信念を保って行動するのも、指導者には必要な要素だろう』

「そうね。だけど、それも白と黒を視界に入れることができた上でのこと。非合法な手段や正道からは外れる奇抜な手段。それらすべてを考えた上で、最適だと信じられる道を選ぶことこそが肝心……私にはできなかったことよ」

 自嘲の色を乗せながら、恭子は呟くように言った。

 かつての自分は、王道かつ正当な判断しか下せなかった。非合法な手段や邪道にあたる奇策は、最初から意識の外にあったのだと思う。

 BETAの本土侵攻が招いた混沌とした時勢を切り抜けることができたのは、隆也が無条件で味方だったという幸運の賜物だ。

 戦闘面はもちろんのこと、謀略や政略の面でも……表に出る白い部分は恭子が、裏の黒い部分は隆也が、役割分担をした訳ではないが、自然とそういう形で崇宰家はかつての国難を乗り切ったのだった。

 もし隆也が居なければ──と考えると、いろいろと背筋が寒くなる。

『……重要なのは、学ぶことができるかどうかだろう』

 それこそ、恭子自身のように──と、隆也は言った。

「そう、ね……」

 苦笑気味に、恭子は答えた。

 確かに、かつての自分が正道に固執していたのは事実だった。しかし、隆也が斯衛を離れるまでのおよそ2年間、白も黒も呑み込んだ謀略家の姿を間近で見続けることで、清濁を併せ飲んだ武家の当主らしい在り方へと変わっていった。

『無能は罪ではないが、怠惰は罪……誰の言葉かは忘れたけど』

 ぼそりとした口調で、楸が口を挟んだ。

 おそらくは、親しい人物の言葉なのだろうと、恭子は思った。

「耳が痛いわね……いまの斯衛には」

 京都防衛戦の前までは、武家の当主達には貪欲さがあった。己にないものを求め、手を伸ばして足掻くという気質があった。それは、派閥争いの1つでもあったが、ことは至極単純で、他の当主には負けられないという気概に満ちていたからだ。

 ところが、当主や後継者の大量戦死が斯衛の行く末に影を落としてしまった。

 武家の当主に相応しいとされる人物は、立場にふさわしい能力を備えているのはもちろんのこと、そうした気概を備えている必要があった。いくら優秀な人物であろうとも、立場に胡坐をかいていては、蹴り落とされるのが道理だ。

 だが、いまの斯衛にそうした空気はない。何故かと問われれば、蹴り落とされる心配がないから、だろう。

 京都防衛戦以降、帝国武家からも相当数の死者が出ていたが、このために当主子息が全滅し、家が断絶してしまった武家というのも存在していた。断絶した武家の中には家格の高い武家も数多くあった。

 また、断絶まではいかなくとも後継者の多くを失い、とても優秀とは言えない人物や当主に必要とされる気概に欠けた人物が当主の座に収まっている家もまた、決して珍しいものではなかった。

 ここで問題となるのは、斯衛軍の──ひいては城内省の体質だった。伝統的に、軍や省の要職に任じられるのは、譜代武家以上の家格の出身者だった。この体質は現在でもそれほど変化していない。

 変化したのは、武家の数だ。譜代にも親藩にも断絶した家がある以上、組織内の競争率は当然だが低下する。そして、体質が変わらない以上、要職に推挙されるのは優秀な白よりも平凡な赤や山吹……能力が足りなくとも、家格で役職が与えられているという状況が、残念ながら目に付くのだった。

 それでも、かつての斯衛であれば己の身の丈に合わない役職を与えられれば、相応しくあろうと研鑽を積んでいただろう。

 しかし、現在の当主達の中には、家を継ぐなど夢のまた夢だった、諺に言う所の『棚から牡丹餅』で当主の座に座った者も少なくない。

 幸運かどうかはさておき、そうして当主となった人物の中には、野心を暴走させて滅んだ者もいれば、研鑽を積んで化けた者もいる。しかし最も多いのは、当主に、ひいては斯衛の要職に座れた望外の幸運を喜んで終わる者だった。

 競争相手となる山吹や赤の当主はすでに少なく、伝統を重視する斯衛の性質から白が要職に座ることはない。何より、当主となれたこと自体が望外の幸運なのだから、これより上など望んでどうするのか──と。

 崇継や恭子の影響で、斯衛全体が実力主義に目を向けつつあるとは言っても、長年の伝統は一朝一夕で変わるものではない。

 深い溜息を漏らす恭子に、

『……城内省はともかく、御剣は大丈夫だろう』

 苦笑交じりに、隆也が言った。

『過大評価な気もするけど……』

「そうね……貴方の評価を疑う訳ではないけど、根拠は知りたいわね」

 面白くなさそうな楸の呟きに、恭子も同調した。

『根拠、か……』

 隆也は、顎に手を当てて悩むような仕草を見せた。

『……半分は、俺の勘だ。もう半分は、気質だな。いまでは珍しい、かつての当主達に似た気質を持ち合わせている』

『ああ……』

「そうね……」

 楸も恭子も、揃って苦笑と納得の声を漏らした。

 確かに、御剣冥夜から感じる気質は、かつての当主達に近いように思う。直情的なところが少しばかり気にかかるが、根本的な原因は見識と経験の不足……ならば、本人に学ぼうという姿勢があるのなら、時間が解消してくれる。

 なにより、隆也に噛みついて行くような胆力の持ち主は、かつての武家の当主達にもそれほど多くはなかった。そう考えると、御剣冥夜に期待したくなる気持ちも、分からないではなかった。

 

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