異伝 Muv-Luv UNLIMITED 作:第4計画諜報部
1998年7月7日──重慶ハイヴより東進したBETAの大軍は、朝鮮半島から日本海を押し渡って帝国本土へと上陸した。
ユーラシア大陸における大規模環境破壊に端を発した季節外れの大型台風……日本海軍の提督をしてBETAに吹く神風と評した……日本帝国軍はBETAの侵攻を前に完全に打ちのめされることとなった。
艦艇、航空機は巨大台風によって機能せず、陸軍兵力も水害と土砂によって移動を阻害された上、兵站線もズタズタであった。
それを見計らったように行われた北九州への第1次上陸──次いで、長崎、佐賀に第2次、第3次の上陸が発生。南九州の防衛線は、ほとんど機能喪失状態であった。
それだけではない。南九州地方への上陸に前後して、中国地方に縦深陣地を敷いていた帝国本土防衛軍・西部方面隊は、日本海沿岸部から散発上陸してきたBETA群によって横腹を食い破られ、指揮系統を瓦解されていた。
北九州への上陸と、側面上陸による挟撃。さらに、観測史上最大規模の台風4号が、停滞しつつ東進するという非常事態に、為す術はなかった。
さらに悪いことに、四国──九州がBETAの侵攻を受けた際には、側面支援と反攻の拠点として機能するはずであった地域は、瀬戸大橋を初めとする巨大架橋群の爆破が間に合わず、ほとんど地続きと同様の浸透を許していた。
台風の影響と、想定を上回るBETAの侵攻速度が招いた、致命的な齟齬であった。
いまや戦線は崩壊し、本土防衛軍、帝国軍の残存部隊は連携を分断され、孤立しながらも九州、四国、中国地方の山岳部で抗戦を続けている。
しかしそれとて、長くは続かないだろう。帝国海軍が艦砲射撃と決死の輸送作戦によって戦線を支えてはいるが、BETAの圧力が増せば補給は断ち切られる。
堅固な要塞であっても、補給を断たれればいずれは落ちる。弾薬も、食料も、戦術機用の部品も底を突けばそれで終わりだ。そして、それを救援する戦力は、西部方面には残されていないのである。
──7月10日、日本帝国は東進を続けるBETAに対し、4重の布陣をもって帝都・京都を守り抜く構えを見せた。
最外郭を成す第1次防衛線は、宮津、丹波、明石を結ぶ線上に構築され、帝国陸軍中部方面軍の第17師団及び第21師団、さらに朝鮮半島から転戦したアメリカ陸軍第8軍団を主力とする残存国連軍と大東亜連合軍の主力が固める。
続く第2次防衛線は、舞鶴、篠山、神戸を結び、帝国本土防衛軍第10師団及び、帝国陸軍第15師団と第22師団が主力を成す。加えて、帝国海軍陸戦隊の戦術機部隊1個旅団と、帝国陸軍第5師団の一部、アメリカ軍を主力とする国連軍戦術機甲部隊2個師団が予備戦力として配置される。
小浜、亀岡、大阪の線上に敷かれた最終防衛線には、帝国本土防衛軍第3師団と帝国陸軍第18、第20師団が展開する。
その後方には京都外郭の高地及び京都市内に展開する帝国本土防衛軍第1師団と、帝国斯衛軍第1、第2連隊が絶対防衛線を形成している。
この他に、絶対防衛線の南西域に広がる丹波高地一帯には、小型種の浸透を防ぐための地雷地帯が敷かれ、長距離支援用の砲撃陣地が設置され、光線属種照射誘引範囲、及び面制圧の有効範囲をもってその全域をカバーしている。
加えて、嵐山、桂、壬生、二条城などの常設基地以外にも、仮設の駐屯地、補給施設を戦域一帯に配置して、奈良、大阪市街の仮設基地及び砲撃陣地と連携することでBETAの物量に対応する構えだ。
さらに過去の戦訓から各戦線エリアの間、とくに平野部において戦術機甲部隊用の野戦コンテナが敷設され、戦術機部隊に任意の補給を可能とすることで継戦能力を高める措置が取られている。
そして、帝都の背後にある琵琶湖には帝国海軍第2艦隊……大和型戦艦3隻、重巡洋艦9隻を基幹とする強力な打撃艦隊……を初め、アメリカ海軍第7艦隊が展開し、琵琶湖沿岸から伊賀にかけては中部、関東地方から抽出された戦術機甲部隊3個師団が守りを固めていた。
さらに、舞鶴沖と大阪湾においては連合艦隊と国連軍艦隊が展開し、丹波砲撃陣地がカバーしきれない戦域への長距離支援砲撃を担当する。
光州作戦における損害から回復しきれていない帝国軍にとり、文字通り総力を傾けた布陣であった。
──7月12日、東進するBETAの大軍は、第1次防衛戦に接触。帝都防衛戦と銘打たれることとなる死闘の幕が、切って落とされた。
しかし状況は、帝国軍が望んだものとは様相を異にしていた。
第1次防衛戦は、およそ半日で瓦解し、翌7月13日にはBETAの先頭集団は神戸にまで到達した。
国土防衛のために士気の高い帝国軍は奮戦したにせよ、南側の防衛線を構成する国連部隊やアメリカの部隊は及び腰であったことは否めず、そのために彼らの担当区画の防衛線が崩壊したという事情もあった。
防衛線を食い破られながらも、帝都を守るべく帝国軍は奮戦を続けた。
防衛線に展開していた隊は、敗走と再結集を繰り返しながらBETAと戦い続けたし、絶対防衛線に控える本土防衛軍主力や斯衛軍も全力出撃を敢行……民間人を巻き込む危険性から控えられてきた艦砲射撃、軌道爆撃による支援を受けながら全面攻勢を仕掛け、BETAを押し戻すことに成功した。
しかし安堵する時間もなく、新たなBETAの攻勢を受け止めることとなる。四国を蹂躙したBETA群が一斉に向きを変えて、大阪へ殺到したのだった。
一時的に押し戻したとはいえ、すでに中部地方を東進するBETAの大軍を相手に苦戦を強いられていた帝国軍に、この動きに対処するだけの力は残されていなかった。
帝国海軍、国連艦隊の奮戦によって相当数のBETAを漸減することに成功したものの、上陸の完全阻止には失敗した。
大阪市に展開していた守備隊は必至の防衛戦を展開したものの、すでに正面にもBETAを迎えていたことから二正面作戦を強いられ、戦線を支えきれずに多くの犠牲を払いながら敗走することとなった。
大阪に上陸したBETA群は市内を蹂躙しつつ東進して、すでに帝都からは指呼の間に迫っている。BETAの先頭集団は八幡に到達し、帝都を死守すべく展開する部隊と激戦を繰り広げていた。
「──どこもかしこも……」
その後に続くべき言葉は、どれも言葉にはならなかった。
幾度となく補給と再出撃を繰り返しながら、笠置(敷島)隆也が率いる帝国斯衛軍第16大隊・第3中隊は押し寄せるBETAに挑み続けていた。
脱落したものはなく、現在までに旅団規模BETAを2隊、大隊規模BETAを7隊、中隊規模に至っては数えるのが面倒になる程度には叩き潰している。
第3中隊に代表されるように、帝都を守るべく各部隊は必死の奮闘を見せている。しかし、戦況はすでに絶望的であった。
──第1、第2、最終防衛線、大阪市内は壊滅状態に陥り、組織的戦闘能力を残しているのは京都外郭の高地のうち北部とその東側のみ……京都市街ですら西半分は琵琶湖に展開する艦隊からの面制圧の対象となり、上京、中京、東山、山科の4区画以外は、すべてBETAの浸透を許していた。
第3中隊を含めた斯衛軍帝都鎮守部隊と壬生駐屯地隊、さらに帝国軍首都守備防衛連隊が前面に展開して死闘を繰り広げ、さらに帝国本土防衛軍の予備部隊が、山科方面のBETAを迎撃するべく動いている。
その中にあって隆也は、斯衛内に正体を知られるわけにはいかなかったこと、第3中隊が他の隊に比べて傑出した戦果を計上していたことから独立遊撃隊の立場を与えられ、各戦線への支援を行っていた。
部隊の戦闘実力と生存率の高さ、加えて崇継の手回しがあって、補給も最優先で受けることができる。現在も、二条城の基地施設に足を下ろすと同時に、他の部隊の補給作業を打ち切ってまで第3中隊の補給が優先されるほどであった。
補給が始まり、張りつめた空気がわずかに弛緩すると、誰ともなく軽口が飛び交うようになった。激戦を戦い抜いた直後に、これだけの余裕を示せるというのだから、斯衛最精鋭は伊達ではない。
『しかし、物量は正義とは、よく言ったものですね』
副官を務めてくれている陸奥八雲中尉が、ぼやくように言った。
その直後に軽口は止まり、皆が神妙な表情で黙り込んだ。陣地から、そして艦隊からの砲撃で、友軍の支援で、そして自らの手で多くのBETAを葬りながら、しかし奴らは途切れることなく押し寄せているのだ。
愚痴の1つも言いたくなるのは当然であっただろう。
しかしその愚痴は、隊の雰囲気を悪化させるものだった。それに、八雲がしまったという表情を浮かべるよりも早く、隆也が口を開いた。
「……だが、終わりは見えてきたな」
『……それは、どういう?』
第3小隊長を務める雪上真弓少尉の声だった。楽観論を吐くような情勢ではないと、咎めているような口調でもある。
「簡単なことだ。さっき撃破したBETAどもの中に、要塞級が居ただろう。あれは、侵攻においては進撃速度の遅さから最後尾についている」
『なるほど、確かに我々は要塞級を9体ばかり葬りました……つまり、連中の物量にも終わりが見えている、と』
「そういうことだ」
真弓の得心した呟きに、隆也は笑みを浮かべながら答えた。
長引く戦闘は、体力はもちろんだが神経を磨り減らす。それが、消耗戦のような終わりの見えないものならなおさらだ。その中にあって終わりが……とくに勝利が見えていると知れば、否応なく士気は上がるというものだ。
もっとも……BETAの物量には際限がない。いま迎え撃っているBETAの他にも、上陸してこちらに向かっている後続が居ないとも限らない。
しかもこちらには、すでにその存在を探知するすべがないのだ。帝都を守るべき防衛線はすでに崩壊状態にあり、海洋でBETAを迎え撃つべき海軍や国連の艦隊も、すでに全力を帝都防衛に振り向けており、捜索に艦艇を割くことはできないだろう。
だが、ともかく眼前の敵を撃破しなければ先はない。士気を高く保つのも指揮官の仕事である以上、気休めの1つも口にしなければならないところだろう。
「……さて、勝負を決めに行くか」
隆也が気合を入れ直すように言った直後、思わぬ横やりが入った。
────出撃の直前、大隊長たる斑鳩崇継少佐に呼び出しを受けた隆也は、基地内の廊下を連れ立って歩いていた。
「……どういうつもりだ?」
「どう、とは?」
とぼけたような声に、隆也はわずかに顔をしかめた。
「出撃直前の俺を呼び止めたことだ」
しかし構うことなく、隆也は疑問を口に出した。食えない相手との舌戦は、とにかく相手のペースに飲まれないことにあると心得ている。
「当然、事情があるゆえにだ」
「それは……俺でなくては駄目なのか?」
第3中隊の挙げた望外の大戦果は、隆也が率いてこそのものだ。
単機でBETAの集団を破砕するという、規格外の破壊力を有する隆也を先端に、その後方に直接鍛え上げられた第1小隊の3機が、中間を雪城真弓少尉麾下の第3小隊が、そして両翼を副隊長陸奥八雲率いる第2小隊が固める楔型陣形は、第2次大戦中のドイツ機甲師団が用いたパンツァー・カイルを彷彿とさせる突破力を示していた。
第3中隊の戦闘は、すでに語り草となっているほどだ。
BETAの集団のうち、先端部を形成する突撃級の群れを、正面から力任せに突破してのける馬鹿げた突破力はもちろんのこと、そこからBETAの集団を壊滅状態に陥れる手腕たるや、簡単に模倣できるものではなかった。
BETAの前衛部を突破した部隊は、基本的に敵との交戦を最小限としながら後方へ駆け抜けるのが定石だ。狙うべきは敵集団の後方に陣取る光線級だということ、戦闘時間が長いほど被撃墜の可能性が高まることを考えれば、これは当然であった。
しかし、斯衛軍第16大隊所属、第3中隊の戦術は、この定石に真っ向から喧嘩を売るようなものだった。
前衛部を食い破った第3中隊は、あろうことかそのまま周囲の突撃級に攻撃を仕掛けるのである。敵中の只中で足を止めるのは自殺行為にも等しいが──山吹の『瑞鶴』を先頭とした第3中隊は、突撃級をことごとく粉砕してのけるのだった。
この蹂躙劇によって、対人探知能力に劣る突撃級も、自らの群れの内側に侵入している存在に気が付き、反転しようとする。だが、突撃級の旋回性能は劣悪のため、玉突き事故を引き起こすことになる。つまり、反転途上の突撃級に、後方を走っている別の個体が頭を突っ込ませるのである。
かくして、行動不能に陥った突撃級を、先頭の第1小隊、両翼の第2小隊に比べて余力を残す第3小隊が処理していく。積み上げられる突撃級の死骸は障害物となり、後続BETAの侵攻速度を低下させる。
第3小隊が突撃級を処理する間に、最大の破壊力を有する第1小隊は突撃級からなる前衛集団を粉砕し、中団に位置する要撃級、戦車級を蹴散らして進撃路を確保し、第2小隊は第1小隊が穿ち抜いた突撃路の確保と拡張を担当する。
そして、突撃級の処理を終えた第3小隊は、第1小隊が切り開き、第2小隊が維持した進撃路を前進して、教本通り光線級を狙うのだが、その進撃速度が異常に早い。最初から最後まで、先頭を駆け続ける山吹色の『瑞鶴』が凄まじい突破力で隊を牽引しているのはもちろんだが、どの機体も的確に味方を援護し続けることで、微塵も足を落とすことなくBETA集団の突破を果たしているのだった。
そのため、敵前衛集団の撃破という、余計な仕事を挟んでいるにもかかわらず、光線級の集団に辿り着くまでの速度──ひいてはBETAの集団から離脱するまでの速度は、他の部隊に比べて格段に速い。だからこその、現在に至るまでに被撃墜無しという状況だが、それでいて戦果も充分となれば、話題に上がるのは当然であった。
敵陣突破に掛かる時間が短いということは、それだけ邀撃級、戦車級との戦闘時間が短く済むということであり、同時に追いかけてくるBETAが少ないということでもある。そこに加えて、各機の殲滅力の高さを加えれば、光線級の殲滅に掛かる時間もまた短縮することができる。
光線級を殲滅した後は、余計な欲をかかずに撤退する……最大の脅威を排除した以上は当然の帰結ではあるが、成功に気を大きくした隊が要撃級や戦車級までも相手にした結果、不覚を取ることは珍しくないのだ。
戦場は流動的で、予測は不可能だ。その場に留まっているうちに、後続のBETAに包囲されるかもしれないし、ノーマークだった光線級の射線が通ることもある。それがなくとも、光線級殲滅の大戦果に浮かれて気を緩める可能性もあるし、疲労から判断を誤らないとも限らない。
ゆえに迅速に目標を達成し、迅速に兵を引く。それを徹底して行っているからこそ、第3中隊はいまもって健在なのだった。
残るBETAの処理は友軍に頼むことになるが、突撃級の壁によって突進力を失い、最大の脅威である光線級を失った以上、残されたBETAは烏合の衆でしかないのだから、待ち構える部隊にとっては簡単に撃破できる相手だった。
第3中隊が遊撃隊として立ち回っているからこそ、次第に圧力を増しているBETAを相手にしてもなお防衛線は維持されている。
だが、隆也を欠いた中隊では、劇的な突破劇などは望むべくもない。
遊撃隊として、それなりの活躍はできるだろうが、あくまでそれなり……旅団規模のBETAを相手に突破戦闘を、しかも無傷で行うには足りない。
帝都失陥の危機にある中で、己惚れすぎかもしれないが斯衛軍最大の戦力を持つ中隊を弱体化させてまで優先する事情とは一体何か?
説明を求めたくはあるが、相手は崇継……どうせ説明などするつもりはないだろうと諦めて後ろをついていくと、前方に第16大隊の衛士ではない、しかし見知った人物を見つけて目を見開いた。
「崇継──」
反射的に声を上げかけたが、それを無視して崇継は彼女に声を掛けた。
「──崇宰大尉、少しいいかい」
「は、斑鳩少佐。いかがされましたか」
凛とした声で答えたのは、斯衛軍第3大隊を率いる崇宰恭子──五摂家が一角、崇宰家の次期当主である女傑だった。
そうと気が付いていた隆也は、崇継の背後に隠れるように動いていた。
斯衛軍に協力していることを、あまり多くの人間に知られるのは拙い。いくら崇継の後ろ盾があるとはいっても、因縁のある武家連中がこのことを知れば、ここぞとばかりに刺客を放ってくるのは目に見えている。
見方を変えれば、敷島家殲滅に反対していた崇宰家の人間である恭子にならば、知られたところで問題はないということになる。
問題があるとすれば、ごく個人的な理由……つまりは、気まずいというだけだ。
斯衛を追われてから現在に至るまで……幼馴染で、婚約関係にあった恭子に対して、隆也は一切連絡を取っていなかった。
もっとも、斯衛を追い出された人間が、そのトップである五摂家の人間と軽々に連絡など取れるはずもない。
しかし、様々な方面に伝手を持つ隆也である。その気になればいくらでも連絡手段は確保できたが……なにしろ暗殺者に付け狙われている立場だ。下手に連絡など取ろうものなら、恭子や崇宰家に逃亡幇助の疑惑が向けられるかもしれない。
なにより、斯衛を離れた隆也と、五摂家の次期当主である恭子では、歩むべき道は大きく違え、二度と交わることは無いとの思いもあった。
言い訳がましい理由をいくつか思い浮かべたところで、隆也は苦笑した。
(……結局のところ、怖かっただけ、なんだろうな)
オルタネイティヴ第4計画直属・諜報工作部隊E01──第4計画における諜報活動全般を担当すると同時に、敵対勢力への破壊工作を主任務とする特殊部隊を率いるものとして、敷島隆也は敵味方問わず、多くの屍を積み上げてきた。
後悔はしていない……誰かがやらねばならなかったことだ。その役回りが、巡ってきただけに過ぎないと、そう思っていた。
それでも、修羅道を歩んでいるという自覚はあった。傍から見れば、返り血に染まった怪物に見えるだろうとの自覚も……だからこそ、王道かつ正当な道を往く恭子に拒絶されるのが怖かったのだ。
背後で自嘲する隆也など知らぬげに、崇継は言った。
「よかったじゃないか大尉、殿下からのお墨付きを戴いて」
隆也が怪訝な面持ちで視線を動かすと、恭子も崇継を睨んでいた。
「はっはっは、怖い顔も雅やかだね、恭子。鬼姫の字は伊達じゃない。いつもの凛とした微笑み──私はそちらがより好きではあるけどね」
「少佐、いまは服務中ゆえ、そのような──っ!?」
恭子が険しい声を発した瞬間、崇継が彼女の肩を抱き寄せた。
後ろから蹴り飛ばしてやろうかと思った隆也だが、満身の力を込めて自制しながら、囁くように交わされる会話に耳を傾けた。
「殿下は仰ったじゃないか。斯衛軍の1機たりとも、とね。つまり、斯衛軍でなければ構わない──そう言外に含まれたのさ」
それだけで、隆也は状況を理解した。
京都市街地には、いまもって斯衛軍の部隊が……しかも、学徒兵の部隊が取り残されているということは知っていた。だから、隆也は最後の出撃先を京都市街に向けようとしていたのだが、どうやら政威大将軍、斎御司経盛が斯衛軍の出撃を禁じたらしい。
斯衛軍が独断によって動くことで生じる帝国軍との軋轢を恐れたか……政治的には正しかろうが、納得するにはいささか無理のある決断だ。
「おやめ……ください……そのような理屈っ! あなたは、昔から……」
「あるのさ……」
「え……?」
「斯衛軍には未登録で、敵支配域への強行突入と、密集格闘戦に耐え──」
「────ッ!?」
目を見開いた恭子と同様に、隆也も驚きと共に崇継の背を見た。
「──なおかつ、生還できる可能性を秘めた機体が、ね」
「──少佐、いま、何と……?」
崇継の腕から逃れながら、恭子が聞き返す。
「『試製98式』──伊賀の試験場に、4タイプ、ひと揃いしているよ」
「『試製……98式』!? 伊賀の開発試験場……」
「そう、目と鼻の先だ。信頼できる部下を連れていくと良い」
「ですが……!」
恭子の反駁に、隆也はふぅ、と息を吐いた。
心配している所は分かるが、この男が無策であろうはずもない。
「分かっている。案ずる必要はないよ。学徒兵の救助には、帝国軍の救助部隊をこっそり帯同させればいい」
目を丸くしている恭子に、崇継は続ける。
「どうだい、恭子。斯衛軍は、1機も動かしてはいないだろう」
黙り込んだ恭子に、崇継は苦笑を向ける。
「……困ったな、まだ信じてもらえないのかい?」
「……当たり前だろ」
ぼそりと呟いた隆也を、崇継がわずかに振り返るが、素知らぬ顔をしたまま隆也は視線を外していた。
「……そうでした」
呟くような声に、崇継は視線を戻す。
「あなたは、昔から……何を考えているのか分からない男だった」
「…………」
「ですが、粗略であったことも、虚言を弄することも、終ぞありませんでしたね」
それだけ言うと、恭子は崇継を見据えた。
「ひとつ、伺います。彼の試製98式──少佐のために搬入されたものですね?」
「そう──ようやく試験段階に入ってね。その実戦テストに、私が任じられた」
「量産前提の、試験運用段階で、実戦ですか……?」
思案顔になった恭子に、崇継はあっさりと事情を告げた。
「第2帝都で拵えている、殿下の機体……その仕様確定のため、この防衛戦で基準データを取るはずだったのさ」
ところが、と崇継は続けた。
「急激な戦況の悪化に驚いたのか、城内省本営が即刻送り返せ……などといってきてねぇ」
「なるほど──得心しました。少佐は、それでもおやりになるつもりでしたのね、実戦運用試験を……即時出撃可能な由は、それゆえでありましょう?」
「さてねぇ」
「それではなおのこと、私が貸与頂くわけには──」
「いいさ、君に譲るよ。この期に及んで、人様の檜舞台に縋りつくほど、無粋ではないつもりだ」
「無粋……?」
「それに……もとより君は、行くつもりだったのだろう?」
黙り込んだ恭子に、崇継はフッと笑った。
「──もとより、私は行くつもりだったからね」
これでお咎めの沙汰が下るのなら、恭子に機体を貸与しようが、搬送命令を無視して出撃しようとも同じことだと、崇継は言った。
「ただし、1人帯同を推挙したい者がいる──」
意味ありげに言って、崇継は振り返った。
「……なるほど、地獄への供のために呼び寄せたわけだ」
溜息交じりに答えつつ、隆也は2人の傍に歩を進めた。
「…………え?」
掠れた声を漏らしたのは、恭子だった。
「……久しぶり、だな」
気まずそうに頭を掻きながら、隆也は言った。
「…………生き、て?」
「少なくとも、足は付いているよ」
隆也が苦笑交じりに言うと、崇継はどこか呆れた様子で首を振り、恭子は何か言いかけるが、すぐに口を閉ざした。
何かを堪えるように唇を震わせながら、恭子は目を伏せた。
「…………よかった──」
ややあってから絞り出された言葉に、隆也は困ったように視線を逸らした。
気まずい沈黙を破るように、崇継が言った。
「積もる話もあるだろうが、いまは火急の時……務めを果たすのが先であろう」
「……そう、ですね」
目元を拭い、恭子が視線を上げる。
「……今度は、勝手に消えないでください」
囁くように言ってから、恭子は一足先に歩いて行った。
「……崇継よぉ」
「なんだ、不服だったか?」
「そういう訳じゃないが……」
「気まずい……というだけなら、さっさと整理を付けるが良い」
「……分かっているさ」
ぶっきらぼうに言い捨てて、隆也は恭子を追いかけるのだった。
────絶望とは、こういうものだろうか?
目の前の光景に呆然としながら、篁唯依は立ち尽くしていた。
擱座した白の『瑞鶴』……要塞級の攻撃によるものか、墜落の衝撃によるものか、大きく損傷した機体には、群がる戦車級に対抗するすべはない。各部の装甲を剥ぎ取られ、操縦席を守るハッチが引き千切られるようにして宙を舞い──轟音を振り撒くように跳ねながら、唯依の背後へと吹き抜けていった。
コックピットには、白い衛士強化服を鮮血に濡らした山城上総が、まだシートに背中を預けていた。おそらく、機体が墜落した際に負傷してしまい、脱出するのも思うに任せなかったのだろう。
身動きの取れない戦術機も、強化装備を着込んだだけの人間も、無数の戦車級の前では無力な存在でしかない。事前処置のおかげか、戦術薬物のおかげか冷静に回転する頭脳は、破滅を悟っていた。
「山……城……さん」
足の力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
「逃げ……て、きては……だめ……」
「早く──早く、そいつらを振り払って!」
通信機から途切れ途切れに聞こえる声に、思わず叫んでいた。
しかし同時に、それが不可能だということも悟っていた。
もし片腕だけでも動かすことができるのならば、山城さんは拳銃を自らのこめかみに向けて放っているだろう……白い衛士強化服を鮮血に染め、苦悶の表情を浮かべる彼女の状況は、そう確信させるものだった。
「篁……さん、どう……して……」
へたり込んだ唯依に、苦しげな声が届く。
「逃げて……あなたは、生きて……戦う、のよ……」
唯依は、呆然と上総を見上げた。
さっきから届いていた通信は、助けを求めるものではなかった。満足に身体も動かせない、ただ座して死を待つしかない状況の中で、彼女はずっと私を遠ざけようと警告を送り続けていたのだ。
「どうして……きて、しまったの?」
「山城……さん……」
早く逃げるように促す上総を、唯依は歯噛みしながら見つめた。
みんな死んでしまった──如月中尉も、志摩子も、安芸も、和泉も、同じ中隊に配属された同期達も、みんな死んでしまった。
いやだ……もう、これ以上は失いたくない──!
「うっ、わあああああぁぁぁぁぁ!」
口から出た幼子のような絶叫と共に、手にした拳銃の引き金を引いた。
支給されている拳銃では、兵士級ならともかく、戦車級相手では意味を成さない。それは分かっていたが、それでも引き金を引くことしかできなかった。
「ばかっ……やめ、なさい……篁っ……!」
通信機から聞こえる制止の声を無視して、唯依は引き金を引き続けた。
「──やめてよおぉぉぉ!」
「──っ!?」
上総の命を絞り出すような叫びを受けて、ようやく唯依は動きを止めた。
「弾を、無駄に……しないで」
「…………え……?」
「お願い、私を……撃って……」
懇願するような視線に、唯依は身体を固くした。
「こいつらにっ……喰われる前に──!」
彼女の、心の底からの叫びに重なるようにして、頭上から聞きなれた轟音と、切り裂くような連射音が響き渡った。
降り注いだ36ミリ弾の奔流が、白の『瑞鶴』を包み込み──的確に、まとわりつく赤く醜い怪物だけを撃ち抜いていく。
ハッとして頭上を見上げれば、山吹の装甲に身を包んだ機体が──『瑞鶴』とは違う、猛々しさと威圧感に満ちた機体が、緩やかに降下してきていた。
「光線級はなし──か」
そのコックピットで、隆也は唇を歪めた。
戦術機にとって……いや、人類が装備するあらゆる兵器にとっての天敵たる存在の不在は、周囲すべてをBETAに囲まれ、救助対象が包囲の輪の只中にあるという状況にあってすら余裕を持つには充分だった。
伊賀の試験場から出撃した『試製98式』は4機。青を駆る恭子も、赤、そして白を駆る彼女が選んだ随伴衛士も一流の腕を持っていることは疑いないが……進路上に現れたBETAとの戦闘によって足を止められ、隆也には追随しきれなかった。
「いささか、面倒だな」
伸び上がってきた触手の数は、30は下らない……広範囲に展開する要塞級はどうとでもなるが、動きの取れない救助対象を考えると、殺到してくる中小型種に対処しきれるか怪しい所だった。
「まぁ、やって見せるさ」
凄絶な笑みを浮かべて、隆也はフットペダルを蹴り飛ばした。
へたり込んだままの唯依が、そして風通しの良くなったコックピットから上総が見上げる中で、頭上で滞空していた山吹の機体は両手に長刀を構えると、尾を引く蒼炎と轟音を引き連れて動き出した。
殺到する触手を斬り飛ばしながら地表へと──正面から迎え撃たんとした要撃級が腕を振り上げるよりも早く、74式長刀の黒光りする刀身が、突き出した頭部を斬り飛ばし、流れるような機体の所作によって振るわれる各所のカーボン・エッジ装甲が、纏わりつこうと群がる戦車級を挽肉に変えていく。
機体の足運びですら、兵士級をひとまとめに踏み潰す武器と為して……目の前の光景を都合のいい幻想かと疑わせるような、冗談のような速度でBETAの群れを磨り潰した山吹の機体は、手近な要塞級へと迫った。
触手を切り落とし、遠隔攻撃の手段を奪ったとは言っても、要塞級が持つ10本の脚が持つ打撃力は要撃級にも匹敵する上、非常に強固な装甲に覆われている。その防御力たるや、36ミリ弾では歯が立たず、120ミリや近接長刀ですら、接合部を狙わなければ撃破できないと言われるほどだ。
だが、山吹の機体は要塞級に反撃を赦さなかった。
付近のBETAを文字通り殲滅しながら迫った山吹の機体は、要塞級が動きを見せるよりも早く、血に塗れた長刀を頭部に叩き付けた。そこに在るのは、120ミリですら跳ね飛ばしてしまうはずの強固な装甲──だというのに、叩き付けられた長刀は、さながら豆腐に包丁を通すように、スルリと白い巨大な頭部を二分していった。
「……すごい」
呟いている間にも、周囲を囲むBETAの数は加速度的に減少している。
しかし、どれほど傑出した戦闘能力を誇ろうとも、あくまで〝個〟の存在でしかない以上、その圧倒的な殲滅力を発揮できるのは一方面のみだ。
死屍累々となっている一方面を除いて、他の方面からは容赦なくBETAは殺到してくる。それに対して、山吹の機体は長刀を振るってBETAを蹂躙しながら、背後の突撃砲を展開していくらかのBETAを吹き飛ばしたが、それだけでは到底足りない。
「──山城さんっ!」
自らの置かれている状況を正確に把握した唯依は、すぐに白の『瑞鶴』に駆け寄って、操縦席を覗き込んだ。すぐにでも上総を助け出そうとするが、コックピットの損傷は激しく、フレームから酷く歪んでしまっていた。
助け出そうにも、コックピットフレームは人間の力でどうこうできるような造りにはなっていない。それでも助け出そうと悪戦苦闘する唯依を嘲笑うように、戦車級たちの迫る足音が聞こえてきた。
「唯依ッ、もう──」
「絶対に助ける!」
上総の言葉を遮って、唯依は叩き付けるように言った。
戦友を見捨てることなど、唯依にはできなかった。篁の名を背負うものとして、武家の後継ぎとして……それに、いまから逃げ出したところで、戦車級は間近に迫っているのだ。なら、戦友を見捨てて無様に背中を討たれるよりも、せめて最後まで戦っていたい。
歪んだフレームに、背後から迫る戦車級の影が反射した。
──その瞬間だった。
『そこを動くなよ!』
焦燥に駆られる唯依の耳朶を、冷静な声が打った。
ハッとして振り向けば、いつの間にかここまで戻ってきていた山吹の機体が、BETAの血に塗れた長刀を、あろうことかこちらに向けて振り上げていた。
「な、なにを──」
制止の声を張り上げた刹那、振り下ろされた長刀が『瑞鶴』の装甲に食い込み──鋭く振るわれた切っ先が、機体を解体していった。
思わず目を閉ざしていた唯依と上総が、おそるおそる目を開けば、先程よりもさらに風通しの良くなったコックピットが──周囲の装甲だけが見事に切り離され、山吹の機体に抱えあげられている状況が視界に入ってきた。
そして、ようやく……というべきか、青、白、黒の装甲に身を包んだ、山吹色と同様の機体が戦闘に参加しつつあった。
どれも、一流の腕を持っていることは分かる。戦車級を、要撃級を磨り潰し、触手という最大の脅威を奪われているとはいえ、要塞級すら歯牙にもかけずに殲滅していく動きは、自分たちでは到底成し得ないものだ。
しかし、つい先ほど見せられた蹂躙劇──要塞級だけでも軽く10以上を葬り去った山吹色の〝死と破壊の暴風〟とすら形容できる戦闘機動と比べれば、いかにも不足しているように思えた。
その光景を眺めるうちに、唯依と上総を抱えた『瑞鶴』のコックピットは、ようやく追いついてきた帝国軍の救出部隊へと引き渡された。
彼女たちを受け取るべく駆けつけた『激震』の腕にコックピット・ブロックを優しく引き渡した山吹の機体が、2本の長刀を受け取りながら背を向けた。
そして、眼下にひしめくBETAの只中へと舞い降りた山吹色は、つい先ほど唯依に見せつけた蹂躙劇を、戦場に立つすべての人間に見せつけた。
一切の躊躇なく、あまりにも鋭く──両手に携えた長刀が、全身を包むカーボン・エッジ装甲が群がる化物たちを肉片に変え、飛び散る血潮よりも速く駆け抜けた山吹の機体は、さらに躯を積み上げていく。
『まるで──修羅だ』
誰かの呟きが、電波に乗って伝わった。
阿修羅──戦闘をこととする仏教の守護神。なるほど、長刀のみならず扱いが難しいカーボン・エッジすらも十全に使いこなしてBETAを殲滅する様は、三面六臂の鬼神に喩えられても不思議はなかった。
誰もが寂として見守る中で、倒れ伏した要塞級を踏みつけた山吹の機体が、勝利を宣言するように長刀を掲げた。
その瞬間、それを見守っていた誰もが歓声を上げた。
帝都防衛戦の一幕……京都駅の戦いに参加した兵士たちの間で広まった「山吹の修羅」の異名は、やがて戦況が絶望的になるにつれて全軍に広まることとなる。
──8月15日、殿を務めた帝国斯衛軍第2連隊の撤退により、帝都防衛戦は人類の敗北という結末をもって幕を下ろすことになる。
しかし、第2連隊の撤退に至るまで、常に最前線でBETAを粉砕し続けた山吹色の『試製98式』の存在は、斯衛軍の精強さを印象付けるとともに斯衛軍、帝国軍、そして国連軍を問わずして多くの命を救い、後々までの語り草となった。