異伝 Muv-Luv UNLIMITED 作:第4計画諜報部
──1999年8月5日。
極東の最前線たる島国に、途方もない数の戦闘部隊が集結していた。戦略目標として掲げられたのは、H:22目標『横浜ハイヴ』の攻略及び、本州島の奪還である。
作戦目標達成のため、日本帝国軍は当然、斯衛軍もありったけの戦力を投じている。さらに、大東亜連合軍、国連軍と、昨年に一方的な条約破棄を通告し、日本駐留の戦力を全て引き揚げたアメリカさえも参戦していた。
歴史上で展開された大規模作戦を比較しても、欧州が総力を挙げたパレオロゴス作戦に次いで史上2番目──アジア方面で言えば、史上最大の戦力を結集して発動される作戦は、このように呼ばれた。
明星作戦。あるいは、オペレーション・ルシファーと。
「──ようやく、ね」
「1年越しの、雪辱戦か……」
仮設営された斯衛軍第3大隊の野戦基地で、2人の士官が彼方にそびえるハイヴの地表構造物──通称モニュメントを眺めていた。
そう、1年だ……帝都陥落という、痛恨の敗北からおよそ1年が経過している。
帝都防衛戦と銘打たれたおよそ1ヶ月の戦いから、さらに10ヶ月余り……悪戦苦闘を強いられ、戦線を後退させながらも戦い続けた『山吹の修羅』は、いまもって斯衛最強の称号と共にここに在った。
変わったのは、所属部隊が第16大隊から第3大隊へ移ったことだけ……第16大隊が京都防衛戦の殿で大きな被害を受けたこともあるが、将軍殿下の直接護衛部隊として後方に拘置されることが増えたためであった。
斯衛最強の戦力を後方に置いておく余裕はない──という判断もあるのだろうが、崇継のお節介も多分にあるのだろうと、隆也は呆れ半分に思いつつ、隣に立つ第3大隊隊長、崇宰恭子に視線を移した。
戦闘を控えて、恭子も衛士強化服を着込んでいる。相変わらずの、身体のラインを強調するようなデザインは目の保養というか、あるいは目に毒というべきか……これが別の人間なら気にもならないのだが。
生死を賭けた戦闘の前にそんな劣情を感じることを苦笑しながらも、戦争という極限状態では、そうした生理欲求を失った人間から死んでいくことを考えるならば、ある意味では正常なのかもしれない。
「……散々したくせに」
ぼそりと呟きながら、恭子は隆也を睨みつけた。
「……首元、見えないのは幸いね」
「…………すまん」
苦笑交じりに謝りながら、隆也は視線を外した。
「謝るくらいなら、優しくするべきでしょう……出撃を控えているのに容赦はないし、最初の時みたいに、動けなくなるかと思ったわ」
「あの時は、悪かったと思うよ……」
「謝って済む問題かしらね?」
ジト目で睨んだまま、恭子は溜息をついた。
いくら後方待機中だったとはいえ、大隊長が体調不良で1日姿を見せなかったことには、隊の中からも心配の声が上がった。しかも、お見舞いに訪れた女性衛士の中にはどうしてそうなったかに目敏く気が付いた者もいるようで……。
女性陣の情報網とは恐ろしいもので、相手が誰なのかはすぐに露見した。そこからの動きは速く、取調室に連行されて根掘り葉掘り訊かれる始末だった。
そういう意味で、不利益を被ったのは恭子よりも、むしろ隆也の方だったが……しかし、第3大隊を構成するのは、良くも悪くも崇宰家に近しい武家であったため、別の意味で厄介な問題こそ持ち上がったものの、ほんとうの意味で厄介な問題に発展することがなかったのは、不幸中の幸いだっただろう。
「まあ、いいわ……その代わり──勝つわよ」
「もちろんだ……」
揃って不敵な笑みを浮かべた直後、
「隊長──副隊長も……そろそろ、お時間ですよ」
第2中隊を率いる叢雨宗一郎大尉──崇宰家の傍付たる赤の名門武家、叢雨家の当主に就任したばかりの男性衛士が、なんとも言えない表情で立っていた。
隆也と恭子の関係については承知しているし、隆也の境遇に同情してもいる。そして、斯衛最強を謳われる実力を認めてもいるが……それはそれとして、高嶺の花であった恭子を横からさらわれた恨みを持っている、と。
こうした感情は第3大隊の男性衛士全員が抱いているものだが、戦場に私情を挟むような愚か者は、少なくともいまの第3大隊には居ない。
宗一郎にしても連携を拒むようなことはない。しかし、男性衛士の多くが普段付き合いの中で鬱憤を晴らしている中で、叢雨家を背負っているだけに、規範に沿った行動を旨とする宗一郎だけはどうしても壁を作ってしまい、態度に出てしまうのだった。
「分かったわ」
隆也を確認した途端に顔を強張らせた宗一郎に内心で苦笑しながら、恭子は隆也を促しながら踵を返した。
────開戦の号砲を鳴らしたのは、太平洋と日本海に展開する大艦隊であった。
日本海軍の主力戦艦群──直径50センチという空前の巨砲を備える巨大戦艦『紀伊』『尾張』を筆頭に、太平洋戦争以来の歴戦たる46センチ砲搭載の巨艦群……『大和』『武蔵』『信濃』『美濃』と、改大和型の『出雲』『加賀』が、かつては敵国の戦艦を、BETA大戦勃発後には人類の敵を葬ってきた巨砲を一斉に咆哮させた。
同時に、いまは国連軍太平洋艦隊に籍を置くアイオワ級戦艦5隻による艦列が、実質火力では46センチ砲にも匹敵するとされる50口径40センチ砲9門を振り上げ、重量1・2トンに及ぶ巨弾を撃ち放った。
その標的は、横浜に存在する巨大建造物ではなく、その西側。大地を揺るがす衝撃と轟音の只中でBETAの血と肉が横浜の大地を汚していく。
大艦隊の艦砲交差射撃による後方寸断の最中、待機している戦術機甲部隊が急速に戦闘態勢を整えていく。
『全軍、構えぇぇっ!!』
電波に乗った号令と共に、先鋒を務める帝国本土防衛軍が突撃体勢を取る。
『突撃ぃぃ!!』
最前列に陣取った指揮官機からの怒号と共に、黒色の装甲に身を包んだ鉄騎の群れが雪崩れ込むようにしてモニュメントへと殺到していく。精鋭たるを見せつけるように、連携を崩さぬままに赤い光点に埋め尽くされた死地へと突き進んだ。
──戦闘は、人類側に優勢であるように思われた。
人類側の主力たる戦術機甲部隊に限っても、かつて苦杯をなめたパレオロゴス作戦の頃とは異なり、機体も戦術機動の概念も1世代ほどは更新されている。
パレオロゴス作戦当時には、投入されていた戦術機は第1世代機のみで、軌道降下兵団など存在すらしていなかった。
しかし、現在は違う──戦力の中核は、依然として第1世代機が占めてはいる。しかし、よりBETAとの戦闘に優れた第2世代戦術機を陣容に迎え、さらには世界初の第3世代戦術機を投じた人類は、かつての戦場との違いを思い知らせるように、圧倒的な破壊力を叩き付けていった。
それは、苦しく重い敗北を糧として、同胞の死をも経験値として進化を重ねてきた、この星の頂点を自認する生物の意地でもあった。
かつてのような脆弱な存在ではない、と。レーダーを埋め尽くすように赤の光点が溢れだそうとも、長い戦いを経て培われてきた的確な戦術をもって対処すれば、損害も少なく対応できる。
確かに被害はあった。しかし、それは最小限のもので、全体の戦況を見渡せば人類側が優勢であると断言できる推移であり、前線の将兵たちですら、後方の指揮所に詰める高官たちであればなおさら手応えを感じていた。
その思いは、援軍として駆けつけた部隊も共有するものだった。
大東亜連合軍、国連軍──いずれの部隊も精鋭を投じていた。
BETAにとって、海洋が防壁たりえないのは日本本土侵攻によって示された。
では、もし日本本土が陥落することとなればどうなるのか……大東亜連合は西から迫るBETAのみならず、北からの脅威にも対応しなければならなくなる。
一方面を支えるだけでも青息吐息の大東亜連合にとって、第2戦線の構築は死刑宣告と同義なのである。だからこそ、最精鋭たる第1連隊、第2連隊を今回の作戦に動員したのである。
国連軍の場合はいささか事情が異なるにせよ、日本本土陥落を阻止したいという思惑は大東亜連合と同じであった。日本本土は、欧州における唯一の健在国家たる大英帝国と並んで、大陸反攻の拠点となり得る場所なのである。
日本を失えば、太平洋戦線はハワイまで後退する。正確に言えば、沖縄や小笠原諸島、マリアナ諸島といった島があるし、台湾やフィリピンも存在する。
しかし、奪還作戦を発動するような大軍を支えられるだけのインフラが整っているのは、極東地域では日本本土のみであったし、日本が受けたのと同等の侵攻を受ければ、台湾やフィリピンでは持ち堪えるのは不可能と見られていた。
さらに言えば、国連軍は世界各国から人員を集めているだけに、極東国連軍を構成する人間には日本人も多く含まれていた。だからこその、なりふり構わない全力出撃と、虎の子の精鋭部隊の投入であった。
そして、作戦の主役たる日本帝国にも、誇るべき部隊がある。
屈辱の帝都防衛戦。多くの兵士たちが斃れていった中で、名を上げた部隊がある。武家出身者たちを主として構成された、帝国斯衛軍。彼の部隊の勇猛さ、精強さは京都でよく知られる通りであり、すでに全軍に知れ渡っている。
もはやその存在は、戦場に姿を現しただけで士気を上げるほどに、帝国における武の象徴として扱われていた。
名だたる精鋭たちの、そして名もなき衛士達の奮戦は、実を結ぶはずだった。確かに、作戦は人類の優位に進んでいたのだから……誰もが、作戦は順調に進むと、最終的には勝利を掴むことができると思っていた。
だが、時間の経過と共に異変が察知され始めた。横浜ハイヴは、外観からフェイズ2相当と目されていたが、内包するBETAの数は、フェイズ2ハイヴの想定からは、あまりにも逸脱したものだった。
事実として、横浜ハイヴの内部構造、そして蠢くBETAの数は、フェイズ3……あるいはフェイズ4に相当するものだったのだ。
どれだけ倒しても湧いてくるBETAの圧倒的な物量、そして地中からの奇襲攻撃による戦列の分断と各個撃破によって、人類側は劣勢に追いやられようとしていた。
押し寄せるBETAの波を乗り越えて、ようやくハイヴ内に突入した部隊もまた、苦戦を強いられていた。想定以上の規模を前にして、広間への突入ルートを迷った瞬間に新手が殺到してくる有様だ。
やみくもに突撃を続けても、迷宮の中で分断され、戦力を削られた上で偽装穴から飛び出してきたBETAに押しつぶされる。
ハイヴ内は、正しく魔窟であったのだ。
帝国軍、大東亜連合軍に、国連軍が死力を尽くしても、反応炉制圧はおろか広間に到達することすら叶わない。ことに、帝国軍と大東亜連合には、後方に控えるアメリカに良い感情を持っていない者が多いため、自分たちで片を付けたいと思っていた。
だが、届かない。どれほど善戦しようとも、最奥まで届かないのでは意味がない。自分たちの不甲斐なさに憤りながら、彼らは刃を振るい続ける。
しかし戦局は覆らず、傾き始めた天秤を揺り戻すことはできなかった。優勢だった戦況は善戦へと変わり、さらには苦戦へと……いまだ生き残っている者は、控えている米軍の主力に頼るしかないと考え始めていた。
──そうして、運命の時は訪れた。
敗北へと傾き続ける戦況の中で、帝国斯衛軍第3大隊──将軍殿下の護衛として後方に拘置される第16大隊を除けば、斯衛軍最強とも噂される部隊でも最精鋭の称号を贈られた第3中隊は、戦闘開始から一貫して陣頭に立ち、無数のBETAを相手に死と破壊を振り撒き続けていた。
ことに目を引くのは、山吹色の機体──斯衛において稼働状態にあるのは、この機体を含めてわずかに9機……いまだ量産体制が整わず、試製の冠を被ったままの98式戦術歩行戦闘機……俗称『武御雷』のうち、五摂家の当主や傍付たる赤以外の衛士に与えられた、唯一の山吹は、『修羅』の異名を体現するがごとく、BETAを薙ぎ払い続けている。
斯衛の活躍に背を押され、壊走寸前であった帝国軍もまた、辛うじて踏みとどまって奮闘していた。
しかし、すでに戦況は個人の武勇が覆し得る限度を遥かに超え、BETA側の優勢に傾いていた。
『こちら…………ヴァ…………1…………ザザ……救援を、たの……ザ…………たの……誰か…………助け……死にたく…………』
『──く、くるな…………ザ……くるんじゃっ…………いやだ……あぁっ』
『畜生ッ…………ちくしょう………………日本を……せ……返せよぉぉぉぉ!』
悲痛な断末魔が聞こえるたびに、レーダー上から青い光点が消えていく。反面、忌々しい赤の光点は増える一方で、数えるのも馬鹿馬鹿しい有様だった。
『笠置大尉、これ以上は──』
「分かっている!」
限界であることは、隆也とて承知していた。戦闘開始直後から、ろくな補給も受けずに戦線を支え続けているのだ。推進剤の残量は乏しく、突撃砲の残弾、長刀の耐久度も心許ない状況だ。
しかし、いまここで斯衛が下がれば、まず間違いなく戦線は崩壊する。
周囲を確認する刹那にも、遠くから爆発音が響いた。不用意に高度を取った機体が、レーザーによって貫かれ、墜ちる。地面に叩き付けられた機体は跳躍ユニットをひしゃげさせ、轟然と爆発を遂げる。
対処が及ばなかったのだろう。無数の戦車級にまとわりつかれてパニックになった衛士は、恐怖のあまり半狂乱になりながら突撃砲を乱射して、味方すらも巻き込んで、悲痛な叫びを上げながら彼岸へと追いやられる。
突撃級に跳ね飛ばされて砕け散り、要撃級に殴り潰されて倒れ伏し、要塞級の鋭い脚で串刺しにされ、あるいは触手に貫かれた上に溶解液で跡形もなく──戦場のそこかしこで散っていく衛士達の仇を討つべく、生き残った者達の奮戦は続いた。
突撃砲から放たれる36ミリ弾が戦車級の腕を吹き飛ばし、胴体を穿って挽肉へと姿を変えさせ、120ミリ弾が突撃級を正面から襲って強固な装甲諸共に頭を叩き割る。
大きな犠牲を払いながらも光線級の只中へと躍り込んだ部隊が、怒りのままに長刀を振るって2つ目玉の化物たちを撫で切りにする。
そうした奮戦は、確かにあった。だが、それを無意味にするだけの物量が、BETAには備わっているのだった。ハイヴ内から、さらには地中から湧き上がってくる新手を前に、どの部隊も例外なく被害を積み上げている。
覆しようのない状況に、隆也が歯噛みした──その瞬間であった。
『──不味いことになったわ!』
どこからか繋がれた秘匿回線……それも、E-01の構成員だけが知る緊急連絡用の専用コードの中でも、優先度の高いもの──そうして繋がれた通信回線から聞こえたのは、九條楸の切迫した叫び声だった。
『──なにがだ!?』
目の前のBETAを駆逐しながら、隆也は怒鳴るように聞き返した。丁寧な対応をしていられるほどの余裕は、さすがに残されていなかった。
『連中、使うつもりよ!』
それだけで、隆也は状況を理解した。
「──正気か!?」
自失は一瞬。即座に思考を動かした隆也は、考え得る限り最悪の事態が動き出していることに罵声を漏らした。
しかし、ここで罵声を上げたところで状況が好転するものでもない。苛立ちを押し込めながら、隆也は周囲の味方に後退を命じた。
『後退ですか!?』
困惑した叫びが、部下たちから上がる。現在の戦況は、第3中隊の奮戦によって辛うじて戦線が支えられているような状況である。ここで自分たちが後退すれば、残される帝国軍や大東亜連合軍の部隊は物量の前に押しつぶされるだけだろう。
それだけではない。第3中隊が支えている戦場は、ハイヴへ突入した部隊と、地上とを繋ぐか細い糸でもあるのだ。この領域の支配権をBETAに明け渡せば、ハイヴ内に突入した部隊は完全に孤立してしまうのだ。
最後まで戦線を支えるべきだ──その思いは、隆也にも痛いほどわかる。しかし、これから起こる事象を前にしては、戦線の維持などまるで意味を成さないのだ。
「──いいから退け!」
叩き付けるように言いながら、隆也は周囲に展開する全部隊へと通信回線を開き、即座に撤退するように促した。
しかし、横浜ハイヴ近郊における最激戦区であるこの戦域には、斯衛軍の他にも帝国軍、国連軍、大東亜連合軍の主力が集結している状況だ。
いかにこの戦域における戦力の中核であるとはいっても、指揮系統の異なる相手から撤退を具申されたところで、素直に受け入れられるものではない。
各軍の部隊長達は反発心を露わにし、なおもBETAに挑みかかろうとしたが、彼らの闘志に冷や水を浴びせるような通信が飛び込んできた。横浜ハイヴ近郊に展開する全部隊に対して、英語での避難勧告が発せられたのである。
──アメリカは新型兵器の投下を決定した。ハイヴ周辺の部隊は至急、想定される効果半径外に避退せよ、と。
思いがけない通告と、全力で後退に移った斯衛軍の姿は、これから起こる事象が容易ならざるものであることを悟らせるには、充分すぎる衝撃を持っていた。
全軍、後退せよ──と、各軍の部隊長たちが思い思いの言葉で命じると、その場に留まっていた部隊のほぼすべてが一斉に後退を開始した。
このとき、第3中隊近傍に展開していた部隊は幸運であったと言えるだろう。なぜなら、これから起こる現象を正確に理解していた隆也が即座に警報を送ったことから、撤退に至るまでの時間の空費が少なかったこと。
そして、第3中隊が後退しつつも退路を確保していたからだ。このため、後退する部隊は全力で後退することが可能であった。
最速で撤退を完了させるには、跳躍ユニットを最大稼働させるのが手っ取り早い。だが、全速力での飛行には相応のリスクが伴う。
まずは燃料消費だが、味方勢力圏に後退することだけを考えればいい現状なら、燃料切れのリスクはそこまで考えなくてもいい。より問題にするべきは事故……瓦礫か、BETAか、それ以外であっても、質量をもつ存在と衝突すれば、それだけで機体はバランスを崩して墜落するか、最悪の場合は空中分解してしまう可能性があった。
しかしこちらも、第3大隊が先発してBETAを掃討しているおかげで、少なくともBETAに激突する危険性は低下している。
かくして、全力噴射で後退する帝国軍以下の部隊を見送った第3中隊は、殿としての役目を十全に果たしたうえで撤退を果たした。
その最中、僅かに振り返った隆也は目を細めた。
遥か頭上から、2つの物体が落ちかかっていた。アメリカが開発した新兵器──五次元効果爆弾、通称G弾が、黒色の輝きを曳いて迫っていた。
ハイヴ周辺から無数の光芒が伸び上がっていく。戦術機の装甲を容易に貫き、重装甲を誇る戦艦にすら脅威となる光線級のレーザーは、しかしG弾の本体を覆い、球状に広がっている黒い帯に跳ね飛ばされ、彼方へと消えていった。
予想被害半径から脱出した衛士達が、そして、いまだハイヴ周辺に留まっている人間が唖然として見上げる中で、止めようのない破壊が落ちてくる。
そして、その時はきた──。
漏れ出た黒い光が、青い空を塗りつぶしていく。
五次元に作用する破滅の光は、地表でなおも戦闘を繰り広げていたBETAと戦術機を、敵味方の区別なく呑み込んで……ハイヴの象徴たる地表構造物と地下茎構造の一部までをも抉り取って、横浜の大地を黒いドームに沈めた。
────結果的に、2発のG弾の投下によって人類は勝利した。
モニュメント、そして地表近辺の地下茎構造の消滅を契機として、横浜ハイヴ近郊に残存していたBETA群が、一斉に後退を始めたのである。この行動に至った理由は不明だが、好機を見逃すほどに前線部隊は愚鈍ではなかった。
G弾投下による混乱に見舞われながらも、作戦参加部隊は徹底的な追撃を敢行し、艦砲射撃と戦術機部隊による追い打ちによってBETAに多大な損害を与えて、東日本全域から追い出すことにも成功した。
その後、後詰に控えていたアメリカ軍戦術機甲部隊が横浜ハイヴ内に突入し、見事に反応炉に到達することで人類は勝利を喧伝することとなる。
確かに、勝利ではあっただろう。現実として、横浜ハイヴは陥落し、日本帝国は当面の危機から解放されたのだから。
だが、その代償は大きかった。
本土防衛線の最中の、一方的な条約破棄による撤退は、日本帝国内にアメリカに対する不信感を植え付けるには充分すぎるものがあった……そこに加えて、明星作戦でのG弾の事前通告なしでの投下である。
──アメリカ人は仲間を見捨てないなどと、どの口が言うのか。
──しかし、G弾の投下がなければ作戦は。
──奴らは、戦友諸共に吹き飛ばしたのだぞ。
──あれほどの威力があるなら、何故最初から使わなかったのだ。
──上層部の判断は、正しかったのか。
明星作戦後、アメリカに対する印象は両極端なものとなった。だが、もともと反米感情の高まっていたところに、明星作戦の顛末である。擁護派は少数に、反対派が大多数を占めるのは当然の帰結であっただろう。
問題となったのは、軍人たちの心持だった。裏の事情など知る由もない民間人は、反米感情を高めるのみだったが、軍人たちは反米感情に加えて、軍上層部に対しても強い不信感を抱き始めていた。
そして、横浜基地の建設着工が、これに拍車をかけた。
もともとは帝国軍の基地があった場所に、何故国連の基地を。ようやく取り戻したはずの場所に、どうして外国の部隊が駐留するのか、と。
国連という組織を、アメリカの手先と見る者も多い。そうした者たちは、国土に敵国の旗を打ち立てられたような嫌悪感を抱いていたし、それでなくとも、多くの仲間の命を犠牲にして得られた成果を横取りされたような感覚を覚えていた。
そして、G弾の破壊力と副作用への悪印象もまた、横浜基地に対する印象を悪化させる大きな要因であった。明星作戦から間もなくして、アメリカ国内すらも含めた世界中から、G弾に対する脅威論が台頭することになる。
各国の情勢は措くとしても、帝国軍内部での対立と分裂は免れなかった。
派閥の数と他部隊、各部署同士の関係性はBETAによる本土侵攻の前とは比べ物にならないほど複雑怪奇なものになり、明星作戦の頃までは存在していたはずの連帯感は、少しずつ薄れていった。
愚にもつかない足の引っ張り合いが増え、暗闘も行われ始めた。佐渡島ハイヴという重石が存在しなければ、軍組織そのものが空中分解してもおかしくはなかった。
帝国の前途に暗雲が立ち込めつつあった2000年5月、日本本土に残存するBETAを掃討するべく、帝国軍は新たな攻勢作戦を発動──後に、出雲奪還作戦として公式文書に記載される戦いは、帝国軍にとって試練の一戦であった。
明星作戦における勝利の後、帝国軍は斯衛軍、国連軍と共同歩調を取りながら反撃に転じ、かつての雪辱を果たすべく京都を奪還した。
その後、帝国軍は京都を中核として反攻の橋頭保を築きつつ、四国地方に対しても攻勢を仕掛け、これを解放することに成功していた。
かくして、日本帝国は国内のBETAを着実に撃破し、遂には中部地方奪還を戦略目標に掲げ、出雲奪還作戦を発動させるに至ったのである。
出雲奪還作戦は、当初順調に推移していると思われた。
瀬戸内海に展開する連合艦隊からの砲撃によるBETAの漸減と、強襲上陸を果たした戦術機甲部隊の吶喊による光線級の排除は成功裏に終わり、京都から出撃した部隊もまたBETAを掃討しながら着実に前進していた。
しかし、対BETA戦争において突発的な事態の変化は日常的なものであり、それはえてして災厄にも等しいものが多かった。
唐突に、作戦参加全軍に警告が発せられた。コード991──BETAの突発出現を知らせる、緊急事態を知らせるものだった。
「まさか、日本海からの大規模上陸とは──」
掠れた声が、恭子の口から漏れた。
想定されていなかった訳ではない。何しろ、BETAの最大の武器は圧倒的な物量であるのだから、新手の上陸があってもおかしくはない。むしろ、いままで日本本土に新手が送り込まれてこなかったことが不思議なくらいだ。
だが、まるで狙い澄ましたかのようなタイミングだ……日本海側にも艦隊は展開しているが、主力の多くを瀬戸内海に回してしまっている以上、2万以上と見積もられるBETAの大軍を足止めするのは難しい。
さらに、帝国軍、斯衛軍ともに主力の多くを出雲奪還作戦に回してしまっている。つまり、戦術機甲部隊による足止めも期待できないのだ。
『それに加えて地中からの奇襲とは、な』
明星作戦から変わらず第3中隊を率いる隆也の声だった。
『それもHQが狙い撃ちにされるとは……偶然だとすれば、なんとも運の悪い』
次いで、第2中隊を率いる宗一郎が険しい表情で口を開いた。
そう、ただBETAの大軍が上陸してくるというだけなら、さほど慌てる必要はなかったかもしれない。京都には予備の戦力が温存されているし、現在までの損耗率は想定内に収まっていたからだ。
しかし、BETAの上陸に合わせて行われた穿孔部隊による奇襲攻撃は、帝国軍に致命的な打撃を与えていたのである。地中を掘り進めたBETAは、地上に現れると同時に出現地点の帝国軍を蹂躙したのだが、その場所というのが米子市で、そこにはHQが設営されていたのだった。
HQの壊滅によって指揮系統が麻痺した帝国軍は、敵陣深くに斬り込んでいたこともあってBETAに包囲され、為すすべなく磨り潰される部隊が続出した。これでは、新手のBETAを受け止めることなどできるはずもない。
『それで……どうする?』
隆也の質問の意図は、恭子にも分かっていた。
退くか、戦うか、だ。第3大隊とて、敵陣深くに孤立したような状況だ。しかも、周囲の帝国軍は当てにできない……可能であれば、即座に撤退に掛かるべきだろう。
しかし、帝国武家としての矜持がそれを許さない。斯衛は戦場において常に先陣を務め、退く時には殿を務めてきた。窮地に陥っている味方を見捨てて退くことなど、五摂家の当主として取れる選択ではない。
「……帝国軍の残存戦力を後退させ、後方で立て直せるだけの時間を稼ぎます」
しばしの逡巡の末、恭子は宣言した。
『……了解しました』
いくぶん顔を蒼褪めさせながら、宗一郎が首肯した。
恭子の決断は、第3大隊を磨り潰してでも時間を稼ぐこと。つまり、第3大隊全機の喪失──全員の戦死を前提とした必死の行動だ。
『下策だな』
誰もが納得しかけた時、隆也がその空気を断ち切った。
『米子HQが壊滅した以上、帝国軍の指揮系統は崩壊している。陸軍の連中まで下がらせるなら、『鬼姫』の名に頼る他あるまい』
隆也の言う通り、HQが壊滅した以上は、誰かが主軸となって軍を再編するしかない。そして、それを成し遂げられる存在は、少なくともこの場には五摂家の当主であり、京都防衛戦において青の『試製98式』を駆り、伝説的な活躍を残した恭子だけだ。
「しかし──」
『殿は第3中隊が引き受ける』
恭子が上げかけた反駁の声に押し被せて、隆也が宣言した。
『第16大隊の死闘、知らぬわけではあるまい?』
「……ええ、もちろんよ」
斯衛であれば……いや、あの戦いに参加していた者であれば、誰もが知っている。
斯衛軍第16大隊は、最後まで京都に残ってBETAを食い止め続けた。死闘に次ぐ死闘によって多くの衛士が斃れ、負傷して後送されたものを含めても、生還したのはわずか9名に過ぎなかった。
隆也は、その死闘を潜り抜けた衛士の1人だ。山吹の『試製98式』を駆っていたとはいえ、激戦区に現れてはBETAの集団を薙ぎ払う様は、多くの人間に希望を与え、同時に多くの人間に生還の機会を与えていた。
ゆえに広まった『山吹の修羅』の異名──武勇だけならば、おそらく恭子や他の五摂家の当主らですら凌ぐだろう。だが、全軍の立て直しを行うには、武勇だけでは意味をなさず、帝国武家の頂点たる五摂家当主の立場が必要になる。
帝国軍の置かれた危機的状況を打開するためには、恭子が退く他ない。そして、帝国軍内にも知られる笠置隆也が殿として残るのであれば、斯衛の矜持が傷つくこともない。
しかしそれは、部下に死ねと命じることでもある。
「私に、命じろと……?」
『それが、お前の責務だ』
ごく冷たく、隆也は言った。摂家当主としての責務を果たせと、指揮官として、私情に流されることなく最善の選択をしろと、ごく短い言葉には込められていた。
「…………第、3中隊は、BETAの足止めを……第1、第2中隊は、周辺BETAを掃討しつつ、帝国軍の撤退を支援する」
絞り出すように言って、恭子は目を伏せた。
すでにモニターは切ってある。第3大隊所属の衛士達には、最大限気丈に振る舞った音声だけが届いているはずだ……秘匿回線で繋がっている隆也を除いて。
広域通信を切って、恭子は隆也へと視線を合わせる。
『……死ぬ気はないよ』
「…………帰ってきて」
朗らかな顔で言い放った隆也に、恭子は涙を見せる。
「どれだけ待たされても構わないから──絶対にっ!」
『……分かった』
苦笑しながら、隆也は頷いた。これから赴くのは京都防衛戦や、明星作戦以上の死地であることは間違いない。生きて帰れる保証などどこにもない筈だが、しかし隆也の顔に悲壮感はなかった。
優しい表情のまま、隆也は恭子を呼んだ。それに対して、恭子は涙を溜めながら、それでも気丈に彼の瞳を見返した。
『──愛している』
「……いま、言う言葉じゃ──」
まるで遺言のようだと、恭子は叫び声を上げかけたが、すべてが口腔から飛び出す前に、戦士の顔に戻った隆也から、通信を切断された。
そして、第3大隊の全機に届くオープン回線で、隆也はいくつかの名を呼んだ。
篁唯依少尉、山城上総少尉──その他に3人の、いずれも年若い、隆也達からすれば新米と呼んでいい衛士達の名前だった。
『──貴様らは、第1中隊の指揮下に入り撤退しろ』
反発の声は上がった。しかし、邪魔だと、足手まといだと叩き付けるように言われては、新米衛士に反論の余地はない。歯軋りしながら、命令に従うしかなかった。
この時点において、第3中隊の残存は11機……そこから5人を離脱させてしまえば、残存するのはわずかに6機でしかない。
いずれも一騎当千の、正式採用された『武御雷』を優先で回された精鋭だと言っても、あまりにも無謀だ。
しかし彼らの歩みに揺らぎはなく、刹那とて臆した様子もなく、噴射跳躍の轟音を轟かせながら迫りくるBETAへと向かっていった。
────崇宰恭子以下、斯衛軍第3大隊の残余は、同戦域に展開していた帝国軍部隊の撤退を支援しつつ後退し、戦力の再編に成功した。
その後、沖合へと急速展開した連合艦隊主力の支援砲撃と、京都から駆け付けた戦術機部隊の増援の活躍もあって撃退に成功し、出雲奪還作戦は戦史に人類の勝利として刻まれることとなる。
しかし、コード991発令後、殿として2万を超えるBETAの大軍へと挑みかかった斯衛軍第3大隊所属第3中隊は、いずれも未帰還となった。
確かなことは、彼らがわずか6機という寡兵でありながら、BETAの大軍を充分に足止めしてのけたことだけだった。再編を完了し、迎撃準備を万端整えるまで、BETAが姿を現さなかった事実が、それを裏付けていた。
京都防衛戦に始まり、関東防衛戦、明星作戦、そして出雲奪還作戦と、いずれの戦場においても語られる『山吹の修羅』の、最期を彩る語り草であった。
だが、錯綜した戦場ゆえか、いくつかの噂も残っている。
──漆黒に塗装された『不知火』が、米子に降りた。
──山吹の機体が、どこかへ飛び去るのを見た。
──どう調べても、残骸が1機分足りない。
どれも、『山吹の修羅』と称えられる衛士の生還を噂するものであったが、当然根拠なきものとして扱われ、そのうち記憶から消えていくものであった。
確かなのは、悲嘆にくれるものが多い中でただ1人、崇宰恭子だけが、真っ直ぐに前を向いていたということだけであった。