異伝 Muv-Luv UNLIMITED   作:第4計画諜報部

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第1章 目指す先
第1話 第5計画の変節


 敷島隆也は機械音だけが聞こえるヘリコプターのキャビンで、黙然として硬い座席に背中を預けていた。細められた双眸は窓の外に向けられて、胸の内に燻る悔恨とここに至るまでに辿ってきた道程とを夜闇の中に幻視していた。

 先頃、日本帝国軍主導のもとで発動された甲21号作戦──佐渡島ハイヴ攻略作戦において、国連軍唯一の作戦参加部隊となったのが、隆也の所属している国連軍総司令部直属:特殊作戦任務群、通称特殊作戦群であり、作戦の要であるハイヴ突入部隊の一角として作戦に参加していた。

 戦術機での戦闘は、一瞬の油断、一撃の被弾が死命を決する。

 しかもハイヴはBETAの本拠地であり、無数のBETAが犇めいている。反応炉を目指す突入部隊は、行く手を遮る前方はもちろんのこと、左右上下、果ては背後と……あらゆる方向から襲い掛かる敵と戦う必要がある。

 ただでさえ対処に窮する飽和攻撃に加え、閉所かつ三次元機動を制限される空間での戦闘である。突入部隊の衛士に求められる技量の高さは尋常なものではない。

 それこそ、国連軍最高峰の精鋭を揃え、激戦地を転戦してきた歴戦部隊ですら、多大な犠牲を払わねばならなかったのだ。

 もっとも、事前想定以上の大損害を招いたのは現地司令部の無理な作戦指揮が要因ではあったが……しかし、総隊長を務めていたギュンター・フォン・ワレンシュタイン大佐に、甲21号作戦への参戦を要請したのは他ならぬ隆也自身であった。

 佐渡に屍を晒した特殊作戦群の将兵たちは、自分が殺したようなものだ──と、この先も慣れることは無いだろう心痛を感じながら、隆也は瞑目した。

「……それでも──」

 しばらくして、固く閉じられていた唇から微かな呟きが漏れた。

 佐渡島ハイヴ攻略作戦の成功は、長く続いた暗闘の天秤を、此方側へと傾けさせる決定的な一撃となった。

 佐渡島の死闘も、それ以前から続いていた戦いも、すべては彼の国の主導する致命的なまでの欠陥を抱えた反攻作戦を阻止するためのものだった。それを思えば、ここに至るまで積み上げてきた犠牲は、決して無駄ではなかったのだ。

 ──戦場で、あるいは歴史の裏で繰り広げられることになる凄惨な戦いは、2001年12月〝24日〟……BETAの脅威から、人類を救うために策定されたオルタネイティヴ計画が、日本帝国主導の第4計画から、アメリカ合衆国が主導する第5計画へと移行された日から始まった。

 第5計画への移行にともなって、オルタネイティヴ計画の主導権を握ったアメリカ合衆国は、第4計画派を徹底的に追い詰めた……少なくとも、彼らから見れば二度と立ち上がれないほどに叩きのめしたつもりだっただろう。

 第4計画の本拠地である国連軍・横浜基地こそ手元に残されたが、これとて日本国内の第4計画派をまとめて監視するための措置であった。それを示すように、配備されていた戦力は警備部隊にも満たないほど小規模な部隊を残して取り上げられ、予算も根こそぎ第5計画へと移されて、基地の維持管理にも苦慮する状況だった。

 計画遂行のための各種権限も凍結され、第5計画派閥から見れば、第4計画は完全に死に体であった。権限凍結の直前までに第13独立大隊の発足などの動きはあったが、それとて悪足掻き程度にしか見られていなかった。

 ところが、アメリカが主導する第5計画は早々に暗礁に乗り上げて、以後2年に渡って第4計画の残党(と彼らは認識していた)と暗闘を繰り広げることになる。

 アメリカ合衆国という国家の主導する第5計画に対して、第4計画は表向きには日本帝国の主導とされながらも、実質的には横浜基地──さらに言うなら香月夕呼という個人によって進められていた。

 そのため、第5計画派は夕呼の権限を凍結し、予算を奪い取ったことで第4計画を完全に叩き潰したと考えていた。しかし、第4計画における裏の主要人物である敷島隆也の存在はまるで見落としていたのである。

 とはいえ、これは無理からぬことであった。

 第4計画の責任者はあくまでも香月夕呼であったし、彼女自身がもともと物理学者とは思えないほどに政戦両略に優れていたこともあって、あくまでも諜報部隊の統括でしかなかった隆也の存在にそこまでの注意が払われなかったのだ。

 もっとも、第4計画諜報部隊と対峙し、幾度となく煮え湯を飲まされているアメリカの諜報組織では、E-01のトップである敷島隆也、九條楸の両名を排除しようという動きもあった。

 しかしこれらの動きは、アメリカ諜報機関の抱える事情から消極的なものになった。というのも、アメリカには諜報機関が多すぎたのだ。

 CIAとDIAはもちろんのこと、国内防諜に関してはFBIも存在し、さらには合衆国陸軍の憲兵組織も防諜に関わっている。

 これらの組織のうち、規模も大きく対外活動の権限を持つCIAとDIAが主導権を争っていたし、FBIも組織拡大のチャンスを窺っていた。さらに、陸軍の憲兵司令部も軍組織としての危機意識や、他の諜報機関に対するメンツもあって国内防諜には煩かった。

 E-01を壊滅させることは、いずれの組織であっても可能ではあっただろう。しかし、対外工作を実行できるのはCIAとDIAのみ。さらに、それを成し遂げるためにはおよそ総力を投じる必要と、多大な犠牲を覚悟する必要があった

 規模の面では合衆国の諜報組織とは比較にもならないE-01だが、所属する工作員はいずれも優秀だった。直接対峙した経験を持つCIA、DIAであれば、なおさらそのことを理解していた。

 CIAなりDIAが総力を挙げてE-01を潰したところで、極東方面の諜報員の大量損失による諜報能力の低下は確実であった。その穴埋めのためには本国から人員を派遣するしかないが、犠牲が大きすぎれば合衆国諜報機関の主導権争いからの脱落すらも考えられる状況だ。

 割に合わない──それがCIAとDIAの判断であり、FBIや憲兵隊も彼らを出し抜きたいと考えないではなかったが、そのために火中の栗を拾おうとは思わなかった。

 結果的に、アメリカ合衆国の諜報組織は、いずれも直接対決をなるべく避けるということでE-01に対処してきたのだった。

 だが、もしもアメリカ国内の第5計画派がオルタネイティヴ4における隆也の立ち位置を把握し得ていたならば、どれだけの犠牲を払う結果になろうとも、その存在を抹殺するべく動いていたであろう。

 なにしろ敷島隆也は、かつて帝国武家が国内外に張り巡らせていた諜報網のすべてを掌握していた敷島家の生き残りだったのだから。

 敷島家解体後、武家の諜報網は五摂家の各家が吸収して再編成されていたが……敷島家が独自に構築した諜報網は依然として健在で、それに付随する諸外国とのパイプも、すべて隆也が引き継いでいた。

 しかも隆也が引き継いだのは、敷島家の諜報網と政治工作のための伝手だけではなく、それを維持するための莫大な裏金もであった。

 敷島家の解体にともない、資産はすべて斯衛によって押収されていた。しかし、政治工作や諜報網維持のための裏金は、絶対に帳簿に現れないかたちで処理されたものであり、宋主家である九條家ですらその存在に辿り着けてはいなかった。

 裏金の存在は当然疑われていたが、敷島家の中でも最重要機密であるだけに情報管理は徹底的で当主以外には知る者はいなかった。

 隆也ですら、裏金の存在を知ったのは敷島家壊滅後のことであった。事実上最後の当主である敷島晴信の生体反応が消失したことで、その時点ではまだ次期当主と定められていた隆也へと、敷島家の全権限が委譲されたからだった。

 ともあれ、敷島隆也は第4計画派閥において、個人としては最大の政治力と資金力を持つ存在だったのである。

 オルタネイティヴ5への移行と同時に、各種権限を凍結され、さらには外部との連絡を制限された以上、香月夕呼に状況を変える手段はない。

 しかし、香月夕呼が持つ人脈と、敷島隆也が有する人脈とは、意図的に横の繋がりを断たれていた。つまり、オルタネイティヴ4における諜報網や工作網は、二重に設けられていたのである。

 そして第5計画派は、夕呼の動きこそある程度掴んでいたが、隆也の動きはまったく察知できていなかった。

 これについては、隆也があくまでオルタネイティヴ5が発動された場合の保険として動いていたということもあったが、軍人としても政治家としても一流ながら、もともと研究者であった夕呼に対し、諜報活動を生業とする敷島家の出自で、長く情報畑に携わってきた隆也に一日の長があったということだった。

 そしてその差は、双方が構築した諜報網にも表れていた。

 確かに夕呼も世界各国に諜報網を持っていたのだが、隆也のそれは遥かに広く、深い代物だった。もっとも、敷島家が代々継承してきた諜報網をほぼそのまま受け継いでいるのだから、ある意味では当然であったが。

 しかし、御家取り潰しという事態に見舞われたにも関わらず、関係を保持し続けたという点において、隆也の手腕を疑う余地はない。だからこそ、最大の協力者であったバチカンはなおも第4計画派として旗幟を鮮明にしているのだった。

 バチカンの協力を得て構築されていた諜報網は、規模としては文字通り全世界に及び、深さなら最高機密に指定されるような情報にまで手が届くほどであった。しかし、最も恐れるべきは、その秘匿性の高さであった。

 スパイ活動が露見する場合というのは、仲間の裏切りや密告よりも、秘密通信を傍受される場合の方が割合としては大きかった。オルタネイティヴ計画を巡る暗闘から、どの国でも違法無線や発信元不明の通信を監視して摘発する態勢は整っている。

 つまり、違法通信が行われれば、その交信回数や時間にもよるが、固定発信局であれば数週間のうちに発信位置を特定されてしまう。

 夕呼が国外向けの政治工作に苦戦していたのはまさにこのためで、秘匿回線であれば会話の内容こそ守られるが、いつ、誰と通信したのかは露見してしまう。となれば、通信相手の身辺を探ることで情報を入手することが可能となってしまうのだ。

 しかし敷島家とバチカンの諜報網は、現代的な無線通信や電話による情報伝達を行っていなかった。なんと、昔ながらの連絡手段を取ることによって、盗聴や探知を逃れていたのである。

 それは、飛脚を使う古典的な連絡方法であった。時間こそかかるものの、信用が置ける人間を連絡役に仕立てることで、秘密は保たれていた。

 そして、この飛脚たちが通信文を受領する場所というのは、大勢の人々が出入りしても決して疑われることのない場所、旧教の教会であった。

 通信文を起草し、受領した指示文を解読するのは、これらの教会に配属された司祭や助祭の役目であり、諜報員が集めた情報や政治工作にかかわる極秘情報は、教会が教区ごとに司教宛に送る教区報告書の中に紛れ込ませるかたちで作成されていた。

 なお、この教区報告書を託されるのは熱心な信者か信徒であった。

 当然だが、飛脚たちは自分が極秘情報を運んでいるとは知らずに、各々の教会が属する教区の司教館へ赴いて、託された書類や手紙を渡している。

 司教たちによって読み解かれた極秘事項は、司教館勤めに扮している隆也の部下に伝えられ、やはり飛脚の手によって運ばれる。

 この飛脚たちが扮するのは、旧教の司祭やその付き人であった。

 BETA大戦の最中にあっても、あるいはだからこそ、司教による他国への親善訪問は不思議なことではないし、そうして訪れた先で旧教の教会に足を運ぶというのも、また不思議なことではない。

 こうしてはるばる日本の教会にまで運ばれてきた情報は、懺悔に訪れた軍人に託されて隆也に届けられるのだった。

 なお稀にだが、飛脚のことを誤解した強盗に襲撃され、手紙や報告書の入った鞄を奪われたり、スパイ活動を警戒する捜査官によって手紙や報告書を押収されるというような事態も起こってはいた。

 しかしいくら報告書や手紙が奪われても、バチカンの考案した解読方法を用いて読み解かない限り、いくら解読者が熱心に調べても無意味だった。

 旧教独特の言い回しや、聖書の引用文句が頻繁に使われるだけの、退屈な文面の手紙や、教区の報告書に過ぎないのだから当然であろう。しかし、旧約聖書をテキストに使い、一定の法則と方法に従って読み解いていくと、まったく異なる文章が現れる仕掛けが施されているのだった。

 これは、数学的な乱数暗号とはまるで異なる原理と原則が使われているので、数学者や暗号の専門家が調べても解読は不可能だった。宗教学者や修辞学の専門家であれば、隠された何かに気が付くこともできるかもしれないが、そうした分野の専門家が暗号解読にあたることはほとんどあり得なかった。

 こうしたカラクリを知らされたのは、隆也が敷島家の当主を継いでからのことだが、驚愕したことは言うまでもない。

 だがバチカンの歴史と伝統を知れば、なぜ法王庁がこうした分野に秀でているのかを理解することができた。

 それは、迫害と戦乱の中で旧教が生き残ってこられた理由でもあったからだ。

 歴代のバチカン関係者は、教会の力を削ぐような事態が起こることを、未然に防ぐことで旧教組織を生き残らせてきた。

 そして傘下の教会や修道院を守り、同じキリスト教でも敵対する宗派や教団の力を削ぐ。そのために必要だと考えられていたのが情報であった。

 もともとバチカンは世界各国に点在する教会や修道院から、定期的に報告を受けていた。その報告内容は多岐に渡り、教会や教区内での出来事から、その地域で起きた事故や事件、さらには経済状態や支配者に関することも、当然のように含まれていた。

 そうした情報から法王や枢機卿は、欧州諸国の支配者や領主らの動向を知り、対応策を講じてきたのである。

 さらには、集められた情報の中でも重要と思われるものは、バチカンの公式記録保管庫に保存されている……ある意味で、バチカンは世界最古の諜報機関でもあったのだ。

 かつての欧州諸国の支配者や政府は、バチカンとの間に良好な関係を維持することで、様々な重要情報の提供を、受けることができた。

 そして欧州では、時代の流れと共にバチカンとの関係を断った新教国家が存在し、彼らは自前で諜報機関を用意する必要に迫られた。

 その代表例が大英帝国である。当時の英国王室が旧教の影響下から逃れようと、英国国教会を創設したことで、バチカン情報に頼れなくなった。

 そこでヘンリー8世は、自前の諜報組織を創設し、これ以降歴代の国王や宰相らは、苦心して組織を維持してきた。

 もちろんイングランド王国を真似して、フランス王国を含めた欧州諸国は、同様の諜報機関を設立している。

 例えばフランス王家は、ブルボン王朝時代に国王直属の諜報機関を創り、その機関員はシュヴァリエと呼ばれている。

 もっとも、規模と能力においてバチカンと互角の存在は、やはり連合王国政府の諜報機関以外にはなかった。19世紀に連合王国が、世界各地に植民地を獲得し、これを航路で結んで一大通商圏を確立し得たのも、世界最大を誇った王立海軍と、諜報機関の存在があればこそであった。

 第2次大戦を契機として世界帝国の座から滑り落ちたとは言え、大英帝国の諜報網は依然として健在である。もし敵対していたならば、隆也達ですら相当に動きを掣肘されていたであろうが現在の英国政府は第4計画に好意的……というか、隆也との協力関係にあるため、その心配はなかった。

 それはともかく、キリスト教とは無縁の敷島家が、いかにしてバチカンと手を結ぶこととなったのかと言えば……第2次大戦の前夜、大日本帝国がソヴィエト連邦との対決姿勢をとっていた頃に遡る必要がある。

 戦争の足音が迫る1930年代──バチカンが執念を燃やし、戦うべき相手と定めていたのは、過去に争った宗派や多神教ではなく〝無神教〟であった。ここでバチカンの言う〝無神教〟とは、あらゆる神や宗教を否定した〝共産主義〟であった。

 マルクスとエンゲルスの提唱した〝共産主義〟の思想が如何なるものであるかについては諸説あるだろうが、バチカンは「共産主義は宗教を否定する宗教であり、既存の全ての宗教に敵対する存在である」として、世界規模での宗教勢力の団結を訴えたのだ。

 そしてこの時、ソヴィエトを仮想敵国としていた日本帝国もまた、バチカンの唱える〝共産主義の打倒〟に賛同した。

 ところが、この〝共産主義〟はすでに世界中に浸透していた。バチカンの足元であるイタリアですら共産勢力を国内から駆逐できず、ナチス党が治めていたドイツですらも、ソヴィエトとの不可侵条約締結に意識を向けていた。

 さらには、すでに世界最大の経済力を持つアメリカ合衆国にも共産主義勢力は蔓延し、しかも国家の中枢たる連邦政府内にも相当の力を持っている状況だった。

 そこでバチカンが頼ったのが、いささか皮肉だが旧教勢力ではない大英帝国と、大日本帝国だったのである。

 この時期の英国は反共産主義的な立場であったし、ソヴィエトを仮想的とする日本も同様の立場であるのは明らかであった。つまりバチカンは、頼りにならない独伊のファシスト国家よりも、日英の二大帝国に期待したのだった。

 そうしてバチカンが接触したのが、帝国武家の諜報組織を統括していた敷島家であり、それ以降バチカンと敷島家には協力関係が構築されることになる。

 そして、このバチカンと敷島家との繋がりが、後の太平洋戦争の趨勢に大きな影響を与えることとなるのであった。

 1941年12月に火蓋を切られた太平洋戦争は、1944年のマリアナ沖海戦をもって、事実上の終戦を迎えていた。

 マリアナの戦いで戦略的勝利をもぎ取った連合艦隊はその代償として壊滅し、枢軸同盟の盟邦も、イタリアは43年に早々と降伏し、ドイツもノルマンディー上陸作戦とソヴィエト軍の大攻勢によって追い詰められていた。

 そして、決定打となったのは原子爆弾の投下であった。

 ベルリン近郊の陸軍部隊と、ベルリン市内へと投下された2発の原子爆弾によって軍事的、政治的な抵抗力を破砕されたドイツは降伏──しかし、領土欲を隠さないソヴィエトの侵攻によってベルリンの東西で分割占領されることになる。

 連合艦隊の壊滅による抵抗力の喪失、そして盟邦の無残な最期を見ては日本もこれ以上の戦争継続は無意味であると悟るしかなかった。

 そしてこの時期、連合国には内部不和が生じていた。

 ドイツの降伏から顕著化していた東西のイデオロギーの対立から、連合国陣営はソヴィエトとの対決姿勢を示していた。つまりは、バチカンが望んでいた全世界での〝共産主義〟との対決という構図が完成しようとしていた。

 こうした情勢の中で、敷島家は外務省、軍内部の講和派と協力し、バチカンに協力を仰ぐことで講和への血路を開いたのである。

 連合国陣営にとっての主敵であるドイツはすでに打倒され、日本も実質的な戦争遂行能力を失っていたことから連合国陣営で日本に対して敵愾心を抱いていたのはアメリカ合衆国のみであった。

 そのアメリカにしてもソヴィエトのドイツに対する振る舞いから、日本を屈服させてもソヴィエトが日本の持つ大陸利権(中国大陸の占領地や満州)を掠め取っていくことを懸念していたし、また各国のミリタリーバランスの観点からも、日本を完全に潰すよりは極東における〝共産主義〟への防波堤に組み込んだ方が、国家の利益になるという考えがあったのは間違いない。

 結果として、大日本帝国は連合国との講和(実質的には条件付き降伏)を果たし、戦後すぐにアメリカの同盟国として冷戦構造に組み込まれるのだった。

 講和への血路を開いたことから、敷島家は戦後の家格調整で親藩武家への格上げも噂されたが、外務省や軍講和派への連携が越権行為であったことや、諜報組織の統括が注視されるのを避けたいとの思惑から親藩武家への格上げは見送られている。

 なお、戦前に構築された敷島家とバチカンの協力関係は、政威大将軍に報告され、しかるべき組織に引き継がれるのが当然であった。しかし、戦時中には情報漏洩を防ぐために極秘事項とされていたため、敷島家が全権を握ったままとなっていた。

 では戦後になって管轄が移されたかといえば……当時の敷島家当主が家格調整の結果に不満を持っていたことから、意趣返しとしてバチカンとの協力関係は敷島家の秘中の秘とされ、現在に至るまで独自の諜報網が維持されてきたのだった。

 そして、連綿と維持してきた諜報網を最大限に活用して放たれた敷島隆也の初撃は、アメリカ合衆国という国家において、致命的とも言えるものであった。

 第5計画を叩き潰すための初撃は、より正確には隆也の手ではなく、上院選挙に当選したばかりの新米議員ジョセフ・マッカーシーによって放たれた。

 マッカーシーは元衛士の大尉で、負傷を理由に部隊を名誉除隊していた。

 その後、ミズーリ州の上院選挙に立候補をして、僅差で現職の議員を破って当選したばかりであった。したがって、政治的にはほとんど無名で、今回の当選にしたところで現職議員の不祥事から消去法的に選ばれただけだった。

 つまり、なんらかの方法で人目を引くパフォーマンスをしなければ、次の選挙では当選することはできないと、本人も自覚していたのである。

 だから、マッカーシーは政界で注目を浴びるために、成功することのできる題材を求めていたのである。ただし、新米議員でしかないマッカーシーに、独自でそのような題材を探し出すような力もなければ、伝手もなかった。

 そして、身辺調査によればマッカーシーの性格は軽率とまでは言えないにせよ、とても慎重とは言えない性格だ。その反面で、自分の利益になることであれば、徹底して沈黙を守る秘密主義者でもあるという。

 また演説の際には大袈裟な身振りを交える芝居気もあるらしい。地元選挙区では、こうしたパフォーマンスのあるマッカーシーの演説は、人気はあるものの、内容には乏しいとの評価もある。

 身辺調査報告書を読んだ隆也は、大事を託すには不適格だが、ことを大袈裟にするマッチ役としてはうってつけだと判断した。

 そうして選ばれた刺客は、上院の予算委員会の席上で第5計画の根底を叩き壊すような告発を行ったのであった。

 すなわち、アメリカ合衆国の切り札であるG弾の実状の暴露であり、ご丁寧にも実際に投下された横浜の地で収集された各種のデータと、それをもとにした各国の研究者による地球環境への甚大な影響を危惧する論文が添えられた。

 アメリカ議会にG弾脅威論が持ち込まれたのは、これが初めてではない。2000年にも国連職員によってG弾の実状が議会に暴露されたことがあるのだ。その時にもG弾脅威論が噴出し、議会内にも使用を疑問視する派閥が生まれたが……逆に言えばその程度でしかなかったのである。

 ところが、今回は事情が異なっていた。

 かつての暴露劇は、あくまでもアメリカ議会内の話でしかなかったが、今回の予算委員会はテレビによってアメリカ全土に中継されていたのである。

 これは第5計画派にとって致命傷となった。

 予算委員会の中継によって自国の切り札の実状を知ったアメリカ国民が、G弾の使用に疑問を持ち始めたのである。

 多くのアメリカ国民にとって、BETA大戦における合衆国の立場は「BETA相手に苦戦している国々を助けてやる」という認識だった。

 世界最大の国力を持つがゆえの傲慢とも取れるが、アメリカ国民にとっては一般的な認識であったし、そのために「助けてやる立場の合衆国が他国の国土を破壊したのでは意味がない」という論調が生まれたのである。

 そうした論調が国民に広がったところで、一躍時の人となったマッカーシー議員が再び第5計画を揺るがすことになる告発を、連邦議会の席上で行ったのである。

 その内容とは、NASAが報告したダイダロス計画の成果──外宇宙に送り出された探査衛星イカロス1の信号を受信し、蛇遣い座バーナード星系に適合度AAの地球型系外惑星を発見したという報告が、でっち上げだというものであった。

 電波に乗ってアメリカ全土に、さらには世界各国にまで中継されたこの告発は、全世界を揺るがすほどの衝撃を伴っていた。

 アメリカが主導するオルタネイティヴ第5計画の骨子は、バビロン作戦と呼称されるG弾を用いた最終決戦。そして、ラグランジュ・ポイントに建造されている巨大宇宙船による外惑星への脱出であった。

 ところが、移民先であるバーナード星系の地球型惑星が存在しないというのでは、修正案を受けて第5計画を受け入れたユーラシア各国の反発は必至であったし、そもそもアメリカ国内ですら、主に地球脱出計画に関心を持っていた財界人からの突き上げは間違いなかった。

 アメリカ政府やNASAはこの告発を真っ向から否定したが、もともと疑惑の持たれていたダイダロス計画の成功報告であったためにアメリカ国内外で論争が生まれ、第5計画は揺れに揺れることになる。

 こうした情勢にあって、第5計画派は横浜ハイヴの壊滅という、G弾の実績を持ちだして対抗し、「BETAに対抗するためにはG弾を用いる他に無い」という主張によって第5計画反対派を抑えようとした。

 この主張に追従したのは、南米諸国やオーストラリアといったBETAの直接侵攻を受けていない国々であり、反対にユーラシア諸国や中東、アフリカ、アジア地域の国家群は強硬に反対を主張し、その中でも実際にG弾の脅威を目の当たりにした日本や大東亜連合は舌鋒鋭く第5計画を批判した。

 国民感情と、世界各国からの非難という内憂外患を抱えては、いかにアメリカ合衆国であっても強引に計画を推し進めるという訳にはいかず、第5計画は停滞を余儀なくされたのであった。

 とは言え、これはあくまでも一時的な時間稼ぎに過ぎなかったし、政治工作だけで第5計画派の動きを抑えることができないのは隆也も承知していた。第5計画を頓挫に追いやるためには、彼らの主張を覆せるだけの、目に見える成果が必要だった。

 その成果をもぎ取るための戦い──隆也をはじめとした第4計画派にとって本番となる戦いは、中華戦線から始まった。

 第4計画凍結後、実質的な司令塔が隆也に移った後、表向きには存在していなかった第4計画直属諜報工作部隊E-01は、香月夕呼博士が開発した新概念OSの実証試験部隊としてBETA戦線の中でも最大規模であると同時に、激戦地でもある中華戦線に送り込まれることとなった。

 敷島隆也(当時大尉)の表向きの戦歴は中華戦線において、国連太平洋方面軍・横浜基地所属・第13独立大隊の指揮官として始まった。

 第4計画の権限が凍結される直前に編成され、独自裁量権を持ち合わせたこの部隊の目的は、香月夕呼が開発した新概念OSの実践運用テストの他に、国連軍内部における発言力の確保であった。

 実践運用試験の場に中華戦線が選ばれたのは、第13独立大隊が装備する戦術機が帝国軍の『94式:不知火』であるため、中華戦線であれば日本本土から近く、損耗した機体の補充が容易であること。

 担当戦域に2つのハイヴ(重慶、鉄原)を抱える激戦地であるため、他の戦場に比べてより多くのデータを収集できること。

 そして、軍内部での発言力を確保するためには相応の地位が必要であり、生き残ればという前提条件があるものの、激戦地だけに昇進の機会を多く望めること……以上の理由からであった。

 かくして中華戦線に送り込まれた第13独立大隊は、主に重慶ハイヴ方面の防衛戦闘と間引き作戦に参加し、多大な戦果を挙げていたが、悪名高い〝第3次重慶ハイヴ攻略作戦〟において、壊滅的な打撃を受けた。

 E-01を構成する人員のうち、衛士として優れた人員ばかりを抽出して編成された第13大隊だったが、中華戦線撤退後の生き残りはわずかに10人……それだけの犠牲を払っただけに、収集されたデータは宝の山も同然で、新型OS『XM3』(完成時に夕呼が命名)は、当初の見積もり以上の高性能に仕上がっていた。

 同時に、重慶ハイヴ攻略戦の活躍と、それまでの戦果から第13大隊の生き残りは全員が昇進することとなった。

 犠牲は大きかったが、中華戦線における目的は果たせたと言えるだろう。しかし、中華戦線から撤退した隆也達は、その後に新設部隊に異動することとなる。

 この裏には、第4計画派の人間が国連軍内部で発言力を得ることに危惧を覚えた、第5計画派──国連軍の主流派というべきアメリカ派閥の手引きがあった。

 そうして異動した先というのが、現在も隆也らが籍を置く特殊作戦任務群であり、国連統合軍所属の衛士から精鋭を集めた多国籍部隊であった。

 もっとも、精鋭を集めた──というのは建前で、その実態は隆也のようなオルタネイティヴ4に参加していた人間や、各国のオルタネイティヴ4派閥に所属する人間……つまりは、オルタネイティヴ5派、ひいてはアメリカにとって邪魔になる人間を集めた、一種の懲罰部隊であった。

 国連軍内部の人事にまで介入するアメリカの専横には、当然反発もあった。しかし、オルタネイティヴ5発動後のアメリカの権勢は膨れ上がる一方だった。

 第5計画が是非を問われているとはいっても、世界最大の国力を持ち、BETA大戦の主導権を握っているアメリカ合衆国の越権行為に文句を言える国家が存在しなかったのも、また事実であった。

 もっとも、国連軍上層部にしても主流とはいえ第5計画派の思惑に振り回されるのは、主に感情面で容認できることではなく、なかば意趣返しのような形で、特殊作戦群を総司令部直属とし、かなりの独自裁量権を与えたのだった。

 特殊作戦群に放り込まれた隆也は、この独自裁量権を最大限活用し、部隊所属の戦術機全機にXM3を導入させ、しかもその事実をアメリカ軍はもちろんのこと、国連軍上層部にさえも伝わらないように処理していた。

 ともあれ、オルタネイティヴ5遂行の障害になり得る人間を、BETAの手によって排除しようという第5計画派の思惑は、むしろ正反対の結末を招く結果となった。

 最前線の激戦地に送り込まれた特殊作戦群は、BETAの物量を前にして磨り潰されるはずだったが、XM3の導入による戦術機の性能の向上、さらに招集された衛士が実際に精鋭揃いであったことから、徐々に規模を縮小しながらも、各地の戦場でBETAを相手に奮迅の戦いを繰り広げていた。

 そうして積み上げていった戦歴(スエズ絶対防衛線、南東アジア戦線、中華戦線、西日本戦線、佐渡島戦線)における絶大な戦果から、特殊作戦群の独自裁量権は拡張され、事実上の独立部隊として認められていた。

 アメリカにとっては忌々しいことに、オルタネイティヴ4派閥が国連軍内で発言力を確保する結果となってしまい、しかも事実上の独立部隊である特殊作戦群に介入することはできなかった。

 従って、これまで以上の圧力をかけて激戦地に送り込むことで、どうにか第4計画派を排除しようと目論んだものの、むしろ戦果を稼がせて、昇進を……軍内部での発言力を強化することを手助けする結果となったのは強烈な皮肉だろう。

 さらに政治面においても第5計画派は失策を犯していた。

 特殊作戦群所属となった隆也は、インド戦線や地中海戦線、さらには欧州戦線を転戦することになったのだが、このために諜報網を通してではなく、直接足を運んで各国の第4計画派閥と接触することができた。

 これが、第5計画派にとっての最大の誤算であったが、彼らがその事に気が付くのはすべてが終わってからのことであった。

 そして2004年8月。日本帝国が主導した佐渡島ハイヴ攻略作戦──甲21号作戦が発令され、BETAに対する反撃の始まりであると同時に、アメリカ合衆国が推進するオルタネイティヴ5に引導を渡した最後の一撃として、歴史に刻まれることとなる。

 日本帝国が主導した甲21号作戦は、当初の計画であればアメリカ太平洋方面軍、国連極東方面軍の協力を得て実施される予定であった。しかし、アメリカ、国連双方の思惑によって、日本軍単独での作戦実施を余儀なくされた。

 まずアメリカ太平洋軍だが、この作戦を政治工作に利用しようと考えていたことから、日本軍の作戦発動が秒読みとなったタイミング(作戦発動の24時間前)で、作戦参加を拒絶したのであった。

 アメリカ政府の思惑では、作戦中止の時宜を逸した日本軍は単独で佐渡島攻略作戦に臨むが、壊滅的な打撃を受けて敗走するはずであった。

 アメリカ軍、国連軍の参加が前提であったとはいえ、日本軍が甲21号作戦に投入する戦力はこれまでのハイヴ攻略戦の戦訓を得て立案されただけに、強力かつ均衡の取れたものであり〝これほどの部隊を揃えても敗退したのだ〟という事実をもって、BETAに対抗するためにはG弾のような超兵器が必要である、と喧伝するつもりであった。

 さらには、敗退した日本軍を支援するという名目で、アメリカ軍主導で佐渡島攻略作戦を再興し、G弾の運用によって勝利を収める──明星作戦に続いて2度目の〝G弾による勝利〟という事実を示すことによって、G弾ドクトリンを、ひいてはオルタネイティヴ5の有用性を全世界に認めさせる。

 そして、戦力の多くを失った日本軍をアメリカ軍の指揮下に組み込み、まずは日本の軍事力を、さらには日本帝国そのものを傀儡国家としてアメリカの傘下に収め、極東における影響力を盤石のものにしようというのであった。

 一方で国連軍だが、アメリカ政府からの圧力(水面下で作戦不参加の要請)を受けていたこともあって、アメリカ軍が甲21号作戦に参加しないであろうことを早期に見抜いており、アメリカ軍の協力なくして作戦成功の見込みなし──と判断して、作戦参加を拒絶したのである。

 ただし、日本軍に対して作戦への不参加を通達したのがアメリカ軍とほぼ同時期であったことから、日本軍内では国連に対する反感も高まる結果となっている。

 しかし、これらの思惑は大きく裏目に出ることとなった。

 甲21号作戦への参加要請が国連軍に通達された頃、特殊作戦群は残存戦力を4個戦隊に再編して運用しており、欧州戦線から戻っていた敷島隆也中佐麾下の第2遊撃戦隊が九州に、総隊長ワレンシュタイン大佐率いる第1遊撃戦隊が台湾に展開していた。

 当然だが両戦隊とも作戦参加を承諾していたが、これに対してもアメリカ政府は国連軍司令部を通じて作戦への不参加を強要したものの、特殊作戦群を率いるワレンシュタイン大佐はこれを黙殺した。

 アメリカ政府にとってはいささか厄介な事態ではあったが、精鋭とはいえたかだか2個大隊程度の戦力が加わった程度で大勢が覆るはずもなく、佐渡島ハイヴ攻略作戦の失敗は確実。ついでに、厄介な特殊作戦群も壊滅してくれればよいと考えていた。

 そして、彼らの期待した通り特殊作戦群は壊滅的な打撃を受けることとなった。

 ハイヴ突入部隊の一角として作戦に参加した特殊作戦群の任務は、突入部隊の本隊となる帝都守備隊・第2機甲連隊及び、帝国斯衛軍の精鋭2個大隊の突入支援──モニュメント周辺のBETAの陽動及び、ゲート周辺のBETAの掃討。さらには、ハイヴ突入後に出現が予想される敵増援への対処であった。

 こうした配置となったのは、作戦指揮官である帝国本土防衛軍の指揮官の国連嫌いに端を発したものであったが、極東国連軍の作戦不参加に対する意趣返し……というか、鬱憤をぶつける相手が特殊作戦群以外になかったための行動であった。

 かつてないほどの激戦が予想される配置であり──事実、特殊作戦群は最終的に作戦参加部隊(第1、第2遊撃戦隊所属65機)のうち、およそ6割を損失し、総隊長のワレンシュタイン大佐を初めとした歴戦の衛士の多くを失っている。

 なお、特殊作戦群の被った大損害は作戦終了後に問題視され、私情から味方に多大な被害をもたらしたとして、佐渡島ハイヴ攻略作戦の司令長官及び幕僚たちは全員が更迭されており、この措置もまた後の動乱の原因になったと言われることになる。

 佐渡島ハイヴ攻略作戦の結果、特殊作戦群は事実上壊滅した。

 編成当初はおよそ2個戦術機甲連隊を誇った特殊作戦群であったが、ここに至るまで激戦地を転戦し、消耗を重ね続けた結果、甲21号作戦発動時点ではなおも4個遊撃戦隊(1個戦隊=1個大隊)を残していたが、どの戦隊も定数を割り込んでおり、全体の規模としては1個連隊程度であった。

 そして、佐渡島攻略作戦に投入された第1、第2戦隊は他の戦隊に比べて戦力が充実していたのだが、それらの2個戦隊が壊滅的な打撃を受けてしまったのである。総隊長を失ったことも考え合わされば、致命的とすら言える状況であった。

 一方で、甲21号作戦の主役を担った帝国軍の被害も、また甚大であった。

 ハイヴ突入を支援するための陽動作戦を展開していた帝国陸軍は、作戦に投入した3個機甲師団と10個戦術機甲連隊のうち6割を完全喪失し、陽動部隊上陸の先鋒を担い、最後まで火力支援を行っていた帝国海軍の戦術機部隊も4割を失って、どちらも壊滅状態に陥っていた。

 ハイヴ突入部隊では、特殊作戦群に比べれば被害は小さいが、帝都守備隊は作戦参加機のうち5割に近い機体を完全喪失し、斯衛軍も4割に迫る犠牲を払っている。

 激戦を生き残った衛士たちは、所属する部隊に変わりなく、沈鬱な表情を交わすことになったのだが……このことは、当事者たちの胸に秘めるほかなかった。

 それだけの犠牲を払って、ようやく日本帝国の喉元に突きつけられた刃──佐渡島ハイヴを取り除くことに成功したのである。

 日本帝国軍単独での作戦による、フェイズ4ハイヴの攻略成功──間を置かずに世界中を駆け巡った情報に、ほとんどの国は狂喜乱舞した。

 BETAによる侵略の象徴であるハイヴの1つが消えたというのももちろんだが、人類が初めて目に見える勝利を掴んだからである。

 甲21号作戦の成功まで、ハイヴ攻略に成功した例はない……例外としては、横浜ハイヴの攻略成功が挙げられるものの、横浜ハイヴ攻略戦では、事前通告なしで投下された2発のG弾によってモニュメントが消滅した時点で周囲に展開していたBETA群が一斉に撤退するという奇怪な行動を取ったためであり、厳密な意味でのハイヴ攻略──即ちハイヴ内に突入し、反応炉を破壊したという意味での攻略成功は、佐渡島が初めてとなる。

 しかも、第5計画派が対BETA戦闘の切り札であると豪語していたG弾を使用することなく、通常兵器のみでこの偉業を成し遂げたのである。

 この事実は、第5計画の中核たるアメリカ合衆国にとって最大級の凶報であった。

 これまで、第5計画の是非が問われていたのは、あくまでもG弾が地球環境に与える影響や、ダイダロス計画の成否に対する疑念という観点からだった。

 だが、単純な破壊力という点ではどうか……重力異常という副次効果を考えれば軽々と使用するべきではないだろうが、BETA大戦の歴史においてハイヴ攻略を成し遂げたのは、G弾を運用した横浜ハイヴ攻略戦のみであるというのも、また事実であった。

 明星作戦以降に実施されたハイヴ攻略戦でも、戦術機甲部隊による反応炉制圧は終ぞ果たされることは無く、第5計画派の「G弾の運用のみがBETAに対抗可能な唯一の可能性である」との主張が一定の説得力を有していた。

 しかし、佐渡島ハイヴ攻略作戦の成功によって、第5計画派の主張は真っ向から打ち砕かれてしまった。

 それも、アメリカ極東方面軍、国連太平洋方面軍の不参加によって、日本軍単独で挑むこととなった佐渡島ハイヴ攻略戦は、当初予定されていた戦力のほぼ半数の兵力で実施されながら、反応炉制圧を成し遂げたのである。

 戦術機甲部隊の突入による反応炉制圧の成功は、G弾ドクトリンを根底から揺るがすものであった。事実、佐渡島ハイヴの陥落が伝わると、反第5計画派の国家群のみならず、アメリカ国内でもG弾不要論が噴出している。

 それでもあきらめの悪い第5計画派のある政治家は、佐渡島攻略戦における犠牲者を題材にして、G弾を用いれば犠牲者を減らせると声高に叫んで情勢を変えようとしたが……これは明らかに悪手だった。

 そもそもの話、アメリカ極東軍団と国連太平洋方面軍が予定通り作戦に参加していれば、相対的に損害も減っていたはずなのだ。

 反第5計画派はここぞとばかりに攻勢に転じると、作戦開始直前での参戦拒否という、日本を見捨てたに等しく、また敵前逃亡とも取られかねないアメリカ極東軍団の行動が、第5計画派の差し金であると厳しく追及した。

 さらには反第5計画の急先鋒と見られているあのマッカーシー議員が、またもアメリカ政府を糾弾する告発を行ったのである。

 マッカーシー議員の告発した内容は、アメリカ政府の謀略──佐渡島攻略戦を故意に失敗へと導くことで、極東の有力国家である日本帝国をアメリカの実質的な支配下に組み込むための国家戦略についてであった。

 いったい〝どこから〟入手したのか、アメリカ極東軍団に対して佐渡島攻略戦への参加を禁止する密命が記された書類までもが提出されては、もはや言い逃れなどできるはずもなかった。

 政府、軍部共に大混乱に見舞われるアメリカだったが、その一方で、アメリカ軍と同様に作戦参加を直前になって拒絶した国連軍の評価は、どうしたことか佐渡島攻略戦前よりも高くなっていた。

 これは、当然というか特殊作戦群の活躍に起因していた。

 国連軍唯一の作戦参加部隊となった特殊作戦群は、大損害を受けながらも突入部隊への道を切り開き、攻略成功に大きく貢献した──なるほど事実ではあったが、日本軍、国連軍ともにこれを美談として大きく取り上げていた。

 日本軍としては、内部分裂を防ぐために……というのも、特殊作戦群はあらゆる激戦地に姿を現し、絶大な戦果を挙げていたのだが、そのために同地に展開していた部隊の被害も抑えられており、前線部隊からの信頼も厚かったのである。

 そんな部隊を、指揮官の国連への反発心から磨り潰そうとしたことが軍内に広まれば、前線部隊から上層部に対する不信感をさらに醸成させることになる……破断界の迫る帝国軍内において、それは致命的事態を招きかねないのである。

 そのため、特殊作戦群が志願したという形に持って行くことで上層部に対する不満を逸らそうとし……もっとも、佐渡島で戦った人間はそうした事情を察していたし、そもそも隆也がそうした動きを見逃すはずもない。

 結局事態は露見し、軍部と政府はどうにか事態を収拾するために、隆也に大きな借りを作ることとなるが、それでも佐渡島ハイヴ攻略作戦の司令部幕僚をことごとく更迭しなければ幕引きを図れず、国内の反米・反国連派の人間の不満を高めることになる。

 そうして裏の事情はともかく、一部を除く帝国軍将兵や、戦勝を聞いた国民の多くにとっては、国連が精鋭部隊を送り込んできたというのが一般的な認識であり、このために国連への印象が幾分改善されたのである。

 そして国連軍だが、自らの大失態(甲21号作戦への不参加)を覆い隠すために、特殊作戦群の活躍を必要以上に持ち上げた節がある。

 なにしろ、作戦への不参加を表明したことで一時はアメリカ軍以上に評判を落としていたのである。各国の支援によって成り立っている国連の軍組織に対して、日本やイギリスは支援の凍結すら水面下で通告する始末であった。

 ところが、特殊作戦群が作戦に参加し、しかもハイヴ攻略の立役者となったことで各国とも先の通告を取り下げ、一般で見れば国連の評価はむしろ上向いた……しかし、特殊作戦群の作戦参加を上層部が認めていなかった、などと知られれば、国連の政治的な立場は完全に崩れ落ちてしまう。

 それを阻止するための手回しだが……もちろん、この動きが隆也に見透かされない訳などなく、国連上層部もまた高い借りを作ることになる。

 しかし国連上層部を悩ませたのは、特殊作戦群が第4計画派だったことだ。特殊作戦群に便宜を図るということは、第5計画派閥、もといアメリカ合衆国の思惑に反するということであった。

 国連としては双方に恩を売る玉虫色の決着に持って行こうとしたが、アメリカとしては面白くなかった。そのため、アメリカ政府は特殊作戦群の解体を国連軍上層部に求めることになる。

 しかし、国連としてもアメリカの横暴ぶりには辟易していたし、なによりも佐渡島の戦いでG弾が絶対の存在でなくなったことから、むしろアメリカとの対決姿勢を主張するものまで現れていた。

 この動きに対して、アメリカはさらなる圧力をかけたのだが、むしろ国連の態度を硬化させることとなり、国内の混乱とあいまって、完全に握っていたはずの対BETA戦争の主導権に黄色信号が灯ることとなった。

 この結末にアメリカ政界は怒り狂った……か、どうかは定かではないが、彼らの頭を悩ませたのは、依然として特殊作戦群が健在であったことであろう。

 甲21号作戦で壊滅的な打撃を受けたとはいえ、第2遊撃戦隊所属機を中心に、1個大隊程度が生き残っていたし、中東戦線の要たるスエズ絶対防衛線には第4遊撃戦隊が、欧州のドーヴァー要塞には第3遊撃戦隊が健在で、全部隊を合計すれば2個大隊程度の戦力を残していた。

 佐渡に投じられたのと同等の戦力を残している以上は、対BETA決戦部隊としての面目は、どうにか保たれていると言えるだろう。さらに言えば、今回の勝利によっていよいよ各国も水面下で第4計画を支援する肚を決めているのだから、なんらかの増強策が施されるのは必然であった。

 実際に、事実上壊滅した特殊作戦群は再編が予定されていたが、これまでのような各地の戦場に投入される遊撃部隊としてではなく、ハイヴ攻略作戦への投入を想定した決戦部隊としての性格が持たされることになる。

 なお、今回の再編成ではそれまで望めなかった人員の増強も予定されており、国連軍のみならず第4計画派の各国からも増援を受けることになる。

 そして、規模の拡大と決戦部隊への改編から、これまでのように世界各地の国連軍基地を間借りして各戦線に派遣される部隊運用ではなく、固有の基地で一元運用されることが決定した。

 次席指揮官であり、正式な人事発令まで暫定的に指揮を執ることとなった隆也が再編成のために選んだ根拠地は、古巣の横浜基地であった。

 前線から適度な距離があり、大規模な戦術機甲部隊が展開可能で、もともと国連軍の基地施設であるだけに帝国軍からも文句は出にくい……何より、事実上第4計画を引き継いでいる特殊作戦群の本拠地とするには、ふさわしい場所であった。

 

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