祭りでも、怪物でもなく   作:藤沢大典

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第1話:泥濘(ぬかるみ)の伝説の始まり

 太陽が、ひどいくらいに眩しかった。

 雲一つない、透き通るような青空。完璧に手入れされたトレセン学園の芝コースは、陽光を反射してまるで宝石を敷き詰めたみたいにキラキラして見える。そんな、誰もが憧れる最高に美しいはずの舞台が、今の私には鋭いナイフのように突き刺さる。

 青々と茂る良バ場のターフを蹴り上げる、軽快でリズムのいい蹄の音。それは、私にとってはただの残酷なカウントダウンにしか聞こえなかった。

 

「――っ、はぁ、はぁ、……っ!」

 

 喉が焼けるように熱い。肺が酸素を拒絶して、心臓が肋骨の内側を壊さんばかりに叩いている。

 それでも必死に腕を振り、脚を前に出した。けれど、視界の先を走るあの子たちとの距離は、縮まるどころかどんどん、どんどん離されていく。

 

 彼女たちの走りは、まるで重力から解き放たれているみたいだった。一瞬の爆発力、そして天性のバネ。エリートと呼ばれるウマ娘たちが持っている、選ばれた人間だけの『輝き』。

 私には、それがない。

 あの子たちがギアを一段階上げた瞬間に、私はもう、彼女たちの影すら踏めなくなる。

 あの日、一ヶ月前に行われた選抜レースの結果は、惨敗だった。

 掲示板に載るどころか、先頭がゴールした時には私はまだ最終直線の入り口にさえ辿り着いていなかった。息を弾ませながら、爽やかな笑顔で健闘を称え合う上位のグループ。その眩しさに耐えられなくて、私は逃げるように一人、俯いたままコースを後にした。

 

 それから今に至るまで。

 私は、学園の最新鋭のトレーニング設備に足を踏み入れることができなかった。

 煌々とライトが照らす屋内プールも、ふかふかのウッドチップが敷き詰められた坂路も、今の私にはあまりにも分不相応に思えて。

 気がつくと私は、学園の敷地の外――多摩川の河川敷に立っていた。

 

 土手の下の道は、整備なんて言葉とは無縁だ。剥き出しの土、大小の石ころ、そして数日前の雨が残した深い泥濘(ぬかるみ)。

 放課後の数時間を、私はここで一人、黙々と走ることに費やしてきた。

 

「……っ、う、ぅ……っ!」

 

 溢れ出した涙を拭うこともせず、私は不格好に土を蹴る。

 ただの八つ当たりだ。情けないほど醜い、自分自身への嫌悪感。

 綺麗な芝の上を走る資格なんてない私には、こんな場所がお似合いなんだと、自分を罰するように足を動かした。バチャバチャと重苦しい音が響いて、跳ね上がった茶色の泥水が、学園の指定ジャージを容赦なく汚していく。

 足首まで埋まる泥の抵抗は凄まじく、ひ弱な私の脚力ではまともに走ることすらできない。一歩踏み出すたびにバランスを崩し、無様にふらつく。

 

 ――バシャッ!

 

 ついに脚がもつれて、私は勢いよく泥水の中に突っ伏した。

 

「……っ、痛……っ」

 

 掌を砂利で切り、膝を強く打つ。顔の半分まで泥がこびりつき、鼻をつく土の匂いがさらに惨めな気持ちを煽った。

 なんで、私ばっかり。

 あの子たちはあんなに綺麗に、軽やかに走っているのに。私はどうして、こんなところで一人、泥を啜っているんだろう。

 

 目から涙が溢れ視界が歪む。それでも私は立ち上がり、再びその足を動かし始める。

 スピードなんて、ジョギング以下だ。少し進んでは転び、泥まみれになりながら、それでも私は立ち止まることだけはできなかった。止まってしまったら、私の中の何かが徹底的に折れてしまうような気がしたから。

 

「……一ヶ月、か」

 

 不意に、頭の上から落ち着いた声が降ってきた。

 びっくりして顔を上げると、夕焼けを背負って土手の上に一人の男の人が立っていた。

 機能性を重視した地味なウィンドブレーカー。手元には、びっしりと書き込まれた一冊のノート。

 ぼさぼさの頭をかきながらも、機械の構造を隅々まで見透かす技術者のような、静かで確固たる意志を感じさせる瞳をした人。

 その人は、じっと私の走りを見つめていた。

 

「毎日毎日、同じ時間にここへ来て、一人で泥まみれになっている。……正直、最初はただの自暴自棄かと思っていたがな」

 

 その人は、ゆっくりと土手を降りてくると、泥だらけの私の前に立ち止まった。

 

「わっ!? ……いつから、見てたんですか?」

 

 困惑して後ずさりする私。その人は、手元のノートを一度閉じ、私を真っ直ぐに見据えた。

 

「選抜戦のあの日からだ。お前がここへ通い始めてから今日まで、一日も欠かさずな」

「……え?」

「お前は自分のことを、才能のない出来損ないだと思っているんだろう。……確かに、今のままじゃそうだ。スピードも足りない。筋力もない。何より、身体の線が細すぎる」

 

 淡々と、冷徹なまでに事実を告げる言葉。でも、その声に蔑みはなかった。

 

「お前、名前は」

「……リバー、ライト、です……」

「リバーライト。お前を今のまま短い距離のスピード勝負に出すのは、トラクターをF1のサーキットで走らせるようなもんだ。設計思想が違うんだよ」

 

 その人は、手元のノートで私の胸のあたりをトントン、と軽く指した。

 

「一ヶ月、お前はここで毎日何度も転んで、泥を啜ってきた。だが、どれだけ無様に転倒しても、お前は絶対に『息が上がって立ち止まる』ことはなかった。……お前の中に積まれている『心肺機能(エンジン)』は異常だ。底なしのスタミナと、何があっても歩みを止めない図太さ。それだけは、他の連中にも負けていない」

「私の、スタミナ……」

「そうだ。だが、今のままじゃ宝の持ち腐れだ。その巨大なエンジンに対して、それを載せている車体(からだ)があまりにも貧弱すぎる。今の脆い身体のままお前をフル稼働させたら、レースの途中で自壊するぞ」

 

 その人は、私の前に一歩踏み出し、名刺代わりのようにノートを差し出した。

 

「俺は伊関(いせき)だ。……リバーライト、俺のチームに来い」

「い、伊関……トレーナー……?」

「まずは一から、そのひ弱な車体を作り直す。食って、鍛えて、絶対に壊れない頑丈な土台を作るんだ。それが出来た時、お前のその無尽蔵のスタミナは、長丁場のタフな消耗戦で連中をねじ伏せる最大の武器になる」

 

 伊関さんの瞳には、確かな熱が宿っていた。

 綺麗なターフに絶望し、一人で泥の中に逃げ込んでいた私を、この人は一ヶ月間ずっと見守ってくれていた。そして、才能がないと泣いていた私の中に、他には無い可能性を見出してくれた。

 

「お前は、まだ自分がどんなレースで咲くべきかを知らないだけだ。……ついてくる気はあるか?」

 

 夕日のオレンジ色に照らされて差し出された、少し無骨な手。

 私は泥だらけの掌をジャージで必死に拭うと、その手をしっかりと握り返した。

 

 選抜戦から一ヶ月。止まっていた私の時間が、この静かな河川敷から、ゆっくりと動き始めた。

 




リバーライト
アニメ「ウマ娘プリティーダービーSeason3」登場のモブウマ娘。モデル馬「マリアライト」。ラテン語で海(マリア)を意味するところから転じて川(リバー)となったと思われる。
第3話や第5話で主役のキタサンブラックと雌雄を決している……はずなのだが、仕方がないこととはいえ扱いがあんまりすぎた可哀想な子。

もし少しでも熱いと思っていただけたなら、お気に入り登録、評価していただければ幸いです。リバーライトの走りの原動力になります!
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