祭りでも、怪物でもなく   作:藤沢大典

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第13話:一番星と秘めたる願い

 春の陽光が眩しく降り注ぐ、トレセン学園のメインゲート。

 薄紅色の桜の花びらが、生温かい春の風に乗って舞い散っている。学園の敷地内は、新しい季節の訪れと、これから始まる輝かしいレース生活への期待に満ちた新入生たちの声でざわめいていた。

 しかし、私――パロールの周囲だけは、他の新入生たちのそれとは全く異なる、異様で熱狂的な空気に包まれていた。

 

「こっちに目線をください! パロールさん!」

「スポーツ紙の者です! 入学おめでとうございます、今の率直なお気持ちを!」

「今年の世代の中でも、彼女のオーラは一際輝いているな。さすがはジュニア無敗……」

 

 視界を白く染め上げる、無数のカメラのフラッシュ。

 各チームのスカウト、有名トレーナー、そしてマスコミの大人たちが、血走った目で私を取り囲んでいる。彼らの眼差しには、純粋な応援というよりも、自分たちの描く『天才のストーリー』を私に押し付けようとする、ある種の暴力的な期待が込められていた。

 私は、背筋をピンと伸ばし、胸を張り、群がるカメラに向かって完璧な――そして少しだけ不敵な笑みを向ける。

 

 パロール。

 フランス語で『発話』や『声に出された言葉』を意味する、高潔で、ひどく重々しい名前。

 私は幼い頃、この硬くて可愛げのない自分の名前が本当に嫌いだった。同世代の子たちが花や宝石のような可愛らしい名前で呼ばれる中、私だけが、まるで古い辞書から抜き出されたような堅苦しい名前を背負わされていた。名前を呼ばれるたびに気後れして、よくお姉ちゃんの背中に隠れて泣いていたのを覚えている。

 

「パロール、言葉……発話。うーん、じゃあ、ロール(巻き)が入ってるから、マキちゃんだね」

 

 お姉ちゃんはそんな泣き虫な私を、少し強引で、でもひどく優しいあだ名で呼んでくれた。

 温かい手で私の頭を撫でてくれるお姉ちゃんの隣にいる時だけ、私は重い『言葉』の呪縛から解放されて、ただの小さな女の子になれた。

 

 学園に入学したお姉ちゃんがスカウト選抜レースで惨敗した日。膝を抱え、ポロポロと涙をこぼしていたあの小さな背中を見た時、私の中で何かが決定的に変わった。

 ――あの時、私は決めたのだ。

 お姉ちゃんは、優しすぎる。誰よりもひたむきで、そして『才能』という残酷な壁の前に、あまりにも傷つきやすい。

 

 私が、『一番星』になる。

 私がこの『パロール』という名前を最強の鎧として身に纏い、世間からのすべての重圧、すべての期待、すべての残酷な視線と嫉妬を、この身一つで引き受ける。

 私が天才として空の最も高い場所で眩しく輝き続ければ、世間の目はすべて私に向く。そうすれば、大好きなお姉ちゃんは、誰からも残酷に比較されたり、心ない言葉を投げつけられたりすることなく、大好きな『走ること』だけを純粋に楽しめるはずだから。

 

 私は、お姉ちゃんを守るために強くなった。

 ジュニアのレースで誰よりも速く駆け抜け、天才と呼ばれ、無敗のままこの学園の門をくぐった。すべては、あの優しい手を、世間の冷たい風から守るための防波堤になるため。

 そのためなら、私は傲慢な天才でも、冷酷な女王にでもなってやる。

 

「……ふふっ」

 

 私はカメラからゆっくりと視線を外し、この春、私と共にトレセン学園に入学してきた同世代の猛者たちへと視線を巡らせた。

 言葉を交わす必要など、全くない。

 同じ空間、同じ地続きの場所に立っているだけで、彼女たちがどれほどの常識外れなポテンシャルを秘めているか、肌がヒリヒリと粟立つような感覚で伝わってくる。

 

 少し離れた場所で、ただ立っているだけで周囲の空気を丸ごと飲み込んでしまいそうな、圧倒的な陽のエネルギーを放つウマ娘、キタサンブラック。彼女の周りだけ、重力が少しだけ軽いのではないかと錯覚するほどの、天真爛漫な、けれど底知れないスケールの大きさ。

 そしてその対極。近寄る者すべてを無慈悲に切り裂くような、絶対的な王者の覇気と研ぎ澄まされた刃のような瞳を持つ、ドゥラメンテ。彼女の足元からは、触れれば火傷しそうなほどの苛烈な闘争心が陽炎のように立ち上っている。

 さらに、優雅な立ち振る舞いの中に巨大なダイヤの原石を隠し持つサトノダイヤモンド、洗練された身のこなしのサトノクラウン、静寂の中に不気味なほどの深さを湛えるシュヴァルグラン。

 誰も彼もが、狂ったような才能の塊。

 間違いなく、トレセン学園の歴史を根底から塗り替える、恐ろしい相手たちだ。彼女たちが無意識に放っているプレッシャーは、並のウマ娘なら対峙しただけで呼吸が浅くなり、脚がすくみ、戦意を喪失してしまうほど圧倒的だった。

 それぞれ互いの存在を値踏みするように、静かな、けれどバチバチと火花が散るような視線を交錯させている。

 

(……上等じゃない)

 

 私は心の奥底で、獰猛に牙を剥いた。

 震えなどない。恐怖もない。あるのは、この怪物たちをすべてなぎ倒し、私が頂点に立つという絶対的な確信と、冷たく燃える闘争心だけだ。

 あなたたちがどれほどの怪物だろうと関係ない。私が一番星として輝き続けなければ、残酷なスポットライトの影がお姉ちゃんに落ちてしまうのだから。私は誰にも負けない。負けるわけにはいかないのだ。

 その時。

 私たちを取り囲む熱気の向こう、華やかなメインゲートの喧騒から少し離れた人影のまばらな場所に、私は『彼女』の姿を見つけた。

 

(……お姉ちゃん)

 

 そこには使い込まれたジャージを着て、汗と埃にまみれた姿で立ち止まっている、私の姉――リバーライトがいた。

 

 華やかな新入生たちの輪には目もくれず、隣に立つ無愛想な男――トレーナーと思わしき男と共に、静かに河川敷の方へと歩き出そうとしている。

 相変わらず優しそうで、真面目で、それでいて華やかさや洗練された空気などは微塵もなくて。

 けれど。遠目からでもはっきりと分かるほど、お姉ちゃんの立ち姿は、私が知っているものから劇的に変わっていた。

 昔のように才能のなさに怯え、自信なさげに背中を丸めていた気弱な姉の姿はどこにもない。

 大地をしっかりと掴む、厚みを増した力強い脚。どんな逆風にもブレないであろう強靭な体幹。そして何より、荒れ地を黙々と進む重機のような、静かで、圧倒的な安定感と威圧感が、その小さな身体から滲み出ている。

 

(……ああ。やっぱり、お姉ちゃんはすごいね)

 

 私は、カメラのフラッシュにも、周囲の傑物たちにも決して見せないような、心からの柔らかな笑みを、ほんの一瞬だけ浮かべた。

 

 私はお姉ちゃんを守るために、一番星になった。群雄割拠の空を飛ぶための最強の翼を手に入れた。

 でも、お姉ちゃんは私に守られているだけのような、か弱い存在なんかじゃなかったのだ。

 私が空を支配するなら、彼女は地の底を這い、誰も歩けない泥濘(ぬかるみ)を自らの力で切り拓き、私という空の星さえも引きずり下ろすための力を、その小さな身体に搭載しようとしている。

 お姉ちゃんと、一瞬だけ目が合った。

 彼女は、私のこの重い鎧の奥にいる『マキちゃん』の存在を確かめるように薄く微笑み、そして再び前を向いて、自分の過酷な戦場へと真っ直ぐに足を踏み出していった。

 

(……待ってるよ、お姉ちゃん)

 

 私は再び、周囲のカメラに向かって『天才・パロール』の完璧な笑顔を作った。

 言葉は交わさなくても、お互いの覚悟は痛いほど伝わっていた。

 

(私はこの空の頂点で、キタサンブラックも、ドゥラメンテも、すべての相手を叩き落として、絶対的な女王として君臨する。……だからお姉ちゃんも、いつか必ず私のところまで登ってきて)

 

 見違えた自分の姉が、いつか自分のもとへ辿り着く日を信じて。

 最強の妹は、待ち受ける嵐の中へ、誰よりも力強く、そして傲慢な足取りで進んでいった。

 




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