祭りでも、怪物でもなく   作:藤沢大典

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第34話:冬空のグランプリと、姉妹の共演

 12月末日。

 一年を締めくくる総決算、有馬記念。

 中山レース場は、冬の刺すような冷気を完全に焼き尽くしてしまうほどの、途方もない熱狂と歓声の渦に包まれていた。

 スタンドを埋め尽くす10万人を超える大観衆。地鳴りのように響くファンファーレへの期待。

 この場所に集うのは、ファンからの圧倒的な支持を集めた、この国の頂点に立つウマ娘たちだけだ。真の選ばれし者たち。誰もが己の最強を疑わず、ただ一つの栄光を掴むために刃を研ぎ澄ませている。

 

「……信じられないくらいの熱気ですね」

 

 出走前の控室。私は窓越しに、スタンドを揺るがす歓声を聞きながら小さく息を吐いた。

 吐く息は白く、冬の冷たさを物語っているのに、身体の奥底にあるエンジンはすでに沸騰しそうなほどの熱を放っている。

 私は、自身の纏う勝負服を見下ろした。

 深く、鮮やかなビリジアンに、赤いラインの入った純白の袖。胸元には情熱的な真っ赤なリボン。

 秋の京都で泥にまみれ、女王のティアラを勝ち取ったこの勝負服が、今日は一点の汚れもなく美しくプレスされている。

 

「……外のバ場状態は『(りょう)』だ。雲一つない冬晴れ。お前に味方してくれる泥は、今日の中山には一切ないぞ」

 

 腕を組んで壁に寄りかかっていた伊関トレーナーが、静かに事実を告げた。

 泥がない。それはつまり、強豪たちが自慢の翼を一切汚すことなく、100パーセントのバネを活かして飛べるということ。

 

「分かってます。でも、不安はありません」

 

 私は、両手で頬をパンッと叩き、伊関さんを真っ直ぐに見据えた。

 

「泥がなくても、私は泳ぎます。中山の急坂も、冬の重たい空気も、周りのプレッシャーも……全部、私のスクリューを回すためのエネルギーに変えてみせますから」

「……いい顔になったな、リバーライト」

 

 伊関さんは、ふっと口角を上げ、私の背中を力強く叩いた。

 

「行ってこい。お前のその泥臭いエンジン音が、この国で一番強いってことを証明してこい」

「はいっ!!」

 

 私は力強く頷き、決戦の舞台へと通じる地下通路へと足を踏み出した。

 本バ場へと続く地下通路は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 冷たいコンクリートの壁に、ウマ娘たちの蹄鉄やシューズの音がカツ、カツと重々しく反響している。

 歩を進めるごとに、周囲から発せられる凄まじい覇気が肌をビリビリと刺してきた。

 

 名だたるGⅠウマ娘たちが、闘志を隠そうともせずに歩を進めている。

 けれど、私の心は不思議なほど落ち着いていた。

 周りがどれだけ凄まじい相手であろうと、私のやることは一つしかない。泥臭く、不格好に、ただひたすら自分のエンジンを限界まで回し続けることだけだ。

 やがて、地下通路の先に眩い光の出口が見えてきた。

 一歩、光の中へ足を踏み出す。

 

 ――ウワアアアァァァァァァッ!!!

 

 鼓膜が破れんばかりの大歓声が、冬の突風と共に私を打ち据えた。

 視界いっぱいに広がる、中山レース場の広大なターフ。見渡す限りの人、人、人。

 私がターフに姿を現した瞬間、スタンドの一角から『リバーライト!』『ここでもあの重い走りを見せてくれ!』という、野太く熱狂的な声援が飛んできた。

 

(……すごい。本当に、私なんかが、ここにいるんだ)

 

 私が乾いた冬の芝の感触を足の裏で確かめていると、不意に、すぐ隣にスッと気配が並んだ。

 

「……来たな、姉貴」

 

 横を向くと、そこには私の妹、パロールが立っていた。

 彼女が纏うのは、私のビリジアンとは少し違う、若葉のように明るく鮮やかな緑色の勝負服。白の星と、赤い二本線の意匠のジャケット。

 こうして並んで立つと、私たちが姉妹であることが誰の目にも明らかだった。スタンドのファンたちも、二つの緑色の勝負服が並び立ったことに気づき、さらに大きな歓声を上げている。

 

「マキちゃん……。うん、来ちゃった」

「泥がなくて残念だったね。今日のターフは、空を飛ぶには最高のコンディションだよ」

 

 マキちゃんは、勝気な笑みを浮かべながら、ターフの上で念入りなストレッチを始めた。

 その動きは、どこまでも軽やかで、美しい。

 足首のバネを確かめるように、その場で軽くリズミカルに飛び跳ねる。トン、トン、と芝を蹴るたびに、彼女の身体は重力を無視したようにふわりと宙に浮き、エリート特有のしなやかな筋肉が躍動していた。一切の無駄がない、空を舞うための完璧な準備運動。

 対する私は、マキちゃんのその軽やかな跳躍の横で、全く正反対のストレッチを始めた。

 足を大きく前後に開き、腰を深く、深く沈め、足の裏全体でターフを削るように強く踏みしめる。

 グッ、グッ、と分厚い太ももの筋肉に極限まで負荷をかけ、大地に根を張る巨木のように、自らの身体を重く、より重くしていく。

 私が深く踏み込むたびに、冬の乾いた芝がミシッと音を立て、私の巨大なトルクを受け止めているのがわかった。

 

「……ふっ。姉貴のストレッチ、重そうに地面を踏むんだね。芝が潰れて無くなりそうだ」

「マキちゃんのこそ、そのまま空に飛んでいっちゃいそうなくらい軽いじゃない。……ちゃんと地上に降りてきなさいよ?」

 

 私たちは、お互いの準備運動を続けながら、視線を合わせずに言葉を交わした。

 同じ色を背負いながら、全く違うウマ娘としての在り方。

 天才の若葉と、不器用な深緑。

 互いの生き様をターフに刻みつけるような、無言の激しい火花が、二人の間に散っていた。

 やがて、中山レース場に、有馬記念の特別なファンファーレが高らかに鳴り響いた。

 10万人の観衆による、地鳴りのような手拍子。

 私を含む16人のウマ娘たちが、ゆっくりとスタート地点へと移動を始める。

 冷たい空気がビリビリと震え、私の心臓の鼓動も、いよいよ最高潮の回転数へと達していく。

 私は深く息を吸い込み、冬の冷たく研ぎ澄まされた空気を、肺の奥底、エンジンの燃焼室へとたっぷりと送り込んだ。

 

「……勝つのはアタシだ、姉貴」

「……私だって、絶対に負けない」

 

 ゲートへ向かう直前、マキちゃんが私に向けて拳を突き出した。

 私は、その小さな、けれど圧倒的な才能の詰まった拳に、自分の拳を力強く打ち合わせた。

 それぞれの枠番へと分かれ、順番にゲートの中へとおさまっていく。

 金属の冷たい枠が、私の身体の左右を挟み込んだ。

 薄暗いゲートの中。視界が前方のコースだけへと極端に狭まる。

 ターフの先には、中山の急坂を含む、過酷な2500mの長丁場が待ち構えている。

 

(回れ。私のスクリュー)

 

 私は、足の裏で芝を強く踏み込み、クラッチを繋ぐように全身の筋肉を硬直させた。

 隣のゲートから、マキちゃんの軽やかな呼吸が聞こえる。

 

 ——ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。

 

 私の胸の奥で、重厚なエンジンが、かつてないほどの威圧的な重低音を鳴らし始めた。

 一年の総決算。有馬記念。

 すべてが解き放たれるスタートの瞬間へ向けて、静寂と熱狂が交差する数秒間が、今、永遠のように引き伸ばされていた。

 

『さぁ、各ウマ娘ゲートイン完了。暮れのグランプリレース、有馬記念』

 

 実況が聞こえる。そして。

 

 ——ガコンッ!

 

 ゲートが開き、全員がその決戦の舞台へと飛び出した。

 




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