偉大な君が幸せになるまで 作:エクレア
それは酷く、見慣れてしまった光景だった。
「ぼ、僕は!! 世界で一番……い、偉大なウマ娘に、なりたいです……っ!!」
トレーナー室に入ってきたシュヴァルは一頻り話した後、俺の目を見てそう言った。
息が絶え絶えになりながらも、次に出したい言葉を考えて、シュヴァルは声を絞り出す。
「トレーナーさんが、よければ……僕と、僕と一緒に……走ってください……っ!」
俺と一緒に走りたいと、シュヴァルはそう言ってくれる。
否定する言葉を出す気はなかった。出す必要がない。
「もちろん。君なら絶対、夢を叶えれるさ」
「……っ! ぜっ、たい……ですか?」
「うん、絶対」
シュヴァルの目を見て、俺は誓った。
当のシュヴァルは恥ずかしくなったのか、帽子で自分の顔を隠してしまっていた。
少し距離を詰め過ぎてしまったか、なんて思ったけど、それは杞憂に終わって。
「その……よろしく、おねがい……しますっ!」
また俺の目を見てくれながら、シュヴァルは言った。
「……ふふ、よろしく」
俺もまた、応える。
背中に這いずり回る、罪悪感を無視して。
♢♦︎♢♦︎♢
この摩訶不思議なことに気付いたのは、シュヴァルがジャパンカップで負けてからの出来事だ。
あのレースは勝てたレースだった、シュヴァルには勝てる要素が全て揃っていた。
負けた原因は完全に俺のせいで、原因はキタサンブラックの力を侮っていたからだ。
秋天後、ピークアウトを確かに迎えていたキタサンブラックが、シュヴァルに勝てるわけがないと、そう勝手に判断してしまったんだ。
実際は違った。
ピークアウトを迎えても尚、キタサンブラックの身体能力は異次元の域にいた。
完全にノーマークにしてしまえば、幾ら先行策のシュヴァルと言えど追いつけないのは必然。
俺の指示のせいでハナ差、キタサンブラックに手が届かなかったんだ。
歓声に包まれたキタサンブラックを他所に、敗者たちは暗い地下バ道へと進んでいく。
その中にシュヴァルの姿があったのが、これが夢ではなく現実なのだと嫌に証明してくれた。
地下バ道で遠目に見えたシュヴァルは目を腫らしていて、呼吸も酷く乱れていて。その姿を見た時、この先消えることのない罪悪感が、俺の背中に張り付いた。
「シュヴァル……」
静かな地下バ道だったんだ、俺の声にシュヴァルは耳を立てて、俺を見た。
直後、蛇口を捻ったかのように大粒の涙を流して、覚束ない足取りでシュヴァルが近づいて来る。
ただ謝るためだけに、脚を震わせながら。
「トレーナー、さん……う、ひっぐ、ごめん、なさいっ!! 勝てるって、言ってくれたのに! 僕が弱いせいで……弱くって、ごめんなさいっ!!」
「シュヴァル、大丈夫……大丈夫だから……!」
止めどなく溢れる涙が、シュヴァルの頬を濡らし続ける。
嗚咽に混じった、今にも張り裂けんばかりの悲鳴が罪の意識を強くする。
俺のせいだ、俺が余計なことをしなければ。
俺が驕らなければ、シュヴァルをこんなに悲しませることはなかった。
「ぼく、僕……信じて、もらってた、のに……っ!!」
「落ち着いて、今は深呼吸をするんだ! 大丈夫……次は」
壊れそうなシュヴァルを抱き締めて、そう言おうとして……喉が閉まった。
次は勝てる?
俺は今、そう言おうとしたのか?
俺がシュヴァルを負かしてしまったのに、勝てる確証なんてないのに?
俺が驕り昂ったから、現にシュヴァルはこうなってるんじゃないか。
「次は……大丈夫だ」
この子に初めて曖昧な言葉を使った、使ってしまった。
俺が逃げてはダメなのに、逃げてしまった。
この日から、俺はずっと逃げてしまったんだ。
自分の責任から逃げて、シュヴァルの夢からも逃げてしまった。
心の何処かで、きっと自分は誰かを導けるぐらいには強いと、そう思ってしまっていた。
砕ける。
積み重なった自信が、砕け散る。
俺を作っていた全てが、砕けて壊れる。
その日から、俺はレースが嫌いになった。
自分には何の才能もないと自覚した。
残ったのは、罪悪感だけだった。
「俺の、俺のせいで……」
あの日のことを考えないようにはしていた。
シュヴァルは前を向いていたし、俺はその背中をいつも通り押してやっていた。
ただやっぱり、どうしてもあの時の記憶が何度も繰り返されるんだ。
繰り返される度に、自分を責めてしまう。
あの時あんなことをしなければ、シュヴァルは勝てていたんじゃないかって。
何度も、何度も何度も責め立ててしまう。
「お前がいたから……シュヴァルは負け」
もう一度責め立てようとした瞬間、けたたましい音が鳴り響いた。
耳をつんざく高い音に苛つきを隠さず、つい顔を顰めてしまう。
音の主はトレーナー室に置いてある、やけにレトロな目覚まし時計だった。
(設定はしてないはずだが……)
なんて思いながら、目覚まし時計のボタンを押す。
しかし、音は鳴り止まない。
何回押しても、音は止まることを知らなかった。
「……ッ!!」
溜まりに溜まっていたんだろう、こんな些細なことで、怒りが爆発してしまった。
目覚まし時計を手に取って、俺は怒りのままに地面に叩きつけた。
音は鳴り止んで、代わりに自分の心音が酷く煩くて。
溢れ出てくる怒りが抑えられなくなりそうな、そんな時だった。
「う、お……!?」
不思議な感覚が、俺の体を包み込んだんだ。
言い表しようのない感覚で、無理に言ってしまえば宙に浮いている、とでも言えばいいのか。
とにかく不思議な感覚だった、時間にしては数秒にも満たなかったと思う。
その感覚が離れた直後、その場に膝を突いてしまう。
「クソ……なんなんだ、今の……」
立ち眩みとは言えない、本当に得体の知れない何か。
自分の体調不良が原因のもので起こるものじゃないと、そう確信できる感覚だった。
(とりあえず時計を片付け……て……?)
違和感。
今までにない違和感が、俺を襲った。
そこにあったはずの壊れた時計が、なかった。
それどころか、壊れたはずの時計が元通りになっていたんだ。
散らばっていた机だって、小綺麗にまとまっている。
現状の理解が追いつかず、俺は衝動でスマホを開く。
「な、は……?」
数字は、三年前の日付を記していた。
逆行してしまったんだ、俺は。
♢♦︎♢♦︎♢
それからは何度も逆行を繰り返した。
逆行を発生させるには、あの時計を破壊するのが条件、そんな簡単な条件だけだった。
シュヴァルが負ける度に、俺は何度も時計を壊した。
最初はジャパンカップを勝つまでだったが、そこを勝つだけではシュヴァルは幸せになれないと俺は悟った。
俺が不幸にした分、シュヴァルを幸せにしなければならない。
俺が驕った分、シュヴァルを偉大にしなければならない。
その呪いにも似た執念が、俺を突き動かしたんだ。
まず、シュヴァルをジュニア期の王者にさせることを目標にした。
成長が遅めのシュヴァルにはややキツかったが、元々の身体能力は世代でもトップクラス。勝つのにそう時間はかからなかった。
その次はクラシックの一冠を捥ぎ取るのに狙いを定めた。
単刀直入に言うと、俺はここで何度も逆行を繰り返した。
何せ、シュヴァルの同期にはあのドゥラメンテがいたんだから。
一回目の皐月賞はスピードが足りずに敗北。
位置取りも何もかも完璧だった、ただドゥラメンテの才能にゴリ押しをされただけだ。
ならジュニア期からスピードトレーニングを積みまくって、そこで技術で押し切ればいい。
試行回数は五回以上になったが、この考えは正しかった。
ちょうど十回目を節目に、シュヴァルは世代最強と謳われたドゥラメンテに勝ってみせた。
シュヴァルには才能があるんだ、この子はまだこんなものじゃない。
ダービーだって、シュヴァルなら取ってみせれる。
そう思った矢先だった。
過度なトレーニングが祟ってしまい、脚に怪我を負ってしまったんだ。
幸い走ることはできるが、クラシックは全休だと診断された。
ダービーに向けて、あんなにもシュヴァルは頑張っていたのに。
また俺は、シュヴァルは不幸にした。
時計を壊す。
元に戻る、そしてもう一度彼女と出逢う。
次はどうすべきか、何が最適解なのか、必死に思考を巡らせる。
シュヴァルの脚に最小限の負担で済むトレーニングを、シュヴァルが最も得意とする走りは何かを。
何回も試行錯誤を繰り返しては時計を壊し、徐々に答えへと近づいていって。間違いなく終わりは見えているのだと、そう自覚できるぐらいには、最初の頃と比べて勝率も上がっていた。
最たる壁はドゥラメンテとキタサンブラックだ。
特にドゥラメンテが持つ身体能力の高さは異次元だ、どれだけ完璧な作戦でも負け筋があるぐらいには。
キタサンブラックのレースセンスも、恐らくこの世代なら一番と言っても過言ではない。
ピークを迎えたキタサンブラックの強さは、はっきり言って手がつけられないんだから。
裏を返せば、その対策すべきところが目に見えているのが彼女たちの弱点だ。
スピード能力で負けるなら、最低限トップスピードを維持出来るスタミナを確保すれば勝機は高まる。
レースセンスで負けるなら、要となるスピード能力を高めればいい。
勝てる道筋はあるんだ、無理だと諦める前に何度もやらなきゃ分からない。
可能性とはそういうものだ。
「……なんて思っても、キツいものはキツいな」
可能性である以上、実際にやってみるとその労力は計り知れないものだ。
もう何百回も繰り返したんだ、それでも完璧にレースを勝てたことが未だにない。
こればっかりは運もあるが、何より俺の指導能力の低さも必ず関わってきている。
限りなく最適解に近い選択はできてる……と思いたいが。
「どうしたもんかなぁ」
正解は未だに見つからない。
先を見過ぎでも気をやられてしまうだけだ。
とにかく現状を見て、少し先の対策をしながら指導をすればいい。
それが、俺自身にできる最適解なんだから。
シュヴァルグランは
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