エアコア・ドリーム   作:甲乙

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【R2】Howling Hounds
揺籠


 

 遠吠えが聞こえる。

 雨に濡れた静寂、その彼方から。

 あの暗い静寂こそが我らの恐怖。あの雨こそが我らの誓い。

 終わりの時にこそ魂は凪ぎ、故にその時まで涙は見せるな。

 立ち上がれ、恐れも誓いも我らは血で分けたのだから。

 

 あぁ、遠吠えが聞こえる。

 我らの誓いの時がそこに。

 

 

 

 ▼△▼△

 

 

 

「お前たちに、意味を与えてやる」

 

 暗く永い、無為な静寂から我らを引き上げたあの人は、最初にそう言った。

 意味。我らには縁遠い言葉だ。

 第4世代強化人間の中でも後期ナンバーにあたる我らは、処置が完了した時には既に第5世代の施術が始まっていたのだという。我らは、生まれた時から旧式だった。ならば早々に使い捨てられるか廃棄されるかと思えば、我らにはまた別の価値があった。不運にも。

 C4-617――つまり私から数えて五体、617から621までのナンバー全ての施術が成功したという希少性。第1世代より遥かに成功率は上がったとはいえ、それでもようやく五割に届くかどうか。そのような確率を連番でくぐり抜けた我らは、「標本」として保存されることになったのだ。

 あの暗い静寂を、今でも覚えている。

 黒。ひたすらの黒。時折そこに走る紅。生体機能を凍結され、何も見えず何も聞こえず、指先ひとつ動かせず。だが脳に埋めこまれたコーラルだけが蠢いていた。起きているのか眠っているのか、生きているのか死んでいるのか。全てが曖昧なまま、時間だけが過ぎていく。それは完全な無為だった。そこには何の意味もありはしなかったのだ。

 だから、こそ。

 

「今この時から、お前達は俺の猟犬になる。拒否権は無い」

 

 意味を手に入れられるというなら、それは何でも良い。誰でも良い。

 

()()()――仕事の時間だ」

 

 その時はまだ、そう思っていた。

 

 

 

 ▼△▼△

 

 

 惑星ウーゾ。俗に「ルビコン星系」とも呼ばれる惑星群の内の一星に、我らはいた。

 あの人――ハンドラー・ウォルターと名乗った男の目的は知らず、また教えられてもいないが、旧世代型の強化人間を買い取って行うことなど、きっと後ろ暗いものでしかないだろう。何かの実験に使われるか、あるいは使い捨ての駒にされるか。だが我らに待ち受けていた運命は、そうではなかった。

 まずは治療、そして調整、最後に訓練。標本として保存されていた我らは無理な解凍のせいで少なからず疲弊していた。あの人はまず何よりも先に、その治療を我らに施したのだ。

 

「経過はどうだ」

「また来たのか、ハンドラー・ウォルター。……順調だよ、特にそこの617がな」

 

 強化人間を乗せる手術台ではなく、人間を寝かせる寝台。その上で治療を受けはじめて何日が経ったか。確かあの人の面会が三度を超えたあたりで、我らの中では私がもっとも早く寝台を下りることができた。

 我ら。そう私には同類がいる。C4-618、C4-619、C4-620。本当はもう一人いる筈だったが、解凍処置に手間取っているらしい。一つだけ空いた寝台を眺めるあの人を眺めていると、不意にこちらに顔を向けた。

 暗く凪いだ、深い瞳が私を見下ろす。

 

「今はまだ休め、617。お前たち全員が揃ってから次の段階に入る」

 

 私は言葉を返せず、私の返事も待たないまま、あの人は我らに背を向ける。杖が床を突く音を聞きながら、私はその背中をじっと見つめていた。

 

 

 

 ▼△▼△

 

 

 

 あの人が言う次の段階――我らの調整が始まった。だが調整とは言っても、それは私には。

 

「お前に調整の必要は無さそうだな、617」

 

 あの人の言葉に、どこか安堵のような響きを聞いた気がする。

 我らは全員が同じ第4世代ではあるものの、その強化段階には大きな隔たりがあった。私はレベル1、つまりは最も段階の「浅い」強化人間であり、時折に聞こえる耳鳴り以外は目立った身体障害も無い。四体の中で私が最初に立ち上がることが出来たのも、それが理由だ。

 

「なら、お前には一足はやく働いてもらう」

 

 深い瞳で促されるまま視線をやれば、そこには未だ寝台に横たわる同類の姿が。

 C4-618は私の一つ違いのナンバーではあるものの、施された手術は大違いだ。レベル3、私とは比べものにならない程の「深い」施術は、その体から()()()()()()を削ぎ落とすことで行われる。神経接続によるACの操縦に特化し、代償に運動神経を削除(オミット)されたC4-618は自分の意思で体を動かすことはできず、全身に巻かれた保護材も剥がせないまま。男なのか女なのかすら分からないその姿は、ある意味では完成された「部品」だった。

 だが繊細な部品には、それ相応の整備が必要となる。

 

「最初の仕事だ。618の世話をしてやれ」

 

 それは、非常に合理的な判断だっただろう。残る二体――C4-619および620はレベル2。C4-618ほど障害は重くないが、私ほど軽くもない。最近になってようやく容体も落ち着いたところで、まだまだ自分の事で精一杯に見える。ならば私に、もっとも手のかかる者の世話をさせようという訳だ。

 

「――了解」

 

 あの人がはじめて私に仕事を命じ、私がそれに従う。その日その時の事を、私は決して忘れないだろう。残滓のような過去などよりよほど、私には忘れがたい記憶だったのだから。

 きっと、最後まで。

 

 

 

 ▼△▼△

 

 

 

「調整」の時が過ぎていく。それはただ寝台で眠っていれば良かった治療の時よりよほど長く、そして多忙を極めた。

 何故か? 私が世話をする対象が一人ではなかったからだ。話が違う。

 

「620、意味も無く廊下を走るなと、私はそう言わなかったか」

「……」

「忘れたならもう一度言おう。廊下を、走るんじゃない」

「……ぁぃ」

「復唱っ!」

「おうかぁ、あいやなぃ!」

 

 よし!

 いや良くはないが、この馬鹿(620)には上出来だろうか。すごすごと去って行く620がまた走り出さないか見届けた後、私は床に散乱した器具を見て嘆息した。

 事は数分前。廊下の陰から飛び出してきた620が私に衝突し、押していた台車ごと器具を床にぶちまけた後で逃走を図った下手人を追跡・捕獲・説教して今に至る。もう一度だけ嘆息してから器具を拾い集める私の元に、キリキリと車輪の鳴る音が近付いてきた。

 

「ん」

「あぁ、悪いな619」

 

 車椅子に座りながら手を出してくる619。かすかに震える掌に器具を渡せば、ゆっくりとそれを台車に戻していく。私が自分でやった方が速いが、619に任せることにした。運動療法(リハビリ)も大事だ。

 619と620、共にレベル2であるこの二人は、だが対称的でもあった。619は精神的には非常に安定しているが、身体能力の劣化が著しい。620はその逆、身体能力に問題はほぼ無いものの、精神と知能は子どものように未熟で、何より幼かった。

 

「げげ元気なのわはい、い、こと」

「その元気を、他の事に役立てもらいたいものだが」

 

 吃音のひどい口調で穏やかに語る619に礼を言い、台車を押して隣の部屋に向かう。我らに与えられた個室より遥かに広い大部屋。だがその面積のほとんどが、多種多様な機材で埋め尽くされた部屋だった。

 

「調子はどうだ、618」

 

 返事は無い。あった事も無い。ただバイタルを測定する機器と人工呼吸器がたてる音だけが、彼あるいは彼女の生存を示していた。見慣れた618のその姿は、私がはじめて見た時から何ひとつ変わっていない。

 いつもの様にバイタルの数値を記録し、栄養剤といくつかの薬剤を点滴に繋げる。枯れ枝のように軽く細い体を慎重に動かし、無理のない程度に体位を変える。そのまま手足の関節をゆっくりと動かしてやっているあたりで、カツリと杖が鳴る音を聞いた。

 

「ずいぶんと慣れたようだな」

「! ハ」

「あハんどらあっ!」

 

 いつの間にか入り口に佇んでいたハンドラー。私の言葉を遮るような声とタイヤの擦過音。額に手をやりながら顔を向ければ、案の定620が部屋に飛び込んできた。押されてきた619が車椅子から落ちそうになる程のスピードで。

 お前(619)も少しは抵抗しろ。そしてお前(620)はさっき私が言った事をもう忘れたのか!

 

「ひささぶりれでです、はハンドララ」

「ハンもがが!」

「全員、問題はありません。ハンドラー」

 

 ハンドラーに飛びつこうとした620を引っ捕まえてヘッドロックを極めながら近況を報告する。内容としては618の容体が三割、619の身体トレーニングの経過が三割、後の四割は620の被害報告とその後の指導といったところだ。黙って私の話を聞いていたハンドラーの顔はいつも通り鉄のようでいて、微かに笑みらしき影を掠めた気がする。

 だが、彼自身がその影を振り切るように表情を固めた。

 

「……調整はもう、充分なようだな」

 

 水底のように重い声だった。

 私は考えるより前に姿勢を正し、あれだけ騒がしかった620も大人しくなる。視界の端で、619が車椅子の上で背筋を伸ばしている姿が見えた。618だけが、何の反応も返さない。

 

「次の段階に入る」

 

 胸の内から沸きあがった微かな情動。生身のままの心臓が一度だけ強く脈動した瞬間を、私は確かに感じていた。

 

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