あの日から幾ばくか経ち、ルビコンへの密航を目前とした頃。その日、拠点を訪れたハンドラーはどこか複雑な表情をしていた。
「良い報せと、悪い報せがある」
……どこかで聞いた事のある台詞だなと、おそらく我らの皆がそう思っていただろう。
「えーが! えーがみたいハンドラー!」
「くふへ、いいいニュース、わるれいニュースぶふふ……っ!」
はしゃぐ620と、堪えきれず噴き出す619。ハンドラーに対して失礼もいい所だが、内心で同じ事を考えていた手前、私も二人を咎めずにいた。
擦り切れた私の感性を以てしても、ハンドラーは有り体に言って男前だろう。鉄のような顔には年齢の数だけ皺が刻まれていても、若かりし頃はさぞ女に持て囃されたのではないだろうか? 芯のある立ち居振る舞いもあって、今でも過去の映画俳優たちに引けをとらずは――
頭を振って余計な思考を振り払う。
「……どちらから聞きたい、617」
「……では悪い
場の空気に乗ったのかそうでないのか、台詞の続きを口にするハンドラー。けらけら笑う馬鹿ふたりの頭に私が拳骨を落としてから、ハンドラーはブリーフィングシステムを起動した。
曰く、我らの密航に利用する予定だった宇宙港が使えなくなった。そこは後ろ暗い者たちでも金次第で発着できる半ば非合法の場だったが、そのすぐ近くで惑星封鎖機構が新たな監視網を敷いたのだ。だが今から別の当てを用意するには時間がかかり過ぎる。よって。
「今ならまだ封鎖機構の戦力も整っていない。ハウンズ全機で強襲をかけ、監視基地を破壊する」
我らの間で沈黙が張り詰めた。企業に対して武力鎮圧も行う封鎖機構は当然、強大な戦力を有している。小規模な基地とはいえ、その防衛力は並の企業を上回るものだろう。あれから幾度も実戦による訓練を重ねたとはいえ、我ら三機だけで果たせるミッションだろうか。
だがハンドラーの話には続きがあった。
「防衛戦力の要はこのレーザー砲台だが、まだ建造中だ。発射できる状態ではないだろう」
更に、同じ宇宙港から物資を輸送しようとしていたベイラムが封鎖機構の補給線に攻撃し、砲台の完成を妨害している。ハンドラーは「ある伝手」からその情報を得たらしい。
つまりこの作戦は早さが命だ。封鎖機構がレーザー砲台を完成させる前に、一刻も早く決行しなければならない。
「……それで、良い報せとは」
どちらにせよ厳しい戦いとなる。重苦しい空気を少しでも和らげようと、強引に話題を変えた。そんな私の意図を察してくれたのか、いつになく柔らかい口調でハンドラーが告げる。
「621の解凍が終わった」
まず皆が沈黙した。数拍おいて620が飛び跳ね、ぱちぱちと619がゆっくり拍手する。私は深く、安堵の溜め息をついた。
「いもーと!? おとーと!? ハンドラー!」
「分からん。621には性別のデータが無い」
「いいつにななりれそうで、すかハンドララ」
「あぁ、それなんだが……」
作戦の決行が早いほど成功率は上がる。そしてその後もまた速やかにこの惑星を発たなければならない。よって。
「621の回収と密航の準備は俺が進める。その間に、お前たちだけで作戦を行え」
「それは……っ」
今までの実戦訓練では、常にハンドラーがオペレートしていた。今回はそれが無いという事。戦場を俯瞰し、常に的確な指示を与えてくれるハンドラーの存在は戦術的な意味でも精神的な意味でも、我らの大きな助けとなっていた。
それでも、いやだからこそ、いつまでもそれに甘えてはいられない。それは分かっている。
「……了解」
それでも私は、足元から這いあがるような不安を感じずにはいられなかった。
▼△▼△
ガレージの扉を開けると、目の前にハンドラーがいた。思わず声をあげそうになる。
「し、失礼」
「あぁ、いや、構わん」
既に深夜だ。619はいつもと同じ時間に寝入り、無駄に夜更かしする620を寝台に叩きこんだ後、どうにも眠れず少し出歩いていたのだが。
「眠れないのか」
「い……はい」
反射的に否定しそうになったが、ハンドラーにはお見通しのようだった。そう頻繁に顔を合わせる訳でもないのに、我らの事を本当によく見ているのだ、この人は。
「ふむ」と何かを思案するハンドラーからは苦い煙の匂いがした。紙煙草を吸っていたのかもしれない。
「ここで待て」
と、そう命じてハンドラーはガレージを出ていく。私は、ただ待った。
視線を上げれば並ぶ四機のAC。最初は全て同じ構成だった我らの機体も、今では随分と様変わりした。幾度かの実戦を経て、各々の適性を反映した結果だ。
安定した精神と広い視野を持つ619には、後方からの支援砲撃を重視した武装を。高い操縦適性を持つ620には、機動力を活かせる武装を。そして私は、それらの穴を埋められるよう汎用性の高い武装を。内装もそれぞれの役割に適した物に換装してある。機体自体のフレームに変更は無いが、連携する以上は機体速度の足並みは揃えた方が良い。
それにまあ、620の言葉を借りれば「おそろい!」だろうか。619はそろそろ何か色を塗りたいとも言っていた。確かにルビコンで独立傭兵として活動する以上、名を売るためにも目につくカラーリングの方が良いかもしれない。だがあまり派手にしては実戦で支障が……。
「待たせたな」
聞き慣れた声に思考を中断する。ACから視線を戻せば、湯気のたつカップを二つ手にしたハンドラーがいた。その内の一つを受け取る。
「ワイン……?」
「合成品だがな」
鼻を掠めた湯気からは人工的な甘い香りがした。ゆっくり啜ると、胃に落ちたホットワインの熱と酒精がじわりと全身に染みわたる。同じ物を傾けるハンドラーと並び、しばらく無言でACを眺めていた。
「今更だが」
ぼそりと呟くような声に視線を向ける。鉄のような横顔は、普段と何も変わらない。
「お前に酒を呑ませて良かったものか」
「……強化人間に年齢など無いでしょう」
世代や個体にもよるが、強化人間は処置された時点で成長と老化を抑制されることが多い。体の何割かを人工物に置き換える以上、生身の部分はなるべく変化させない方が都合が良いのだ。そのため外見の年齢などまったく当てにできず、まして我らは数十年を凍結されて過ごし、処置前の記憶もひどく曖昧ときている。実年齢も外見年齢も精神年齢も、全てが意味を成さないだろう。
そう語れば、珍しくハンドラーは笑いに似た声を漏らした。
「だが、俺より年下であることは確かだな」
「そうとも限らないのでは」
「――いいや」
聞き慣れた低い声。凪いだ水面のような。だがまるで水底に何かを沈めたように、ひどく重苦しい。
「俺より後に生まれた筈だ。強化人間なら、絶対に」
みし、とハンドラーの手の中で金属製のカップが軋む。いつになく感情的な様子は酔いの為なのかもしれない。そして私も思考の
何故、あなたは我らを買ったのか。何故、わざわざ旧世代型の強化人間を選んだのか。何の為に、コーラルを手に入れるのか。いったい何が、あなたをそこまで駆り立てるのか。
ハンドラーの深い瞳が私を見ていた。そうしてからやっと、私は全ての疑問を口に出してしまっていた事に気付いたのだ。
「ひとつだけ……答えておこう」
不躾な問いを咎めることもなく、ハンドラーはガレージの天井を見上げた。あるいはその先の夜空、更にはそのずっと彼方の、ルビコンを。
「ルビコンは、俺の故郷だ。そして俺はそこに戻らなければならない。何を踏みにじってでも。
今までずっと……その為に生きてきた」
これからも、とそう言外に語るような声で。
「……喋り過ぎたな、もう休め」
空のカップを奪われ、部屋に戻るよう命じられる。緊張は相変わらずだが、体は内側から温まっている。酒精の助けもあって、今なら自然に眠れそうだった。
「明日の作戦……」
ガレージを後にしようとした私にハンドラーが呼びかける。深い瞳は、常と変わらずに凪いでいた。
「指揮は任せたぞ617。お前の判断が、俺の判断だ」
「だから迷うな」そう続けるハンドラーの瞳を見返して、私は。
「――了解」
最初の仕事を命じられた時と同じように、私は。
▼△▼△
灰色の空を輸送ヘリが飛んでいく。自動操縦で作戦領域へと向かう機体の下には、吊り下げられた三機のAC。ローターの立てる風切り音も振動も、閉鎖されたコクピット内にはさほど響かない。だが静かかと問われれば、答えは否だった。
「おとーと! おとーとがいい!」
「いももうとでもいいいと思う」
既に何度も繰り返された会話を続ける619と620。新たなハウンズ――621の性別を予想しているようだが、この二人は618の姿を忘れたのだろうか? おそらく、きっと621も似たようなものだぞ。……と、そう言ってはみたのだが。
「? 618は、ねーちゃん!」
「? 6いちぇ8は、あ兄だた」
……お前達の観察眼はいったいどうなっているんだ。最も世話をしていた私でさえ、618が弟なのか妹なのか遂に分からなかったというのに。弟だやれ妹だとまた加熱しだした二人の通信音量を絞りながら、私は通り過ぎていく雲だけを眺めていた。
作戦が終われば、明日にはこの惑星を発つ。ここにまた戻る事は無いだろう。特に何か愛着がある訳でもないが、二度と戻らないと思えば感傷も湧いてくる。記憶にもデータにも私の出身星がない以上、ここが私の故郷ということになるのだから。
……いや、違うな。私の故郷は。
「617! 617はどっち!?」
「ろ617はどどちだと思う?」
まだその話をしていたのか! もうすぐ作戦領域だというのに、こいつらは……!
手術の後遺症とは別の耳鳴りを堪えながら、私は戦闘モードを起動した。予告なしに全機をヘリから切り離し、二人分の悲鳴が通信に響く。
「どっちでも良い! 弟でも妹でも、621はハウンズだ」
そう、我らは同じもの。過去に何者であろうと、今の我らは同じ戦場を駆ける猟犬だ。
そして、ここが。同胞と共に駆けるこの戦場こそが。
《メインシステム 戦闘モード起動》
きっと、私の故郷なのだ。