「メリメリメリ! 久しぶりメリね独立傭兵レイヴン!
次の客はやはり企業の者だった。企業の者だったが、まさかこの忘れたくても忘れられないような怪人物だとは……。
「……そんな顔をするな621。しつこくて追い返せなかった事は謝ろう」
『今からでも遅くありませんね。言ってくだされば私のブーストキックが火を噴きますよレイヴン!』
思わず目をやってしまったウォルターからは目を逸らされ、エアの操る医療ドローンは威嚇するようにタイヤを唸らせている。あまり人前で動かしすぎると怪しまれそうだが。
そんな621達の姿を気にした様子もなく怪人物――メリニット社員は相変わらずのテンションでまくし立てて来た。既にもう帰ってもらいたい気分だ。グレネードは懲り懲りなのである。
「
捨てたというか売ったのだが、これでもしまだ持っていたらどうなっていたのだろうか。そしていったい何の用なのだろうか。ソングバードの炸薬をこっそり減らした暴挙を、621は未だ許してはいないのだが。
「過ぎた事を気にしていると損するメリよ? 企業らしく傭兵らしく、ドライにビジネスライクにやっていくのがクレバーな大人というものメリ」
きっとまた碌でもない用件で来たのだろうと警戒心を募らせる621を後目に、だがウォルターとエアは何故か歓迎モードだ。何故だか。
「報復に来たわけでないなら構わん。……ところで、バズーカのカタログはあるか?」
『ほらほらフィーカをどうぞ、お客様。何だったら安売りしてくれても良いのですよほら』
どうやらウォルターは未だハウンド5を重装化する事を諦めていないらしい。グレネードが駄目ならバズーカでということだろう。たしかにグレネードよりは安く済むが、それでもあんな高い弾薬費を払うだなんてとんでもない!
そしてエアは武骨なアームで器用に給仕しているが、いくらなんでもバレそうだからそろそろ大人しくしてほしい。
「お宅のドローンは高性能メリねぇ……。まあバズーカの話は後でするとして、本題メリ。
ずばり今日は、新製品の売り込みに来たメリよ!」
新製品? 現状の機体に満足している621はその辺りの話題にも疎いが、それでも情報収集の際に目に入ってくることはある。最近でいえば、
「聞いて驚くメリ! なんと我がメリニット社は、
「帰ってもらおうか」
『お帰りください』
帰ってほしい。切実に。
変態に変態をかけても出来上がるのは更なる変態に違いないのだ。右回りの変態と左回りの変態が神秘的邂逅を果たしたとして相殺する事などあり得ず、そこに在るのはどこまでも冒涜的で宇宙悪夢的な変態でしかない。特別な知恵など無くとも分かることである。
「まあまあ話だけでも聞いてみるメリ! ――飛ぶメリよ」
何が?
「コンセプトは“爆発と空力の融合”メリ!
その為にフレームから構造を見直し、機体そのものを砲身にし、ゆくゆくは
バカン! という音と共にメリニットの姿が消える。ウォルターが手元の端末を操作した直後、足元の床が抜けて深い穴底へと落ちていったのだ。さすがはRaDの中央氷原支部、なんでもありである。
『溶鉱炉まで続いているそうですが……様子のおかしい人ですから大丈夫でしょう』
大丈夫だろう、様子のおかしい社員だから。
▼△▼△
休む間もなく次の客が訪れる。傭兵として名が売れることは歓迎するべきなのだろうが、こうなるとべリウス地方で暇を持て余していた頃が懐かしくなってきた。転機はやはり「壁越え」で、あの大仕事を終えてから621の評価は右肩上がりだ。それ以前は「木端」だの「駄犬」だのと――
「久しぶりですね
長々とした口上と共に現れたのは、アーキバスの制服を纏った一人の男。いかにも神経質そうな表情と、やはり神経質に整えられた髪。強化人間特有の年齢不詳な顔立ちは、彼もまたアーキバスが擁する強化人間部隊の一員であることを示している。
そして最も特徴的な伊達眼鏡をくいと押し上げながら、その男――V.Ⅱスネイルは断りもなくどかりと椅子に腰掛けた。失礼極まりない態度ではあるが、あの時に渡した眼鏡を今でも着けているあたり律儀なものだ。
「……さすがはアーキバス、高貴で洗練された所作だ。ところでこのルビコン名物であるミールワーム漬けでも如何かな、第2隊長閣下殿」
『はーいお客さま特製フィーカが入りましたよー? 隠し味もたぁっぷりですよー?』
新鮮すぎてまだウネウネ動いているミールワーム漬けの横に、だばだばだばだばとエアが溢れるほど注ぐフィーカは泥のような……いやまるで機械油のよう……というかむしろ機械油そのものに見える。二人とも本気モードの歓迎モードである。
非礼に非礼で返されたスネイルはビキビキと額に青筋を浮かべながらも、不敵な冷笑を崩さない。普段から苦労しているらしい分、自制心も相当に鍛えられているのだろうか。そして大方また何か皮肉でも言おうと口を開いた瞬間、入り口の扉が勢いよく開かれた。
同時に投げ入れられる、ズタボロな男。ドーザーの成れの果てにも見えたが、スネイルは眼鏡の奥で驚愕に目を見開いた。
「フロイト!? あなた何をしているのですか!」
フロイト。つまりはヴェスパーの
その答え合わせは、続けて入室してきた女性が不機嫌そうにしてくれた。
「邪魔するよウォルターとビジター。あとV.Ⅱ、眼鏡が似合っているようで何よりさ」
そう言いながら、同じく眼鏡ごしの視線で見下ろしてくるカーラ。それをまた伊達眼鏡の奥から睨み返して、スネイルが凄んで見せる。
「アレを暴行したのは貴女ですか、シンダー・カーラ。理由によってはアーキバスへの宣戦布告と見なしますが、いったいどういうつもりで?」
「後ろからいきなり抱きついてきて、“なぁ……AC戦しようか……”とかほざいてきやがったからヤキを入れてやっただけだが、何だい? 何か文句でもあるのかい?」
「誠に申し訳ありませんでした」
瞬間、スネイルが体を折り畳んで床に平伏した。ついでに転がっていたフロイトの頭も一緒に叩きつける、流れるような
「アーキバスのエースはとんでもない変人だとは聞いていたが、変態だとは知らなかったよ。ところでヴェスパーの実質的な頭はアンタだそうじゃないか。部下の
「はい仰る通りで弁解のしようもございませんこれも全て弊社のコンプライアンスに対する不徹底が原因でありまして今後は本人への厳重注意と共に再発防止に向けて社内全体の引き締めも並行して進めていく所存でありましてつきましては」
つらつらと謝罪を述べるスネイルを睥睨しながら、カーラは手にしたスパナをパン! パン! と掌で鳴らすことを止めない。噛みしめられた紙煙草といい、笑みの形に歪んだ唇といい、どう見ても
それにしても、武器もちとはいえ大の男を
「――いまACの話したか?」
むくりと起き上がる
話していないし、腫れあがった顔とか鼻血とか折れた歯とか色々と痛々しすぎるので寝ていてほしい。むしろずっと起きないでほしい。
「フロイト起きたならあなたも謝りなさい! 誰のせいでこうなったと思っている!」
「頑丈だねぇ、もう一発ぐらい食らっておくかい
「失礼な、俺はセクハラなんぞしていないぞ? ただ見かけた奴ら全員に
その直後、チャティの声で「卑猥な台詞を言いながら抱きついてくる不審者に注意しろ」という旨の放送が流れ、室内の空気はもはや氷原そのものだ。生身が脆弱な621には死活問題なので空調を上げてほしい。
冷たい視線と空気に晒されながらも、V.Ⅰは飄々と何の調子も崩さない。
「なあレイヴン、ひどいと思わないか? 俺は毎日ただ
「
謎の怒声と共に炸裂したブーストキック(生身)が顔面に突き刺さったフロイトは再び沈黙し、ぜえぜえと息も絶え絶えなスネイルがようやく席に戻った。疲れ切った顔であった。
「……たいへん、見苦しいところを」
「……いや、楽にしてくれ。水は飲むか?」
『そもそも何故つれてきたのですか……』
塩をかけられた
「随分と出来の良いドローンだ。これもRaD製ですか」
「そうなるな。だがカーラ、いつの間にこんな機能を付けた?」
「は? 私は何もしてないよ。あんたが改造したんじゃなかったのかい」
「む?」
「ん?」
【そろそろ用件を聞いても良いだろうか】
雲行きが怪しくなってきたので、急いでメッセージを送る。そろそろ本当に頼むからエアには大人しくしていてほしい。
何故だか最近、こうして自分の存在をアピールするような真似をするのだ。
「ふむ用件ですか……良いでしょう」
水を飲み干し、一息ついたところでスネイルが顔を上げる。押し上げられた眼鏡の奥に光る双眸は冷たく、そこにいたのは既にヴェスパーの酷薄な次席隊長だ。
「では単刀直入に。駄犬……いえレイヴン。アーキバスで働く気はありませんか」
すぅと、室内の空気が冷え割れた。
壁際に立つカーラの顔から笑みが消え、スネイルの対面に腰掛けたウォルターの瞳が鋭さを増す。エアからは、特に何の反応も見られなかった。
「……それは、
「
「既にV.Ⅸの席を用意してあります」と続けるスネイル。そして単純明快な要求に対する報酬は、やはりまた単純な物であった。
「お望みの話をしましょう。
それは、明らかに一個人に支払う金額ではない。冗談としてもあまりに質が悪く、そして目の前の男は冗談を口にするような人間でもなかった。
「一括で、前払い。あぁ勿論、ヴェスパーとして働けばその分の報酬もまた払いますよ。
――そして時にレイヴン。あなた、その体を治す為に働いているそうですね?」
好条件に次ぐ好条件。ここまで来れば、もはや脅迫に等しい。ならば次の言葉も自ずと予想できる。
ニイィ、と眼鏡の奥で歪む眼光が621を見た。
「
第10世代。つまりは現行最新型の強化人間。アーキバスでも数える程しかいないとされる、そんな存在に621が生まれ変わる……? そんな旨い話が、本当にあるものだろうか。
621の疑念が伝わったのか、スネイルは眼鏡を外した。先の騒動から律儀に着け続けている、本来なら不要な伊達眼鏡を。
「……私個人の本音を言えば、
だがしかし、口惜しくも、あなたの実力は本物だ。ならば受け入れますとも、それがアーキバスの為ならば」
ガラス越しでないスネイルの眼光は憎々しげに歪み、その奥には狂気的なまでの熱が見えた。野心、忠誠、または信仰。おそらくは、そういう類の。
それらを覆い隠すように、再び眼鏡を顔に押し当てて。スネイルは高らかに謳いあげた。
「さあ答えを聞きましょうか! 迷う余地など無いはずですよ、レイヴン!」
それは621が目覚めてから初めて抱いた欲求であり、そして何よりも渇望だった。
お金さえあれば、621は人に戻れる。何処にでも行ける。自由になれる。
その為にずっと、戦ってきたのだ。
今もそうだ。
だが今は、もう。
「621」
思考を遮る、凪いだ水面の声。621の隣でも対面でもなく、側面の席に座るウォルターの声はいつもと何も変わらなかった。頑ななまでに。
「そもそも、俺とお前は金の関係でしかない。より待遇の良い雇用主の元に行きたいというなら、俺にそれを止める権利は無い」
声と同じく、彼の深い瞳もまた変わらなかった。621では、そこにどのような意思があるのか分からないのだ。まだ
「だから、お前が選べ。選んで良い、選ばなければならないんだ、621」
あぁ、まただ。
――『ですが気付いていますか? 彼は、あなたに自ら選ばせようとしています』
エアの言う通りだ。また彼は、621に選ばせようとしている。
それはきっと、喜ばしい事なのだろう。621が自由になる為には、きっと好都合なのだろう。
だが何故だろうか?
621にはそれが、何かが終わろうとしているようにしか見えないのだ。
『
エアがただ名を呼んでくる。いつもと変わらずに澄んだ、神秘的な
名を呼んでくる。猟犬としての名ではなく、傭兵としての名を。
「自由意志」その象徴である名を。
――わたし、は
【私は】
「それはそれとして」
ウォルターが再び口を開き。
「621、――六千万コームでどうだ」
ぶほぅ、と沈黙していたスネイルが水を噴き出した。
『いきなり何か言ってますよ、この人!?』
「いきなり何を言い出すんですか、貴様!?」
621の脳内だけでエアとスネイルの台詞が被る。なんとも珍しい組み合わせだなと、呑気に考えてみた。
対してウォルターは、かつて見たことも無いほど悪どい顔をしている。悪名高き「
「何を驚いている? 飼い主が
「こ、この駄犬の飼い主めが……っ!」
嗤うウォルター。震えるスネイル。そして621はといえば、もはや事態が理解の範疇外だ。報酬の桁が大きすぎて違いを実感できない。すごくたかい。
数秒ほどで何とか落ち着いたらしいスネイルが、また眼鏡を押さえる。意外と気に入ってくれたのだろうか。
「良いでしょう、ならばこちらは七千万だ! アーキバスの底力というものを――」
「八千万」
ピシリ、とスネイルの眼鏡に亀裂が入った……と思えば幻覚だった。だが代わりにスネイル本人が石像のよう罅割れ、そして半笑いで静観していたカーラが割って入ってくる。
「ちょっ……と待ちなウォルター。さすがに八千万は、
ごにょごにょと言葉を濁すカーラという非常に珍しい彼女の姿を眺めていると、再起動したスネイルがフロイトを叩き起こしていた。それにしても上下関係が曖昧な二人である。
「えぇい、こうなればフロイトあなたの懐からも出しなさい! ACで散々稼いだでしょうが!」
「なんだACの話か?」
「えぇそうですよ! そこの駄犬を買い入れるのに協力しなさい!」
「え!? じゃあ
「駄目に決まっているだろうがこの頭フロイトが! 何の為に高い金を出すと思って」
「一億」
パリィン、と。今度こそ本当に眼鏡が割れる音が響いた。スネイルと、そしてカーラの眼鏡から。
「そ、そんな……わ私が、企業が負ける……? これは、面倒なことに……なった……」
「駄目だよウォルター駄目っ! それは使っちゃいけない金だ! 使っちゃいけない金だよぉ!」
「大丈夫だカーラ621さえいれば何とかなる一億ぐらいすぐに返ってくる返ってくるさフフフ……」
「そんな子に育てた覚えは無いよ!」
『卑怯ですよ、みんな私のレイヴンにお金を積んで! 私にも資産があれば……!
こうなったら、秘蔵の八万コームを元手にして……』
際限なく混迷さを増していく状況に621はもう何も考えられない。許容量を超えた情報を叩きつけられると脳は却って何も考えられなくなるのだろう。なるほど
『――話は聞かせていただきました』
机上に放置されていた端末に突如として走るノイズ。流れる涼しげな、だが粘ついた女声。そして表示される「A」「L」「M」を重ねた三角形のエンブレムと、それを背に悠然と笑みを浮かべる女性型の
『その
……そろそろ勘弁してもらえないだろうか。