「フロイトぉ――――ッ!?」
その叫びが悲鳴だったのか怒号だったのかは、当のスネイルにも分からなかった。あるいは両方だったのかもしれない。何せフロイトは部隊の最高戦力であると同時に、最悪の問題児でもあったのだから。
そして何よりも、
――「どうにかするが、お前もどうにかしてくれよ?」
あの言葉はこんな意味だったと言うのか。理解したくもない言葉を理解すると同時に、肚の底から馴染みの怒りが湧いてくる。最後の最期に面倒を押し付けて逝くとは、なんと頭フロイトなのか!
「まだ死んでないぞスネイル!」
だがアレでも仮にも腐ってもヴェスパー部隊の首席隊長。その最期の遺志に応えてやるぐらいの事はしてやっても良い。
「まだ生きてるぞスネイル! おーい!」
アイスワームの巨体が眼前へと迫る。
「ぬ、ぬうぅ……こ、この……っ!」
避けるべきだと、早く躱せと本能が叫ぶ。クイックブーストなら間に合うと理性が囁く。強化人間としての、AC乗りとしての、ヴェスパー次席隊長としての合理的判断が脳髄を駆け巡る。
だが冷血漢として知られるスネイルも男であり、野心家であり、そして矜持があった。
「この……
オープンフェイスが両腕の武装をパージ。太い脚部で氷原に踏ん張り、逞しい腕部を大きく広げ、そして。
そして、アイスワームの突進を真正面から受け止めた。
「
恐るべき暴挙に対して起こった結果は至極当然のもの。圧倒的な質量差に押し負けたオープンフェイスは氷原を滑り、踏ん張った両脚部が氷と火花を巻き上げる。最大出力で吹かされるブースタもその勢いは殺し切れず、あとは押し潰され砕かれた機体の残骸が散らばるだけ。
だが。
「ぬあぁめるなあぁァ――――!」
だがそうはならず。
あろうことか、アイスワームの巨体が縦に持ち上がった。
「うっそだろオイ!?」
「何やってんだあの木端役人!?」
レッドガン共が何か言っているが、奴らにくれてやる言葉は無い。言葉などもはや意味を成さず、見せつけるのは力とそして!
さあ刮目せよ! これが! この叫びこそが私の!
「
ACが見せる、アイスワームのジャイアントスイング。
機体の基本スペックや彼我の重量差、常識と物理法則とその他諸々一切合切に喧嘩を売る怪現象によりアイスワームが振り回される。全長1,368メートルの巨体が毎秒一回転してしまえば、その末端の速度は実にマッハ25。
「はあっ!」
やがてスネイルの短い気勢と共にアイスワームが放り投げられる。プライマリシールドは消失し、目でも回したのか氷原に横たわったまま動かなくなった。
そして同時に、あらゆる意味で限界を超えたオープンフェイスは機能停止。システムダウンしたコクピットの暗闇の中で、滑り落ちた眼鏡が砕けて散っていった……。
「ちゃんと生きてるぞスネイル!」
「眼鏡野郎よくやった! お前の上官もただの批評家ではなかったらしいぞV.Ⅳ!」
「さあラストショットだッ!」流石のミシガンも興奮気味に通信で叫んでくる。現にアイスワームは完全に動きを止めており、先の二射を見事に命中させたラスティの腕にかかれば外すことなどないだろう。誰もが、そう思っていた。
「……駄目だ、
常に泰然としていた美声が初めて余裕を失くして響く。
オーバードレールキャノンの射角は決して広くない。特に上下方向は砲身の巨大さ故に可動範囲が限られ、完全に頭を下ろされてしまえば射角外なのだ。当たらない訳ではないが、「芯」を捉えることはできない。更に。
「カーラ女史! もっと出力を上げられないか!?」
「無茶いうんじゃないよ! こっちがお星様になっちまう!」
ジェネレータの異音と磁気嵐で乱れる通信でカーラが叫ぶ。暴走するアイスワームを確実に仕留める為、レールキャノンのリミッターは解除した。次が最後の一発であり、これ以上は砲身が持たない。それどころか、早く撃たなければ行き場を失くしたエネルギーで自爆する可能性すらある。
このまま撃つしかないのか。どうかこれで終わってくれと、祈るような心地でトリガーに指をかける。あとほんの10メートル、
「――頭を上げりゃあ良いんだな?」
最後のトリガーを弾こうとした刹那、粗野な声がラスティの指を止めた。
「どっ……せい――ッ!」
直後、上がり始めるアイスワームの頭部。その下で踏ん張るヘッドブリンガー。
「G5!? 何をしているんだ!」
「見りゃ分かんだろうがスカし野郎! ……あァくそ重めェ! おいヴォルタ見てねえで手伝えこの野郎!」
「また貧乏クジかよ!」
キャノンヘッドも加わることで更に持ち上がる頭部。
「「Oorah――!」」
重量上げの如く直立するヘッドブリンガー。相棒のタンク脚部を踏み台にして更に高く。折れそうな中量二脚をキャノンヘッドの椀部ががっしりと支える。まさに力業。なんともレッドガンらしい乱暴な方法だが、これで射角へと入った!
「よし、これならいける! 二人とも脱出してくれ!」
「あァ?」
レッドガン達の働きにより目標は捉えられた。あとは機体を固定して二人が脱出するのを待つのみだが……。
「寝ボケたこと言ってんじゃねェぞ、
耳を疑う啖呵はイグアスの物。そしてヴォルタもまた、脱出する素振りは見せなかった。
「――撃て、V.Ⅳ」
更に耳を疑うことにミシガンまで。的を外す気は無いが、最大出力のレールキャノンがもたらす余波はまったくの未知数だ。彼の部下たちが無事で済む保証は無い。
「しかし、」
「撃ってやれ! 男どもが格好をつけているんだ、無駄にするんじゃない!
……なに心配するな、これでくたばるようなら良い酒の肴だ。あとで役立たず共と笑ってやるぞヴォルタ! イグアスもついでになッ!」
「けっ、御免だぜ。ようやく良い儲け話を思い付いたところだからな」
「ついでって何だよこのクソ親父が! てめえの顔面にくれてやるまで死ねるかボケ!」
命の瀬戸際にあるとは思えない罵声の応酬。そこにあるのは当人たちにしか分からない絆か因縁か。それは部外者であるラスティに分かる筈も無いが、彼らの決意が固いことだけは分かった。
「おらいつまでスカしてんだ! 少し顔が良いからって調子のってんじゃねェぞ、てめェの顔面にもぶちこんで二度と女が寄ってこねェようにしてやろうかコラ!」
「そうだそうだ! イグアスはなぁ、あのポンコツにも手を出さねぇような
「よおしヴォルタ、てめェも後で顔面ドロップキックな!」
機体を動かせればその場でどつき合いが始まっていたであろう罵詈雑言。なおイグアスの名誉の為に言及すると、彼が件の女に手を出さないのは、あまりのポンコツぶりに劣情すら抱けないが故である。
「見事だ――レッドガン!」
ここに来てラスティもまた吹っ切れた。敵対企業の――彼からすれば
「――は、どいつもこいつも。良いね、笑えてきたよ」
言葉通りに笑い混じりの声で通信してくるシンダー・カーラ。同時にノイズだらけの照準画面から一切の表示が消える。残るのは十字のレティクルのみ。つまりこれは。
「よく聞きな色男。この磁気嵐じゃFCSは役に立たない。あんたの
この土壇場で、とんだ無茶を言ってくれる!
「まあ――出来るがな」
レールキャノンの土台に接続したスティールヘイズ。乗り慣れたそのコクピットで操縦桿をそっと握りながら、ラスティは静かに呼吸を止めた。
――「引き金を弾く時は、息を止めろ」
幼い時から幾多の教えを受けて生きてきた。狩る術、食べる術、戦う術、生きる術。あらゆる術をラスティは先人たちから教わった。冷たい灰に埋もれたこの
何も変わらない。今もそうだ。
「――――」
撃発の瞬間は無心、そして一瞬。極度の集中により色彩が失せた無音の世界で、ラスティは声もなく咆哮した。
――これで、決める!
引き金を弾いた瞬間に確信した。ラスティの生涯で会心の一射は、確実に怪物の芯を撃ち抜いた。今更それを疑いはしない。
暗転する視界。過負荷で強制停止したレールキャノンとの接続が途絶え、同じく停止したスティールヘイズの中から命中は確認できない。
それでもラスティは信じていたのだ。今まで己を生き永らえさせてきたこの技と、そして彼あるいは彼女を。
「あとは任せたぞ、戦友……!」
レールキャノンの余波は想像以上だった。ACとしてもそれなりに離れた位置を撃ち抜いたというのに、まさか中量級のヘッドブリンガーどころか重タンクのキャノンヘッドまで派手に吹き飛ばされるとは思わないではないか。
「イグアス、生きてるか……?」
「……死んだ」
「あぁ、そりゃ良かったぜ……」
さすがに少しばかり馬鹿をやり過ぎたかもしれない。とはいえACでこの有様では、生身で脱出していたら
「チ、機体がいかれやがった……。じゃあ、後はドーザー頼みかよ」
ヴォルタの声には隠しきれない不安があった。ようやく化け物を追い詰めたとはいえ、最後のトドメを刺す役がもう一機しかいない。しかもそれが
「……けっ」
だがイグアスは、相棒のそんな弱音をただ笑ってみせた。
「あの野良犬がこんな簡単にくたばるかよ」
もしかしてこの男は不死身なのではないかと、スネイルは思う。
「始末書はお前な、スネイル」
「今まで、何度あなたの分を代筆してきたと思っている……!」
コアと脚部しか原型を留めていないロックスミスをそれでも動かしながら、オープンフェイスを領域外まで牽引するフロイト。あんな状態でも本人はダメージを受けた様子が無く、それはACと神経接続していない非強化人間の特権か。
今までヴェスパーを強化人間で固めてきたが、性能ばかり突き詰めた特殊な集団は何らかの要因で全滅する可能性もある。今後は非強化の人員も候補に挙げることを検討して――
「なあこの辺で置いていって良いか? 俺はまだ
「今度こそ死にたいのですか! 却下だ!」
前言撤回。これから第二第三のフロイトが生まれるかもしれないと思うと胃がいくつあっても足りない。やはり胃も人工物に
そもそも。割れた眼鏡をかけ直しながらスネイルは尊大に言い放った。いつものように。
「もうあなたの出番はありませんよ。その為の駄犬ですから」
ACサーカスは、地上戦での機動力を重視した軽量タンク機体だ。ドーザーらしく各勢力のパーツを寄せ集めた、まるで
「サーカス、攻撃を開始する」
とはいえ、果たしてサーカス単機で仕留められるものか。自身の
サーカスは単機での戦闘も想定してはいるが、それでも真価を発揮するには
――実現不可能、か
音声には出力しないまま思考を走らせる。V.ⅠおよびV.Ⅱ、そしてG4とG5も戦闘不能。そしてもう一機もまた――
だがそれでも。根拠の不足した前提をそれでも入力し、サーカスはアイスワームへと全兵装を向けた。
「期待するぞ、ビジター」
広域レーダーの光点がついに二つだけとなった。一つは最後の友軍機であるACサーカス、そしてもう一つは、満身創痍ながらも未だ死んでいないアイスワームだ。
「化け物が……ッ」
無情な現実を示すレーダーから目を逸らさず、総指揮官であるミシガンは考えを巡らせる。
サーカス一機で仕留められるか? 五分だろうが、戦場に運を持ち込めば死人が増える。
レッドガンの二機を向かわせるか? 体当たりでもさせれば足しにはなる。だが二人は確実に死ぬだろう。
今からMT部隊を呼ぶか? だがこれは総力戦。ここ以外でもルビコン全域で封鎖機構に襲撃をかけており、余分な戦力など残っていない。
ライガーテイルを出すか? まだ調整どころか組み上げすら済んでいない自機を? 馬鹿も休み休み言え。
「総長……」
多少は正気を取り戻したオールバニーがいつになく弱気な声で呟く。あと一歩のところだったというのに、一手が足りなかった。だが足りなければ、届かなければ何の意味も無い。戦場に慈悲は無い。いつの時代も変わらない、クソのような現実。
あぁ、だからこそ。そんなものクソくらえだ。
「乙女みたいな声を出すなオールバニー! 家に帰るまでが遠足だと教えただろうがッ!」
レーダー上の光点は二つだけ。「まだ動いている」光点はそれだけだ。だがレーダーの端には、大きく「LOST」と添えられた×印が一つ残っていた。
そして、
「G13いつまで寝ている! そして良い加減そいつを叩き起こせ、
――あぁ、遠吠えが聞こえる