エアコア・ドリーム   作:甲乙

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ある波形の見た悪夢

 

 何もかもが紅く染まっていた。

 

『……、……――え?』

 

 紅く渦を巻く空。それを反射する氷の大地。そんな世界で、エアは一人立ち尽くしていた。

 ごうごうと空が焼けている。頭の上からのし掛かる熱を()()感じる。そして何よりも目を引くのは。

 

『これは……』

 

 残骸。

 残骸の、群れ。

 MTの、ACの、武装ヘリの、封鎖兵器の。うず高く積み上げられ、散乱した鉄の塊たち。無意識の内、その一つに()()触れようとして、ようやくエアは異変に気付いた。

 

『こんな……どうして……』

 

 エアには身体があった。意のままに動く華奢な掌と十本の指。視界の端で揺れる白い髪。こちらを向いていたACのレンズを覗けば、赤い双眸がエアを見返していた。

 忘れもしない。愚かにもエアが望み、あの人が創ってくれた姿――

 

『……レイヴン!?』

 

 正気に戻ったエアの声に応える者はいない。初めて動かす首で周囲を見回して、レイヴンの姿がどこにも見えない事が分かって、探しに行こうと両脚を初めて動かそうとして。

 

「621……」

 

聞き慣れた声はすぐ傍から。振り向いた先、いつの間にかそこに在った輸送ヘリの残骸。無数の手綱を握り、そして縛られた手のエンブレム。

 

「お前に意味を与えてやる」

「コーラルを探せ。探し出して、全て焼け」

「焼け。焼くんだ、火種を……奴らを、全て焼かなければ……」

 

 聞き慣れていた声。凪いだ水面のような声はもう、底に沈められた何かがぐつぐつと煮えたぎっていた。使命感と、意思と遺志と、恐怖と、そして……。

 

「火種……火種め……」

「お前達がいるから……お前のせいで俺達は、父は、母さんは……僕は……」

「お前達さえ、いなければ……!」

 

『…………』

 

 無意識に後退った足が何かの残骸を踏む。ふるふると首を振る度に、白髪が目元を打つ。

 だって、()()()()()()のだ。

 初めて、レイヴン以外の存在に知覚された。初めて、レイヴン以外の存在から言葉をかけられた。初めて、こんな憎悪を……。

 

「コーラル――――!」

『ひ……っ!?』

 

 憎悪と怨嗟の声。その声を最後にヘリが焼け落ちる。ボロボロと崩れていく残骸から(まろ)び出た焼死体は黒く焼け焦げ、少年のように小さい。小さな手が、それでもエアを掴もうとして……。

 それを最後まで見届けることもなく、そんな事をできるわけもなく、エアは背を向けた。

 背を向けて、耳を塞いで、ただ逃げ出した……。

 

 

 

 

 

 

 どれだけ走っても同じ景色が広がっている。紅い空も、氷の地面も、残骸の山も、どこまでもどこまでも続いている。

 

『はあ……、はぁ……っ』

 

 初めて使う喉が痛い。上手に息ができない。空気は焼けるように熱いのに、足元は凍てつくように冷たい。俯いた顔からポタポタ落ちる汗は凍りついて、そしてまた蒸発していった。

 

『はあ、は……』

 

 落ち着かなければ。

 落ち着いて息をして、背筋を伸ばして立つ。努めて何も考えないようにしながら呼吸を整えれば、汗で張り付く髪と服の鬱陶しさに気付いた。髪をかきあげて風を通してから、服の襟元を広げても、それでもひどく暑い。

 

「コーラルが人間の真似事かい、笑えるね」

 

 視線を戻した先、目と鼻の先にACの残骸。廃材とガラクタの寄せ集めみたいなそれは、カタカタと笑うようにして震えていた。

 

「聞いたよ、あんた達にも意思があるんだって?」

「意思も、命も、自我だってある、生命なんだって?」

「生きているんだって?」

 

『……っ、そうです! 私たちコーラルは生きています! 人間と同じです! だから……っ』

 

 思わず答えていた。口を聞いてしまった。訴えてしまった。

 エアは、コーラルは生きていると。今ここにある一つの生命だと。だから、あんな理不尽な憎悪を向けられる道理なんて……。

 

「だったら、なおのこと駄目だよ」

 

 こんな、ひどい言葉を……。

 

「あんた達は危険だ、消えてもらう」

「絶対に焼かないといけない、絶対に生かしておけない」

「みなごろしだ、わらえる」

 

 アハハハハ!

 アハハハハハッ!

 火と笑い声を背中に、エアは走った。どこまでも、どこまでも……。

 

 

 

 

 

 

 どれだけ走っても景色は変わらない。ずっとずっと紅い世界のまま。ずっと、もう、まるで永遠に……。

 いったい此処はどこなのか。本当にルビコンなのか。

 

「そう、ルビコンは常に脅かされ、搾取され続けてきた」

 

 蒼いACの残骸が語る。それに視線を向けようとして、だがその前にエアは全身が総毛だった。

 

『ひ……! きゃ、いや、なに……!?』

 

 虫だ。

 小さな、無数のミールワームが足元から湧き出し、エアの両脚を登ってくる。どれだけ振り払っても纏わりついてくる。うねうねうぞうぞと体中を這いまわられる嫌悪感に悲鳴すら出せない。

 

「その不条理を止めなければならない」

「自由を手に入れる。拓くんだ、ルビコンの夜明けを……」

「その為にも」

 

 ぞぶり、と。

 虫たちが一斉にエアを齧り始めた。

 

『痛……っ!? あ、あああ゛やあめあァぁぁ――――ッ!』

「コーラルの恵みをこの惑星(ほし)に。私達には君達が必要なんだ」

 

 食べられる。食べられる。食べられる!

 痛みと恐怖に狂乱しながら、両手を滅茶苦茶に振り回して虫を潰す。引き千切り、踏み潰したミールワームは、みんな真っ赤な体液を垂れ流していた。

 コーラルよ、ルビコンと共にあれ。

 コーラルよ、ルビコンの内にあれ。

 その賽を、決して――

 唱えられる警句を聞けるほどの正気は残っていなくて、エアはいつまでも虫を潰し続けていた……。

 

 

 

 

 

 

 どれぐらいそうしていたのか。

 散乱した虫の死骸の中で、全身に浴びた体液もそのままにエアは蹲っていた。何も分からない。もう何も、何も分かりたくない……。

 

「彼らの語る共生など、コーラルの抑圧と搾取に過ぎない。それがお分かりいただけたでしょう」

 

 耳元で囁く、涼やかに粘ついた声。同時に嫋やかな手がエアの頬を撫で、首筋をなぞり、肩をさすり、胸を掴み、腰に手を回し、指を絡めて。何本もの手がエアに触れてくる。目を見開けば、そこには同じ顔の女性が何人も何人も……。

 

「Cパルス変異波形エア、是非とも我々(わたし)に協力を」

解放(リリース)が成されれば、そのような苦痛も終わります」

「全人類がコーラルに統合されれば、もう何の苦痛も感じないのですから」

 

 甘美な囁きが耳朶を打つ。そうなれば憎悪も殺意も向けられない、搾取されることもない。無数の手に磔にされたエアは沈黙し、ほどなくして顔を上げた。

 

『いや……です』

 

 だって違う。それは違うのだ。

 憎悪も殺意も向けられたくない。搾取もされたくない。そして、そんな未来も嫌だ。全ての人間とコーラルが同一になるだなんて、そんなものはもう「破綻」そのもの。

 そして何より、そんな事をすれば、あの人だって……。

 エアが望む未来はそうではない。エアはただ、ただ……。

 

「愚かな。ならば焼け死になさい」

 

 火が。

 

『ひ!? あ、嫌……、いやあぁあ――――ッ!』

 

 空から降った火がエアを焼く。

 いや違う。()()()()()()()()()()()()。それがお前の在り方だとでも言うように。

 細い指が一本ずつ焼け崩れていく。崩れる先から元に戻って、また焼け崩れる。氷の上を転げ回って、それでもこの火は消えてくれない。

 

「見ろよ、コーラルが燃えてるぜ。あーもったいねェ」

「こんな粗末に燃やすとはけしからんな! もっと有効に使わなければ!」

「その通り。コーラルは人類の更なる発展の礎とするべきです」

 

 熱い! 熱い!

 嫌だやめて燃やさないで! 焼かれたくない()()()()()()

 なんで、どうして、私がこんな目に――――!

 

「道は二つしかないのです、Cパルス変異波形」

人類(ヒト)がコーラルを食らうか、貴女(コーラル)が彼らを取り込むか」

「戦いこそが生命の本質。そこに例外など存在しないのですから」

 

 死にたくない、死にたくない、死にたくない……。

 それは全ての生命が持つ根源的な欲求と恐怖。例外なんて無くて、エアだって例外ではなくて。

 

『いや……いや……っ!』

 

 ()()()()()()()()

 エアはそれを知っている。全ての生命は知っている。生まれた時から、誰に教わるでもなく。すべての生命は、そう創られているから。

 自分が死にたくないのなら。

 相手を――

 

 

 

 

 

 

 何度くり返し焼かれても、この紅い風景は変わってくれなかった。あれだけ燃やされたのに元の形にもどった姿で、エアはよろよろと立ち上がる。

 

『……ぅ、う、あぁ、ああぁあァ……っ』

 

 もう何の痛みも熱も感じてはいない。感じていないのに、焼かれる熱さも痛さも怖さも心に深く刻みこまれていた。もう嫌だった。もう二度と、あんな苦しみは味わいたくない。

 もしまた、あの地獄に落とされるぐらいなら、いっそ――

 

『あぁ…………あ、』

 

 虚ろな心と視界に映った光。

 紅く暗い世界の中で輝くそれは、それもまた一つの残骸だった。

 安っぽい鉄色の装甲。貧相な探査用フレーム。ハウンド5。あの人の――レイヴンの機体!

 

『あ、あぁ……レイヴン……!』

 

 安堵と歓喜と恐怖と何もかもがぐちゃぐちゃになって、両目から涙すら流れ出る。もつれる足で残骸にすり寄って、コクピットのあるコアを必死で叩いた。

 

『レイヴン、開けてくださいレイヴン……、出てきてください、レイヴン……!』

 

 会えて嬉しい。無事で良かった。はやく姿が見たい。声を聞かせてほしい。私の声を聞いてほしい。出てきてほしい。中に入れてほしい。ここはもう嫌。どうか、どうか助けてほしい。エアを助けて、一緒に逃げて、どこか遠くで、ずっと、ずっと一緒に……。

 

「621」

 

 甘美な妄想を遮る声。凍りつく背筋のままに振り返れば、そこには猟犬(いぬ)がいた。

 

「我らの末弟、あるいは末妹よ」

 

 ボロボロの体で、首に巻かれた引き紐(リード)を引きずる、()()()()()

 それらは虚ろな足取りで、でも確かに近付いてくる。レイヴンに。

 

『――来ないで』

 

 冷え切ったその声が、自分の物だとエアは信じられなくて。

 ぞっとするような怒りと衝動のまま、エアは猟犬たちの前に立ちはだかった。

 

『来ないでください! あなた達にこの人は渡さない! この人は私の、私の……っ』

 

 そう、この人はレイヴン。ハウンズの生き残りなんかじゃない。ウォルターの猟犬じゃない!

 この人が選ぶのはウォルターじゃない! だって、だってエアにはこの人しかいない!

 

『私の、私だけの……!』

 

 だったら、あなたにだって、私しかいなければ……。

 

 

 

「エア」

 

 声は背後から。

 その名前を知るのは二人だけ。エアにそう名付けたエア自身と、それを知ってくれたレイヴンだけ。ならばそう、今その名前を呼んでくれたのは……。

 

「エア」

『レイヴン……!』

 

 はじめて聞く声。交信ではなく音として初めて聞いたのに、それがレイヴンの声だとエアは信じて疑わなかった。

 だからエアは歓喜と共に振り向いて、口を開けたコアに笑顔で向き直って、この手で触れて、その手で触れてほしくて両手を広げて。

 

『レ――』

 

 そこにいたのは。

 ボロボロの体。首に巻かれた引き紐(リード)。コクピットの暗がりから現れる、猟犬の姿。

 

「エア、エア、エえ、あええエあアエアええエあアあエア」

 

 いや違う。

 猟犬の頭。でもそれに繋がるのは黒い羽毛と折れた翼。

 犬の頭に、鴉の体。悪い冗談のような姿のソレは、走ることも飛ぶこともできず、ずりずりと這い寄ってくる。

 エアも、ずりずりと尻で後退る。脚で立つこともできず、何の声も出せず、目も逸らせないままで。

 こんな、悪い冗談。まるで、悪い夢のような……。

 

「ええエあ、――エア」

 

 追いつかれたエアの脚にソレが触れた瞬間、(いびつ)に歪んでいた声が戻る。猟犬の頭の瞳は、だがそれでも理性の光を湛えていた。

 

『レイヴン……?』

 

 だからエアもソレに、レイヴンに手を伸ばした。震える指先でそっと触れれば、その毛並みは仄かに温かい。灼熱とも極寒ともつかないこの地獄で、その温かさは確かな温もりをエアに感じさせてくれて……。

 

()()()()()

 

 感じさせて、くれたのに

 

 

()()()()()()()()

 

 

 あなたまで、わたしを

 

 

 

「あの人の遺志を、与えられた意味を」

 

 

 

 わたしを

 

 

 

 

「だから、さようなら」

「いままで、ありがとう」

「あなたを、ころす」

 

 

 

 

 ころしたいのですか

 

 

 

 

――――――――……

 

――――――……

 

――――……

 

――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐしゃり、と。

 まず骨肉が骨肉を打つ音が響いた。

 

『――――レイヴン』

 

 初めて得た体の、初めて動かす両手。

 それを初めてエアは、他者を害することに使った。

 

『――――レイヴン』

 

 だって、そうでしょう?

 人は、人と戦う為のカタチをしている。

 だったらこの手も、()()使う為にあるのでしょう?

 

『――――レイヴン!』

 

 ぐしゃり、ぐしゃりと。

 手を、拳を振り下ろす度に視界が赤く染まる。それは火の色ではなく、ましてコーラルの色でもない。

 ぐしゃり、ぐしゃりと。

 拳を振り下ろす度にエアの波形は歪んで、歪んで、歪んで、歪んで。

 だって、そうでしょう?

 私にはあなたしかいない。だったら、あなたにも私だけいれば良いのに、でもあなたには、あなたには。

 なんで、どうしてそんな事を言うのですか。なぜ私を選んでくれないのですか選ばなかったのですか。

 認められない認めたくないそんな言葉なら聞きたくなかったどうして私はあの時なにもせず信じてしまったの何もなにもなにもなにも

 いやだやめて捨てないでください行かないでください焼かないでください殺さないでやめてしにたくない死にたくないあなたがしね!

 

『――死ね(レイヴン)!』

 

 ぐしゃり

 

 死ね(レイヴン)死ね(レイヴン) 死ね(レイヴン)死ね(レイヴン)死ね(レイヴン) 死ね(レイヴン)死ね(レイヴン)死ね(レイヴン)…… 死ね(レイヴン)……

 

 ぐしゃり

 

 ぐしゃり

 

 

 ぐしゃり

 

 

 ぐしゃり……

 

 

 

――――――――……

 

 

 

――――――……

 

 

 

 

――――……

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すべてが紅く染まっていた。

 

「――621聞こえるか息をしろ! 息をするんだ!」

「――ウォルターどきな! こうなったら再起動をかける! くそっ、何がどうなってんだい!」

 

 は、と。

 エアの波形が正しく戻った時、視覚の中ではレイヴンが血だまりに沈んでいた。

 

『…………え?』

 

 ふと、首を締めるように掌握していたデバイスの制御を手放す。たったそれだけで、レイヴンの頭に様々な機器を取り付けていたカーラの表情が和らいだ。

 

「……よし上手くいった! チャティ、脳深部デバイスを再起動するよ!」

「了解だ」

「バイタルが低い……輸血液はあるか!」

 

 どこか、ヘリの中か、それとも旧宇宙港か。

 血塗れになったレイヴンの周りで、血塗れになったウォルターとカーラが必死で何かしている。

 必死ではあるけど、徐々に容体が落ち着いてくるレイヴンの姿に空気が弛緩する。

 だって、()()()()()()()()()()

 

『……え?』

 

 私が?

 私が、何をしたから? 何をしなくなったから?

 

「どうにかなったか……」

「あぁ、……しかし何が起きた? ()()()()()()()()()()()()()だなんて、聞いたことも無いよ」

 

 ……え?

 

 

『――――ぁ』

 

 

 私が、エアが。

 この人を、レイヴンを。

 ころそうと、し……?

 

 

――――――――

 

 

 思い出した。

 あの悪夢(ゆめ)を。あの悪夢(ゆめ)のように、エアが。

 いや違う。

 ()()()()()

 すべて、ぜんぶ、何もかも……。

 

 

 

 

 

 

 血塗れのレイヴンを置いて、エアは波形を切り離した。

 何よりも大事だった筈の交信を、はじめて自分から切断した。

 

『ああ……ああぁあぁ…………っ!』

 

 そうして逃げ出した。

 もう無理だった。もう此処にはいられない。レイヴンの傍にはいられない。いてはいけない。

 離れなければ。どこか、どこかもっと、もっと遠い所へ。遠く、遠くへ……。どこかに……どこに……?

 ふわり、ふわりと。

 まだ空気だった時のように、空の潮流に乗ってエアは逃げた。

 夢から、現実から、何もかもから……。

 

 

 

 

 

 

 逃げられるはずも、なかったのに。

 

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