コーラルと呼ばれる物質がある。
辺境の開発惑星ルビコンで発見されたそれは、新時代のエネルギー資源および情報導体として、人類社会に飛躍的発展をもたらすと嘱望された。
コーラルが、未知の塊であったが故に。
▼△▼△
「退院」
――あ、はい
そう告げたのは眼鏡の女医――ではなくシンダー・カーラである。ドーザーと医者などかけ離れた存在としか思えないが、その頭目であるカーラからは時折、隠しきれない知性を感じることもまた事実であった。
彼女は――いやRaDはドーザーではないのかもしれない。最近になって621はそう思う。
「ビジターは俺が送ろう」
「頼むよチャティ。私はクズ除けの塩を盛りに行かなきゃならないからね」
そう言ってカーラは何のまじないか、部屋の四隅に塩化ナトリウムらしき物を容器に盛っている。更に壁には、十字に組まれた棒やら何か書かれた紙札やら植物で編まれた人型に釘が刺さった何かやらその他いろいろが飾られていた。
いったいカーラはどうしてしまったのだろうか……。彼女にも何かと世話になっている621としては心配な限りである。
「あぁ、そうだビジター」
見た目より高齢らしい彼女の知能的健康を案じていると、当の本人から呼び止められる。アーキバス社マスコットの人形に赤い糸をぐるぐる巻き付けるという意味不明な行動こそとってはいるが、口調自体はいつものカーラであった。その不敵な笑みも。
「例の
頷いて、デバイスを通じて送金処理を行った。「早いね」とカーラは笑ったが、払える内に払っておきたい。あとは、勢いに任せないと
残金がほぼ無くなってしまったのだが、これ実はぼったくりだったりしないだろうか? むしろ格安? 左様で……。
「良い仕事には金がかかるものさ。そして金払いの良い客には良い商品を、ね」
「良い仕上がりだよ」と、自信満々に笑うカーラ。621とて彼女の技術と実力を疑ってはいない。良い出来だと言うのならきっとそうなのだろう。だが問題は、
せっせと塩を盛るカーラの背中に頭を下げながら、621は部屋を後にした。
アイスワームの撃破から、ルビコン時間で十日が過ぎようとしていた。
結果を言えばミッションは成功、件の巨大C兵器はなんとか撃破された……らしい。何せ621は、あの時の記憶が曖昧なのだ。
曰く、脳深部コーラルデバイスが突如として機能を停止した。
曰く、それによる「発作」で死にかけた621をウォルターがなんとか拠点まで運んだ。
曰く、コーラルデバイスにも詳しいカーラの手も借りて治療を施した。
曰く、まずあり得ない現象。カーラですら信じられない。
曰く、そんな発作が起きたことも治ったことも、悪い冗談か奇跡のようなもの――
「アイスワームが撒き散らしたコーラルが、何らかの形で干渉した可能性が否定できない訳でもなくはないらしい」
チャティが動かす医療ドローンに車椅子を押されながら、621は平坦な声を聞いていた。
例えば、稀に人格を持った波形が生まれてきたり。
――エア
――エア、エア……おーい
返事は聞こえない。意識が戻ってから数日が経つが、その間エアは一度も話しかけてこず、返事も無い。彼女が621のデバイスを通じて交信してきていたのなら、デバイスその物が不調になった事が原因だろうか? だがそれを誰かに相談できる訳もなく、ただ悶々とした不安だけが膨れ上がっていた。
旧宇宙港の中を進む。アイスワーム撃破作戦の為に集められた人員や資材は相当な数で、作戦が終わったからといってそれらがすぐに消えて無くなる訳ではない。RaDはもちろんベイラムとアーキバスの社員たちも未だ撤収しきれておらず、休戦協定の期限が間近に迫っていることもあり皆が慌ただしく動き回っていた。
「ひ、人手が足りない……増援、増援を……」
「おい誰だこの間違いだらけの書類を出した奴は! いったいどういう教育を受け――!?」
「シンダー・カーラ様はおいででしょうか? この風水薬房による魔除けの壺があれば、どのような悪霊も退散できますよ?」
「こんな時まで商売か。その蛮勇は認めるが、通らんよそれは」
「しつこいぞ取り立て屋! なぜ借りた金を返さねばならない!?」
「なるほどなるほど。道理も恐いモノも知らぬと見えるな、お前さん」
「帥父! 帥父どこに行かれたのですか!? このフレディめが迎えにきました!」
「えぇい放せ企業の走狗どもめ! 帥父を見つけるまで我々ルビコニアンが屈することはない!」
「待て! 先走るなお前達!?」
「レッドガンの人たちに、この弁当を届けるのが……俺の……!」
……何か見覚えがあるような無いような面々ともすれ違ったが、621は努めて意識から外すようにした。面倒は嫌いなのである。
それにしても人が多い。ベイラムやアーキバスの軍服や制服を着た者たちに、汚れた整備服を着崩した者たち。やや文化圏の異なる服装はルビコニアンだろうか? あとやたらにトゲトゲした服に髪を逆立てている野郎共はどう見てもRaDの構成員で、揃いの制服をきっちり着こんでいるのは惑星封鎖機構の――
【縺ェ繧薙〒諠第弌蟆?事讖滓ァ】
「なぜ惑星封鎖機構の奴らが残っているか? 撤退したのは特務部隊だけだからな。アレは
【譛ャ蠖薙↓】
「本当だ、心配するなビジター。RaDのAI嘘つかない」
突然の封鎖機構に動揺して送ったメッセージは文字化けしていたが、さすがのチャティであった。あったのだが、最近の彼はしれっと嘘や冗談も交えてくるので安心できない。あの
曰く、封鎖惑星で働くSGの中には原住民に情を抱いてしまう者も少なからずいる。故に「システム」によって厳しく統制されている彼らではあるが、そこは取り道あれば抜け道あり。あの手この手で規則をすり抜けて現地の人々を手助けしているのだと。
「ルビコニアン、解放戦線、ドーザー、そしてSG。そこに明確な違いは無いのかもしれないな」
「
視線を横に向ければ、窓から紅い空が見えた。アイビスの火からずっと漂い続けているという残留コーラル。彼らも皆が、同じ空を見ているのだろうか。
【チャティ】
「なんだ、ビジター」
【私は、ウォルターの猟犬だ】
「そうらしいな」
意味もない宣言に彼は平坦な声で応えた。それが何故か、ひどくありがたく感じて。
【彼の命令なら、私は何でもするだろう】
「そうだな」
【ルビコニアンからコーラルを奪えと言われても】
「そうか」
【あなたと戦えと言われても】
「俺もボスの命令ならそうする」
【負けないが?】
「奇遇だな。俺もだ」
冗談とも本気ともつかない会話を交わしていると、チャティが動かすドローンの目がチカチカと光った。それが何らかの感情――に似た何かの発露なのかまでは分からない。
【だから、コールサインを変えようと思う】
「待て。何故そうなる」
急停止した車椅子から転げ落ちそうになった。そういえば「レイヴン」の意味について知っているのはルビコニアンと独立傭兵だけだったか。とりあえず、「心境の変化」とだけ伝えておいた。間違ってはいない。
【何か良い案は無いだろうか】
「そうだな……、フレイムフライとダウンギャンブルのどちらが良い」
【やっぱり自分で考える】
何故だか不吉な響きに悪寒を感じたので却下した。何故だか。
「ワイルドキャットはどうだ」と追撃してくるチャティを躱しながら周囲に目を向ける。外に向かうにつれ人も少なくなり、その為か正面から近付いてくる二人がよく目立った。
「くそ、なぜ俺たちがこんな真似をしなければならん……」
「諦めなよ、ACに乗るばかりが仕事じゃないでしょうが」
不機嫌そうな顔の男性と、気だるげな表情の女性。企業の人間ともルビコニアンとも違う雰囲気に「AC」ときた。おそらく独立傭兵だろう。
それはともかく、女性の方は服の趣味が、そのなんというか、凄い。まさかあの格好でここまで歩いてきたのだろうか……。
なるべく目を合わさないようにしながら通り過ぎ、少し遅れて、また二人組が近付いてくる。
「さあ――ょうか、レ――ン」
綺麗な身なりの女性だった。自らの手で車椅子を押しており、それに座る人物にしきりに話しかけている。何を話しているのかまでは聞こえない。単に距離が遠いせいでもあるが、何よりもその人物の姿があまりに特徴的すぎた為だ。服の趣味という意味ではなく。
「……」
――……?
全身に包帯が巻かれた異様な姿。男なのか女なのかも分からないその姿に、621は親近感と嫌悪感を同時に覚える。
すれ違う瞬間、わずかに視線が交わった気がした。だが言葉を交わすこともなく、女性の高い靴音と車輪が回る音が遠ざかっていった。
あの人物に抱いた悪感情。それは、同属嫌悪と呼べるものであったかもしれない。
「どうした、ビジター」
微かなバイタルの乱れを検知されたか、チャティの音声に心配に似た響きが混じる。首を横に振って応えていると、更に前方から騒がしい声が聞こえてきた。
「見つかったか!?」
「まだ報告はありません。しかし
「馬鹿者! 来ると言ったら絶対に来る! レイヴンはそういう奴だ!」
【縺上=w縺嫖rftgy縺オ縺倥%lp】
今度こそ本当にバイタルが乱れた。
「どうしたビジター。
【だいじょうびじゃなえ!】
「そうか、頑張れ」
言ったじゃないか! 封鎖機構の特務部隊は撤退したと言ったじゃないか! 肝心な相手がまだ残っているぞ説明を求める!
「いいか貴様ら! レイヴンを排除するまで我々はこのルビコンから一歩も出んぞ! これから先はシステムではなく俺に……いや貴様らの感覚に従えッ!」
「「「うおおおっ!」」」
気合いの入りすぎた裂帛と共に特務部隊の隊員たちが散っていく。それを見送っていた最後の一人、つまり特務上尉の顔がぐるりとこちらを向いた。
「――においたつなぁ」
【人違えですまべ!】
「揺れるぞ、ビジター」
その後、何故かチャティに搭載されていたアサルトブーストで旧宇宙港の中を逃げ回る破目になったのだが、それは別の話である。
これが終わったら絶対にコールサインを変えよう。「レイヴン」の名前は返上しよう。逃走中、621はひたすらそれだけを考えていた……。
▼△▼△
壮絶な逃走劇の末、追手をなんとか撒いた621達は旧宇宙港を脱し、更地になった滑走路に停められたヘリの前に着く。その足元には、既にひとつの人影が佇んでいた。
「ビジターを届けにきた、ハンドラー・ウォルター」
「あぁ、ご苦労だった」
苦労した。いや本当に。
「用件はそれだけだ。じゃあな」と、いつもの挨拶だけを残してチャティは帰っていく。後にはただ、無言の621とウォルターだけが残された。
【ただいま帰還した、
「……あぁ」
何も言おうとしない彼に先んじてメッセージを送る。鉄の表情を微かに歪めてみえた彼はだが、すぐに淡々とした口調で話し始めた。今までのように。
「お前の飼い主としても休息を与えたいところだが、企業は既に動き始めている。あとはコーラル集積地点を――」
アイスワームが撃破され、戦力の過半を喪失した封鎖機構――一部を除いて――はルビコンから撤退。共通の敵がいなくなった以上、ベイラムとアーキバスは再びコーラルの争奪戦を始めることになるだろう。
特にアーキバスは封鎖兵器の多数鹵獲に成功しており、今後の戦いはアーキバス優勢に傾くとウォルターは見ている。故に、集積地点への先行調査を兼ねた露払いとしての仕事を得るためアーキバスに売り込みをかけ、既にその約束も取り付けてきた。
「ウォッチポイント・アルファ。そこにコーラルはある」
カツン。杖を鳴らしながらウォルターが一歩、近付く。杖を握っていない左手が逡巡するように動いたが、その手は621に触れないまま元に戻った。
「俺達の仕事も大詰めだ。お前にも、最後まで付き合ってもらうぞ」
深い瞳が621を見下ろす。そこに生温い情はもう見えず、冷たい無関心もまた無い。在るのは確かな意思の光。
故に621も、彼の猟犬としてそれに応えた。
【了解】
それで良い。
それが良いのだ。今は、まだ。
未来を語るのは自由を得てから。この仕事を終えてからのこと。それまではハンドラーと猟犬であれば良い。
すべては、全てが終わった後に。
その大事な事を621は、あの夢で見た人物に教えてもらったのだから。
……それはそれとして。
【ハンドラー、ひとつ報告がある】
仕事の前に、もう一仕事だ。