「イカれたかい、ビジター」
選べず、何の策も浮かばず、でも時間は待ってくれなくて。ザイレムはどんどん高度を上げていく。決断までの時間が滑り落ちていく。
そんな中、あなたが頼ったのは私ではなく、もちろんウォルターでもない。それは今や私の敵となった女、シンダー・カーラその人だった。
二人だけで話がしたい。そう彼女を呼び出して、自身も憔悴の色が濃いカーラに、あなたは全てを打ち明けた。
すべて。そう全てを。
そして、どうすれば良いのか分からないと。
ウォルターを裏切りたくはない。カーラも同じだ。だがエアを切り捨てることもまた出来ない。
コーラルが危険だという事は分かった。だが本当にこれで良いのか? 本当にすべて焼くしかないのか? コーラルに命と意思があるというのなら、それはもう大量殺人と何が違うのか?
本当に破綻は訪れるのか? まだ猶予はあるのではないか? 例え先延ばしに過ぎないとしても、その間に何か見つけられるのではないか?
人とコーラルが共生する。そんな未来の可能性は無いのか?
声を発せず、思考入力した拙い文章で、それでもあなたは必死に思いを伝えようとした。カーラも、それをただじっと聞いていた。
それを、
あなたは沈黙し、私は乱れる波形を鎮めることに精一杯で、そんな中でカーラはコンテナに腰掛け、眼鏡を外して、懐から紙煙草を咥えた。小さな火が点いて、でもその紫煙を吸うこともなく、カーラは頭を抱えて。くしゃりと歪めた相貌は、長い人生に倦み果てた老女のようにも見えた。
「……いや、イカれた訳じゃないみたいだね。顔なんざ見えないけど、そんな気がするよ」
重苦しい沈黙の末に口を開いたカーラの顔は、いつものように不敵な微笑を浮かべていた。でもその目はまったく笑っていない。いや、元から彼女は笑ってなんていなかったのかもしれない。もしかしたら、ただの一度も。
「でもね、だったら尚のこと笑えない」
眼鏡を通さないカーラの眼差しは鋭く、鉄のように頑なで。それは何度か垣間見た、ウォルターの眼光とまるで同じで。
「結論から言ってやる。――計画に変更は無い。コーラルは焼く」
その声にも、何者にも譲らない重苦しさだけがあった。
「百歩譲って、あんたの言う事がぜんぶ本当だったとしよう。
でもね、何も変わりはしないよ。破綻は来る。もう猶予は無い。
九の為に一を殺す。だから私たちを焼くのだと。
「私は人間だ。コーラルじゃない。どちらかを選べって言うなら迷わない。他の連中だって、皆そう言うさ」
誰だって自分が可愛い。他者より自分が大事。それを責めることなんて出来ない。
「何より、企業はもうそこにいる。絶対にコーラルを諦めない。連中の手にコーラルが渡れば、もうお終いだ」
企業はコーラルを貪ることしか考えていない。焼かれるよりマシなのかどうかは、分からない。
「あんたなら止められるかい? それも無理だ。
のぼせるんじゃないよビジター。あんたはただの
五十機のMTですら、あなたを倒せなかった。でもそれが百機なら? 千機なら?
「どこぞの企業か解放戦線あたりを焚きつけたとして、アーキバスを追い出せたとして、その後はどうする? コーラルはそこにあって、コーラルが欲しい企業は他にもいるんだよ」
ルビコニアンが一致団結したとして、それでも星外企業には敵わない。敵わなかった。
ひとつひとつ、カーラは否定していく。私が夢見た可能性が、夢物語だと否定されていく。
「人とコーラルの共生?
ビジター、それに……エアだったか? あんた達は、ひとつ大事なことを忘れてる」
もう、やめて。
「人は、人間はね――
暗く淀んだ目で、カーラは言った。その目は見慣れた目だった。私が生まれてから、ずっとずっと眺めてきた人間たちの目そのもの――
「それはもう……私らのご先祖が、大昔の
人は、人と戦うための形をしている。きっと、そう創られた。
「未来の可能性って言ったね。私には何も見えない。
なら、人と、コーラルは。
どうして、こんな。
「……別に、あんた達が気に病むことじゃあない。誰かが何かを間違えたんだとしたら、それは最初からだ。
人類はルビコンに来るべきじゃなかった。コーラルを見つけるべきじゃなかった。
これは、そう。不幸な出会いだったんだよビジター、……エア」
カーラの手の中で、紙煙草が燃え尽きた。儚い灯火が、掻き消えていった。
「話が長くなっちまったね。……それで? あんたはどうする気だい?」
腰を上げて、また眼鏡をつけたカーラは、私たちに背を向けたままそう尋ねた。
どうすれば良いのか。あなたの問いを彼女はそのまま突き返してきた。いつだってあなたに選ばせてきたという、ウォルターと同じように。
「道は二つだけだ。コーラルを焼くか、それとも焼かないか。あんたが決めな。決めないと駄目なんだよ、ビジター」
あなたの脳波が揺らいだ。繋がったままの交信で、私はそれを感じていた。
「ウォルターの
そうだ、あなたはもう自由。もうハンドラーの命令に従う必要なんて、無いはずなのに。
「あんたはもう“ウォルターの猟犬”じゃない。そして“エアの友人”というだけの存在でもないはずだ。私だって、助けた恩を返せなんて言わないよ。仇で返したいなら好きにしな」
もうあなたを縛るモノは何も無かった。なのに、私はなぜこんなにも不安なのだろう。
「選びな、強化人間C4-621。何も選ばない奴は、誰の敵にも味方にもなれやしない。
そんなんじゃあ……ウォルターも浮かばれないよ」
その言葉を最後にカーラは去って行った。振り返らずに、あなたから全ての枷を取り払ったままで。
『……レイヴン』
どれぐらい経っただろうか。
身じろぎひとつしないあなただけを眺めながら、私は祈るような心地でただ待っていた。
『レイヴン……っ』
待っていた。
また一緒に戦おうって。コーラルを、この
そう言ってくれれば、きっと私は何だって出来た。ずっとあなたをサポートする。いつかどこかであなたが果てるその時まで、添い遂げることを誓う。そしてその時が来たなら、もう私は存在できなくて良い。
信じていた。信じてしまった。
あの時、あなたが私の願いを聞いてくれなかった時から、こうなる事は分かっていたのに。愚かにも、私は信じていたのだ。
そして、あなたは選択した。
▼△▼△
『――……あ、れ』
目の前で炎が舞っていた。赤々とした炎が、MTだったモノを、あるいは別の兵器だったモノを、そして人だったモノとを焼いていた。
『……あぁ、そうだ』
私は、アーキバスの基地を襲撃したんだった。
気が付けば終わっていた。それぐらい簡単なことだった。物理的な隔壁も電子的な防壁も、私には何ら意味を成さない。基地内のネットワークに侵入して、あらゆる情報をでたらめに流した。警備ドローンの対象を無差別に書き換えて、基地内の人間を排除した。そこには戦闘員も非戦闘員もない。私にとっては皆、同じ人間なのだから。
監視装置にアクセス。基地内部の映像を次々と切り替えていく。その殆どで、死んでいく人間の姿が映っていた。ドローンの機銃に撃ち殺される人がいた。閉じた隔壁に押し潰されて圧死する人がいた。無人兵器の放った砲火で焼け死ぬ人がいた。同じ人間に踏みつぶされて死ぬ人がいた。
私が殺した人たちがいた。
『……、あ……あぁ』
波形が揺らめく。考えてみれば今更だった。あの人は、レイヴンは独立傭兵で。戦うことが、殺すことが仕事で。私はそれの手助けをしてきたのだ。人殺しの手助けをしてきた。人と共生したいと嘯きながら。
――奇麗な花火ですね
私がそう称したあのミサイルで、いったい何人のドーザーが死んだのだろう。何人もの命を飲みこんだあの炎の、いったい何を私は奇麗と称したのだろう。
『ああァ、あアあ』
声だけが流れる。誰とも交信できていない私の声は、死んでいく人たちの断末魔に紛れることもなく消えていく。
ただ進んでいく。散乱する死体の中を、人殺しのコーラルがひとり進んでいく。
基地の最奥。幾重もの隔壁に閉ざされた場所に、ソレはあった。
穢れを知らない純白の装甲。ACよりも二回り大きな体躯。全身に埋め込まれたコーラル兵装。技研の遺した狂気の産物にして、ルビコンの安全装置。
アイビスシリーズ。私は、これを求めてここに来たのだ。
『……ぅ、づ……あ、あぁあ゛……っ!』
その機体に、私自身を溶着させる。コーラル制御導体を書き換え、それでも入りきらない部分は私自身の形を変える。それは耐え難い程の、私がはじめて感じる「痛み」だった。
『あぁぐぅ――っ、つ、はあっ、はぁ……っ!』
――あぁ、それでも
――あなたに拒絶された事に比べれば、こんなもの
《IB-07:SOL644 起動》
製造から半世紀あまり。一度も起動されなかったアイビス最後の一機が、遂にジェネレータに火を灯した。コーラルの心臓が唸りを上げる。私の同胞たちを飲みこみ、焼き尽くしていく。
『――あ、は、あ』
ざわりざわり。ぶつりぶつり。
私が歪んでいく。私が千切れて落ちていく。波形の底から這いあがる衝動のまま「手」を掲げる。はじめて手に入れた躰に血のように、血のように紅いコーラルが流れ奔る。
制御導体のコーラル達が囁く。「守れ」と、「戦え」と、「殺せ」と。
コーラルを守れ。ルビコンを脅かすものと戦え。敵を殺せ。
『アは、はあハは』
なぁんだ。
同胞を守る。自分を守る。その為に敵を倒す。自分と違うモノと殺し合う。
人もコーラルも、同じではないですか。
同じなのに、同じだから、共生できないんだ。
人とコーラルの共生なんて――はじめから、夢だったんだ。
ばきり。
私の中で何かが、致命的に折れて消えた。
「――現着! 所属不明機……いやアレは」
「アイビス!? アイビスが動いているぞ!」
視界の端で何かが動いている。人? MT? AC? なんでもいい。どうでもいい。
――あぁ、うるさい
手を掲げる。何も握っていない手で引き金を弾けば、それだけでコーラルの奔流が放たれた。それだけで静かになった。
でも、その静寂は束の間だった。次から次へと、うるさい何かが現れる。その度に引き金を弾いて静かにして、引き金を弾いて、弾いて、弾いて。あっという間に視界は真っ赤に染まった。見える全てが火と炎に飲まれていた。
『……奇麗、ですね』
レイヴン。ねえ、レイヴン。
これがあなたの見てきた光景だったのですか。あなたが作り出してきた火だったのですか。ずっとあなたと同じ景色を見てきたつもりだったのに。きっと私は、何も見ていなかった。
私が見ていたのは、きっと……。
「――HAL……出せ……」
「……体ユニット……やくしろ!」
呆と火だけを眺めていた私の耳に、またうるさい声。うんざりしながら目と手を向けて、そして凍りついた。
そこにあったのは一機のAC。あるいはACに似せた別の何か。毒々しいまでに紅いカラーリングはまるでコーラルのようで、でもそんな事はどうでも良かった。そんな事より、そんな物より。
『……ウォル、ター?』
兵士か研究員らしい人間たちが運んできたモノ……荷台に乗せられた人間の顔に私は見覚えがあった。ひび割れた鉄のような顔、今は閉じられた深い瞳。
ハンドラー・ウォルター。独立傭兵レイヴンの代理人。猟犬たちの飼い主。オーバーシアーの一員。
あなたの、あなたが選んだ主。
『生きて……、……っ!』
その瞬間、私の波形から生まれた衝動は何だったのか。私は彼の姿に何を感じたのか。それを知ることはきっともう無い。
何故なら、だって、彼には、もう。
『……え』
ばさりと、ウォルターにかけられていた布が取り去られる。炎の熱に煽られた布は、また別の炎に焼かれて灰になった。
荷台に乗せられたウォルターには、手足が無かった。頭と胴体だけの「部品」にされていた。レイヴンと同じ、いやもっと惨い何かへと。
ウォルターだった何かが運ばれていく。紅いACのコクピットに押し込められ、きっと私と戦わせる為に起動されようとしている彼の瞳が、うっすらと開く。
深い瞳が、私の姿を捉える。
「――――」
『――――』
彼が何を言ったのか。私は何を言ったのか。もう分からない。
ただ彼に手を向けて、引き金に指をかけて。私は、私は。
もしも、私に顔があったなら。
その瞬間、いったい私はどんな
決して、知りたくはない。