輝く星になれたなら 作:ケジメファイア
「ミック、調子は」
シューズに足を納めている私に、トレーナーさんは少し心配そうに聞いてきた。
「マンダリンが昼飯ん時にうるさかった。昨日からまともにご飯を食べてないって」
「うん、それは……ごめんなさい」
食べるのもアスリートの仕事で、トレーナーがそれを懸念しているのはわかる。
「状態を自己判断して、どうだ」
「7割5分ぐらい」
学園から、バスにみんなで乗ってきた。バス酔いもしたし、何故だかご飯も喉を通らない。それに、少し不安だ。
理由もわからない、原因も見当たらない。ただ、何故だか不安だった。
それはやはり、脚や心臓の状態、走るための状態が整っていないからか。
「なんだろう、なにか、歯車がずれてる感じがする」
「……そうか。ただ」
「うん。負けるつもりは更々無いです」
私は最強にならなければいけない、この世代のダート最強にならなければならない。
そのためには海外で活躍し、次走はダートの祭典、本場アメリカのBCクラシックを目指す同世代、デルマソトガケさんと直接対決するまで勝ち続けなければいけないんだ。
「なぁ、ミック」
シューズの紐を結び終えて立ち上がり振り返る。
「お前は、三冠ウマ娘かもしれない」
「うん。だから!」私は今日も勝つ。
「違う。お前はミックファイアでもある。忘れるな」
何を言いたいのかよく分からなかった私の戸惑いが顔に出ていたらしい。トレーナーが去った後、あんちゃんは気にするなと言って白の大きな髪飾りを結んでくれた。
「行ってこい。ミック!」
「行ってきます!」
雨が深く地面に残る、雨上がりの蒸し暑い10月の頭。
視界にはモヤがかかり、不快な汗が肌を伝う。ダートの覆水率は高く、表面に水溜まりが浮かぶ。文句なしの不良。
パドックの時点で汗が浮かび、私たち出走ウマ娘はみんな、返しウマを終えた後のゲート裏でタオルを借りて顔を拭いていた。
顔中も、服も、体も、泥だらけになるのは目に見えている。というか、すでになっている。
「ファンファーレなります!」
タオルを係員の人に返し、ゲート裏でゆったりと体をほぐした。
スタンド前のホームストレッチ奥、ポケットにあるゲートからはスタンドの照明に照らされる滑走路が見える。
「盛岡レース場、第11レース、最終レース。今日のメインは第36回ダービーグランプリM1、シスキン賞です」
最後の枠入りが私。
「いよいよファイナル。ダービーグランプリ、今年は7人です」
「バ場コンディションは不良、ゲート係員離れます。ミックファイアさん、収まります」
7番ゲート、大外。夜の帷が下り始めた時間、雨上がり独特の空気が鼻の奥をつく。
体を沈み込ませて。
「ミックファイア、収まって……態勢完了」
ゲートを出た瞬間、少し煽って外に弾かれる。それで脚の滑りを整える一呼吸が出来た。
勢いよく前を捉えようと外から被せていく。
「スタートしました。第36回ダービーグランプリM1です」
ダートの砂の踏みしめ心地は最高。しっかりと脚抜きの良い、水を含んだ土を蹴り飛ばしながらハナを主張するべく一気に突っ込んだ。
「外からミックファイアが行こうとしています。7番のミックファイア、ハナを切るか、ハナを切りました」
サベージは最後方なのは間違いないし、他にも前を行こうとする子は居ない。このダートの状態であれば、下手に番手につけて泥を被りながら不利なコースを行くより、かなりの向かい風を受けながらでも先頭を主張して走りやすいまま行きたい。
「ミックファイア先頭、その後ろに付けまして3人固まっておりまして6番のマンダリンヒーローです」
「2番のルーンファクター、そして3番のタイガーチャージ中団、2バ身から3バ身差1番のベルピット」
「4番のニシケンボブ、大きく遅れまして5番のサベージ最後方です」
ホームストレッチ。1度目の歓声が私たちの体にぶつかってくる。
こんな安易先頭を取れるとは思えなかった。逆に、すぐ後ろのマンちゃんは私のことだけを見ている。その後ろもみんな、私の背中だけを見てマークしている。それを力で捩じ伏せてみせたい。
1度目のゴール板を、少しだけ強く踏みしめながら通過。
「さぁこれから1コーナーに入ります。7番先頭です。リード1バ身」
残り7ハロンの標識目印に左に急旋回。角度は中々にキツイ。普段から大井のカーブで鳴らしているから、これぐらいの幅の狭いカーブの方が曲がりやすい!
「2番手グループ固まりました、マンダリンヒーロー、1400を通過、内を進んで2番ルーンファクター、外はタイガーチャージ」
足音で誰がどの位置にいるのか、耳の神経一つ一つが活性化されて脳の奥で処理をする。
「更に1番のベルピット、差がなく1バ身差4番ニシケンボブです。最後方は今日も自分のレース、5番サベージです」
本当に一歩、二歩のすぐそこの距離で右後ろで私を睨んでいるマンちゃん。内で距離ロスを減らしながらマークしているルーン。足取りは、大井に居た頃と全く違う。外に少し膨れているのがタイガーで、2人内で雁行しているのは……サベージじゃない。知らない足音、ホッカイドウの2人だ。サベージは今日もとてつもない後ろから大まくりしてくるつもり。
「1200を通過、向こう正面へ。先頭ミックファイア、リード1バ身」
「6番マンダリンヒーロー2番手、外に3番タイガーチャージです」
「更に内を進んで2番ルーンファクター、外1番ベルピット、2バ身差で4番ニシケンボブ」
怖いくらいにピッタリマークしてくる。
そりゃそうかも。マンちゃんは、私が自由に前を行けたら楽しく走れてしまうことを、許してくれない。
あぁ。不自由だ。とても不自由だ。
ただ、無限に続く砂っ原を裸足で無限に走ることができたらいいのに。
「1000メートルを切りました!」
向こう正面、やや差が縮まるように、マンちゃんが背後に近づいてくる。
「最後方のレース、5番のサベージ」
「さぁ前の6人からは少し、5バ身6バ身離れています」
「前の集団7番ミックファイア800を通過、リードはクビ位」
マンちゃんがジワジワと進出してくる。
いつものように二の足で突き離せば、誰も私に追いついてこない。誰も、追いつくことすら出来ないまま逃げ切ることができる。普段は差を詰められる事なんて無かったのに。
「並んでくる6番マンダリンヒーロー、マンダリンヒーローが2番手!」
なんで突き離せないの?!
どうして並びかけられているの?!
「3番手3番タイガーチャージ、1番のベルピットが動いていきます」
「そして内を進んでルーンファクターです、ニシケンボブ、600を通過」
「追いついてきた5番のサベージです」
気づけば足音と息遣いが6人ギュッと詰まってきた。詰まってきたように、感覚が鋭敏になっている。捉える範囲が不必要なまでに、間延びしているかもしれない。
「前の争いですが、さぁ2人並んで内は7番ミックファイア!外は6番のマンダリンヒーローです!」
2番手マークから、完全に勝ちを狙う追い出し。マークを突き放す事が出来ないまま、最終コーナーで外からマンちゃんが一気に被さってきた。
「さぁ、今度はマンダリンヒーロー出るか400を通過!」
「内はミックファイア、2人並んでいる!」
「1番ベルピット3番手、4コーナーから直線コースへ!」
直線。スタンド前の大歓声が向かい風のように私たちに叩きつける。その声は、マンダリンヒーローによるジャイアントキリングを望む声か。遂に怪物をヒーローが討ち果たす時が来たかという歓声か。
それとも、私を応援してくれる声か。
「内は7番のミックファイア、ミックファイア!最内は1番のベルピット、外6番のマンダリンヒーロー……」
内、左側は気にしなくていい!伸び足は最後が怖いだけ、それよりも……右のマンダリンだ!
「200を通過!」
砂を踏み締める力を更に込める。踏み出して、飛び上がって、ストライドとピッチの合いの子のような跳び方で一気に駆け抜ける。
すぐ右隣。
そういえば、いつも遊ぶ時、マンちゃんはここに居た。レースでこんなすぐそばで、肩をぶつけ合って競い合うなんて……とても楽しい!
「先頭はミックファイアか、ミックファイア!」
私が少しだけ前に出る。ひと瞬きの間に気を抜けば、順番が入れ替わるほどの小さな差。
「外マンダリンヒーロー、ミックファイアとマンダリンヒーロー!サベージが伸びてくる!外からサベージベルピット!」
こんなところで負けられない。私は、勝たないといけない。
大井の三冠ウマ娘、世代最強になるウマ娘、ダービーウマ娘として、ミックファイアとして!
「先頭はしかし突き放した!」
「ミックファイアだ!ミックファイア!」
「最強です、ゴールイン!」
ゴール板は、あっという間だった。
「ミックファイア!最後は突き放しました」
「最初から最後まで……ダービーグランプリ、レースを制した、ミックファイア!」
コースを流して、大歓声が降り注ぐスタンド前に戻る。
「……あれっ?」
みんなからの握手も、歓声も、何故か、身に入らない。
歯車がズレた感覚は、もはや完全にカムが飛んでしまったような、軸受が壊れたような感覚だった。
「私は、ミックファイア。そう、だよね」
何かが、ない。
空っぽの空洞が、ある。