二乃達の入れ替わりが発生する条件には、睡眠といった一時的な無意識状態となることの他に精神的、または肉体的なショックを受けた場合も起こりえることは風太郎も理解していた。
肝試しというイベントなどまさしくであり、二乃本人も風太郎も覚悟はしていた。
だから"彼女"の振る舞いが変わった直後に、風太郎は入れ替わりが発生したことに気が付けた。
「一花……!」
「やほー、この前の授業の日以来だね」
「…………」
「黙っちゃってどうしたのさ? あ、そっか。その後にも君は私を見かけたんだっけ?」
確か、と続けながら顎に人差し指を当て、上目遣いで空を見上げる一花。
何かを思い出すような、あざとい仕草はしかし一瞬で、次の瞬間には目線を風太郎へと向けると共に口角が吊り上がっていた。挑発的な笑みである。
「私が前田君に誘われちゃった日」
「…………」
「あーあ、前田君も可哀そうだなぁ。結果的に言えば、せっかく順番的には私が三日目の番になるはずだったのに、フータロー君が二乃に余計なことをするせいで私、約束破らないといけないじゃん。彼、最終日で一人ぼっちだよ?」
「余計なこと……?」
「そ、余計なこと。前に言ったじゃん? 私達は自分自身を相手に嫉妬しあう体質だって。四葉のことは二乃だって知ってるはずなのに、それなのに君のことを──」
「やめろ!」
反射的に怒鳴っていた。
一花の言葉を遮るようにした風太郎の叫びは、事実一花を黙らせることには成功していた。
しかし、感情を荒立たせての一言だったというのに、未だ一花の表情を崩れない。
むしろ、冷静を保てていないのは風太郎の方であった。
風太郎は見てしまった。二乃が入れ替わる直前、月明かりに照らされた彼女の表情を。
言葉にされる前に気づいてしまった。彼女の気持ちを。
入れ替わってしまうことは仕方ない。どうしてもこういった時、緊張は高まるものだし避けられなかったことだろう。
だけど、だからと言ってその続きを一花がしてよい理由などない。
「それ以上は言うな……そこから先は、お前が言っていいことじゃない……!」
「怖いねフータロー君」
「お前が余計なことを言おうとするから────」
「違うよ。君のデリカシーのなさが怖いって話だよ」
「はぁ……?」
急に何のことかと、感情の高ぶりにより呼吸が荒くなりながらも、震えた声で返事をする。
対して、なおも淡々と一花。
「君のその態度のおかげで、二乃は気づいちゃったんじゃないかな。"気づかれちゃった"ことに」
「────!」
「唐変木の君にしては昨日と今日は頑張ってたね。きっと相手が"私達"じゃなかったら上手くいってたと思うよ」
一花の言う事を否定できなかった。
実際、どこか頭の片隅で冷静に状況を見ている自分は、つい先ほどまで自画自賛をしていた。よく二乃の気持ちに気が付けたと。
今となっては、さっきの状況が続いていたとしたら、その先があったのかは分からない。
もしも入れ替わらなかったら。
もしも裏に控えている人格達も常に今の状況を見ていることを、一瞬でも失念しなかったら。
そんな後悔が今更になった頭の中を濁流のように流れていく。
本当は体質のことなんて関係ないと、悪いのはお前だと否定したかったが、言葉にするに足る根拠が自分自身見いだせなかった。
故に黙ってしまった風太郎を前に、勝ち誇った笑みを浮かべると一花は先へと歩き出した。
同時に、一花のスマホのライトが点灯された。二乃が頑なに再点灯しなかったライトだ。
「先行こ。さっき係の人に怒られちゃったし」
「…………」
風太郎は歩き出さなかった。一花とは行動を共にしたくなかったから。
その様子に一花は初めて唇を尖らせ、不満げな表情を浮かべた。
「別にいいけど。途中からの肝試しなんてつまらないし、棄権しちゃってもいいかな」
「なら来た道を戻ればいい。まだ折り返し前だからその方が早いだろ」
「でもいいのかな?」
「何がだ」
「このまま先へ進んで、私を上手く驚かせたらさっさと入れ替わらせられるかもしれないよ?」
「…………」
やはりそれは、正しい提案だった。
苛立ちを最早隠せないでいる風太郎にとって、一花はさっさと入れ替わってほしい相手であった。
だから提案自体は、自分にとっては望ましいものであった。
少々不安なのは、肝試しのここまでの出来から察するに、あまり期待できる内容でもなさそうなことくらいか。ただ、この先で一花にとってクリティカルとなるような仕掛けが待っていないとも限らないため無下にもできなかった。
そして最も気に入らないのは、どうしてそんな一花自身にとって不利益にしかならないような提案をわざわざしてきたのかということであった。
まるでうまい話があると言われ詐欺にかけられそうになっている気分だった。
断ろうかとも思った。
だけどここで棄権したとしても胸の苛立ちは消えないし、進んだとして悪い出目になったとしても、より気分が悪くなるだけだろうと思った。
だとしたら、進むべきかと考えた。
気分ならとっくの昔に最悪だからである。
「……いくぞ」
「はーい」
低く、唸るような声で告げた後に前進をし始めた風太郎。
その後ろを一花は軽快な足取りで続いて行った。
意外だったのは、肝試しを再開させてから一花はあまり話さなくなったことであった。
てっきり、意図は依然としてわからないものの、こちらの神経を逆撫でするかのような話を延々と聞かされるかと身構えていたから拍子抜けだった。
もしかしたら実は案外ビビっているのかと、時折振り返って確認するが、別にそういうわけでもなく飄々とした顔で歩きスマホをしていた。
(楽しむ気ゼロじゃねえか……なにが"途中からだとつまらない"だよ)
会話も無く、黙々と二人で歩く時間が過ぎた。
自分一人だけが内心でやきもきし続けていると、段々それも馬鹿らしくなってきた。
冬の寒さのおかげもあって頭だって多少は冷えてきた。
だから少しだけ、再び一花と向き合う体力を取り戻した風太郎だった。
「聞いてもいいか?」
「なにかな?」
「お前はどうしてそんなに他の奴らや俺の邪魔をするんだ?」
「君はさておき、他の子達を邪魔だと思わない理由って逆にある?」
即答だった。
風太郎だって一花が元の体の持ち主で、後天性で他の人格が芽生えたと聞かされた時には考えなかったわけではない。
一花は自分の体を乗っ取られたように感じているはずだと。
「折り合いをつけて共存するとかできるだろ。事実、他のやつらはそうしてる」
「じゃあ君がやってみなよ。明日から君が体を動かせるのは五日に一回。他の四日は漫画読んだり、友達とくだらない話したり、激しい運動をしたりするのを眺めてるだけ。君の好きな勉強なんて全然しないでね。それで運が悪いと、運動翌日の筋肉痛とかは君の番ね」
「…………」
確かにそれは嫌だな、というのが率直な感想だった。
それを安易に口に出しはしなかった。
けれどそれは悪手だった。
一花は畳みかけるように続ける。
「それと、これは例えばだけど君は話したこともない女の子と恋人同士になっちゃったとしようかな」
「かの……」
「もちろん君じゃなくて、君の中にいる他の人格が見つけてきた女の子ね。で、その女の子が君の番の日に目の前に現れてこう言われるの。『彼に変わってもらえないかな?』って」
「────」
一瞬だけ、一花の気持ちを感覚で追体験した気になった。
なるほど胸糞が悪い。
その女とやらにとって、目的は同じ体に住む同居人であり、自分という存在は無価値なのかと問い詰めたくなった。
「そんなこと言われたらさ。当然嫌いになるでしょ。その女の子のことも」
「…………」
「その女の子になろうとしてるのが君だよ。フータロー君」
自分はそんなことは言った事はなかった。ただ、一花はあくまで例え話をしていた、恐らく考えうる限り最悪のケースに例えているのだと思った。
言われ、思い出したのは花火大会の日だった。
初めて会った日、一花は風太郎に対して最後に『嫌い』だと自身の気持ちを伝えてきた。
あの時には既に、そこまでのことを考えていたのかと、風太郎は一花が自身の境遇に対してどれほど悲観的に考え込んでいるのか、その苦悩の一端を垣間見た気がした。
けれどであった。一花の話は筋が通っていて、共感し得る内容だが明らかにごまかしているところがある。
「だがそれでも、あいつらは前を向こうとしている」
今までの話は全て例え話に過ぎないのである。
確かに今まで、他人の意識と体を共有する経験をしたことのない風太郎にとって明日から”そうなれ”と言われても、にわかに受け入れられないだろう。
現に、一花は今になっても受け入れられていないし、そう簡単に慣れるものでもないのだと思う。
だけど、この議論の関係者は風太郎と一花だけでは完結しない。
二乃と、三玖と、四葉と、五月という後四人も関係者がいて、しかも四人全員が今の状況を受け入れているのである。
つまり意見が一致し、正解に思えた風太郎と一花の"受け入れられない"という考え方はむしろマイノリティなのである。
考えを改めなければならないのは、やはり自分達ではないか。そう考えた矢先に、一花は返事をする。
「それはあの子達が、産まれた瞬間から多重人格だからだよ」
流石にこの問題に対して向き合ってきた年季の差とでも言うべきか、まるで用意していたかのようにあっさりと反論が飛んできた。
生まれた時から多重人格なのと、途中から多重人格になるのでは話が違う。一花はそう言っているのである。
確かにこの多数決において、票が二分している原因というのは一花の反論こそがまさしくであり、風太郎にとって苦しいのは自分が一花側と同じ主張であることだった。
二乃達の弁護に回ろうとしても、感情論ではどうしても一花側へと引っ張られてしまう。
「フータロー君、君ずっと言ってたよね。『恋愛など、最も愚かな行為だ』って」
確かに言った。それも常日頃から思っていた自分のポリシーのようなものだ。
「私も同意見だよ。私達にはもっとしないといけないことがあると思うんだ」
そうだ。自分はもっと勉強をして、誰よりも頭が良くなって、稼げるようになってらいはを楽にさせないといけない。
「だからさフータロー君。これはチャンスだよ。私は君が嫌い。君も私が嫌い。なら関わらなければいいと思うんだ?」
「…………」
「どうかな?」
一花が振り返った。
おそらくわざとではないだろう、手に持っていたスマホのライトの向きが悪く、たまたま顔に当たり、目が眩んだ。
思わず手を遮るように前にかざしたが、それと同じタイミングで眩しさがふっと消えた。
「うそ、バッテリー切れちゃった。四葉充電し忘れちゃったのか」
「自分で消したんじゃないのか……?」
つい先ほどと同じ状況に陥った。
明るい状態から暗い状態への落差により、一時的にだが鳥目となった。
今回はライトの光を直接浴びた分、暗闇のはずなのに網膜に焼け付いたような跡が見えた。
「ライトは本当に偶然。まあいいや。先行こ」
袖を引っ張られる感覚がした。一花だろう。
「お前は見えてるのか?」
「全然」
「なら少し待て、危ないだろ」
しかし止まらなかった。
「ちゃんと道になってるんだし平気だって。それに転んだからってどうというわけないし。入れ替わるぐらいでしょ」
「ぐらいって、お前……」
「どうせ私は後寝るだけだもん。私の林間学校は終わったようなもの。だから入れ替わりだってどうでもいいんだよ」
そう話続けている間も、二人揃って何も見えないまま歩き続けていた。
ただ、先を行く一花は直進すればよいだけという当て感だけで前進していく。
「いたっ」
「どうした?」
「小さい木にぶつかっちゃったみたい。脛を軽く打っちゃった」
「おい、やっぱり少し待つくらいいいだろ」
「大丈夫だって」
再び袖を引っ張る感覚がした。
しかし進行方向が少し左へ曲がったような気がする。
ただし、この時何か忘れているような気を風太郎はしていた。
しばらく直進をしたころだった。
ようやく目が慣れてきた。
一花が立ち止まった。
風太郎も釣られて立ち止まる。
「ねえフータロー君」
「なんだ」
「もう目は戻った?」
「ああ」
「じゃあさ」
それから一花は振り返ると、風太郎の肩を通り抜けるようにして後ろへと指さした。
再び釣られて、後ろを見た。
「ここに来るまでに肝試しの提灯、見かけた?」
ただまっすぐ、歩いて来た道が続いて……いなかった。
いつの間にか進んでいたと思っていた道は消え、草を踏みしめていた。
そして一花の言うことも理解した。
この肝試しでは月明かりの届かない暗い場所には脅かし兼補助照明の提灯がぶら下げられている。
そしてその提灯の明かりは今、視界の限りに映る暗闇のどこにも灯っていなかった。
ただ闇と自然だけに包まれた空間の中で、余裕ぶっていた一花の笑みが、引きつった。