五つ子ミルフィーユ   作:真樹

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20_肝試し②

「来たのってこっちの方向からだったよね」

「ああ……」

「なんで元の道に戻れないんだろ……」

「俺だってわからねえよ」

 

 肝試しの本来のルートとは違う道へと進んでしまったことに気が付いた二人は、方角だけを頼りに戻ろうとしていた。

 けれどその試みは失敗に終わり、どう考えても来た時と同じ時間をかけて戻ったというのに、風景は変わらず人の手が入っていない林が広がるばかりだった。

 森で遭難者がでることは珍しくない。

 地図を持ち、整備された道に沿って歩いているはずの人間でも迷うことがある。

 原因は多岐に渡る。時間経過に伴う地形の変化により地図が機能しなくなること。はたまたその道の経験者であっても、経験者だからこそ記憶と異なる風景に惑わされること。

 そして何より最も遭難者を混乱せしめている要因こそが、方向感覚の喪失であった。

 道を見失った風太郎達は現在、道なき道を方向感覚だけを頼りに直進しているつもりでいる。

 しかし、縦横無尽に生えている木を迂回すれば当然多少なり進む方向に誤差が生じる。その誤差を修正しないまま百メートル、二百メートルと進むほどに大きくずれていくのである。

 風太郎達は進んで来た道を辿るようにして、元の通路へと戻ろうとしている。これは”来た道を戻る”という目的ならば誰だってそうすることなのだが、しかし前述の通り方向感覚を喪失した状態で行う場合には悪手であった。

 例えば白紙の上に一本の直線を書いたとする。直線は紙の端から中央まで引き、一度途切れさせる。続けて直線と並行となるように、真反対の位置から、紙面中央の途切れさせている直線の端に向かって再び直線を引く。反対側から引いた直線を、途切れさせている直線の端と合流させるのは容易いことかと思う。

 ではそれを目を閉じた状態でやったらどうだろうか。おそらく余程感覚が繊細な人間でない限りは、線は交わらず、行き違うことになるだろう。

 二人の現状はまさにそれであった。

 

「どうしよう、私のスマホは充電切れだし……フータロー君、誰かに助けを呼べない?」

「それができればとっくにそうしている」

 

 できないから呼んでいないのだ、とでも言うように自分の携帯を点けると一花へと見せた。

 登録されている連絡先は上杉家と中野家、後はせいぜい下田ぐらいであった。

 

「役立たず……」

「あ? 元はと言えばお前が闇雲に歩いたのが原因だろうが」

「私のせいだって言うの!? 君と二乃が立ち話なんてしてるから、私は他の人たちに迷惑をかけないように進んだだけだよ!?」

「だからって無理して進む必要なんてなかっただろ!」

「君だって付いて来たんだから同罪でしょ!」

「…………」

「…………」

 

 互いに非を認めることをせず、睨み合う時間が続いた。

 その間にも夜の静けさは二人を蝕み、このまま同じ空間にいるだけでも火に油であっただろう二人の空気に油ではなく水を差した。

 風太郎が目を伏せ、言う。

 

「とにかく、さっさと戻らねえとな。俺たちのせいで遭難騒ぎにでもなったら林間学校が中止になっちまう」

「私はもう林間学校なんてどうだっていいけど、早く戻ることには賛成……ここは、怖いし」

「お前……」

 

 そこでようやく風太郎は、一花がわずかに震えていることに気が付いた。

 視線は伏せがちで、困惑し続けているような面持ちはこの状況を打開する方法を必死に探しながらも耐えているのだと気が付いた。

 先ほどまでのこともある。未だ一花への怒りの感情が種火のように燻っている状況では同情しようとは思えなかった。

 むしろ、一花が怯えている原因の一端に、ついさっきまで喧嘩をしていた男子と人気のないところで二人きりという、この状況も付随した風太郎の存在そのものが一花を怯えさせている可能性もあると考えたからだ。

 だからここ最近の風太郎で、かつ他の姉妹を相手にしていた場合ならば手の一つも差し出していたのかもしれないが、そうはしなかった。

 ただ、何もしないのも目覚めが悪く──

 

「必要だったら裾、掴んでいいからな」

 

 妥協案を提示した。

 

「…………!」

 

 息を飲む音がした。

 

(そりゃ、んなこと言われたら余計に困らせるだけかもだろうな)

 

 だがこちらも必要な譲歩はした。後をどうするかは一花に任せた。

 少ししてから、服の背中側が引っ張られる感触がした。言われた通りにしたらしい。

 

「……ありがと」

「ああ」

 

 互いにそれだけ交わすと、再び歩き始めた。

 しばらくあてもなく歩き回る時間が続いた。

 その間に二人に会話はない。

 終始、風太郎は無言で、一花は不安げなまま歩き続けていると二人の視界に光が差し込んだ。

 青白い光に二人はすぐにそれが月明かりであることに気が付くと、途端に一花は表情まで明るくさせ走り出した。

 裾からはすでに手を放していた。

 

「フータロー君! ここからなら林から出られるよ! みんなと合流できるかも!」

「……待て一花!」

 

 一花が走りだしていく背中を見ながら、風太郎は思い出したことがあった。

 まばゆい月明かりを目にして、本当に林を抜けられたのか、という疑念を道筋に得たひらめきだった。

 肝試しの前、参加する生徒全員には教師から注意事項があった。

 林は道が敷かれているが一本道ではない。途中に分かれ道も存在するが、必ず案内の看板が設置されていて、それに沿って進めば肝試しのコースとして一周できるという話である。

 万が一道を誤った場合の注意事項も言われた。

 この林の近くには──

 

「止まれ!」

 

 崖があるのだ。

 

「え?」

 

 走りながら振り返る一花。

 視線が後方へと向いたことが、気づきに更なる遅れをもたらした。

 一花の全身が月光に晒されると同時、次なる一歩を踏み出そうとした足は空を切った。

 直後、体は倒れ込むようにして前へと落ちようとする。

 

「────!」

 

 一花の声にならない悲鳴が響く。

 鼓膜が震えるような感覚を覚えながらも、その音を切り裂く手が伸びた。

 

「踏ん張れ!」

 

 風太郎の手であった。

 一花の後ろ手を間一髪掴むと、力任せに後方へと引っ張る。

 一瞬遅れて一花が助けの手だと認識するや、言われた通りにまだ地面に残る片足を力ませた。

 二人の力により、どうにか一花の体は落下せず、むしろ跳ね返るようにして後方へと動き始めた。

 ここまでくれば重心は後ろへと下がろうとし、何もしなくても一花は崖際で尻もちをつくだろう。

 だが、続けて問題が起きた。

 

「やべ……」

 

 一花の体重をある意味支えに引っ張ろうとしていた風太郎の体が今度は崖へと投げ飛ばされた。

 まだ足は地面に残っている。

 だがこのままでは背中から倒れるように落ちんとする風太郎に、今度は一花が手を伸ばした。

 本人も意識しない、反射的な行動であった。

 一花の手はあと一歩及ばずという距離、風太郎の手をかすめるに留まる場所までしか伸びなかったが、一つの幸運が働いた。

 風太郎の、一花を掴もうと伸ばした手にはミサンガが付けられていた。

 らいはから林間学校のお守りとしてもらい、付けていたものだった。

 一花の手が空ぶったことに肝が冷えた二人であったが、互いの指先にミサンガが触れるなり、掴んだ。

 同時に、一花のすぐ背後には片手で握れる程度の細い木が生えており、がむしゃらにそれを掴むと一花は風太郎を引っ張り上げた。

 先ほどと異なり、今度は一花一人の力による男性の体の引き上げだ。火事場の馬鹿力が働いたのだろう。

 力任せに風太郎は崖際へ引き戻されるなり、前へ倒れ込んだ。

 四つん這いの体勢で着地した風太郎と、同時に、風太郎の”隣”で尻もちを付いた一花。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 どちらのか分からない、荒い息だけが響いた。

 脂汗がじわりと浮かぶ感覚もあったが、風太郎にそれを拭う余裕はなかった。

 それよりも一花は大丈夫かと、地面に向けていた顔を上げようとした、その時であった。

 

「ひっ……」

 

 小さな呼吸音がした。

 一瞬、一花の悲鳴かと思ったが、助かったこのタイミングで悲鳴を上げるのはおかしい。

 なにより、聞こえたそれは声ではなく息をする音で、しかも短く浅く、まるでしゃっくりをする時のような音だった。

 

「ひっ……ひっ……」

「一花?」

 

 何事かと、上げた顔で一花を見た風太郎は、固まった。

 一花の表情は普通ではなかった。しかもそれは、危機から脱した人間が緊張から浮かべるようなものではなく、もっと遠くの別の何かを見ているかのような顔で──

 

「────!」

 

 まるでついさっき、落ちようとした時を再現するかのような叫びが一花から発せられた。

 もう助かっているというのに、どうしてそんな反応を取るのかと思考を巡らせる風太郎。

 そこで先ほどの一花の悲鳴のような呼吸音が、過呼吸による浅い吸気の音だということを、風太郎は保険の授業の記憶から思い出した。

 

(こいつ……ショックを起こしてるのか……!)

 

「一花、落ち着け!」

 

 一花へ駆け寄ってから肩を揺するが返事はない。

 冷静に息をするようにも伝えるが、届いている様子はなかった。

 周囲を見渡した。

 探しているのはビニール袋のような、ある程度空気を密閉でき、かつ内側に溜めることができるようなものだった。

 過呼吸の対処方の一つに、ペーパーバック法という吐いた空気を再度吸わせる手法がある。

 実際には、この方法はあまり効果的ではなく、むしろ無暗に酸欠にさせ窒息させるリスクを風太郎は知っていたが、できることを一つでもと思ってのことだった。

 しかし、探しているものも結局見つからず、ゴミの無い綺麗な林を恨めしく思ったのは人生で初めてのことだった。

 そうしてただ時間を浪費するだけの間に、一花の叫びは収まると地面へと倒れ込んだ。

 

「気絶したか……」

 

 鼻の近くへ耳を寄せると、呼吸は問題なくしていた。

 何もできなかったが自力で過呼吸は抑えたようだった。

 ただ、よほどのショックだったのか一花はそのまま意識を失ってしまった。

 戻る道も分からず、側には倒れた女子が一人。風太郎は何とか一花を抱えることはできそうであったが、あてもなく話の中を彷徨うだけの持久力はないだろうと自己分析をすると、途方に暮れた。

 どうすべきか、そう悩んでいた時に風太郎のスマホが鳴った。

 登録の無い番号からだった。

 風太郎は電話に出た。

 

『上杉! お前達今どこにいる!?』

「……先生?」

 

 電話の相手は教師だった。

 話を聞けば、自分達より後に出発したグループが続々と戻ってきており、風太郎達は何をしているのかと教師たちが心配をし始めたらしい。

 肝試し出発の時の担当である二乃、その友人から二乃達のスマホへ連絡をしてもそもそも電波が入らず通じず、風太郎へとかけた次第だということだった。

 しかし、悲しいことに教師はおろかクラスメイトですら誰一人風太郎の連絡先を知らないせいで、一度勇也へと風太郎の電話番号の確認をする連絡が行ってしまっているとのことだった。

 風太郎もこちらの状況を、ある程度マイルドな内容で説明すると、伝えた景色からおおよその場所を割り出してくれた先生が戻る方法を教えてくれた。

 とにかく、早く戻るようにだけ言われ電話は切れた。

 また方向頼みの戻りにわずかな不安を覚えた風太郎だったが、一花をこのままにもできないと意気込むと、自身に気合を入れて一花を肩に担いだ。

 そのまま、一歩ずつ、ゆっくりと戻っていった。

 途中、風太郎に担がれている一花が寝言を漏らした。

 

「やだ……いかないで……お父さん……」

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