五つ子ミルフィーユ   作:真樹

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35_心鏡(しんきょう)

 零奈の母方の実家、虎岩温泉。

 中部地方の近くにある離島でその旅館はひっそりと経営していた。

 比較的山林の多いこの島では、離島へ上陸してから旅館を通るまで一本道の長い林道を進む必要がある。

 その林道の途中には、旅館が用意したものではないのだが観光名所が存在していた。

 すでに一花の過去について話が出た時にも触れた、誓いの鐘である。

 現在進行形で恋する乙女となった一花からすればこの場所はロマンスの予感を漂わせる場所であり、同時に忌まわしいトラウマの地でもあった。

 春休みに入って少ししたとある日、一花達中野家はその地へと訪れていた。

 

 成人男性の背丈ほどある鐘が吊り下げられたアーチが小さく見える程度に離れた場所で佇む四人の姿。一花、零奈、マルオ、江端であった。

 彼女達の目的地は今まさに目の前にある誓いの鐘────の近くにある崖なのだが、そこへは近寄らずにもう一組の面々の到着を待っていた。

 丁度その時、一花の視界の端に影が映った。

 

「おーい、零奈せんせー」

「来ましたね、上杉君」

 

 影と共に聞こえた声には零奈が返事をし、それに反応して一花も顔を向けた。

 上杉家の三人がこちらへ来るところだった。

 先頭で手を振りながら歩み寄ってくるのは勇也。後ろに風太郎とらいはが付いてきていた。

 勇也は零奈の前まで来ると立ち止まり、礼儀正しい姿勢で頭を下げた。

 

「今日はお招きしていただきありがとうございます」

「いえ、こちらこそ急に呼び立てたのに応じてくれて感謝してます」

 

 顔を上げ、挨拶のための真面目な表情を崩し朗らかな笑みを浮かべる勇也。

 

「こんなありがたい緊急招集ならいつでも呼んでくれていいですよ」

「私の一存ではなんとも……、お金を出してくれた彼ですから」

 

 そう言って零奈は顔をマルオの方へと向けた。

 

「僕は零奈さんに頼まれたことをしただけだ。だからお前の礼などという気味の悪いことはするな、上杉」

「まだ何も言ってねえじゃねえか。それに一言多いぞお前」

「二人とも久しぶりの再会でしょう……なぜいきなり喧嘩になるのですか……」

「別にこの程度喧嘩のうちにも入りませんってば。せんせーだって知ってるでしょう」

「こんな奴とわざわざ喧嘩などするだけ時間の無駄です」

「お? もしかして本当に喧嘩売ってるか?」

「二人とも!」

 

 直後、大きくなっても子供なままの男二人に鉄拳が落ちた。

 零奈を見ればいつの間にか握りこぶしを作っており、拳の先からは湯気のようなものが立ち上っているように見える。

 

(お母さんの拳骨、久しぶりに見たな)

 

 その光景に何やら懐かしいものを感じ、ふとそんなことを思った。

 拳骨が落とされた当の二人は揃って頭を抱えており、そのうちの勇也の方にはらいはが駆け寄った。

 

「もーお父さん恥ずかしいから止めてよ! 親が叱られてるところ見るのすっごい嫌なんだけど!」

「わりぃわりぃ、ちょっと懐かしい気持ちになっちまったもんでな」

 

 それにしても、と勇也は拳骨を落とされた部分を擦りながら零奈へ向く。

 

「久しぶりにせんせーのキツイ一発を貰ったけど、相変わらずっすね」

「どういう意味ですか」

「そりゃもちろん昔と変わらずの暴力教師っぷりで────」

「もう一発必要ですか?」

「大変失礼いたしました」

「よろしいでしょう」

 

 来た時にも頭を下げていたが、再び同じ姿勢を零奈へと取る勇也。

 綺麗なお辞儀だったが、初めに見た時とは打って変わって妙に情けなく見えた。

 

「しっかし、こんなんだとお嬢ちゃんも大変だろ」

「え、私ですか?」

 

 勇也から自分へと急に話を振られるとは思っておらず困惑する一花。

 

「お母ちゃんこんなんだからよ、結構家でボコボコ殴られてたんじゃねえか?」

「人の家庭をDVの巣窟みたいに言わないでもらえます?」

「いえ、私には全然……昔はありましたけど」

「そうなのか? ならレアなもん見れたってことだな。何だよせんせーも歳食って結構丸く────」

 

 最後まで言い終える前に二発目が落ちた。

 流石にこれには全員が納得の一撃だった。

 しかし、考えてみれば本当に零奈から拳骨を最後にもらったのはいつだったろうか。

 遠い昔、まだ一花が幼くやんちゃだったころにはイタズラをするとしょっちゅう落とされていたが、今やめっきり見なくなっていた。

 正直普通に痛かったし、愛の鞭のように感じたなどという美談めいた感想もなくただただ怖かったという記憶しかないので、落とされないで済むならそれに越したことは無いのだが。

 

「茶番はいいかな。そろそろ本来の目的に戻りたいのだが」

 

 思考を戻されるように、自分の分のたんこぶを引っ込め終えたらしいマルオの声が響いた。

 それと同時に一同の視線がマルオ────ではなく一花へと集約した。

 皆、ここに来た目的を理解しているからこその視線だった。

 見知った面々の視線のはずだが、流石にこうも揃って注目されれば少しばかり緊張もした。

 一同の視線はそのままにマルオが説明を続ける。

 全員に向けて話しているはずだが、その中に零奈が含まれるためか話し方は敬語であった。

 

「この場所へ来たのは一花君の状態を確認するためです。ここから十数歩進んだ先にある、あの鐘の傍にある手すりが例の事故現場と伺っています。一花君にはそこまで行ってもらい、戻ってきてもらう、それだけです」

「傍には一名ついて行ってもらいます。万一、崖際で調子を崩しても支えられるようにします」

 

 零奈の補足の後、勇也が口開く。

 

「俺も付き添いましょうか?」

「いえ、結構です。当時の状況は一花と仁之助さん、つまり大人の男性との二人でした。別に今回の目的は一花を苦しめたいというわけではないので、なるべく同じ状況は避けようと思います」

「そうですかい。じゃあ誰が?」

 

 勇也の質問に対して、零奈は視線を勇也から、風太郎へと向けた。

 一瞬、なぜ自分を見るんだと疑問気にするもすぐさま零奈の視線に指名の意も含んでいることに気づくと、肩を跳ねあがらせる風太郎。

 

「俺!? なんで!?」

「フータロー君は、私を助けてくれた人だから……」

 

 消え入りそうな答えたのは一花だった。

 父と同じように助けてくれて、そして風太郎本人も生き残ってくれた。

 そんな風太郎の存在は一花にとっては、どんな励ましの言葉よりも勇気づけてくれる存在だった。

 更に突っ込んだ話をすれば、風太郎への一花の個人的な感情も含んで一花はこの実験における付き添いに彼を指名したのだが、そこまでの真実を把握している人物はこの場にいない。

 いないはずなのだが、零奈は一花の語調が弱かったことのを、土壇場で怖気づいているとでも解釈してくれたからなのか、助け舟を出してくれた。

 

「お医者様の受け売りですけど、トラウマを克服するような成功体験はこういう時、何かと有利にことが進むらしいですから。こういうのは気持ちの問題ですから」

「気持ち……」

 

 実際のところは心の病気だから、と言った方が正確なのだろうが、零奈が気遣ってあえてその言葉を使わなかったのは何となく察せた。

 風太郎も「わかりました」とだけ頷くと、それ以上の質問は無いように前へ進み、一花の隣へ立った。

 何も言わず手を差し出すと当然のように握り返してくれた。

 自然、風太郎と零奈の二人は横並びで崖と向き合う形で立ち、零奈達が左右に避けて道を空けてくれてる形となった。

 進む先には崖だけでなく鐘も設置されており、まるでチャペルのバージンロードのようだ、などと思ってしまった。

 実際、こういう時に付き添って歩いてくれるのは彼ではなく父になるのだろうと、無意識にマルオへと目を向けると自分達の手を見て物凄く嫌そうな顔をしていた。

 その顔が面白くて少し笑ってしまった。

 

「余裕そうだな」

「え、あ、ごめん」

 

 真横で風太郎の声がした。

 笑っているところを見られてしまったらしい。

 確かに、この場には自分のために皆が来てくれているというのに、当事者の自分が気を緩めてはいけないと気を引き締め直そうとした。

 けれど。

 

「気にすんな。そんくらい余裕の方が良いに決まってる。楽に行こうぜ」

「フータロー君…………うん」

 

 風太郎の言葉に、笑みを残したまま頷くと、風太郎もまた頷き返してくれた。それと同時に歩き始めた。

 一歩。

 また一歩。

 ゆっくりと、一歩ずつ地面を踏みしめるようにして崖へと近づく。

 視界に映る崖の境界線がジリジリと迫ってきて、その先に見えている森の頭部ともいえる、緑の大海原の領域が視界の占有度を上げていく。

 同時に、心臓が脈打つ音が大きく、鼓動が強くなっていくような錯覚を覚えた。

 

(大丈夫、私はちゃんと地面に立ってる。フータロー君だって、隣にいる)

 

 ほとんど記憶がないが、林間学校では過呼吸を起こしてパニックになったらしい。もうそんなことにはなりたくない。

 自分は強くなったんだ。

 フータロー君を好きだと認められた。

 あの子達が、いてもいいかもしれないと認められた。

 これまでの自分の人生の遅れを取り返すと、そう決めた。

 これから自分はその、後れをもたらした元凶を倒しに行くんだ。

 そんな鼓舞めいたことを考えている時だった。

 

「フータロー君」

「……何だ」

 

 彼の名前を無意識に呼んでいた。

 無意識だからかその声は囁くように小さく、だから彼も小さな声で返してくれた。

 もう他の面々は後ろの方へ行ってしまい、きっとこの話は聞こえないだろう。

 だから勢いのまま、一花は言った。

 

「もしこれを無事に終わらせられたらさ……君に、大事な話があるんだ」

「────」

「だから、見てて」

 

 話しているうちに、最後の一歩を踏みしめた。

 風太郎の手を握っている手と反対の手が、崖際に張り巡らされた手すりに触れた。

 ゆっくりと視線を崖下へと向け、あの時見てしまった、そして今でも時折悪夢で見てしまうこびりついて取れないあの顔を探した。

 

「…………あれ?」

 

 探した結果、顔など、どこにもなかった。

 あの事故の当時、事故が起きたことそれ自体とは別に、もう一つの不幸があった。

 それは父が落ちた先は、運悪く木が生えていないエリアだったことだった。

 数十メートル近くあるこの崖から落ちれば、例え草木のクッションがあったところで助からなかっただろうが、それでも一花が事故後の父と対面することはなかっただろう。

 今日、一花はその森林の窪地のような場所を見ることを目標としていたが、それが見つからなかった。

 たった六年である。新たな木が生えて成熟しきることなどはないだろうが、されど六年である。周りの木も成長して枝が伸びたのかもしれない。

 これではせっかくここまで来たのに、目的を達成できないと思って目を皿のようにして森を眺めるとようやく、不自然に隙間が空いている場所を見つけた。

 

「多分、あそこだ……」

「あそこって?」

「お父さんが落ちた場所……」

「……! 大丈夫か一花。具合悪くなってねえか!?」

「…………」

「一花!」

「全然……大丈夫」

 

 事故現場を直視したということを知るや否や、一花の容態を気遣って慌てふためく風太郎とは対照的に、自分でも驚くほど冷静でいる一花。

 そんな自分の反応が、一花自身意外でならなかった。

 パニックにはならずとも、もう少し動揺したり、息苦しくなるぐらいは覚悟していた。

 だけど実際はどうだろうか。ただ目の前には森が広がっている。確かに、大好きだったお父さんが亡くなってしまった嫌な場所であるのは間違いないのだが、感想としてはその程度だった。

 

(うそ……)

 

 トラウマの衝撃というよりも、想定外すぎてショックを受けた。

 ここだけの話、正直一花は高いところが苦手だった。理由は当然、事故を思い出してしまうからだ。

 精神的に落ち込んだ時などは事故をフラッシュバックするかのように当時の映像を夢で見ては、父の死に様を何度も回想した。

 だからずっと自分はトラウマを抱えているのだと、そう思い込んでいた。

 だけど今改めて気づいた。高所恐怖症などと呼べるほどの恐怖を眼下の景色に感じない。トラウマというほど過去の記憶は自分を脅かしてこなかった。

 

(これだけ……?)

 

 肩透かしをくらった気分だった。

 自分にとってこの事故は、新たな父としてマルオを認められないことや、あの子達と同レベルで重大なことだと思い込んでいた。

 それが蓋を開けてみれば何てことないではないか。

 こんなことで自分は思い悩んでいたのかと、そう思った。

 

「戻ろっか、フータロー君」

「もう、いいのか?」

「うん。大丈夫」

 

 こちらを気遣うようにして顔色を窺ってくる風太郎に、大丈夫だと見せつけるように自分の顔を見せると、踵を返して歩き出した。

 風太郎も後ろから追ってきて、正面からは零奈が駆け寄ってきた。

 駆け寄ってきた零奈は一花の両腕を掴んだ。

 

「大丈夫ですか!? 気分は悪くないですか!? お水飲みますか!?」

「大丈夫だよお母さん……自分でもびっくりするくらい平気だったから」

「そう、なのですか……?」

「うん。あ、でもお水はちょうだい。あそこ行くまでの間の方がドキドキしちゃったし、やっぱりあの日のことを思い出したら嫌な気分にはなったから」

「わかりました。どうぞ」

「ありがと」

 

 ミネラルウォーターが入ったペットボトルを蓋を開けた状態で受け取ると、一花は一口含んだ。

 それから水を零奈へと返す頃になると、他の面々もちょうど集合したところだった。

 その中から代表してマルオが言う。

 

「その様子からして、あまり辛い状態ではないと見ていいのかな?」

「うん。ちょっと自分でも薄情かなって思うくらい、なんでもない」

「……そうかい。僕は君の担当医ではないから、帰ってから病院にいる彼にきちんと結果は話すが、それでもどうやら一花君は完全に事故のショックからは立ち直っているとみていいのだろうね」

「私はこれで、治ったってことなのかな?」

 

 一花の問いに、マルオは目を伏せてしばし言葉をつぐんだ。

 おそらくはどう答えるべきか、親として、医者として逡巡しているのだろう。

 医者として担当ではない自分が治ったと断じるべきではない、けれど親としては安心させられることばを投げかけてあげたい、そして何よりその矛盾によって悩まされた結果出た言葉が嘘となるようなことがあってはならないと、そう考えているのだろう。

 マルオという人間性にも腹の立つ話だがある程度の理解が及んでいるからこそ、一花は催促することはせず、次の言葉を待った。

 

「この場で治ったと明言するのはやはり避けた方がいいのだろう」

「決めるのはあの、私を診てくれてる先生だから?」

「そうだね……そして、君自身だからだ」

「私?」

 

 病気……というか自分でこの言い方をするのは好きではないが、障害が治ったかどうかを判断するのは医者ではないのかと、一花は純粋に疑問に思った。

 患者の自己判断で治ったかどうか判断させるなど、言語道断ではないのだろうか。

 そんな、素人目で見ても常識を疑うような発言をマルオはしたわけで、けれどマルオの医者としての腕前、これもまた一花は知るからこそ咎めることもできずに話が見えないという風に首を傾げた。

 

「ここへ来る前、君とは話をしたね。精神疾患の治療における共通の目標は『患者を社会復帰できるようにする』ことだと」

「うん」

「一花君は今、精神的には非常に落ち着いた状態だが、どちらかと言えばそれ以外の部分がまだ社会復帰できているとは言い難い状況とも言える」

「それって勉強とか?」

「交友関係とか他にも色々あると思うがね。僕も自分で言っておきながら社会復帰などという言い方は少し曖昧さを持つとは思っているよ。そしてそれらの問題を時間を掛けず、まとめて解決する手段があることを君は知っているはずだ」

「それって、もしかして……」

 

 マルオの言おうとしていることに理解が追い付いた。

 そういえば、旅行に来る前の家族会議では零奈からも確認されたことがあった。

『これからは一人で生きていくことになって、本当に大丈夫ですか?』と。

 それはつまり────

 

「君が社会で生きていくためなら、他人格と共に生きていくことも悪くないと、僕はそう考えるよ」

「多重人格に戻りたいかどうかを、私が決めないといけない……」

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