五つ子ミルフィーユ   作:真樹

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36_イエス、オア、ノー

 事態は間違いなく好転している。そのはずだというのに風太郎は現在の状況を素直に喜べないでいた。

 今、一花は自身の多重人格に対して、今後どう向き合っていくべきかを問われている。

 今のままとするか、再び他人格を取り戻すか。

 マルオは医者として、常識的に考えれば前者一択であろうはずの選択肢を一花に選ぶように決定権を委ねた。そのこと自体はマルオも医者である前に親だからとか、彼なりの思うところがあってなのだろうと想像を働かせることはできた。

 だけどちょっと待ってほしい。

 この話には二つの選択肢のどちらを一花が選ぶかという話以前の問題として、重大な見落としがある。少し考えれば誰だって気づけるはずのそれを何故誰も言い出さないのかと風太郎は疑問だった。

 

(どうやってあいつらを戻すつもりなんだ)

 

 多重人格は原因不明の、人体の神秘によって成り立っている心の病であることはさんざっぱら論じてきたことだ。発症のメカニズムも解明されていなければ、確実な治療の方法も確立されていない。

 例え一花が他人格の存在を望んだからといって、医者から渡された薬を飲んでおしまい、などというわけにはいくまい。風太郎は医者ではないからマルオや担当医ならば何か案はあるのかもしれないが、それだって確実というわけではないだろう。

 そんな都合の良い事ができるなら、一花は六年もの年月を苦しむこともなかったからだ。

 要するに、一花がこれから出す答えなど単なる治療方針でしかなく、他人格達が帰ってくる保証など誰にもできないのであった。

 そしてそれこそが、風太郎の現状を喜べない理由でもあった。

 

「っくそ」

 

 風太郎はひとりでに悪態を吐いた。その声を聞く者は周囲には誰もいなかった。

 現在いる場所は客室が並ぶ、旅館の二階の廊下だった。この旅館は建物の中央が中庭となっており、廊下は中庭の周囲をぐるりと囲むように回廊状になっている。二階の廊下でさえも、中庭と面している側の壁は全面ガラス張りとなっており、客室から一歩廊下に出ればどこからでも中庭に広がる自然の風景が楽しめる造りとなっていた。

 時刻は朝。風太郎はすでにここで一泊を済ませた後だった。それは別の言い方をすれば一花が答えを出すのに一晩の時間があったということでもある。

 

(あいつはおそらく、一人であり続けることを選ぶ)

 

 それが風太郎の一花に対する予想だった。

 当然といえば当然の話であった。風太郎は一花が他人格をいかに妬み、嫉み、憎んでいたのかを嫌というほど目の当たりにしている。最近はそれなりに丸くなってきているから確信とまではいかないものの、それでも二択を選ばざるを得ない状況となったからには、一花は今までと同じスタンスを貫くだろうと思っていた。

 ダメ元で説得しにいくか、とも考えた。

 一花に対して『他の人格達と会いたい』などといった話をすればどうなるかは火を見るより明らかだ。良くて喧嘩、悪ければ絶交されかねない。

 いつだったか、もしも風太郎が多重人格だったらという例え話をされた時のことが思い出される。気持ちを想像することしかできなかった風太郎でさえ、胸のうちが黒くなるような感覚を覚えた。あの胸糞の悪くなる話を自分がするかどうか悩む日が来ようとは思いもよらなかった。

 けれど、それでもここで一花が結論を出せば、いよいよ他の人格達が帰ってくる可能性が絶望的となる。例え大喧嘩をして一花と険悪になり、最悪家庭教師をクビになったって話をしに行くべきだと、考えているうちにその気になってきた。

 だから善は急げと、ガラス越しの中庭から目を離して廊下の先へと向いた時だった。

 

「あ、フータロー君」

「……一花」

 

 前を向いた先に一花がいた。

 浴衣姿の彼女は、少し困ったように頬を掻く。

 

「お、おはよう。声をかけようかと少し前から見てたんだけど、考え事してたみたいだから」

「わりぃ、気づかなかった」

「ううん、こっちこそ。覗いてたみたいになってごめんね」

「…………」

「…………」

 

 二人の間に沈黙が走った。

 風太郎は先ほどまで考えていたことを、せっかく当事者の一花が目の前に来たのだから話してしまおうと考えてた。ただ、内容が内容だけに些か勇気を振り絞る時間が欲しかった。

 そこで、一花がここへ来た要件とやらを先に済ませることにした。

 

「どうした? 何か用があったんじゃないのか?」

「あ、あのね、フータロー君。少し外へ歩きにいかない?」

「別に構わないが……ここじゃ駄目なのか?」

「うん。外がいい。大事な、話だから」

 

 そういえばと、昨日のことを思い出した。確か昨日もそんなことを言っていた。

 一花がトラウマを克服できているのか確かめている最中、彼女は自分にだけこっそりと言ってきた。

 あの時は深く考えなかったが、改めて言われると何の話かと気になった。

 ここ最近はずっと勉強漬けで一緒にいたものだから話すタイミングなどいくらでもあるだろうに、そう考えているうちに一つの可能性なんかも過ったりした。

 年頃の子が、わざわざ”大事な話”と銘打って切り出す話題などと言えば────

 

(まさか……告白……?)

 

 もし予感が当たったとすれば、風太郎は一花が望むような答えを出せるとは思えなかった。五人の中の一人に対しての感情を自覚している風太郎であったが、ならば残り四人とは今後どうしていくかという考えが固まり切ってはいなかったからだ。

 一花の場合、四葉のように気長の返事を待ってくれるとも思えない。だとすれば一花の話を優先しておかしな空気になる前にこちらの話を済ませてしまうべきかと考えながら、一花の後に続いて旅館の出入り口へ向かった。

 玄関まで到着し、靴を履き替えている時、男性が一花へ話しかけてきた。

 

「外へ行くのか?」

 

 声に風太郎が振り返ると、受付で座って微動だにしていなかった男性がこちらを見ていた。

 一花が自分の靴を履き終えてから、男性へ振り返った。

 

「うん、少し散歩しに」

「ならば海まで車を出してやろうか。これから釣りに出ようと思っていたところだ」

「本当に!? じゃあ、お願いしようかな!」

「少し待っておれ」

 

 そう言い残すと男性は受付の内側にある、従業員用通路と思わしき場所へ暖簾をくぐって消えていった。

 

「ずいぶんと親しいんだな」

「あれおじいちゃんだし」

「……そういえばここはお前のじいさんの旅館だったか。どうりで」

 

 話していると、暖簾の奥へ消えていた一花の祖父が再び姿を見せた。

 受付の脇から全身を出してくると、手には鍵が握られていた。おそらく車の鍵だろう。

 

「待たせたな。裏の駐車場に車は停めてあるから着いてきなさい」

 

 

 

 

 

 風太郎達が乗ってきた車は一花の祖父の私物ではなく、おそらく旅館が所有しているもののようだった。

 なぜそんなことが分かるかと言えば、乗ってきたのはマイクロバスだったからであった。車の側面にはでかでかと『虎岩温泉』というロゴが描かれたいたのだから誰が見たって一目で分かる。

 本来は本州から上陸してきた宿泊客を港で拾い上げ、旅館へ連れて行く送迎用なのだろう。それを釣りなどという大幅に時間を使う、つまりバスを長時間占有するような私的な使い方ができるのも、客がまだチェックインしてこない朝方だからなのだろう。

 詰めれば三十人弱は収納できそうな広い車内に一花と二人だけで肩を並べて乗車している時間は、一緒にいるのが一花だからとか関係なく、慣れない空間過ぎて落ち着かなかった。

 浜辺へと到着した車は途中で風太郎達を下すと、一花の祖父は海岸の少し先にある防波堤で釣りをしていると言い残してから走り去っていった。

 車から降りた途端に耳へと届いた波の音は、ずっと考え事をしていた頭に染み込むような感覚を感じさせてくれた。

 横では同じように一花が気持ちよさそうにしながら、水平線から流れてくる潮風によってたなびく髪を抑えていた。

 

「いい風だね。潮の匂いは来る時からしてたけど、やっぱり海辺に来ると違うね」

「そうだな」

「少し海入らない? 今は春だけど流石にまだ冷たいだろうから、足とかだけでもさ」

「いや、話とやらを先に済ませちまおう。俺もお前に話したいことがあったんだ」

「────待って。わがまま言って悪いんだけど、それなら私の方から話させてくれないかな」

「どうしてだよ」

「私の覚悟が、鈍らないうちに話しておきたいの……」

 

 そう言った一花の表情は、覚悟が決まった人間とは程遠い、不安に満ちた面持ちをしていた。

 そんな表情をするのは恐らく、単純に自分の考えていることを風太郎へ伝えるだけでは済まず、そこから先に一花自身も先の展開が見えない不確定事項があるからだろう。

 やはり自分が立てた一花の話の中身に対する推測は当たっていたかと思った。

 一花も余裕が無いのか、風太郎の反応を待たずに話し始める。

 

「あのね、フータロー君。私、お父さんには他の子達のことを、戻して欲しいって言おうと思ってるの」

「…………!!」

 

 よもや自分と同じ話が飛び出して来るとは思いもよらなかった。

 しかも一花の主張は風太郎の希望にそうものであり、この話を風太郎から話を切り出した場合、どのようにして一花を説得するかで必死に頭を捻っていたものだから願ったり叶ったりな話だった。

 あまりにも想定外の展開に何も言い返せずに顔を強張らせていると、一花がクスリと笑みをこぼした。

 

「やっぱりフータロー君、私が一人のままでいたいって言うと思ってたでしょ」

「そんなの当たり前だろ」

「一応ね、まだ絶対にって決めたわけじゃないんだ。お父さんへの返事」

 

 話を黙って聞き続ける風太郎に、一花は水平線へと目を向けながら話を続ける。

 

「私なりにさ、考えたんだよね。私の周りにあるいろんなことを全部含んだ上で、どっちを選んだ方が良いか。そしたら何となく、他の子たちはいた方が自分のためにもなるんじゃないかなって思ったの」

「随分と曖昧な言い方をするな。お前のことだろ」

 

 一花の言う"いろんなこと"と言うのが具体的に何を指しているのかは分からなかった。ただ分からないなりに考えたとしても、人間関係や学業など、風太郎でさえ理由はいくつか思いついた。

 

「そ、私のこと。私は私のためだけを考えても、他の子達はいた方がいいと思ったの」

「なんで……」

「そこまでは答えたくないかな。フータロー君も、無理に聞き出そうとしない方が君のためだからね」

「どういうことだ……?」

「私の機嫌は損ねない方がいいってこと。フータロー君、私に他の人格を戻す方を選べって話をするつもりだったでしょ?」

「…………!!」

 

 どうやらお見通しらしい。

 言い方こそ疑問系であったが、質問ではなくこちらの心情を言い切ったあたり、一花は先ほどの言葉通りこの話のために昨晩から相当考え込んでいたように思えた。

 

「やっぱり。フータロー君はなんでも顔に出しちゃうから読みやすいね。お姉さんと駆け引きをするつもりならもっとポーカーフェイスを練習しないとダメだよ」

「同い年だろうが。それに……役者をやってるやつ相手に演技で勝てるか」

「私のお仕事なんて、お遊びみたいなもんだけどね。でもそう言ってくれると嬉しいな」

 

 さて、と一花は手を打った。

 

「ここからが君への質問なんだけど」

「なんだよ改まって」

「これから聞くことに君は正直に答えてね。君の答え次第で、私のお父さんへの返事は変わるかもしれないから」

「な……!」

「言ったよね、まだ絶対にって決めたわけじゃないって」

 

 確かに言っていた。

 だがそれは、一花の中だけで完結する話だと思っていた。

 風太郎からすれば確定ではなくても一花が他人格を戻すことに対して前向きな姿勢をとってくれているならこれ以上望むことはなく、むしろ変に刺激をしないように言葉数を少なくしたいくらいだった。

 そんな風太郎に対して、一花はもう一度「正直に答えてね」と前置きをしてから、質問を投げかけた。

 

「好きな人いるでしょ、君」

「────」

 

 今日は何度、こいつに驚かされるのだろうかと、いよいよ怖くなってきた。

 なぜ、どうしてそれを一花が知っているのかと脳が高速回転した。

 少なくとも風太郎はこの数ヶ月の間でボロを出したような自覚はなかった。というか、流石に一花の学力方面での問題が不味すぎてそれを気にする余裕すらなかった。

 ならば一体どのタイミングで、と考えようとしたところで、熟考すべきはそこではないと冷静に状況を俯瞰している自分が喝を入れてくれた。

 今考えるべきなのは、一花に対してどう返答をすべきかであった。

 答えの選択肢としては至ってシンプルである。イエスか、ノーかだ。

 問題なのはどっちが他人格を残すという選択肢と紐付いているかであった。

 一花の物言いからして、間違えた方を答えれば即座に先ほど聞いたマルオへの回答を撤回し、一花は自分一人だけで生きていくことを選択するような気がした。

 嫌な汗が垂れた。まるでマルオから一花へと託された選択肢が、そのまま風太郎へとパスされたような気分であった。

 風太郎自身は二択のどちらを選びたいか決まっているというのに、選ぶ選択肢の先が見えず運任せにのようになっているのがなおタチが悪かった。

 

「どうなのかな、フータロー君」

 

 努めて穏やかな声での催促が風太郎を更に焦らせる。

 冷静に考えれば『いない』と答えるべきなのだろうかと思った。これまでの一花であれば他人格は常に自分を脅かす存在として認識していた。それと風太郎の恋心がどう紐づくのかと考えれば、なんとなく一花の自分に対する感情の大きさにも想像が及ぶ。

 だけど、自分が気にすべきことは今は"それではない"。どうすれば"あいつ"のためになる回答をできるかであった。

 眼前の一花には申し訳ないが、今は『いない』と嘘をついて喜ばせた方がいいと思ったのだ。

 一花ならば競合がいないことの喜びよりも、自分の意中の相手が更に自分以外の相手に感情の矢印を伸ばしていることの方が憎悪の感情を燃やすと思ったからだ。

 

「俺は──」

 

 そう口を開きかけて、直前で引っかかった。引っかかったのはこれまた直前の一花の言動であった。

 一花はこういった。正直に答えろと。

 今日、ここまで一花は何度か風太郎の予想に反したことを言ってきていた。およそ風太郎がもつ一花像とは反する言動だ。更に言えば風太郎の想像を超えるような事さえ言ってきた。

 それはすなわち、すでに一花は風太郎の理解の外にいることを意味している。

 改めて一花を見ると途端に考えが読めなくなった。

 一瞬、この局面において一花の思考が読めなくなることは致命的なミスをしでかしたと考えた風太郎だったが、もしもそれが単なる風太郎のただの傲慢だったらと、再び俯瞰していた自分が疑問を提起してきた。

 一花は理解できない存在になったのではなく、ただ単純に自分の知らぬところで成長していたとしたら? 

 まるで親が知らぬうちにこの成長を目の当たりするかの如くであった。

 本物の一花の両親を知っているのだから何を馬鹿な妄想をしているのかとも思ったが、一度感じたその感覚を否定するにはあまりに根拠がなく、そして自身の思考を後押しする謎の自信があった。

 

「どうしたの、フータロー君」

 

 考えている間にも一花は呼びかけてくる。

 だけどその声色は至極穏やかであった。

 答えを催促する様子など一切なく、むしろ回答を出すまでいつまででも待つと言った余裕すら感じていた。

 その余裕が親と子どころの話ではなく、一花は本当に年上の人間ではないかと錯覚させるほどの装いであった。

 もし本当に一花が風太郎の知らないところで何か、劇的な変化を遂げているのだとすれば、これ以上は考えるだけ無駄なのかもしれないとすら思った。

 ならば自分は何を根拠に答えを出せばいいのか、そう考えるといよいよ一花の言っていることに理解が及んだ。

 

 正直に言って、と。

 

「……いる」

 

 風太郎の答えは、一花を信じることだった。

 一花は言った。今の自分は他の人格を戻してもいいと思っていると。

 その上で言ってきた、自分を信じろと。

 だから信じた。だから正直に答えた。

 気がつけば答えると同時に目をつぶっていた。手をぎゅっと握りしめて、この先の展開に耐えられるように子供のように身を固めていた。

 そんな風太郎に帰ってきた言葉は。

 

「やっぱりかぁ」

 

 またもや優しい声色だった。

 風太郎は目を開けた。

 

「知ってたのか?」

「なんとなくだけどね。君からちゃんと聞いたわけじゃないから、今までは半信半疑だったけどね」

「……それで一花、俺の答えは言ったぞ。お前は──」

「安心して、答えは変えない」

 

 食い気味に一花は答えた。

 まるで一刻も早く風太郎を安心させるためのような速さであった。

 そしてその答えはまたしても一花の思惑通りと言うべきか、風太郎の心を軽くした。

 

「頭のいい君のことだから、きっと私が一晩かけて考えたことを今の間で全部なぞってくれたと思うんだ」

「買い被りすぎだ」

「私は君に賭けてたんだよ。君はきっと、私の気持ちなんか全部分かった上で私を信じてくれるって」

「だから買い被りすぎだ。俺がデリカシーなんてものと無縁なの、お前が一番知ってるだろ」

「そうだね。だけど君は私のフータロー君のイメージさえも超えた。だから君は私を信じてくれたと、そう確信してるよ」

「…………」

 

 これ以上同じことを言うのは水掛け論になりそうだと、風太郎は三度言おうとした同じ言葉を飲み込んだ。

 言葉を飲み込んだ風太郎へ、一花は追撃をしてくる。

 

「肝試しの時に話したことを覚えてる? もしも自分以外の人格の子を好きな人が目の前に現れた時のこと」

「……嫌な話だったな」

「そう、本当に嫌な話のはず。だけど今なら言えるよ。私は君を応援するよ」

「…………!」

 

 それともう一つ、と更に一花。

 

「花火大会の日に話したことは覚えてる? 全ての人格が一人の人間を好きなっちゃったらどうなるか」

「お互いがお互いを嫉妬しあう……だったか?」

「うん。合ってる。あの話はね、今は間違ってたって思うよ。本当は逆で、他の子達の恋だって応援したくなるんだよ…………だってどこまで行ったって他の子も同じ体の、自分なんだから」

 

 それは、多重人格に理解のない人間が最初に持つ感覚に近いかもしれない。

 完全に独立した記憶、性格を持つ人間に対して、同じ体なのだから他の人格でもできたことはお前もできるだろう、あるいは同じ考えなんだろうという理論。

 これ自体は間違っていると今の風太郎ならばわかる。多重人格といえど人格が違えば他人は他人、できることもあればできないこともある。

 中野少女という実例を目の当たりにしているのだから、風太郎は普通の人間よりは多重人格に対する理解が深いからこそ持てる考えだった。

 けれど、風太郎でさえも当事者と比べれば遠く及ばない。当たり前だ。風太郎は多重人格ではないのだから。

 だからこれは、あくまで一花の場合は、という前提を踏まえた上でなのだが、今の一花は他人格の恋を自分のことのように思い始めているのだろうと、そう理解"することにした"。

 

「私が"私のため"幸せになるため、そして君の幸せのためなら、きっと私は他の子達も本当に受け入れられる。私の"気持ち"はその後でいい。そう思えることに私は、私のことを君を通して知ることができたよ」

 

 だから。

 

「君が先生でよかった。君の生徒でよかった」

 

 そう言って彼女は、これまでで一番の笑顔を、風太郎へ見せた。

 

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