五つ子ミルフィーユ   作:真樹

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4_先生、しっかりお願いします

 中野零奈が勤務している高校は旭高校ではない。

 零奈に限った話ではないが、教員は任期が終われば別の学校へと異動ということを何度も繰り返しており、十数年にもなる長い教員生活の中であれば旭高校に着任していた時期だって一応はあった。

 何かと心配事の多い娘が、今まさに高校生となっているのだから可能ならば同じ学校の教師として勤務したいと思いはするものの、現実はそう都合よくはいかない。

 そのため零奈は自分の勤務する学校から一人で帰宅すると、リビングでは四葉がテレビを見ていた。

 

「ただいま帰りました」

「あ、お母さんお帰りー」

 

 帰りの挨拶に首だけ向けてくる四葉。

 零奈はリビングをそのまま通り抜け、寝室へと異動した。

 上着のスーツを脱ぎ、壁際に立てているハンガーラックからハンガーを一つ手に取ると慣れた手つきでスーツをかけた。

 そのまま残りの仕事着も着替えながら、開けっ放しの扉を通してリビングに座る四葉へと話しかける。

 

「風太郎君とはちゃんと話はできたのですか?」

「えっ!?」

「なんですか、大きな声を出して。話せなかったのですか?」

「え、えと、話せた……よ」

 

 やけに歯切れの悪い言い方をしますね、と内心で零奈は思った。

 四葉の快活な性格ならば言ったなら言ったと、そうでないなら言えなかったとはっきり言うであろう。

 そうしないということは良くない結果になってしまったのだろうか。

 風太郎へ正直に打ち明けるように進言したのは自分なのだから、余計なことをしてしまったかと心配になった。

 

「そうですか……風太郎君はなんて?」

「大切なのは昔のことより今だって」

「……そうですか」

 

 自然と笑みがこぼれた。

 やはり風太郎君と四葉を再会させて良かったと思えた。

 ならば何故四葉の様子がおかしいのかとという、さきほどからの疑問は解消されないのだが、もしかしたら四葉自身も心の整理ができていないのかもしれません。

 

(五年も積み上げてしまった想いですものね……考えてみれば四葉にも色々と思うところがあるのかもしれません)

 

 四葉の思うところというものがどういうものなのかは知らないが、いくら親と言えどそこまで踏み込む必要もないだろう。

 今は"約束の相手が四葉だったという告白"が成功しただけでも良しとすべきだろう。

 

「それじゃあ、これからは風太郎君に後れを取ってしまった分、四葉も頑張らないといけませんね」

「うん!」

「それじゃあ急いで夕飯の準備をしますね。もう少しだけおまちください」

 

 

 

 同時刻、上杉家。

 狭い居間の真ん中では上杉家三名勢ぞろいで夕飯を囲んでいた。

 

「そういや風太郎、家庭教師の仕事の調子はどうなんだ?」

「藪から棒になんだ急に」

「いやな、あの嬢ちゃん色々と厄介な事情持ってんだろ」

「……知ってたのかよ」

 

 厄介の事情というのは間違いなく多重人格のことだろう。

 風太郎のぼやきのような一言に勇也は当たり前のように「ああ」と肯定した。

 らいはだけが何のことかわからず、首をかしげている。

 風太郎はそんならいはの様子に気づいていたが、当の本人がそれほど気にしている様子でもないため補足はしなかった。その代わり、話の続きを勇也にする。

 

「なら先に言っておけよ。目の前で入れ替わられてビビったんだからな」

「はっはっは、そりゃ災難だったな」

「それに中身が二人だけじゃないってのも今日初めて知ったぞ。今日、三人目に会った。一体何人いるんだ?」

「悪いな、俺もあの子達のことをそこまで詳しくは知らねえんだ。そういうことはマルオか零奈先生に聞いてくれ」

「……わかった」

 

 そこで話は一度途切れた。勇也も四葉達のことを詳しく知らない以上は聞けることもないと思ったからだ。

 だから一口、そのまま夕食を口に運び咀嚼する。その間、元々話そうと思っていたことを言ってしまおうと覚悟を決めた。

 食べていたものを飲み込んでから、風太郎は口を開く。

 

「なあ親父。この仕事、やめちゃダメか?」

「ああ?」

「なんでー?」

 

 勇也が怪訝な顔をし、聞くだけの側に回っていたらいはですら風太郎へ目を向けてきた。

 二人の風太郎を見る視線には驚きというよりも珍しいものを見る時のようなものが含まれていた。

 これまでの経験上、風太郎が自主的にバイトを辞めたいと言い出したことなどなかった。

 やめる時は大体、閉店など仕事先側の理由であったり、もっと割の良い仕事を見つけた時であった。

 だから風太郎から『仕事を変えたい』という話は出たことがあっても、純粋に『辞めたい』という言葉が出てくることは稀なのである。

 そのことを風太郎自身も自覚している。家庭教師の仕事だって風太郎が見つけたのではなく、勇也が捕まえてきたのだ、当然理由を話さなければならないだろうと風太郎は思った。

 

「常識的に考えて高校生の俺には手が余る仕事だろ。ただ勉強を教えるだけじゃない。教える相手が特殊すぎる」

「そうかもしんねえけど、あの子の勉強のサポートはお前だけでやり切ろうとしてるわけじゃないぞ」

「それも聞いた。母親は学校の教師だし、知人の塾講師にも協力してもらってんだってな」

「そうだ。だからお前は自分のできることをやれば──」

「他にも理由があるんだ」

「他の理由ってなんだよ?」

「告白されたんだよ。あいつらの一人から」

 

 直後、勇也とらいはが同時に噴き出した。

 

「おい汚えぞ」

「ばっ、おま。驚くに決まってんだろ!?」

「お兄ちゃんどういうこと!?」

「どうもこうも言葉通りの意味だ」

「なんで家庭教師の仕事の話から、急に告白の話になるのかって聞いてんだよ!」

 

 そこで風太郎は今日の放課後にあった出来事を二人へと話した。

 教え子の人格の一つ、四葉が五年前にあった少女であったこと。約束を守れなかったことの謝罪を受け入れたところ、勢いのような形で告白されたことをである。

 それらの経緯をあまりにも淡々と話す風太郎の口ぶりに、全て聞き終えたころには二人ともやや呆れ気味の顔をしていた。

 勇也が代表して言う。

 

「お前、そういうことは普通言わねえもんじゃないのか?」

「そりゃ俺だって恥ずかしい。だが言わなきゃ理由を説明できないだろ」

「っつってもよぉ……」

「お父さん今聞くことはそこじゃないよ! お兄ちゃん、それで返事はどうするの!?」

 

 目を輝かせながら訊いてくるらいはに風太郎は即答した。

 

「断るぞ。普通に」

「なんで!?」

「付き合う理由がない。元々恋愛なんてものは学業から最もかけ離れた愚かな行為だ」

「うわぁ……それは拗らせすぎだよ……」

 

 ドン引きするらいは。

 勇也も同様の顔をしているが、それだけでもなく──

 

「いいのか? 五年前の子なんだろ? お前あの子との約束をえらく大切にしてたじゃないか」

「約束と恋愛は関係ないだろ。俺だって悪い気はしないが、今はあいつの好意が仕事の障害になりかねない」

「どういうことだ?」

「四葉の気持ちはあいつらの総意じゃないってことだ。むしろ反対派の方が今知る限りじゃ多そうだ。告白の現場を四葉の裏であいつらに見られている以上、この先色々と揉め事増えるのは避けられないだろ」

「なるほどなぁ……」

 

 唸る勇也。

 その横でらいはが「でもそれって」と口を挟んで来る。

 

「仕事を続ける場合の話だよね? 仕事を辞めたとしても、やっぱり断っちゃうの?」

「それは……」

 

 らいはにそう問われた時、即座にイエスという回答が自分の中から出ないことに気が付いた。

 先ほどは断ると即答したが、その言葉の裏には仕事を続ける場合は、というのも含まれていた。自分の中で仕事を続けた場合と、辞めた場合の先の話がごちゃまぜになっていたのに、らいはのおかげで気が付けた。

 だから二度目の質問である告白の返事をどうするのかというらいはからの質問に対して、再び自分の気持ちを確認しながら答えを言う。

 

「分からない。さっき言ったことも本心だ。恋愛は俺にとって勉強の邪魔でしかない……だが、相手が約束のあの子となると本当にいいのかという気もしてくる」

「お兄ちゃん……」

 

 迷い、言葉を選びながら話している風の風太郎を前にらいはもそれ以上問いただしてはこなかった。

 風太郎自身、話したことが自分の気持ちの全てである。家庭教師をどうするかという悩みと、恋愛なんてやはりくだらないという最早風太郎に根付いているとさえ言える思いによってそれ以上考えが捗るとも思えなかった。

 だから、そこで話が一度途切れてしまい少しの間気まずい時間が流れると、おもむろに勇也がパンッ、と自分の膝を叩いた。

 

「よし、分かった」

「親父?」

「お前の事情は分かった。四葉ちゃんとのことはお前のことだ。お前がなんとかしろ」

「だから仕事が──」

「仕事は続けてほしい。悪いけどな」

 

 それでも、と勇也は更に続ける。

 

「告白の返事だって今すぐってわけじゃねえんだろ? 少し様子を見て見ようぜ。断ろうがどうしようが、他の子にも現場は見られちまってんだしよ」

「それはまあ、そうだが。先送りにしたって変わる問題じゃないだろ」

「俺はそうとも思わねえけどな……ま、もう少し家のために頑張ってくれや。風太郎」

「……わかったよ」

 

 

 

 

 

 次の家庭教師の日。

 

『そういうわけだから、頼りにしてますぜ。せんせ』

「分かりました。私もできる限りのことをしてみます。教えてくれてありがとう。上杉君」

『おいおい、何度も言ってますけどいい年こいて君付けはやめてくださいって』

「あなたこそ、私があなたの先生だったのなんて何年前だと思ってるんです」

『俺にとっちゃ零奈先生はいつまで経っても先生なんですよ』

「同じことです。私にとってもあなたはいくつになったって、私の生徒ってことです」

『昔は口応えしたら速攻でぶん殴ってきたくせに……そういう理屈っぽいところ、マルオに似てきてますぜ』

「で、電話だからです! からかわないでください! もう切りますよ」

『ええ、それでは』

「はい」

 

 勇也との最後の挨拶の後、零奈は受話器を置いた。

 それから一つ息を吐くと壁にかけた時計へと目を向ける。

 昼食時を少し過ぎた頃の時刻を時計は指しており、間もなく風太郎が家庭教師をしに来る時間であった。

 直後、インターホンが鳴った。

 

「ちょうど来ましたか」

 

 零奈は玄関へと向かうと扉を開けた。

 扉の向こうでは土曜日だというのに律儀に学生服に袖を通し、リュックサックを背負った風太郎が立っていた。

 出迎えた相手が零奈だと気づくなり、風太郎は軽く頭を下げて会釈した。

 

「こんにちわ。今日も家庭教師に来ました」

「どうぞ上がってください」

「お邪魔します」

 

 玄関の扉を開けたまま部屋の中へと戻った。

 後ろからは続いて入ってきた風太郎が扉を閉める音と、靴を脱ぐ音がする。

 零奈はキッチンへ向かうと用意していたティーポットにお湯を注いだ。

 

「今日は四葉の番なのですが、すみません少し外出をしているので待っていてもらえますか? 少し出先の用が長引いているみたいで」

「はあ」

 

 気の無い返事をしながら風太郎もリビングへと入ってくる。

 零奈は手でテーブルに付くように促した。

 

「今お茶を出しますね」

「いえ、お構いなく」

 

 そんな社交辞令を交わしつつ、紅茶の葉が程よく蒸れた頃になるとポットの紅茶をカップへ注いだ。

 途端に部屋の中には華やかな香りが広がり、注いでいる本人である零奈の鼻孔もくすぐられた。

 良い香りだ、と口に出さないが思った。

 風太郎が来るのは知っていた。だからそのために少し高い紅茶の葉を買っておいたが当たりだったようだ。

 紅茶を注ぎ終わったカップが二つ出来上がると、トレーに用意していたソーサーの上に載せる。トレーの上には他ににスティックタイプの砂糖とコーヒーフレッシュが数個ずつ、それとティースプーンが用意されていた。カップを乗せた時点でセットの完成である。

 トレーを持つと風太郎の元まで歩み寄り、膝をついた。

 

「今日は良い葉が手に入っていたんですよ。ラッキーでしたね」

 

 無論、わざわざ風太郎のために買ったなどと言えば委縮させてしまうと思って言った嘘である。

 だがそれでも風太郎は、困惑気味な顔をする。

 

「俺なんかにそんなの使わなくてもいいですよ。味の良し悪しなんて分かりませんし」

「そんなことを仰らず。貴方は娘の大切な先生ですからね」

「本物の教師からそう言われると恐縮なんですが……」

「私もそんな大した先生じゃありませんよ。どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 風太郎の前にソーサーごとカップを置いた。風太郎の対面の席にも同じくカップを置いた。

 それ以外はトレーに載せたまま、トレー自体をテーブルの上に置くと零奈も二番目に置いたカップの前に座った。

 

「もうすぐ四葉は帰ってくると思いますので、少し私とおしゃべりでもして時間を潰しましょう」

「あの、四葉はどこへ?」

「病院です」

 

 家庭教師としてアポを取っているのに不在なのだから当然の疑問だというのに、おずおずと訊いてくる風太郎に零奈は即答した。

 零奈の回答は風太郎には予想外だったようで、そのまま意外そうな顔をした。

 

「病院ですか」

「あの子は普通の人とは少し違いますから。定期的に精神科の検診を受けているんですよ」

「なるほど……」

 

 実際のところ定期検診は"最近"やり始めたことなのだが、そこまでは説明しなかった。

 あまり話したくない、娘にとっても話さない方がよい話題であったため必要になった時に話せばよいであろうという判断だった。

 そんな零奈の内心を知る由もなく、風太郎は説明した内容だけで納得したように頷くとそれ以上は聞いてこなかった。

「いただきます」と小さくこちらに頭を下げると、置いておいた砂糖とミルクを大目に入れてから一口含んだ。

 

「……美味しいですね」

「お口に合ったようで良かったです」

 

 これも多分社交辞令だろうと零奈は思った。飲み込んでから少しの間が合ったからだ。

 けれどそれをわざわざ指摘することもなく、風太郎が一息ついたのを見てから、零奈は先ほど勇也とした話題を切り出した。

 

「四葉とも先日、顔を合わせたようですね」

「ええ、まあ」

「その時、何か言われませんでしたか?」

「……何か、とは?」

 

 風太郎の顔が固くなった。

 

(いけない、緊張させてしまってますね)

 

 すでに事情は勇也から聞いている。だから今している会話はただの本人に対しての事実確認なのだが、当事者から言わせるのは気恥ずかしいだろう。

 話の振り方を誤ったと自責した。こちらから本題を切り出すことにする。

 

「四葉から告白をされたらしいですね」

「なんで知って……!」

「四葉から聞きましたから」

「あいつ……口が軽すぎるだろ……!」

 

 勇也から聞いたとまではわざわざ言わなかった。四葉から聞いたというのも本当だし、余計なことを言えば上杉家の中での火種を生み出しかねないと思ったからだ。

 先ほどの電話で勇也から聞いた話は要約すると『風太郎が多重人格の女子の家庭教師をすることを荷が重く感じているようで、辞めようと考えているらしい。それと四葉という人格から告白を受けたらしく、それも負担になっているみたいだから上手くフォローしてほしい』とのことだった。

 そのため零奈の目的はそれとなく風太郎が家庭教師を続けたくなるように話を誘導することであった。勇也本人にもそのように頼まれている。しかし、一つだけ不思議に思っていることがあった。

 

(風太郎君は四葉から『五年前に勉強の約束をした子が四葉であったという告白』を受けたみたいですけど、それが何故家庭教師の負担になるのでしょうか。むしろ気合が入りそうなものですが……真面目過ぎる子なのでしょうか)

 

 まるで五月のようだとも思いながら、とにかく告白というのがネックになっているなら、そこから切り込むべきだろうという考えだった。

 なるべく零奈は、自分が風太郎の味方であると思ってもらえるように言葉を選んで口を開いた。

 

「安心してください。そもそも告白するよう背中を押したのは私ですから」

「えっ……は!?」

「どうしましたか?」

「どうしましたって、だって、何でお母さんが……!」

「お母さんって……私はあなたのお母さんじゃありませんよ」

 

 零奈は茶化すように笑った。笑みを浮かべたまま風太郎を見る。そんなに驚くことだろうか。

 自分は嘘は言っていないはずである。四葉は五年前のことを隠そうとしたが、事実後押しをしたのは自分である。

 零奈の予想では五年前の約束の相手と再会できるようしたと告げた時点で味方だと認識してくれるのだと思ったのだが。

 考えをまとめるため、自分も紅茶を一口啜った。

 ストレートで飲んだ紅茶は喉を通り、そして胃から鼻へと香りが抜けていく。やはり良い香りだと再認識すると、思考がクリアになった気がした。

 そこへ風太郎が続けて言ってきた。

 

「おか……中野さんが何で四葉と俺を付き合わせようとするんですか!?」

 

 ………………へ? 

 

「あの、すみません。聞き間違えてしまったかもしれませんので、もう一度いいですか?」

「……何度も言わせないでくださいよ。ですから、何で中野さんが四葉と俺を付き合わせようとするんですかって聞いているんです!」

 

(ああ。やはり聞き間違えていなかったようですね)

 

 紅茶によってクリアになった脳内で、冷静に零奈は事実の確認を行った。

 だけどどうしてだろう、それ以上頭が上手く働いてくれない。本当にどうしてだろう。

 零奈の思考が回転する代わりに、脳内では先日の風太郎と初対面したという日の四葉との会話の時が思い出された。

 

(そういえばあの時の四葉、やけに歯切れが悪かったですね)

 

 それに先ほどの勇也との会話もである。

 四葉の告白が『一緒に勉強する約束をした相手である』と打ち明けたのならば、家庭教師をやめる理由にはなりづらい。

 だけどそうじゃなく、『恋愛的な意味での告白』だとすれば他の子達が黙っていないであろうことは零奈ならば容易に想像がついた。

 

 え? 恋愛的な意味での告白? 誰が、誰を? 四葉が、風太郎君を…………? 

 

(~~~~!?)

 

 直後、零奈の脳内で緊急事態宣言が発令された。

 自分と風太郎の間で、”告白”という言葉の裏に隠された致命的な勘違いにようやく気が付いた。

 自分はもしかしたら、とんでもないことを聞いてしまったのかもしれない。

 

「中野さん!? 大丈夫ですか!? 顔真っ赤ですよ!?」

「だ、大丈夫ですよ、ふ、風太郎君。私は至ってれれれ冷静です……!」

「とてもそうには見えませんけど! カップ持ってる手がブルブルですよ!」

 

 言われ、カップから尋常じゃない量の紅茶が零れていることにも気が付いた。

 同時にスカートの上に零れたいれたての紅茶の熱のおかげで脳内緊急事態宣言が解除される。

 

「いけません! ちょっと失礼しますね!」

 

 勢いよく立ち上がるとキッチンへと駆け寄った。ふきんを取ると湿らせてから寝室へと飛び込み、扉を閉めてスカートを脱いだ。

 火傷はしていないだろうが、熱が当たった部分へとふきんをしばらく当ててから新しいスカートへ着替える。

 その間、たった今風太郎から聞いた話をどうしたらよいだろうかと頭を悩ませた。

 そうしているうちに、扉の向こうで勢いよく玄関の扉が開かれる音がした。

 

『ただいまー! 風太郎君やっぱり来てた! 待たせちゃってごめんね! ……あれ、お母さんは?』

『紅茶を零しちまったみたいでな。今向こうで着替えてる』

『もー、お母さんドジだなー』

 

(あなたが風太郎君にとんでもないことをしたせいです!)

 

 そう思いながら、既に着替え終わっているものの寝室から出なかった。

 まだ考えの答えが出ていないからだ。

 現状、四葉本人から風太郎にそういう意味での告白をしたという話を聞いていない。いくら四葉と言えど親に聞かれたくない話トップテンに入る話だろう。

 だけど黙っていくわけにもいくまい。先ほどの会話で『四葉の告白を零奈が知っていることを、風太郎が知ってしまった』からである。

 零奈が聞かなかったことにしてもいずれ知られる可能性があるし、言い出さなければ四葉から怒られてしまうかもしれないからだ。

 だからどうにか四葉とも話をする場を今後設けないといけないのだろうが、零奈のストレスはそこで限界を迎えた。

 

(とりあえず、頭を冷やしましょう……)

 

 一つ深呼吸をし、平静を装ってから寝室の扉を開けた。

 

「四葉、お帰りなさい」

「あ、お母さんただいまー」

「すみませんが夕飯の買い出しをしなければならないのを忘れていました。授業の間は私はお邪魔でしょうし少し出かけてきますね」

「うん、わかった」

「そういうわけですから風太郎君も、四葉をよろしくお願いしますね」

「え、ええ……わかりました」

 

 寝室に逃げ込む前とは打って変わっての零奈の落ち着きように動揺を隠せないでいる風太郎だが、その平静もハリボテであるため零奈は急ぎ机の上を片づけると早足で部屋を出たのであった。

 

 

 

 

 

 買い物が終わったころになると、流石に零奈の頭も大分冷えていた。

 といっても斬新なアイデアが浮かんだわけでもなく、とにかく風太郎が帰ってから四葉と話をすればいいだろうというところに考えは落ち着いた。

 そうして落ち着いた頭で帰路についていると、冷静になった頭は新たな問題を提起してきた。

 

(あれ? 今うちにいるのは異性として風太郎君を意識してしまっている四葉と、告白を受けた風太郎君……つまり二人っきり!?)

 

 風太郎のことは会った時良い子であると思ったし、親である勇也も学生時代から見ていることもあって信用がある。その勇也が育てた子なのだから大丈夫だろうと思い、年頃の男の子であっても家庭教師をさせることに賛成したのだが──

 

(今はとてもまずいかもしれません……!)

 

 そう思った時には零奈の足はこれ以上ないほど早足になっていた。

 通常の数倍の速度で階段を駆け上がると扉の前に立つ。

 鍵を開けようと手提げの鞄へと手を入れた時、扉の向こうから声が漏れ聞こえてきた。

 寝室にいた時とは違い、玄関の扉となると分厚く、ところどころしか聞こえない。

 それは風太郎の声であった。

 

『……きす……すう……きす』

 

(キス!?)

 

 まさか自分が家を空けている間に、いけない展開になってしまっているのだろうか。

 焦った手で鍵を開けると零奈は家の中へと飛び込んだ。

 

「二人にはまだ早いです! 高校生だったらもっと健全に──」

「あ、お母さんお帰りー」

 

 リビングへ突入した零奈の目に飛び込んできたのは、テーブルを挟んで座る二人で、テーブルの上には開かれたノートが置かれていた。

 風太郎がノートに指を指しており、四葉はペンを握っていた。

 風太郎が不思議そうに言う。

 

「えっと、今数学を教えてたんですけど、今やってる確率の問題はまだ早かったですか?」

「数学……?」

「はい、数学です」

 

 風太郎が参考書を持ち上げて開いているページを見せてきた。

 近寄って見て見れば『目の和が奇数になる場合は何通りか』と書かれた問題が書かれていた。

 そう言えば今授業している範囲にこんな問題があったな、と自分の高校で教えている学校でのことを思い出した。

 確か回答を出すための考え方は──

 

(サイコロは三つだから奇数になるのは二パター……キス……奇数!?)

 

 そこで再び自分が勘違いしていることを理解した。

 しかも今度は自分側がピンク色の勘違いをしていたという醜態である。

 参考書を見ながら固まっている零奈に、追い打ちをするように風太郎。

 

「というか健全な数学ってなんです?」

「────!」

 

 これは、もう一度頭を冷やした方がいいかもしれない。

 零奈は立ち上がると、玄関の方へと体を向けた。

 

「そういえば、夕飯の買い出しをしなければならないのを忘れていました。ちょっと出かけてきますね……?」

「今行ってきたばかりですよね!?」

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