新学期が始まった。
春休みが終わり一つ学年が上がった風太郎達。クラスメイトの顔ぶれはクラス替えによってある程度変わっているものの大きな変化はなかった。
その顔ぶれの中には、復学した今日の当番の二乃もいた。
二年生の三学期を休学したのは一花しか授業を受ける人格がおらず、学力の極端な低下が見られたからだった。だがそれも他人格の復活により再び五月が五人格の代表となるよう、マルオが根回しをしたらしい。
風太郎は復学のことを事前に聞いていたため、始業式の日に顔を見た時にはさして驚くこともなかったが、他のクラスメイト達は別であった。
「二乃マジで久しぶりぃ! もう会えないかと思ったぁ!」
「もう泣くんじゃないわよ。また放課後の寄り道付き合ってあげるから」
「うん!」
教室の隅で二乃と仲が良かった女子グループが集まっていた。
各人格達の中でも特に交友関係が広く、比較的賑やかな面々だったため騒ぎは風太郎の席まで届いていた。
それを自分の席で自習をしながら、横目で遠巻きに眺めていたところ前方の扉が開き眼鏡をかけた男の担任が教室へと入ってきた。
「席につけー、オリエンテーションを始めるぞ」
教壇の前に立つ担任。
生徒達がひとしきり席に戻り静かになるのを見届けてから、檀上に手を置いた。
「今日からお前たちは三年生だ。中には無事このクラスに戻ってこれた奴もいるな。お前たちも最高学年になった自覚を持ち、後輩たちに示しのつくような学校生活を送るよう心掛けてほしい」
教師の話を聞きながらも風太郎は自習の手を止めることはなかった。
別に話を聞いていないわけではない。こういうのは大概形式的な話だから、話半分でも十分内容を理解できるからだ。
なんだったら聞かずとも先の展開だって予想できる。
こういう時のセオリーとしては──
「それから、学年も新しくなって役割も新しく決めなきゃならない。学年も上がって初めましての顔もいるだろうし、お前たち同士で話合って親睦を深めながら決めてもらいたい」
もっともらしいことを言っているが、要するに担任はサボリたいから生徒だけで話をつけろということである。
「とはいえバラバラに話してもまとまらんだろう。他の役職は後日でもいいが、今日のところは学級委員だけ決めておきたい。立候補するやつはいるか?」
担任の問いかけに対して、当然の如く挙手をするような酔狂の輩はいなかった。
もしも今日が二乃ではなく、四葉辺りが当番だったらもしかしたら……というような気はした。
十分な間を取ってから、担任も分かっていたように頷いた。
「ま、いないよな。じゃあ次、推薦したい奴はいるか? これもいなかったら匿名の投票をしてもらって多数決で決めるぞ」
担任の第二の案に対しても挙手をする人間はいなかった。ただし、立候補の時とはクラスの反応も違い沈黙ではなく、小さなざわめきがあった。
『男子の学級長は一人しかいないよな』
『絶対武田君だよねー』
『私、武田君に決まったら女子の方で立候補しようかな』
ざわめきの中から漏れ聞こえてくる名前には風太郎も聞き覚えだけはあった。
視線を後ろの席へと向けて盗み見る。
先日初対面を済ませた青年、武田祐輔が最後列窓際席にいた。
「武田、お前の名前がちらほら聞こえるがどうだ?」
「僕は構いませんよ」
「じゃあ頼むわ」
担任の確認にも一も二もなく同意をすると、パフォーマンス的な億劫さを醸し出しつつ武田は席を立ち、教壇に並び立った。
「次は女子だな。立候補か推薦したい奴はいるか?」
立候補から聞き直す辺り、担任も確信犯だな、と風太郎は思った。
漏れ聞こえた話の通り男子の学級長が武田か、武田以外かでは大きく女子の反応も異なった。
実際、すぐさま挙手をする女子はいなかったものの再びざわめきが起こり、同時に色めき立った女子達の中には立候補をしようと勇気を固めている声も小さく聞こえて来た。
その空気の中、一番最初の手がまず挙がった。
「なんだ武田」
「先生、僕から推薦をしたい人がいるのですが」
今度こそクラス内の女子の気配はわっ、と盛り上がりを見せた。
よもやまさかの武田の方からの推薦。それはもはや指名と言い換えても差し支えなく、意見できるものなどいないだろう。
担任はその空気を知らずか、あえて無視してか淡々と「そうか」と返すと、では誰を推薦するのかと続きを促した。
対して武田は、挙げていた掌をそのまま席の一角に差した。
「中野さん、やってもらえないかな」
「はぁっ!?」
素っ頓狂な声を挙げながらガタリッ、と椅子から立ち上がる二乃。
視線が一気に二乃へと集中する。
推薦された本人はどうしようもなく動揺をする中で、再びヒソヒソと声が挙がり始める。
『中野で大丈夫か?』
『だってあいつ、多重人格とかいうやつだろ?』
『なんで武田君、中野さんを……』
『でも二乃なら任せられるかも』
疑念と奇異の目。
単純に何故彼女の名前が挙がったのかという疑問に加えて、普通の人とは違う体質の持ち主などに任せて大丈夫なのかという空気が一気に教室中に蔓延した。
二乃を良く知る二年生の時から仲の良かったクラスメイトからは多少擁護する声も聞こえてきたが、それも少数だった。
何よりそんなアウェイな空気を、復学早々に全身で受ける羽目になったことに、流石の風太郎も心配になって二乃へと目を向ければ、かなり動揺しているようであった。
「何で私が……! ……あ、やば」
立ったままだった二乃が一瞬、頭を片手で押さえると、もう片方の手を机の上に置いた。
一瞬の硬直の後、顔を上げる彼女。
「あの、どうして私なんでしょうか?」
「もしかして、入れ替わってしまったのかい? すまない、君を困らせる意図はなかったんだけど……ちなみに今は誰か聞いてもいいかな」
「四葉です」
『入れ替わる瞬間初めて見た。すげぇ』
『四葉ちゃんも久しぶりに見た。後で挨拶しにいかないと!』
風太郎は見慣れた光景だが。クラスメイトの大半は初めてらしい入れ替わりに再び声が挙がり始める。
四葉はそれに居心地の悪そうな顔をしながらも武田を見続ける。
「そうかい、四葉さんか。本当に深い意味は無くてね。君は二年生の時にはクラスのために色々としてくれていたし、実際に努力家のところも知っている」
以前、風太郎に隠れて武田に四葉が勉強を教わっていた時のことだろうか。
「それに他の性格の子達も真面目だ。君が学級長をしてくれば君にとってもクラスにとってもメリットがあると思ってね。どうかな?」
武田の言うメリットというのには何となく想像がついた。
四葉も含めた中野少女という人物の交友関係は、良くも悪くも広く浅い。
普通の高校生だったら特定のグループを作った後は卒業まで同じメンツでつるむだろう。学年のカースト上位に位置する人物になれば、その交友の輪が冗談のように広くなるから所謂『顔が広い』というやつになるのだろうが、人間関係の作り方は普通の人と同じだ。
対して四葉達の場合、交友関係の作り方こそ同じものの人格ごとに作った友人というものは違う。
二乃のようにギャルが友人の場合もあれば、四葉のように男女関係なくアウトドア派の生徒と交友を持っている場合もある。一花、三玖、五月の場合も同様だ。
彼女達は体質上それらの友人達と顔を合わせる機会が少ないため、深く仲良くなっているかと言えば微妙なのかもしれないが、少なくとも顔パスの広さだけで言えば下手をすれば学年一かもしれなかった。
学級長としての仕事上、他生徒と関わる機会が多いだろうし顔は知られている方がやりやすいだろう。要するところ、四葉達にやらせれば学級長が五人に増えることに近いのだろう。
「……わかりました」
元がお願いを断れないタイプの四葉に入れ替わってしまったのも運が悪かった。
いまいち納得しきれていないようだったが、四葉は頷き、承諾した。
『うそー、中野さんで決まっちゃった』
『祐輔が指名してくれれば私だってやったのに』
『でも実際、私三玖ちゃんとなら仕事やりやすいかも』
『私は五月さんとなら……』
『でもよ、中野が学級長ってことは一花さんも──』
「それじゃあ決まったことだし、残りは学級長たちに決めてもらうぞ。別の日でもいいから後は任せたぞー」
最後のどこからか聞こえて来た男子生徒の言葉を遮り、担任は投げやりにそういうと教室を出て行った。
「フー君」
放課後のことだった。
始業式しかない初日は学校が終わる時間も早く、まだ太陽の位置は高かった。
帰宅しようと下駄箱で靴へ履き替えているところに、二乃から声がかかった。
(また二乃か? いつの間に入れ替わったんだ)
「今日この後は暇?」
「帰って勉強で忙しい。悪いな」
「良かった、暇なら一緒に帰りましょ。勉強も教えて貰いたいし」
「俺に予定を聞いた意味あったか?」
「聞いたから暇だって分かったんじゃない。何言ってんのよ」
「俺の言葉、どこかで変な翻訳が挟まったのか……?」
風太郎の勉強の予定をまるで無視されたまま、二乃も自分の靴に履き替えると並んで学校の敷地から出た。
家へと向かう道中、疲れたように肩を鳴らす二乃。
「まったく、いきなり災難な日だったわ」
「学級長のことか?」
「そうよ、皆の前で入れ替わりのフリまでしたってのに、むしろ利用されるんだもの」
(フリだったのか……)
恐らくは面前で入れ替わりをして見せて、『こんな不安定な人間に大事な仕事は任せられないでしょ』といった展開でも望んだのだろう。
一応、風太郎もずっとマイルドな言い方で体質と言っているものの、二乃の多重人格は障害なわけだしそれを都合の良いような使い方をするのは少々不謹慎に感じたが。
「あーあ、こんなことになるなら先に立候補してフー君を推薦すればよかったわ」
「勘弁してくれ」
そうなったら勉強をする時間が減ってしまう。
ただでさえ目の前の馬鹿に勉強を教える時間を取られ気味で自分の時間が取れていないというのに。
正直に言えば怒られそうなので内心でだけそうぼやくと、いつもの互いの家へとそれぞれ伸びる分かれ道まで差し掛かった。
先ほどの話を聞く限り、今日は二乃の家で勉強を教えることになるのだろうと、風太郎は二乃の家の方へと足を延ばしたのだが。
「ちょっと、こっちよ」
「あ?」
反対に二乃は風太郎の家の方へと曲がろうとしていた。
「お前の家はそっちじゃないだろ」
「いいから付いてきて」
「……まさか俺の家でするつもりか?」
「もう、そうじゃないってば」
意味も分からないまま二乃の後に続くと再び分かれ道。
今度は風太郎の家じゃない方向へと曲がったためいよいよ二乃がどこを目指しているのか分からなくなったころ、見覚えのある建物が視界に映った。
「ここよ。ここが私の新しい家」
「ここって……」
先日、風太郎も内見に同席した物件の一つだった。
一番最初に回ってマルオがしこたま零奈に怒られた高級マンションだった。
「結局お前ら、ここに引っ越したのか?」
「私もお母さんも決められなかったのよ。だからあんたの言う通りにしてあげたってわけ」
物件探しはあの後、その日のうちに何件か巡って回った。
最初の超高級マンションの部屋はいくら医者で金持ちのマルオでも奮発した物件だったらしく、それ以降の部屋は比較的マトモだった。
可もなく不可もなくの物件たちで、しかしどれも間違いなく以前まで住んでいた二乃のボロ家に比べれば格段に生活の質を向上させること間違いなしの物件だった。
そんな物件たちだったが、本人達はどれも良すぎて逆に決め手がないという反応だった。
「俺は思ったことを言っただけなんだが……」
「あんたがああ言ってくれなかったら、また私達狭い思いをするところだったわ」
二乃の目から見て違いの分からない物件たちを相手に、風太郎が判断できることなどなおさらなかった。
だから物件巡り中の風太郎は終始マルオ達の腰ぎんちゃくとなり物言わず付いて回るだけとなってしまっていた。
流石にそれでは呼び立てた意味がないと、全ての物件を巡り終えた後の総評の時間で風太郎も一言だけコメントを求められた。
前述の通り物件の見分けなどつかず、どこであろうと勉強できる風太郎にとってはどれでも良かったのだが、強いて何か言うならば一つだけ気になったことがあった。
『部屋の数が少ないと、こいつにとっては足りないんじゃないですか?』
と、内見巡りの日の番だった三玖を指して言ったのだった。
その時の風太郎以外、その場にいる全員が目から鱗が落ちる様な顔をしていた。
後で風太郎も聞いた話だが、最後までお邪魔することのなかった零奈と娘達達が共同で使っている寝室はかなり悲惨な状況だったらしい。しかももっぱらの原因は一花のせいとのことだ。
六畳間の寝室を大体半分ずつを零奈と娘達で分けていたらしく、娘達の場合は更に残る三畳を五等分にしていた。
別に贅沢な生活を送っているわけではないから私物も少ないので大体の人格達は少ないスペースを有効活用し、特に困ることなく棲み分けできていたのだが、その努力を全て一花が無に返していた。
見るのも二度目の光景となる、カードキーを差し込んでエントランスに入ってから、エレベーターを待つ間に吐き出すように二乃が言う。
「ようやくあの脱ぎ散らかした服の山から解放されるわ……!」
「そんなに酷いのか?」
「酷いってもんじゃないわよ! お母さんですら怒るのに疲れて何も言わなくなるほどなのよ!?」
「あの人が見限るってどれだけだよ……」
握りこぶしを作って震える二乃と、若干引き気味の風太郎。
そんなわけで常にプライベートスペースを大怪獣一花によって侵略され続けていた二乃達にとって、風太郎の『部屋分けねえの?』は福音か神の啓示がごとくだったという。
「一花の翌日の番だった時なんか部屋の片づけから一日が始まるのよ!? むしろ何で今まで我慢できてたか不思議なくらいだわ!」
「慣れって恐ろしいな……ってことは部屋の割り当てはもしかして……」
「もちろん一花は”隔離”よ」
例の高級マンションにある個人部屋は五部屋。零奈とマルオで一室ずつ。残る三部屋を五人格で分けるとのことなので、順当に一花で一部屋、二乃と三玖で一部屋、四葉と五月で一部屋にするということだった。
こういう時、一人部屋を割り当てられたいと思うのが普通なのだろうが、それを押して一花ひとりで一部屋まるまる押し付けられるあたりよほどなのだろう。
エレベーターが到着した。
二人で乗り込み、最上階の新中野家の部屋の前まで来たところで、二乃のスマホが震えた。
「お母さんかしら?」
取り出したスマホの画面を見るなり、面倒くさそうな顔をする二乃。
「どうした?」
「ごめんフー君、先入ってて。武田君からだわ────もしもし何の用かしら……じゃない、何の用でしょうか。四葉ですけど……え、学級長の仕事の相談? ……少しだけなら」
電話をしながら廊下の遠くの方へと歩いていく二乃。
その背中を遠巻きに眺める風太郎。
「長引きそうだな……俺がここに来た意味、あったか?」
そう呟いてから、言われた通り部屋に入っていった風太郎。
内見の時とは打って変わって新品のソファやらテーブルやらテレビやらの家具類が置かれた室内で、落ち着けるわけもなく一応自習を試みるもほとんど集中はできなかった。
二乃が電話から戻ってきたのはそれから十分後ほどで、その間の風太郎は虚無の時間を過ごしたのであった。