後日、二乃が断ることに失敗した煽りを受けてホームルームの時間に教壇へ立つことになったのは五月だった。
隣には五月と同じく学級長に任命された武田もいた。
クラスメイト一同が見守る中で、全員に届くよう張った声を武田が挙げる。
「それじゃあ早速だけど、目前に迫っている大事なイベントについて話していこうか」
三年生の一学期、四月から七月中旬の期間内にて催される大きなイベントはおよそ二つ。
その二つのイベントは、生徒の関心という意味なら対極に位置しており、武田が二つのイベントのどちらを話題にしようとしているのかは言わずもがなであった。
「修学旅行について」
途端に教室中がわっと活気付いた。
例年と変わりないものの、お役目だからとまずはいくつかのお決まりの連絡事項がされていく。
行き先が京都であることや旅行の日程、当日は何をするかなどなど。それらを説明しているのが武田ということもあり、一つ話をしては教室内が盛り上がり、それを武田がそつなく受け流して次の話題に進めるという光景が繰り返された。
隣で進行を眺めている間、五月は自分だって学級長の片割れのはずなのだが仕事など特になく、ただ暇を持て余していた。
根は真面目であるため、ただ油を売っているだけなのも居心地が悪く、せめて補佐だけでもとしようクラス全体に説明が行き届いているか目を配ったところで一点に目が留まった。
最前列、教壇側から見て少し右側に位置する席。風太郎の席だ。
クラスの沸き立ちになど一ミリも興味を示さないようにしながら黙々とノートの上でペンを走らせている彼と、それを誰も気にしない周囲の生徒達の構図は二年生から見慣れた光景だった。
けれど。
『月が綺麗だな、五月』
ふと、無意識に先日の出来事が頭を過った。
あの日に見た彼の姿は五月の目をもってしても鮮烈で、そんな彼が今クラスのみんなで楽しさを共有しようとしている空気に混ざっていないのが、少しだけ気に食わなかった。
「自由行動の時間は班でまとまってくれていれば好きにしてくれて構わないよ。一班につき最大五人までで、決まった班の申請は──」
「あの、少し宜しいですか?」
「なんだい中野さん?」
武田が五月へと目を向けた。
話を遮ったことに対しては別になんてこともなさそうに、持ち前の明るさから嫌味なく傾聴する姿勢を見せてくる。
ただ、クラスからは今まで空気だったのに急にどうしたのかという怪訝な視線が集中したのには流石に緊張した。
声が上擦らないように注意しながら、五月は胸の前でわざとらしく手を合わせる。
「そういえば、修学旅行の前にもう一つ大きなイベントがありましたよね。全国模試です」
今まで修学旅行を修学旅行の話をしていた中で、急になんでそんな話を、という微妙な雰囲気が漂った。
五月はそれら視線には全く反応を見せず、ただ盗み見るようにして風太郎だけを見続ける。
ぴくりと、風太郎のペンが文字を走らせるのとは別の動きを見せた。五月もそれを見逃さなかった。
顔色を変えないまま武田。
「確かに中野さんの言う通りだね。順番的には全国模試の方が近い」
ちらりと、五月の視線を辿るようにして武田の目線が動いた。彼の視線は風太郎へと辿り着いたように見える。
思惑がバレたかと、心臓が一度だけ高鳴る。
「だけどあれは日頃の成果を確かめるものだ。普段からきちんと勉強をしている人なら結果を出せるだろうし、心配はいらないだろうね」
それに、と前置きをしてからクラスの方へと顔を向ける。
「成績とは別に関係ないから、気にしない子は気にしないだろうしね」
冗談めかしくそう言ってのけると、主にクラスの素行の悪い組から笑いの声が上がった。
武田の言わんとしていることは何となく五月にもわかる。
『興味のない人がいる前でその話題を出すのは、いらない反感を買うよ』
そう言われているように聞こえた。
嫌味なく、五月の言葉を否定せず、しかし下手すれば五月へ反感を持ったかもしれない面々に対しても笑いを交えながらも牽制をしつつ場を回す武田に、本当に同い年なのかと末恐ろしさを感じた。
「とはいえ、大事であることには代わりないから勉強はきちんとしようね」
締めの最後の一言に、はーい、とまるで先生に対して言うかのような生徒達の声が上がった。
武田はその反応に満足げに頷いてから五月を見て、小声ではないがクラス中に届けせるつもりもない声量で。
「注意してくれてありがとう中野さん。おかげで空気が引き締まったよ。他に気になることはあるかい?」
「いえ……」
肝心の風太郎は全国模試の話が終わろうとした時点で再び自習に戻っていた。
しかしこれ以上この話を長引かせるのはホームルーム自体を台無しにさせかねないことは五月であってもわかったから、それ以上は何も言えなかった。
諦めるように目を伏せた。
「それじゃあ」
武田は再び声を張り上げた。目線も、クラスメイト達の方へ向いている。ただ、心なしか五月達の少し右寄りに顔が向いていた。
「日頃きちんとやっていれば特に気にすることはない全国模試の話は終わりにして、これから決めないといけないことが色々とある修学旅行について話を続けていこうか」
そう宣言すると五月によって中断させられていた話が再開された。
結局、何も力になれなかったと肩を落とした五月だったが、そこで気がついた。
いつの間にか風太郎がペンを机の上に置いて、退屈そうにではあるが頬杖をついてこちらの方を向いていた。
(もしかして……)
武田も風太郎をどうにかしようと思ってくれたのかもしれないと、そんな風に思った五月であった。
後日、学校の廊下でのこと。
その日の当番は一花だった。
「ちょっと中野さん」
「ん、なに?」
呼びかけに振り返るとクラスの女子が三人ほど集まっていた。いずれも同じクラスだから顔は知っていたが、五人格のどれとも特に親しくない顔ぶれだった。呼びかけたのは中央の子のようで、眉間に皺が寄っている。
剣呑な雰囲気に何かと身構えると、続け様にその中央の女子が言ってきた。
「悪いんだけどさ、武田君に色目使うのやめてくれない?」
「えっと、なんの話かな」
「とぼけないでよ! 中野さんが武田君から学級長の推薦をもらうのなんて、どう考えてもおかしいじゃん!」
「えぇ……」
かなり刺々しい物言いであったが、ギリギリ愛想笑いを崩さずに困ったように頬を掻く一花。
「この前のホームルームだって明らかに空気読めないこと言ってた中野さんの肩を持ってたし!」
「あれは五月ちゃんが勝手に言ってたことで私は別に──」
「どっちも同じじゃん! 多重人格だかなんだか知らないけど、自分の言ったことなんだから責任持ちなよ!」
女子の物言いは一瞬、古傷を抉る痛みを持つものだった。
今となっては一花から見た他人格は敵ではなく、仲間と言っても差し支えないような存在ではある。しかしだからと言って、他人格と自分を同じ人間扱いされると少々腹立たしくは今でも感じた。
加えて、今まで接してきた人々は多重人格に対して理解を示してくれる人が多かったのだが、やはり他人から見た多重人格に対する理解などこの程度なのかという落胆の感情もあり拍車がかかってしまった。
「なに、自分が選ばれなかったからってもしかして嫉妬してるの?」
以前のような黒い感情が再び沸き立ってしまっている気がした。
嘲笑気味な笑みを浮かべると、顎を少し上げ眼前の女子を見下ろすようにした。
言い返されるとは思っていなかったのか、一花のその態度に女子は顔を真っ赤にする。
「否定しないってことはやっぱりそうじゃん! そんなに武田君の傍にいたいの!? この──」
そこまで勢いよく捲し立てる女子だったが、一瞬だけ言葉を切った。言うかどうか迷うように目線を彷徨わせた後、それでも抑えきれないように。
「障がい者のくせに!」
「────!」
ほとんど反射だった。
気がついた時には手を振り上げていたし、なんの躊躇いもなく手のひらを少女の顔に向けて降ろそうとした瞬間。
「テメェら! 言い過ぎだろ!」
急に聞こえて来た、女子の声を上回る男子の怒声によってビタッ、と一花の手が止まった。
見てみれば、見覚えのあるオールバックが眉を吊り上げていた。前田だった。
「モテねえ女が僻んでんじゃねえよ! 詳しいことはわかんねえけど今のは言っちゃなんねえ言葉だったろ!」
「誰よあんた関係ないでしょ!」
「関係なくねえよ! こっちはお前のせいで気分悪くしてんだ! 一花さんに謝らねえなら俺にだって考えがあるぞ!」
「男子が女子に手を挙げるつもり!? そんなことしたらこっちだって先生に言いつけてやるんだから!」
「今の一部始終を武田に言ってやるよ!」
「………………!!」
一瞬で女子の顔が青ざめた。
「何よ不良のくせに! チクリなんて男らしくないじゃない! 中野さんも話はまた今度!」
そう言い終えるより早く、吐き捨てながら逃げるように早足で歩き去っていった。
曲がり角で彼女達の姿が見えなくなるまで前田は去って行った方向を睨み続けていたが、見えなくなってからようやく一息つくと眉尻を下げて一花の前に立った。
「中野さん、大丈夫ですか?」
「あ、えと、うん。大丈夫」
一花は返事は辿々しくしかった。
正直、こんな体質で芸能界に所属している以上今のようなやっかみは初めてではなかった。
それでもカッとなってしまったのは反省点とは思ったが、今は頭も十分冷めていた。
それでも一花の返事が辿々しくなってしまったのは、そんなことよりも前田本人と向き合う方が気まずかったからであった。
「大丈夫ですか? 今のストレスとかでで入れ替わったりしてません? 今、多分一花さんですよね?」
確認口調だが、ある程度は一花であると見分けられているようだった。
確認に対して一花も頷いて肯定するが、目は逸らしたままだった。
「顔色悪いですけど……保健室行ったほうがいいんじゃないですか?」
「あの、本当に大丈夫だから」
「でも……」
「その、これは、君のせいというか」
「俺の?」
「ほら、結構前に君との約束破っちゃったじゃん?」
「……ああ、もしかして林間学校のことですか」
前田の様子からして、今まで忘れていたようだった。
一花と前田は以前、一つの約束をしていたことがあった。林間学校の三日目、キャンプファイヤーの時に一花の番だったら一緒に踊ろうという約束。
この約束を一花は承諾し他のにも関わらず、自ら破っていた。
林間学校の三日目、最初に目覚めたのは一花だった。
約束を守るつもりがあるならば夜になるまで入れ替わらないように慎重に過ごすべきであったが、しかし実際はその日の番を二度寝によってパスしていた。
元々が前田の約束を取り付けたのも風太郎に対する当てつけでだったし、林間学校の間の数日間は実に色々あった。心境にかなりの変化があった一花は前田との約束を破ってしまうのを分かった上で、他の人格に主導権を譲ったのだった。
「あの日は三玖さん? の番だったらしいじゃないですか。一花さんが気にすることじゃないですよ」
「ん、そうなんだけどさ……」
事情を知らないからそう言えるのだ、とは言えなかった。
これ以上この話を引きずっても自分が苦しいだけだと判断した一花は、話を戻す。
「それよりさ、助けてくれてありがとね」
「当たり前のことをしただけです。あいつらムカつくこと言いやがって」
再び虫の居所が悪そうに悪態をつく前田に、助けてもらった恩もあり愛想笑いで合わせた。
愛想笑いは苦手では無いのだが、どうもその時は無理に笑っていると分かってしまうほど露骨であったらしく、先ほどの脳みそが茹った女子グループなら騙せたのだろうが、前田は気まずそうに頭に手を回しただけだった。
「すんません、逆に気をつかわせちまいましたね」
「そんなことないよ、助かったのは本当だし」
「そうですか」
言ったきり、黙り込む前田。
他に二人が話題にできそうなことがあるでもなく、話はこれで終わりのはずなのだが、しかしそれから特にどこかへ行くでもなく前田はその場に立ち続けた。
どうしたのかと、一花は言葉を探した。
「えっと」
「あの、中野さん……いえ、一花さん」
「な、なに?」
急に彼の口調が変わった。思わず引き気味に一花が反応すると、前田が勇気を振り絞るようにして言った。
「次の修学旅行の班、一緒に組みませんか!?」
「────」
ついさっき言い淀んだ、林間学校での経緯をやはり話すべきだったかと後悔した。
いつぞやのキャンプファイヤーを誘ってきた前田と比べても、今の彼の方がよほど真剣な面持ちであった。
一花が正直に、本当は前田には興味がなくて自分から約束を破ったと伝えたならば、そもそも今ここで彼が誘ってくることはなかっただろう。
こうして彼が覚悟を決めてもう一度誘ってきているのは要するに、林間学校の最終日が三玖の当番となったことをただの偶然だと勘違いしているからに他ならない。
どうすべきかと、わずかに思考を巡らせたものの、答えは一つしかなかった。
あの時の自分と、今の自分では気持ちが違う。
前田の覚悟に応えるならばと、自分も顔を引き締めると頭を下げた。
「ごめんなさい。他に誘いたい人がいるので」
「……それって、上杉ですか?」
「!!」
下げた頭を思わず上げてしまった。
まさか前田の方からその名前が、ノーヒントで上がるとは思ってもいなかった。
一花の反応に前田はむしろ納得が行ったようだった。
「やっぱりか、あいつめ……」
「待って待って! 別にフータロー君だって決まったわけじゃ──」
「違うんですか?」
「……違くは、ないけど」
否定はできなかった。
その様子に悔しそうに前田。
「くそぅ、なんであんな野郎なんかに一花さんも……! あ、すいません今のは一花さんの気になってる人を馬鹿にするつもりじゃなくてですね」
「それは別に大丈夫だけど……それより一花さん”も”って?」
「あ、それはですね、えと」
「なになに、前田君もしかして他にも気になる人でもいたけど、フラれちゃったりしたの?」
自分以外の恋バナになるなり途端に前のめりに一花はなった。話題を逸らすのに格好の餌だった。
口を滑らせたと口元を押さえた前田だったが、時はすでに遅く一花は逃がさないとでも言わんばかりに蛇のように睨みつけて心の中で舌なめずりをしていた。
自分の気持ちを暴いたのだからお前もゲロってしまえという仕返しの気持ちもあった。
しかし、前田から出てきた話は一花の想像していたものとは少し路線の違うものだった。
「俺の話じゃなくてですね……上杉の話っすよ」
「フータロー君の?」
「前にあいつから聞いちまったことがあるんですよ。その、一花さんじゃなくて別の人格の……四葉さんでしたっけ。その人から告白を受けてるって」
「フータロー君が……!?」
初耳だった。
彼が男子と恋バナなどしていること自体意外なのだが、加えて前田のような素行の悪そうな人間と交友があることが尚更だった。
「あの、今の話俺が口を滑らせちまったの、上杉には黙っといてもらえませんか? 半分は俺が無理やり聞き出しちまったみたいなものなんで」
「それはまあ、いいけど」
とはいえ、裏側で四葉辺りは自分に返事ももらえないまま、他の人にバラされてしまっていることに多少なりショックは受けているかもしれないから、後でフォローくらいはしておいた方がいいかもしれないと思った一花であった。
考えている間、覗き込むように前田がじっと見てきていた。
それからすぐ後、パンッ、と音がした。
前田が自分で自分の頬を両手で叩いたのであった。
「ちょっと、急にどうしたの!?」
「驚かせちまってすみません。ここまで話しちまったからには覚悟を一発決めました」
「えっと、どういうことかな……?」
「一花さん、俺の気持ちはもう知ってますよね」
「それは……うん」
ついさっき、ハッキリ断ったつもりだったが改めてまっすぐ言われると申し訳なさが出てしまいそうになる。
「一花さんも上杉のこと好きなんですか」
「ずいぶんストレートに聞くね」
「すいません。でもこういう性格なもんで」
「まぁ…………うん、好きだよ」
「もう一個聞かせてください。上杉の奴は四葉さんに返事はしたんですか?」
「それはまだかな」
一花の知る限りでは、風太郎の方から自分達各人格に対して何らかの気持ちを伝える様な出来事はなかった認識だった。
「あいつ、いつまで返事をひっぱるつもりなんだよ……」
「あはは、一応四葉も急かしてるわけじゃないからさ、そこはフータロー君をあまり責めないであげてほしいな」
「つっても去年の話じゃないですか。今もう四月ですよ!?」
確かに待たせすぎと言えば、待たせすぎかもしれない。
だけど自分達の場合は事情が複雑なのだから仕方ないとも思った。
「俺思うんです。あの野郎結構いい加減なんじゃないかって」
「そ、そんなことはないと思うよっ!」
何を言い出すつもりか知らないが、話が妙な方向に転がり始めた気がしてきた。
思わず否定する言葉にも力が入る。
その勢いに便乗するように前田も。
「だから俺決めました。一花さん、あいつと班を組んでください!」
「なんでそうなるのさ!?」
「後俺も上杉と組みます!」
「だからなんでぇ!?」
まるで意味が分からなかった。
けれど前田は変わらず力説するようにして言う。
「そこで俺があいつから、四葉さんの目の前で気持ちを引きずり出します! もしそれであいつがいい加減な態度を取ったのなら」
一歩、一花へ近寄る前田。
「上杉は一花さんにふさわしくありません!」
「────」
つまりこういうことか。いつまでもずるずると告白の返事を引っ張っている風太郎の男としての性根を前田が見極めるということか。
何でわざわざそんな”余計なお世話”を?
前田が自分のことを好きらしいからだ。
だから風太郎の反応次第では、今後は前田から更にアプローチをされる可能性もあるということか。
それは何というか、非常に面倒くさかった。
しかし。
(これってフータロー君にはいい刺激になるのかも……?)
ここ最近の一花の恋愛事情を振り返ると、大嫌いな他人格の恋心を自分もろとも台無しにする破滅ルートから、自分含めて皆で幸せになりましょうという三玖が最初に提唱しだした幸せルートへシフトチェンジしつつあった。
前提として、五人格全員と風太郎が相思相愛であることを必要としているのにも関わらず、その通常の高校生の五倍は大変だろう壮大なスローガンを掲げておきながら実現させるための具体的な方法というのは何一つ挙がっていない状況でもある。
前田の提案は、ここらで一つ自分達と風太郎の仲を進展させるためのカンフル剤になるのではという気がしたのであった。
よって。
「一花さん、どうですか!」
「じゃ、じゃあ、お願いしてみようかな……」
怒涛の展開により既に頭が熱暴走気味な一花は、前田に任せずとも自分がやればいいのではという簡単なことにも気づけずに受け入れてしまったのであった。
そんな半ば正気を失っている一花の返事を受け取ったのが、妄信気味といっても過言ではない前田であったことが更に運の悪いところで。
「じゃあ早速班の申請頼みますね! 一花さん学級長だからそのまま頼みます!」
「あ、うん」
誰も止める人間などおらず、話はそれきり前田は去って行ったのであった。
次の日。
その日の当番は四葉だった。
昨日は運の良いことに前田の暴走に感化された一花がそのまま班の申請を担任に出しに行ったのだが、担任から班の申請はまだ受け付けてないと断られたこともあり四葉達、前田、風太郎という奇妙な三人班になる事態は避けられていた。
聞くところによればもう少し修学旅行の日に近づいてから班の受付は開始するらしい。
だから首の皮一枚繋がったままであるものの、何とかしないとと思う四葉であった。
(とりあえず、もう一花も頭冷えてるだろうし日記で様子見てみよ)
最近は一花も日記兼雑談ノートに参加してくれるようになってきているため、コミュニケーションを取れるようになっているのも救いだった。
とりあえず班決めの話はこれでいいだろうと、一旦今日のところは忘れようと考えながら廊下を歩いていたところだった。
「ちょっと中野さん」
何だか昨日とデジャブした。
そういえば班決めという面倒ごとの前にもう一つトラブルを抱えたのだということを思い出した。
昨日は前田が追い払ってくれた女子グループがまた来たのかと、嫌な予感がした。
(ううぅ、私はそういう女の戦いってやつ苦手なんだけど……)
呼ばれた声に対して藁にもすがる気持ちで、虎の威を借るキツネならぬ、一花の威を借る四葉は振り返った。
「なに? 私一花だけど、何か用?」
言ってから下手くそな演技だと嫌な汗が出た。
普段ならいちいち自分からどの人格なんて言うことはしていないし、会話の文脈としてもおかしい。
いつだったか五月に化けた時のように、事前の打ち合わせもなくやった即興の演技などこの程度かと、自分自身情けなくなった。
それはともかく、呼ばれた先を見てみれば。
「あれ、松井さん?」
相手は昨日の女子グループではなかった。
同じクラスメイトの松井という女子ひとりだけだった。
髪色は明るく、前髪の一部を三つ編みにして後ろへ流している妙にお洒落を決め込んでいる女子はどちらかと言えばギャルに分類されるタイプで、二乃あたりが多少面識を持っていた気がする。
「良かった、一花さんに代わってたんだ。二乃か一花さんだったら良かったと思ってたからラッキー」
「えと、何の用?」
四葉の下手な変装でもまるで気づく気配もなく、松井は周囲を軽く見てから小声で話してくる。
「あのさ、修学旅行の班決めの話なんだけど」
どうやら後日に回したつもりだった話の続きをしなければいけないらしい。
「学級長って、班決めに口添えとかってできたり、しないかな?」
「……あー」
(それってつまり、松井さんは誰か組みたい人がいるってこと?)
「うーん、どうかな。出来ないこともないかもだけど……」
本当のところは学級長にそんな権限など微塵もないのだが、四葉の面倒見の良さが出た。この場合はむしろ悪さというべきだろうか。
もうやめてもいいはずの一花の真似を続けながら四葉は訊く。
もしも武田と一緒が良いなどと言われれば面倒ごとが二重に増えるのと心配ではあった。
「ちなみに誰と組みたいのかな?」
「……誰にも言わないでね」
「うん」
「前田君なんだけど」
「うえええぇぇ!?」
開いた口、喉の奥から心臓が飛び出そうになった。
慌てた松井が口を押えてくる。
「中野さんしー! しー!」
「ご、ごめん……!」
「もう、他の人に聞かれたくないんだから……!?」
「あの、何で前田君?」
「その、二年生の林間学校の時くらいから色々あってさ。ちょっとだけ気になるかなぁ、なんて……」
「そうなんだぁ」
自分達も人のことを言えず風太郎とあれこれあったわけだが、人の数だけドラマってあるんだなぁと感心してしまった。
そして同時に、大体どの名前が出てもちょっと口添えしてあげるくらいしかできなさそうと思っていたのに、唯一どうにかできてしまいそうな名前が出たものだから四葉は諦めるようにして言ってしまった。
「多分、何とかなると思う」
「ほんとに! 流石学級長!」
正直何とかなる理由に学級長は関係ないのだが。自分の班に松井を加えればいい。ただそれだけなのである。
というか今、時限爆弾の導火線に火が付いたような幻が四葉の脳裏で浮かびながら、冷や汗を感じつつ保険として釘を刺す。
「二人だけの班は難しいかもしれないけど、いいかな」
「大丈夫大丈夫! 一緒の班になったら後は自分で何とかするからさ!」
「そ、そっかぁ」
「流石一花さんだね! 他の子だとちょっと真面目そうだから断られちゃうかなって思ったんだけど、相談できて良かったよ!」
「お役に立てて何よりだよ」
最早言葉に反応する人形の如く、心ここにあらずで返事をする四葉。
そんな四葉の視界には松井の他にもう一人、教室から出てくる影を見つけた。
「お、見つけた。おい」
「あ、うえす────フータロー君」
風太郎だった。
一瞬、素で返しそうになったところを今の自分は一花に変装中だということを思い出し言い直した。
以前、十分に準備をして五月に変装した四葉に気づかれてしまったから、今の雑一花ならばあっさりバレてしまうかもと思い、何とか風太郎が話を合わしてくれることを祈った。
「一花か。また入れ替わったのか」
どうやら風太郎にしては珍しく空気を読んでくれたらしい。
四葉は一花のまま、松井へと向き直る。
「とりあえずさっきの話は分かったから、松井さんも頑張ってね」
「うん、じゃあね中野さん!」
早々に話を切り上げようとする態度に、松井も風太郎の前でまで話はしないというよう手を振りながら去って行った。
残された二人。風太郎の方が松井を見送ってから四葉を見た。
「悪い、話し中だったか。学級長のお前にプリントを渡しに来ただけだったんだが」
そう言って実際に持っていたプリントを渡された。
四葉も松井がいなくなったため、一花モードを解除しようとした。
「大丈夫、ちょうど終わったところです──」
「それにしてもさっき教室にいた時は四葉だったろ。何があればこんなところで入れ替わるんだよ、一花」
「……え」
一瞬、何かの間違いかと思った。
頭が冷えていくような気がした。
「入れ替わりが多くなるとその日は変わりやすくなってくるんだろ? 気を付けろよ?」
それは誰宛の言葉ですか?
「今のはお前の中にいる四葉宛な。俺もようやくお前らの体質に慣れてきたぜ」
私なら目の前にいますけど、上杉さん。
「邪魔して悪かったな。また放課後は授業してやる。ビシバシ行くから覚悟しろよ」
上杉さんはそう言って教室に戻って行きました。
残された私は一人、本当に上杉さんは自分のことを一花だと思っていたのかと頭がぐるぐるしました。
だって前の、私がした五月への変装を見分けてくれたじゃないですか。
『お主の顔は初めて見るが、一花と違うのはわかる』
「────」
ついこの間、おじいちゃんにそんなことを言ってもらった。
ふと、そういえばどうして上杉さんは私の五月への変装を見破れたのかと、思い出そうとした。
確か、上杉さんが見破る前に私が最後に言った言葉。
『今日はこんなにロマンチックな綺麗な月の日なのですから』
あの時私は、五月なら言わないようなことを言ってしまって。
「────」
それって上杉さんは、私を見分けたんじゃなくて、”五月じゃないこと”を見分けただけ?
だとしたらそれってつまり、上杉さんは──
「あぁ、やだなぁ……」
少し前までの一花の気持ちが、分かりそうになってしまいました。
補足
松井:一応原作既出キャラ。原作だと前田の未来の奥さん