五つ子ミルフィーユ   作:真樹

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44_うさぎとかめとゴール地点P

 家のベルが鳴った。

 六畳一間の狭い部屋に響き渡るチープな電子音に反応して、布団が小さく動いた。

 窓からは西日が差し込む中、部屋の中央に敷かれこんもりと山を作っていた布団がめくれる。

 顔を出し枕から頭をもたげたのは風太郎だった。その顔色は酷く悪い。

 緩慢な動きでよろよろと立ち上がると、片手を腹に当てながらも玄関を向かう。

 まもなく扉を開けられるという直前でもう一度ベルが鳴った。

 

「今開けます……」

 

 絞り出すような声で応答してから、言葉通りすぐに戸を押し開いた。

 外に立っていた人物。風太郎の目に真っ先に飛び込んで来たのは大きなリボンだった。

 

「上杉さん! お見舞いに来ましたよ!」

「四葉か……」

 

 来客の正体を確認すると風太郎は扉を開けたまま部屋の中へと戻った。

 意図を察してくれたのか、持ち前の図々しさが出ただけなのか続けて四葉が玄関に上がり込んで来る。

 

「お加減はどうですか。せっかく今日は全国模試の当日だっていうのに、学校に入る時は途中から上杉さんったら心配になるくらい酷いお顔をしてたのでびっくりしましたよ」

「まったくだ。今日は厄日かと思ったほどだ」

 

 四葉は居間まで来て腰を落とすと、ずっと持っていたパンパンに膨れたビニール袋を脇に置いた。続けて袋に手を入れると中からは次から次へと看病用と思われる品々が出て来る。

 それを横目に風太郎は再び布団に戻ると、四葉の言われた今日の出来事を風太郎は思い出した。

 話の通り、今日、四月二十日は全国模試の当日であった。

 風太郎はこの全国模試に当たって何か掛けをしているわけでもなければ、順位に対しても全力を出し切るということ以外で特別なこだわりも持っていなかった。

 ただ、それはそれとして自分の進路を決めるための重要な材料となる全国模試。日ごろの勉強の成果だって確認できるのだから、風太郎からすれば高校三年生の学校行事の中で最も重要だと言っても過言ではないこのイベントをついに迎えたにも関わらず、悲運なことに猛烈な腹痛に襲われたのであった。

 本人は知らぬところだが、原因は朝食の時に勇也の分と取り違えて飲んだ賞味期限切れの牛乳のせいである。

 風太郎だってそれなりの健康優良児ではあるのだが、鉄の胃袋を持つ勇也ほど無敵ではなかったらしい。

 そんなわけで朦朧としながらも試験に挑んだわけだが、気力だけで本来のパフォーマンスを維持し続けたのが風太郎の感嘆すべきところである。ただし、どれほど風太郎が意気込んだところで具合は悪くなる一方であった。

 もはや最後の科目など何問かは解いた記憶すらない。

 気が付いた時には試験時間が過ぎており、答案用紙は回収され、帰りのHRすら終わっていた。

 布団の中でミノムシになっていたのも残る気力を振り絞ってまっすぐ帰宅し、療養しているからであった。

 

「今日は安静にしていてくださいね。私が精いっぱい看病して差し上げますから!」

「別に頼んだ覚えはないんだが……」

「私がしたいからしているだけです! それとも上杉さん、らいはちゃんに苦労をさせるおつもりですかっ?」

「むぅ……」

 

 らいはの名前を出されると弱かった。やむなくそれ以上の反論をすることは止めた。

 風太郎の頭の横でビニール袋のガサガサと漁る音がまだ続く。どれほど自分のために買い込んで来たのかと、気持ちは嬉しいが呆れも同時に沸いて来た。

 続けてペットボトルのキャップを開ける音と、水を注ぐ音がする。目をやるとわざわざ紙コップまで買ってきてスポーツドリンクを注いでくれていた。

 

「どうぞ」

「……」

 

 紙コップが枕元に置かれた。

 半身だけ起こし、零さないように気を付けながらコップを取り上げ、口へと運んだ。

 幸いというわけではないが、風太郎の不調は口から出てくる類のものではなかったのだが、それでもスポーツドリンクは口内をスッキリとさせ、爽やかな酸味は染みわたるようだった。

 そういえば腹の具合がおかしくなってからは水気のあるものを取っていなかったことを思い出した。

 意識が混濁していた原因の一つには脱水もあったのかもしれない。

 流石に飲んですぐにドリンクが胃に届くわけはないが、それでも多少明瞭とした頭は自分以外のことを気遣う余裕を生み出してくれた。

 誰のことかと言えば、眼前でかいがいしく世話を焼いているデカリボンだ。

 

「お前はどうだったんだ、四葉」

「ギクリ」

「……やはりだめか」

 

 分かってはいたが重いため息が出た。

 全国模試の話の続きである。

 風太郎は体調不良ながら全力は尽くした。では「じゃあお前は?」という至極自然な流れの問いである。

 その質問に対して、四葉も今になって腹でも痛くなったのかと聞いてやりたくなるほど気まずそうに、いつもの笑顔を引きつらせた。

 まだ何も答えは貰っていないが、反応だけでもう分かる。

 

「まさか今日に限ってお前が出てくるとは……これも厄日か……」

「人をハズレ扱いしないでくださいよ!」

 

 何度か出た話ではあるが、中野少女の旭高校における成績は五月の学力が基準になっている。

 テストも五月が表に出てきている時に実施されている。だから風太郎とは違う日にテストが実施されることだって珍しくはなかった。

 しかしそれらのテストの日はあくまでも『学校の裁量で決められる範囲内』でしかない。

 全国の高校で一斉に実施される全国模試の場合は学校以外の団体も関係しているため、いつも通り五月の番を待てばよいという話に、そうは問屋が卸さなかった。

 一応、何事にも例外はあり、全国模試のテスト日だって、やむを得ない事情があれば調整ができるケースもあるらしい。

 四葉の場合は正式に医療機関から解離性同一性障害という精神障害の診断だって出ているわけなのだが、それでも今回に限っては調整が効かなかったらしく、諦めてその日担当の子が試験を受けることになったという。

 いくら風太郎といえど何故調整が効かなかったのかまでは知らない。学校と関連団体、後は保護者である零奈達の間でどういう取り交わしになったのかは聞いていないからだ。

 

「できることなら三玖辺りが出てきてくれれば……」

「上杉さーん? 上杉さんは今とっても弱っていて、私に看病されているのをお忘れじゃないですかー?」

「ん? ……四葉?」

 

 言いたい放題に思ったことを言っていると、いつの間にか四葉らしからぬ黒いオーラが沸き立つような引きつった笑みを浮かべていることに気が付いた。

 四葉ではなく三玖だったら総合でプラス何点稼げたかなど考えていたところから、四葉の方へと目を向けた瞬間、視界は真っ暗になって同時に瞼越しにヒンヤリとした感触が襲って来た。

 

「ノーデリカシーな上杉さんにはヒエピタ攻撃です!」

「冷めてっ! つーか痛てぇ! 沁みるっ!?」

 

 瞼の上に貼られたヒエピタからは皮膚を貫通してメントールが眼球に突き刺さり、尋常じゃないまでに沁みた。

 それはもう刺激レベル最高クラスの目薬を差したが如く。

 すぐさまヒエピタを引っぺがすも、残った成分によって痛みは尾を引き、腹の痛みなど忘れて布団の上を転がりまわった。

 

「お前看病しに来たんじゃないのかよ!?」

「ふーんだ、上杉さんが悪いんですーっ」

 

 本気で馬鹿にする意図が無いのは分かるにしても、べーっと四葉は舌を出した。

 そうされている間に何とか立ち上がった風太郎は流し台まで駆け込むと顔を何度も洗った。

 多少は水に流されてくれたのか、痛みも引いてきてようやく一息付けた。

 蛇口をひねり水を止めてから振り返る風太郎。

 

「もう帰れよ。これじゃ休めるものも休めん」

「いやあそれがですね」

「?」

「上杉さんへのお見舞いの品を買っている途中、らいはちゃんと会ってしまいまして実はこのままお夕食にお呼ばれしているのです」

「結局らいはに苦労かけてるじゃねえか」

「一応らいはちゃんからお誘いは頂いたので、これは不可抗力ということで」

「そうかよ」

 

 顔面ヒエピタのせいですっかり目は覚めてしまった。

 布団まで戻ったもののもう一度横になろうという気は起きなかった。

 

「なら好きにしてろ」

「はい!」

 

 まだ腹の虫というか、腹の爆弾も小刻みに爆発はしているところだがそれでも余裕が出て来た風太郎は暇つぶしに机に向かった。机の上には今朝、家を出る直前まで模試対策の復習をしていた痕跡であるノートとペン、それに参考書が置かれていた。

 それらを開き、勉強に取り掛かる前にちらりと後ろを見る。四葉は自分のスマホを取り出して何か操作をしていた。

 その姿を見ていて、今更気が付いた訳ではないがずっと気になっていたことが口から出た。

 

「リボン……」

「はい?」

「そのリボン、どうしたんだ?」

「ああ、これですか」

 

 四葉は言われたリボンの先を軽く摘まんだ。

 

「どうですか、似合ってますか?」

「……まあ、どっちかといえば」

「ししし、ありがとうございます」

 

 風太郎の答えに満足したように四葉は笑みを零した。

 改めてリボンを見てみる。黄緑色一片通りの大きなリボンは、それ単体で評価するなら子供っぽいものだった。

 安っぽそうだし、漫画の世界から飛び出してきたようなビッグサイズは服を合わせようとしても、恐らくどんなコーディネートだって不協和音にしかならない。

 結論を言うとこんなリボンなど、似合うやつなどいるわけがないというのが風太郎の見立てだった。

 けれども、四葉に対して『似合っている』と言ったのも嘘ではない。本当にそう思ったから言ったまでで、良くも悪くも四葉の子供っぽい……言い方を変えると天真爛漫な性格が奇跡的にマッチしたのだろう。

 マリアージュというやつだ。

 ただ。

 

「俺が聞きたかったのはいつもの恰好はどうしたのかって意味だったんだが」

 

 普段の四葉の恰好は他人格と一律同じで、星形のヘアピンを付けたスタイルだった。

 アクセサリーごとき、気分で変えることもあるだろうし、むしろ人格ごとに変えた方が分かりやすいぐらいではあるのだが。

 

「こうしたら私のことを間違える方も減るかなと思いまして」

「やはりそれ狙いか。俺にとっては今更だがな」

 

 今となっては二、三言ほど言葉を交わせば誰か見分けがつくようになった風太郎からすればもっと早くからそうしてほしい試みだった。

 とはいえ、それでも多少は顔を合わせてから見分けるまでに時間がかかるのも事実ではある。一人を除いて。

 ならば四葉の試みも良いものと思うべきかもしれないと、そう思って四葉の顔を見ると。

 

「本当に今更でしょうか」

「────」

 

 いつものように笑っていた。

 ただ、いつものような笑いとは何か違うようなものにも見えた。

 

「どうしましたか、上杉さん?」

「……いや」

「それにですね、実はもう一つ狙いがあったりするのですよ」

「もう一つ?」

「私そろそろ、上杉さんとのお友達をやめようと思っているんです!」

「…………え?」

 

 

 

 友達をやめたい。

 そう宣言した後の風太郎は言っている意味が分からないとは別に、何か焦りのような感情を含んだ顔をして冷や汗をダラダラと流し始めた。

 

(あれ?)

 

 驚くとは思っていたが、四葉が思っていた反応とは違うその反応に自分さえも内心で少し首を傾げた。

 どうしてそんな顔をするのだろうと思いつつ。

 

「えと、今のはですね……お友達からやり直し始めた私と上杉さんの仲をもう少し進展させてもいいのではないかという、そういうあれでして……」

 

 言っているうちに自分でも恥ずかしくなってきた。段々ほっぺたが熱くなってきた気がする。

 いくら元気印が取り柄の自分とて、こうも真正面からこんな話をすればこっぱずかしくなるのは分かっていたのだが、それでも行動を起こそうと自分で決めたのであった。

 何故ならば、時間をかけすぎて自分はいつの間にか追い抜かされてしまっていたのだから。

 四葉の話を聞いてようやく理解が追い付いたというか、現実に引き戻されたような顔をする風太郎。

 

「……ああ、そういうことか」

 

 風太郎への話は要するにもっとお近づきになりたいという話である。

 元々、自分の気持ちはとうの昔に風太郎には伝えた後である。ただ、出会ってから風太郎と接しているうちに、ただまっすぐアタックを仕掛けるだけでは逆に距離を取られてしまうと察した四葉は自ら一歩引いたのであった。

 ただしそれは風太郎への想いを諦めるというわけではなく、一方的に詰め寄ってしまっていた自分と風太郎の距離を、今度はお互いに歩み寄って行こうという思惑からであった。

 実際のところ、今まで距離が縮まっていたかどうかは四葉にも分からない。こんな策略めいたことをしていても本来の四葉はそういった恋愛の機微や頭脳戦は苦手なのだから。

 それでも、例え牛歩でしか距離を縮めていられなくても構わないとも思っていた。だから今までは”お友達”をずっと続けていた。

 だけどそれだけではダメだったと、ようやく知った。

 

「俺はてっきり縁を切りたいとか、そういう話だと思ったぞ……」

「もー、今までの流れでそんな話するわけないじゃないですか! 上杉さんネガティブすぎですー!」

「だがどちらにしたって急な話に変わりは…………いや」

 

 言いかけた言葉を、自分で口元を手で覆って切る風太郎。

 

「お前としてはずっと考えてくれていたことなんだよな……きっと」

「……!」

「俺が前に、お前に酷いことを言っちまったから今まで我慢してくれてたわけだ……本当はお前とだって俺は、向き合わないといけないんだろうな」

「上杉さん……!」

 

 そう言ってくれるのは純粋に嬉しかった。

 可能性としては低いにしても、もしかしたら四葉がこういった話を出すと風太郎がまた距離を取るようなことを言ってくる可能性だって否定しきれなかったから、良い意味でその予想を裏切ってくれて一つ、心が弾んだ気がした。

 だけど、焦ってはいけない。

 焦らず、だけど急いで、確実に進めばいい。

 何故ならば。

 

「今はそのお言葉だけで十分です。あまり意識させ過ぎたらまた上杉さんを困らせてしまいますし」

「前の時のことは悪かったと思ってる……!」

「別に怒っていませんってば。それにこれからだってすることはあまり変わりませんし、ただ少しだけ意識してくれればそれで充分です」

「……そうか」

「それに、私が何か特別なことをしなくても、もうすぐ大きなイベントが来るじゃないですか」

 

 一学期の大きなイベントといえば二つ。

 一つは全国模試。これは本日ちょうど終わりを迎えたイベントだ。

 だから必然的に四葉が何を指しているのかは、消去法で一つとなる。

 風太郎も分かっているように頷いて「そうだな」と返事をしてくれた。

 四葉も呼応するように、両手をグッと握りしめて肩の辺りまで持っていった。

 

「後悔のない修学旅行にしましょうね!」

「ああ」

 

 四葉と風太郎はすでに同じ班になることも決まっている。

 少しばかり余計なギャラリーがいるが、それも大した問題じゃないだろう。

 何だったら班内でも更に、多少別行動をしたって構わないと思っている。

 それよりも今は風太郎だ。

 

(大丈夫、私ならできる)

 

 風太郎から自分達への気持ちは、今は五月に先を越されてしまっているのは何となく察してしまった。

 二人の関係がどうなのかという点に関して言えば、少なくとも四葉が見えている範囲ではまだ何もそれらしい会話はしていないからまだ、きっと五月も風太郎の気持ちなど知らないだろう。

 それに比べて自分はすでに風太郎に想いを告げている。

 自分のことを意識だってしてほしいと伝えて『わかった』と言って貰えている。

 今、自分が五月に抜かされてしまっているのは、ただもじもじとあぐらをかいていたからだ。

 

(大丈夫、私なら五月に勝てる)

 

 ずっと前から自分は風太郎が好きだった。

 ずっと前から風太郎のことを知ろうという目で見てきた。

 

 三玖が言っていた。自分達は五人全員幸せにならないと、一人分の幸せを得られないって。

 それ自体は合っていると思う。他の子達だって幸せになってもらいたい。

 だけど。

 

(五人の中で、私が一番なんだ)

 

 今は五月に抜かされていても、自分がまた走り出せば、きっとすぐに五月に追い付いて、抜かせる。

 そう確信めいた思いを胸に宿した時、四葉のうさぎのようなリボンがひらりと揺れた。

 

 

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