普段ならば今頃学校でHRをしているぐらいのころ、一花は名古屋駅にいた。
ICカードを改札にかざして外へ出ると、左右に分かれている建物内の通路を東へと足を運んだ。
後ろ手に回している右手はキャリ―ケースの取っ手が握られている。足音と共にゴロゴロとキャスターが転がる音がしていた。
地元の駅から私鉄を利用してニ十分強。目的地の京都はまだ遠くにある。けれど乗り換えではなく改札を出たのはここが学校の集合場所だったからであった。
名古屋駅の中央を横断するように伸びる巨大通路、中央コンコースをまっすぐ進んでいくとひらけた場所に出た。
建物そのものの出入り口となる場所で、正面は外へ、左右は建物内だが別の商業施設へ繋がっていた。
壁は一面ガラスとなっており、これでもかというほど差し込んで来る日光のおかげで広場は照明などいらないほどだった。
その広場の中央に、目算でおよそ五メートルほどの高さの時計塔がそびえている。細い柱の先端には東西南北の四方向全てに時計が取り付けられていた。何より目を引くのが外装で、時計の文字盤以外は全て金メッキに包まれているものだから日の光が反射して少し眩しかった。
名古屋駅の象徴的オブジェの一つで”金の時計”と呼ばれるものらしい。
それの周りに人だかりができていた。自分と同様、これから修学旅行に行くクラスメイト達だった。
メンバーが全員揃った班から教師に出欠の連絡をした後、新幹線乗り場へ入っていくことになっている。一花の場合、集合時間ギリギリの到着だったのですでにかなりの人数がいたというわけだった。
その人だかりに自分も混じると、他の班の友達達に挨拶しながら自分の班員達の姿を探した。
探し始めた後、すぐに見つかった。
「中野さーん! こっちです!」
前田声だった。大人数がいてそれなりに賑やかな駅内でも一際でかい声を張り上げ、尻尾のように腕をぶんぶん振る姿はまるで人懐っこい大型犬のようだった。
他の面々も揃っている様子だった。一花、風太郎、武田、前田、松井。これが今回の自分達の班の顔ぶれだ。
(改めて見ると変な組み合わせになっちゃったなー……)
ふと、そう思わずにはいられなかった。
本当はこんなメンツになるつもりはなかった。修学旅行の班員は上限が五人というだけなので、一花的には風太郎と二人班でもよかった。
けれどそんな一花の思惑通りにはなってくれず、あれよこれよと増えていくうちに今の形へと収まったのである。
中には他人格達すら関係なく一花に対して狙い打ちの思惑を抱いているオールバックもいるのだが、ぶっちゃけ一花的には前田に構っている余裕はないので勝手に頑張ってもらいたいところであった。
とにもかくにも、一花の到着によってようやく班は勢ぞろいになったわけで、その全員に向かってキャリーケースを引いている手とは反対側の手を挙げた。
「おはよー。私がラストかー結構早起きしたんだけどなぁ」
「ぎりぎりじゃねえか。何が早起きだよ」
「あ? なんか文句あんのか上杉? 中野さんは頑張って起きたんだよコラ」
「もう、あんたまた上杉君に絡んで……いい加減にしなよ!」
「今日は上杉君と前田君はあまり一緒に居させない方がいいかもしれないね。その時は松井さん、前田君の面倒を頼むよ────おはよう中野さん。見ての通り君が組んだ班は初っ端からこんな感じだよ」
「あはははー…………」
武田に一花は苦笑いを返した。
前田が風太郎に絡む理由を知っていたから、いまいち反応に困ったのであった。
理由とは何かといえば四葉の告白を何か月も保留のままにしている風太郎の軟弱ぶりに前田は業腹らしい。
別に二人の仲を取り持ってやりたいからとか、そんなお節介からくる怒りではない。単純に前田が一花と付き合うためには風太郎達の問題を綺麗にしておきたいという、本人の個人的な事情によるところからくる話であった。
いわば前田にとって風太郎は同じ女性を取り合う恋敵、あるいは競合というわけである。
ただ、感情の矢印という点からいうと前田は一花のことが、四葉は風太郎のことが好きという具合に、矢印の向きが二組の間で逆だったりする。加えて三角関係で言うところの中間地点、風太郎と前田という二人の間に挟まっているのが自分ではあるものの、一花と四葉という一人の人間が収まるべきはずの枠に二人の人格が介在しているせいでテンプレート通りの三角関係に収まらないところが話をややこしくしているのであった。
こうなれば前田からすると四葉と風太郎の恋愛事情など最早他人事と言っても過言でないだろうし、知ったことではないはずなのだが、それでも四葉が風太郎と付き合ってしまえば芋づる式に一花も取られることになる。だから今回の旅行で風太郎にさっさと答えを出せと急かすつもりでいるらしい。
ここまでの事情を一花も知った上で、風太郎の良い刺激になればと思い黙認してきた経緯もあるから────話を戻すと武田に上手くリアクションが取れないのであった。
「今更聞いても仕方ない話だけど、どうしてこの班にしようと思ったんだい?」
「ほんと、なんでだろうねぇ……」
風太郎本人もいる中でよもや赤裸々に自分と前田の、最早暗躍とすら言えるかもしれないやり取りを暴露するわけにもいかず、遠い目で窓ガラス越しの空を見た。
早朝の澄んだ空が眩しかった。
「揃ったなら行こうぜ。そろそろ新幹線が来る時間だ」
「お前が仕切んな上杉!」
「前田!」
脇で松井に前田が抑えられる中、風太郎が先頭を歩き出した。
その後ろに続いてぞろぞろと他の面々も付いて行った。
途中、武田が教師の一人に出欠の連絡と新幹線に乗車する旨の連絡をしてくれていた。
改札から金の時計までの道を逆に辿り、改札へ再び入った。新幹線のりばの場所が一目で分かるほど大きく案内の看板があった。
ホームまで上がると既に大阪方面行の新幹線はすでに到着しており、停車していた。乗車口のドアも開け放たれている。
中に入ると座席は一列につき五人分の席が設けられていて、二人目と三人目の間が通路となるように区切られていた。
座る席はあらかじめ学校側で決められている。一花達の席は通路の真ん中辺りにある、三人側席の前後二列だった。
キャリーケースを荷物置き場に置いてからその自分達の席まで向かうと、向かい合うよう前側の席を半回転させた。
「ようやく腰を落ち着けられるね。集合の時から立ちっぱなしだから疲れたよ」
「武田君ったら貧弱ー」
持ち前のリーダーシップを発揮しておどけるようにして場を回す武田に、松井が便乗するようにその冗談に乗った。
誰がどこに座るかという話になると、配置は自然な流れで女子と男子で分かれた。
一花と松井で一列使い、三人用のシートなので真ん中の席が空いた。空いた席には女子二人の手荷物が置かれた。
対面の座席には男子陣も肩を狭くしながら三人で並んで座った。通路側から風太郎、武田、前田の順だ。一花は風太郎の真向かいだった。
全員が席に着くなり、松井。
「今日は着いたらどこ行くんだっけ?」
「当日の行先すら覚えてないのか」
反応したのは風太郎だった。
「だって京都って古い建物とかばっかでしょ? あんまそういうの興味ないからさー」
「今日は伏見稲荷大社とその周辺の観光だ。清水寺とか主要な重要遺産は二日目に団体で回るからな。三日目は──」
「待った、上杉君全部覚えてるの?」
「これくらい常識だろ」
「私の常識にはそんなのないんだけど……!?」
半分呆れ、半分怖いものを見る様な目を松井は風太郎へ向けた。
その隣で一花。
「フータロー君を疑うわけじゃないけどさ、一応確認しようよ。私しおりすぐ出せるからさ」
言いながら自分と松井の間に置いていたハンドバッグに手を入れた。
バッグの中でしおりはすぐに手見つかり、手探りで掴むとそのまま引っ張りだした。
「あ」
A4サイズの紙をホチキスで留めたしおりと一緒に、一冊のノートも掴んでいた。
「関係無いのも出しちゃったや。とりあえずこっちのしおりは渡しておくね」
「ありがと」
「一花、そっちのノートはなんだ?」
「上杉、てめえレディの持ち物に興味もつんじゃねえよコラ」
「言い方はともかく、前田君の意見に同意かな」
「むぅ……」
「別に大したものじゃないから気にしないでいいよ。それにフータロー君のノーデリカシーも慣れてるし」
「お前はフォローしているフリして俺を責めてないか?」
最後の風太郎の一言は無視しながら、しまおうとしたノートを再び出すと表紙だけを見えるように膝の上に置いた。
「流石に中を見せるのは恥ずかしいけど、これ、私"達"の日記なんだ」
「例の交換日記か」
一花の説明によって得心がいった素振りを見せる風太郎のリアクションに、松井が意外そうな顔をした。
「知ってるの?」
「前に聞いたことがある。一花たちはそれで互いに意思疎通を取ってるらしい」
「多重人格なのにノートで会話してるの?」
「多重人格だからだ。こいつらは頭の中で会話できるわけじゃないし、互いの考えてることも分からないらしいからな。他の人格に伝えたいことがある時は、普通の奴が他人を相手にする時と同じやり方じゃないと伝えられないらしいんだ」
へぇ、と風太郎の説明に興味深く頷きながら松井はノートをしげしげと見た。
流石付き合いが多いだけあると言うべきか、風太郎の説明は間違っていなかったため特に補足もしなかった。代わりに松井のノートへの視線に少しだけ恥ずかしそうにして、一花はノートの上に手を置いた。
その一花の様子を見ながら、目線を風太郎へと向ける武田。
「詳しいね上杉君。流石、普段から一緒にいるだけはあるね」
「別に……」
「学級長の仕事を中野さんとしていると、よく君の名前をよく聞くのだけどね」
「……一花」
恨めしそうな目でこちらを見てくる風太郎に一花は弁明するように慌てて手を左右に振った。
一応、彼の言うことは嘘ではない。一花を含めて、各人格達が風太郎との勉強の約束を理由に学級長の仕事をサボる……もとい不要な放課後の居残りを避けることが"稀"にあった。
ただし稀、と言うのは一花達各格の体感の話であった。
どういうことかと言うと中野少女という総合的個人と接している武田の場合はその体感に当てはまらないという話である。
例えば週に一度、一花が風太郎をダシにして仕事をサボった場合、一花の体感からすればそれは"稀"と言えるかもしれない。
ただ、一花達は基本的に満遍なく表に出てくる。その彼女達が全員週に一度同じ理由で仕事をサボった場合、それは武田の目から見ると週に五回仕事をサボられていることになる。
もちろん、本当にそれほどの頻度で一花達が仕事をサボっていれば学級長の仕事が破綻するので実態はもう少し少ないのだが、それはともかく、武田が"よく"という慣用句を用いているのはそういった背景を伴っているからであった。
「なになに、上杉君と中野さんって仲良いの?」
渡されたしおりを読んでいた松井が、それよりも興味があるように口を挟んで来た。
「実はフータロー君とはちょっと親繋がりで交流があってさ」
家庭教師をしてもらっているとまではあえて言わなかった。同級生にお金を払ってまで勉強を教えてもらっているという事を他の同級生に知られたくないと、最近丸くなった一花に残った雀の涙ほどプライドからだった。
納得したように頷く頭が二つ。
「なるほど、それで中野院長は上杉君に仕事を……」
「それで四葉さんは上杉に……」
前田と武田だ。
「え、何二人とも何が?」
勝手に何か納得して頷いている二人に、唯一理解が追いついていない松井がキョロキョロと二人の顔を見比べた。
掘り下げれば当然のように家庭教師の話が出るだろうため、話の流れを切るように一花が言う。
「まぁまぁ、細かい話は置いといてさ。それでフータロー君とはたまに学校の外でも顔を合わせることがあるんだ」
「ふーん」
松井は興味を失ったようだった。
その様子を見てから、一花は逸れた話を戻して日記について話始めた。
「日記は毎日付けるのが習慣でさ。それに他の子達に伝えたいこともここに書いてるから、今日何か楽しいことがあったら忘れないうちに書いておきたくって」
「確かに、中野さん……というか一花さんが今日書けなかったら次に書けるの何日も後になっちゃうもんね」
「そういうこと」
今の説明に嘘はなかった。ただ一つ、意図的に説明していないこともあった。
わざわざ日記を持ってきたのは、本当はここ最近の日記をいつでも見返せるようにするためだった。
一花はノートを開いた。最初に見たのは数日前、四葉がいつもの恰好をやめて、自分だけリボンをつけるようになった日の翌日の日記だった。
『四月二十三日 三玖
四葉、思い切ったね。でも、フータローとの距離を縮めたいと思っていたのは私も常々思ってた。
どうするつもりか言ってくれなかったから分からないけど、修学旅行で何かするつもりなら私、応援するね。
私も、何かアクセサリー付けてみようかな……フータロー、何が好きかな。』
『2018/4/24 二乃
三玖へ
いいわねそれ、私もやってみようかしら。確かこの前四葉のリボンと一緒にもう一つ買ったし、あれは私が使うわ。
なんだか私が出遅れているのは釈然としないけど、私たち全員がフー君と仲良くならないといけないのは本当だし、私も三玖と同じね。四葉に協力するわ。
って言っても、何すればいいのかもわからないけど。』
『2018年4月25日 五月
みんな彼と真剣に向き合おうとしているのですね。
私は……邪魔はしません。良い結果になれるようにだけ祈っています。』
四葉のアクセサリーの変更を他の三人は肯定的に捉えているように一花には見えた。
五月だけは応援するでもなく、成り行きを見守ろうとしている辺り、もしかしたら一花と同じ不安をうっすらと感じているのかもしれない。
(多分、四葉の異変に気が付けてるのは私だけだ)
一花もまた、四葉に対して一抹の不安を感じてやまなかった。
不安、それをもっと一花の感覚に近いものへと言い換えるのならば”共感”と例えてもよいかもしれなかった。
自分達他人格は四葉が風太郎と会話していた時だって裏で見えていた。その中で風太郎は一度、盛大に”やらかした”。
一花のフリをした四葉を見分けられなかったのだ。
見分けられなかったこと自体は、二乃も三玖も多少は風太郎に対して顰蹙を買っている節はあったが、それだけである。
だけど一花は違った。一花だけは四葉がどれほど悔しく感じ、そして激しい負の感情を燃え滾らせたであろうか想像できたのであった。
かつて自分もそうだったから、分かるのだ。
四葉が一人だけ見た目を変え始めたのも、急に風太郎との仲を進展させようとし始めたのも、全ては自分を見つけてもらうためにし始めたもののように見えた。
幸いなのは一花のように過激に周囲へ当たり散らすのではなく、風太郎にまっすぐ気持ちを伝え直し始めたことだろう。根の部分の素直さがせめてものブレーキになってくれているのかもしれない。
けれど行動の起爆剤となっているのは間違いなく負の感情であるだろう。
それは例えるなら古びた灯油で暖房をつける様なものだ。古い灯油にはタールが溜まる。タールが溜まった灯油が燃焼されると、ただ周りを温かくするだけに留まらず毒ガスをまき散らすのだ。
四葉の天真爛漫さの裏で、今まさに嫌な空気が漂い始めている、そんな予感を一花は感じていた。
ただしこれは確信ではなかった。あくまで予感であるため、今はまだ何も対策を講じていない。けれどもしも予感が当たっていた場合、四葉の行きつく先がどれほど辛いものか一花は知っていたため、未然に止めてあげたかった。
日記は、見落としがないようにするためのせめてもの対策だった。
もしも四葉が行動を起こすなら、やはりこの修学旅行だから。
(後悔のない修学旅行にするんだ)
あえて四葉の言葉を借りて、そう心の中で誓った。
風太郎だけじゃない、四葉にとっても楽しい修学旅行にさせる。
四葉の、風太郎に見分けてほしいという努力それ自体は何も間違っていない。だけど一番にならずとも、自分達は一人ひとりが特別なのだ。
大切なのは誰が表にいるかではなく、五人で一人であるということだから。
だから一花は、入れ替わってしまえば出来ることは少ないかもしれないが、それでもこの修学旅行で四葉を守ると決めていた。
さもなければ、かつて自分の、”一花のせい”で前の学校、黒薔薇女子から転校することになってしまった悲劇の二の舞になると、そう危惧しているのであった。