新幹線に揺られて三十分弱、風太郎達を乗せた車両は京都駅へと到着した。
名古屋から京都までの距離は思いのほか近く、小学生のころは永遠に感じた移動時間も高校生になればあっという間だった。
むしろこの程度の距離ならわざわざ新幹線など使わず安上がりに済ませることができるのではないかと、すっかり貧乏性が板についたこの男は、既に支払い終えていて戻るはずがない旅行の積み立て費に思いを馳せていた。
「大きい荷物はこちらで送っておく。貴重品だけ持って行くように。諸注意は以上だ。では解散」
新幹線を下車してから一度、京都駅内の一角で簡単なHRのようなものが行われた後、解散と相成った。
解散の号令を皮切りに生徒達はそれぞれ班ごとに自由行動へと移って行った。
そしてそれは風太郎たちの班も例外ではなかった。武田が先頭に立って既に最初の目的地へと向かい始めている。
班の一行の中で風太郎は一番後ろだった。
自然と他のメンバーの背中を眺める形で歩いていると、一花の元へ松井が近寄っていくのが見えた。
並んで歩くにしては少々近すぎる距離まで寄ると何か耳打ちをするような素振りをしていた。
(なんだ……?)
最初の目的地は京都の中では清水寺に勝らずとも劣らずの観光名所の一角、伏見稲荷神社だった。
この場所は稲荷山という山を開拓して建てられた神社であり、参拝者は必然的に山登りをさせられる。
無論、あまりにも高い位置に本殿をおけば高齢の参拝者などは訪れることすらままならなくなってしまうため、本殿は山の麓に建てられている。
ただ、風太郎達のような無尽蔵の体力を有り余らせている高校生ともなれば、本殿の奥にある山道にまで足を踏み入れていた。
惜しむらくは風太郎本人の場合、その”無尽蔵の体力”とやらを持っていない貧弱な高校生であることだった。
(死ぬ……!)
無数に並ぶ鳥居の道、その道中で両膝に手を置いて肩で息をしていた。
すでに他の班員達は先に行ってしまっている。そうなった原因は前田によるところが大きかった。曰く「軟弱野郎に付き合ってたら日が暮れちまう」とのことらしい。
(あいつ、林間学校の時は良いやつだったじゃねえか)
今日は朝からやたらと絡まれてきたが、こうして置いてけぼりにされ実害が出てくるといよいよ風太郎でも腹が立ってきた。
こちらに落ち度があるならともかく、前田からあのような態度を取られることに心当たりも無かったから苛立ちにも拍車がかかった。
自分のような奴でも上限の五人班のメンバーの一人になれた時、少しは楽しい修学旅行になるかと期待していた気持ちが台無しになった気分だった。
このまま引き返して、今からでも自由気ままな一人の時間でも過ごそうかとさえ思った。
その時だった。前方、階段の上の方から小走りで降りてくる姿があることに気が付いた。
一花だった。
「フータロー君! よかったやっと見つかった!」
「お前……何で戻ってきたんだよ?」
「同じ班なんだから当たり前じゃん!」
「他の奴らは?」
「みんなで戻ろうって話したんだけど、前田君が聞いてくれなくてさ。武田君達と先に行っててもらってるよ」
「それでお前ひとり俺の面倒見役か。学級長だもんな……悪かったな面倒なことさせて」
「君が謝ることじゃないよ。ほら、これ飲む?」
言いながら一花が水が入ったペットボトルを差し出してきた。受け取るとまだ冷たく、開栓もされていなかった。
「この先に休憩所があってさ、途中で買ってきたんだ」
「……わりぃ」
「だから謝らないでってば。ゆっくりでいいからさ、せっかくここまで来たんだから一緒に行こうよ」
「…………」
優しげな一花の声は同年代であるはずなのに年上のようにさえ聞こえ、それと比例して自分がひどく幼稚な奴のような気がして恥ずかしくなり、何も言えなかった。
ただ、一花の気遣いは純粋に嬉しく、ペットボトルを開けて一口あおるとおとなしく階段を再び上り始めた。
先ほどまでは鉄球でも足首についているのではないかと思っていた足が、少し軽くなった気がした。
「綺麗だねー」
風太郎の歩く速度に合わせて隣を歩く一花が、無数に並び行く鳥居たちに向けながら言った。
「別に鳥居なんて珍しいもんじゃないだろ」
「うわ、フータロー君わざわざここでそれを言う!?」
信じられないものを見る様な目で言う一花。
「もしかして君ってばこの鳥居も観光名所なこと知らないの?」
「そんなことはない、千本鳥居だろ」
千本鳥居というのは名前の通り、今まさに風太郎達がくぐり続けている大量の鳥居が山道沿いに建てられている道だ。
実はこの千本鳥居というものは位置的に言うと本殿よりも奥に施設されていて、本殿だけが目的だと無数の鳥居をくぐることなく参拝を済ませてしまうことだってできてしまったりする。
では千本鳥居は何のためにあるのかといえば、諸説あるが聞くところによれば修験のためだという。
伏見稲荷神社は稲荷山全土を神域としている。千本鳥居が続く山道を進むと最奥に位置する場所、一ノ峰ともなれば標高は233メートルにも及び、その道を踏破しようとすれば所要時間は二時間を超えるのだとか。
「なんだ知ってるじゃん。それにいくら鳥居なんて地元でも見れるからって、これだけの数が並んでたら結構圧巻だと思うけどなぁ」
「……まあ」
実際、鳥居ごとの間隔はかなり狭く建てられている。どのぐらい狭いのかと言えば、隙間はあるものの日光を遮ってしまい中にある道は少し薄暗くなるほどなのである。
その鳥居ごとのわずかな隙間から差し込んで来る陽光と、その光に当てられて内側よりも外側の方が鮮やかな朱色を見せる光景は、正直に白状すると風太郎のみすぼらしい感性でもってさえ幻想的と思わざるを得なかった。
思ったのだが、何故か分からないが一花の前でその素直な感想を言うのは少し恥ずかしかったのだった。
「それにしてもフータロー君、小学生の頃はこの道だってへっちゃらだったじゃん」
「……五年前か」
「そうそう、あの時も一緒にここへ来たよね」
「あの時は四葉だったらしいがな」
「……そうだね」
「一花?」
一瞬、一花が顔を曇らせた。
何かおかしなことでも言っただろうかと思考を巡らせたが、答えを出すより早く一花が声を弾ませた。
「ごめん、なんでもないから気にしないで!」
「……そうか?」
「そうそう! それよりも今は君のことだよ。小学生の時より体力落ちちゃってるとか男子高校生としてどうなのさ」
「どうって、別にいいだろ」
「昔はワイルドだったからなぁ、今の根暗君とは全然違うし、仕方ないかぁ」
「うるせえ。というか昔のことは思い出したくないからやめろ」
小馬鹿にするようにニマニマしながら頷く一花の様子は変わらなかった。
「それに結構格好良かったと思うよ? あの時の感じのまま成長したら二乃とかの好みの見た目になりそうだし」
「あいつそういうのが好みなのか」
「そうそう、意外と面食いだからさー」
そう言って他人格の話を嘲笑や侮蔑を含まず、素直な笑い話として語る今の一花の姿は、少し前だったら信じられない光景だっただろうと横目で眺めながら風太郎は思った。
そんな一花だったが急に慌てた顔をすると、目を見開いてこちらを見てきた。
「あ、でも好みと好きな人の話はまた別だからね!?」
「何だよ突然」
「だから、二乃の好みが昔の君みたいだからって、今の君がそんな風になる必要はないってことで──」
「おい……!」
一花が何を言おうとしているのか気が付いた時、すでにほぼ手遅れだろうがそれでも少し語調を強め言って、一花の言葉を遮って止めた。
はっとした顔で一花も口元を両手で抑えた。
今この場には一花と風太郎しかいないわけだが、それでも心配しなければならないことはもう一つある。すぐ近くに見えざる傍聴席が四席ほど並んでいることを、一花達と話す時には忘れてはいけないのだ。
しくじったというような顔をする一花へ、風太郎が恐る恐る言う。
「今の、二乃に聞こえてたよな……?」
「多分…………フータロー君、一瞬だけいいかな」
「ん?」
風太郎の返事を待たず、一花はくるりと反対側を向くと誰もいない空間に向けてぱん、と両手を合わせてから頭を下げた。
「ごめん二乃! 今のは本当にわざとじゃないから!」
どうやら二乃に向かって言っているらしい。
誰もいない方向に向かって謝っている光景は端から見ると奇妙なものだったではあったが、事情を知っているからすぐに察することができた。
普段の生活も含めて彼女たちが人前で他人格へ語り掛けることはあまりない。単純に彼女たち自身、その絵面が奇妙であることを理解しているからやらないのだろう。
それでも今はすべきと一花は判断したから、そうしたのだろう。
頭を下げ終えた一花がこちらへと向き直る。
「ごめん、お待たせ」
「後であいつが出てきた時怖いな」
「多分怒られるんだろうなぁ……顔を直接合わせることはないから、手が出ないのが救いだけど」
「どうだろうな、あいつなら自爆覚悟で自分の顔にビンタするんじゃないのか?」
「……ありえなくはないかも」
ぶるりと一花は身震いをさせた。
「それとさ、フータロー君もなんだけど……」
「分かってる。この話はここまでだ」
「うん、よかった。ごめんね」
二乃の気持ち……はっきりと言ってしまえば二乃が自分に対して好意を寄せてくれているということ自体はだいぶ前に知ってしまっていた。
気づいたのはたしか林間学校の肝試しをしていた時だっただろうか。
しかもその時には同時に、風太郎が二乃の気持ちに気が付いてしまっていることを、逆に二乃にも知られてしまっている。
そうなった原因は今、目の前にいる一花による、それも悪意がこもった行動のせいだったりする。
多重人格者を相手に使うには紛らわしい言い方だが、心を入れ替えた現在の一花ならば当時のことは強く反省していることだろう。
それに風太郎の覚えている限りでは、二乃から一花に対する恨み言も聞いたことはなかった。もうお許しをもらっているのかもしれない。
少し話が逸れたが、そんなわけで風太郎は二乃から明確な告白の言葉を言われていないにも関わらず、彼女からの気持ちをどう取り扱うべきか考えないといけないという状況だった。
幸いなのは二乃本人も最初の頃は意識して風太郎と顔を合わせづらそうにしていたのが、今となっては平然と軽口を言える程度にはいつも通りとなっていることだろうか。
ただ、それにしたって軽率に取り扱っていい話でもないので、本人がいない場でこの話をこれ以上続けるのは誰にとっても得の無いことだろう。
だから二人ともそれ以上は宣言通りこの話を終わりにしたのだが、同時に会話も切れてしまった。
少し気まずい時間が流れたまま、ただ階段を上り続けていると開けた場所に出た。
近くに立っている小さな案内看板を見ると、二股に分かれた道案内の真ん中、つまり現在位置を示す箇所には『四ツ辻』と書かれていた。
「こっちに案内板があるな」
四ツ辻の入ったところにあった案内看板には、簡単な絵での神社の全体像が書かれていた。
現在位置は山の中腹に位置するところにいるらしい。
千本鳥居は分かれ道の先まで延々と伸びているようで、この先の道に沿って絵へと目を見やると、ぐるりと一周して元の場所へと戻ってきた。
「どっちも山頂に続いてるみたいだな」
「武田君たちはどっちに行ったかな……」
「…………」
一花のつぶやきに対して、風太郎はむすっとした表情を浮かべた。その様子に一花は気が付いていなかった。
迎えに来てもらってからというもの、風太郎の機嫌は大分元通りかそれ以上にまで回復していた。
それがあのいけ好かないオールバッグの顔を思い浮かべたせいで、再び嫌な気持ちが沸々と沸き立ってきたのだった。
それにである。少しばかり、一花の言うことにも気にくわなかった。
「右回りでいくぞ」
「え、どうして?」
「正規ルートだからだ。武田がいるなら右回りが正解だと知っている可能性が高い」
「なるほど!」
感心したように一花は目を輝かせた。が、実際のところ風太郎の推理は口から出まかせだった。
実際問題、武田達が正規ルートへ進んだ可能性は高い。しかしだからといって自分達までその後を追っていくのは下策だろう。
何故ならば。
「それなら左回りで行った方がよくない? 追いかけるより途中で鉢合わせられるようにしたほうが確実に合流できるだろうし」
「────」
あえて言わなかったことを一花が言ってきたものだから風太郎は固まった。
そう。本当に単純に合流するだけが目的だったら後を追うのではなく、逆から行った方が確実なのだ。
ただでさえこちらは遅れて置いて行かれているのだから、後を追ったところで追い付けるとは限らない。
それでもわざと後を追うように提案をしたのは、”その方が他の奴らと顔を合わせる可能性が低い”と判断したからだった。
その風太郎と同じ思考を一花も辿ったらしい。
「フータロー君? どうしたのぼーっとして?」
風太郎の形容しがたい固い表情を覗き込むようにして来る一花。
それに対して風太郎は顔を逸らすと、前髪に手が伸びた。
今、一花に自分の顔を見られるのは困るのだった。
正直な話をすると自分でも自分の感情の動きに風太郎は動揺していた。
前田と顔を合わせたくないから追い付けない可能性を考慮して右回りを選んだのは間違いなく本音だ。
だけど全てを白状するならば、それにもう一つ理由を付け加えないといけないのである。
一花が他の奴らと合流しようとして、自分と今二人でいるこの時間を終わらせようとしているのが、どうしてか嫌だった。
もしかしたら自分は……そんなことすら脳裏に過ってくる。
それを見られたくなくて、風太郎は一花から顔を逸らしたのだが、怪訝な様子は逆に一花の疑いを深めるばかりで更にこちらへと寄ってきた。
耐え切れず、気が付いた時には手が伸びていた。
「いいから、こっちに行くぞ」
「ちょっと……!?」
一花の手を掴んでいた。掴んだまま、少し強引に引っ張るようにして右回りの道へと歩き始めていた。
最初の一瞬だけ体勢をよろめかせた一花だったが、バランスを取るように駆け足で風太郎へ距離を詰めると腕を掴まれたまま風太郎の後ろに付いて歩き始める。
その一花に向けて風太郎は背中を向けたまま言う。
「お前の言う通り左から行けば間違いなく合流できるだろう。だがその後どうする、どちらかに引き返させるのか?」
「でも仕方ないんじゃないかな……!」
「今日のあいつはどういうつもりか知らねえが、前田は嫌がるだろうな」
「かもしれないね。だったら私達が──」
「俺も嫌だ」
「えぇ……」
困惑気な声が後ろからした。
それもそうだろう。先ほど自分の幼稚さに嫌気が差したばかりだというのに、またもや子供じみたことを言っているのだ。
もしかしたら引かれているかもしれない。
前にもこんなことがあった気がした。確か花火大会のころだろうか。
一花の言動に振り回されて、怒りに任せたままその場を後にしてしまった。今となっては感情の向き先がまったく逆かもしれないが、それでも一花の前だとどうも自分の素が出てしまうのはあの時のままのようで嫌だったが、逆らえなかった。
「俺たちが頑張って歩けばいい。もしかしたら出口近くぐらいでなら追い付けるかもしれない」
「それはそうだけど……フータロー君、急にちょっと様子が変だよ……!?」
「……別に普通だ」
「嘘! フータロー君は嘘下手な人じゃないけど、今のは絶対に嘘!」
一花がそういうと同時、引っ張っていた腕がピンッと張る感じがした。
振り返ると一花がその場に立ち止まって踏みとどまっていた。
「ねえちゃんと話してよ。私が何か変なこと言っちゃったなら謝るからさ」
「お前は、別に……」
「ならせめて説明してくれないかな? こんな雰囲気じゃせっかくの修学旅行だって楽しめないよ」
「…………!」
一花の言葉が、棘のように胸に刺さって痛んだ。
否、元々刺さっていた棘による傷口が広がるようにじんわりと痛んだ。
元々刺さっていた棘。四葉の言葉。
”後悔のない修学旅行にしましょうね!”
全国模試の日、屈託のない笑顔で言われた言葉だった。
体調を崩して弱っていたせいもあるのだろう。その一言が励みになって、そして目標になった。
だからこの修学旅行では余計なおまけが何人かついてきたが、それでも彼女達と充実した時間を過ごそうと、そう思っていた。
充実した時間とは自分だけではない、彼女達にとってもそうであってもらわないと納得がいかない。
それが今、自分の気持ちを説明しなければ楽しめないと言われてしまった。
(言わないといけないのか……!?)
まだ風太郎は、五月に対する気持ちだって五月本人以外には秘密にしている。
それと比べて一花に対する気持ちはまだ、今さっき可能性として芽生えただけで何で、一花のどこを見てそう思ったのかも自分の中で整理ができていない。
そんな曖昧な感情をとめどなく並び立てれば、残る三人にどんな影響を与えるのか想像もつかない。
怖かった。単純に話すことが怖くなった。
絞り出すように、一言だけ言った。
「……言えない」
「なんで!」
「なんでもだ……!」
「…………もしかして、気が付いてるの?」
「……は?」
ようやく一花を見た。
つい先ほどまで問い詰める様な目で見ていた一花の目は、いつの間にか怯える様な、怖がるようなまなざしへと変わっていた。
今は風太郎自身の話だというのに、一花がどうしてそんな反応をするのかわからずにリアクションを取れずにいると、今度は一花が目を伏せ、しばらく悩んだ末に決意したように言った。
「五月ちゃんと君との関係に四葉が嫉妬してるのに気がついちゃったんでしょ!? 何でもできちゃう君のことだから、だから他の子達がいない今遠回りまでして時間稼ぎして、あの子のことを解決しようと────」
「待て、何のことだ……?」
早口に捲し立てる一花の話は、どれも知らないものだった。
四葉が嫉妬してるとは何のことか。
いや、それよりもどうして五月とのことを一花が知っているのか。
驚愕に目を見開く風太郎を前に、一花は再び自分の口元に手を当てると、絶望したように顔を青ざめさせた。