五つ子ミルフィーユ   作:真樹

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47_マルチパーソナルウォー③

 下田が上杉家を訪れたのは夜七時頃だった。いつもならシャッターが閉まっている一階には明かりが灯っていて、扉に手を掛けようとすると内側から一人で開かれた。

 

「あ、いらっしゃーい!」

「…………!」

 

 奥からは小さな少女が出て来た。

 少女はにこやかな笑顔と元気な声で挨拶をしてくれたのだが、その顔を見た途端に下田は言葉を詰まらせて固まった。

 下田の脳裏ではもう聞くことも見ることもないと思っていた声と顔が蘇っていた。

 けれど記憶の中の顔が今も生きていれば自分と同い年のはずで、目の前にいるのは小さな女の子。どれほど似ていても別人なのは明白なのだが、似ているおかげで誰かはすぐに分かった。

 

「……邪魔するぜ、らいはちゃん」

「どうぞ!」

 

 らいはの許可を得て『うえすぎ』という看板がかけられた店の敷居を跨ぐ。やや埃っぽいが綺麗な和食屋の様相を残している店内のあたたかな光が出迎えてくれた。

 外はもうとっぷりと暮れていて、そのために店内は照明で煌々と照らされている中、店の奥でこちらへ向けている顔が三つあった。四人掛けの席に三人とも座っており、一席だけ空いていた。

 その顔触れに、下田は軽く手を挙げた。

 

「わり、遅くなった」

「ぴったりだよ。ちょうどらいはのメシが出来上がったとこだ」

 

 下田に応えたのは勇也だった。入り口から見て背中が見える席に座っているため、背もたれに肘を乗せてこちら振り返っていた。

 勇也の正面には中野夫妻が座っていた。勇也と被るように正面に座る零奈も、少し首を傾げて勇也の影からこちらへ顔を覗かせてきた。

 

「もつ煮を作ってくれたらしいですよ」

「そうですか──ありがとな、らいはちゃん」

「いえ!」

 

 挨拶の間、一応まだ下田が席に着くまでは待っていてくれたらいはに礼を言うと、再びにこやかな笑顔で会釈を返してくれた。

 らいははそれから続けてぺこりと一度お辞儀をした。

 

「それじゃあ、準備も終わりましたし皆さんもお揃いになったみたいなので私は失礼しますね!」

「なんだよ、別にいてもいいんだぜ。お嬢ちゃんだったら大歓迎だぜ、私は」

「ありがとうございます。でもせお邪魔したくないので」

「別に邪魔でも何でもないんだが……」

「子供に気を使わせてしまうのは大人として少々恥ずかしいですが、下田さん、今はらいはちゃんのお言葉に甘えましょう」

「……先生がそう言うなら」

 

 零奈に諭され、実際これ以上らいはを引き留める理由もないので下田は頷いた。

 それではごゆっくり、とらいはは最後にもう一度だけ頭を下げてから店の外へ出ると、扉を閉めた。

 上杉家の住居はは同じ建物の二階にある。そのため道路沿いにある扉の面を回り込むと、住居へ続く階段を上がるトントンッ、という軽快な足音が壁の向こう側から聞こえた。

 その音を聞き届けたからようやく下田は勇也たちが座る机で空いている最後の一席へと腰掛けた。

 腰かけてから店内をぐるりと一度見回した。

 店内の様子は記憶の中のものと変わらなかった。

 全体的に和装で統一されていて、入り口から入って左手側に客席と向き合うように厨房があり、右手側は四人掛けの客席の机がいくつか等間隔で並べられていた。いかにもという居酒屋の様相だ。

 

「ずいぶんと綺麗にしてるんだな。もっとこざっぱりしてるもんだと思ったぜ」

 

 この場所は元々、らいはの母親が営む小料理屋だったことは下田も知っていた。

 彼女と下田、それに加えて勇也やマルオも同じ高校の同級生だった。だからこの店が彼女の夢であることは学友だった当時から知っていたし、開業当初は顔も出した。

 けれど、この店を訪れたのは最初の一度きりだった。

 この店に来ようと思えばいつでも来ることはできた。就職した後も地元を出なかったから、住んでいるところからここまでは距離的に遠くない。

 それでも通わなかったのは単純に、店の方が閉まっていたからだった。

 開業して間もなくの頃、彼女はとある事故によって故人となってしまったのだ。

 当時はまだらいはは幼く、風太郎も小学生だった。

 上杉家にとっては順風満帆に、幸せな生活がようやくスタートできると思った矢先で起きたその事故によって、勇也たちの人生は大きく歯車を狂わした。

 残された勇也が店を受け継ぐことはなかった。当時すでに彼は別の仕事に就いていたし、料理の腕前があったわけでもないから閉店は当然のことだった。

 だというのに、開業のために無理を相当していたらしく、積みあがった借金のせいで店は営業できないくせして返済には日々追われるという自転車操業の生活が始まったのだ。

 勇也たちの事情は下田だって当時から知っていたが、助けてあげたくても自分は裕福な家の生まれでもなければ、稼ぎだって平凡だったから援助は難しかった。

 マルオならば可能だったかもしれないが、肝心のマルオと勇也の仲が悪かったこともあり二人の間でも特に何もなかったらしい。

 だから今、風太郎の家庭教師という仕事を通して上杉家は収入を得られて、中野家は子供の学力アップを図れるというWin-Winの関係に持ち込めたという話を聞いた時には何という運命のイタズラかと思ったのであった。

 そんな経緯もあり今日、この店に来たのはまだ二度目だったのだが、変わらない店内には多少の驚きがあった。

 

「色々と残しておきたくてな。ここまで片づけちまったら、あいつが本当にいなくなっちまった気がしてな」

「……そうかい」

 

 ガラにもなく神妙な面持ちで語る勇也を見て、女々しいことをしやがる、と思ったのが言葉にはしないものの下田の正直な感想だった。

 自分自身、そんな風に思ってしまう自分のことが意外でもあった。

 勇也の言い分は感情的な面では十分理解できる。けれど、客席用の椅子やテーブルなどは事故が起きた当時なら新品だったのだから売ればそれなりの額にはなっただろう。苦しい家計の足しのいくらかになったはずだし、風太郎達の生活を多少は楽にさせてあげられたかもしれない。

 事故による彼女の容態が単なる怪我で、いずれ快復する目途があるならば、やがて再び開店するその時まで店内を清潔に維持することにも意味は生まれるのだろう。だが現実は違う。

 どれだけ泣きわめいて神様仏様を相手に祈りや念仏を唱えて救いを請おうが、既に鬼籍に入ってしまっている人間は戻って来ないのだ。

 だから勇也のしていることは単なる自己満足で、やがていつか、彼の心が風化してしまうその時まで決断を先延ばしただけにすぎないだろうと、そう思ってしまった。

 

(歳は取りたくねえな……)

 

 そんな理性的に物事を考えてしまう自分が少し、嫌なやつに思えた。

 嫌な考えを振り払うように頭を振った時、ここまでの間ずっと話に参加せず黙り込んでいる優男のことを思い出した。

 今、下田の正面に座っている元同級生だ。

 

「んで、お前までここに来るなんてのは意外だったわ。なあマルオ」

「…………」

「勇也のこと大っ嫌いだもんな。零奈先生にどれだけ説得されたんだよ」

「説得というか、実はこの場を設けようと言い出したのは彼なのですよ」

「マルオが?」

 

 と意外そうに下田は当のマルオ本人を見た。

 今日のこの同窓会とも呼べる集まりは、集まっている場所こそ上杉家のわけだが実をいえば零奈からの連絡によるものだった。

 曰く、話があるから久しぶりにご飯でもどうかということだった。

 どこに集まるかという段階に話がなった時、アルコールも絡む食事の席となると費用がかさむので勇也の懐事情を誰も口には出さなかったが懸念する空気は漂った。

 そのため飲食店の利用は誰が言うでもなく自然と最終手段となり、誰かの家で集まれないかという流れになり、消去法でこの場所になった。

 と、いうのも一番ホームパーティーに適している場所に住んでいるのは、恐らく最近ひろびろとした高級マンションへと引っ越した中野家だろうが、できれば避けたいというマルオの希望があった。

 続けて下田家……というか一人暮らししている下田のアパートなのだが、大人四人が集まって飲み食いするには些か手狭だった。

 手狭といえば上杉家も同様なのだが、それは住居にしている二階の場合はという話であって、一階にはそれこそ元飲食店だったスペースがあるではないかという風に自然と話が流れた。

 電気がつけば僥倖ぐらいのつもりでこの場所に集まることになったのだが、実際に訪れてみれば最初の話の通り綺麗だったというわけである。

 そんなわけで主催は零奈だと思っていたし、マルオは来るかどうか半分運のようなものだと思っていたものだから、実はマルオの方が主催なのは初耳だし、予想外だった。

 今もマルオ本人は涼し気な顔で目を伏せ続けていたが、流石に黙ったままでいられないと思ったのかようやく目を開けた。

 

「先に一口飲ませてもらえるだろうか。続きの話は、シラフで言える気がしなくてね」

「え」

 

 マルオの言葉に短く声を挙げたのは零奈だった。

 

「マルオさん、今日はお酒を飲むのですか?」

「そのつもりです」

「珍しい……あなた滅多に飲まないじゃないですか」

「確かに僕は祝い事の席でしか飲まないと決めていますが、今日は飲んでもいい日というだけです」

 

 言いながら、マルオが卓上に目を向けた。下田もつられて視線がそちらへ向いた。

 机の上には食事の準備が出来上がっていた。机の中央には鍋敷きの上に鍋が置かれており、零奈から聞いていた通りでもつ煮がそれなりの量入っていた。

 鍋の傍には大きめの徳利も置かれている。湯気が立ち上っているあたり熱燗なのだろう。

 そして各席の前には箸が一膳とぐい飲み、それから底の深い取り皿が置かれていた。

 マルオがその中から徳利を持ち上げると、最初に零奈の方へ持っていった。意図を汲んだ零奈も自分の傍にあった器を差し出した。

 静かな動作で徳利が傾けられ、日本酒と思われるかぐわしい香りの液体が注がれると、液体と入れ替わるようにして徳利の中に空気がはいるとっとっ、という小さな音がした。

 

「ありがとうございます」

 

 注ぎ終えた頃に零奈が小さく言って、注がれた酒を一度机に置いた。

 次にマルオがこちらへと徳利を向けて来た。

 下田は自分の器の上に蓋をするように掌を乗せ、もう片方の手を振った。

 

「悪いけど私はいいよ。最初っから、んな強いの飲んだらへべれけになっちまう」

「もらっとけ」

 

 横からの勇也の声だった。

 

「何の話か知らねえけど、それもこいつが用意してくれたんだとよ。結構良いヤツらしいぜ」

「マジかよ、本当にどういうつもりだ……? それじゃあ、一杯だけ……」

 

 なおも徳利を差し出す姿勢のままだったマルオに下田も応じ、酒が注がれた。

 続けて、マルオの手は勇也へと伸びた。

 その瞬間、この場にいるマルオ以外の全員が目を剥いた。

 三人の総意を代表するように勇也。

 

「マジでどういうつもりだ……!? 今日は槍でも降るんじゃねえのか……?」

「最初だけだ。いらないならそれでもいいぞ」

「もらうもらう! お前からの酌なんて二度ともらえそうにないしな!」

 

 慌てた様子で勇也も器を差し出すと本当にそこへ酒が注がれた。

 注ぎ終えた後でさえ、なおも信じられないように勇也は短い時間だが自分のぐい飲みを見つめていた。

 そんな勇也を尻目に、マルオは最後に自分の分を手酌すると徳利を脇に置き、代わりに自分の器を持ち上げた。

 

「それじゃあ、乾杯」

 

 前口上もなくそれだけ言うと一口仰いだ。

 マルオに倣うように他の全員も一口含むと、最初に器を置いた勇也が口を開いた。

 

「それで話ってなんだよ。お前らしくないこともしやがって」

「一言だけ、お前たちに礼を言っておかなければならないと思ったんだ」

「礼?」

「一花君のことだ。お前たちには世話になった」

 

 言って、マルオは座ったままではあるが両膝に手を付いて下田と勇也へ頭を下げた。

 席順を考えると初めからこうするつもりだったのかもしれない。

 それはともかく、ようやく話の趣旨を下田も理解した。隣を見れば勇也も同じ顔をしている。

 要するに先日の温泉旅行を最後に娘の障害との向き合い方にも一つの答えが出たわけで、ようやくひと段落したことに対してマルオは親として、そして医者として並々ならない感謝をしているということなのだろう。

 むしろ気持ち的には医者としても明確な答えを出せない心の問題だったわけなのだから後者の方が強いのかもしれない。

 

「よせよ。俺は何もしてねえ。礼を言うなら風太郎と、隣のこいつに言ってくれ」

「指さすな馬鹿。それとなマルオ、私にも礼はいらねえよ。私はただ金を貰った分の仕事しかしてねえさ」

「そんなことはありませんよ、二人とも」

 

 下田と勇也、二人の目が零奈へと向いた。

 

「確かに一番の功労者は風太郎君かもしれませんが、あなた達だってあの子のために沢山のことをしてくれました。私も夫と同じく、お礼を言わせてください」

 

 マルオに並び頭を下げる零奈を前に、いよいよ下げられている側の二人が肩を縮こまらせて恐縮した。

 本心から大したことなどできていないと思っているものだから、感謝の言葉がむず痒かった。

 慌てるようにして下田。

 

「分かりました! お礼なら今十分いただきましたから、こっからは普通に飲みましょ! オメーもそれでいいよな勇也! な!?」

「お、おう……!」

「そうですか、ではお言葉に甘えてご飯をいただきましょうか。らいはちゃんのもつ煮、実はずっといい匂いがしていて気になっていたのです」

 

 零奈は取り皿を取ると、鍋の中で立てかけるように置かれていたオタマを手にもつ煮をよそい始めた。

 かき混ぜられると湯気が再び立ち上り始めた。表面は多少冷めてしまっていたらしいが、かき混ぜられたことで埋まっていた暖かい部分が顔を出したらしい。

 零奈によって全員分がよそい終わる頃になると、勇也が最初の一杯目を飲み干すところだった。

 何とも後ろ向きな有言実行だが、おかわりの酌をするつもりはマルオにはないらしいので勇也は自分で手酌をしながら話題を切り替えるように言った。

 

「それにしてもこうやってると俺たちも本当に親になったって実感が湧いてきますな。まさか自分のガキ共が旅行してる間にこうやって集まってるんですから」

「おい、言い方」

 

 机の下で下田は勇也の脇腹を肘で殴った。

 その様子は零奈にも見えていたようで、勇也に対しては「そうですね」と言いながらもくすりと笑っていた。

 それから少し目線を上に上げて、誰に目を合わせるでもなく零奈は一人ごちる。

 

「今頃は楽しくしているでしょうか、あの子達」

「どうでしょうかね。案外、”また”何かトラブルでも起きてるかもしれませんよ」

 

 零奈に適当な相槌を返している勇也。

 その横腹を下田はもう一度肘で突っついた。

 

「おい。シャレになんねえぞ」

「む、そうか……?」

 

 比較的近い価値観を持つ下田と勇也だが、彼側の方は察せていないようだった。

 ”また”という言葉を使ったからには以前の林間学校を引き合いに出しているのだろう。

 勇也本人は冗談のつもりで言ったのだろうが、当時実際に起きた転落事故未遂は、トラブルの一言で軽く取り扱うのは少々軽はずみな発言のように下田は思えた。

 けれど、あまり気にしていないようにして零奈。

 

「まあ、済んだ話だから構いせんよ。それに心配だってあまりしていません。あの時とは違いますから」

「零奈さんの仰る通り、今の一花君は非常に安定しています。また彼女が何かしでかすこともないでしょう」

 

 腰ぎんちゃくよろしく、自分の分のもつ煮を口に運びながらマルオが同意した。

 

「マルオさんの言う事もそうなのですが、それだけというわけでもないのですよ」

「まどろっこしい言い方しますね。私らにも分かるように言ってくださいよ先生」

「ああ、ごめんなさい。これは親と言うより、教師の勘なのですがね」

 

 私だって塾講師とはいえ教職なのだがわからん、と下田は内心で冷や汗をかいた。

 

「今のあの子達は一人じゃないから、きっと大丈夫だと思うんです」

「一人じゃないって、元から多重人格じゃないですか」

「そういう話じゃなくってですね……今まで一花達はずっと何か起きた時、自分達他の人格や私達が力を貸してきたじゃないですか」

 

 助けてきたという言い方をしない辺り、零奈の一花達自身の強さを認めているのを何となく下田は察せた。

 

「力を貸してきた人の中には風太郎君だっていましたが、でも実はあの子にはもっと大事な、普通だったら持っているはずの当たり前が今までなかったんです」

「当たり前……ですか?」

「下田さんが話に的を射てないのはきっと、あの子達の旅行先での班を知らないからでしょうね」

「はぁ」

「もし、この修学旅行で何かあったとしたらきっと風太郎くんだって何とかしてくれようと動くかもしれないですが、他にも一花の助けになってくれる子がいるでしょう」

「あの、そろそろ答えを聞いてもいいっすかね……先生」

「ごめんなさい。少し講釈っぽくなってしまいましたね。たいした話じゃありません。つまりですね、一花には今きちんといるのですよ────

 

 

 

 

 

(やっちゃったなー……)

 

 時刻は夕飯時だった。

 修学旅行の宿泊先のホテルにあるレストランで夜ご飯を食べている生徒達一同だったが、一花は二人用の小さなテーブルを一人で使っていた。

 他の生徒達は班ごとに食べている中で、である。

 昼間の一件が原因で皆で楽しくご飯という雰囲気ではなくなってしまったからであった。

 

(フータロー君に気づかれちゃったかどうかもわからないんだよね……)

 

 神社で四葉の気持ちについて口を滑らせてしまった後、風太郎とはそれ以上の会話は特になかった。

 と、いうのも二人が会話をしていた場所は休憩所も併設されている広間だったのだが、その休憩所の一角、甘味処から武田達三人が出て来たのだった。

 風太郎を置いてけぼりにしてどんどん先へ行こうとする前田を、武田と松井の二人がかりで説得したらしい。

 ただ、店から出て来た三人の目の前で一花は取り乱してこともあり、それからは前田の風太郎への悪絡みが更に悪化した。

 そして今に至り、前田だけを除け者にするわけにもいかず、別行動ということになったという次第であった。

 だから風太郎には自分の失言に対してフォローすることもできなければ、向こうがどう思っているのか確認することも未だにできていない。

 

(口ぶり的にはよく分かってなさそうだったよね……)

 

 一花が言うべきでなかったことは大きく分けて二つ。五月と風太郎の関係と、四葉の嫉妬心だ。

 どちらも確証がある話ではなかった。前者の五月と風太郎のことは二人の様子を見て肌感からなんとなくそうなのかもしれないと思っていただけだし、後者の四葉のことももしも自分が四葉の立場だったらと想像を働かせただけにすぎない。

 だから確信が持てるまでは自分の胸の内に秘めておくつもりだったのだが、今日は風太郎の様子がおかしかったからもしかして自分と同じ問題意識を持ってくれているのかもしれないと思い、口に出してしまった。

 軽率だった。

 

(どうしよう、もうすぐ”今日”が終わっちゃう)

 

 今日が終わること、それすなわち一花の修学旅行での出番が終わることを意味する。絶対ではないが、満遍なく各人格が出てくるからには可能性はかなり低い。

 一花自身の修学旅行の体験としては悔いはない。多少ギスギスした空気は班の中で流れていたが、観光名所も巡れたし風太郎と二人の時間も過ごせた。

 ただ、四葉が何かしでかす可能性を考えて何か牽制を仕掛けておこうと思っていたことに関しては何もできておらず、それだけが唯一の心残りだった。

 この牽制の話が今日の一花のタスクの中で一番の難問ではあった。何しろ牽制といっても何をすればいいのか具体案が何一つなかったからだ。

 だからこれから急いで何かをしようと思い立ったとしても、何をすればいいのかがそもそも分からない。考えてから行動に移すには時間も足りない。端的に言えば詰みだろう。

 

(五月ちゃんみたいに上手くはできないかぁ……)

 

 以前、四葉と風太郎の空気が悪くなったことが一度だけあった。その時は五月の華麗な作戦によって一気に解決まで導かれたものだから、一花も五月に倣って何か動こうと思っていた。

 しかし実際は既に話に出た通り、今この段階に至っても作戦の一つだって思い付きはしていなかった。

 

(まあ、口惜しいけどここまでかな。四葉がまだ五月ちゃんに嫉妬してるかどうかも決まったわけじゃないし)

 

 ひとしきり今日の出来事を振り返りながらも、最早自分にできることはないと諦めをつけると、一花はようやく自分の夕食に手をつけようと箸を持った。

 夜ご飯は重箱の弁当だった。

 その蓋を開け、持っていた割り箸を二つに割った後だった。

 

「一緒してもいいかな」

「松井さん?」

 

 一花の座る二人用の席、その対面の位置に自分の分の重箱を持った松井が来た。

 一緒に、ということなので頷いて返すと松井も「ありがと」と短く言ってから重箱を机の上に置いてから席に座った。

 二人で食事をし始めると、咀嚼の合間を縫って松井がこちらを向いた言う。

 

「ごめんね、一人でご飯とかやっぱ寂しくて無理でさ」

「だねぇ、皆一緒に食べてる中でぼっち飯なんて、へっちゃらなのはフータロー君くらいだよ」

「また上杉君の話してる」

「えっ」

 

 松井の一言に、愛想笑いをしながら話していた一花の顔が虚を突かれたように一瞬呆けた。

 

「ずっと気になってたんだよね。中野さんといると、何だかんだ上杉君が絡むっていうかさ」

「えと、ほら、それは朝も話した通り親同士の繋がりがあるからで」

「別に隠さなくってもいいじゃん。ぶっちゃけどうなの、上杉君のこと好きなの?」

「いきなり何聞くの!?」

「私の方も教えてるんだからさ、いいじゃん教えてよ」

 

 松井には以前、前田が気になっているという話を聞いたことがあった。今回松井が一花と同じ班を組んでいるのも、前田が狙いなのである。

 即答、とは流石にいかず答えるべきか少しばかり迷ったが、確かに松井の言う通りここで言わないのはフェアじゃないなと一花はようやく手を付け始めた重箱のご飯を突きながら結論を出した。

 

「……うん」

「きゃーやっぱり!」

「ちょ、声が大きいって……!」

「ごめんごめん、嬉しくってさ」

「嬉しいって、何で松井さんが?」

「だって前田とは両想いじゃないってことじゃん」

「…………!」

 

 驚きのあまり咀嚼していた玉子焼きをむせそうになった。

 最後の松井の一言はその直前までの様子とは打って変わって、淡々とした話し方なのも驚きに拍車がかかった。

 

「その様子、やっぱり中野さんってばあいつの気持ちに気が付いてたんだ」

「……まぁ」

 

 気がついていたというか、本人から半分告白めいたことまで言われているとは言えなかった。

 同時に面倒な話がまた出て来たとも思った。

 松井から見た一花は、好きな人が好きな人、いわば恋敵となる。

 その関係性は一花本人も自覚していたが、松井が前田の気持ちを知らなければどうということはないと思っていたから同じ班になることも受け入れられた。

 ただし、気づかれてしまっているとなるとどう思われているのか考えるだけでも恐ろしい。

 分かりやすい例を出すなら、先日の学校での廊下のでのことだろうか。同じ学級長としてクラスの人気者である武田と一緒にいる時間が多くなった一花の元へ絡んできた女子がいた。大事にはならなかったがトラブルになりそうだった。

 同じ出来事がここでも起きるかと、一花はそっと身構えたが。

 

「ま、別にそれはどうでもいいけどね」

「……え」

 

 松井の続く反応は一花の予想外だった。

 

「あいつが誰のこと好きだろうと、最終的には私を好きにさせればいいんだもの」

「松井さん……」

「そりゃ、両想いとかだったら? 中野さん綺麗だし、負けちゃうかもしれないけど……」

「そ、そんなことないよ。松井さんだって!」

「あはは、ごめん照れくさい話になっちゃったね。それによくよくアイツと一緒の班になりたいって相談したのも一花さんだったし、相談を聞いてくれた時点で両想いじゃないって分かる話だったね」

「……そうだね」

 

 実際のところ、松井が相談を受けてもらったのは四葉だったのだが気づいていないらしい。

 

「それでさ、話戻すんだけど」

「?」

「上杉君のこと」

「フータロー君がどうしたの?」

「今日さ、自由行動の時に合流してから二人の空気変だったじゃん。何かあったのかなーって心配でさ」

「えっと、それは……」

「言いたくなかったら別にいいんだけど、私もアイツとのことで協力してもらってるじゃん? 助けてもらってばっかってフェアじゃないなって思ってさ」

「松井さんはまだ、前田君と仲良くなりたいと思ってるの?」

 

 優し気な目で話す松井に、話の腰を折ることを承知で一花は疑問だったことを訊いた。

 

「もちろん。そりゃ今日のアイツ見てたらちょっと幻滅したけどさ、それだけで嫌いになるのはまだ早いかなって」

「……そっか……」

 

 松井の言い分は正しい。確かに今日の前田の行動は、事情を知らない人間が見ればグループ行動の輪をイジメじみた行為によって乱す、嫌な奴のすることに見えるだろう。

 だが本当は前田は前田なりに自分だけではなく、一花のことも想って風太郎に怒ってくれているのだ。

 おそらくその事情とやらは、松井にも話しておいた方がいいのだろう。

 けれど、松井から聞かれていることには答えるべきだろうかとは一瞬迷った。

 相談するからには、五月のことや四葉のことを話さなければならないだろう。

 確証がない中でそれらを自分達他人格でも、風太郎でもない第三者へ言ってしまっていいだろうかと考えた後で、答えはすぐに出た。

 

「……あのね」

「うん」

「実は、松井さんの言う通りフータロー君のことで少し、困ってるの。協力してほしいんだけど……」

「いいよ。協力する」

「まだ何も言ってないんだけど……!」

「何も聞かなくたって協力するに決まってるじゃん」

「それは、フェアじゃないから?」

「それもだけど、だって私達友達じゃん?」

「二乃とじゃなくて……?」

「一花さんとも! もー何か改めて言わされると恥ずいんだけど!」

 

 少し顔を赤らめ、手をパタパタと仰ぐ松井。

 同じ女子ながらその姿が少し可愛く、それと同時に嬉しかった。

 友達はいた。だけど小学校でも、中学校でも、どの子とも深い仲にはなれなかった。

 何故ならば自分は多重人格者で、入れ替わりの順番も不規則だから約束ごとなんてできなかった。

 困りごとの相談なんてできる様な相手なんて今までいなかったから、ずっと一人で、或いは母親たちなど大人の力を借りて何とか解決してきた。

 自分のことを棚に上げるようだから言わなければならないが、それに少し前までの一花は、自分の方こそ困りごとを作るような振る舞いをしていたからなおさら自分の周りに人なんていなかった。

 それが今は、たった一日一緒に京都を回っただけで友達と言ってくれる人が現れた。困っていることに協力してくれようとさえしてくれている。

 

(ああ、友達ってこんな簡単にできるんだ……知らなかったなぁ……)

 

 初めての出来事だった。

 

(……初めて? ううん、違う、初めてじゃない。二度目……か)

 

 同じことが前にもあった。京都で一日だけ一緒に時間を過ごし、それだけで仲良くなれた人。風太郎だ。

 もし今、彼に自分との関係はなにかと聞いたら友達だと言ってくれるだろうか。

 少なくとも自分は”そういう感情”を持っているし、その先に進みたいとも思っているけど今は風太郎のことは友達だと思っている。

 その彼との関係を何とかしたい。その彼との関係を壊してしまうかもしれない四葉を何とかしたい。

 五月が一人で解決できてしまったことは自分にはできないけど、それなら自分は自分の取れる選択肢の中からできることを選ぶ。

 

「それでさ、中野さん。聞かせてよ」

「……うん」

 

 すでに一度、自分は口を滑らせている。どの道他の人格にはもう、ある程度感づかれてしまっているだろう。

 ここで下手に隠して、行動を起こさなければそれはただ後手に回るだけになってしまう。

 だから慎重に、だけど大胆に私はあの子達のためにできることをする。

 だって私は五人の人格の中で唯一、先にこの世界に生まれ落ちた────

 

(お姉ちゃんなんだから……!)

 

「これはまだ、私の推測なんだけどね。松井さん、実は──

 

 

 

 

────同年代で、同姓のお友達です」

 

 修学旅行先で、何が起きているかなどまるで知らない零奈は言い終えてから酒を飲み干した。

 

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