客室内には水音が響いていた。
音の発生源は二つで、一つは窓の外から聞こえてくる雨の音だった。まだ二乃が外にいた頃から降り出したにわか雨は今では何かタガが外れたのではないかと思うほどの土砂降りになっていた。
もう一つは浴室からのシャワーの音だった。雨に降られた二乃は自室に戻るなり浴室に飛び込んだのだった。
二つの水音の内、一つが止んだ。シャワーの音の方で、代わりにガチャンと金属質な扉が開く音がする。
同時に客室に姿を見せる湯上り姿の二乃。最低限バスタオルだけは体に巻いていて、フェイスタオルで髪を拭きながらだった。
一応、同じ班の松井や他の女子とも共同部屋のはずなのだが、そんなあられもない姿で出てきたのは帰ってきた時は部屋に誰もいなかったからだった。てっきり今もそうだと思っていた。
けれど今は松井がいた。
彼女はジャージを着ていて、髪が濡れていた。手に持っている私服もずぶ濡れになっていて、客室に備え付けの鏡台の前に置かれた椅子の背もたれに垂れかけて部屋干ししようとしているところだった。
そんな松井の姿に、二乃は少しだけ体に巻いたバスタオルをきつく巻き直すことだけして、それ以外は然程驚く様子もなく言った。
「あれ、あんた先に戻ってたんじゃなかったっけ。なんで濡れてんのよ?」
「なんでって、目の前であんなに堂々と上杉君を連れて行かれたら心配になるに決まってるじゃん」
二乃が松井を最後に見たのは確かホテルの前だった。
班の皆がいる中で自分は風太郎だけを連れ去り、告白した。
だから残った三人は先に戻っているものだとばかり思っていたのだが、松井の口ぶりから察するに。
「まさか尾けてきてたの!?」
「前田と武田君と一緒にね。見させてもらったよー、二乃の告白」
「なぁっ……!!」
へへへ、と意地の悪い笑みを浮かべる松井と、顔が熱くなる二乃。
風太郎へ告白した時より恥ずかしかった。
何しろ風太郎に自分の気持ちがバレてることは百も承知だった。だから告白はただの宣言のようなものでしかなく、恥ずかしいという気持ちはそれほどなかった。
むしろそんな色ボケした自分を同性に見られていたことの方が百倍キツイ。
「急に雨が降り始めたと思ったらさ、二乃達こっちに走って戻ってくるんだもん。だから慌てて隠れてやり過ごしたんだよねー」
「てことは、あんたの方が長く外にいたってわけよね。服もびしょびしょだし……悪かったわね長風呂して、空いたわよ」
「いいよ。私は隣の友達の部屋でシャワー借ちゃったから」
言われて見れば松井の髪は湿り気を帯びているものの、雨に濡れたという感じではなく、ほのかに湯気が立ち上っていた。
ならば良かったと、二乃は安心するとベッドの横に置いてあった自分のキャリーケースの方へ寄った。
その二乃の後ろ姿に向かって松井。
「ドライヤーまでは借りなかったからさ、二乃が良ければ先に私使っていい?」
「構わないわよ。自分のあるし」
証明するようにキャリーケースから私物のドライヤーを取り出すと、松井に見せた。
取り出したドライヤーはホテルに備え付けのものよりも一目で分かるほど上等なものだった。
松井は感心したようにしながら。
「そんなの持ってきてるんだ。気合入ってるじゃん……それももしかして上杉君のため?」
「からかわないで。これはアイツには関係ないわ」
言いながら二乃はベッド脇の小スペースにあるコンセントにプラグを差すと、ドライヤーの電源を入れた。
ファンが回る騒音と、熱すぎない温度の風が髪へと当たり長い髪がなびいた。
ドライヤーの音によって話は一時中断だとでもいわんばかりに、松井も脱衣所の方へ行くと備え付けのドライヤーで髪を乾かし始める。
二人とも無言で髪を乾かす時間がしばらく流れた後、元々二人の髪の長さは同じくらいということもあり同時ぐらいのタイミングで静かになった。
二乃はたった今電源をオフにしたドライヤーを見る。
「これは一花が持ってくって言い出したのよ。ほらあの子、一応タレントだから」
「そういえば言ってたねー。なるほど、普通の女の子以上に身だしなみに気を付けてるってことかぁ」
一花が事務所所属のマルチタレントをしているということは、以前に二乃が松井に話したことがあった。
元々五人格の中でも二乃は松井と以前から交流がある方だった。
だから松井も二乃のことだけは呼び捨てだし、二乃も付き合いが悪くても心象を損なわないようにと話したのだった。
「でもさ、そういう一花さんだって上杉君のこと好きなわけだし、実はタレント活動のためって二乃達に言ってるのも建前だったりするんじゃない?」
「まさか、そんなわけ──」
いや、考えてみればこのドライヤーを買ったのだって結構最近のことだったりする。
引っ越しをした直後ぐらいで、家財を一新するためにマルオと買い物に出た時に一花がねだったものだった。
あの時はまだ一花が風太郎のことを好きだということを知らなかったため、一花がマルオに説明した、買ってほしい理由とやらを自分もそのまま信じたのだが。
「まさか、ね」
実は本当に風太郎のために買ったのではないかと、一花の気持ちをわかった上で考えてみると否定できる材料がなかった。
まさかそんなところで出し抜かれようとしていたのかと、たらりと冷や汗が流れた。
「あれ、もしかして私……何か地雷でも踏んじゃった……?」
不穏な様子の二乃に、若干引き気味に聞いてくる松井。
それに対して二乃。瞳だけを向けると。
「まあどっちでもいいけどね」
真顔で即答した。
「あれぇ!?」
「だって本当に彼のためだったとして、それって私にとってもメリットしかないわけだし」
「二乃はその、いいの? 一花さんが上杉君のこと好きなこととか……」
「あんた私と彼の話盗み聞きしてたんでしょ。今更何言ってんのよ」
「そりゃ聞いてたよ。五人全員で上杉君と付き合うって話でしょ……でもそんなにあっさりしてるってことは二乃は他の子達に嫉妬はしないってことだよね」
「するに決まってるじゃない」
「やっぱりするんじゃん!? え、二乃ってば自分の掌が今ぐるんぐるんしてる自覚ある!? 手首ねじ切れそうだよ!?」
「仕方ないでしょ。するものはするんだし、避けられないものなんだから我慢するしかないわ。それが私達が幸せになれる唯一の方法だもの。彼とさっきした話だってそれを確認するためのものでしかなかったわ」
「二乃……」
松井はやや茫然としていた。いや、どちらかというと感嘆だろうか。
少しの間あんぐりと口を開けながらも、やがて自然と口から洩れるように言った。
「正直、私にはよく分からない感覚だけどさ。言い切れる二乃は、恰好いいね」
「お世辞をどうも」
「本当だって」
「それよりあんたはどうなのよ。あのデコハゲとは上手くいきそうなのかしら?」
無論、前田のことだ。
「あれはハゲてるんじゃなくてオールバックなんだけど」
「そうだっけ。興味ないわ」
「二乃には上杉君以外の男の子はじゃがいもにでも見えてるの……?」
こほん、と松井は一つ咳ばらいをした。
「まあ、その、どうかって言われると……」
ごにょごにょと何かうわごとめいたことを言いながら髪の先を指で弄る松井。
ずい、と前のめりになって二乃。
「何その反応。詳しく教えなさいよ」
「凄い食いつくじゃん!」
「私の恥ずかしいところ見たんだからあんたも教えなさいよ」
「いいじゃんそっちは別に! それにまだ報告できるほど進展してないし!」
「そうなの?」
「逆に二乃はこの二日間で前田と私の間で凄い進展があったように見える?」
「ないわね」
腕を組み直近の記憶を思い返す二乃。
この二日間は一花と四葉の視界を通しての記憶となるので、それなりに前田だって見ているはずなのだが都合の良い二乃の脳内では既に風太郎以外の男子の姿など幽霊のごとくぼんやりとしたシルエットしか残っていなかった。
ただ、それでも最低限覚えているのは。
「むしろあいつ、この二日間の態度最悪だったしあんたが幻滅してないかの方が心配だったくらいね」
「それは本当にそう」
とはいえ、この話は既に二乃の代わりに一花がしてくれているので割愛する。
前田の態度の悪さは松井も骨身に染みているのだろう。ややうんざりとした様子をしながら。
「そんなわけでさ、今回の修学旅行は失敗だったかなって思ったわけなんだけど」
「なんだけど?」
「ちょっとだけさっき見直してきたところ」
さっきというと、自分の告白をのぞき見している最中ということか。
「私はそのちょっとだけとやらを詳しく聞きたいんだけど?」
「だからもう少し落ち着いたら話すってば。むしろまだ攻略中な状況だし」
「ふーん」
(告白でもしてきたのかしら?)
だとしたら大進展なのだが。
「それで今はお互いに大切な時期じゃん?」
「まぁ、そうね」
「だからさ、明日の作戦を考えようよ」
「……明日ねぇ」
二乃は憂鬱気に呟いた。
明日もまた生徒手動による自由行動の日だった。
けれども事前に対策を立てておかなければならないことがある。
明日は観光先を事前に選択しておかなければならないのだ。選択肢は五つあり、生徒たちはそれぞれ選んだ観光地へと向かうという段取りで、そして提出期限は今日中なのである。
「うかつに選べないのよねぇ」
要するに二乃が明日の予定を決めなければならないのだが、その予定を決行するのも二乃というわけにはいかないことがネックだった。
順当にいけば、明日の番は三玖か五月だろうか。
単純に二人が行きたいと思うであろうものを選ぶことは、恐らくだができる。
だが問題は。
「選ぶも何も、上杉君と一緒のところにしたらいいんじゃないの?」
松井がさも当然のように訊いて来た。
「そう簡単にもいかないのよ」
「なんで?」
「明日の当番の候補には五月がいるのよ」
「それがどうしたの?」
「どうしたというか……どうなるか分からないから彼と一緒に行動させるのが怖いのよ」
二乃が心配しているのは三玖と五月、どちらの好きそうな場所を選ぶかではなく、五月の番だった時に風太郎と一緒に行動するように仕組んだ場合の影響が怖いのであった。
今日は色々とあった。
おそらく風太郎と五月の二人で秘密にしていたのであろう交際一歩手前の関係がバレたことに加えて、四葉がそれに対してマイナスな感情を抱いていることまで発覚した。
零奈譲りの厳格な性格を受け継いだ五月のことだから、もしかしたら風太郎の目の前で四葉を糾弾するようなことを言うかもしれないし、或いは揉め事を起こした風太郎の方を問い詰めるかもしれない。
風太郎の旅行を良いものとして、自分達の心象とセット失敗のないようにしようとすると、少なくともこの修学旅行中は五月と風太郎は引き離した方がいいかもしれないという考えまで浮かぶのだが、いくらなんでも考えすぎなのかもしれないとも思われないでもない。
それらの心配をとりとめのないような口調で松井へと説明すると、彼女はなるほどねぇと納得してから。
「まあでもいいんじゃない? やっぱり上杉君と一緒で」
「話聞いてたの?」
「ちゃんと聞いてたってば。でも先延ばしにしたって意味無いってことは二乃が上杉君に言ったことじゃん」
「うっ……」
自分が告白した時に使った言い回しを引き合いに出され、恥ずかしさも相まって言葉に詰まった。
「それに五月さんだってまだ不機嫌かどうかわからないんだし、そしたら一緒にいるようにした方が失敗する可能性は低いんじゃないかな」
「それは……まあ」
三玖か五月かの二択で確率は50%、更にそこから他の人格が低い可能性で出る確率や、五月の気分次第な点を考慮すると言われた通りだった。
「そうね。考えるくらいなら彼と一緒にいることを選ぶ。その方が私らしいわ」
「それがいいよ」
「それで、あんたはどうするのよ。前田と一緒のコースを選ぶのかしら」
「勿論そのつもり」
「武田君をどうするのか考えなきゃいけないわよねぇ……まさか一人にさせるのも可哀そうだし」
「それならこっちで引き取るよ」
まるで子供の世話をどちらが見るかというような言い様だと、二乃は思った。
「いいの?」
「二乃と上杉君の方が見どころありそうだし……その代わり結果報告楽しみにしてるよ……!」
「友達の恋路をエンタメにしないでちょうだい」
翌日。
「Eコースはこっちよ。出発するわよ」
”E”と書かれた紙を持った先生から号令がかかった。
先生の周りにはEコースを選択した生徒達が集まっており、その合図によってゾロゾロと移動が開始された。
その一群の中には例のごとく風太郎班の五人だけの姿もあった。
「…………」
「…………」
五人の中で風太郎と三玖は隣同士に並んでいた。
今朝合流するなり、班のメンバー達から見えない圧力のようなものを感じ近くに立たされているのであった。
昨日は二乃との会話により、『五人全員を好きになること』という直球の命題も与えられたので三玖とも何かすべきだろうと考えていた風太郎的には、それでもやぶさかではなかったのだが。
「…………」
当の三玖本人の表情は終始沈んでいた。
先ほどからずっとこの調子だった。
三玖の様子がどうにもおかしい。
(……またか)
三玖には気づかれないように配慮しながらも、小さくため息を漏らした。
恐らくは、また何か裏で控えている間に思うところができたのだろう。
多重人格である彼女達と接するようになって月日もそれなりに経っている。
だからこういった、最後に会った時には平然としていたのに、次に顔を合わせた時には何か悩みを抱えてしまっているということは前からあった。
慣れてきた方だと思っていたのだが、それでも昨日の今日で四葉に引き続き三玖もかという気持ちはどうしても沸きあがってしまう。
(別に四葉が悪いわけじゃない……)
ただ話をするにしても、まずは三玖が何を思い詰めているのかを知るところ始めないといけないことに、少しだけ辟易していた。
どうしたものか、そう頭を悩ませているうちに、答えなど出ないままあっという間に目的地に到着した。
「修学旅行最終日。Eコースを選択された皆さま。本日の目的地、映画村に到着でございます」
現地に到着し、解散となってからは最早恒例となった五人での観光が始まった。
映画村は簡単に言えば映画の村だ。
非常にバカっぽい言い方をあえてしたのも、そうとしか言い表せないほど、ここは様々な要素がごった煮になっているテーマパークなのである。
江戸時代や明治時代の街並みを再現したエリアもあれば、近年のアニメや特撮のオブジェを展示した鑑賞エリアもある。
その他にも室内アトラクションやら観劇場、お化け屋敷などとにかく節操がない。
節操がないという言い方は悪い言い様に聞こえるかもしれないが、良く言うなら、どんな人間であれ、ここで興味が湧くようなものが一つもないなどということはありえないわけである。
「どこから行こうか」
また恒例のごとく先陣を切っていた武田は敷地内に入ると、入り口のすぐ横で立ち止まりパンフレットを開いた。
「とりあえずさ、順番に回って行こうよ」
そして話を広げようとするかのように松井。
「……任せる」
前田はぶっきらぼうにそう言った。
今朝から前田は大人しかった。昨日、一昨日は何もしていなくても因縁をつけてきたというのに今日はまだ一度もそういったことがない。
時折目が合ったかと思うとよそよそしく逸らされるだけだった。
(なんだってんだよ)
他人の考えがわかることなど一生かかったってないとは分かっていても、三日も行動を一緒にしておきながら理解が深まるどころか、行動の不可解さが増えていくのが不思議でならなかった。
ともあれ、こんにちの風太郎的には修学旅行をあわや台無しにしかけた男のことなどそれ以上気に掛けることをやめると、一歩武田に近づきパンフレットを覗き込んだ。
パンフレットには敷地内の地図が描かれており、ある程度の施設がピックアップで場所と名前が示されていた。
「行きたいところがあるんだが、いいか?」
「おや、上杉君が乗り気とは少々意外だね」
「なんだよ。悪いかよ」
「もちろんそんなことないさ。ただ、君はあまりテレビとか興味ないと思っていたからね」
教えた覚えのない情報を言ってくる武田を、少し意外そうに見る風太郎。
「なんで知ってるんだよ」
「四葉さんから聞いたんだよ。以前にね」
「あのおしゃべりめ……」
そういえば大分前の話だが、四葉は風太郎に隠れて武田からも勉強を教わっていた時期があったらしいことを思い出した。
聞いた話によると空き時間はやたらと風太郎の話をしていたらしく、風太郎の家にテレビがなく映像作品といった類にあまり縁がないことも、その時話したのだろう。
別に隠していることでもないから知られたこと自体はどうでもよかったが、それとは別に少しばかりモヤついた気持ちがあり眉をひそめた。
「え、じゃあ何でEコースを選んだの?」
風太郎以上に驚いた声で松井が訊いて来た。
と、いうのもそもそも目的地が映画村であるこのEコースを選択したのは風太郎なのであった。
コース選択の集計は昨晩行われた。
せっかく班を組んだのだから全員で行動しようと松井が提案し、それぞれ希望するコースを言い合ったのだが、風太郎が希望を出すなり他の面々は驚くほどすんなり自分の希望を取り下げたのであった。
「それは……」
松井の質問に対し、少しばかり言葉に詰まった。
実のところ、風太郎自身は武田の言う通りあまり映画村自体に興味はなかった。
それにも関わらずこの場所を選んだのは、先に説明した通りこの映画村のごった煮っぷりに注目したからだった。
ここならば三日目の今日、中野少女のうちの誰が表に出てこようとも楽しめると踏んだからだ。
例えば、この施設は映画を始めとした映像作品をモチーフにした多種多様な催し物を用意している。タレント活動をしている一花には良い刺激になるだろう。
テーマパークだからいわゆるところの映えスポットも多い。しかもエリアごとに風景などはまったく別の顔を見せるここなら、何枚写真を撮ろうが一遍通りな絵面にならない。二乃辺りが喜ぶはずだ。
エリアの大半は江戸時代の街並みが再現されている。戦国時代好きの三玖の嗜好とは少しずれるかもしれないが、それでも垂涎ものだろう。
アニメや特撮の展示エリアもある。そういった娯楽も嗜む四葉なら飛び跳ねるほどテンションが上げるだろう。
観光地でもあるからには、当然名物の料理もある。五月ならアトラクションよりこちらの制覇に躍起になりそうだと思った。
とまあ、そんな具合だった。
昨日の話し合いの最中、その場にいた二乃もいたが、まさか風太郎が自分のために行先を選んでいたとは思いもよらないだろう。
そして、そんな理由など恥ずかしくて言えるわけがなかった。
だから答えに困ったし、風太郎は苦し紛れに口から出まかせに答えを言った。
「楽しそうだったから……」
「上杉君ってさ」
それを聞いた松井、風太郎を見ながら。
「結構ミーハーなんだね」
口元に手を当ててクスクスと笑いやがった。
「うるせえ……!」
「いいじゃん、そういう俗っぽいところ親しみやすくて私はいいと思うけど。中野さんもそう思うよね?」
「……え、あの、ごめん。聞いてなかった」
話を振られた三玖は本当に聞いていなかったのだろう。焦ったようにキョロキョロして何の話をしていたのか探ろうとする素振りを見せた。
松井は別に本気で呆れているわけでもない、微笑を浮かべながら。
「もーちゃんと聞いててよ。みんなでどこ行くかって相談してたんだよ?」
「そうなんだ……うんと、ど、どこでもいいかな。皆の行きたいところでいいよ」
「いいのか?」
話を流すかのように答えた三玖に、風太郎が待ったを入れた。
「お前なら時代劇にロケ地なんかを見たがると思ったんだが」
「それは、そうだけ、ど……」
やはり自分の三玖が興味を持ちそうなものに対する見立ては間違っていなかったらしい。間違っていなかったというのに、何故か乗り気な姿を見せない三玖。
その代わりとでいうように武田。
「おやおや? 上杉君は中野さんの行きたいところも分かるのかい。それはありがたい」
「ちが、俺とこいつは付き合いが長いから分かってるだけで別に────」
「わかったわかった」
風太郎の言葉を皆まで言わせないとでもいうかのごとく、前田が首裏に腕を乗せてきた。
のしり、という重量を感じながら、とうとう絡んできたかと前田の方を見ると。
「行先絞らなきゃ回り切れねえわけでもねえだろ。こいつの言う通りの順番に回ってったらいいんじゃねえの?」
松井の方を指さしながら言った。
今までずっと非協力的だったのに、この場に来て場を回そうとする前田を意外そうに風太郎は見た。
「お前……」
「せっかくだからよ……余計なことは言わないようにしようぜ」
そう風太郎へ言った前田の声は小声だった。
どの口がそれを言うか、とも思ったが前田の口ぶりは昨日までの挑発的な雰囲気など欠片も残さないほど消え失せていて、心底親身になっているかのような声だった。
穏やかに言われたおかげもあり、風太郎も恥ずかしさに茹っていた頭が冷めてきて自分がまた何か勢いに任せて口走りそうになっていることに気が付いた。
まさか止めてくれたのだろうか。どういう風の吹き回しだろうか。
前田の案に応じるように武田と松井も頷いた。
「そうだね。ショーなんかはスケジュールが決まっているから、見たいなら予定を立てないといけないだろうけど、それも見て回りながら決めようか」
「さんせー。それじゃあさ、早速だけど着付け体験からやってかない? 中野さん絶対に着物似合うと思うんだよねー!」
「わ、私……!?」
三玖は慌てて両手を振った。
「い、いいよ私は別に……!」
「そんなこと言わないの。皆コスプレしてるのに一人だけ普通なんて、逆に浮いちゃうんだから」
「お、押さないでぇ……!」
思い立ったが吉日とでも言わんばかりに、松井は三玖を押しながら入り口に併設されている着付け体験の入り口へと入っていった。
着替えのために一度解散となった一行が再び集まったのは当然ながら着替え終えた後だった。
やはり男性より女性の方が着替えに時間がかかるようで、新選組の隊服に着替えた風太郎、殿様衣装の武田、忍者装束の前田が三人揃って出入口で並んでしばらくまっていると、ようやく三玖と松井の二人も出て来た。
「ごめんねお待たせー」
「……」
二人は揃って町娘の衣装だった。
「どう、似合う?」
「よく似合ってるよ松井さん」
「せっかくなら違う衣装にしたらよかったんじゃねえのか?」
「前田の言う通りそうしたかったんだけどさ、他はちょっとって感じで」
松井の言葉で風太郎も、自分が衣装選びをした時にちらりと目に入った女性用の衣装メニューを思い出した。
女性用の衣装もそれなりに種類はあるのだが、確か男性のものほどバラエティに富んでいなかった。
舞妓や芸者など、詳しい人間が見れば違いが分かるのだろうが、着物の仕様の違いなど高校の授業では習わないので風太郎には見分けがつかなかった。そしてそれは恐らく他の面々も同じだろう。
せいぜい違いがあるとすれば、衣装によってはおしろいがセットになっていたり、履物が下駄だったり、やたら裾が長かったりととにかくどの衣装も歩きづらそうという感想が真っ先に思い浮かんだ。
三玖達が来ている町娘衣装はそれらに比べれば履物は草履だし、裾もほどほどだった。彼女達も移動のしやすさを優先したのだろう。
三人だけで盛り上がっている会話もほどほどに、松井がすすす、と風太郎にも近寄った。
「それよりさ、上杉君」
「……なんだよ」
「君は何か感想とかないのかな?」
「ない」
「君そんな調子で二乃の相手しててよく今まで生きていられたねー」
「……」
確かに普段からノーデリカシーとは二乃だけに限らず言われてはいる。
けれど無いものはないのだから仕方ないのではないだろうか。
「そういう時は無理にでも一言くらい捻りだすもんだよ」
「捻りだされた感想で満足するのか?」
「つべこべ言わないの」
「……馬子にも衣裳?」
「……褒めろってハッキリ言わないと君は感想の一つもろくに言えないのかな……!」
「褒めただろ!?」
「衣装がなきゃ大したことないって言ってるようなものでしょ! 君はそんな雑な扱いなこと言えるほど私と仲良くないじゃん!?」
その言い方は結構傷つくんだが。
鼻息を荒くしながら松井は「だいいち!」と前置きをして、両手を三玖へと向けて人を紹介するようなポーズを取った。
「私に言えとも言ってないよ! 君には真っ先に褒めるべき相手がいるじゃない!」
「あ、あの松井さん。私は別に……!」
「中野さんもシャラップ! こういうのは様式美でもやらないといけないの! ほら上杉君、セイホー!」
普段着ない服のせかい、テンションを挙げやがってと、と内心で悪態をつきながらも渋々三玖の前に立つ風太郎。
他の面々が注目してる中でわざわざ感想を言わされるなど、どういう罰ゲームだと恥ずかしさが凄かった。
それは三玖も同様のようで、顔を真っ赤にして俯いていた。
(もうこれイジメなんじゃねえのか……?)
頭を掻きながら、改めて三玖を見た。
「に、似合ってるぞ……」
「……! ありがと……」
思ったままのことしか言えなかったのだが、三玖は嬉しそうに小さく頷いた。
傍らでは、いつの間にか少し離れていた松井達一行。中でも松井と武田は口元を隠して顔を寄せ合っていた。
「聞いた? 私の時は拗らせた褒め方しかできなかったくせに中野さんの時はあんなに素直に言っちゃって」
「やっぱり三玖さんも他の人たちと同じように上杉君のことを────」
「お前らクラスメイトをエンタメにするのやめろ」
(だが、そういうことか)
武田の台詞のおかげで合点がいった。
今朝から三玖を自分をやたらくっつかせようとしているところから不思議ではあった。
ようするに昨日の四葉の突飛な行動によって、風太郎と中野少女の間で何か恋愛事が進んでいるということに気づかれているのだろう。
自分と彼女達の事情がどこまで知られているのか知らないが、三玖も風太郎のことが好きなのではないか、そんな風に疑われているといったところだろうか。
そのこと自体を知られていることに関してはかなり恥ずかしかったが、しかし好都合だった。
茶化されるのは嫌だが、風太郎も自分なりに三玖に対して何か思うところを持たないといけないとは思っていたのだから、協力してくれるならそれに越したことはない。
「ったく、そろそろ行こうぜ。時間が足りなくなっても困る」
今はその思惑に載せられて、風太郎は三玖の隣に立つと新選組衣装の袴を翻して歩き出した。
それからしばらくは順調土産物屋や屋内迷路、ちゃんばら劇などを見て回った。
移動の間も、江戸の街中には他にも自分達のように貸出衣装を着ている生徒や一般観光客もいれば、中には戦国武将の甲冑を着ている人もいた。
三日月の兜と眼帯をしているあれは、伊達政宗だったろうか。
今日は随分と消極的だった三玖もその時ばかりは目を光らせていた。
流石観光地とでも言うべきか、静かだった三玖も徐々にテンションを無理やりにでも上げさせられているようで、風太郎と会話する機会も増えていた。
今なら様子がおかしい理由もきけるのではないかと、そう思った時だった。
「なあ三玖、気のせいだったら別にいいんだが、お前今日は────」
「ねえ皆! 次はあれ入ろうよ!」
松井の声に遮られた。
声の方を見てみれば、松井を先頭に三人は一軒の建物の前にいた。
入り口の上部に掛けられた木製の看板には白い塗料で『お化け屋敷』と書かれている。
武田と前田も構わないといったように、早々に入場の受付をしようとしていた。
風太郎は少し慌て、声を挙げた。
「おい待て。そこだとこいつが────」
「フータロー。私は別にいいよ……」
下手に驚かされでもすれば入れ替わりが起きてしまうと言おうとした矢先、本人からお許しが出た。
やむなく三人と合流すると。
「それじゃあさ。二組に分かれようよ」
「はっ?」
「五人一緒じゃ怖さも半減じゃん? だから上杉君と中野さんは後から入ってよ」
などと松井はのたまった。
「あいつら、露骨なことしやがって」
二組に分かれようという提案に風太郎はもう一度抗議しようとしたが、そこでも三玖本人がそれを承諾してしまった。
結局のところの現在、そういったわけでお化け屋敷の中を進んでいるのは風太郎と三玖の二人きりだった。
隣を歩く三玖を見る。
ここのお化け屋敷はエンタメというよりは、客を怖がらせることにかなり力を入れているらしい。
だから和風な内装もかなり凝っているし、三玖はそれなりに怖がっている様子だった。
「お前、嫌なら嫌って言えよ。本当に入れ替わったらどうすんだ」
「……だって」
「なんだよ」
「ここなら早く交代できると思ったから……」
「は?」
風太郎は立ち止まった。
三玖の言っている意味が理解できなかったからだ。
てっきり三玖がお化け屋敷に入ることを良しとしたのは、耐えられると思ったからか、気弱な性格が災いして言い出せないからだと思っていた。
「どういうことだ」
「フータローこそなんで平然としてるの? 修学旅行は今日で終わりなんだよ。このままじゃ私の番が最後で終わっちゃう」
「仕方ないだろ。誰の番になるかは運だって、お前たちが一番分かってるだろ」
「でもそしたら、フータローは一度も五月と一緒に過ごせないまま旅行が終わっちゃうんだよ?」
「────」
「絶対じゃないけど、次は多分五月の番。だからここで交代できればフータローも────」
「三玖」
「……なに?」
「さっさとここを出るぞ」
「えっ?」
三玖の手を掴むとぐいっ、とひっぱった。
そのままずんずんと順路を進んでいくと、驚かしのポイントなどなかったかのようにこなしていった。
「フータロー……! 急にどうしたの……!?」
「お前に聞きたいことができた。ここで本当に入れ替わられたら、聞きたいことも聞けないまま終わっちまう」
もっと楽しみながら進んだのなら時間もかかるのだろうが、ひたすら前進するだけとなったお化け屋敷は出口まであっという間だった。
室内の暗い照明から日光の眩しさに少しばかり目を眩んだ。
周囲を見ると、先に入ったはずの松井達の姿がなかった。
「あいつらは……?」
左右を見回って姿を探していると、スマホの通知音がタイミングよく鳴った。
スマホを取り出し通知をタップした。旅行前にIDを交換しておいた松井からのLOINEだった。
『後はお若いお二人で!』
「オヤジかよ……」
言い草はともかく、こちらが出てきたのと合わせるように通知が来た辺り、近くで様子を伺っているのかもしれない。
いよいよ分かりやすい行動にでてきたなと思ったものの、今はそれがありがたかった。
「三玖、さっきの話の続きだが」
「待ってフータロー……急いで歩いたから少し……休憩……」
「……あっちのベンチに座るか」
息が絶え絶えになっている三玖から手を放すと、少し離れた位置にある休憩所を指さした。
二人が移動した先は休憩所といっても、時代劇ならば団子屋のシーンなどで見かける様な和式のベンチがあるだけの場所だった。
大きな唐笠が日よけとして開いた状態で立てられているその場所に腰掛けると、三玖が一息つくまで少しの間待った。
ようやく三玖の息が落ち着いたのを見計らって、風太郎は口を開く。
「お前が今日、様子がおかしかったのはずっと五月のことを気にしていたからか?」
「……私も裏で聞いてたから……私、皆の話を聞くまで五月とフータローの二人がそんなに進んでたなんて全然分からなかった」
「だからってお前が入れ替わる必要ないだろ。この修学旅行はお前のものでもあるんだぞ」
「でもそれだと、五月が楽しめないまま終わっちゃう」
「だからそれは運だから仕方ないって……くそ」
これでは話が堂々巡りだと、言いかけた言葉を引っ込めると、ガシガシと頭を掻いた。
今問題なのは、三玖がどうして交代しようなどと思い至ったかということだ。
元々三玖は自分と恋愛関係に発展するために、五人の人格の中で一番行動を起こしてきた人間だ。
昨晩の二乃から告白を受けた時の会話を皮切りに、風太郎もようやく同じように彼女達と向き合わなければならないと気を引き締めた矢先だというのに、何故今日のような絶好の機会を棒に振ろうとするのか意味がわからなかった。
「お前、言ってたじゃねえか。”恋をさせてほしい”って。そのためにお前とは色々してきただろ。俺は別に、五月と変わってほしいなんて思ってねえぞ」
「分かってる。フータローは悪くない。悪いのは私」
「悪いって、お前だって何も──」
「二乃と四葉の恋を応援してあげたいと思った時から、どうやったら多重人格の私達が幸せになれるか凄く考えて、それでようやく皆が幸せになる方法を見つけたの」
五人が一人を愛し、一人が五人を愛する。
ずっと続いている風太郎と彼女達の課題のことだ。
「分かってる。だから俺もその話に乗ったんだ」
「二乃と四葉だけじゃないんだよ」
「……?」
「教えてあげる。一花も、フータローのこと好きだよ」
「な……!?」
「凄くお似合いだと思う。私、一花も応援したいと思ってる」
「お前、何言って……!」
そこまで言って、言葉を切った。
他人の恋心をバラすのは、かつて一花もした。だからこれは因果応報かもしれない。
ただ、例えそうだとしても、三玖が何故そんなことを言ってくるのか聞き出すべきだし、今の俯いた彼女に問いただすような口調で訊くことは、逆に委縮させて逆効果かもしれなかった。
だから言葉にすべき、三玖を刺激せず、話を前進させられることだと思った。
「……知ってる」
「え……?」
「だから、その、あれだよ……一花も俺に、好意を抱いてくれていたことだ」
「……!」
三玖は目を見張った。
ようやくまともにこちらを見てきた三玖は、しかし徐々に元の暗い表情に戻ると、自嘲の意さえ含んだような微笑さえ浮かべた。
「流石だね。フータローももう、ノーデリカシーなんかじゃないのかもだね」
「いや、デリカシーなんて俺にあるわけないだろ。さっきも松井から言われたじゃねえか」
「まるで自慢みたいに言わないで……!」
風太郎は額に手を当てた。
「まあ、ここまで腹割ったこと話してるんだ。俺も洗いざらいのことを言うと、五月に告白する前に女子が男性のことを意識する時、どんな素振りをするのか調べたりした」
「朴念仁のフータローが……?」
「フラれたくはなかったからな」
結局、調べた結果得た情報のいずれも五月には当てはまらなかったのだが。
「そのおかげで一花のそういった、サインみたいのも目に付くようになった。だから気が付けた……そしてお前からはそんなサインが何もないってことも同時にわかっている」
「……なら、私が言う必要なんてなかったね……後で一花にバラしちゃったこと謝らないと」
「そうしとけ。ま、自業自得ではあるだろうけどな……」
だが。
「その代わり、一花の気持ちまでバラしたんだ。話してもらうぞ、お前の考えていることを」
「……五人の中で三人もフータローのことを想っていて……それでも今まで少し安心してたんだ。私と同じように、五月だってフータローとは何もないって思ってたから。だから私が何もなくても、まだおかしくないんだって」
「実際、五月が俺のことをどう思ってるかは本人だってわかってないって言ってたぞ」
「でも、フータローが五月のことを好きなんでしょ?」
「それは……」
「私だけなんだ」
「お前だけ?」
「私だけが、フータローと何もないんだよ。好きにもなれないし、好きになってももらえない……!」
三玖は両手を顔に当てた。
「私、頑張ったんだよ」
知っている。
「恋愛のことについて調べたりした。フータローとデートだってしてみた。でも結局、言い出しっぺの私が一番、何もできないで皆の足を引っ張ってた……!」
ずっと抑えていたのだろう。
長い間話続けているうちに、三玖の語調はどんどんと強まっていった。
風太郎の中でも、三玖に対してとんだ思い違いをしていることに徐々に気が付き始めていた。
三玖から持ち掛けられた、幸せのために意図的に好きになるという話自体、最初から違和感はあった。
一般的な倫理観に対する、自分自身が持つ違和感とはまた別種の、三玖に対しての違和感。
その正体がようやく見えて来た。
(こいつは初めから、自分のために恋をしようとしていない)
多重人格者が恋愛で幸せになるためには、全ての人格が同じ相手と結ばれる必要がある。
この理屈を唄う時には自動的に三玖も含まれるわけだが、それは裏を返せば三玖個人を名指ししているわけではない。
いつも三玖は二乃のため、四葉のためにと、他人の恋を成就させるために自分も恋をしようとしていた。
自分も幸せになろうとしている反面で、自分は犠牲になろうとしているということに、ようやく理解が追い付いた。
「やっぱり、私が一番の落ちこぼれなんだ」
何故そこまでして他の人格を優先しようとするのか、それはおそらく彼女自身が誰よりも自分に自信を持っていないからだ。
自分の幸せより、他人格の幸せを優先することは当たり前、そんな風に思っているのかもしれない。
(まるで以前の一花の逆じゃねえか)
「誰かを好きになるなんて、私にはできないんだ……!」
そう強く言いながら、三玖は体を前へ折った。
前のめりの姿勢になる三玖に、風太郎はどう言葉をかけるべきか思案した。
自分達のすべきことは変わらない。互いに恋をして、恋されることが解決策であり揺るがない以上、後は考え方の問題でしかない。
「風太郎と私達全員が付き合えばいいって考えだって、私が言い出さなくてもきっと誰かが思いついてた……私ができることなんて、他の四人だってきっとできるから」
だからこそ逆転の一手が思いつかずに、これまでの彼女達との日々を思い返していると、思い当たったことがあった。
(待てよ……?)
ずっと前の話だった。
それはまだ、去年の九月初めの頃。当時はまだ三玖と初対面さえ済ませていなかった。
初めて家庭教師をしに行った日、風太郎はその時の生徒だった二乃を相手に実力テストを行った。
結果は無残の20点。
そしてその時同時に、人数分のテストを二乃へと預けていた。
しばらくして帰って来た答案の採点結果は確か────
「フータロー……もう、私のことは気にしないで。フータローだったら別に、嫌ってわけじゃないから私に構わないで他の四人と仲良く────」
「それはできない」
風太郎は三玖の言葉を遮った。
ベンチから立ち上がると、前へと立つ。
「俺は五月と約束したんだ。互いにちゃんとした答えを出すのは、お前を含めた五人と向き合った後にするってな」
「五月のため……だったら私との答えはもう出たってことでいいよ。フータローの気持ちも分かったから、答えはちゃんと出すよう言っておくし」
「違う。五月とそんな約束をしたのは、お前たちのためだからだ」
「私達の……」
「お前たち五人と向き合うと約束したのは、五人全員が幸せになるためだ。五人揃って大団円、それがあいつとの約束だ」
話を聞いてなお、三玖の顔は浮かないままだった。
「勝手だね……でも無理だよ。言ったよね? 私はもう十分頑張った。それでダメだったんだよ。そもそも私、フータローとこの学校で会うまで恋愛なんて一度も真面目に考えたことなんてなかったんだし」
「それは俺も同じだ」
間髪入れず返した返事に、三玖は顔を上げた。
「むしろお前よりもっとひどい。恋愛なんてしたいやつがすればいい。そんなものは学業から最もかけ離れた愚かな行為で、そんなことにかまけているやつの人生のピークは学生時代になると、そう信じて疑ってなかった」
「……ひどい拗らせ方」
「やめろ傷つく」
「でもその理屈だとフータローの人生のピークって今ってことになるんじゃないの?」
「だから”疑ってなかった”って過去形で言ってるだろ!? 話が進まねえから最後まで聞けよ!」
「……」
一度言葉を切ると、深呼吸した。
頬が熱い。
そもそも自分がこんな大真面目に恋愛のあれこれを議論していること自体、ガラじゃないのだ。
そういう色ボケは二乃辺りがしていればいいものを、三玖を説得するために無理して話しているだけなのだから、早く済ませたかった。
「そんな俺でも人を好きになるということがどういうことなのか、身をもって理解できたんだ。俺ができたなら、お前ができないってことはないはずだ」
「でも……それはフータローの話ってだけで、私は他の四人と比べて──―」
「それなんだがな、さっきのお前の言葉で光明が見えた」
風太郎はかつての実力テストの結果を説明した。
採点結果は個人ごとのバラツキはあるが、平均は20点。五人で合計してようやく100点だったと。
そしてその時の正答は、五人全員で一問の被りもなかったと。
「それが何……酷い点数ってだけじゃん」
「これは可能性だ。お前はさっき、自分ができることは他の四人だってできるって言ってたろ。だがそれは、言い換えれば四人ができることは、三玖にもできるということだ」
「そ、それは……そんな考え方、したこともなかったけど……」
「それにお前、前にこんなことも言ってただろ」
それは林間学校の帰りの時。
「”自分たちは五人全員愛されてやっと、一人分の愛をその人から貰える”って……それはつまり、お前が欠けただけで、お前だけじゃなく他の四人まで幸せになれないってことだ」
「確かに言った、言ったけど……! それはもっと時間とか、他の子の番の時は我慢しなきゃいけないっていう話であって……フータローの話はもっと感覚的で……ただの屁理屈だよ……!」
「でも実際そうだろ。このままだとお前ひとりだけが我慢をすることになる」
「だからそれでいいって私は────」
「誰にだって幸せになる権利はあるはずだろ。俺はお前にもその権利を放棄してほしくない。それにお前だって他の四人と同じように、誰かを大切に想うことができる……その潜在能力を持ってると俺は信じている」
「────」
三玖は再び俯いた。
けれど顔色は、一度目のような影が落ちたものではなかった。
もっと別種の、期待のような感情が入り混じったその横顔に風太郎は続ける。
「それに光明が見えたのはお前だけじゃない。他の連中にだって見えた」
「……?」
風太郎は頷く。
「この三日間で改めて実感した。お前たちは自分の体質のことを良く理解しているし、日ごろの暮らし方も十分把握している。それでも、いざという時には気持ちを整理するってことは難しいらしい」
「……何の話?」
「あの四葉ですら、嫉妬の気持ちに苦しんだってことだ」
「……!」
「かつては一花だってそうだった。今は克服してるがな……それに二乃も、あいつはまだ自分で抑えが効いてるみたいだが、やはり四葉に共感できるところはあるらしい」
「五月は……」
「あいつだけはまだ分からないな。この旅行の間は顔を合わせていないしな……でも、お前だけは違った。お前だけは初めから他の四人と一緒に歩んでいく道を探し続けていた」
慌てるように、三玖。
「そ、それは私がまだフータローのことを好きになり切れてないからってだけなのかもしれないよ……!」
「かもな。だが、お前のおかげで四葉や、他の奴らがいつの日か自分の気持ちに納得できる日がくるかもしれないと、そう思えたんだ」
これまで三玖以外の四人は、嫉妬という感情を前に迷いながらも、戦おうとした。
一花はそんな思いに苦しみ、苦しみから解放されるために全てを捨てようとしていた。
二乃はそんな思いさえ自分のものにして、誰よりも自分が相手を想うことで自身を肯定しようとした。
四葉はそんな思いのままに、自分が一番愛されたいと願ってしまった。
五月はそんな思いをするくらいなら、関わらないようにした。
そして三玖だけは、そんな思いをするかもしれないと見据えた上で、最善の道を探した。
「お前は、お前が思っている以上に凄い奴なんだ。お前がいなかったら俺も他の四人も、どこへ進んだらいいかわからなくなっていたかもしれない」
風太郎はしゃがみ込んだ。
目線をベンチに座る三玖の高さまで下げ、対等の意を示した。
「そんなお前が犠牲になるのを、俺は認めない」
「フータロー……」
「そんなお前を、俺は好きになりたい」
「……!」
「お前はどうなんだ。まだ、意地を張るつもりか?」
「私も……私だって本当は、我慢なんてしたくない。普通の女の子みたいに、幸せになりたい……フータローのこと、好きになりたい!」
度々、語調が強くなる三玖であったが、この時の彼女の言葉が一番力強かった。
まっすぐ風太郎を見据え、自分の意思がハッキリとしたようであった。
「なら、することは一つだな」
風太郎は立ち上がった。立ち上がってから、手を三玖へと差し出した。
その手を見ながら、三玖は風太郎を見上げた。
太陽の光が真上にあり、まだお昼になったばかりの今だと眩しかった。
「デート、してくれませんか?」
「江戸時代ってぶっちゃけ、三玖的にはどうなんだ?」
「普通に好きだよ。江戸時代が舞台の時代劇も良く見るし……フータローあれ見て、お奉行所としてよく使われる名スポット。今日はあそこを見れただけでも来た価値ある」
「そ、そうか……」
「あれって光圀公の衣装だよね。フータローなら似合うんじゃないかな」
「爺さんのコスプレを似合うかもって言われても微妙なんだが……そういえば黄門様ってよく旅してる番組が流れてるらしいが、実際は関東から出たこともないらしいな」
「知ってるけど……夢を壊すようなこと言わないで。フータロー、切腹」
「あのドラマで夢を持つ高校生なんているのか……?」
「池田屋も再現されてるんだね」
「池田屋事件は有名だな。教科書にも載ってるし」
「ドラマでも定番。悪者をバッタバッタ切っていく新選組、格好良かった」
「歴史的に最終的な勝利を収めたのは切られた攘夷志士の方だけどな」
「幕末は幕軍と官軍どっちの目線で見ても恰好いいからいいの」
「この辺は明治の街を再現してるんだよね。あんまりこの時代の作品ってないから詳しくないけど」
「まあ、近代史に入るしな。当時の有名人の子孫だって今は多いだろうし、フィクションとしても扱い辛いんだろ」
「有名人って例えば?」
「大久保利通とか、木戸孝允とか」
「二人目の方知らない……」
「桂小五郎なら分かるか?」
「名前変えたの?」
「そうらしい。変えた理由は諸説あるらしいが」
「そうなんだ」
「あ、中野さん帰って来た」
いつのまにか施設を一周していたらしい。
日も大分傾いてきている。
入って来たところと同じ出入口の近くまで来ると、そこでは松井達が私服に着替え終わった状態で待っていた。
「僕たちはもういいから、上杉君達もよければ着替えておいでよ」
「ああ」
風太郎は軽く返事をしてから建物の中へと向かった。
入り口の近くに武田達三人は立っていたから、その横を通り抜けようとした時、前田の声が聞こえた。
「中野さんとは上手くやれてんのかよ」
「……一花のことか?」
「中野さんだって言ってんだろ……!」
確認してなお言い方を訂正しないということは、特定の人格ではなく五人全員のことを指して言っているのだろうか。
思えば、武田や松井に自分と三玖達のことがバレているとなれば、前田だってそれなりに知ってしまっているのだろう。
前田のことを想うと、一花と自分の進展具合も相まって気が気じゃないのかもしれない。
だから正直に答えた。
「上手くできてるかはわからん……けど、上手くやるつもりだよ」
「……そうか」
「フータロー? 早くおいでよ、返却の受付だけまとめてやっちゃおう」
建物の奥から三玖の声がした。見ればカウンターの前で係の人に対応してもらいながら、こちらを見ていた。
風太郎は前田の横も通り過ぎると、三玖と並んでカウンターの前に立った。
改めて、受付の人が軽く頭を下げた。
「おかえりなさい。それでは衣装の返却の受付を済ませてから、お着替えをしていただきます。ご本人様の確認をさせていただきますね」
受付の人は台帳に目を落とすと、一点を手のひらで指し示した。
台帳には受付の時に自分達が書いた名前が書いてあった。
係の人はその名前を読み上げる。
「上杉風太郎様と、中野五月様ですね」
「いつ……いや、台帳にはそう書いてますけど違くって────」
「そうです」
訂正しようとした風太郎に割って入って、三玖が頷いた。
それから返却の時間など、受付に必要な諸々を台帳に追記した。
「はい、お手数おかけいたしました。それではお洋服をお返しいたしますね。少々お待ちください」
係の人は一度会釈してから奥に下がると、少しして二つのカゴを持ってきた。
中にはそれぞれ風太郎と三玖の私服が入っている。
カゴはカウンターの上に置かれると、係の人はカウンター横の通路を続けて差し示す。
「最初と同じようにお着替えは通路の奥にございます。途中で男性用と女性用に分かれますので、お間違え内容にお気を付けください」
「わかりました」
二人はカゴを受け取ると、案内された通りに通路へと歩き始めた。
その途中。
「最初から五月に入れ替わるつもりだったんだな」
「うん、まぁ……」
「お前は名前間違えられて嫌じゃないのか?」
「慣れてるから」
「でも一花とかは未だに間違えられると眉をヒクつかせるぞ」
「そういえば」
言ってから、三玖が立ち止まった。
急にどうしたのかと風太郎も数歩遅れて止まってから振り返ると、三玖はカゴを片手で持ち直してから、空いた手を顎に当てた。
「私、本当の名前は五月だったかもしれない」
「……何の冗談だ」
「あれ、フータローこの逸話は知らないの?」
「逸話?」
「西郷隆永の」
「確か、西郷隆盛の本当の名前だっけか」
急に何の話かと思いつつ、頭の中で近代史の参考書の内容をひっくり返した。
三玖が言った名前と隆盛が結びついたということは、おそらくどこかで勉強したはずだ。
「……ああ」
「思いだした?」
「書類に間違えて父親の名前を書かれた隆永が『おいどんの本当の名前は隆盛だったか』とか言って、それから本当に隆盛を名乗りだしたってやつか」
「流石ガリ勉君」
「正解したのにその言われようはイラっと来るんだが……それがどうしたんだよ」
一瞬、妙なことを言い出しがちな三玖のことだから”自分も五月みたいになってフータローに好きになってもらう”などと言い出すのではないかと身構えた。
問われた三玖は、再びカゴを両手で持つと、少し顎を上げた。
その顔は晴れ晴れとしていたようで。
「フータローと話をして、さっき受付の人に名前を間違えられた時……なんだか全然嫌じゃなかったの。だって、名前なんて些細なことで、きっと私は私だから」
「いや、名前は大事だろ。呼び分けるのに必要だし」
「そうだけど、言いたいことはそういうことじゃなくて……私、フータローに好きになってもらうにはどうしたらいいかって考えた時、ずっと他の子達と比べてたんだ。どこが劣ってるかとか、どうやって悪いところを直したらいいかって」
「今は違うのか?」
「違くはないけど、少しだけ考えが変わった。比べたりなんてしなくていい。劣ってるとか、勝ってるとか、そんなの本当はどうでもいいんだって、そう思えた……だから」
一歩、空いていた風太郎と三玖の距離を、彼女は詰めて来た。
「私、フータローに好きになってもらえる私になるから、その時は────責任、取ってよね」
そう言って三玖はこちらを見ると、少しだけ挑発気味に、笑った。
「もしかして今の時点で三玖……お前、俺のこと好きなんじゃ────」
「残念だけど……まだかなぁ」
そして自意識過剰君はフラれたのであった。
温泉旅行終わり辺りからずっとスランプ気味だったのが脱出できた気がするので、事後報告しときます。
※苦しんでる最中に声を挙げると更新を心配させてしまうので。(する人がいるかどうかはさておき)