五つ子ミルフィーユ   作:真樹

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52_転校生の事情

『一花さんの精神的不安定さは月日が経つごとに顕著になっていき、ピークと思われる時期は"現在の高校への転校前"でした』

 

 それは一花以外の人格が表に出てこなくなった頃、医師が零奈達に言ったことだった。

 現在は旭高校に通う一花達だったが、元は黒薔薇女子という中高一貫のお嬢様学校に通っていた。

 成績はお世辞にも良好とは言えないが、かといって落第するほどでもなかった。というのも当時から成績の評価は最もやる気のある五月がテストの担当などを受け持っていたからであった。本当なら三玖に任せるべきだったというのはさておき。

 一度くらいは当然のように赤点を取ったが、それも追試で何とか取り返せる程度で留まっていた。

 そうなると、本来はあまり触れるべきではない話なのだろうが、何故中野少女は転校することになったのかということとなる。

 その理由こそ、前述の医師の発言が核心なのであった。

 

 

 

 

 

 2017年7月下旬

 中野少女達が風太郎の通う旭高校に転入してくる、一か月前。

 

「一旦休憩入りまーす!」

 

 夏真っ盛りの気温の中、一花は学校にいた。

 どこの学校かといえば旭高校でもなければ、前まで通っていた黒薔薇女子でもなかった。

 今日、初めて来た”現実での”名前など知らない場所だった。

 この場所に一花は学生ではなく、タレントとしてきていた。

 

「お疲れ様、一花ちゃん。水いるかい?」

「ありがとうございます社長。いただきます」

 

 教室の隅で椅子に腰かけていた一花は、織田から水の入ったペットボトルを受け取ると口に含んだ。

 汗だくの体によく冷やされた水が染み渡っていく感覚がした。

 普段だったらあまりお腹を冷やしたくないから常温の水を飲んでいるし、織田もそれをわかっているはずなのだが、何しろ現場は灼熱地獄と室内は化しているものだから気を利かせてくれたのだろう。

 

「どうだい、初めての撮影は」

「どうって言われても、私はただ隅っこでおしゃべりの演技をしてるだけですし」

「撮影の雰囲気とか、緊張しているんじゃないかと思ってね」

「まあ、少し……」

 

 ここには映画の撮影で来ていた。といっても一花の役は名前どころか、台本に台詞も無いような役で、いわゆるエキストラというやつだ。

 クラスメイトとして程よいリアル感を演出するようなフリだけしながら、主演の子達の邪魔だけはしない。それが今日の一花の仕事内容。

 たったそれだけの仕事だというのに一花が所属している事務所、織田プロダクションから現場に来ているのは一花だけだった。

 普通、エキストラの役などは地方の劇団などにオファーが行き、数十人とかまとめて雇ってしまうのが一般的だ。

 実際、一花以外のクラスメイト役の子達はほとんどが、織田プロとは別の子役事務所からまとめて出張ってきているらしい。

 そんな中、一花ひとりだけが出稼ぎに来ているは織田の努力の賜物だった。

 多重人格によってスケジュールの決まっていない一花に、タレントらしい仕事をさせてやりたいという思いから何とかねじ込んだのだとか。

 確かにエキストラならば最悪、一花が今日来れなかったとしても撮影に支障など何一つ出ないのだろう。

 

「ごめんね、本当なら他の子達みたいにクーラーの効いた涼しい別室を用意してあげたかったんだけど」

「いえ、大丈夫です」

 

 今いる作品の舞台となっている教室に冷房は実のところ設置されている。いや、されていた。

 現在は撮影のために取り外されてしまっているのである。

 監督の、冷房なんか我慢していた時代の授業風景を撮りたいという意向のせいだった。

 だからこの教室以外は普通に冷房はあるし、控室として利用されている。

 ただ一人、エキストラのくせして事務所からソロで来ている一花には利用許可が下りなかったというだけなのであった。

 

「教室なんかいくらでも余ってるし、ちょっと使用許可を学校に取ってくれればいいだけなのにね」

「ちょ、ちょっと社長、声が高いです……!」

 

 まるで一花の言いたい気持ちを代弁しようとしてくれているかの如く、悪態を吐く織田。一花は少し慌てて周囲を見た。誰にも聞こえていないようだった。

 実際、織田の言っていることは一花も本音では思っていることであった。

 実は撮影場所のこの建物は本物の学校だったりする。今は夏休みの時期だから教室まで来る生徒は誰もおらず、窓の外から聞こえてくる運動部の声だけは本物。つまり学生ものの映画を撮影するにはもってこいのロケーションというわけだった。

 だから教室などいくらでもあるし、事務所ごとにそれらを控え室として使っているのだった。

 余っている教室だってまだまだあるし、織田プロの分だって確保しようと思えばできるはずなのだが、聞くところによると制作委員会は部屋の数によって使用料を学校に払っているらしい。

 だから来るかどうかも当日まで未確定な女優のために使う金は無いという、そういう判断とのことだった。

 

「私は、こうしてお仕事をいただけるだけでも十分感謝してますから」

 

 言って、ペットボトルを両手で持つ力が少し強くなった。

 大分飲んでいるボトルが、ベコッ、と音を鳴らしてヘコんだ。

 

「一花ちゃん……」

 

 その音が、隠し切れない一花の悔しさとして織田にも伝わってしまっていたらしかった。

 本当は満足などできるわけがない。

 一花が女優をやり始めたのは、自分の中に巣食う寄生虫達から自分を取り返すためだった。

 多重人格になったのが五年前。本当なら五年分自由にできたはずの一花の時間は五等分にされ、四年もの年月を他人格に取られてしまっている。

 自分という存在の痕跡なんてほとんど残せず、どんどんこの世から消えていってしまっているような錯覚がした。

 だから自分は”中野一花”という存在を少しでも残すため、誰かに知ってもらうために芸能界の道を選んだのだった。

 その結果、今、自分がやっていることが何かと言えば。

 

(名前の無い役……)

 

 通常、エキストラ役の個人名がスタッフロールに載ることない。事務所や団体など一括りで書かれておしまいだ。全然、自分の目的など達成できていない。

 悔しくないわけがなかった。

 

「織田さん」

 

 廊下の方からスタッフの声がした。呼ばれた織田は顔だけ振り向くと。

 

「はい、ただいま。一花ちゃんごめんね。呼ばれちゃったみたいだから少し外すね」

「気にしないでください。私に構わずどうぞ」

 

 最後に一度だけ申し訳なさそうなポーズを取ってから、織田は教室の外へと消えていった。

 教室には無数の撮影機材と学校なのだから当然のように沢山の机と椅子、そして一花ひとりだけが取り残された。

 開けた窓の外から、セミの声と野球部らしき生徒たちの声だけが響く。

 その中で一花は一人、背もたれから仰け反るようにして空を眺め、ぼんやりとしていた。

 少し離れた位置にある鞄を漁ればスマホもあるのだが、現場でもスマホを手放せないような奴などと思われたくなかったので取りに行かなかった。

 どれほどの時間そうしたのだろうか。何もしない時間など暇でしかないので、案外五分とかその程度しか経っていないかもしれない。

 眠くなってきた。

 頭がぼーっとしてきた気がした。

 

(まず、寝たら入れ替わっちゃう)

 

 良くないと思い頭を上げた。

 水をもう一口飲んで、眠気覚ましに教室内を歩こうと立ち上がった。

 立ち上がってすぐ、膝を着いた。

 自分の視界が少しぐるぐるとしているような気がした。

 

(ちがう、これ……熱中症……!)

 

 残り少なくなった水のボトルを急いで首に当てた。

 確か、熱中症の時は血管の太いところを冷やすと良いとか聞いたことがあった気がした。

 それでも段々視界のゆがみが大きくなっていった。

 このままじゃ本当に倒れてしまうかもと、現場の迷惑や色々なことが頭を巡り始めながらとにかくその場でジッと耐えた。

 誰かを呼べる余裕もなかった。

 そうしてしばらくしていると、ふと一瞬頭が落ちた気がした。うとうとと微睡んでいる時に、一瞬だけ寝てしまった時のような感覚。

 それがしたすぐ後から、徐々に自分が戻ってくる感覚がしてきた。

 視界も頭もスッキリしてきて、何とか持ちこたえられたかと、安堵の溜息を吐こうとして────ため息が出ないことに気が付いた。

 

(まさか……!)

 

 直後、自分はそんなつもりがないのに体は勝手に立ち上がった。

 左右を見て、自分の手を見て。

 

「嘘……」

 

 と自分以外の誰かが呟いた。

 

(こんなのでも入れ替わっちゃうの!?)

 

 誰が表に、という気持ちとどうしよう、という気持ちがいっぺんにあふれ出た。

 けれど、裏に控えることになってしまったからには一花が何かできることなど何もない。

 終わった、という気持ちが最終的に一花を包んだ。

 

「お待たせ、一花ちゃん。ごめんね一人にさせちゃって」

「社長……」

 

 タイミングが良いのか悪いのか、分からない時に織田が戻って来た。

 この体を今動かしている誰かは、急いで織田に駆け寄った。

 

「あの、社長、今私────」

『休憩終わりまーす! それじゃあ皆さんよろしくお願いしまーす!』

 

 隣の部屋から先ほどと同じスタッフの大きな号令が聞こえ、三玖の声がかき消された。

 続けて、隣の部屋からすぐさまゾロゾロと関係者が室内へと移動してきた。

 撮影はすぐにでも再開されそうな気配だった。

 

「始まるみたいだね。じゃあ僕はまた外から見ているから、頑張ってね一花ちゃん!」

「あの、待ってください……!」

 

 彼女の呼びかけ虚しく、織田は教室の外へと出ていってしまう。

 その間にも他の役者の子達は指定の配置につき、彼女の下にも。

 

「えっと、織田プロの方、始まりますのでこちらに」

 

 一花と談笑する友達役をやっているエキストラの子が訪れ、手を引かれて既定のポジションにスタンバイさせられた。

 

(何やってんの! 早く断って!)

 

 流されるままポジションについた誰かに向けて、一花は心の中で絶叫した。

 このままでは撮影が始まってしまう。このままでは撮影が台無しになってしまう。

 エキストラにだってシーンに適切な環境音を入れたり、画角を気にしたりとしなければならないことがあるのだ。それは女優である自分にしかできないことだ。

 万が一、撮影が台無しになどなれば、損害賠償が織田プロへと行く。

 だから流れを断ち切ってでも、彼女は入れ替わったことを言い出さなければいけないのだ。

 だというのに。

 

「それじゃあシーン39、始めます。3、2……アクション!」

 

 カチンコの音は鳴ってしまった。

 

 

 

 

 

「お疲れ様、一花ちゃん。すっごく良かったよ」

「あの……」

「あ、もしかしてもう一度お水持ってきた方がいいかな。ずっとここだと辛いよね。ちょっと待ってて」

「あの!」

「……そんなに大きな声を出して、どうしたんだい?」

「私……一花じゃありません」

「え?」

「休憩中に、入れ替わっちゃったんです……三玖です」

 

 

 

 

 

 現場からの織田プロに対する評価は、概ね好評だった。

 特に”休憩後”からの演技は良かったと、そういった意見が多かったという。

 それらの話を受けた織田は「単なるまぐれ」だと、普通ならばしないであろう自身の所属するタレントを下げる発言でいなした。

 というのも、休憩後の三玖の演技が今後の水準となって一花に求められるようになったら、当たり前だが今後の一花の演技、つまるところ品質に対して色眼鏡がかかってしまうと危惧したからであった。

 三玖の方も入れ替わったことを撮影後に告白したのは、撮影前は大勢の見知らぬ人々がいる中で場を乱すようなことを言い出せず、かといってこのまま黙っていて後になってから”あれは実は中野一花の演技ではなかった”などと不発弾を誤爆をさせるようなマネをするわけにもいかないと思ったからだということだ。

 

「ごめんね、撮影自体は上手く行ってたわけだし、うちの事務所の立場で撮り直しを言い出すこともできなくて……」

 

 と、結局三玖が映った映像も使用されることが後になって織田から聞かされた。

 織田プロからすればとんだ事故を起こしたわけなのだが、タチの悪いことにその事故は”ビジネス的には”良い方向へと転がってしまった。

 良い仕事をしたらどうなるか。無論、次の仕事が来るのである。

 

「中野さん、お久しぶりです。先日の現場ではどうも」

 

 先日の教室での収録で自分のことを”織田プロの人”と呼んだ彼女は、次の収録に向けて野外の撮影現場で会った時には名前を憶えてくれていた。

 

「どうして……」

「え?」

「どうして気づいてくれなかったんですか……!」

「何の話────キャッ!?」

「あれは私じゃない! あんなのより、私の方がずっといい演技をしてた!」

 

 次の現場でその人の顔を見た時、一花自身も気が付いた時には彼女に掴みかかっていた。

 

「あなたが言ったの!? 私よりあれが良かったって! ねえ答えてよ!? 答えろ!」

「一花ちゃん!!」

 

 掴みかかった一花は勢いのまま役者の彼女を押し倒し、馬乗りになっていた。

 それを織田は羽交い絞めにして止め、引き剥がした。

 更に最悪なことに、一花が押し倒した時に彼女は足の骨を折ってしまったらしい。

 当然、傷害沙汰ともなれば仕事なんてなかったことになった。

 

 

 

 

 

 未成年同士の揉め事、かつ加害者側は精神障害者だからという理由で刑事事件にはならなかった。

 子供の見えない所で、会社間での賠償の話や、保護者として両親が詫びに回っていってくれたりお金を出してくれたという話は、遠回りな噂程度で聞いてはいた。もしかしたら事件とならなかったのも、示談にしてくれたのかもしれない。

 織田という人はどうやら聖人らしく、それでも一花を解雇するという話は出してこなかった。あれから仕事だって選べる幅はぐっと狭まっただろうに探してくれているようで、時々話を持ってきてくれる。

 唯一、自分に対してお咎めらしいことがあったとするなら。

 

「転校?」

 

 夏休みのある日、黒薔薇女子に呼び出された一花はそのまま理事長室へと向かった。

 中では理事長と父が待っていた。

 

「一花君、君は先日の映画撮影に出ることをほのめかすようなのことをクラスメイトに言いふらしていたらしいね」

「……はい」

「学校内で多少、噂になっているらしい。君が怪我をさせたあの子は劇団所属のエキストラの中でも多少有名な子のようでね。その彼女の怪我の原因が、君と関係しているのではないか、と」

「そんなの、誰が……!」

 

 マルオは首を左右に振った。

 

「それは分からない。元々噂というのは広まっていくものだし、年頃の子供ならなおさらだろうからね」

「だからって、何で私が転校しないといけないの……!」

「君の不安定さを考えると、今後同じような結果が起こらないとも言い切れない。今ならまだ噂として時間と共に忘れてもらえるかもしれないが、もし事実だと知られれば決定的になってしまう」

 

 マルオに続き、理事が一花へと説明口調で言う。

 

「君も知っての通り、うちは家柄の良い子が多く通う学校だ。君のしたことが他の生徒達のご家族に知られれば、君を退学させるようにという声は必ず上がるだろう」 

「今なら家の事情ということで済ませることができる。幸い、転校先として私の知り合いが理事を務める男女共学の学校がある。夏休み明けから君はそこに通うこととなる」

 

 かくして、中野一花という少女の夜逃げのような転校が確定した。

 転校先では傷害事件のこともあり、他の人格の子達が”中野一花”という名前を使うことにより同じことが繰り返されないよう、生徒名簿も五月にすることとなったのであった。

 

 

 

 

 

 そんな、なんの責任も取らずに逃げた一花がどうなったのかは、既に知っての通りだった。

 風太郎と再開し、一花の容態が安定して他の人格達が姿を見せなくなった頃のこと。

 他人を傷つけることにばかり自分の時間を使っていた彼女に残っていたものなど何もなく、取り返しがつかないほどの学力の低さと、露呈した一花の精神的な歪みによって学校では孤立した。

 幸い、一花を取り囲む親しい人々が彼女を見放されなかったから徐々に復帰しつつあるのだが。

 

「でも、それだけじゃ足りない」

 

 修学旅行から帰って来た後日、一花は自分の部屋で呟いた。

 呟くということは、他の子達にも聞かせているということ。

 

「私はもっと償わないといけない」

 

 確かに一度は消えてしまいたいと考えるまで追い詰められたが、それでも罰としては足りないと感じていた。かつて自分のしたことは理不尽で一方的な加害でしかないのだから。

 責任を取らないといけない。

 一生かけたって償っていかないといけないかもしれない。

 怪我をさせたあの役者の子と関わることは二度とないかもしれないけど、せめて自分の手の届く人だけでも。

 だから一花は修学旅行で他の子達に協力した。だから風太郎が例え自分以外の子のことが好きになってしまったとしても邪魔をしないと決めた。だから、自分の恋が叶うことなんてなくても構わないと、そう思うことにした。

 三玖に自分の気持ちをバラされてしまったが。

 

「フータロー君が私のことを好きになるなんてこと、絶対に無いんだろうなぁ」

 

 今まで彼にもしてきたことを思い出すと、そうとしか思えなかった。

 それでも構わない。

 自分は他の子達に協力する。

 そして何よりも。

 

「三玖……」

 

 自分と同じような償いをしようとしている子が、もう一人いる。

 三玖は悪くなどまったくないというのに。

 一花の代わり演技をしてしまったこと、それが転校を招いた原因だとどうやら思っているらしい。

 そう三玖が考えていることを、以前に風太郎と三玖がした水族館のデートと、そして今回の修学旅行での彼女の言葉によって察することができた。

 水族館では、どうして三玖が一花の仕事を風太郎に紹介するのかと不思議ではあった。それにすぐ後、織田と会った時には気まずそうにしていた。

 修学旅行では、一花と同じように三玖も他の子達を応援しようとしている。自分を犠牲にしてでも何とかしようとしたのも、きっと自分と同じで罪の意識が根っこにあるからだ。

 後ろめたい話ばかりだというのに、ようやく三玖と同じ視点に並べた気がした。それが少しだけ嬉しかった。

 何故ならば。

 

「安心して。三玖が私を応援してくれるように、私も三玖を応援するから」

 

 もう自分は他の子達を否定しない。

 三玖が罪の意識を持ってしまっているというなら、それをどうやったら解消させてあげられるかを考えるだけ。

 何故なら三玖もまた自分であり、そして家族なのだから。

 そんなことを考えて一花は自分が見て、思った彼のことを共有すべく今日も日記へ書いていったのであった。

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