五月に臨時の授業を行った日の夕方。
今頃は本当だったら昼間できなかった勉強に専念しているはずだった。しかし現在の彼は駅前でらいはと並んで立っていた。
何故こんなことになったのかと悶々と風太郎は葛藤していた。
対してらいはは、そんな風太郎の内心など知る由もなくずっと鼻歌交じりでニコニコしている。その笑顔のままこちらを向いてきた。
「お祭り楽しみだね! お兄ちゃん!」
「……そうだな」
「もー! 全然そんなことないって顔に書いてるよ! 行くって決めたんだから少しは空気を読もうよー!」
どこに行くかと言えば、この後商店街で予定されているお祭りであった。
幅員が広い商店街通りでは年に一度お祭りが開催される。自治会もかなり力を入れているらしく打ち上げ花火なんかも毎年上がるものだから、例年通りならばかなりの混雑が予想された。
風太郎はハッキリ言って祭りにも花火にも微塵も興味はなかった。頭の中は帰ってから勉強する時間を少しでも確保できるかということしか考えていなかった。
それほどまでに気乗りしないイベントに何故行くことになったのかと言えば、悩んではいるものの理由は単純明快で隣に立つらいはが行きたいと言い出したからに他ならない。
いつもならばそういった我儘はあまり言わない利口な子なのだが、何しろタイミングが悪かった。
直近で臨時収入があり、らいはのわがままを叶えてしまうことができる状況であったのだ。臨時収入とは無論、五月にした臨時授業の分だ。普段らいははあまりそういったわがままを言わない子なのだが、今では後悔していることだが、今回に限っては風太郎の方から何か欲しいものはないかと聞いてしまったのだ。
花火大会の存在について口を滑らせて、らいはに火をつけてしまった女がいたのも要因の一つだろう。
ちょうどその女が到着したらしい。
「お待たせしました。お二人とも」
「わー! 五月さん浴衣綺麗です!」
「ありがとうございます。らいはちゃん」
顔を合わせるなり和気あいあいと話す五月とらいは。その二人のうちのデカい方へと風太郎はジロリと睨んだ。
念を込め過ぎただろうか。送った視線が五月の目と合った。
風太郎の最早影が落ちているともいえる表情に五月は呆れ顔を返しながら──
「なんですかその顔は。あなたも少しは空気を読んで楽しそうにできないのですか」
「らいはにも同じことを言われた」
「だったら少しは直してよ!」
膨れ顔で言うらいはを横目に、言われたとて何も善処する気のない風太郎の視界の端にもう一人歩いてくる姿が映った。
五月からすでに話には聞いている。今日は元々、母と一緒に祭りに行く予定だったらしい。
目線をわずかに向けて見れば案の定、零奈であった。
軽く会釈をした。
「どうも」
「昨日ぶりですね。風太郎君」
「お加減はもう大丈夫ですか?」
「何のことでしょう?」
「いえ、昨日はお宅にお邪魔した時やけに様子がおかしかったので」
「……! その節は失礼しました。今日は大丈夫です。四葉の番ではありませんから」
「……? そうですか」
昨日のことと言った時、零奈はその鉄仮面を一瞬崩しかけたが、すぐに元に戻った。
勉強中に一度、四葉に母親は体調でも悪いのかと聞いたが「そんなことはない」と即答された。
ならばあの挙動不審ぶりは何だったのだろうと思ったが、その時話していた話題も思い出してみれば実の娘が年頃の男子に告白をしたという風太郎にとってもセンシティブな話題だ。平静でいられる方がおかしいのかもしれない。
内心で疑問に対して自己完結させると、らいはへと目を向けた。零奈とらいはは初対面のはずだ。挨拶をさせたい。
「らいは、お前も挨拶しなさ──らいは?」
「うわぁ……!」
らいはは両手を胸の前に持ってくると組んで、呆ける様な顔で零奈を見上げていた。
まるで祈りをするようなポーズには五月ですら疑問気な表情を浮かべていたが、らいはから熱烈な視線を送られている当人の零奈はそのまなざしを慣れているかのように受け流していた。
「初めまして、らいはちゃん。あなたのこともお父さんからよく聞いてますよ」
「は、初めまして……あの」
「はい?」
「すっごいお綺麗ですね!」
「ありがとうございます」
零奈は薄く微笑んで言った。
目の前で綺麗と褒められれば大抵の人間は照れるか謙遜するであろうはずなのに、そのどちらでもなく素直に受け取るあたり言われ慣れているのかもしれない。
零奈の基本的に崩れることのない顔面に少々の親近感が沸いていた風太郎だったが、あまりの自己肯定感の高さの違いに置いて行かれた気分になった。
(どういう人生送ったらこんな風に自信に満ちた人間になれるんだか……)
予定していたメンツが揃った後、一同は祭り会場へと移動した。
商店街通りは横に広く、そして果てしないとさえ言えるほどに縦に長い道が続いている。そしてその道を覆いつくすように左右に出店と、間には人々が絶え間なく往来を繰り返していた。
やはりかなりの人混みであった。
人と人の間には多少のスペースが確保できるぐらいには余裕があるものの、花火が撃ちあがる前からこれならば、始まった時には身動きが取れないかもしれない。
「らいはちゃん、迷子にならないように気を付けてくださいね」
「はい!」
らいはの傍には常に零奈が控えてくれていた。五月からも目を離さないように気を付けているようだが、やはり先生だからというのもあるのだろうか小さい子を優先しての気配りをしていた。
次に五月へと目をやった。すでに手には既にアメリカンドッグが握られており、何口か齧った後のようだ。
もぐもぐと咀嚼で口を動かしながらこちらへ歩いてくる。
「あなたも何か買ったらどうですか。今日のお給料はここで使うと決めたのでしょう」
「俺はいい。使わずに済むならそれに越したことはない。ここに来たのはらいはが来たがったからだ」
「本当に空気を読まないというか、せっかくお祭りに来たのですから楽しんだらいいじゃないですか」
「俺には俺なりの楽しみ方があるんだよ。邪魔しないでくれ」
「まったく楽しんでいるように見えないから言ってるんです! まったく、せっかくの日だというのに」
「なら俺たちがついてくるのを断ればよかっただろ」
「できません! 一緒に行きたいとお願いしてきたらいはちゃんが可愛すぎます!」
「わかる!」
そうなのである。らいはは可愛いのである。
珍しく五月に一言で論破されてしまった風太郎はそれ以上は言い返せなくなり、代わりに溜めていた息を一つ吐いた。
「……ハァ、悪かったな。俺は適当にしてるから、らいはを楽しませてやってくれ」
「…………」
ぶっきらぼうに言い放つ風太郎。
対して五月は、言った後それっきりで視線を逸らしたままの風太郎を見つめていた。
そしてそれもつかの間、気づけば最後の一口となっていたアメリカンドッグを口へ入れると残った串を近くのごみ箱に近寄り捨てた。
戻ってくると完食して空いた手を風太郎に差し出してきた。
何の手かと、じっと見つめる。
「ほら、早く行きますよ。お母さんたちに置いて行かれてしまいます」
「この手はなんだよ」
「あなたは目を離すとすぐにはぐれて一人になってしまいそうですからね。繋いであげます」
「──」
手を見つめていた目を五月へと向けると、五月は顔を逸らした。
「あんまり見ないでください……それと勘違いもしないでください。あなたがつまらなさそうにしていたら、らいはちゃんが楽しみ切れないと思ったからです。だから、あなたもちゃんと楽しんでください」
「……わかったよ」
風太郎は五月の手を掴んで立ち上がると、祭りの喧騒の中へと身を投じて言ったのであった。
それからしばらくは四人で祭り会場を練り歩いた。
とっくに五月とは繋いでいた手は放している。
意外だったのは零奈がらいはにぴったりとくっついたままで、風太郎と五月がその後に続くような形が続いたことであった。
歩きながら五月を見ると、つまらなさそうにしているわけでもなく、むしろ薄く笑みさえ浮かべながららいはと零奈を眺めていた。
「いいのかよ、母親取られちまって」
「小さい女の子を相手に嫉妬するほど子供ではありませんよ。むしろ、あんな風に楽しそうにしているお母さんを見れて嬉しいくらいです」
「どういうことだ?」
「昼間話したことをもう忘れたのですか?」
「……お前の家庭事情の話か」
「はい。実父がいなくなってから再婚するまで私達は母子家庭でした。お金に余裕なんてありませんでしたから、ああやって小さい子を甘やかしてあげるのはお母さんの夢だったのかもしれません」
話を聞いてからもう一度零奈を見た。
風太郎の目から見た零奈は楽しそうかどうかはあまりわからなかったが、五月に言われてみれば確かに表情が優しくなっているようにも見えるかもしれない。
だがやはり感情を読み取りづらいと思うと、これは家族でしかわからないことなんだろうと結論付けた。
「お前はいいのか?」
「何がでしょうか」
「俺と二人で歩いていてだよ。俺とは他人なんだろ」
「……あなた、もしかして友達少ないのではないですか?」
「ああ?」
風太郎の顔が引きつった。こっちは一応心配して聞いているというのに、そんな失礼な質問を返されるとは思ってもいなかったからだ。
五月が零奈たちから目を離し、こちらを見てくる。
「先ほどお話したあなたへの評価はあくまで今のものです。ですが人への評価なんて変わります」
それに、と五月は続ける。
「お忘れじゃないですよね。私だって五年前のことは見ていたのですよ?」
「なっ、四葉以外のやつらは忘れてたんじゃ──」
「ええ忘れていましたとも。でも四葉のおかげで思い出せました」
そう話す五月は、古い記憶を取り出そうと少し上を向いた。
「あの思い出は確かに悪いものではありませんでした。それにあなたがどういう人なのかも一緒に思い出せました」
「その上で俺の評価は他人か」
「あなたが昔と比べて変わっていないという保証がありませんし、当時と比べるとあなたは些か……」
「なんだよ。昔の方がやんちゃだっただろ」
「そうですが、昔の方が紳士でした。お昼にも言いましたが私は高校で初めて会った日のあなたの失言を忘れていませんよ」
「根に持ちすぎだろ……」
「それ! そういうところです! 私だって普通は失言一つでここまで引きずりませんよ! だけどそれからというものあなたのノンデリカシーさがあまりにも目につくものだから──」
『大変長らくお待たせいたしました。まもなく開始いたします』
風太郎の再びの失言によって、キッと表情を鋭くして詰め寄ってきた五月であったが、その言葉は途中で会場全体へ響き渡るアナウンスの声でかき消された。
同時にアナウンスがされるや否や、これまで入り乱れていた人の流れが一方向へと急に変わり風太郎と五月はその人の濁流に押される形となった。
「いけません、お母さんたちと離れてしまいます!」
五月が慌てて人混みをかき分けようとするが努力空しく一向に思い通りの方向へ進むことはできなかった。
すでに風太郎も零奈とらいはを見失っている。ならば、と──
「掴んでろ」
「────」
五月の手を掴んでこちらに引き寄せた。
引き寄せたからと言って濁流がどうなるわけでもない。
次から次へと押し寄せる人々を前にしてはその場に留まり続けることすら難しく、二人は流れのままに歩を進めた。
ただ、これ以上ははぐれまいと風太郎は無意識に五月の肩を掴んでおり、密着するほどに抱きかかえていた。
そのことに風太郎本人は気づくこともなくしばらく流れに身を任せていると、ようやく人混みにも隙間ができ始め立ち止まることができた。
「やっと収まったみたいだな……」
空いている手の方で人に揉まれているうちにじっとりと湿っていた額をぬぐった。
何とか五月とははぐれずに済んだ、と内心では胸を撫で下ろしていた。
風太郎の予想ではおそらく零奈とらいはは一緒だろう。ならば五月と自分で、互いに連絡先を知っている方へ電話をすれば合流も容易いというのが考えだった。
「あの」
その時、蚊の鳴くような音ほどの小さな五月の声が聞こえた。
声がした方へ目をやり、ようやく気付いた。
「すまん!」
密着状態から慌てて飛びのいた風太郎であったが、時すでに遅し。
五月の表情はりんご飴のように赤くなったまま、手もモジモジとさせてその場で硬直していた。
まずい、というのが風太郎の真っ先に思いついた言葉であった。
赤の他人と思われている自分が下手な接触をしてしまった。もしも五月の逆鱗に触れていれば喧嘩となってらいは達と合流どころではなくなる。
だから風太郎は必死に言葉を探した。
とにかく目の前で『おそらく怒りに震えているのであろう』五月に対してどのような言葉を言うべきか。
五月も何も言わない。
気まずい、けれど風太郎にとってはそれどころではなく頭の中では半分パニック状態の沈黙が続いた後、思いついた言葉を言った。
「 」
けれどその言葉は、風太郎自身ですら聞こえないほど大きな、空に大輪を咲かせた打ち上げ花火の音によってかき消された。
その代わりに二人の耳に届いたのは心臓すら揺らすほどの激しい破裂音。
風太郎と五月、二人の肩が跳ねあがった。
思わず空を見上げた。
既に咲いた花火の閃光は曲線を描き終え、光の残像が消えようとしていた。
「……っくりしたぁ。もう始まっちまったのか。五月、とにかく話は後だ。今はお前の母親に連絡を────五月?」
風太郎が話をしている途中で五月の様子がおかしいことに気が付いた。
両手を前に持ってきている姿勢は変わらないが、目線が下を向いている。
顔が影になって見えないほどで一体どうしたのかと思った矢先、すぐさま気が付いた。
「まさか」
「フータロー君、こっち来て」
そう言って五月? は風太郎を聞きなれない呼び方で呼んでから、今度は彼女の方から風太郎の手を掴むと脇道へと入った。
大通りではなくビルの隙間の裏通りに入ると流石に人の姿も無く、祭りの喧騒から外れた気がした。
裏通りの少し奥まで入ったところで彼女は手を放すと風太郎を壁へと追いやった。
なすがままにされた風太郎だったが、自分自身確認したいことがあったため素直に従った。その確認したいことを、口にする。
「お前、入れ替わったな……?」
「ピンポーン。そうだよー」
「二乃でも、四葉でもないな……誰だ……?」
「ねえフータロー君。教えてあげてもいいんだけど、私からも一つお願いがあるんだぁ」
「……?」
「私と、キスしようよ」