五つ子ミルフィーユ   作:真樹

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62_私らしく

 零奈が倒れる現場を目撃した二乃によって救急車はすぐに呼ばれた。

 到着した救急隊員に誰が同乗するのかと確認された時、本来であれば親族である二乃だけが乗るはずなのだが、二乃に一緒に来てほしいと言われてしまった。

 ある程度予想はできていたが、搬送先はマルオが務める総合病院で、担当もマルオがすることとなった。

 病院に到着して救急外来室まで来てしまうと、処置の間はただひたすらに容態の心配をすることしかできなかった二乃と風太郎だったが、しばらくしてマルオが出てきた。

 零奈を一般の病室へ移すとのことらしい。話の最中、マルオの後ろを病服に着替えさせられ、キャスター付きのベッドに乗せられた零奈が通り過ぎていった。

 マルオも交えた三人はベッドを移動させる看護師の後に続きながら、簡単に状況の説明をしてくれるという。

 

「命に別状はなかったよ。脈が乱れていたり気になるところはあるが、恐らく過労だろう」

「過労……やっぱり、無理してたんじゃない……!」

 

 思い至るところがあるのか、歩きながら二乃はギュッと自分のスカートを握りしめた。

 

「すまない」

 

 二乃に対して、マルオもわずかに表情を曇らせて短く言った。

 

「僕が傍にいながら気づいてあげられなかった」

「……!」

「だからすまなかった」

 

 二度目の謝罪の言葉は一度目よりも深く、足は止めないものの軽く頭も下げていた。

 日頃、傲岸不遜が服を着て歩いているかのようなこの男にしては珍しくしおらしい振る舞いをするものだと風太郎などは思ったのだが、二乃からすればどうやら神経を逆撫でる発言だったらしく。

 

「傍にって……家になんて全然いなかったじゃない! パパが普段から帰ってきてくれてれば、こんなことにならなかったわ!」

「…………」

「落ち着け。病院だぞ……」

「フー君は黙ってて!」

 

 見かねて横から口を挟んでくる風太郎さえ、二乃は激しく拒絶した。ただ、その声には潤んだ瞳に溜まるそれと同様のものが震えながら含まれていた。

 その透明なものの存在には二乃自身も気付いてはいないようで、しかし彼女と相対しているマルオからはそれが見えていたからか、マルオはそれにいち早く気付き何も言い返さなかったのだろうと風太郎も理解が及んだ。

 そのすぐ後、二乃も言ってから多少頭が冷えたようで、荒い息は徐々に収まってくると俯き、ぼそりと言った。

 

「……ごめんなさい」

「……構わないよ」

「お母さんを、お願い」

「ああ。もう大丈夫だと思うが、まだ少しだけ診る必要があるからね。外で待っていなさい」

 

 ちょうど話が終わる頃、先を行く零奈を乗せたが廊下沿いの一室に運び込まれる。

 マルオは二乃から目を離すと、白衣を翻して病室の扉を開けて中に入っていった。

 扉が閉じられる直前、隙間から見えた病室内は部分的だったが、普通の入院患者の部屋であれば見ないような物々しい電子機器の数々が並んでいるように見えた。

 二人だけがその場に残されると、廊下はばかに静かだった。消灯にはまだ早いこの時間だと廊下の照明もまだ点いており、青白い光が煌々と壁を照らすだけの空間は息をひそめれば蛍光灯の小さなジーッという音さえ聞こえそうに思えた。

 その中で、二乃はよろよろと病室の扉の目の前にある壁に背中をつけると、そのまま背中を引きずりながら腰を落としていく。

 二乃は手で顔を覆った。

 表情が見えなかったが、何を考えているのかは分かる気がした。

 

「お前のせいじゃねえからな」

「…………」

「お前らが表に出てこなかった時、お前のお袋さんが一花に言ったことがあるんだ。例え自分の身に何かあっても、それは自分の不注意が招いた結果だって」

「…………大丈夫。自分のことを責めたりなんてしないわ」

「なら────」

「でも、お母さんが頑張ってくれたのは私達の”ため”でしょ?」

「それは……」

「私がもっとしっかりしていればって……それぐらいの反省させてよ」

 

 存外、二乃の声はしっかりとしたものだった。

 以前に彼女達の祖父が倒れた時の一花は相当取り乱したものだから、同じ展開になるかと覚悟したものの杞憂だったらしい。

 だから風太郎もそれ以上の言葉をかけることはやめると、腕を組んで二乃の隣に並び、壁に背中を預けた。

 一つだけ、今の状況になって気になったことだけを確認する。

 

「入れ替わり、大丈夫そうか?」

「多分」

 

 待っている間の会話はそれだけ。

 かなりショッキングな出来事を体験したはずなのだが、意外と二乃の入れ替わりに対する耐性は高いのかもしれない。

 それから時間にして十分ほどだろうか。時計の無いこの場所では正確な時間は分からないが、そのくらいの時間が経過した頃になると病室の扉が向こう側から開いた。

 顔を覗かせたマルオが短く言う。

 

「入りなさい」

 

 病室内に入ると、最初に二人を出迎えたのは心電図の電子音と、酸素マスクを通した大きな呼吸音だった。

 

「…………!」

 

 風太郎は背筋が寒くなる感覚を覚えた。

 忘れたわけではないが、遠い昔のものとして記憶の片隅に保存されていの記憶が引っ張り出される。

 零奈ではなく、風太郎の母がもう何年も前に事故によって病院に運ばれた時の────

 

「二人とも来てくれていたのですね。心配をおかけしてしまいすみません」

「お母さん起きてるの!?」

 

 風太郎の思考はベッドの方からした零奈の声によって遮られた。

 零奈はベッドの上で体を起こしていた。顔にはプラスチックのマスクが嵌められており、病服の隙間からは何本もの管が服の中に潜り込んでいるその姿は痛々しかったが、顔色は悪くない。

 弾かれるようにベッド脇に駆け寄る二乃。

 膝が汚れることも厭わず床に座り込み顔を覗き込む二乃の頭を、零奈は点滴が刺さった腕だから慎重に、しかししっかりとした動きで撫でる。

 

「少し居眠りをしてしまったみたいですね。これではうちのクラスの子に怒れません」

「笑えないわよ!」

 

 そう応える二乃の目からは、今度こそ溜まっていた涙が零れ落ちた。

 潤んだ瞳は先ほども見たが、泣くことさえできないほど緊張していたらしい。

 そんな二乃の目尻を優しく零奈は指でなぞると、少しだけ眉を下げて話し始める。

 

「実は今日、学校で聞いてしまったのです」

「え?」

「あなたが学校で、大変な目に合っていると」

「…………! 待ってそれは隠してたんじゃなくて────」

「分かっています。私に心配をかけさせたくなかったのですよね。あなたは優しい子ですから」

 

 いえ、と零奈は首を振る。

 

「”あなた達は”が正しいですか。誰も相談してこないのですから、本当に、うちの子たちは優しくて、強い子ばかりですね」

「怒らないの?」

「怒りません。ちゃんと考えて決めたことなのでしょう?」

「でも、そのせいでお母さんを嫌な気分にさせちゃった。せっかくの学園祭、お母さんだって楽しみにしてたのに」

「誰もあなたのせいだなんて思っていません。インターネットの噂なんて若い子が一番詳しいもの、予想できておくべきことでした。こうなったのは教師でありながらそれに考えが至らず、想像できたはずの話に驚いてしまった私のミスです」

 

 そういえば以前、二乃達の祖父が倒れた時も自分の不用意な発言が招いたのだと風太郎は思い出した。

 祖父と比べると零奈は若く、体力もあるのだろうからちょっと驚いた程度でこんなことにはならなかったのだろうが、日々の疲労が蓄積されている中での出来事だったせいで予期しないトリガーとなってしまったのだろう。

 二乃達の多重人格も、驚きが入れ替わりのきっかけの一つであるのは案外、遺伝でもあるのかもしれない。

 

「もしも私に何かあった時、それはあなたのせいではないという話は以前一花にもしましたが、あなたは見えていない時期でしたね」

「……それならさっき、フー君から教えてもらった」

 

 ようやく落ち着いて来た二乃からそう言われ、零奈は目を丸くした。

 

「そうですか」

 

 零奈は風太郎を見た。その関心するような眼差しに風太郎は妙に気恥ずかしくなり、なんて反応したらいいか分からず、困った顔をした。

 病室内にわずかだが穏やかな空気が漂い始める。

 その空気を敏感に察知してか、まるで退散するように。

 

「後は任せてもよさそうだね」

 

 とマルオが二乃の背中に向けて言った。

 続けて零奈に向け。

 

「僕は一度戻ります。何かあれば、どんな些細なことでも構いませんので看護師を呼んでください」

「あなたにもご迷惑をおかけしましたね、マルオさん」

「これが僕の仕事ですから。それでは」

 

 零奈に一礼すると、マルオは病室から出て行った。

 扉が閉まってからすぐ。

 

「……ごめん」

「二乃?」

「ちょっと私も外す」

「どちらへ?」

「すぐ戻るから」

 

 零奈と風太郎の答えを待つことなく二乃も病室の扉を開けて廊下に出ると、左右を見回してから視界の隅に消えて行った。

 

(なんだ、あいつ?)

 

 二乃の行動に予測が付かなかった風太郎であったが、それよりも今この部屋には零奈と二人きりだということに理解が追い付いた。

 顔を合わせて見ると残された者同士として、曖昧な笑みを返してきた。

 居心地は悪かったが、この状況で二乃に黙って帰るわけにもいかず、やむなくベッドわきの丸椅子に腰を落とす。

 

「やはり、あなたにあの子たちの先生になってもらうことを選んだのは、正しい選択だったようですね」

「……急になんですか」

「さっき、私があの子に言おうとしたことを取られてしまいましたから」

 

 一花にした話を二乃にもしようとしたら、風太郎に取られていたという話のことだろうか。

 

「意外と風太郎君は、本当に先生の素質があるのかもしれませんね」

「勘弁してください」

「先生になるのは嫌ですか?」

「……家庭教師をやってみて、世の中には想像を絶する馬鹿がいるのだと思い知らされました。中には反抗する生徒も出てきて、そんな時も逃げ出さず向き合い続けなければいけない……マジで大変で俺はもうこりごりです。教師なんて絶対になるもんじゃない」

「あら、言いますね。私だって教師なのに」

 

 その口ぶりとは裏腹に、ころころと笑みを零奈は溢した。

 口元を隠そうしてマスクに手が当たる。その様子に現実に引き戻される気がしたが、それ以上に零奈も大分回復しているのだろうと思えた。

 だから風太郎も普段の調子が戻ってきて……自分の失言に顔をそむけた。

 

「あ、いや、今の言葉のあやで……」

「別に怒っていませんよ。それに教師が大変なのも事実ですから」

「…………」

 

 あるあるのように言う口ぶりに共感というか、妙に親近感が湧いてしまい逆に笑えなかった。

 

「先生にならないとしたら──」

「はい?」

「あなたは卒業したらどうするのですか?」

「何ですか急に」

「少し気になったもので」

「……就職のことまではまだ。とにかく良い給料をもらえるところを目指すつもりです。そのためにも今は自分の精いっぱいで行けるところへ進学するつもりです……もしかしたらこの街を離れるかも」

 

 曖昧な言い方をした。実際はもっと具体的に、東京の大学を狙いとして定めていた。

 大分前に出した進路希望調査にもそう書いた。だから風太郎の手元に少し前に帰って来た全国模試の結果と、それに伴う志望校の合格判定はその大学を基準にしたものが記載されていた。

 ただ、それを正直に言わなかったことにはもちろん理由があって。

 

「かも、とは曖昧な言い方をしますね。今の時期なら志望校は決まっているのではないですか?」

「……こういう話で教師を誤魔化すのはやはり難しいですか」

「誤魔化そうとしたのは、あの子のことを気にかけてくれているからですね?」

「それは……」

 

 今日何度目かの零奈への反応に困る瞬間だった。

 ただ今回は違う。恥ずかしさやそういった類のものではなく、もっと別の意味で言うべきか迷ったのである。

 この先二乃達は、進んだ先の進路で上手くやっていけるのかという不安。それを彼女の母親の前で口にしていいのかとという迷い。

 

「賢い子ですね。家族でもないのに、あの子が大人になった時のことまで考えてくれているだなんて」

「…………」

「あなたと同じ不安をあの子達も抱えています」

「あいつらが……?」

「意外そうですね。何ですかその目は。まるでうちの子が考えなしみたいな」

「いや馬鹿なのは事実でしょう」

「今日はあなたにもご迷惑をおかけしましたから見逃していますが、仏の顔も、というやつですよ?」

 

 穏やかな笑みはそのまま、拳を見せてくる零奈。

 はた目で分かるほど青筋が浮いており……というか点滴刺さってる手で力まないでくれ針が折れそうで怖い。

 

「調子に乗りました」

「……話が逸れましたね。こんなことを話しているのも、あなたにあの子達のことをお願いしたいからです」

 

 直近の出来事もあるせいで”どちらの意味”か計りかねる風太郎。

 

「もちろん家庭教師としてです。進路選択だって業務範囲の一つだと思いますが」

「選んだ進路に進めるようサポートするならともかく、進路選択そのものに口出しをするのはグレーな気がしますがね」

「口出しというか、もしあの子が相談してくるようなことがあれば、話を聞いてあげてほしいのです。同じ年頃だからこそ見えるものもあると思うので」

「あいつって今は近所の私大を受けるって話でしたよね? 今更相談も何も────」

「ですから”もしも”と言っているのです。親として、あの子が安心できるようにできることをしてあげたいと思っているだけです」

「うちの親とは大違いだ」

「あら、上杉君だって卒業の前の頃はあなたのお母さんを養っていくために必死に……」

 

 言いかけ、はっとして零奈は言葉をつぐんだ。

 代わりに。

 

「すみません」

「昔のことです。気にしないでください」

 

 零奈が風太郎の母が事故で他界していることを知らないわけがない。

 あの頃から風太郎含む上杉家の極貧生活は始まり、それは今も尾を引いているわけだが、そのことに関して今更恨めしい気持ちなど持っていなかった。

 顔を上げると零奈は、話を無理やり引き戻すように。

 

「とにかく、これからも家庭教師として風太郎君があの子達に寄り添ってくれることを期待しています」

「勿論です」

「まあ、もしくは」

「……?」

「家庭教師以外の意味で、でも私は構わないのですが」

 

 つまり、変な意味でというやつだろうか。

 

「言ってて恥ずかしくならないんですか……」

「女は強いのですよ。もしくは、年のおかげで恥も無くなってきているからかもしれませんが」

 

(初めて会った頃は娘と家で二人きりにさせるだけでも焦っていたのによく言うぜ……)

 

 内心で思うだけに留めると、ちょうどそのタイミングで扉が開く音がした。

 零奈は平気かもしれないがこっちはこっぱずかしいのを耐えて相手をしていたところのそれだから、肩を跳ね上がらせて振り返ると二乃が返ってくるところだった。

 

「ただいま」

「どこ行ってたんだよ」

「ちょっとね……あのね、お母さん」

「はい?」

「話があるの」

 

 

 

 

 

 話は少しだけ遡る。

 風太郎と零奈を置いて病院の廊下へ飛び出した二乃は、左右を見回すと少し遠くにマルオの背中を見つけた。

 その後を追って駆け出して近くまで寄ると、足音に気が付いたのかマルオもこちらへ振り向いた。

 

「どうしたんだい? 廊下を走ってはいけないよ」

「一つ確認させて、パパ」

「なんだい?」

「明日はパパも学園祭、来るはずだったわよね?」

 

 質問にマルオは、小さく吐息を漏らした。

 

「すまないが今となっては難しいだろう。零奈さんを診なければいけないからね」

「やっぱりそうよね……」

「ずいぶんと残念そうだね。二乃君のことだから僕は来ない方が嬉しいんじゃないかい?」

「本当にそうだと思う?」

「どういうことだい?」

 

 二乃はマルオの目を見た。

 これから言おうとしていることを思うと、冗談のように恥ずかしい。

 風太郎に告白した時と比べたってどっちのほうが恥ずかしいかと聞かれれば、本心がバレていない分こちらのほうが勝ってしまうかもしれないほどだった。

 

「私、パパのことずっと避けてたわよね」

「そうだね」

「でも一花ほどじゃなかった」

 

 一花はマルオのことを尋常ではない程に嫌悪していた。

 今の心を入れ替えた一花は多少態度を改めているが、それでもマルオに打ち解けるには時間がまだまだかかりそうで、それと比べれば二乃のマルオに対する当たり方というのは客観的な言い方をするとかわいいものだった。

 一花がマルオを嫌っている理由は以前に何度も本人が口にしていた。

 自分の父親は一人だと。新しい父親が入ってくる余地などないのだと、マルオのことなど見もしないで拒絶し続けていた。

 

「私の場合はね……ただ、一花や他の子達の味方をしてただけなの。昔の私は一花から分かれて生まれたばかりで、自分が誰なのか自分でも自信を持てなかったから」

 

 一花から生まれた四人の人格に名前が付けられたのは、当然ながら表面に出て来た順番が大いに影響を受けている。

 二乃から五月まで、数字の順番の通り表に出るようになって、その順番の通りに名付けられたわけだが、それは裏を返せば当時まだ名前がなかった五月が表に出てくるまでは名づけられていなかったのである。

 五人も人格があるのなら、名前をつけないと区別ができないからと。

 名前が付けられるまで一花から四葉まで、一様に一花と呼ばれていた。

 その区別の無さは大なり小なり自他ともに混乱を生んだのだが、特に振り回されたのが二乃だった。

 

「昔の私は自分が何なのかよく分からなくって、一花と自分の境界線だって見えてなかったの。だから一花が嫌いなら私も嫌い、そんな単純な理由だったわ」

「今は違うと?」

「もちろん、私は二乃よ。一花じゃない。でもそう思えるようになったのは段々で、だからかしら、パパを見る目も変わっていったわ」

「……」

「初めはお父さんを失ったお母さんに近寄る虫だと思ってた。障害を持つようになっちゃった私達なんてどうせ邪魔にでも思ってるんだろうって勝手に思ってた」

 

 けれど違った。

 

「だけどお父さんを亡くしたばっかりで、私達までこんな体になっちゃって落ち込んでるお母さんがどれだけ落ち込んでも見捨てずにいてくれたパパを……どれだけ一花に拒絶されたって父親として認めてもらおうと不器用でも向き合ってくれたパパを見ていたら……そんな流されて持っただけの偏見なんて、どこかに行っちゃったわ」

 

 二乃も裏で見ていたから知っている。

 マルオという父親は、去年の花火大会の時、一花が抜け出して事務所の仕事をしに行った時だって迎えに来てくれた。

 多忙なはずのマルオが、である。

 

「一花より一足先に認めるわ。あなたは娘のことだってちゃんと見てくれる、私達のお父さんよ」

「二乃君……」

「そのお父さんなら分かるでしょ。本当は明日、お母さんを置いてでも学園祭に来るべきだってこと」

「……責任感の強い零奈さんのことだ。僕が行かなければ、自己管理ができていなかったと自分を責めてしまうだろうね」

 

 やっぱり分かっていたのね、と二乃は内心で期待通りの答えに満足した。

 

「なら──」

「だが、それでも行くわけにはいかないよ。僕は医者だからね。見るべき患者を放置して私用を優先することなどあってはならない」

「…………そうだけど」

 

 一つ、マルオはあえて言わないでいることがあることを、二乃も理解していた。

 零奈の容態は今となってはもう、マルオがつきっきりで見る必要があるほど重症ではないということだ。

 それを伏せてでも病院に残るという選択をするのは、医者として最善を尽くしたいからか、それとも二乃達と零奈を天秤の両皿に乗せたら零奈に傾いてしまうほど溺愛しているからか、そこまでは判断が付かなかった。

 零奈がこうなった原因の一旦に二乃達も関与している以上、それ以上食い下がることもできなかった。

 だけど。

 

「招待状、まだ見てないわよね?」

「明日行く予定だったからね。当日に零奈さんと一緒と連れ立って入るつもりだったよ」

「これ」

 

 二乃は懐から一通の封筒を取り出した。

 先ほど、零奈の病室に入った時に、零奈の鞄から拝借したものだ。

 シーリングスタンプ模様のシールの封を開けると、日数分の入場チケットと、二通の便箋が入っていた。

 旭高校の学園祭の招待状は手紙も送れるのだ。

 封筒の中から一枚のチケットと、一通の便箋を取り出すとマルオへ差し出した。

 

「手紙はお父さん宛だから……私と、お母さんの気持ちを考えるなら、来てね……」

「…………」

 

 出されたそれらをマルオはしばらく凝視した。

 それから二乃には変化がわからなかったが、マルオは素直に受け取ると。

 

「考えておこう。ただし、約束はできないからね」

「……うん……!」

 

 マルオが明日、来てくれるかどうかは分からない。それでも二乃にとっては十分な手応えだった。

 受け取ったそれをマルオは白衣のポケットにしまうと、止めていた足を歩き出そうとした。

 その背中に、最後に。

 

「後なんだけどね、お父さん」

「まだ何かあるのかい?」

「私を呼ぶ時、君付けはやめて。ムズムズするから……これも、ずっと言えなかったことだから」

「……考えておくよ」

「それくらい即答でもいいじゃない!」

 

 返事はなかった。

 ただ、この場で二乃の呼び方を改めないメリットなど何もないのに、そうしないのがマルオなりの精いっぱいの娘に対する気さくな冗談のように思えた。

 だからおかしくて、少しだけ笑ってしまった。

 歩き去って行く背中が、どこかついさっきまでとは違うように二乃には見えた。

 

「……まったく、もう」

 

 

 

 

 

 病室に戻って来るなり、いきなり話があると言い出した二乃。

 部屋を出て行く前だって急であったし何かと風太郎と零奈の視線が集中する中、動じる様子もなく、二乃。

 

「私ね、フー君のことが、彼のことが好きなの」

「────二乃……!?」

 

 急な宣言には知っているはずの風太郎さえ目を剥いた。

 零奈も表情こそ動かないものの固まっている。

 その中でただ一人、二乃だけが変わらぬ口調で続ける。

 

「もう告白だって済ませてるわ。今は返事待ち」

「二乃さん!? それ今する話ですかね!?」

 

 動揺のあまりガラにもない口調で静止をかける風太郎。

 だが、そんな軟弱なブレーキでは止まる気配もまるでなく。

 

「お母さん……お母さんをそんなになるまでさせちゃったのは、私が娘として不甲斐なかったからよね?」

「そんなことは────」

「違うって言ったって無駄。私自身が一番よく分かってるもの」

「なら私に聞いた意味は……?」

 

 真顔で問い返す零奈を無視して二乃。

 

「私だって自分の将来のこととか、色々決めていかないといけないわ……それでも今、この場でお母さんを少しでも安心させられることがあるとするなら」

 

 二乃は風太郎を見た。

 この場で自分に振られる話があるのかと、風太郎は背筋を伸ばす。

 

「ごめんフー君、これから迷惑かけるわ」

「……嫌な宣言だな」

「今日、教室で聞かせてくれようとした返事、ここで聞かせて」

「お前……!」

 

 正気か、と問いかける目を向けた。

 二乃はそれを跳ね返すかのように受け止め、見つめ返した。

 この場で答えを求める理由は二乃が前もって言ってくれているから、いくら風太郎でもわかる。

 だから、二乃の覚悟が心の芯から決まっている様子に風太郎も納得し、同時に一つの理解が及んだ。

 自分の答えなど、二乃はとうに知っているのだろうと。

 ならば第三者がいるここで話すことは恥ずかしいが、後回しにする必要もないかと、半ばあきらめて、半ばここが最適解なのかもと自分を納得させた。

 はぁ、と一つ息を吐いてから。

 

「……何だか変なことになったな。それに俺は進路でこそお前らには不安を覚えているが、それ以外でお前らが他の一般人たちに劣っているだなんて一ミリも思っちゃいねえ」

「フー君……」

「だから本当は、こんな俺でもとか、お前の横に並べる様な男になるとか、そんなことを言おうと思ってた」

思ってた?」

「ああ。二乃。お前に伝えるならもっと言い方ってもんがあるよな。お前がお前らしく、真っすぐに伝えて来たなら俺もその覚悟に応えるべきだ」

 

 もう一度、息を吸った。

 

 

「好きだ。お前らのことが」

 

 

 正面に見据えていた二乃も、溢れるほどの笑みで返した。

 くるりと半歩、零奈へと向くと。

 

「お母さん。私ね、きっとこれからも大変なこといっぱいあると思うの。それでも今、好きな人が、私を好きだっていてくれる人ができたの。私、ちゃんと前に進めてると思ってる」

「……二乃」

「だから心配しないで。あんな噂の一つや二つ、自分の力でなんとかしてみせるから」

 

 零奈はすぐには反応しなかった。

 言葉を噛み締めるように、目を閉じながら顎を少しだけ上げ天井を向くとしばらくそのままでいた。

 

「大きくなったのですね、二乃は」

「私だけじゃないわ。他の子達だってきっとそうよ」

「お父さん……仁之助さんの事故以来、いつまでも駄々をこねる一花を見ていた時は、私が何とかしてあげないといけないと思っていました」

「きっと一花、今頃裏で複雑な顔をしてるでしょうね」

「かもしれませんね」

 

 零奈は微笑を浮かべた。

 

「だけど、その一花が心を入れ替えてくれた時、ようやくあなた達の中で止まっていた時計の針が動き出したような気がしたのです」

 

 瞼を開け、天井を見つめる零奈の瞳には天井ではなく、もっと別の何かが見えているようだった。

 その優しくも懐かし気な表情は恐らく、今も脳裏で思い出している昔のことを見ているようで。

 

「多重人格となった時、小学生の姿で止まってしまったあなた達の成長がついこの間ようやくまた始まった気がしていましたが、それはどうやら私の錯覚でしかなかったようですね」

 

 その零奈の中でだけ見えている幻影と重ねるように、現実の二乃を見た。

 

「子供の成長というのは早いものですね」

「……学園祭は後二日。ちゃんとやり切るから……”お父さん”がもしいいって行ってくれたら、また来てね」

「二乃……あなた、今────」

「フー君」

 

 まだ話の途中のように見えたが、二乃は風太郎へと向いた。

 

「結局、私があんたから一番に返事を聞くことになっちゃったわ」

「お前が言えって言ったからだろ」

「そうね、でも他の子達が納得するかは分からないわ。何しろ初めての告白を裏ごしで聞いたんだもの」

 

 だからね、と続けて二乃。

 

「明日の他の子達のフォロー、お願いね」

 

 と、五月に続き二乃からも他人格のことを任される風太郎であった。

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