いつの間にやら上杉家と中野家の合同で回ることになってしまった学園祭巡りは、いざ始まってみれば忙しなくも笑いの絶えない時間だった。
「らいはちゃん! あっちにわたあめがありますよ! 次はあれに行きましょう!」
「うん! ……あ、でもお小遣いあんまり持ってきてないから、私は他のにしようかな……」
「なんだらいは。こんな時まで節約なんて水くせえ。今日は好きなだけ食いたいもん食っていいんだぞ」
「親父、それやって後で家計簿を見ながら頭を抱えることになるのらいはなんだぞ」
「買いたい物があるならなんでも仰ってください。今日は私が出しますから。後ついでに私の分も──」
「零奈さんは病み上がりなんですから、不摂生な食事は遠慮してください」
「親父、あれはやめとけ。さっきやったが絶対に裏に支柱か何か支えがある」
「あ? 落とせなかったのか? なんだよだらしねえな。見てろ、一発で仕留めてやるからな」
「男の子ってどうしてあんなに銃とか好きなんだろうねー、らいはちゃん」
「ねー」
「……何故僕を見るんですか、零奈さん。やりませんよ」
「まったく、マルオさんもやりたいなら素直にそういえばいいのに」
「フリじゃなくてですね……!?」
「マルオや零奈先生とこうしてると、昔を思い出しちまうな」
「そういや親父たちは全員同じ高校の生徒と教師だったんだったか」
「私もお母さんたちの昔ってどんなだったかちょっと聞きたいかも」
「……思い出したくもないのだが」
「今と同じですよ。上杉君や下田さん達が何か起こしては中野君が止めに入って、後から到着した私がぶん殴ってました」
「物騒だぁ……」
午前の早いうちから周り始めていたというのに、四葉が何気なく時計を見上げた頃には三時を回ろうとしている頃だった。
一行はまだ決まっていない次のお店に向かっていて、その一歩後ろに四葉も続いていた。
四葉がみんなから遅れているのはなんてことはない、ただ零奈の車椅子を押しているからだ。
だけど皆の背中を眺めることになるその光景が、四葉には妙に眩しく、胸が暖かかくような感覚を覚えた。
「どうしたのですか、四葉」
視線に気が付いた零奈が振り返った。それからすぐ。
「ああ、もしかして車椅子を押すのに疲れてしまいましたか? そうですよね、ずっと付き合わせてしまっていますし……あのマルオさん、いい加減私も歩いてはダメでしょうか?」
「いけません。もしもまた倒れることにでもなってしまえば、避けられた事故を起こすことになってしまいます」
「私のことになるとあなたは本当に過保護なんですから……私のことは私が一番わかっていますし、大丈夫だというのに……」
「うちのじいちゃんも零奈先生と同じようなことよく言うな。それで大体、後で医者にどやされるんだ」
「上杉君まで……!」
いじわるな引き合いの出し方をしてくる勇也を零奈は睨みつけた。
しかし勇也の方はまるで意に返す気配もなければ、他の顔ぶれの中で零奈の味方になる者の気配もなかった。
自分がアウェイであることを理解すると、降参の意を示すように車椅子の背もたれに深く座り直す。
「正直、私だけこの格好というのも恥ずかしいんですよ。上杉君の言う通り、まるでおばあちゃんになっちゃったみたいで、いつかこれが当たり前になるのではないかと、そんな風に思ってしまいました」
「寂しいこと言わないでお母さん」
「でも、悪い気ばかりするわけでもないのですよ。そんな風に思えるのも、四葉、あなた達が大きくなってくれたからです」
「……昨日のこと?」
四葉の呟きに、あの病室に一緒にいた零奈と風太郎だけが反応した。
零奈は静かに頷木、それから膝の上に抱えていた小さなポーチから更に小さな箱を取り出す。
小柄ながらきめ細やかなベロアの生地に覆われた側面から開くタイプの箱は、一見しただけでは指輪入れのようだった。
「少し早いかもしれませんが、昨日の二乃を見たら無性にあなた達に渡したくなったのです」
言いながら、零奈はその箱を開くと中身をが見えるようにして四葉へ差し出した。
隣で見ていたらいはが一足先に「わぁ……」と感嘆の息を漏らした声が聞こえる。
箱の中、ウレタンらしきスポンジが敷き詰められた面の中央には小さな星が二つ輝いていた。
「これ、いつもお母さんが大事にしてるピアス……これを私に? いいの?」
「はい、そのために持ってきたのですから」
箱を開いたまま、そっと差し出されたそれを四葉は箱ごと恐る恐る受け取った。
今一度目を向ければ、本物のダイヤモンドでは無いかもしれないが、透き通るほど透明な水晶体がダイヤカットされている飾りの部分は、太陽の光を反射し白く輝いていた。
その虹彩に見惚れながらも四葉は蓋を閉じると、なくしてはいけないとすぐにスカートのポケットにしまい込んだ。
「早速付けてみたいけど、それなら耳、開けないといけないね」
自分の耳たぶを触りながら四葉は言った。
もらったのはイヤリングではなくピアス、つまり着用するにはピアスホールを開ける必要がある。
日頃そういった女性的なファッションに関するあれこれに疎い四葉であっても、それくらいは当然知っている。というより興味がないことだって、例えばアパレルやコスメの事に関しては二乃が調べている間の光景を見させられるので知りたくなくても知らされていた。
だけど自分が穴を開けるとなると気をつけなければいけないことがある。
そして四葉が抱く程度の懸念などは零奈ももちろん持っていたらしく。
「付けるかどうかも含めて、タイミングはお任せします。穴を開けるとなれば、あなた達のことですから入れ替わってしまうでしょうし」
「……うん、そうする」
四葉は頷いた。
穴は二つ開けなければならない。運よく入れ替わらなかった場合を除いては、交代々々でなければ開けられないだろう。
だから零奈に応えながらも、四葉は穴を開ける時の一つを心の中ですぐに予約した。
「なんだかよく分からねえが、良い話だったってことか?」
「さぁ……?」
「もう、お兄ちゃんもお父さんも空気読んでよ……」
少し離れたところで一部始終が終わるまでの間、距離を空けてくれていたらしい上杉家の面々の声がする。
考えてみれば別に外で渡す必要なかったんじゃないかと零奈に対して疑問を抱いたが、本人も「無性に」などと言っていた辺り勢いだったのかもしれない。
話をひと段落したことだし、改めて移動を始めるかという空気になると、今度はマルオが徐に懐に手を入れた。
取り出したのはスマホでバイブレーションで鳴っているようだった。画面を見るなりマルオは表情を変えず「失礼」とだけ言うと離れていく。
その背中を眺めながらの零奈。
「どうやら今日はここまでのようですね」
恐らく仕事の電話だろうと四葉もすぐに想像がついていた。こういった出来事は日常茶飯事だった。
最近だって珍しく家族三人で外食に出かけた時、急な仕事だからと途中で家まで送り返されたこともあった。
そういうことをしているから一花や二乃から距離を取られているんだぞと、流石の四葉であっても言いたい気分になってしまう。
「すまない、僕は引き上げさせてもらうよ」
「んだよ、仕事か?」
「そうだ」
「では、私も一緒に病院に戻ります」
言い出した零奈に、少し意外そうにマルオは目を開いた。
「いいのですか?」
「もう十分楽しめましたから。学園祭だってもうすぐ終わってしまうでしょうし、潮時でしょう」
時計はさっき見た。こうしている間に三時はもう回っているだろう。
十月の中ごろのこの時期ともなれば空も大分赤みがかっていた。
通りの屋台は今もにぎやかな喧噪で賑わっているが、屋台で店番をしている生徒たちは片付けをしていたり、所々に設置されているゴミ捨て場は空の容器が積み上がっていたりと、至る所で祭りの終わりを思わせる光景が目についた。
引き上げるにはいい頃合いかもしれない。
「親父たちはどうするんだ?」
「俺らはどっちでもいいが……」
「私ももういいかな。おなかいっぱいだし、あ、四葉さんのお母さん! ごちそうさまでした!」
ぺこりと下げたらいはの頭に、零奈も「どういたしまして」と笑顔で応じた。
自然と解散をする流れになった中で、話の区切りを待っていたのだろう。一番にマルオが踵を返した。
「それでは行きましょうか。仕事場を待たせてしまっています」
「あ、待って! 私も出口まで送るよ!」
四葉は早々に零奈を押して立ち去ろうとするマルオを追いかけると、ハンドルを握る手を交代した。
その四葉に対し、椅子から振り返る零奈。
「そんな、悪いですよ。もう帰るだけなのですから、あなたは風太郎君と一緒にいて構いません」
「ううん、せっかく家族揃っての学祭だもん。できるだけ一緒にいさせてよ」
そう四葉が言うと、顔を綻ばせる零奈。
四葉も自分の発言に嘘はなかった。昨日のことを考えると今日二人が来てくれたのはちょっとした奇跡のようなものだと思えたからなるべく一緒にいたかった。
ただ、他にも何か企んでいることがあるのでは無いかと言われれば、はいと答えないと嘘になるだけだった。
車椅子を押しながら四葉は一度、風太郎を振り返る。
「上杉さん、すぐ戻りますから教室の方で待っててくれますか!」
すでにそこそこ距離が離れてしまっていたので張り上げた声でそういうと、風太郎も片手を上げて応えてくれた。
何か言っているようだが声までは聞こえなかった。ただ顔を見るに、了解という意味で受け取って問題がないだろう。
風太郎に声が聞こえない距離となるまで離れていることがこれで確認できると、今度はマルオの方へ振り返る。
「あのさ、お父さん。ちょっと教えて欲しいんだけど────」
先に教室へ移動したもらった風太郎を追って四葉が到着する頃には日がとっぷりと暮れていた。
扉を開けた先の教室内は、ほとんど沈み掛けの夕日によって差し込んで来るわずかな光のみ。かろうじて部屋の中が見えるかどうかくらいで、中の様子なんてほとんど陰影でしか判別できないほどだった。
その中で風太郎は相変わらずというか、自分の教室でノートにペンを走らせていた。
どれだけ集中していればこの明るさの中でも夢中になって勉強できるのだろうか。
四葉は入り口横の壁際にあるだろうスイッチを感覚で探り当てる。
「目、悪くしますよ」
「ん? ああ、もうこんなに暗くなってたのか。気づかなかった」
四葉は声をかけながら電気を付けてあげると、風太郎も走らせていたペンを置いた。
彼の方に向かって片手をポケットの中に入れながら四葉は教室の中へ入っていく。
彼の机の前まで行くと、一つ前の席の椅子の背もたれに寄っかかった。
「お前に言われた通りここに来たが、何で教室なんだ? 学祭まだやってるだろ」
「実は一つお願いがありまして……そのためには人の目が無い方がよく……」
「またいつもの心変わりか」
呆れるような笑みを作る風太郎。
四葉自身も含めた五人は他の人格に体を譲っている間に起きた出来事のせいで考えが変わり、風太郎を困らせる。
彼の面倒くさそうでもありつつも、まんざらでもなさそうな様子を見るに最早慣れっこといったところなのだろう。
ただ、四葉的には今回は風太郎を困らせるつもりはない。少しだけ、話しておかなければいけない前提はあるのだが。
「お願いのことをお話する前に、先にお伝えしたいこともあります」
言ってから四葉は、椅子に寄りかかる比率を更に高めた。斜めに体重がかかった椅子は後ろへと傾き、前側の方が床から少し離れた。
バランスが悪くなり、ゆらゆらとした姿勢のまま、四葉。
「実は最近、私達五人格の中でちょっとした悩みがありまして……進路のことなんですけど」
自分達の将来。真面目に考えたことがなかったけど、三玖が最初に言い出し、言われてみればと言うように他人格にも波及していった悩み。
頼れる母親である零奈には悩みになったその日のうちに三玖から相談をしてある。マルオも零奈から話が伝わっているらしい。
だけど風太郎にはまだ話したことがなかったから、まずは悩みがあるということから話を切り出したのだが。
「ああ、そのことか」
「知っているのですか?」
「まあな。お前のお袋さんから聞いた」
流石、話が早い。
だけど娘の悩みをほいほい同い年の男子にまで話さないでほしい。
「家庭教師としてサポートしてやれってな」
「なるほど、そういうことでしたか」
最近の母はやたらと見ているこちらの方が恥ずかしい振る舞いが増えてきたから、風太郎に話をしたのもまた妙なロマンティックでも期待しているのではないかと疑ってしまった。
「でしたら話が早いですね。実は今日、お母さん達や上杉さん達と一緒に回っているうちに、私の中でやりたいことのようなものが見つかりまして」
「ただ遊んだだけだった気がしたがな」
「まだ他の子達にも打ち明けていないのですけど……」
きっと裏では他の四人がそれはそれは驚いていることだろう。
眼前では風太郎も感心するように目を見張っている。
その反応が少し恥ずかしくて、自然と頬を人差し指で掻いてしまう。
「私の場合、誰かのサポートをして支えるのが合っていると思ったんです。車椅子に乗るお母さんのお世話をしていたら、そんな風に思いまして」
「そうか、お前らしくはあるな」
答えてくれる風太郎の声は純粋に優しかった。否定をしようという意図など微塵もなく、肯定してくれているのが分かる。
だけど、その言い方に手放しで同意してくれているわけではないということは四葉も分かっていた。
風太郎が即座に指摘してこなかったのも、他人である彼よりも多重人格である四葉自身が何よりわかっているはずだからと、彼が理解してくれているからだろう。
「もちろん、私一人で決めたりしません。皆にも相談してみるつもりです」
「そこまで頭が回ってるならいい、もう俺の出る幕はなさそうだな」
難題が一つ片づき、嬉しそうだが少し残念そうでもあるかのように眉を下げる風太郎。
「あいつらもお前と同じ気持ちだといいな」
「それはまだ何とも……みんなのやりたいことだって知ってますし」
「そうなのか?」
再び関心するように声を上げる風太郎。
なまじ四六時中行動を監視し合っているわけじゃない。きちんと会話したわけではないが、ほぼ確信に近い思いで四葉は四人のことを思い出す。
「例えば一花の場合、演技が好きみたいです」
「まあ、あいつの場合はもう仕事にもしてるしな」
「始めたのは夢のためなんていうポジティブな理由ではありませんでしたけどね」
言ってから、余計な一言だったかなと思った。
「二乃と三玖の場合は料理が好きみたいです。二人とも作ることそのものが楽しいみたいです」
「確かにあの二人は料理が得意だな」
「……上杉さん、三玖の料理を食べたことがあってそう言えるのは漢気に溢れすぎじゃないですか……?」
結構前に三玖が作ったおはぎのように黒く変色したコロッケを食べていた気がするのだが、確かにあの時も美味い美味いと言いながら食べていたような思いでが蘇る。
「五月は昔から変わりません。ずっとお母さんに憧れていて、先生になりたいらしいです」
「あいつに教えられる生徒の方がかわいそうなんだが……」
「それは……今後の上杉さんの努力次第ということで……!」
「そう言われると責任重大だな。だが家庭教師である以上、サポートはするさ」
けどよ、とそれまで自信気だった風太郎は一つの疑問符を顔に浮かべた。
「そこまであいつらのやりたいことが分かってるなら、意見が割れるんじゃないか? どれも全然ベツモノの仕事の気がするんだが」
「ちっちっち、甘いですよ上杉さん。そういう展開になることぐらい私だってお見通しです」
「織り込み済みってことか」
「それでも納得してくれるかどうかは掛けみたいなものですけどね」
話していくうちに、何の仕事を選ぼうとするつもりなのか言ってしまってもいい気がしてきた。
本当はまだどんな仕事なのか調べきれていないし、具体的な話はもっと後でしようと思ったのだが。
「私、福祉の道に進んでみたいんです」
話しながら、昼間のことを思い出す。
「車椅子に乗るお母さんと一緒にいる時、どんな人にだってあんな風に楽しい時間を過ごせるようにいてほしいって思ったんです。だから私はそんな人たちを支えたいと思いましたし、その中には、ただ怪我をしただけの人や病気の人以外の人も含めたいんです」
「……お前みたいなやつもってことか」
地雷を踏まないか、慎重に言葉を選んでのような物言いだった。
その曖昧な言い回しに、逆に風太郎の中で福祉がどんな仕事なのかの理解がある程度あるらしいことを四葉も汲み取れた。
福祉士が支えていく相手の中には、自分のように障害を持って生まれた子供も含まれる。
そんな子達を教え、育てていくのも仕事の一つだ。
時には教え。
時には食べさせ。
時には社会での振る舞い方を演じて見せる。
そうやって誰かを支えていくことが、自分の選んだ道なのだ。
「そうです」
「……正直、お前が今日のお袋さんを診ただけで決めたってんなら少し思いつきが過ぎる気もしたが、元々お前の中に選択肢としてあったわけだ」
「そう思えたのも、上杉さんのおかげですよ」
「そう……なのか……?」
「そうです!」
いまいち実感が湧かないようである風太郎に四葉は強く頷いた。
実際のところ、風太郎だけが要因ではないのだが、それでも四葉がこの道を良いものだと思えたのは間違いなく風太郎から影響を受けたところが大きかった。
「一花を上杉さんが救ってくれたと聞いた時、本当に嬉しくて、凄いと思いました」
「俺はただ、家庭教師の仕事をしただけだ」
「ここまで私達のことをサポートしてくれるのなんて、どう考えたって家庭教師の範疇を超えてますってば。頼まれたってできるもんじゃないですよ」
「…………」
「そんな上杉さんに、私は憧れました。だから思ったんです、今度は私が誰かのためになることをしていきたいって」
けれど、私は知っている。自分自身のことを。
「そのためには私は一度、自分自身にケジメをつけないといけません」
「ケジメって何のことだよ?」
「上杉さんは知っていますよね。こう見えて私が一番嫉妬深いことを」
まだ夏真っ盛りの頃、川辺でバーベキューをした日に救われた話。
他の人格と風太郎の間で何か進展があるたびに心にモヤができてしまう自分の気持ちを正直に伝えたところ、風太郎はそれを受け入れてくれた。
自分のそういう悪いところでさえも受け止めてくれると言ってくれた彼に、あの時本当に救われたと思った。
だけどあの時はそれだけで、根っこの部分、四葉の心の動き方それ自体は今も変わっていない。
「私は私が憧れた仕事に対して、今のままじゃやりたいことではあるけども、向いてないんじゃないかとも思ってしまったんです。今のままじゃ私は、次にまた昔の一花のような子を助けてあげないといけない時に、力になれないんじゃないかと」
「考えすぎだろ」
「そうかもしれません」
と、言いながらも、言葉とは裏腹に首を横に振る四葉。
実際、嫉妬深さと選んだ道に直接的なつながりはないかもしれない。
だけどそういうことじゃなくて、四葉は自分のそういった精神的な幼さが嫌だった。
子供が子供を教える様な事態になれば、いずれどこかで歯車がかみ合わなかった時に起こるのは、どちらかが譲ることもできないまま始まる喧嘩だろう。
「でも、そうじゃないかもしれないから、上杉さんにお願いをしたいんです」
四葉はそれまでずっとポケットに入れたままだった手を取り出した。手にはピアッサーが握られていた。
零奈からピアスを貰った時、この案は思いついた。
すぐに実行に移そうと思った四葉は零奈とマルオを校門まで送る時、穴を開けた後の処置の仕方や、どのぐらい痛むのかを二人に確認した。
ピアッサーも教室に向かう前に、今の状況でもまだ仲良くしてくれている友達の一人から借りて来た。
「これでピアス、開けてもらえませんか?」
「はぁ!?」
叫ぶ風太郎の声が教室内に響き渡った。
誰もいない校舎ではそれしか音が無いせいで、風太郎が言い終えた後もわずかに音が反響しているような甲高い音が続く。
風太郎の声には動じず、ピアッサーを差し出したままの四葉に対して風太郎は驚きから困惑へと表情を変えつつ、まだそれを受け取らないまま続ける。
「今度こそ意味が分からん! 何故そうなる!?」
「えっとだから、これが私なりのケジメでして……」
「それじゃダメだ。もっと分かりやすく言え」
「その、何というか、ご迷惑をおかけした罰というか……」
露骨に自信の無さげな声だった。
ケジメのためにやってほしいという理屈は本当だが、後半は違う。罰というのは口からでまかせで、本当の理由はもっと別にある。
だけど、その本当の理由を説明するとなると、自分で客観視しても気持ち悪い話だったので言いたくなかった。
本音を隠している四葉に対し、風太郎。
「ったく、適当な嘘までつきやがって」
「……すみません」
「そんなに言いたくないことなのか?」
「はい」
「……しばらく痛むぞ」
「それはちょっと怖いですね」
「他の奴らから恨まれるかもしれないぞ。塞がらないわけじゃないが、跡は残る」
「説得します」
風太郎の忠告を聞きながらも頑なに取り下げようとしない四葉の姿勢に、先に折れたのは風太郎だった。
根負けしたようにピアッサーを手に取ると、席から立ち上がる。
「座れ。立ったままじゃあぶねえ」
「は、はい!」
入れ替わるように四葉が風太郎の前の席に座った。
ガタガタと音を立てて、椅子を反対に向け、風太郎の席に向くようにしてからの着座。
その四葉の横に、風太郎は立つ。
片目を開けて彼の耳を見た。短く切りそろえられた髪の隙間から覗く彼の耳は、六年前は開いていたはずのピアスの穴がふさがっていた。
「上杉さんも昔は開けてましたし、自分でやるより安心ですね」
「覚えてんのかよ。つーかよく見てたな」
「だって上杉さんのことですから。当然です」
話しながら、彼が屈んでくるのが見えて静かに目を閉じた。
耳元にはほんのりとした熱気が近寄ってきて、彼の手が近づいてきているのがわかった。
同時に、もう片方の手が頭の上に置かれる。大きな掌のおかげで、覚悟を決めていたとはいえ段々怖くなってきたのがどこかへ行ってしまった。
「それじゃあ、開けるぞ」
「はい、お願いします。あ、上杉さん」
「なんだ。やっぱり怖くなったのか?」
「そうじゃなくて、きっと入れ替わってしまうと思うので次の子には謝っておいていただけると助かります」
「お前が謝ればいいだろ。自分で言ったことだって聞こえるんだし」
「それもそうですね」
随分多重人格の扱い方もわかってきたもんだと、笑いが抑えられず少し零れてしまった。
少し顔を震わせると、左耳にひんやりとしたプラスチックの感触がした。
もうピアッサーが構えられているらしい。
「じゃあ……えっと、誰の番になるか分からないけど……勝手に決めてごめんね」
「…………他に言い残すことはないか?」
「その言い方逆に怖くなるんですけど……大丈夫です。お願いします」
「わかった。じゃあ今度こそいくぞ」
はい、と短く答えてから四葉は黙った。
まもなく訪れるだろう痛みに怖がりつつも、四葉は胸を膨らませてその瞬間を待った。
自分がこんなことを言い出した理由はさっきも言った通り、嫉妬深く子供な自分とケジメをつけるためだ。
じゃあ、ピアスの穴を開けることがなんでケジメになるのかといえば、初めての彼からの告白を逃してしまった自分を満足させるためだった。
キスですら物足りない、もっと深い何かが欲しかった。
彼からもらう何か残るものが欲しかった。
キズモノ。
そんな単語が思いついた時、自分でも凄く自身のことを気持ち悪く感じたが、同時にそれだと思ってしまった。
俗語的な意味で使われるそういったモノになるための行いなんて、いくら自分であってもまだ早いと思えるぐらいには冷静だったから、もっと直接的な手段はないかと考えた末に辿り着いたのがピアスだった。
きっと皆から凄く怒られるだろう。
しばらくは嫌味だって日記で言われるかもしれない。
それでも、他の皆に負けたくなかった。
やっぱり私は彼の一番になることを目指したいから。
私は、強欲な女だから。
だから走る痛みを受け止めた。