学園祭の三日目。風太郎は学校ではなく、彼女達の家の前まで来ていた。
彼女とはもちろん、今日が誰の番かは分からないが中野少女のうちの誰かのことである。
高層マンションの入り口、二枚扉になっている自動ドアの一枚目をくぐる。
二枚目の自動ドアをくぐる前に、竹を斜めカットしたような鉄の支柱の前に立った。ここでカードキーを差し込むか部屋番号を押し、中にいる人間に開けてもらう必要があるからだ。
支柱に備え付けられている電話と同じ配列の番号のボタンで中野家の部屋番号を入力する。呼び出し中のことを来客側にも知らせるためのインターホンの音が鳴るが、しばらくしても返事がない。
念のため、もう一度試すも結果は同じだった。
仕方ないと、風太郎はポケットに手を入れると、カードキーを取り出した。
慣れない手つきでそれを差し込むと二枚目の扉も開き、すぐにくぐる。
彼女達の部屋は三十階なので上がるには結構時間がかかる。その間、風太郎は少し前のことを思い出していた。
『うちの子、学校に来ていないのですか?』
風太郎はマンションに訪れる前に一度、零奈が入院している病院に寄っていた。
実を言うと、学校に彼女が来ていなかったのである。
一応、体調不良で午前休みにするという連絡だけは本人からあったらしいが、具合はどうかと連絡してみても返事がない。
昨日の四葉や一花は健康面ではピンピンしていたので大丈夫だとは思うものの、一度心配になると気が散って仕方なかった。
風太郎のたこ焼き屋のシフトは初日と三日目のトップバッターだったので、仕事から解放されると気が付けば足は学校の外へと向いていた。
病院へ来たのは手ぶらでマンションへ行ったところでインターホンの応答が無かった時点で締め出しを喰らうことが目に見えていたから、ついでであった。
『そっちには連絡とか来ていないんですか?』
『特に何も……あの子ったら、心配かけないように気を使っているのでしょうか』
今日は病室で大人しく寝ていたらしい零奈に事情を話してみると、病欠の連絡が学校に来ていることを知らないようだった。
一応、零奈が入院している個室はスマホの使用もOKらしく、零奈は自分のスマホを握りながら心配そうに呟いた。
『私が様子を見に行きたいのですが、生憎まだ外出には許可をもらう必要がありそうで』
『そんなにお加減悪いんですか?』
『そんなことはありません。本当は昨日だって歩き回ったって平気だったくらいです……ただ、私の主治医が少々過保護なもので』
話しながら零奈はちらりと風太郎から、その背後へと視線を外した。
何かと視線を追ってみれば、開けたままの扉の前にマルオが立っていた。
『お話は聞いていましたね。あの子が学校に来ていないのです。一度様子を見に帰りたいのですが』
『いけません。零奈さんには後一週間はここで安静にしてもらいます』
『そんなに仕事を休まされたら次に出勤する時どれほどの仕事が溜まっているかと億劫になってしまいます……!』
『ダメなものはダメです。それに、家に様子を見に行くだけならそこに適任がいるじゃないですか』
『……まあ、初めから行くつもりではありましたけど』
どうやら遠まわしに親公認で任命されてしまったらしい。
構わないのだが、少々使われているような気がして不愉快だった。
『ではすみませんが風太郎君、見てきてくれますか?』
『構いませんけど、行ったところで呼び出しに反応が無かったら入れませんよ』
電話を鳴らしても反応がないということは十分ありえる。
それは零奈も承知のことだろう。頷くと、ベッド脇の袖机に手を伸ばして引き出しを開ける。
中からカードキーと鉄製の鍵を取り出すと、それを差し出してきた。
『万が一あの子が家で倒れていたらという可能性もあるので、お渡しします。何事も無ければ、あの子に返しておいてください』
といった具合だった。
考えている間にエレベーターを昇り切り、部屋の前まで来ていた。
いかにも高級そうな玄関扉があり、脇には一般家庭で使用されているタイプのインターホンが設置されている。
やることはエントランスと同じなので、同じ工程を風太郎は繰り返した。
やはり応答もない。風太郎は玄関扉は普通の鍵の方を使って開錠すると、室内へと入った。
「おーい! いるかー!?」
玄関から一度、大声を上げてみるも、返事はなかった。
この時点で風太郎は嫌な予感がしていた。
この家の住人であるマルオも零奈も病院にいたということは、残るは彼女が室内にいて施錠をしていたということになる。
それに、学校には本人からの連絡があったというのだから寝坊しているという可能性も考えられない。本人と言うのが誰だったのかは知らないが。
だというのに、スマホでの連絡やインターホン、そしてこうして直接呼びかけても応答がないとなると、いよいよという可能性が拭い切れなかった。
「上がるからなー!」
あえて自分の行動を知らせるように声を上げながら部屋に上がり込む。
廊下の途中には浴室やトイレがあるが、確認は最後にしようと心に決めてリビングへと入った。
人の気配はなかった。
そのままリビングを横断すると、今度は階段を上り始める。
二階には五部屋の個室があり、二部屋はマルオと零奈の部屋。残る三部屋が彼女達の部屋となっている。
場所は分かっているので、端から順に確認することにした。
一部屋目に来たところで風太郎はノックもせずに扉を開けた。あれだけ騒がしくして反応がないならノックも無駄になるだろうと思ってのことだった。
最初の部屋は一花の部屋だった。床中に服が散乱しているが、人が倒れている形跡はなかった。
「まあ、昨日があいつの番だったから当然か。今朝起きてるなら入れ替わってるだろうし…………ん?」
次の部屋に行こうとしたところで、ベッドの上の布団がこんもりと膨らんでいるのに気が付いた。
「おい……嘘だろ……」
そんなまさか、これだけ周りの人間を心配させておいて本当かと腰が抜けそうになった。
一応、確認のためにとそばに寄ってみれば、ベッドですやすやと寝息を立てているのは間違いなく、彼女であった。
実に幸せそうな寝顔である。
「おい」
「後少しだけ……」
「朝だぞ」
「……う~ん、後五分だけ寝かせてよぉ」
「ダメだ、起きろ」
「少しぐらいいいじゃないぃ、おかあさ」
ピタリ、という表現が適切なほど返事をする声が途中で止まった。
それからすぐに勢いよくこちらを向く彼女。
さっきまでだらしないことをのたまっていたとは思えないほど見開いた目でこちらを凝視してきた。
その表情から察するに。
「二乃か。さっさと学校に行くぞ」
ようやく今日が誰の番かを確認できた風太郎は彼女の名前を呼んだ。
けれども、そんな事よりも二乃。
「い」
と、口が一音を発した。
どうしたのかと思ったところで、廊下と違って暗く締め切られていた室内にようやく目が慣れて来た。
だから気が付いた。
布団から覗かせる彼女の肩が露出していることに。
暖房バッチリで十月も中頃だというのに未だに薄い掛け布団一枚だけのそれが、やたら艶めかしい流線を描いていることに。
今、自分達がいる部屋が一花の部屋であることに。
「いやあああぁぁぁ!!」
その日、セキュリティの強固さを売りにしている防音もバッチリな高級マンションの建物中に、二乃の悲鳴が響き渡った。
「女性の部屋に勝手に入るなんて信じられません! それを許したお父さんもお母さんもです! ああもう!」
あの後即座に部屋から叩き出された風太郎だったが、それでもあんなことがあれば彼女達が当然入れ替わらないわけがなく、リビングで収まらない呪詛を延々と現在進行形で吐き続けているのは五月だった。
ソファの前に座る彼女の前で風太郎は正座をさせられていたが、実のところ本心では一ミリだって反省などしていなかった。
こちとら体調不良だと聞いた上に連絡もつかないから心配してきているわけで、それがどうして寝坊を決め込んでいたこいつに怒られなければならないのかと思っていた。
「そんなことより、お前はどうしてさっさと学校に来なかったんだ」
「そんなこと!?」
「いいから答えろ」
「……二度寝をしたのは私じゃありません。一花です」
五月の説明はつまるところこうであった。
今朝、一番初めに表に出てきたのはどうやら一花であったらしい。
慌ただしくも色んな事があった昨日からの続投に、一花はまた他の姉妹が出てこない状況になったのではないかと大層慌てたのだとか。
「つまり二度寝をしたのは眠かったからではなく?」
「はい、他の子と入れ替わるか確認するためだったのです」
それで目を覚ましてみれば二乃に入れ替わっていたし、今は五月にも交代できているのだから、今頃一花は裏で心底安堵していることだろう。
「だがそれにしたって母親に連絡くらいしとけよ」
「私に言われても……その時の一花はかなり焦っていましたから、気が付かなかったんだと思います」
「学校に仮病の連絡を入れるのは抜かりがないくせに」
変なところで頭が回るなと、感心と呆れで半々ぐらいの気持ちだった。
とはいえだ。なにはともあれ。
「何事もなくてよかった」
「ご心配をおかけしました」
「外で待ってるからさっさと準備しろ。学校には行くだろ」
「もちろんです。少々お待ちください」
話の通り、風太郎は玄関の外まで出ると、少ししてから制服に着替えた五月が出て来た。
並んでの登校の間に五月は方々への連絡も済ましていた。
一つ目は零奈のところへ。電話越しで五月が二度寝をしたわけでもないのに謝っていた。
二つ目は武田のところへ。学級長の仕事に半日分の穴を開けてしまったことに対しての謝罪と状況伺いだった。
武田との電話も終わった後、スマホをしまった五月が話の内容を聞かせてくれた。
「一応学級長の仕事の方は何とかなっているようです。忙しいようではあるみたいですが」
「ならさっさと合流して手伝ってやらねえとな」
「いえ、それなんですが、今日も私に振れる仕事はないとのことでした」
言ってから五月は寂しそうに、しゅんと表情を影らせた。
風太郎も昨日に引き続き今日もか、と憤る気持ちはあるものの納得できてしまった。
昨日の竹林を交えた一件によって、当事者である一花や風太郎にとっては一つの区切りのようなものがついた気にはなっていた。
これ以上、あのニュースのことで自分達が振り回されることはないだろうが、世間的にはまだホットな話題であることに変わりはない。
世の中の情勢としては、すでに一花の所属している事務所が公式に声明を出していて、例の怪我をした役者と一花に(表向きは)関係がないと言い切っている。
後は自然に鎮火するのを待つしかない状況なのだ。
今なお動画サイトやらSNSでは薪をくべ続けている連中というのが存在するが、そういった輩は要するに正義感を振りかざす先を求めているだけの善人ぶった放火魔たちでしかなく、勢いよく燃え上がるだろう別の話題が見つかれば自然と移動していくだろうというのが関係者側の大人達の見解だった。
そういった連中が話題にしなくなればクラスメイト達の五月達に対する胡乱な目というのも自然となくなっていくだろう。
「なら五月は……今日は暇か」
「そういうことになりますね」
わざとらしく言ってみた風太郎に対し、五月も分かっているように笑みを浮かべた。
学園祭はもう十分楽しんだ。
まもなく、下手をすれば次に五月へ入れ替わりのタイミングの時は、五月達の退学を掛けた試験の日だ。
ならばすることなんて一つしかないだろう。
「……ふふ、いいことを思いつきました、上杉君」
それを五月は柄にもなく芝居がかった口ぶりで言った。
「勉強、教えてください」
「勿論だ」
遠巻きに最後の学園祭の喧騒が聞こえてくる中、二人は食堂に足を運んでいた。
風太郎が昼食を取っているおきまりの二人掛け席。そこで話した通り勉強を始めていた。
いつもならば図書室も今日は閉館していた。一般の来客が来るため、盗難防止のためだろう。
食堂が解放されているのは単に休憩所として利用可能となっているからである。普段定食などを出してくる食堂は閉まっていた。
外でいくらでも生徒達が食べ物の屋台を出している中で営業をするメリットもないだろう。
だから食堂は完全な無音というわけでもないが、かといって学園祭の賑やかさからは少し距離を取ったような、ほどよくノイズがBGMとして機能するような勉強に適した空間となっていた。
その中で五月は黙々とノートにペンを走らせ、風太郎はすでに何枚か解き終わっている五月の回答済みの答案を眺めていた。
「テスト範囲は前の学期末試験と同じで、問題の中身だけを変えるって話だったな。これだけ解けてるなら良い感じじゃねえか」
「学校側も私が明らかに遅れているというわけでなければ、在留も十分視野に入れてくれてるみたいですから」
五月が以前に理事長と面談を行った時、面と向かって言われたわけじゃないが、言外に知能障害を疑われている気配が漂っていることは何となく察していた。
精神疾患を患っている以上は否が応でも疑ってかからなければならない。
現に五月は赤点を取り続けている状況のため、それが障害によるものなのか、それとも単純に五月が馬鹿だからなのかを学校も知りたいのだろう。
テストの結果がどちらに転ぼうと五月からすれば甚だ不名誉極まりない烙印を押されることになるわけだが、これが自分の体質である以上受け入れていくしかない。
それに、面談の場では退学した後の話まで具体的に出た訳ではないが、万が一このテストに落第しようものなら自分の転校先は特別支援学校にだってなりかねない。
そこまでは風太郎にも話していないことだが、だからこそ落ちるわけにはいかないという強い意志が五月にはあった。
「あれ、中野さん?」
「え?」
ふと、呼ばれた方へ顔を上げた。
そばには気が付けばクラスメイトの女子が立っていた。
クラスメイトなので当たり前といえば当たり前なのだが、顔に見覚えがある。最近やたらと自分たちに食って掛かってきている子だ。
確かこの前も風太郎を呼び出して何やらコソコソと企てようとしていたと記憶をしている。
「こんなところで何してるの? 学級長の仕事は?」
「えっと……」
「もしかして、サボリ?」
「…………」
サボリと言われると間違いではないのが手痛かった。
一応、学級長としてのクラスの相方である武田の公認とはいえ、本来は自分がするはずだった仕事を放り出していることに他ならないと真面目な性格の五月だからこそ思ってしまった。
半ば疑問気に訊いていた女子であったが、気まずそうな顔のまま答えない五月の反応を見て大げさに手を口に当てる。
「信じられない! 武田君に仕事を押し付けてなにやってんの!?」
「おい、勝手なことを言うな」
止めに入る風太郎。しかし、風太郎のことなどまるで見えていないらしい女子はなおも五月に対しての文句をわめき散らしてくる。
「私、クラスのみんなに言うから! やっぱり中野さんが学級長に選ばれたのだっておかしかったんだよ!」
女子は踵を返すと足早に外へと出て行こうとする。おそらくはうちのクラスのたこ焼き屋に向かうのだろう。
風太郎と五月、二人が勢いよく席から立ち上がった。
「待ってください!」
タイミングはほとんど同時だった。
違いがあったとすれば壁際のソファ席に五月は座っていたため、椅子を引いて立ち上がることができない分少し動きが遅れたくらいだろうか。
五月より先に女子を追いかけようとする風太郎と、更にその後を追おうとする五月。
けれど少し焦り過ぎたらしい。
テーブルを回り込んで通路を出ようとしたところで、テーブルの脚に自分の足が引っかかった。
「あっ!」
「五月!?」
声を上げたと同時、風太郎が振り返ったのが視界の端で見えた。
直後、五月は隣の席に強かに頭を打ち付けた。
頭に痛みが響いた直後、火花が散るように視界が白く弾けたと同時に、感覚がより一層鮮明になったことから四葉は自分の番になったと即座に理解した。
持ち前の運動神経を遺憾なく発揮して受け身を取るかのようにソファに手を当て、続けてもつれさせた足を地面につけた。
ダンッ、と大きな音を響かせたが、それ以上は自分の体が体勢を崩すことはなかった。
額に手を当ててみる。触った感触の限りでは怪我はしていなさそうだ。
「大丈夫か!?」
「私は平気です上杉さん……それよりクラスの方は!?」
ようやく体が落ち着いたところで顔を上げる。
風太郎がこちらに戻ってきているのと反比例するように、女子は食堂を出て行く直前だった。
「行っちまった。四葉、お前にも入れ替わっちまったみたいだし、どのみち勉強の続きは無理だな」
「すみません……」
「お前が謝ることじゃない。それより追いかけるぞ。行先はどうせうちの店だろ」
「おそらくは……私も行きます!」
一足先に風太郎が向かう後ろで、五月が広げていた勉強道具類を慌てて片づけてから四葉も後を追う。
たこ焼き屋にはすぐに着くだろう。
それまでに追いかけてどうすればいいか考えておかなければいけない。
変にアドリブで対応をしようとして、これ以上自分に負荷をかけたくなかったからだ。
何故ならば。
「それと上杉さん、今朝からご一緒していたのでご承知かと思いますが、お伝えしておきます」
「なんだ?」
「今日、これで入れ替わるの三回目です」
「────」
「私達の入れ替わりは一日の間に何度も起きると、段々簡単に入れ替わるようになってしまうこと、覚えてますよね?」
「……ああ」
風太郎に言った通り、今日は一花から始まり二乃へ、そして五月、四葉という順番に入れ替わっている。
一花から二乃への入れ替わりは二度寝によるものなので、もしかしたらカウントから除外してもいいかもしれないが確実ではない。
二度寝すること自体はよくあることだが、これほど頻繁に入れ替わることも滅多にないので入れ替わりが起こりやすくなる頻度に影響するかどうかまでは当事者である四葉でさえもわからなかった。
「おそらく行った先で少なからず揉めるかと思うのですが、なるべく交代しないようにした方がいいですよね?」
「だろうな」
女子の後を追ってクラスの店まで行った後のシナリオを想像するならばこうだ。
おそらく四葉はその場で女子から説明を聞いたクラスメイト達から非難めいたことを言われるだろう。それに対して自分は話せる限りの弁解と、学級長の仕事も武田から許しを得て免除してもらっていると説明するつもりである。
この時、恐ろしいのは手が出る様な事態になることだ。
ほとんどのクラスメイトはそんなことしないだろうが、先ほども自分達がサボっていると誤解をしたあの女子だけは絶対とは言い切れない。
確か武田のことが好きだからとかいう理由で、同じ学級長として彼のそばによくいる自分のことを目の敵にしているらしい。
もし引っ叩かれでもすれば間違いなく入れ替わる。
そして入れ替わりが起きた場合、四葉の体質のことを詳しくはしらないクラスメイト達は四葉が他人格に面倒事を押し付けて『逃げた』と非難してくるかもしれない。
それは避けなければならないことだろう。
「クラスの皆さんはきっと、あの事故のニュースだけで私達のことを避けてるわけじゃないと思うんです」
「…………」
「ずっと前から、多重人格の同級生に対してどうやって接したらいいか、困っているような感じは何となくはありました」
「俺にはそんな風に見えなかったが……」
「具体的に何かがあったわけではありません。ですが上杉さんだって最初は私達と上手く接することができなくて、凄く困らせてしまったじゃないですか」
「……それは」
「クラスの皆も同じです。時間をかければきっと分かり合えるはずなんです……三年生のこの時期でこんなこと言うなんて、遅いかもしれないですけどね」
少しだけ冗談めかすように四葉は笑って見せた。
けれど、表情はすぐに戻ると。
「そういう、言葉にできない小さな不安が沢山積み重なった結果が、今のクラスの皆から私達に対する態度になっているんだと思います。大事なお話の最中で入れ替わりなんてしたら、きっと皆の不信感に拍車をかけてしまうでしょう」
「…………」
ですから上杉さん、と四葉は風太郎を見た。
「ご迷惑をおかけして申し訳ないのですが、何かあった時は私を、守っていただけると助かります……その、上杉さんは私のか、彼氏、なんですから……!」
こんな気分でいる場合ではないだろうということは百も承知しているのだが、それでも最後の言葉をスムーズに言うことはまだ難しかった。
それは風太郎も同じらしく、釣られるようにしてもどかしそうな表情をするが、
「……思えばお前にはいつもやきもきさせてばっかりだったしな。任せろ。お前ひとりにどうにかさせるようなことはしねえ。約束だ」
気が付いた時には不敵な笑みをたたえてこちらを見返していた。
その風太郎の顔が妙に懐かしかった。
いつだったか、同じ顔を見たことがあったかと思い出そうとする。
(あ……)
意外にもすぐに思い出せた。
六年前。
祇園にある神社で彼と一緒にいた時。
今と同じように彼と大切な約束をした時の顔だ。
(なら、安心だ)
だって彼は昔の約束を今だって守り続けてくれているのだから。
約束だ、と口にした風太郎にむかって目いっぱいの笑顔で四葉は応えた。
「はい!」
「それとな四葉」
「なんでしょう?」
まだ話があるのかと、顔にハテナを浮かべる四葉。
「昨日は悪かったな。一花に言われてから伝えることになっちまって、お前にとっては不本意かもしれないが……好きだ」
「……!」
そういえばそんな話もあった。
自分は十分満足しているから、”そんなこと”忘れていた。
でも、改めてそう言ってくれること自体に悪い気はしなかった。
それよりむしろ。
「不本意だなんてとんでもない……私もです。上杉さん」
今はもっと彼への気持ちが強くなった気がして、屋台に着くまでの間、彼の手を握った。
クラスのたこ焼き屋に着いてからはおよそ予想通りの展開だった。
屋台はちょうどシフトの交代の時間だったらしく、クラスの生徒達だけでも十人近くの顔ぶれが揃っていた。
そんな彼らの前に四葉が姿を見せるなり、すでに先を行っていた女子から説明はされていたらしく轟々とした非難がぶつけられてきた。
「仕事サボるなんて何考えてんだよ!」
「俺たちは本気で最優秀店舗狙ってんだぞ!」
「午前の体調不良だって嘘だったんじゃないの!?」
「学級長としての自覚全然ないじゃん!」
「お願いします! 私の話を聞いていただけませんか!?」
そんなクラスメイト達の非難を上書きするように、なるべく声を張り上げる四葉。
人一倍肺活量のある四葉の声は周囲を黙らせるのには十分な声量を喉から発させ、大半は嫌でも聞く姿勢を取ることとなった。
ただ一人、まるで聞かない女子がいたのだが。
「話を聞くも何も、私はしっかり中野さんがサボってる現場を見たわよ! 言い訳の余地なんてないじゃない!」
「だからあれはサボってたんじゃなくて武田君が任せてくれって言ってくれたから────」
「仕事を押し付けてるって意味では同じじゃない! それを私達は怒っているのよ!」
武田の名前を出したのは失敗だったかもしれない。明らかに彼女の発する怒気が大きくなった。
見かねたらしく風太郎。
「お前ら話をするにしてももう少し落ち着け。怒鳴り合ってるだけじゃ進むもんも進まねえだろ」
「上杉君は黙っててよ! 関係ないじゃん君は!」
「上杉さんに当たらないでください!」
反射的に叫んでいた。
守ってほしいなんて言ったくせして、彼に悪意が向けられることが堪らなく許せない自分がいた。
思わず一歩、距離を詰める。
相手の顔が実によく見えるほどの距離になった時、四葉も多少頭に血が上ってしまっていた。
だから口を滑らした。
「あなただって本当は武田君の隣を取られたのが悔しいから私に当たってるんじゃないですか!」
「────!」
それはいつかの再現だった。
目の前の女子と一花が以前に会話をした時、彼女は一花に対して障がい者だとこちらのことをなじってきた。
あの時の一花は思わず彼女に手を挙げかけ、それをたまたま目撃してくれた男子が彼女の方を諫めてくれたおかげで、結局振り上げたこぶしを振るわずには済んだ。
今、目の前では彼女の方がこちらに手を振り上げていた。
「────あぶねぇ!」
四葉が最後に彼女を視界に収めていた時、手はこちらに向かって振り下ろされようとした瞬間だった。
思わずギュッと目を塞ぐ四葉。
直後、閉じた瞼の先の明かり影に覆われ、痛みはいつまでも来なかった。
代わりに、バチンッ、という音が自分の耳元ではなく少し離れたところでした。
「あっ」
焦ったような彼女の声がした。
どうしたのかと恐る恐る目を開くと、最初に見えたのは風太郎の背中だった。
「いって……」
四葉の目の前で風太郎が代わりに女子のビンタを受け止めていた。
どれほど力強く受けていたのか、風太郎は殴られた方の頬を押さえると、それから一つ地面に吐き出した。
土の地面に赤黒い染みが出来上がる。
「────────────────」
四葉の視界はそこで、入れ替わった。