五月から見知らぬ人格へと入れ替わったころと同時刻、零奈とらいはは二人でとある建物の屋上へ移動していた。
元々花火を見るように零奈たちが貸し切っていた店である。
零奈の隣では最初の一発目、運営としても華々しいスタートを切るために気合を入れていたと思われる大玉を前にしてらいはが歓声を挙げていた。
「うわー、綺麗ですね!」
「……そうですね」
「零奈さんはそうでもなさそうですね。五月さん達が心配ですか?」
「ええ、まあ」
「大丈夫ですよ! お兄ちゃん達だってもう大きいんですから、迷子になんてならないと思いますよ」
そう言ってにこやかに笑うらいは。
考え事をしている自分の気分を晴らそうと気を使っているのかもしれない。
普通、このくらいの小さな子なら気を使うより先に一緒に楽しんでくれないことに不満を漏らしそうなものなのだが──
(風太郎君といい、本当にいい子達ばかりですね。上杉君のところは)
「実は、心配しているのはうちの子の方なんです」
「五月さんですか? しっかりしてる方に見えますけど」
「ええ、五月だったら心配はいりません。ただ、先ほど打ち上げ花火が上がってしまったではないですか」
「はい」
それがどうした、という表情をするらいは。
「花火が上がるタイミングによっては少し問題が合って、なるべく私が傍にいてあげたかったのですが……うちの子達のことをらいはちゃんはどのくらい知っていますか?」
「何か特別な事情があるとかはお父さんが言ってた気がします。でも詳しくはないです」
「そうですか。かいつまんでお話しすると、時折あの子は人が変わったようになってしまうことがあるのです」
多重人格とはっきり言ってもいいのだが、万が一通じなかった場合やそれ自体について掘り下げて訊かれた場合説明が長くなると踏んで、零奈は含みのある言い方に留めた。
「だいたいどの子が出てきたとしても心配はありません。みんないい子ですから……ただ」
「ただ?」
「一人だけ、心配な子がいるんです……もしもその子が出てきたとしたら──」
花火大会どころではないかもしれない。
そう思い零奈は、風太郎と娘のことを案じるのであった。
「キスって……馬鹿か! こんなところでするわけないだろ!?」
「同年代の子とのキスだよ? 普通断らないと思うんだけど……君ってば変わってるね」
風太郎は花火が上がった直後、目の前で五月が一瞬意識を失うような素振りをしたのを目撃した。
その様子を見るのは初めてではない。それ故にすぐさま気が付いた。今自分が相対しているのは五月でも、自分が知るどの人格でもないということに。
そしてその謎の人格(誰であるか不明の時には中野と総称している)は、突拍子の無い提案をし、そして断られたというのに不敵な笑みを顔に張り付かせていた。
「それにその体はお前ひとりのもんじゃないだろ! もっと自分の体を大事にしろ!」
「私の体はひとりだけのものじゃないのに、自分を大事にしろか。矛盾したこと言うね」
「お前……!」
揚げ足取りのようなこと言う中野。
風太郎は自分が苛立ち始めているのを感じ、一つ息を吐いた。
中野の言葉に、脳内ではすぐさま「それはお前みたいな特殊なケースだからだ」と反論が思い浮かんだが、眼前の何を言ったとしても飄々と受け流し屁理屈を返してくるであろう彼女を前には口に出すには至らなかった。
その代わり今この混乱している状況から少しでも脱却すべく、聞くべきことを口にする。
「お前は一体誰なんだ? 二乃でも、四葉でも、五月でもないだろ」
考えられるとしたら昼間五月に聞いた未だ会っていない人格、一花と三玖のどちらかだろう。
「教えてあげる代わりにって、さっき言ったはずなんだけどなぁ」
中野がわざとらしく頬を膨らませた。無論、本気で怒っているわけでないのは見て取れた。
「でもいいよ、教えてあげる。君を困らせたいわけじゃないからね」
「既に大分困らされているんだが……」
「このくらいであたふたしないでよ。男の子でしょ」
「……」
「ああごめん。また横道に逸れちゃったね。私は一花。中野一花だよ」
「そうか。もう一つ聞きたい」
「ちょっとちょっと、私のお願いは聞いてくれないのに質問ばっかりってずるくない?」
「さっきのことだったらしてやるつもりはない。頼むならそれ以外にしろ」
「フータロー君はいじわるだなぁ」
そう言うと一花は周囲を見渡した。それから一つの屋台に目を止めると、風太郎の袖を引っ張った。
今現在も絶賛花火は打ち上げられている最中だが、屋台が営業をやめているわけではない。
「じゃあお祭り巡るのに付き合ってよ。五月ちゃんとはさっきまで回ってたの知ってるけど、私だって自分の意思で楽しみたいし」
「……わかった」
風太郎は頷き、一花の後ろに続いて歩き始めた。
先ほどは濁流のように流れていた人だかりだったが、今は皆花火を見るのに夢中になっていた。そのため人口密度自体はかなりのものであったが、隙間を縫って歩くのはそれほど難しくはなかった。
前を歩く一花は振り返ることもせずにずんずんと先へと進んでいく。まるで風太郎ならば自分を見失うことはないだろうという確信に近いような動きをしている。
それはおそらく風太郎の性格を知っての行動なのだろうが、風太郎からすれば初対面の相手に自分のことを知られているという感覚は妙な気持ち悪さがあった。
「さっき聞こうとしてた質問、してもいいか?」
「歩きながらじゃなきゃダメ?」
「ダメだ。今教えろ」
「……何さ」
一花の声がワントーン下がった。真面目に話をする気になったか、強引に話を進めようとするこちらの姿勢に機嫌を損ねたか。
しかし、風太郎だって先ほどの一花の勝手な振る舞いには感じるものがあった。これでおあいこだろうと自分に言い聞かせると、気にせずに話を続ける。
「さっきは何故あんなことをしようとした。お前と俺は初対面だ。好きでもない相手にすることじゃないだろ」
「好きだよ」
「は?」
「君のこと、好きだよ」
「嘘をつくな」
「結構本気なんだけどな……でも、嘘なのも正解」
「……」
「四葉のためだよ」
「他の人格のためってことか?」
「そうだよー。着いた。フータロー君、ちゃんと話の続きはするからちょっと待ってね」
一花はそこで話を区切ると、指を指した屋台の前で立ち止まった。
かき氷屋だった。二人分を注文し、一つはストロベリーシロップを注文した。
「君はどれがいい?」
「別に俺は……」
「私のおごりだよ」
「……同じので」
「ふふーん、りょうかいっ」
奢りという言葉を聞いた瞬間、反射的に好意を受け取ってしまった自分が恨めしい。
今自分は、一花を相手に半ば交渉のようなやり取りをしている最中だというのに、これで貸し一つなどと言われたらどうしたものか。
少し待った後、店主が一花に二人分のカップを渡してきた。
振り返った一花がそのうちの一つを寄越してくる。
風太郎が受け取ると、空いた片方の手でスプーンを持ち、そのまま一口氷を頬張った。
さきほどまでの不敵な笑みとは違い、女の子らしい笑顔を浮かべて口の中の甘味を堪能していた。
その様子を見ながら、それでもまだ少し残っている警戒心を顔に浮かべながら、風太郎も一口食べた。
想像していた通りのイチゴ風味の甘味が口の中に広がる。
かき氷のシロップはどれも香りづけが違うだけで味は一緒のはずらしいが、実際に食べてみるとイチゴの味がしているような気がする。
昔勉強した時、味覚は視覚や嗅覚に引っ張られるところもあるという話を目にしたことがあるが、これがそうなのかもしれない。
かき氷を堪能していると、一花がニヤニヤとした顔を浮かべているのに気が付いた。しかし、風太郎が反応するより早くそっぽを向くと一花は再び歩き出した。
「さっきの話の続きをするね。私は君も知っての通りちょっと特殊な体質をしてるじゃん?」
「そうだな。お前達の相手をしていると、一対一で話しているはずなのに異様に疲れさせられる」
「……」
「どうした、急に黙って」
「別に。話を戻すね。そんな特殊な体質だから、当然交友関係だってかなり限定的になるの」
「だろうな」
「だからかな、四葉が君を好きだと言った時には他の子皆でびっくりしたもんだよ」
「裏に控えてる間は、他の控えてる奴らのことが分かるのか?」
「残念、ただの例えだよ」
一花の言いたいことがなんとなく見えてきた。
つまりこいつは人間関係自体が希薄で、向こう側からだけじゃない、自分達側からすら恋愛感情を誰かに抱くということが珍しいことだと言いたいのだろう。
「それでお前は四葉の手伝いをしようとしたわけか」
「ピンポーン。四葉ったらああ見えて結構ウブなところがあるからね。きっといざとなった時動けなくなっちゃったり、下手したら緊張のし過ぎで入れ替わっちゃうかも」
「そうなったらかなり気まずいな」
「だから私が一肌脱いであげようって思ったんだよね」
「なるほどな」
さっきの一花の行動に理解はできた。だが、まだ納得はできていない。
一見筋が通っているように見える説明だが、誤魔化しているところがいくつもある。
せっかく素直に説明をしてくれている今、直球で質問をぶつけた。
「他の三人はいいのか。少なくとも五月からは俺のことを赤の他人だと思ってるとハッキリ言われたぞ。あいつらを納得させないまま勝手なことをしていいのか?」
「質問を返すようで悪いけど、君は自分が言ってることを幸せに実現させることの難しさを理解してるのかな?」
「どういうことだ?」
「五人が全員、同じ人を好きになるなんてことあり得ると思う?」
「それは……」
さっきも考えた通りだ。可能性は限りなく低いだろう。
「それに、もし仮にそれが実現したとしても、その先にあるのもやっぱり地獄だよ。私達は誰が表に出てたって何をしてる時も見てる相互監視の状態なんだから」
「……」
「分からないかな。自分の初めてが、他人のせいで終わったことになっちゃうんだよ。初めて手を繋ぐのは? 抱きしめ合うのは? キスは? その先は?」
「──」
「同じ人を好きになっちゃったら、自分の体相手に嫉妬し合うことになるんだよ。だから好きになってるのは、一人か二人くらいのがちょうどいいんだよ」
「だがそれは──」
暴論だ。と言いたかった。だが言ったところでどうなるだろうか。
一花の話自体は正しいかもしれない。全員が好きな人を共有するとなれば、恋愛ごとに疎い自分でも容易に修羅場が想像できる。
いや、一人しか表に出てこれないのだから実際に修羅場にはならないだろうが、言葉を交えられないからこそ鬱憤が溜まる可能性だってある。
最悪、他の人格を攻撃することを目的に自傷行為に走る可能性だってある。精神が不安定な年頃の娘ならば、こういった話がキッカケで凶行に出るのは珍しい話ではない。
だがそれでも、やはり他の人格の気持ちを無視したまま恋のステップを進めてしまうのもおかしいだろう。だから風太郎は暴論だと思ったのだ。
結局一花の言う事は詭弁だ。誰が誰を好きになるかと、体が一度しか経験できないことを誰が表に出ている時に体験すべきかという問題は別物だ。
それぞれの人格の恋愛の向き先がバラけていたとしても、体が経験してしまったことは他の人格にも共有されてしまう。
全員が一度ずつ、自分が主役の状態で初体験を迎えることなど……不可能だ。
「考え事は終わったかな」
「あ、悪い。黙っちまってたな」
「いいよ、私だってこういう風に思えるようになるまですっごい長い時間がかかったんだもん。恋に興味がない君には難しい話だったかもね」
「勝手に決めるな」
「違うの?」
「……違わなくはないが」
「もっとハッキリ言ってあげようか」
「なんだ」
「恋愛に興味ないからってだけでフータロー君、四葉の告白断るつもりでしょ」
「────」
ご明察だった。
目の前のこいつとは初対面だというのに何故そこまで言い当てられてしまうのだろうか。
まるで自分の全てを見透かされているような気がした。
けれどすぐに忘れていたわけではないが、先ほどから考えることが多すぎて抜けていたことを思い出す。
どの人格が表に出ていても記憶は共有されている。だから風太郎は初対面でも、一花にとっては何度目かの出会いである。
先ほど感じた気持ち悪さが再び湧き出てくる。これ以上話をしたくないという気持ちに駆られた。
けれど、これだけは否定しないといけない。五人の家庭教師を続ける以上、四葉を不要に傷つければ仕事に支障が出る。
「……まだ返事を決めていない」
「ちょっと間があったね。図星だったんだ」
「うるせえ!」
それ以上は話を聞きたくなかった。
我慢の限界だった。
これ以上、自分の心の中を覗かれているような感覚を味わいたくなかった。
(初対面がどうとか、そういう次元の話じゃない。きっとこいつは、一花は俺よりずっと人の考えを読むのが上手いんだろう)
不利な状況に加えて歴然とした実力差まである。例えた言い方をするならそんなところであろう。
いつの間に勝負のようなことになっているのかとも思ったが、一花の底知れない考えにはこれ以上付き合いきれなかった。
だから風太郎は足を止め、反対へと歩き出した。
「もう行っちゃうの?」
「らいはを連れて帰る」
「そっか。またね」
「……」
そうしてさらに一歩、進んだ時であった。
「ああそうだ。フータロー君最後に一言だけ」
「聞きたくない」
「さっき君のことを私も好きかもって言ったの、あれも嘘だよ」
「────」
「ほんとはね、だいっきらい」
風太郎が歩き去ったのを見送った後、一花は手に提げていた巾着袋からスマホを取り出した。
画面を点けると零奈からの着信が何件も来ていた。
「通知が届いてるってことは、フータロー君のところにもらいはちゃんから連絡行ってそうだね」
おそらく零奈とらいはは一緒にいるだろうと、先ほどまで五月を通して見ていた映像から想像できた。
だから念のため、風太郎が帰りたがっているということをらいはへ伝えるよう、零奈宛にチャットも打っておいた。
頭の中ですでに決めていた文章を打ち出している間、一花はぼんやりと呟いた。
「フータロー君、家庭教師辞めてくれるかな」
先ほどは風太郎の気持ちを結構想像に任せて言っていたところがある。
とはいえ適当というわけでもなく、日ごろの風太郎の様子から推測できる範囲内での想像だ。
それをなるべく昏く、僻みっぽく言う。
そういった役作りは自分の専売特許だから。
でもこれで風太郎が自分を"中野一花達"を嫌いになってくれたならそれでいい。自分にとって上杉風太郎という人間の存在は邪魔だから。
「全部四葉のせいだからね」
お互いに脳内の考えまでは共有できないが、こうして言葉に出せば他の子達にも伝えられる。
だから一花は四葉に向けてそう言った。
零奈へメッセージを送ったすぐ後、返信があった。自分は今どこにいるのか、風太郎と何があったというようなことがスマホの画面上部に出てきた通知の概要から見て取れた。
一花はその通知を、削除した。チャットも開いてないから既読はついていないだろう。
代わりに電話帳を起動すると、一つのアドレスをタップした。
選んだのは零奈ではない。
邪魔者が消えたこともあり、一花は気兼ねなく通話ボタンをタップした。
数コールが受話器越しになった後、男の声が向こうから聞こえた。
慣れた口調で一花も応対した。
「お疲れ様です。中野です────はい、一花です────はい、これからすぐにお仕事入れます」