まだ元気で軽口も普通に出てくる頃の初期夜原と初期黒衣。
元ネタは毒入りスープをアレンジした何か
最果ての島シナリオを作ってた時に思い付きで書いた肉付け用プロットからやる気を出して書きました。
いつものように学校に行き、いつものように友達とくだらないことで笑いあって、いつものように家に帰って家族と話す。
そんな毎日が当然のように続き、私は大人になって、これからも楽しい未来が待っているのだと思っていた。
ベッドから目が覚めればそこは、ベッドの上などではなく、薄暗い闇の中で、冷たく硬い石床の上に横たわっているのだと察する。、両手両足は自由であるが何故か声だけは出ない。
驚き戸惑っている私は、必死にこれは夢だと、夢であるはずだと願いながら、私が眠っているベッドの上で目覚めることを祈るが何時まで経っても目の前に広がるのは薄暗い暗闇ばかりだった。
不安、恐怖、絶望。そんな感情が精神を蝕み、ただただ涙を流すばかりの私に、何処からか声が聞こえてきた。
いや、それは本当に声だったのだろうか。
『やあやあ、矮小でちっぽけな人間。僕はとある邪神が丁度良い駒を捜していたからなんとなく君を選んでこの場に放り込んだ張本人、いや、協力者って言ったほうがしっくり来るかな? まあ、君からすれば残念なことだけどさ、ちょっとだけ君にやってもらいたいことがあるんだよね。そう、そのちょっとした事って言うのはさ、君にこれから此処に招かれるであろう
その声が聞こえなくなった瞬間、私の身体は何者かに操られているかのように、自分の意思とは関係なくふらふらと立ち上がる。
何も持っていなかったはずの手の中にはズシリとした重みを感じさせる、金属質の何かが握られていた。それがなんなのかはまだ分らないが、どうせすぐ分ることなのだろう。
足取りもおぼつかない自分の身体を引きずるように私は所定の位置がそこであるかのように部屋の中心に向かって歩き、その場に立ち止まり、暗闇の中うすぼんやりと見える古びた鉄の扉を見てただ佇む。
それから感覚的に数分経った頃だろうか、なにやら扉のほうから何かの音が聞こえてきた。
「―――んだ―――入りスープ―――」
それは先ほど聞こえたような何かではなく、誰かの声だということがはっきりと理解できた。
先ほどまでの絶望感はいつの間にか誰かが此処から私を解放してくれるという期待感に変わり、その誰かがこの部屋に来て私を救い出してくれるのではないかという未来を想像させる。
そして、この場所に連れてこられてから私は初めての光を見ることが出来た。
「クソッ、どういう状況なんだよ。えっと此処には貴方の言うことを何でも聞く従順な下僕がいるって書いてんな」
蝋燭の小さな火の光と共に近づいてくる人物は頼りなさそうな眼鏡をかけた青年でした。
その人は私に気がつくと、私の手を見ながら言う。
「な、なあ、それってまさか、本物なのか?」
私は頷くことで肯定の意を示す。
「お前が僕をこんなところに連れてきたのか?」
今度は首を横に振ることで違うと答える。
たった二回の質問でその青年は、私が何らかの理由で言葉を喋ることが出来ないのだという可能性に行き着いたらしく、私にこう尋ねた。
「君は喋ることが出来ない?」
私は頷く。
「君が従順な下僕でいいのかな?」
頷く。
「じゃあ、ここが何処だか知っている?」
首を横に振る。
「そっか、じゃあとりあえずその手に握っているものを僕に渡してくれないか?」
そういわれた私の身体は自分の意思とは関係なく青年に拳銃を手渡す。
「じゃあ、僕は行くから」
そう言って青年は私に背を向けて扉のほうに向かって戻っていってしまう。
その背中を追うように私が着いていこうとした所で青年は再び振り向いて私に、何か怯えるように言うのだ。
「君はここで待ってて。僕はやることがあるから」
そこでまた私の身体は私の意思に反して立ち止まり、頷くことしか出来ない。
何で私も一緒に連れて行ってくれないのか、私を救ってはくれないのかと言葉にしようと口を必死に動かすが声は一切でてくれない。
勝手に着いて行こうとしても何かに縛られたかのように身体も動かすことは出来なかった。
なんで、どうして、そんな感情がぐるぐると自分の中で巡るだけで答えなんて出てこなかった。
だから私はこう思うことにした。まだ一人目なんだ。私を助けてくれる人はきっと居るはずだと。
さっきの人は見なかったことにしよう、来なかったことにしよう、そう自己暗示をかけるように自分に言い聞かせた。
そうして数十分が過ぎた頃、何処からか悲鳴が聞こえてきた。
「ば、化け物ぉ!! く、くるなよ、うあぁぁぁぁ!!」
ズドン、ズドンという大きな音。それが6回ほど鳴った後、その声は途切れ、グチャグチャと咀嚼音のような何かが聞こえてきた。
鉄臭い臭いと、アンモニアの様な臭気が私の居る部屋まで漂ってくる。
『あーあ、残念だったね。どうやら死んじゃったみたいだよさっきの人間。とりあえず君も死になよ、どうせ繰り返すんだからさ。まあ次に期待って奴だね』
瞬間、私の意識は暗転したのだった。
☆
アレから私は幾度と無く死んだ。
助けてくれるはずだと信じた人間に撃ち殺されたりもした。蛇のような何かの生贄にもされた。こんな狂った世界の中で性欲の捌け口にされた。私と一緒に此処から出ようと言った人は皆死んでしまった。良い人も悪い人も居た。けれど私を救ってくれる人は未だに現れない。
きっと私はもう何回も繰り返さないうちに壊れてしまうのだろう。壊れてしまったほうが楽なのだろう。
それなのに私はまだ帰りたい、そんな想い一つだけで何とか正気を繋いでいることが出来た。
もう帰れないのだと悟ってしまえば私という人格はきっと死んでしまう。何回も死んでいるはずなのに私という人格が死ぬのだけは怖かった。
そして何度目か分らないゲームの始まりを告げるあの声が聞こえる。
『さぁ、次の探索者が来たみたいだよ。今回こそ君を助けてくれる勇敢な者であるといいね。僕としてもそろそろ飽きてきたところだし、いい加減別の結末も見てみたいところだからさ。まあ、そうは言っても僕は一切干渉しないけどね。ま、せいぜい頑張ってねー』
そんな声を聞きながら、私はどうせ今回も死ぬことになるのだろうと思う。
せめて安らかに死にたいと思いながらも拳銃を握り締め定位置に立ち、私はここに来る者を待つしか出来ない。
そして扉が開くのを待ち遠しく感じるのだ。
突如、轟音が鳴った。
扉が開けられるのではなく内側に倒れ、埃が舞う。
「ゴホッ、ゴホ。ったく、掃除くらいしろっての」
急なことに私は、初めてここに連れて来られた時以上に戸惑う。
扉を壊して中に入って来た者は当然今までも何回かあったが、扉を蹴破って入って来た者は初めてだったからだ。
そうして中に入ってきた者は私に気がついたのか、近づいてくる。
その顔が見えた時、私は今回も死ぬんだと諦めた。
背丈は私よりずっと大きく、ボサボサの黒髪、死んだ魚の様な一切やる気の見えない顔、よく見ると顔は整っているが前述したモノのせいで非常に残念である。
「お嬢ちゃん。煙草もってねぇか?」
あまりにも場にそぐわぬ雰囲気、そして発せられた言葉は煙草を持っているかの確認。
とりあえず私は首を横に振る。
「っと、冗談はさて置きだ。意思表示は出来るみたいだな。お嬢ちゃんは此処から出たいかい? ああ、もちろん部屋から出たいとかそういう質問じゃねぇよ、この謎空間から脱出したいかって意味でさ」
言葉の意味を理解するのに数秒かかったが、私は今までに無いくらいこくこくと頷いた。
「んじゃ、とりあえず一緒に探索するか。ちなみに何か知ってたりする?」
知っていても私にそれを答える権利は与えられてないため首を横に振るしかなかった。
「知らないと。まあ、とりあえずこんな陰気臭いし汚い部屋だと気も滅入るだろうし、明かりのある部屋で考えるか」
そう言ってその人は私の手を引いて歩く。
それは久しぶりに感じる人の温かい手の感触。
不意に、涙がぽろぽろと溢れ出す。
「って、おいおい、泣くくらい嫌だったんなら振り払っていいのによ」
違う、違うんです。嫌なんかじゃないんです。
だから私は強く強く、その手を握り締める。
離さないように、その温かさを失わないように。
「っと、いや、そうだな」
その人は私の目の高さまでしゃがみ、目を合わせて話してくれた。
「こんな場所に一人で居たらそりゃ不安にもなるか。辛かっただろうし、寂しかっただろうし、苦しかったろう。だから一緒に脱出しような嬢ちゃん」
その時の顔は、とても穏やかで、とても優しい眼で、私を安心させてくれた。
「とはいえ、あんまりこうしてのんびりするほど余裕は無いんだけどな」
そう言って私の頭を撫でると、そのまま天上からぶら下がっている電球を観察する。
その人がしたように私も電球を見ると、風も無いというのに影が揺らめいている事に気がつく。
なんで風も無いのに揺らめくのだろうかと疑問に思っていたところ、その人は何かに納得したように呟き、私に聞いてくる。
「とりあえずアレが第一候補っと。じゃああっちの扉のほうに行きたいんだけど」
そういって古ぼけた木の扉を指差される。
私は手を離さずこくりと頷くと、その人は小さくいい子だと言ってその扉のノブを掴んだ。
そして何かに気がついたのかその人は私に優しく言う。
「秘蔵書につき持ち出し厳禁、ね。お嬢ちゃん、勝手に本を持ち出しちゃダメだからな?」
私はこくりと頷くとその人は扉を開け、中に入る。
そこは正方形の部屋で、壁際にズラリと本棚が並んでおり、部屋の中央には小さなテーブルがあり、その上にはキャンドル皿に乗せられた蝋燭がゆらゆらと明かりを灯していた。
「図書室って訳か・・・。お嬢ちゃんは本を探したりするのは得意かい?」
そう言われて私は首を傾ける。得て不得手で言えばどちらともいえず、探したい本くらいなら探せる程度であり、得意とは言えないからだ。
そんな私を見てその人は少し悩んだ後に
「じゃあ『毒』と『夢』に関係ありそうなそれっぽい本を探してくれないか?」
私はその言葉にこくりと頷き、『毒』と『夢』のどちらか、あるいは両方当てはまりそうな本を探す。
本棚を上から下までじっくり眺め、どういう置き方がされているのかなどを気にしながら探すが、日本語のもの、英語のもの、何語か分らないものと混在しており、それっぽい本を探すだけでも相当な時間が掛かりそうだなと思う。
そんななかでも複数ある黒い背表紙の本の中でも一際ヘンな雰囲気を漂わせ、湿っている本を見つけるが背が低いせいであと少しだというのにとどかない悔しさを噛み締めながら、必死になって背伸びをしていたところで身体を持ち上げられた。
「なんかそれっぽいの見付けてくれたはいいけど背が足りなかったオチだな」
私は何故だか急に悲しくなり、目当てだった本に手を触れようとしたが、思ったよりもぬっちょりとした感覚に手を離してしまう。
手についた何かが不快で、焦って身に纏っているボロ布にゴシゴシと擦る。
仄かに甘い臭いがついてしまった。
「粘性のある本って嫌な予感しかしねぇな。つっても調べるしかねぇから取るしかねぇか」
そんな私を気にしてか、その人は多少躊躇いながらも本を手に取ると、蝋燭のあるテーブルに置き、本を開くとぱらぱらと捲っていく。
『~タイトル・毒と夢~』
『 毒は頭痛を引き起こします。そして視界を揺らし吐き気を催す。あなた達を元の世界へ誘うでしょう。調理場にはスープが。鍵付きの部屋にはあなたに便利な道具が。窓の部屋にはあなたが望むかもしれないものがあり、望まないものがあるかもしれない。そしてこの部屋はあなたの活路となりうる』
その人はおおよそ私には理解できない内容を見て、くだらないものを見たというような反応をして本を閉じた。
「ん、その様子だと分ってないみたいだな。よしよし、じゃあ不肖ながらこの私が謎の解説をさせていただきます、お嬢様」
私は突然頭を撫でられたことにぽかんとしてしまう。
しかしその人は私の反応など関係無しに、表情は笑顔のままのはずなのに、何故か酷く後悔したようで、それを私に悟らせないようにしてるように見えた。
その顔を私は、後生忘れることは無いのだろう。何かに絶望しきって、心を空にして、それでも諦められなかったその人の表情を。
この狂ってしまった世界で見つけてしまった私に贖うかのように。
「まず、俺がこの空間に来たときに一番最初に居た部屋で見つけたのは赤いスープとメモの二つ。スープは指突っ込んで舐めてみたがただの血液だったよ。そんでメモに記されていたことは美味しい毒入りスープを召し上がれときた。現状では『毒入りスープ』ではなくただの『血のスープ』しかない。ここまでは理解できたかい?」
つまりこの狂ったゲームをクリアする為のキーアイテムである『毒入りスープ』は現状では何処にも無いということなのだろう。
ではどうやってそれを手に入れるのかが重要なのだろう。
自分の頭の中で情報を整理し、自分なりに理解したところでこくりと頷く。
「よしよし、頭の良い子で助かる。そして次に取り出したるはこの銀のスプーンだ。これは君の居た部屋から見て右手の部屋にあったものでね、ちなみにその部屋はキッチンだったよ、それもこの空間で酷く浮いてるくらいに感じるほどに清潔感があった。というのはどうでも良くて、重要なのはこの銀のスプーンで、いや、銀製品だったら何でも良かったんだけどな」
その人は指を基点にペン回しの要領でスプーンをくるくる回しながら続ける。
「銀って言うのは古来より神聖な物質であると言われてるんだよ、それは儀式の為に使われたり毒を判別するためにも使われていてね。ここまで言えば分かると思うけど、単純にこのスプーンに反応があれば毒を見つけることが出来る」
博識な人なのだと感心しつつ、人は見かけによらないのだと反省する。
「まあ、今の所で毒の候補は二つある。まず一つはこの本からしっとり染み出てるこの液体、もう一つは多分さっきの部屋の豆電球にでも隠されてる。だが、ここで問題が一つ発生する。一つ目はまだ入っていない部屋があるっていうこと、二つ目はどちらの毒がゲーム的に正しい毒なのか、三つ目が毒を飲むということは死ぬ可能性があるってことだ。まあ二つ目はぶっちゃけどうでもいいんだけどさ」
今までの情報から、私は考える。
一つ目の問題として上がったまだ入っていない部屋がある。これはまだ何か見落としがある可能性が否定できない為なのだろう。
二つ目は毒の指定がされていない所からどうでもいいと判断したと思う。
三つ目は出るために死ななきゃいけないと言う矛盾を抱えている。けど私はこれまで何度も何度も繰り返した経験だ。確かに苦しみながら死ぬのは怖い。けど、少しでも可能性があるのならば私はこの人と一緒に出たい。脱出したいと思う。
「それで一つお嬢ちゃんに提案なんだけどよ、俺が残りの部屋を調べるからその間は中央の部屋で待ってて欲しいんだよ」
そう言われた瞬間、私は首を横に振った。振っていた。
私は知っている。あの部屋だけはダメだと、あそこには得体の知れない化け物がいる。
私は繰り返す中で何度もあの化け物の生贄にされた。そして、何人もあの化け物に食われてしまった。
だから私は必死に首を横に振る。
「むっ、そこまで嫌がられるとは思わなかったよ。かといって調べないわけにも行かないしな」
私の反応を見てその人は数秒の時間思案したのだろう。
出きることなら絶対に行かないで欲しい。
「オーケー、じゃあ質問だ。君はその部屋に何があるか知っているか?」
頷こうとした瞬間、全ての世界が止まった。
身体は一ミリさえ動かない、まるで誰かの意思で押さえつけられているかのように。
『ダメだよ、それはルール違反だ。例えここの世界の創造主が認めても僕は認めない。だって、それは非常につまらないからさ。君に今までの記憶を残していてあげたのは余りにも探索者が簡単に死んでしまったからだ。でもこの探索者は違う、自分で考え、自分で全てを推理している。それも君という生贄にしか使えないお荷物を抱えてさ。だから、君の記憶、ほんの少しだけ忘れてもらうことにするよ。それもあの部屋だけのね』
どこからかパチンと指を弾いたような音が聞こえた。
どうして私はあの部屋に行くことを嫌がったのだろうか。
それに、その人が言ったように何か見落としがあったら大変だ。
私は質問されたことに意思表示をするために首を横に振る。
「ん、知らないのか?」
こくりと頷く。
それを見たその人は何故か考え込んでしまった。
時間にして数分経った頃、結論を出したのかその人はおもむろに私の顔を両手で軽く掴むと、顔を近づけてくる。
「ちょっと失礼」
突然のことに反応が遅れたが、急に顔を近づけられたことに心臓の鼓動が早くなる。
キスもしたことはないし、ここまで異性に顔を近づけられたのは初めてだ。
もう少し近づけばキスをしてしまいそうな距離でその人はじっと私の瞳を少しの間見ると、両手を離して立ち上がる。
「急に悪かったね、でも必要なことだったんだ。許してくれるかい?」
私は伏せ目がちにこくりと頷く。
「少しばかり謎が増えたけど、とりあえず方針に変更は無しだ。一人で残るのが嫌だったら危険かもしれないけど一緒に行こうか」
気にかけるところが少し違う気がしたが、離れて待っているよりなら一緒に行くほうが良かったため、こくりと頷く。
私の返答を確認したその人は、私の手を握ると何も持たずに入ってきた扉から出ると、小窓の付いた鉄扉の前まで歩く。
私では背が足りなくて見えない小窓から、その人は中を確認する。
「あー、知ってた、知ってたさ。クソッ、一ミリでも期待した俺がアホだった」
中を見たその人は先ほどまでとは少し変わり、表情が暗くなる。
「悪いけどお嬢ちゃんはここで待機だ、頼むからおとなしく待っててくれ」
手が離れた瞬間、私は急に不安になった。
首を横に振ろうとしたが、身体は私の意志に反してこくりと頷く。
「そういえばお嬢ちゃん、拳銃持ってたよな。そいつ貸してくれねぇか?」
こくりと頷き、私は持っていた拳銃をその人に手渡す。
「こんなおもちゃみたいな拳銃でもないよりマシだからさ、ありがとな。あともう一つ、今から扉開けるから少しはなれて後ろ向いててくれ、何があっても振り向いちゃダメだからな?」
それに対して私はこくりと頷くと、言われたように扉から少し離れて扉に背を向ける。
「んじゃ、いってくるわ」
ギィィと重い音を立てて扉が開かれる。
ただ私は、その人の無事を祈ることしか出来ない。
だが私が命じられたのは振り向くなということだけだ、聞き耳を立てて、少しでもどうなっているのかくらいしたって罰は当たらないだろう。
距離にすればほんの数メートルだ、ただでさえ物音一つしないこの空間では嫌でも音だけは聞こえるのだ。
体感的に一分も経っていないだろう、それだというのに私の後方からは拳銃の炸裂音が一回、二回、いや、全部で六回連続して聞こえてくる。
それとは別に、空気を切り裂くような重量感を持った何かが振り回される音もした。
そして何よりも嫌だったのはその二つの音ではなく、人間の本能から恐怖を駆り立てるような何かの鳴き声。
一体あの部屋には何がいて、どうなっているのかが気になるが私は本能が感じ取ってしまった恐怖に足が竦み、その場にへたり込んでしまう。
それから数分ほどして、私の後ろから足音が聞こえた。
「ってぇ、くそ、ただの外れ部屋じゃねぇか。っと、嬢ちゃんどうした!?」
床に手をついてへたり込んでいる私に気付き、その人は焦ったような声で近づいてくる。
「あー、そういうこと。宇宙的恐怖に中てられたか。慣れてない人間じゃどうしてもキツイもんがあるからなぁ、あれって」
そういいながらその人は私を軽く持ち上げ、テーブルの前の長椅子に座らせる。
「とりあえず結果としてはだ、あの部屋にある情報を手に入れたいなら武器が足りない。それとどうしても調べたいって言うなら、嬢ちゃんか俺が生贄になって満足させるくらいしかないから調べる必要はない。つまり結果だけを言うと無駄足だったよ。そういうわけで結論を出そうか」
先ほどの恐怖が抜け切らない私は、その人が机の上に乗って豆電球を外している姿をただ見ているだけだ。
「予想通りだ。後は、コイツが毒なのかをチェックして、スープに入れて飲むだけだ」
その人は豆電球の中にあった液体を銀のスプーンに一滴だけぽとりと落とし、反応があるのかを確認する。
どうやら表情を見る限り、反応があったようだ。
「さてさて、これで特にめでたくもねぇけど毒入りスープの完成ですよっと」
私の鼻先にある真っ赤なスープにその人は毒を全て注ぎ込み、とても嫌そうな顔をする。
「先に言っておくけどさ、これが確実な答えっていう訳じゃない。だから俺は嬢ちゃんにコイツを飲むことは強制しない。だが俺の推理を信じて、正解だと思ったのならコイツを飲んで欲しい。生きるにしろ死ぬにしろ、一生こんな場所にいるなんて嫌だから俺は飲むけどな」
それは真っ直ぐな眼だった。言うこと全てに私への配慮があり、優しさを感じた。きっと私はその人の推理を正解だと思ったんじゃない。ここから一緒に出ようと言ってくれたこの人だからこそ信じてみようと思った。
いつ来るかわからなかったその人はこの人なのかもしれない。
だから私は目の前にあるスープを飲む。
「はは、コイツはちょっとキツイかな。死んだら俺を恨んでくれていいからよ」
私の身体は毒の侵入によってとてつもない苦痛に犯される。
きっとこの苦しみを同じように味わっているこの人を恨むことなんて私には出来ないだろう。
信じてみたいと思ったのは私で、信じたいと思わせてくれたこの人を。
苦痛に耐え切れなくなった私の意識は闇に沈んでいく。私は無事じゃなくてもいい、だからどうかこの人だけでも―――
『勇敢なる者よ、汝、現に帰るがいい』
沈み行く意識の中で、確かにそう聞こえた。
☆
身体を包み込む柔らかな感覚の中、私は目を覚ました。
太陽の日差しが差し込むその場所は、今までいた狂った世界などではなく、どこかの病院の一室なのだろうと判断した。
だがこれも狂ってしまった私が見ている夢なのかもしれない。
スライドドアが開くと、私を見た看護士さんが驚いた顔をして走っていく。
しばらくして黒髪の少しばかり目つきが悪く、雰囲気の怖いお医者様が私に話しかけてくる。
どうやら話を聞くと私は道端で倒れていたところ、通行人に発見されて搬送されてきたらしい。
「起きたばかりで悪いけど、いくつか質問してもいいかい?」
「はい」
喋れる。
そこで私は漸く実感した。元の世界に帰って来たのだと。
ぽろぽろと涙が零れてくる。
そんな私を見たお医者様は全てを分かったような顔をして見守ってくれる。
看護士さんも同様に見守ってくれていた。
しばらくして泣き終った頃に、お医者様は私に改めて聞いてくれた。
「急患だって運ばれてきた君の身体を診察したところ、何も問題は無かった。ただ何故か意識だけが戻らない不思議な状況で私も頭を抱えていたんだ。でも、無事に意識が戻ってくれて本当に良かった。まあ、こんなことはどうでも良かったか。それで、君にいくつか質問があるんだ。自分が何処の誰なのか分かるかい?」
「私は、私は―――あれ?」
何も思い出せない。
自分の名前も、住所も、家族の顔も。
思い出せることはあの空間にいた頃の記憶だけだった。
「少しばかり気になって警察に頼んで調べて貰ったよ。まあ、分かったことは何もないんだがね。だからこうして君に聞いてみたが結果は変わらずか」
「お医者様、倒れていたのは私だけでしたか!?」
どこか妙に落ち着いた様子でお医者様は答えてくれる。
「そうだ、急患として運ばれてきたのは君だけだった。何か覚えているのかい?」
私は全てを話した。
到底信じられないような内容だが、確かに残っている記憶、今でも思い出せるあの感覚、経験したこと全てを。
それを聞き終わったお医者様は何故か看護士に部屋から出て行かせた。
「君の担当医が私で良かったな。ああ、言い忘れていた。君の担当医をしている
「黒衣先生はこんな馬鹿げた話を信じてくれるんですか?」
「ああ、私もそういった現象を何度か経験していてね。それで君を救ってくれたという人物なんだが、ボサボサの髪で死んだ目をした頭の切れる優しい変人で合ってるかい?」
「いえ、あの、なにもそこまで言ってませんが、特徴的な所をあげると間違ってないです」
それを聞いた黒衣先生は笑いを堪えるように言う。
「実はそんな人間を私は知っていてね、おそらく君の言う人間だと思うんだが会ってみないか?」
「会います! 是非会わせてください!!」
迷い無く即答していた。少しでも可能性があるならば会いたい。
そしてお礼をしたい。
私の返事に黒衣先生は気を良くしたのか、懐から携帯電話を取り出し通話ボタンを押す。
「ああ、私だ。今すぐ私の病院に来い。そう、今すぐだ。何? 忙しい? では耳寄りな情報をくれてやろう。助かったよ、それだけで分かるだろうお前が関わっていたのならな」
伝えたいことだけを言うと相手の反応など待たずに黒衣先生は通話を切ってしまった。
「ではこれで私は失礼させてもらうよ。何、心配は要らないさ。アイツは必ず来るからな。それとこの問診表に書ける範囲で記入しておいてくれ、待っている時間が勿体無いからな」
そう言って黒衣先生は私に何枚かのシートと、ペンを渡して部屋から出て行ってしまった。
ぱらぱらとシートを眺めると問診表などではなく、クロスワードだった。
そんな微妙な気遣いに私はくすくすと笑い、問題を解き始める。
一枚目のシートを解き終わり、二枚目のシートに取り掛かろうとしたところで部屋の外から大きな声が聞こえてきた。
「ふざけんなよ! こちとら今さっき死んで生き返って疲れ果ててんだよ! これで違ってたらぶっ飛ばすぞコラッ!」
「病院で騒ぐな、訴えるぞこのアホが。それよりも早く会ってみろ、間違ってたら私が何でもしてやろう」
「あぁ? 野郎に何でもしてやろうとか言われても気持ちわりぃんだよ!」
「何を言うかと思えば、ならば私の推察が当たっていたら貴様にあの少女の治療費から入院費用を払わせてやる。これで満足か?」
「どのみち俺に得がねぇじゃねぇか!」
「いいからさっさと行け!」
聞き覚えのある声と黒衣先生の声だった。
スライドドアが乱雑に音を立てて開くと、そこには衣服の違いこそあれ、それ以外はあの空間で見たその人そのものだった。
黒いよれよれのスーツにだらしなく下げられたネクタイ、ボサボサの黒髪、死んだような目、見間違えることなど無く分かる。
「おじさん!!」
ベッドから降りてその人に走り、飛び込んだ。
「おじさん!? え、だれだれ、もしかして俺の事言ってんの!?」
飛び込んだ私にその人は戸惑いながらも優しく受け止めてくれる。
ああ、やっぱり、私を助けてくれた人なんだ。
「じゃあ、名前。名前を教えて?」
「なんかイメージしてたよりもアグレッシブな子だな。まあ、元気なことはいい事だけどさ。えっと名前だっけか、お兄さんの名前は
「夜原さん?」
「なんだい、お嬢ちゃん?」
私はもう一度この人に会えたことを偶然の積み重なりに感謝したい。
だって、やっとこの人に伝えられるのだから。
「あ、あ、ありがとうございました!」
一瞬、夜原さんは驚いたかのような表情をしてから、すぐにわざとらしく言った。
「夜月さんは何のことだか分からないが、どういたしましてお嬢ちゃん。さて、目的も果たしたことだし帰りますよっと」
夜原さんは私を離すと、後ろを向いて出て行こうとする。
もっと話したい事や、聞きたいこと、色々な事があった。だから私は手を掴もうとしたが、それよりも早く黒衣先生に肩を掴まれていた。
「まあ、待て夜月。お前にはまだやってもらうことが色々と残っていてな。もちろん、その子も一緒だが」
「いやいやいや、ちょっと意味がワカンナイカナー」
「意味が分からんのはお前の思考だけで充分だ。どうしてもと言うのなら止めはしないが、一人で生きていく見込みの無い者を私に任せても言いというのならばだがな」
黒衣先生の最後の言葉を聞いた瞬間、夜原さんは黒衣先生の胸倉を掴むと静かに言う。
「おい、ソイツはどんな冗談だ?」
「彼女には記憶が無い。帰るべき場所への記憶も、自分自身の名前さえも。彼女の痕跡はこの世界の何処にも無い、ここまで言えば充分だろう」
黒衣先生は胸倉を掴んでいた手を振り解く。
「……わかった、話は聞いてやる。その代わりお前の推測の全てを語れ」
「物分りが良くて助かるよ。そういうわけだ、君も目覚めたばかりで悪いが場所を移して話そうか」
黒衣先生と夜原さんが話している内容の意味はちっとも理解できないが、たった一つわかったことは私の置かれている状況は私が思っているよりも悪いということだけだった。
夜原さんは私の手を掴み、優しく言う。
「きっとこれから知ること全てが君にとって残酷なことかもしれない。受け入れられないかもしれない。だが分かって欲しい、君は一人じゃない」
「夜原さん、私をあの狂った世界から救い上げてくれたのは貴方です。だから私は貴方がそう言ってくれるのならば信じます、信じたいです」
私は受け入れる。どんなに残酷な事実でも、あの体験を経た以上はありえないということはありえないと知ってしまったから。
なによりも、優しい声で私に話す貴方の今にも泣きそうな、辛そうな、そんな全てを見せないようにしている顔を見てしまっているのだから。
「ありがとう。俺達も行こうか」
「はい」
夜原さんの言葉に私は返事と共に頷く。
病室から廊下に出て、診察室と書かれたプレートのある部屋に入る。
そこには椅子に座った黒衣先生がカルテと何かの資料を机の上において、準備は整えておいたという様にしていた。
そして私と夜原さんに診察用のベッドに座るように促し、座った所でその口を開いた。
「結論から言おう、君はこの世界の人間ではない」
これが全ての始まりだった。
今の私は、こうしてこの世界に受け入れられたのでした。