姉に愛されたかった話   作:ぎー

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Prolog

 私は双子の姉のことが世界で一番大好きだ。

 

 真面目で努力家で優しく、同じ血を分けたとは思えない程に聡明な人。

 その癖自尊心が高く、己に関して少しの妥協も許せない厳格で克己的な人。

 

 秀外恵中才色兼備。文武両道を地で行く姉を飾る形容詞は沢山思い付くけれど、その何れもがあの人の本質を表すことなどできない。それほど複雑で、どこまでも魅力的な人だ。

 

 天は二物を与えずなんて言うけれど、だったら姉は天に作られし人ではなく神に等しいナニカなのだろう。

 

 ──惜しむべきは、それに見合う家族に恵まれなかった不幸だけだ。

 

 

 

 

 

 

 コンコンとノックが聞こえる。薄目を開けてベッド横のサイドテーブルを見ると、時計の針は六時を少し過ぎた頃だった。

 ドアが開く前に、慌てて頭まで布団に潜り込んだ。返事がないのを確認したのか、再度ノックが聞こえることはないままドアが開く。

 

陽織(ひおり)、朝よ。起きなさい」

「うぅん、あとちょっと……」

「はぁ。もうすぐ朝ごはんも出来るから、早く降りてきなさい」

「うう……はぁい」

 

 すっかり板に付いてきたやり取りを交わして、もう一度ため息を吐きながら出ていった姉の後ろ姿を見送る。

 

 ドアが閉まって、階段を下る音が聞こえてから漸くベッドから出た。

 

 充電してあったスマホを見ながら部屋を出る。同級生から何件か来ていた未読のメッセージを確認しつつ、リビングには向かわず浴室へ。

 と言っても朝は汗を流してセットしやすいよう軽く髪を濡らすだけ。諸々を十分程で済ませて、寝癖を整えつつ丹念に歯を磨いてから姉の待つリビングへ向かう。

 

 姉が起こしに来てから二十五分。いつも通りだ。

 

 食卓では既に姉が食事を始めている。こちらもいつも通り、気付いているだろうに私の方を一瞥すらせず流麗な所作で箸を進める。

 家庭料理を食べているだけなのに美しいと感じるのだから、私はもう末期だ。

 

「おはよう、お姉ちゃん」

「ええ、おはよう」

 

 改めて挨拶をすれば、返してくれる。先程敢えて私の方を見なかったのは必要がなかったからで、挨拶に挨拶を返すのは当然のことだから。

 

 うちは昔から朝食はご飯派で、今日のメニューは焼き鮭をメインにワカメのお味噌汁と卵焼き。

 一般的で簡単に見える献立も、朝から用意するとなれば面倒だし大変なのだろうと今の私ならわかる。

 

 私とは違って、夜遅くまで勉強をしている姉が作っているのだから余計に。

 

 今日も食卓に両親の姿はない。食事が用意されていた跡も。もちろん夜勤だとか、朝早く出勤して行ったとか、仲睦まじく旅行中だとか、そういう話では無い。

 

 生物学上の父と母は今も生きているけれど、父は単身赴任と称して浮気相手と別宅に住んでいるし、母は父が出ていったあの日から家に帰ってきていない。

 それ自体に特別な感情を抱くことは無い。家族の形はそれぞれで、我が家のそれ(・・)が多くの人が想像するものではなかっただけだから。今思えば、私達姉妹が子供らしからぬ子供だったのもよくなかったのだろう。

 幼い子供らしく泣いて引き止めれば、あの人達もまだ家族でいてくれていたのかもしれない。けれど、私も姉もそうはしなかった。

 生活に困窮しないのなら、形だけの親なんて居なくても良いとすら思っていた。

 

 何故なら私には敬愛してやまない姉がいたから。

 ──この人が、どう思っているかは分からないけれど。

 

 無条件に愛を与えてくれるような両親は居ないけれど、幸いにして金銭的に困窮することは無かった。あの人達は形だけでも未成年の娘を捨てた冷血人間になるつもりはないらしく、毎月十分なだけの生活費を振り込んでくれているし、学費や水道光熱費等は別途支払っているらしかった。

 

 この家で姉と二人暮らしを始めてからもう三年経つ。

 食事を作るのは姉。代わりに掃除とゴミ出しは私。その他細かいことは気付いた方がやる事になっているが、大抵は姉が先に気付いて完璧に済ませている。

 

「いただきます」

 

 姉が私を起こしに来てから三十分近くが経過しているというのに、用意されている朝食はまだ暖かい。そしてこれもいつも通り。

 私のルーティーンが変わらないように、姉が私のルーティーンに合わせて調理の時間を調整しているからだ。

 どこまで完璧な人なのか。なんて事ないように箸を動かす姉を見て、少し笑ってしまう。

 

「今日うちのクラスは体育があるんだ。私は選択バスケを取ったけど、そっちは?」

「……私もバスケットよ。どうせ知っているでしょう」

「まあ……うん」

 

 そりゃあ、あなたが選んだから私も選んだのだから。

 私が真似(・・)したのを確信して、殆ど動かなかった彼女の表情筋が少し強ばる。

 

 昔からそうだった。この人は私が自分の真似をする事を極端に嫌がるのだ。私が観測している範囲内で、唯一のネガティブな感情と言ってもいい。

 

 本当はバスケなんて選ぶつもりはなかった。この人が嫌がるから中学まで入っていた陸上部は辞めて他の部活に入ったし、クラスメイトの何人かに推薦された生徒会役員だって断った。

 学校までは、諦めきれなかったから同じ学校を選んだけれど、我儘を通したのはそれが最後だ。

 

 けれどあんまりにこの人が私を避けるから、ちょっとした意趣返し──朝食の時間に当てつけて終わりになる体育の選択を被せただけ。こんな幼稚な事をしているから、誰にでも愛想を振り撒くこの人が私にだけは愛を向けてくれないんだろうな。

 

「……何?」

「ううん。なんでもない」

「……そう」

 

 顔を眺めていたのがバレて、言外に苦言を呈される。目も鼻も口も、形成しているパーツは全て私と同じはずなのに、受ける印象に天と地の差があるのは表情のせいなのだろうか。鏡で自分の顔を見ても何とも思わないのに、この人の顔を見るとどうして胸がざわつくのだろう。

 

「ご馳走様」

 

 私が自業自得で落ち込んでいるうちに、先に食べ始めていた姉が食器を持って立ち上がる。

 丁寧に自分が食べた分の食器を全て洗って、乾燥機へ入れた。調理器具は食事前に洗い終えていたらしい。洗い物は私の担当なのにね。分担した事を任せることすら、この人には甘えに感じられるのかもしれない。あとは単純に、私に自分の物に触れてほしくないだけか。

 たった二人で暮らしているのに、私と姉が使う食器は箸もお皿もお茶碗も分かりやすく別の色形をしたものを使っているから。

 

 姉の物は姉の物。私の物は私の物。この家で共有しているものなんて、幾つかの家電用品とトイレとお風呂以外は無いのかもしれない。

 

 私も残っていたおかずを掻き込んで席を立つ。食器を洗って、乾燥機を回す。部屋にスクールバッグと楽器ケースを取りに戻って、玄関に設置してある姿見で改めて身嗜みを整えてから家を出た。

 校舎までは徒歩で二十分。私が入っている軽音楽部には朝練は無いから、学校についてもまだかなりの時間がある。

 

 ホームルームの時間まで何をして時間を潰そう。授業の予習は──もう必要ない。今日は月曜日でバスケ部の朝練はないから、幼馴染の冷やかしにも行けないし。

 

 いっそ、部室に行ってみようか。もしかしたら同じような暇人が何人か部室に来ているかもしれない。いや、内二人は確実に来てそうだ。

 

 学校までの二十分は意外と早い。家にあの人と居る時と違って、息が詰まらないから。

 三階の最奥にある軽音楽部の部室に近付くにつれ、聞き慣れた楽器の音が聴こえてくる。

 ガラガラと態と音を立てて部屋に入っても気付かない程自分達の音に集中していた二人は、短いジャムセッションを終えて漸く私に気付いたようだった。

 

「来ていたのなら声を掛けてくれれば良かったのに」

「うんうん。ひーちゃんも来たら幅も広がるし!」

「イヤイヤ、ドアの音に気付かないほど集中してる二人の邪魔なんて出来ないって」

 

 つい先程まで長い髪を靡かせながら激しいプレイをしていたとは思えない、低く落ち着いた声で話し掛けてきたのがうちのバンドのギタリストにしてメインボーカルの高崎(たかさき) (かなで)

 何度も頷きながら、人懐っこい笑顔でこちらを見ているのがドラマーの樋口(ひぐち) 凛央(りお)。性格と同様に明るい髪色は、祖母の遺伝から来る地毛らしい。四分の一はアイルランドの血が入っているんだとか。

 

 今日はここにいないキーボードの金澤(かなざわ) 紗良(さら)と、ベースの私 櫻井(さくらい) 陽織(ひおり)を含めた四人がこの学校の軽音楽部の全メンバーだ。

 

 元々は私と同学年である奏が発起人で、その幼なじみの凛央と二人で立ち上げた部活。奏がスカウトしてきた紗良と成り行きで入った私の他に部員は居らず、三年生四名しか在籍していないため来年には廃部することがほぼ確定していたりする。

 

 校内外にファンは多いし、少し取っ付き難い奏はさておき凛央も紗良も人当たりが良く性別問わずにモテるから、入部希望者も殺到しそうなものだけれど。私の存在が足を引っ張っているに違いない。

 ああ、でも奏は『他の部員なんて邪魔なだけ』とか言いそうだな。もしかしたら入部希望も断っているのかもしれないか。

 

「ひーちゃんも来たことだし、普通に誰かの曲にしよっか」

「そうね。陽織は何が弾きたい?」

「うーん、今の気分的には静かなヤツ」

「おっけー。じゃあ── 」

 

 選んだのはアメリカの有名スリーピースバンドのヒット曲。リフはシンプルだし、初心者向けだから私も何度か弾いたことはある。確かにパンクやハードロックのような激しい曲では無いけれど、静かかと聞かれたら首を傾げてしまうかも。

 確かにボーカルを入れなかったら大人しめだろうけれど。

 

 その後も適度に休憩を入れつつ数曲合わせて、八時二十分の予鈴が鳴って朝活──朝練ではない──は終了した。

 この場所に居たら一時間なんて本当にあっという間だ。軽音楽部に入るまで、バンドはおろか音楽にすら興味が無かったとは思えない。

 

 ベースを選んだのも、奏が『希望がないならあなたはベースをやって。キーボードは目星がついてるから』と言ったから。特に拘りがあった訳じゃない。

 その癖こつこつ貯めてきたお小遣いで即日買ってしまった程度にはハマってしまったのだから恐ろしい。

 

 未経験者でも歓迎してくれる部活でよかった。運動部は、もう入らないと決めていたから。

 

「今日も良かったわ、陽織。やはり卒業後も一緒にバンドをやりましょう」

「あはは。奏も凛央もプロ並みに上手いんだから、ベースはもっとちゃんとした人を探した方がいいって。私みたいな下手っぴ初心者じゃなくてさ」

 

 何度目かのお誘いを、これまた何度目かの定型文でお断りする。卒業後のことなんて考えてないけれど、私はきっと普通の会社に就職して普通の人生を送って普通に死ぬのだ。それが凡人の宿命だから。

 

 高校卒業してバンド活動なんて、そんな特別な夢を選ぶことは出来ない。

 いつもストレートで正直な物言いをする奏が、この時ばかりはお世辞を言ってまで誘ってくるものだから少し絆されてしまいそうになるけれど。

 

「……?」

 

 私が言っていることを理解できないとでも言うように、奏は小首を傾げる。

 あざといその仕草も、容姿の整った奏がすると可愛く見えるから困ったものだ。

 

「ひーちゃんはコレさえなければなぁ……」

「……?」

 

 凛央の言葉に、今度は私が首を傾げる番だった。

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