アレクシア王女の誘拐。そしてその犯人としてのマスールの逮捕。この2つのニュースは瞬く間に学園中に、そして王都中に駆け巡った。連日のように新聞はこのニュースについて根も葉もないことを面白おかしく書き立て、学園には多くの市民が詰め寄せる。
その様子を眼下に見下ろすある室内で、赤い髪の美女が疲れを感じさせるため息をついた。
「…ゼノン侯爵。」
「なんでしょうか、アイリス様。」
この赤髪の女性こそがアイリス・ミドガル。この国第一王女にして、誘拐されたアレクシアの実姉。彼女は今回の誘拐事件に際して、寝食を惜しんで捜査に時間を費やしていた。
「まずは感謝を。この度は捜査に協力していただき、ありがとうございます。」
「何を言いますか。そもそもこの事件は学園の敷地内で起こったものです。ならば当然私にも咎の一端はあります。それに、何よりも私にはアレクシア様の身が心配ですから…。」
そう言ってゼノンは心配そうに目を伏せた。
「…あなたには教官としての仕事だけでなく、剣術指南役としての仕事もありますから、貴方の非を問う者はいないでしょう。ですから今は自分を責めるよりも、アレクシアを救うことを考えましょう。」
「…ありがとうございます。では、犯人についてですが…」
「アレクシアの同級生であるマスール・デ・カイーナ。彼が犯人である可能性が高いと聞いていますが…。」
捜査資料に目を通してそう言ったアイリスは少し眉間に皺を寄せた。
「教官として私は彼を疑いたくない。ですが、彼なら実力的にそれが可能ですし、何より状況証拠が彼である可能性が高いと言っているのです。しかし…」
「しかし?」
「彼に対する尋問が進んでいないのも事実です。」
浮かない顔でゼノンは言った。それはあまりにも予想外なことだったが、用意されていた拷問道具が軒並み彼には効力を発揮しなかったのである。
「そうですか…」
「ですが、それを抜きにしても私は彼ではないと信じたいのです。1人の騎士として、何より彼の教師として。」
その言葉にアイリスは目を細め、ゆっくりと頷いた。と、その時に突然扉が勢いよく開かれ、黒髪の少女が飛び込むようにして部屋に入ってくる。
「アイリス様!話を聞いてください!マスールは、マスール・デ・カイーナは犯人ではありません!」
「クレア君!?一体何をしているんだ!…アイリス様、失礼しました。すぐに退出させますので。」
勢いよく飛び込んできたクレアの、アイリスへの直談判。ただの下級貴族に過ぎない彼女の、下手したら不敬とも捉えられない蛮行に、 即座にゼノンがそれを制しようとした。だが、まさかのアイリス自身がゼノンを止め、口を開いた。
「ゼノン侯爵。彼女は、一体?」
「…彼女は」
「クレア・カゲノーです!マスールとは同郷で、私は、昔に!」
「誘拐されたところをマスールに助けられています!」
「…なんですって?」
「……クレア君?」
クレアの方から放たれた思ってもない発言に、止めようとしていたゼノンも、アイリスも怪訝な顔になった。そんな2人の様子も構わず、クレアが叫ぶ。
「あの時、誰も見つけてくれなかった私を助けにきてくれたのは彼なんです!そんな彼が、アレクシア王女を誘拐なんてするわけがない!何かの間違いです!絶対に!」
「待ってください。その誘拐とは─」
「落ち着けクレア君!今騎士団が調査中だ!」
口を開いたアイリスを遮るかのようにゼノンが叫んだ。
「ならこのまま犯人が見つからなかったら!?そうなったら彼を処刑するんでしょう!無実の彼を!」
「クレア君!」
必死の形相でアイリスに詰め寄るクレアがゼノンによって引き離された。クレアももがくが、体格差も相まって簡単に取り押さえられてしまった。
「もうやめたまえ。君の気持ちも分からないでもないが…これ以上は騎士団への侮辱だ。」
「ですが!」
「クレア君!やめろと言っている!」
それでも続けようとしたクレアをゼノンは無理矢理に部屋の外へと引き摺り出した。バタン、と扉が乱暴に閉められた後に嫌な静寂が残る。
「…アレクシア。」
少なくともマスールを案じるクレアの気持ちは本物だった。あんなに必死の形相で、自分に迫って来られればそれは否応にでもわかる。その気持ちも、だ。だけど、アレクシアの手がかりを得るためにも、どれだけ憎まれようとも最も疑わしい相手であるマスールをそう易々と釈放するわけにはいかない。
「アレクシア。お願い、無事でいて…!」
アイリスの赤い瞳から一筋の涙が溢れ落ちた。
どうも、まさかの誘拐犯に仕立て上げられましたマスールです。
…いやあ、まさかこんなことになるとは。人生マジで分からねえなおい。とりあえずここで死ぬ羽目になったらあの3馬鹿は絶対呪うし祟る。
「マジでなんなんだこいつ!」
鎖で壁に繋がれたマスールに尋問官なのだろう男が叫んだ。
「爪も剥がせねえ!ナイフも歯が立たねえ!水責めしても全く手応えねえ!真っ赤になるまで熱した鉄棒当てても軽い火傷で済むんだぞ!?なんなんだよこいつ!悪魔か!?」
彼の背後にはありとあらゆる拷問道具が揃っているが、そのどれもが若干変形している。ただの拷問道具では、強靭なマスールの五体を傷つけることができなかったのだ。
「鞭はどうだ!?」
「ダメだ。全く効いた様子がねえ。」
「目はどうだ?目が硬い奴はいねえぞ。」
「それもダメだ。目を針で突き刺そうとしたら針を噛みちぎられた。オレの手ごと食いちぎられそうな勢いでな。オレはあんな怖い思いはもうしたかねえ。」
「クソ…魔力封じは効いてないのか!?」
そもそも魔力ないのに効くわけねえだろ。マスールは内心でため息をついた。いやまあ、確かにこの鎖は魔力封じの奴だし普通の相手なら効くんだろうが…生憎と俺は最初から魔力ないし、正直普通のよりちょっと脆いだけの鎖である。
「ちっ…もういい。こいつはもうほっとけ。」
「いいのか?こいつは王女様の誘拐犯だぞ?こいつくらいにいくら好き勝手しても怒られねえ奴なんてそうそう現れねえのによ。」
「馬鹿か。こいつはこっちが何やっても悲鳴の一つも上げねえんだ。そんなやつに構ってどうする?オレたちがなんも楽しめねえだろうが。」
「なるほどな。確かにそうだ。」
マスールの方を見ながら尋問官たちは下衆な笑いを浮かべた。
確かに尋問官、と言うよりかは拷問を仕事にするものたちの適正資質として、相手の悲鳴を無視できるというのは確かにあるんだろうが…マスールにとっては反吐が出るほど不愉快であった。
「へっ。なら放置しとくか。
(…あの方?)
笑いながら去っていく刑務官たちを睨みつけながら、マスールは今引っかかった言葉について考えていた。あの方、とはなんだ。アイリス王女か?
(……いや、そもそも変だ。)
アレクシア王女の誘拐。それも身代金は要求されず、現在も生死不明。こんなことができる技量の持ち主なら、相手は王族なのだから身代金なんていくらでも要求できそうなものだが…
(違うな。これはまるで、クレア様の時と同じだ。)
2年前。男爵令嬢であるクレアが誘拐された時。その時はどうだった?
身代金の要求はない。両者共に容姿端麗で優秀な魔剣士。家柄は違えど、高貴な生まれ。流石にここまで共通点が多いと、一つの事実に考えついてしまう。
「【教団】、か……?」
そこにたどり着いたマスールがボソリ、と呟いた。【教団】。目的も構成も何もかもが不明な秘密結社。【シャドウガーデン】と敵対している、ことくらいしか分からない。はて奴らの目的は見目麗しい少女なのか、それとも高い魔力なのか。
「正解よ。」
考え込むマスールに、突然謎の声がかかった。あまりにも突然すぎてマスールは大きく目を見開いて驚いている。まさか疲弊しているとはいえ、常人よりも遥かに鋭敏な感覚を持つマスールに気づかれない相手がこの牢屋にくるとは思っていなかったのだ。
「…!お前は、【シャドウガーデン】の…!」
「…久しぶり、とでもいうべきなのかしら。」
壁に繋がれた彼の前に、檻越しに近づいてくるのは顔を隠した金髪のエルフ。全身を黒いボディスーツで包んだ女性─アルファが、マスールの目の前にたった。
「なんの用だ、【シャドウガーデン】。俺を嘲笑いにでも来たのか?」
「そんなわけないでしょう?」
睨みつけてくるマスールに、アルファは憂いたように返した。思ったよりも彼女はマスールに警戒されているようだ。
「今回の誘拐事件の犯人。貴方は誰だと思っているの?」
「…どういう意味だ?」
「いいから、答えて。」
「…【教団】だ。手口がクレア様の時と同じだからな。」
苦々しくマスールは返した。何を律儀に、と思いつつも久しぶりの会話ができる相手に少し舞い上がるのはどうしようもなかった。
「正解よ。そして今回の奴らの狙いは王族の血。」
「王族の血?…てことはその、あの…ベイビー的な?」
「いいえ。血液、という意味でよ。」
「血液ぃ?」
流石に女性の前ということでできるだけ言葉を選ぼうとしたが、結果としてド直球になってしまった。とはいえアルファはそれを気にした様子もなかったが。
「血液って…なんだそりゃ。てかそれアレクシア様は生きてるのか?」
「生きてるわ。さっき言ったでしょう?【教団】の目的は血液。死んでしまったら新鮮な血液を回収できないじゃない。」
「…それもそうか。てかそれなんの意味があるんだ?」
マスールは首を捻った。確かに王族の血は希少だろうが…それを好むのは吸血鬼くらいじゃないだろうか。そこに込められた意味を考えつかない。
「…貴方はまだ知るべきではないわ。…ただ、貴方に提案があるの。」
「提案?なんのだ?」
こっちの質問は無視かよ、とぼやきながらマスールは彼女の発言に耳を傾けた。
「私たちは今夜、【教団】を壊滅させに行くわ。そこに貴方も来ない?」
「…へえ。」
マスールの目が少し細まった。
「そこには間違いなく貴方を陥れた犯人もいる。汚名を晴らすなら貴方にとって最大のチャンスよ。」
「なるほどねえ。連中の居場所はわかってるのか?」
「ええ。王都の地下にアジトがあるわ。」
「そうかい。」
マスールは目を閉じた。どうも、いまの提案は自分にとって好条件すぎる。いや、というかこいつらが俺を助けようとする理由はなんだ?直接会ったのなんて2年前のあの時だけだろう?しかもあの時は敵同士だ。
(仮にこいつらの提案に乗ったらどうなる?)
1、言葉通り俺を助けにきただけの場合。この場合が一番ありがたい。そうなったら敵の首魁をボコって騎士団に突き出すだけだ。
2、俺を隠れ蓑にする場合。その場合は今から何かをやらかす計画のために、そのために必要な隠れ蓑として俺を利用しようとしている。だが、大した立場も持たない俺が隠れ蓑として機能するとは思えない。仮に罪状が増えても、俺は既に死刑がほぼ確定だから扱いに変わりはない。
3、俺を勧誘しているだけの場合。そもそも【シャドウガーデン】の行動理念がわからないためにこれに関してはどうともいえない。ただ、もしこの場合はちょっとまずいが…そもそも俺を引き込む理由が見つからない。戦闘員としてならもっと使い勝手のいい奴を狙うだろう。
(…乗る価値はある、か。)
どのみち今はどん底。このままだと犯人の策に嵌ったまま、黙って死刑執行を待つだけとなってしまう。まあ自分だけが死ぬのなら最悪それでもいい。
だが、そうしたら間違いなく次の被害者が出る。クレアの次にアレクシアが狙われたように、マスールの次に犯人に仕立て上げられるやつが出てくる。
悪党がのさばり、罪もない市井の民が涙を流す。それを許してなるものか。
「… 『二人の囚人が牢屋の鉄格子から外を見た。』」
ゆっくりと目をあけたマスールが突然に呟いた。あまりにも突拍子もない発言にアルファが怪訝な顔になる。
「『一人は泥を見た。一人は星を見た。』…俺は星を見る側でありたい。」
バキリ、と壁から音がした。アルファがそちらに目をやると、魔力封じの鎖が根本から引きちぎられている。両手がひとまず自由になったマスールは、少し首を鳴らすと、自分にかけられた金属製の手枷をあっさりと破壊した。
(あの時よりも、遥かに力が強くなってる…。)
アルファが知っている頃の彼は、金属を壊すのに相当な本気を出していたはずだった。だが、時を経て成長した彼は軽々と金属の鎖を引きちぎるまでに成長している。一体常人と変わらない程度の太さである彼の腕には、どれほどの力が秘められているのか。
「連れてってくれ。【教団】とやらのところに。」
「…いいの?言ったものの別に貴方が来なくても私たちだけで【教団】は潰すし貴方の無実は晴らすのだけれど…。」
「それなら尚更だ。俺の目的は3つ。」
ビッ、とマスールは指を立てた。
「1つ。王女様の奪還。2つ、犯人の確保。3つ、お前たちの監視だ。」
「監視?」
「ああ。ほっといたらお前ら1人残らず殺すだろ。…あの時だってそうだったしな。」
「【教団】の連中に生かしておく価値はないわ。」
「それでも、だ。」
立てていた指を戻すと、マスールは肩を軽く回した。鉄格子に手をかけ、一息でひん曲げる。瞬く間に人1人通れるだけの隙間ができた。
「他の選択肢がないままに殺すのは、ダメだろ。…こんな時代だ。世の中じゃあ悪党は殺してもいい、みたいな風潮があるが…どんな悪党でも罪は生きたまま償わせる機会があるべきだ。」
「…甘いわね。」
「よく言われる。けどま、これが俺の信条だ。俺が俺であるためのな。」
ペタリ、と素足で彼は薄汚い牢屋を歩き始めた。そんなマスールの隣をアルファも歩き始める。
「にしても今日の夜、か。それまでに武器をどうにかしねえとな。」
「貴方の武器ならさっき回収させてるわ。あと下着と制服も。」
「マジか、助か……待って?下着って、どこから?」
手際いいなあ、と最初マスールは感心していたが、聞き捨てならない言葉に勢いよくアルファの方に顔を向けた。牢屋に入れられた時に没収された武器と制服はともかく、当然彼は今下着を身につけている。なのに下着の替えがあるのはなぜなのか。マスールはジト目で隣を歩くエルフを睨み続ける。
そんなアルファはと言うと、できるだけマスールと目を合わせないようにただ前をまっすぐに見て、歩き続けた。
「…‥見張りが来ないとも限らないし、早く行くわよ。」
「ねえ、ちょっと?それ俺の部屋入ってない?ねえ!?」
マスールの最大の強みとしては弱体化が極めて困難なこと。
魔力封じが無効、かつ物理的拘束は大体破壊できるしなんなら毒も効かない。
なので彼を拘束できるのは事実上奴隷時代につけられていた『魔力を込めないとちぎれない鎖』だけだったり。