ゼノン・グリフィは極めて優秀な魔剣士である。
王国最強と名高いアイリス王女にこそ劣るものの莫大な魔力に、恵まれた才を磨き上げた剣技。数多くの戦いを乗り越えてきた経験値。それら全てを持って、彼は王国屈指の魔剣士として名を馳せる。そのことに異論を投げるものなど、この世に1人もいないだろう。
だからこそ、アレクシアは目の前で起こっている戦いが信じられなかった。
「っらぁぁぁ!」
彼女の前で激しく金属がぶつかり合う音が鳴るとともに火花が散る。そこには鍔迫り合いの瞬間すらない、一時も休むことなく互いの技と力をぶつけ合う空間が広がっていた。
「…驚いた。」
何合目になるだろうか。数えるのも馬鹿らしくなるくらいの衝突の後、ゼノンが口を開いた。
「まさか君ごときにここまで粘られようとはね。」
「それは生徒って意味ですかね!?それとも魔力ゼロって意味ですか!?」
「どちらもさ。」
話しながらも互いに手を止めない。ゼノンの剣技に対して、武器の使用法の引き出しに勝るマスールは手を変え品を変え襲いかかった。彼は両手剣を剣として、槍として、槌として振り回す。そしてゼノンはその全てをいなしきり、反撃に出ていた。
「魔力のない猿にここまで粘られる。魔剣士としてここまで屈辱なことはないよ。」
「猿ですか、俺は。」
「そうだ。君は決して魔剣士などではない。我々の足元にも及ばない猿、いやそれ以下かもしれないな。」
「そうですか。ところで…。」
ゼノンが煽るも、マスールはペースを崩さない。その直後、マスールの手元で光が閃いた。
「……っ!」
「…その猿以下に傷を負わされたお気持ちは?」
それと同時にゼノンの頬から血が流れ落ちた。極めて浅いそれは一瞬にして魔力によって治癒されるものの、ゼノンの顔から一瞬表情が抜け落ちる。
「…屈辱だよ。」
「ああそうですかあ!」
苦々しげな顔になったゼノンに、マスールが襲いかかる。今まで以上に激しい轟音の後、両者は鍔迫り合いの状況になった。この戦い初めての膠着状態。その状況では、単純に膂力に勝るマスールの方がじわじわと押し始めていた。
「ああ、全く持って屈辱的だ。」
「……!?」
同時、マスールの背中に氷を突っ込まれたような悪寒が走った。その悪寒に従って、彼は即座に競り合いをやめて後ろへと飛び退いた。
「だからこそ、君には本気で相対してあげよう。」
ゼノンの纏う魔力がより鋭く、そして濃密になっていく。それはあまりの力故に周りの大気が震え始めるほど。
「…おいおいまじかよ。」
その変貌にマスールの頬から冷や汗が流れ落ちる。魔力探知に欠けるマスールですらが、ゼノンの魔力には恐れを抱くほどに今のゼノンは強大だった。
「これが私の本気。そして…これが次期ラウンズの剣だ。」
その瞬間のマスールを動かしたのは直感だった。一歩でもしくじったら死ぬ。確信にも近いその感覚だけに従って彼は全力で上段からの攻撃に備えた。その直後、マスールには今までに食らったことのないほどの衝撃が襲いかかった。
「……ぐっっっ!」
「おや、まだ生きているのか。」
震える両手でゼノンの剣を受け止めるマスールに対して、ゼノンは余裕だった。嵐にも匹敵する魔力の暴風を引き連れて、ゼノンは悠々と笑っている。
「それにしてもいい武器だ。まさか魔力による強化抜きで私の剣を受け止めれるとはね。」
「…いいだろ、これ。家宝だよ、うちの。」
「うちの家宝?馬鹿なことをいうな。」
笑いながらゼノンは再び剣を振り上げ、震えながら耐えるマスールに振り下ろした。その度にマスールの身体が軋み、魔力の余波で皮膚が破れて血飛沫が吹き飛ぶ。
「君は自分の家の家宝なんて知らないだろう?」
「…おい。どういう意味だ?」
剣を受け止めたままマスールがうめいた。そのザマを鼻で笑いながらゼノンが続ける。
「おやおや。私が知らないとでも思ったのかい?なあ─」
「【トレニー家の忌み子】。」
それを聞いたマスールの目が大きく見開かれた。今まで以上に冷や汗が流れ、喉が震える。
「…なん、で、それを。」
「君は知らないだろうがね。ただ1人でオルバを打ち倒した君の存在は【教団】でも悪名高いのだよ。だからこそ、入念に調査がなされた。その結果、君の素性が明らかになったというわけだ。」
ゼノンが剣を握る手に力を込める。それだけで、超常の膂力を持つマスールがずりずりと後ろに後ずさることを強要されていた。
「いやあ、なかなかに数奇な人生だね。まさか─あの学園の生徒が奴隷だったなんてね。」
「奴隷…?」
「おやアレクシア。君も知らなかったようだね。」
ゼノンの呟きに、思わずといった様子で反応したのはアレクシアだった。そんな彼女に、余裕を持ってゼノンが答える。
「そうとも。彼は身内の恥として両親から、いや血縁全てから見放されて奴隷に─!!」
ゼノンは最後まで話すことはできなかった。意気揚々と言葉を紡ぐ中、その途中で彼の腹を襲った衝撃。それによって彼は腹の底から全ての呼吸を吐き出すことを余儀なくされ、そのまま後ろに吹き飛ばされる。
「─ゴホッ!?なんだ、今のは!?」
「うるせえ。」
吹き飛ばされた勢いのまま壁に叩きつけられたゼノンがそれに反応できたのは奇跡だった。吹き飛ばされながらもなんとか手に持っていた剣で、突っ込んできたマスールに応戦する。2人の剣が激突し、周囲に耳をつんざくような音が響き渡った。
「今のは─蹴りか!」
その状況に置かれても、ゼノンは冷静に先程の一撃を分析していた。先程全力で剣を受け止めていたはずのマスールは、ゼノンの意識が外れた瞬間を見計らって彼の腹に前蹴りを叩き込んでいたのだ。
「なるほど。それにしても私の一撃を受け止めるのに必死だっただろうに、なかなか器用な─」
「ごちゃごちゃうるせえ。」
ゼノンが壁に押し付けられた状態での鍔迫り合い。マスールもゼノンも、両者ともに両手で剣を握っていたなか、突然にマスールが右手を外した。
「馬鹿な…!?」
それ故に生まれた片手のマスールに対する両手のゼノンの状況。なのに、均衡が崩れない。ゼノンが全力で剣を押し返そうとするも、押し返すどころか彼の方が押し負ける始末である。
「黙って聞いてたら嫌なこと思い出させやがって…!」
マスールが右拳を握り、後ろに振りかぶった。ゼノンを真っ直ぐに睨みつけるその目は、怒りに燃えていた。その迫力の恐ろしさたるや、歴戦の騎士であるゼノンが恐れを成したほどである。
「待て、何を─!」
再びゼノンの腹を衝撃が走る。だがさっきと違うのは今のゼノンが壁際にいるということ。それすなわち、衝撃の逃げ場が存在しない。大砲にも勝る威力の拳が、一切流されないままにゼノンの腹部へと突き刺さる。
「が、っはっ…!!」
ゼノンの背後の壁に蜘蛛の巣状のひび割れが走った。ピシピシと音を立てて瞬く間に大きくなっていったそれが、ある一点を超えた途端に大きな穴へと変わる。そしてゼノンは吸い込まれるように後ろに空いた穴へと吹き飛ばされていった。
(くそ、くそ、くそ…!)
口から血を撒き散らしながら、ゼノンは内心で悪態をつく。幸いにして今のは
(まさか、これを使うことになるとはな…。)
ゼノンはいくつもの壁を打ち破りながら吹き飛ばされ、地面を転がりながらもようやくその勢いを止めた。そしてヨロヨロと剣を杖代わりに立ち上がると、ゼノンは怒りに燃えながら懐から錠剤を取り出した。
(さてどうしたものか。)
ゴキン、と首を鳴らしたマスールが眉を顰めた。
(最優先は王女様を逃すこと。ただ…相手の戦力が未知数、かつ王女様は弱ってる。俺がついてないとまずいな。)
考えながらもマスールはゼノンが吹き飛んだ方向を睨みつけた。
(ただ…地理的に圧倒的アウェーな俺が王女様を抱えて走ったところで多分追いつかれる。ここどうせ抜け道とかあるだろうし。それに…)
マスールは剣を地面に突き立てると、肩を回した。彼の懸念は一つ。同じ【教団】を名乗ったオルバが使っていた錠剤である。
「…本当は使う前に仕留めれたら良かったんだけどな。」
あそこは怒りに任せて全力で吹き飛ばすのではなく、気絶するように顎を撃ち抜くべきだった。内心でマスールはこの上なく後悔していた。しかも万一の状況を考えると、彼はアレクシアの元を離れられない。先の一撃は考えてみると明らかに悪手であった。
「…ねえ。」
「なんでしょうか?」
そんな内心大反省会中のマスールに、アレクシアが声をかけた。
「その…さっきの奴隷がなんとかって、本当なの?」
「本当ですよ。寸分違わず。」
ゼノンの方を向いたままマスールは答えた。
「俺に魔力がないのも、そのせいで親にも兄弟にも親戚にも見放されたのも、売られて奴隷になったのも、全部です。」
「………。」
「まあ私の家系は貴族で、ついでに魔剣士の家系でしたので。才能とか以前の問題の私はまあ目障りだったんでしょう。鎖つけられてあっさり売られましたよ。」
マスールはそう吐き捨てた。
「だから私はあなたが嫌いです。才能も資質もあって、ちゃんと家族に愛されているあなたが。全部、全部恵まれているのに、そのことを自覚してすらないであろうあなたが大嫌いです。」
「…そう。なんか、ちょっと安心したわ。」
「はあ?」
その勢いのまま吐き捨てるマスールに、アレクシアはまさかの返答をした。あまり予想外さにマスールの声が裏返る。
「どういう意味です?」
「どうって。貴方もちゃんと好き嫌いがあることよ。私の前ではずっといい子ちゃんしてたじゃない。」
「…ああ、確かに。見せていませんでしたね、そういうのは。」
ああ、きた。アレクシアの返答を聞いて薄らと笑ったマスールは遠くで揺らいだ魔力の波長に応えてゆっくりと体勢を整えた。
剣を捨てたその構えはまさに自然体。完全に脱力しきったその体勢は、隙だらけに見えて一切の油断なくどこからでも反撃できる構えだった。
「そうよ。…ねえ、ここから戻ったら、なんだけど。」
「はい。」
近づいてくる圧倒的な魔力に対して、アレクシアは不思議と一切の恐れを抱かなかった。不思議と落ち着いた気持ちのまま、マスールへと声を投げかける。
「ここから戻ったら、今度は色々と話してみない?お互いの好きなものとか嫌いなものとか。まあ話題はなんでもいいんだけど。」
「…普通あなたのことを嫌いっていったやつにそれを誘いますか?」
「いいじゃない。私たち、恋人でしょう?」
「…こい、びと?」
「ええ。違う?」
アレクシアは少しだけ笑った。
「…いや。そうでしたね。そういえば私は─」
壁に開いた大穴から、莫大な魔力を伴ったゼノンが現れた。マスールの予想通り、見たところで傷は全快している。そんな厄災にも等しい存在を視界に収めながらも、マスールもまた少しだけ笑みをこぼした。
「─貴女の恋人、とやらでした。」
荒れ狂う魔力の乱流を従えたゼノンを、マスールはその身一つで迎え撃った。
やっぱり素手ゴロがいちばんだなあ
ますを
大方の予想通り彼にとってよっぽどの特殊武器でない限り剣は枷です。