莫大なまでに膨れ上がった魔力になって全身の傷が癒え、筋肉が膨張したゼノンを見てアレクシアは素直にそう思い、そして押しつぶされそうになった。そしてそれは日の当たる道を歩む魔剣士にとっては当然のことであろう。
ただし、マスールは違った。彼は傷を負いながらも、どこか余裕を感じさせる表情で悠々とその場に立っていた。
「…ほう。」
そんなマスールの姿を充血しきった目でゼノンは見た。
「この最強に至った私を見てなお、恐れを抱かないか。」
「お前が最強?」
ゼノンの言葉をマスールは鼻で笑った。
「今のお前はアレだ。オルバのおっさんが使ってたのと同じあの薬使った状態、ただのドーピングだろ?別にその力はお前のものじゃない。」
「…私が、あの小物と同じだと?」
「少なくとも俺にはそう見えるけど?」
怒りにこめかみを引き攣らせるゼノンと、無手のマスールが一歩ずつ近づいていく。アレクシアはと言えば、マスールの背後で息を呑んでその様子を見つめていた。
「私を貴様程度に
「知らねえよそんなの。俺にとっちゃあお前はただの─」
一歩、また一歩。両者の距離が2メートルを切ったところで2人は同時に動いた。
「─悪党だ!」
剣と拳。全くの同時に放たれたそれが、両者の間で激突する。ゼノンが振るうのは埒外の魔力によって想像を絶する威力を得た魔剣。大してマスールが放つのはただ精一杯の力を込めた、一切の神秘を持たない拳。その2つがぶつかり合い、そして弾かれた。
「なるほど、少しは頭が回るようだな!」
その勢いのまま2合、3合と撃ち合いが始まる。鋼と肉体が出しているとは思えない重い音を放つそれは次第にヒートアップしていき、目視が出来ないまでに至っていた。
「いかにお前の拳が堅くとも、私の剣と正面から撃ち合うことは不可能。だから、刃を横から殴りつけて弾いている。剣を捨てた時は狂ったのかと思ったが…それなりに考えていたようだな。」
自身の剣を双拳で弾き返されながら、ゼノンはどこか楽しそうに言った。
「だが、所詮は児戯。」
「…っっ!」
ゼノンがそう呟いたのと、マスールの拳から血が撒き散らされたのは同時だった。一瞬を争う刹那の攻防の最中でありながら、突然に走った痛みにマスールの顔が歪む。
「拳の狙いがわかっているのなら、剣をずらしてやればいい。違うか?」
「…くっそムカつくなあ、おい。」
余裕を見せるゼノンに吐き捨てながらも、マスールは攻め手を緩めない。幸にして両手で攻撃するマスールの方が手数は圧倒的に上。片方で止めながら、片方で胴体を狙う。それが先程からマスールがとっている戦いだったが…
(そもそも普通に強い…!剣を弾いても本体がそうそう俺の
舌打ちしながらマスールが右拳で途中で軌道の変わった剣を弾き、お返しに左アッパーを叩き込む。胴体に当たったそれによってゼノンの身体からは骨が軋む音と、そしてゼノンの骨を叩き折った感触はしたのだがダメージが
残っているようには見えない。一瞬のうちに傷が再生されてしまっていた。
(くそジリ貧!どころか時間経ったら俺がまず負ける。)
再びマスールの拳から血が吹き出した。流れ落ちたそれがぼとぼとと滴り落ち、地面に赤黒い染みを作る。幸い骨には達していないが、このままだとそれも時間の問題かもしれない。
(…けど多分このドーピングは無限じゃない。オルバのおっさんもしばらくしたら効果は抜けてた。なら、そこに賭けるしかないか…!)
今度は剣戟を弾かず、内に潜り込んで腕をへし折る。それによって一瞬だけ攻め手は止まったが、すぐに放たれた魔力によって吹き飛ばされた。途中でクルリと蜻蛉を切って着地した頃には、既にゼノンは剣を構え直していた。
「どうした?調子がいいのは威勢だけか?」
「
マスールが今度放ったのは下段蹴り。一息にゼノンの両脚をへし折らんばかりの勢いでそれを放ったが、折れたのは片足だけですぐに後方に飛び退られた。しかも後退される間に折れた脚も治されてしまう。
「…ふむ。もういいだろう。」
そこで急にゼノンが一息をついた。その様子は、自分の力に酔っているように見える。
「…何がだ?」
「遊びは終わり、と言うことだ。光栄に思うがいい。君風情がこの私の剣で死ねることを。」
ゼノンの剣に魔力が集まっていく。それは今までよりも遥かに多い魔力が込められているとわかるほど。圧倒的なまでの密度を誇った魔力が、薄暗いはずの周囲を照らす。
「『覚醒者3rd』。これこそが錠剤によってもたらされた、ラウンズだけが制御できる力だ。本来は君如きに使うものではないが…しぶとい獣を始末するためならば仕方なかろう。」
その日一番の一撃が来る。それを確信したマスールはゆっくりと右足を引いて、一緒に右拳を振りかぶった。その構えを見たゼノンがせせら笑う。─まさかこの男は、自分の剣に拳で対抗する気なのか、と。
「…アレクシア殿下。」
「どうしたの?」
「お願いがあるんですが。」
マスールが大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
「しばらく目を閉じていてください。ここからは貴女が見るには凄惨にすぎる。」
「嫌よ。私のために戦っている貴方を、私が見ないでどうするの?」
その申し出を、アレクシアは即座に切り捨てた。
「…怖いですよ?血も出ます。」
「今更じゃない。それに、怖くなんてないわ。」
目の前にいるゼノンは間違いなくアイリスを超えた王国最強。それを迎え撃つのは自分を助けに来ただけのただの学生。だと言うのに、不思議とアレクシアに恐怖はなかった。
「貴方がいるじゃない。」
「…まったく、言ってくれますね。」
血を流しながらマスールは小さくため息をついた。その様子を見て、充分に溜め終わったゼノンが口を開く。
「別れの言葉は済んだか?」
「いや全く?そんなものしてないからな。」
「…そうか。」
どこか愉快そうに言ったマスールを哀れむような目で見て、ゼノンは剣を振り上げた。
「なら喰らうがいい!そして私に、そして【教団】に刃向かったことを悔いながら死んでいけ!」
それを号砲として、魔剣が振り下ろされる。
その剣が纏うのはまさに魔力の嵐。最強、を自称するに相応しいほどの圧倒的な力そのもの。そして稲妻の如きその勢いにより、その軌道を変えることもできない。
純粋な膂力に技巧と魔力が合わさった、まさに必殺と呼べる一撃。
それを、全霊の力が込められた一撃を。マスールは─
「…ふぅ。」
待っていた。
振りかぶった右拳の血管が浮き上がった。力が込められ、一瞬で赤くなる。そして─突然に手の内側から血が弾けた。それは間違いなく傷が開いたものでは無く、今できたもの。
「あああああああああ!!」
咆哮と共にマスールの肉体が躍動する。大地を踏み締め、その勢い全てを全身で加速し、腕を伝って拳に伝える。もはや誰の目にも映らないほどの速さで放たれたそれが真っ直ぐにゼノンの剣へと吸い込まれていき、
真正面からぶつかった。
マスールの拳に剣が突き刺さって、今までの小競り合いとは違う、薄傷によるものではない血が吹き出した。拳の中ほどまでが断ち切られ、勢いよく撒き散らされた血によってマスールの赤い髪が、顔がさらに紅く濡れていく。
だが、確かにマスールの剛拳はゼノンの剣を受け止めていた。王国最強の一撃を、ただの肉体一つで!
「馬鹿め!この私の剣を真正面から受け止めようとは!」
嘲笑いながらゼノンはさらに力を込めた。現在両者は拮抗。だが、ここで更に魔力を込めれば形勢は一変する。そう確信したゼノンは魔力を込めて、そして気がついた。
「‥なんだ?」
確かにゼノンは魔力を込めた。だと言うのに剣が動かない。押せども引けども、剣はその場から一ミリも動かない。
「…まさか!?まさかお前は!」
驚愕を露わにしながらゼノンはマスールを見た。頭から血を被ったマスールは、全身に傷を負い、拳を断ち切られながらもその目にはギラギラとした光を宿している。
「剣を受け止めたのではなく!!握り潰しているとでも言うのか!?」
マスールは待っていたのだ。ゼノンが次の一手を考えていない一撃を放つその時を。軌道の読めない一撃ではない、最短、最速で放たれる一撃を。
それはなぜか?その一撃を、文字通り握りつぶすため!
「う、うあああああああ!!!」
マスールが吠える。痛みに耐えながらも断ち切られた拳にさらなる力を込め、自分が壊れるほどの握力で剣を握りつぶす。腕が震え、全身から脂汗が滝のように流れ落ちた。
「おおおおおおお!」
それに負けじとゼノンもさらなる魔力を込める。押し切れないならマスールを吹き飛ばそうと、魔力の奔流を放ち続ける。それによって保たれる均衡。だが、それは長くは続かなかった。
わずかなひび割れが剣に走り、そして砕け散った。
その光景に両者の目が大きく見開かれる。片方の目は驚愕に満ちていて、そしてもう片方の目は闘志に燃えている。
そもそもがその剣に込められていたのは常識を超えた魔力と膂力。その2つがぶつかり合ったが故に、この結末は必然だったといえよう。常識外れの戦いには、常識の範疇に収まっていた武器は付いてくることができなかった。
「馬鹿、な…」
キラキラと光を反射しながら、欠片となって砕け散る剣を見てゼノンは声を漏らした。これまでの生涯で、相手の剣を壊したことはあれど自分の剣が砕かれたことなどない!
「あ、あああああああ!」
その隙をマスールは見逃さなかった。今こそが右拳を犠牲にしてようやく掴んだ千載一遇の好機。丸腰になったゼノンに拳を叩き込むなら、今だ。
「ぐふっ…!」
ゼノンの顔にマスールの右拳が突き刺さる。剣を破壊し、そしてゼノンにようやく届いたその拳は悲しいことにそこまでの威力が込められていなかった。
「ふっ…はははっ…どうした!?全く痛くないぞ!?」
口内から血を流しながらゼノンが笑った。今の一撃は間違いなく痛みと傷で弱くなっている。ようやく届いた一撃が弱々しいことに安堵しながら、自身も拳を握りなおした。
「…ああ、そうだろうな。」
そんな彼が耳にしたのは、絶望の宣告。
「今のは全く力を込めてないからなあ!」
その言葉と同時に、ゼノンの胸ぐらが掴まれた。血まみれの右手が、ゼノンの鎧を軽く歪ませる。これではゼノンは体勢を変えられない。鎧は脱ぐこともできない。だから─逃げられない!
「ま、待て!何を─!?」
ゼノンは見た。マスールの左手が振り被られるのを。ゼノンは見た。左拳が血を流すほどに力を込められていることを。
「喰らいやがれ…!」
そしてゼノンは、自分が引き寄せられているのを感じた。胸ぐらを掴まれ、右手で引き寄せられながらゼノンの顔面に万全の左拳が突き刺さる。
「ぐああああああ!!」
その衝撃に骨がへし折れ、歯が吹き飛ぶ。辺りに血を撒き散らし、それでもその傷を回復しながらゼノンは意識を飛ばしつつあった。
「ごっっ!?」
が、再び襲いかかった痛みが飛びかけた意識を戻す。あまりの痛みに、再び意識が飛び掛けるが、またしても襲いかかった痛みがそれを許さない。
「がっ!?ぎっ!?ごぉ!!」
顔、腹、胸、腕…あらゆる場所に衝撃が休むことなく叩き込まれ続ける。その度に傷が癒え、飛びかけた意識が戻される。そして意識があるからこそ、更に痛みを感じると言う悪循環。
皮肉にも、力を得るために飲んだ錠剤のせいでゼノンは苦痛から逃れられずにいた。
だが、それでも次第にゼノンの再生が目に見えて遅くなっていく。それを察したマスールが、一際大きく力を込めて拳を握り、振りかぶった。
「これで!終い、だあああああ!」
「うわあああああああああ!」
みっともなく悲鳴を上げ、涙を流すゼノンの顔にマスールの右拳が突き刺さる。いやに鈍い痛みが顔面から脳へと伝わっていく。
(馬鹿な!私が、次期ラウンズの私が!こんなところで!)
より高みへと。それを望んでいたはずなのに、まさかここでその野望が潰えるとは。薄れゆく意識でそう思いながら、ゼノンはひび割れを作りながら地面へと叩きつけられた。
「あ…ありえ…な…。」
痛みと衝撃ではっきりとしない視界に、ゼノンを見下ろすマスールと彼の側に歩いて来るアレクシアが見えた。
「終わりよ、ゼノン侯爵。…いいえ、ゼノン。あなたの悪事はここで全て終わり。」
アレクシアのその言葉に、ゼノンは手のひらに爪が刺さって血を流すほどに強く手を握りしめた。
Q 相手が武器を持っています。ついでに再生します。どうしますか?
A 武器を壊して、再生が尽きるまで殴り続ける。