ミドガル王国中央監獄。そこはこの国において最悪の犯罪者たちの集う掃き溜めであり、王城を除けば最も厳重な警備がなされている場所。
「…フー……フー………。」
そしてその最奥部にある牢屋に、1人の男が拘束されていた。彼のもはや手も足もないその身体は全身を魔力封じの鎖で何重にも拘束され、目隠しと猿轡までもがはめられている。
この監獄において最も厳重に拘束されているこの男こそ─かつてアレクシアを誘拐したゼノンであった。もはや息も絶え絶えといった様子のその姿には、つい先日までの栄光は欠片も見られない。そこにはただ、全てを搾り取られた後に断頭台の露と消える運命を持つだけの罪人がいるのみだった。
「フー………。」
ゼノンの身体にある、シャドウの一撃を喰らったせいでつけられた傷は全く治っていない。かろうじて死なない程度の治療はなされたものの、決して丁寧とは言えないその治療は寧ろ彼の身体に鈍い痛みを与えている。いや、それだけではなく、今の彼には日夜を問わずして行われた拷問による痛みも襲いかかっていた。
「無様だな。」
ゼノンがその痛みに耐えていた時のことだった。痛みのせいで眠ることもできずにいた彼は突然に聞こえてきた声にゆっくりと顔を上げた。また拷問が始まるのかと、そう思っていたがそこにいるのは刑務官ではなく、黒いコートを着た人物であった。
「『英雄の血』の回収に失敗するどころか【教団】の存在まで暴かれるとは…失敗、などと言う言葉では済まされん失態だ。」
そう言って男はゼノンのいる牢屋の方へと歩いてくる。そして懐から取り出した鍵で牢屋の錠を開けると、ゼノンのすぐ正面に立った。
「……フーッ…フーッ……!」
今から何をされるのか。それを察してしまったゼノンは必死に暴れるも、みじろぎ1つできないほどにキツく拘束された彼になす術はない。抵抗の1つもできないまま、顔面を掴まれてしまった。
「死をもって償うといい。」
その言葉と同時に男の手から魔力が放たれた。炎にも、雷のようにも感じられる一撃がゼノンの頭部へと吸い込まれ、脳を蹂躙する。その一撃を受けてゼノンは一瞬だけ白目を剥き、猿轡をかまされた口の端から泡をボトボトと吐いた。だがそれも一瞬の話。すぐにゼノンは糸の切れた人形のように項垂れ、ピクリとも動かなくなった。
「…これでいい。」
その様子を見た男は一度頷くと、自らのいた痕跡を残さずにあたかも突然に死亡したかのように見せかけるよう僅かばかりの細工をした。その目には一切の憐憫は籠もっておらず、無機質なものであった。
わずか5分も経たずに作業を終えた男は、冷たくなりつつあるゼノンをおいて去っていった。彼が牢屋を出て姿を消すまでの間、男はゼノンの方をほんの一瞥もすることはなかった。
「で、なんだぁ?お前よぉ。」
王都常駐の騎士団詰め所。カゲノー領の衛兵団のそれとは明らかに大きいそこで、俺は隣に座る
「俺はよ?グレン。うち期待のルーキーがゼノンとか言うクソ野郎に嵌められたっつうから態々ど田舎から尻に火ぃつけて王都まで来たんだわ。そこんとこ分かってんよな?」
「分かっている。」
通された応接室の、信じられないくらいふかふかのソファに身を投げ出した団長は、テーブルの上に足を投げ出してびっくりするくらいふてぶてしくグレン氏を睨みつけている。てか団長、相手王女様の肝入りですよ?そんな不遜な態度とっていいんですか?
「おーおー、分かってんのならいいわ。ほんじゃあ聞くけどよぉ。」
グレン氏の横に座る若い騎士、マルコ氏がブチ切れそうになってるのを尻目に、団長はそっと目を細めた。
「ゼノンの奴がホトケになってるってのはどう言うことだ?」
「………。」
団長の言葉に、王都の騎士達は何も返すことはできなかった。どう考えてもこれは監獄の看守達、ひいてはその上に立つ王都騎士団の失態。そのことはこの場にいる全員が理解していた。
「はあ…無論、こちらの落ち度であることは分かっている。しかしだな…」
「あ?んだこら?言い訳か?」
「…この一件、犯行があまりにも杜撰すぎる。」
あ?と団長が唸った。ついでに俺も首を捻った。
「杜撰、と言うには語弊があるかもしれんが…ゼノンの死因は明らかになっている。侵入経路も、ある程度は目星がついた。なにせ、俺たちが調査した時には現場には魔力の痕跡がベッタリ残っていたからな。」
「「……!!」」
魔力痕跡。それはこの世界において、犯罪捜査の際に極めて重要視されるもの。俺以外の普通の人間は普通に生きているだけで魔力を放ち続けるわけで…当然細工をしなければその痕跡はそこら中に残っていく。それを隠していない、ということは。
「先に言っておこう。今回俺たちはアイリス王女の命を受けて他のどの捜査組織よりも早く調査に入った。つまり、妨害はされていないだろう状況だったと言うことだ。」
「…もしお前達が調査をしていなければ?」
「王都の騎士団、あるいは憲兵団か衛兵団から人を見繕っていただろうな。」
「ほう。ってことは、だ。」
ギシリ、と音を立てて団長はテーブルから足を下ろした。口元のタバコを灰皿に押し付けると、口元から大量の紫煙を吐き出す。
「最初から調査すらせず『犯人は不明です』『ゼノンは不審死ではありますが事件性はありません。』って報告。そんで有耶無耶にする前提だった、ってことか。」
「間違いなくな。」
応接室に深い沈黙が訪れた。無駄に豪華な装飾の壁掛け時計が鳴る音だけが派手に聞こえてくる。
「…真に賢しい悪は闇に潜む、とは言うが。」
その沈黙を破ったのはグレン氏だった。歴戦の騎士といった風貌の彼が、重々しく口を開く。
「この闇、相当に根深いぞ。」
初夏の風が吹く石畳の街を歩いていく。いや、もう初夏と言うには遅すぎるか。遠くからは夏虫が聞こえてくる。
「面倒ごとになってきたなぁ…。」
騎士団の詰め所を出た俺は1人街中をぶらぶらと歩いていた(団長はなんか話があるとかで残った)。学校の方は公休をもらっているのでいく必要がないし、今からは行くつもりもない。
「にしても【教団】に【シャドウガーデン】、ねえ…何がしたいんだか。」
この2つがいがみ合っているのはわかる。ただ、何故敵対しているのかがわからない。いや、今までの感じからすると教団が何かやらかしてシャドウガーデン側を怒らせたんだろうが。
「そもそもあの錠剤の調査も終わってないわけだし、ゼノンもいないし…俺にできることはもうないか。」
アレクシア様にはこれから王都の騎士が護衛に付くだろうし、他の貴族達も最近護衛を強化したらしい。そんな中で人手が足りないのだろうか、俺にもオファーが何件か来ていた。俺に衛兵団から離れる気はないから全部断ったけど。
とりあえずこれで誘拐事件は一回終了。と言うか、重要参考人とは言えど管轄が他領の俺は王都の問題には口を出せない。だから無理矢理にでもここで話を終わらせるしかなかったりする。
そんなことを考えながら俺が街中を歩いていると、何やら長蛇の列が見えた。随分と若い女性が多いように見える。
「…ああ、あれが【ミツゴシ商会】か。」
やたらとキャピキャピした女性の群れを見て俺はティンと来た。この長蛇の列のおめあては最近流行のチョコレートである。最初に聞いた時は『この世界にもあるんだなあ、チョコレート』とか思ったものなのだが、びっくりするくらい高くて手が出せていなかった。
(…いや、待てよ。女性に人気ってことは。)
ミツゴシ商会の前を通り過ぎて、しばらく経ったところで俺は足を止めた。今考えてみると俺はクレア様にまだちゃんと礼をしていないのである。何せあの方、逮捕された俺の無罪を訴えるために王女様に直訴してくれているのだ。あの後口頭では礼を述べたが、流石になにか形にした方がいいのではないだろうか。そう考えて俺は列の最後尾にすっと並んだ。
(にしてもミツゴシ商会か…最近できたらしいけど、随分儲かってるな。ミツゴシ…みつごし…『三越』?)
店員のお姉さんの指示のもとで並んでいると、どうも名前の似ている店名を思い出した。かつて提督だった俺はあのデパートには随分お世話になったものである。
(偶然か?いや、ナツメだかカフカだか言う作家もいるし、聞いた話だとムンクの叫びみたいな絵もあるらしい。ってことは…)
(間違いなくいるよな、これ。俺以外の転生者。)
そもそも、俺以外にいないと決めつける方がおかしい。俺と言う実例があるのだから、素性を隠して暮らしている奴らが他に何人いてもおかしくはない。
(にしても、俺以外の転生者か…どんな奴なんだろうな。まちがいなくミツゴシ商会と関わりはあるんだろうし…ベンチャー企業の社長みたいな見た目のやつなのかね。)
アンケートにご協力ください、なんて言ってくる金髪の店員をやんわり断りながら、俺はそんなことを考えていた。
チョコレートの歴史を紐解くだけでも、いかにシャドウ様の陰の叡智が途中経過をすっ飛ばしたかがわかります。まあ結果が分かってるからってだけで過程を再現できるシャドウガーデンの連中がヤバいのですが。
三越があるゲームとコラボした時は…はい。僕はコラボ商品に米と包丁があるのを初めて見ました。しかもあれめっちゃ品質良かったらしいですね。欲しかった。