お久しぶりです
世界ってのは普通に回っている。アレクシアやマスール君が僕のシンパに襲われたり、ガンマから小銭をちょろまかしたり、アルファと今日のマスール君についての話をしたり、ヒョロとジャガが学校を休んだりしていようとも特に何事もなかったかのように日は上り、そして沈むのだ。
そしてついに、僕にとっての勝負の日がやってきた。
「はいシド様手ぇあげてください。服にほつれとか変なところないですね?靴紐ちゃんと結んでますね?」
ぼんやりと立つ僕の目の前で、マスール君がテキパキと働いていた。というか僕の身支度を代わりにしてくれていた。どうやら姉さんが選抜大会に出ることになった僕を心配してマスール君に世話を頼んだらしいが、これから大一番のある僕からしたら非常に助かる。
「シド様。」
「なにかな。」
「緊張は?」
「そこそこってところかな。」
嘘だ。僕は今ものすごく緊張している。それもこれまでで体験したことないほどに。それを証明するかのように、僕の手はカタカタと小さく震えていた。
「…シド様、大丈夫です。緊張する必要はありません。」
「…マスール君。」
そんな僕を心配したのだろう。マスール君は僕の肩にそっと手を乗せて、それから微笑んだ。
「多分俺含めて学園の誰もシド様が勝つなんて思ってませんから。緊張なんてするだけ無駄ですよ。」
「なんてことを言うんだ。」
違った。彼はまあまあ酷いやつだった。微笑みながら告げられた言葉に対して大袈裟に悲しむリアクションをとると、マスール君はふっと息を漏らした。きっと今のは彼なりに僕の緊張をほぐそうとしてくれたのだろう。
でも実際、誰も僕がこの試合に勝つなんて思っていない。何せ僕の相手は学園最強とも呼ばれるローズ・オリアナ王女。2年生でありながら生徒会長を務め上げる人望に学園最強に位置する実力、そしてその美貌によって注目を集め続ける才女。ちなみにマスール君に言わせると「あんだけなんでも持ってると逆に人生しんどそうですよね。」とのこと。
「冗談です。いや、勝てないのは真実ですが。」
「ちょっと?試合前にひどくない?」
「…ご自分でもわかっているでしょう?あなたの相手は、ローズ様は強い。かなり強い。それこそクレア様よりも。ですから、」
彼はそこで一度言葉を切り、目を瞑って、そしてしばらく口ごもってから、ようやく重い口を開いた。
「…棄権するべきです。もしシド様が棄権したところで誰も文句を言いません。クレア様は不満を言ってくるでしょうが、クレア様には俺が説明します。今のあなたでは、あなたには、ローズ様の相手は務まらない。実力差がありすぎるんです。危険すぎる。」
彼の言葉に、僕は黙って目を伏せた。これぞ僕の編み出したモブになるための演技。この演技によって僕は「現実を突きつけられた才能の無い凡人の悲壮さ」を全力で演出するのだ。
だけど彼は知らない。僕が伏せたその顔が、期待に満ちた笑顔になっていることを。
「…それでも。」
「はい。」
「…それでも僕は戦うよ。」
そう言って僕は真剣な表情を作ってマスール君と目を合わせた。僕と彼ではマスール君の方が身長が高いから、自然と目線を上に向ける形になる。
「…そうですか。」
マスール君はため息をついて、それからカラリとした笑みを浮かべた。
「ならもう何も言いません。全力出してきてください。ただ、怪我にだけは気をつけること。それだけはゆめゆめ忘れないように。」
「わかったよ。」
そんな会話をしていると、大会の係員が僕を呼びにきた。どうやら僕の出番が近づいているらしい。
「…もう出番ですか。思ったより早く試合が進んでいるようですね。」
「そうだね。…と言うか僕の世話ばっかりしてるけどマスール君は出場しないの?」
「出ますよ。立場的に出ない理由もないですからね。まあ出番は随分後になりますからご心配は不要ですよ。」
僕の最後の確認をしながらマスール君は答えた。まあ確かに彼は現職の衛兵なのだから出ない理由はないだろう。
「そうなんだ。なら姉さんとは戦ったりするのかな。」
「お互い準決勝まで上がれたら戦えますね。まあそうなる前に本戦への推薦枠取るだけ取って棄権するつもりではありますが。」
確認を全て終えたマスール君が頷いて僕から離れた。それを見て僕は内心こっそり安堵する。実はこれまで、身体中に仕込んだ仕掛けがばれやしないかとかなりヒヤヒヤしていたのだ。
「へえ。優勝は目指さないの?」
「優勝なんかして下手に睨まれるよりその方が都合がいいんですよ。別に騎士団とかにも興味ないですしね。」
2人で並んで話しながら会場の方へと歩き出す。一歩進むごとに、会場の熱気が僕たちの声をかき消していく。
「そういえばさあ。」
「なんです?」
「マスール君ならローズ様に勝てる?」
「そうですねえ…。」
ふむ、とマスール君は顎に手をやった。そしてそれは結果を考えると言うよりも、むしろ言葉を選んでいる、と言う雰囲気だった。
「まずですが魔剣士として、なら土俵にも上がれず負けます。」
「まあそうだろうね。」
「で、剣士としてならどっこいですね。お互い得物が違うのでなんとも言い難いですが。」
「そっか。」
「まあそんな感じですよ。特に面白みもない。」
そこで彼は口を閉ざした。まるでそこからは言いたくないと言うかのように。
「じゃあ戦士としてなら?」
だから、僕が続きを促した。その言葉に彼は渋面を作って、それからため息と共に言葉を絞り出した。
「…はあ。試合ではなく戦いとなれば間違いなく俺の勝ちです。ですが、試合ならローズ様が勝つでしょうね。」
「なんで?」
「なんでってそりゃあ…。」
彼は手のひらをぐっぱぐっぱと開け閉めしながら眉を顰めた。
「血塗れならともかく、王女様を
そう言って彼は苦笑いを浮かべた。
というか王女様に腹パンする気だったのか。どうやら彼は僕がおもっているより意外とアグレッシブなようだ。
そうこうしているうちに僕の名前が呼ばれた。緊張に震える手を押さえつけて、観衆の方へと歩き出す。
「シド様。」
そんな僕の背中に声がかかる。その声の方を振り向かずできる限り淡々と告げた。
「行ってくるよ。」
「ご健闘を祈ります。」
そうして僕は歩き出した。大観衆の中へと。圧倒的なアウェーなる戦いの場へと。
この時のために考えた最高にモブらしい負け方を披露するために。
マスール
びっくりするくらいシドに騙されている男。
余談だが今大会では剣の刃を潰すことが規定にあるため、クレアにもらった剣ではなく適当な剣で参加している。
シド
魅せてあげるよ、僕の『モブ式奥義四十八手』をね。