薄暗い地下施設に、金属のぶつかり合う甲高い音が響いた。その音を放つのは片や灰色の髪の男、そしてもう片方は赤い髪をした少年。2人はその手に持った剣を自在に振るい、眼前の相手を仕留めんとし続ける。
(いやあ、参った。)
オルバによって振り下ろされた剣を
(こんな相手と戦う気は無かったんだけどな。普通にめちゃくちゃ強くねえかこいつ。)
剣技の冴えに魔力操作による強化術。オルバの持つその技術は、少なくともマスールが見てきた衛兵たちの誰よりもはるかに洗練された、猛者のそれと言って差し支えないものだった。
「……解せんな。」
「なにが?」
はてどうしたものかとマスールが少し悩んでいると、突然にオルバが口を開いた。
「なぜ魔力を使わん。まさか…この俺相手に魔力を使わずとも勝てる、などと思っているわけではないだろうな。」
「まさか。思うわけないだろ。俺だって使えるならとっくに使ってるさ。」
心底理解ができない、と言った表情のオルバに、苦笑いしてマスールはそう返す。話しながらも順手に持っていた短刀を逆手に持ち替え、少し重心を落とした。それに呼応するかのように、オルバもまた剣を両手で握り直した。
「使えないのさ、魔力。これっぽっちもね。」
「…ほう。」
「生まれついての落ちこぼれってやつでね。魔力が見えねえし使えねえし、てかそもそも持ってねえし。だからまあ、今はちゃんと本気だよ。」
「そうか、なら良い。そう言うことなら心置きなく─」
オルバの姿がブレるのと、マスールが動くのは同時だった。ほんの一瞬の静寂の後、今までとは比にならないほど鋭い剣がぶつかり合う音が地下施設内を満たした。
「お前を殺せる。」
「…!やってみろや!」
ギリギリと鍔迫り合いをする2人。その様子を、マスールに守られる形になっているクレアは息を呑んで見守っていた。そして彼女の中にある焦燥が急速に生まれ始める。
このままだと、
それは技術云々の問題ではなく2人の間にある絶対的な差によるもの。─つまり魔力の有無。
魔力で身体能力も、武器も強化できるオルバに対してマスールは短刀でそれを受け止めることしかできない。今でこそどうにか凌いでいるが、時間が経つにつれてマスールの武器だけが一方的に消耗していくだろう。
「…逃げなさい。」
「はい!?今なんて言いました!?」
「だから、逃げなさいって言ってるの!」
再び始まる激しい剣戟。その音の中でも彼に聞こえるようにクレアは声を張り上げた。
「私はあなたのことなんて知らない!だからあなたが私を守る理由なんてないじゃない!なんで話したこともない私のために命かけてるのよ!」
剣戟の最中、周囲に飛び散った魔力をの余波で徐々にマスールの身体に小さく傷がつき始める。今はまだほんの薄傷程度ではあるが、自分よりも年下の見知らぬ少年が自分のために血を流していると言うのが彼女にはあまりにも悔しく、そして歯痒かった。
「…俺は!別に!貴女のためにやっているわけじゃあ!ないんですよねえ!」
三度、激突。ミシミシと悲鳴を上げる短刀に力を込めつつマスールは叫んだ。
「俺の戦いは!あんたのためじゃなくて自分のためだ!この俺が明日の俺に誇れる俺であるためにだ!」
激しい鍔迫り合い。体格、魔力、武器。その全てが優っているオルバは、激しい押し合いのなかでいつの間にか口元に勝利を確信した笑みを浮かべていた。その彼の目線の下で、小さな獣が吠える。
「知ってんだよ!あの地獄みてえな日々を生かされる苦しさも!それ見て嗤ってる奴がいることも!そんでもって!」
吠えながらマスールの全身の筋肉が躍動する。鼓動は如何なる軍太鼓よりも激しく打ち鳴らされ、血液は大瀑布よりも勢いよく流れ始める。そして何よりも纏う気配が変わる。
「なに…?」
そしてオルバの顔から笑みが消えた。オルバが完全なる優勢で進めていた鍔迫り合いは気が付けば拮抗し、それどころか今やマスールの方がオルバを押し潰そうとしている。
「なんだ、この力は…!?」
「……っ俺はなあ!この世の何よりも!」
マスールの短刀に亀裂が走る。だが今の彼はそんなものを気にせず、全力で短刀を握る腕に力を込めた。
「お前みたいな!
限界を迎えた短刀がへし折れるのと同時に、その小さな身体からは想像もつかない剛力がオルバの剣をとうとう吹き飛ばした。丸腰になったオルバが驚愕に目を見開くなか、彼の目に折れた短刀を振りかぶるマスールの姿が映る。
「許せねえんだよ!!」
裂帛の咆哮と同時に短刀が振り下ろされ、オルバの身体から噴水のように赤い血が吹き出した。
「はぁっ…はぁっ……。」
オルバが血を吹き出しながら仰向けに倒れるのを尻目に、彼はクレアの方へと駆け寄った。いまだに息は荒く、ところどころから薄く出血している。それにも構わず、彼はクレアを縛る拘束を外そうとしていた。
「ぜぇ…ちょっと待ってくださいね。すぐ外しますから。」
「え、ええ…でも外すって、どうする気?」
「鎖を千切ります。んで壊します。」
「ちぎってこわす。」
思った以上に原始的な方法だった。いやまあさっきの戦いを見るに彼ならできそうだが。
(…ちょっと待って。彼、魔力が使えないってことはさっきのは素の身体能力?)
1回戦負けとは言えブシン祭に出られるほどの魔剣士に匹敵する膂力と、技術。はたしてそんなことがあり得るのだろうか。
「んぎぎ…いやこれ硬いな…ちょっと待ってくださいね、こんな鎖なんてすぐ壊して…。」
マスールが力を込めて鎖を引っ張る度にミシミシと鎖が悲鳴を上げる。先ほどの疲れからか全力は出せていなさそうだが、この調子なら確かにもう少しで壊せそうだ。
「…無理だけはしないで。時間はかかっても良いし、それか私が手を外して…!?」
んぎぎぎぎぎ、と力を込めるマスールの背後。ため息をつきながらそちらを見たクレアは。
「後ろ!」
「え?」
ぬらり、と幽鬼の如く立ち上がるオルバの姿を見た。奇怪なることに、その剣を持つ腕が、いや、全身が浅黒くなって膨張している。纏う魔力なんてもはや別物。マスールに斬られた胸部には、もはや傷痕は僅かにも残っていなかった。
「え、いやいやいや…。」
クレアに言われて後ろを見たマスールは顔を引き攣らせ、冷や汗を流しながら折れた短刀を構えた。
「今結構深く斬ったはずなんだけどなあ!?」
「ああ、そうだ。確かに斬られた。だが…知らんようだから教えてやる。」
軽く剣を振りながらオルバが近づいてくる。マスールもまた、短刀を逆手に持ちどちらかと言うと
「魔力はうまく使えば傷を治すことなど容易い。俺と、そして【教団】の力があれば…あれほどの傷ですらもこの有様だ。」
「…【教団】?なんだそれ。」
「お前が知る必要はない。なにせ」
─速い!
それは今まで見せたオルバの動きの何よりも速かった。瞬き一つもしていないのに、クレアが気がついた時には2人はまたしても鍔迫り合いの状態に持ち込んでいた。
「お前は、ここで死ぬ。」
「…っおおおお!!」
マスールの咆哮に冷笑で返し、剣に、そして身体に更なる魔力を込めた。指向性を持たない魔力の奔流がマスールの肌を傷つけ、血を撒き散らす。そして─数秒の膠着の後にマスールが石造りの壁へと叩きつけられた。
「愚かな。」
もうもうと土煙が立ち込める中、オルバは剣を下ろして言った。
「安い正義感に信念だった。そんなもの、この世界の闇に比べればあまりにも矮小にすぎる。」
あの膂力に、さらに魔力を乗せた。もはや生きてはいないだろう。そう確信してなお、オルバは話しかけずにはいられなかった。
「この世界の闇は、深すぎる。…正義など、なんの意味もなさないほどに。」
それはきっと昔を思い出したからだ。世界の闇を打ち滅ぼそうと決意し、励み、そして全てを打ち砕かれたあの日々を思い出さされたからだ。
「う、うそ…。」
「…今から新しい拘束具を用意する。今度は手間を取らせるなよ。」
自分を助けにきてくれたマスールが死んだ─いや、なすすべもなく殺された。それを目の当たりにしたクレアは譫言のようにうそ、うそ、と呟き続けた。それがどうにも辛く、オルバはそっと目を逸らし足を出口の方へと向けた。
「…あぁ…。」
ガラリ、と石が崩れる音と、小さい声がした。
「あー…クッソいてぇなオイ。やられたわ。」
「まて、なんで、お前は。」
「なんで生きてんのかって?そりゃ吹っ飛ばされりゃ普通受け身の一つは取るだろうがよ。」
土煙の中から、小さな人影が姿を現した。その姿は全身傷と血に塗れ、最初からお世辞にも綺麗とは言えなかった服はもはやただのボロキレと化している。
「生きてたの…?」
「あー…まあ、はい。頑丈さだけが取り柄なもんでして。ちょっと気絶してましたけど。」
マスールはペッと血の混じった痰を吐き、涙目のクレアに笑いかけた。
「ってかほっとけば好き勝手言いやがって。いいか?耳の穴かっぽじってよーく聞きやがれ。」
壊れた靴を脱ぎ捨て、首を鳴らす少年。あまりにも見窄らしく、傷まみれの、壊れた短刀しか持たないその少年がオルバにはあまりにも恐ろしかった。
「どんだけ世界の闇、とやらが深いかは知らねえけどな。」
土埃と血で化粧をした少年は当然のようにクレアを守るかのように彼女の前に立った。彼の全身が傷ついている中で、その双眸だけが何よりも赤くギラついている。
「どんだけ闇が深かろうが、人間の生き様ってのは光を目指すことに意味があるんだろうが。」
「……はっ。そうか。」
─眩しいな。オルバは素直にそう思った。
このガキは知らない。利権、特権、裏の顔。法の光が届かぬ上位者の世界。だが…きっとそれを知らない若さを持つからこそこんなことが言えるんだろう。
「ほざくな、ガキ。」
だからこそ、知ってしまった彼はマスールを認められない。彼は懐から何かの錠剤を数粒取り出すと一気に飲み込んだ。
「俺が、お前に教えてやる。」
オルバの纏う魔力が膨れ上がる。今までよりもずっと、ずっと。だがそれは、荒々しさを伴うものではない。今まで荒れ狂っていた魔力は鳴りをひそめ、圧縮された上で身体の中に封じ込められる。
全身の筋肉が裂け、再生し、骨が砕け、修復する。人間の限界を超えた莫大な力を今のオルバはその身に宿していた。
「この世界の闇を!」
教団はこれを【覚醒】と呼んだ。
「ああああああああああああ!!!」
獣のような咆哮と、彼の姿が掻き消えたのは同時だった。咆哮と同時、彼は既にマスールの目の前に立っていた。─その上段に剣を構えて!
「これが!この理不尽こそが現実だ!」
剣技における最高火力たる大上段からの振り下ろし。もはや視認することすら不可能なその速度で放たれたそれは、莫大な魔力をともなってマスールの頭部へと吸い込まれるように放たれた。それは当たれば確実に、彼の全身に血霞に変えるだろう一撃。
「…負けるかよ。」
だが、現実はどうだ。マスールはその一撃を
巌を砕き、鉄を裂く。魔力の乱流を伴ったオルバの最強の一撃は、事実マスールの頭部に止められていた。無論、血は飛び散り、辺りを赤く染めている。だが、命までは奪えていない!
オルバは見た。折れた短刀を持つ彼の右手が、大袈裟なくらい後方に振りかぶられるのを。
「お、おおおおおおおおおお!」
「食らいやがれ……!」
オルバは確信した。マスールの一撃は間違いなく自分に当たる、と。この世の如何なる大砲にも勝るこの拳が、自分に突き刺さるだろう、と。
(…ああ。)
それは技とも呼べないテレフォン・パンチ。あまりの大ぶりで、不格好で、力も思いも全部を乗せた全霊の一撃。世界がスローモーションになるなか、オルバはただそれを受け入れた。
(眩しいな)
顔面に拳が突き刺さる。それは魔力で強化された身体の防御を容易く突き破り、骨を、歯をへし折っていく。辺りには鮮血が撒き散らされたが、不思議と彼には痛みはあれど苦痛はなかった。
(…すまない、ミリア。)
不思議と脳裏によぎるのはもうこの世にいないオルバの愛娘。彼女への想いを胸にして、彼は静かに目を閉じた。
【テレフォン・パンチ】
折れた短刀を握った状態で放つ超大ぶりのパンチ。
その予備動作ゆえに軌道自体は極めて読みやすいが、それと対処できるかは別とか言うクソ技。