今俺が滞在する街の名を
横に長い嶺瑛でも西北部に位置しており、名前の通り北と東に険しい山岳地帯を有している。嶺瑛の主な交易ルートとして使われる12の大街道からも外れており、地理上では片田舎ではあるのだが、天奉山由来の鉱物───術式道具の製作に必須とされる
そんな産業都市に俺が足を運んでいた理由というと、金のためだった。路銀だ。家を出て大分経った俺の懐はそこそこ寂しい。そういう意味でこの岳都は打ってつけだ。天奉山は
「
「ああ、よくやった」
今回の依頼は
といっても大歯狼自体はそんな強い魔物じゃない。冒険者であれば駆け出しでなければ誰でも倒せるような魔物だ。つまり大量に討伐したところで大した金にはならなかったりする。
だから正直高給取りの煌葉が付いてくる必要など無かったんだが、黄玲様が行くのならと言って聞かなかった。
「このような仕事を黄玲様がやられる必要性があるのですか?」
「あるよ。俺は冒険者だ」
「他の冒険者に任せればいいのではと愚考しました」
「夏楼の名は捨てたんだ。正確には捨てさせられたが正しいが、ともかく俺はそんな偉ぶった立場の人間じゃない」
自身に対する不満というより、俺を慮った結果の不満をぶつくさ呟く煌葉にそう諭す。
「ですが金銭に困っているのならばここに私がおります。私は官吏として幾何かの報酬も得ています」
「それは煌葉の金だ。俺は人様の金に手を付けるほど落ちたつもりはないよ」
「失礼いたしました」
恭しく一礼をされた。とても居心地が悪い。すっかり俺は庶民の性根を身に着けていて、だから官吏に頭を下げられるとやりづらい。
「念のためだけど、絶対に人目があるところでそういうことは言わないでくれ」
「承知しております。その分は人目が無いところで奉公させていただきます」
それも辞めて欲しいと思うが、煌葉に何を言っても無駄なのを知っているから口を噤むしかなかった。煌葉は俺を主人と仰ぐが、俺の言うことを全て聞く訳ではない。その代表例が主従関係の解消についてだ。俺が一介の平民で、対して煌葉が官吏であるので、煌葉の俺に対する物言いを改善しようと試みたが終ぞそれは出来ていない。傾向として俺の事となると煌葉は頑なに首を縦に振らず、どこか自己中心的になる。いや、俺のことを考えているから自己中心とは違う気もするが。ともあれ、俺も俺で手紙一つで堂角商会に出した訳だからその点について諭す程度で、強く言うことは出来ておらず今に至る。
天奉山中腹、大歯狼の目撃情報があった地点を念入りに回って討伐を続ける。俺と煌葉、どちらも後方の魔法使いなので、パーティーのバランスは頗る悪い。だが俺は程々に魔法が扱えて、煌葉も俺が教えた後も本当に自学していたようで、結果的に高水準の実力でバランスの悪さをカバーしていた。距離を取って煌葉の木魔法による拘束から、俺の炎魔法による焼殺。これが現在の王道パターンだ。これで安全距離から確殺できる。今のところ非常に安定した道程だ。
30体ほど狩ったところで、大体太陽が下り始めた。そろそろ街に戻らないと夜になって暗闇と戦うことになる。大歯狼を初めとして魔物には夜目が効く奴が多い。暗中模索状態で魔物に囲まれるのは勘弁だ。
早めの行動が功を奏し、日が落ちる前の下山に成功した。冒険者ギルドに依頼達成の旨を報告し、討伐の証である
依頼は終わったが、煌葉は変わらず付いてくる。依然として俺を逃がす気はないようだ。
宿屋までの道程は互いに無言。
苦ではないが、一々敬語とタメ口を切り替えるのは面倒だったから俺から話しかける気はあまり起きなかったし、煌葉はそんな俺の気を遣っているようだった。前々から知ってたけど出来た元従者だ。俺なんかに付いてきちゃ駄目な人間だと思う。
連泊している宿屋にチェックイン。この宿のクオリティーは岳都の中だと中間くらいの位置付けだ。と言ってもこの似非中華ファンタジー世界、宿にそう多くは求められない。最安ランク帯の宿がタコ部屋なのに対してここは精々個室があるだけだ。宿の外装は古ぼけているし、部屋の隅や窓の縁なども所々埃が溜まっていて、前世の平均値と比較してしまえば大きく質は下がる。それでもさらに一個上の宿を取ろうとすれば倍以上の値段を取られるので、仕方なくここに泊っている。
ボロクソ言ったが、ぶっちゃけ宿自体は問題無い。一番問題あるのは俺を追って隣の部屋に煌葉が泊っている事実だ。
部屋に戻ると、コンコンと扉が叩かれた。
当然この部屋の壁は厚くない。俺は敬語で返答する。
「どうぞお入りになってください」
「失礼します」
そっちが敬語じゃ意味無いだろと思いつつも俺は煌葉を招き入れた。
煌葉はそそくさと入って扉を閉める。音漏れしないようにか念入りに施錠までした。
そして小声で言う。
「黄玲様、本日の私は如何でしたでしょうか。黄玲様の従者たる資格を満たしていたでしょうか」
「ああ大丈夫だよ。煌葉が俺の期待に応えなかった日などないさ」
「勿体無いお言葉です」
慇懃に一礼する煌葉を見て、後ろ髪を掻くことしか俺は出来ない。
この天才少女は再会してからここ3日間、夕暮れ時になると俺の部屋を訪ねてはフィードバックを求めてくるのだ。俺はそれに3回とも問題無いとつまらぬ返事をしているのに、一向に辞めようとしない。恐らくだが、俺に捨てられたという意識が強い煌葉は二度とそんなことが起きぬよう俺の評価を逸したくないと考え、毎度ここに来ているのだろう。
と、そうだった。
金は渡さねばならない。
「はい、忘れないうちに今日の分け前」
「お言葉ですが黄玲様、私の事は霞とお思い下さい」
「命令だと言っても?」
「大変申し訳ございませんが私は官吏です。もう一度黄玲様が私を従者にしていただけるなら受け取ります」
「夏楼一族じゃない俺の給金じゃ難しいな」
「奴隷にしていただいても一向に構いませんが」
「それはもっと困る。俺は天子様から睨まれるつもりはないよ」
こんな優秀な英傑を一介の冒険者が取ったのなれば、100%俺は潰されるだろう。いや、今でも不味い気はするが。やはり国外に高跳びするべきだろうか。
表情以上に残念そうな声を出す煌葉に、無理矢理俺は金を握らせる。
「ですから黄玲様」
「言い分は分かってる。煌葉の給金からすれば端金ってことも。だけどどうか俺のために受け取ってくれないかな。昔の立場を振り翳してタダ働きさせるのは俺の矜持に反する」
「分かりました。ではこう致しましょう。黄玲様は私から恩を買いました。金銭では交換出来ぬ恩です。いつか返していただきますので、こちらは受け取り出来ません」
「随分口が上手くなったね煌葉」
「主人の背中を見て育ちましたので」
煌葉はそう言って微笑んだ。
しょうがない。俺は手を引っ込めると、金を懐に入れた。
恩なんて本当は与えたくないけど、煌葉への恩であればまあいいだろう。
兄も言っていたが、恩は売り得で買い損な手形だ。恩は売れるときに売っていいが、買うときは弁済方法を予め立てた上で買わねば痛い目を見る。それでも買わねばならぬ時は覚悟をする。それが恩だ。
煌葉は最初から話をこう纏めるつもりだったのだろう。一切言い淀むことなく台本を見ているようだった。
「そういう口八丁手八丁は兄の特技だけどね」
意趣返しに言うと、煌葉は憤慨したように僅かに目を吊り上げた
「私の主人は黄玲様だけです」
「分かってる、分かってるさ。揶揄っただけだ」
「黄玲様の奴隷になります」
「それは本当に辞めてくれ。悪かった。怒らせるつもりは無かった」
「では従者なら許可していただけると」
ドア・イン・ザ・フェイスかな。勿論この世界にそんな言葉は無いけど、手法自体は商人なら使って当然のものだ。やっぱり商売気質な兄に何か習ったんじゃないだろうか。天才だから自分で考えた可能性も低くないけど。
「出来ない。金が無い。俺が認めたのは同行者になるところまでだよ」
「私は何かを頂けなくとも黄玲様にお仕えいたします」
「それは出来ない話だな。社会の基本は互酬性だ、それが崩れれば歯車が嚙み合わなくなる」
「問題ありません。黄玲様と私の閉じた関係で何かが狂うなど想像も出来ないです」
「煌葉、俺は人間だよ。人間は過ちを犯す」
「独特な漫言放語、感服しました。しかし、僭越ながら申し上げるに、仮に黄玲様が過ちを犯すことがあるのであれば、それは社会が誤謬で満ちているからです」
「煌葉は……いや。とにかく過剰評価だよ。それに冒険者に従者は不自然だ」
見ない内に、随分と俺の評価が上がってしまっている。煌葉のそれは、まるで人々が神、或いは天子に対して無条件で信仰心を捧げるのと似ている。さながら偶像崇拝のようだ。青天井に理想が理想に重なって、最終的には崇拝対象から欠点が消える。勿論、煌葉に限ってそんな事を考えているとは微塵も思ってないわけだが。
俺が言葉を濁したことを不思議に思いつつも、煌葉は言葉を続けた。
「それは簡単に解決するのではと思います」
「どういう意味で言ってるの?」
「黄玲様は冒険者家業でも手を抜いていらっしゃるのはこの三日で存じております。黄玲様の正当な実力を発揮できる依頼を引き受ければ、忽ち名が通るはずです。有名な冒険者は雑事の為に秘書を付けると聞き及んでおります」
煌葉の言うことは正しい。簡単な依頼ばかりを受けていて、本気など露ほども出していないは事実だ。だがそれはこの
自分でも俺の魔術がこの国で異端であると十全に理解している。それが公になれば貴族、下手をすれば国から声がかかるだろう。俺はそれが嫌だった。宮廷術師とか冗談じゃない。折角貴族の肩書を捨てることが出来たんだから、この素晴らしい異世界を見て回りたいと思うのは当然だろう。
何せ、ここは中華モドキだが他には西洋ファンタジーっぽい国家もあれば和風国家もある。外にはエルフやドワーフ、マーメイドなんかも居るらしい。ワクワクだ。
だからいずれは
煌葉はそれを何となく理解して言っている気がした。だから矢鱈と奴隷やら秘書やら口にしているのかもしれないと。そう思った。
「それでも俺は従者は取らないよ」
「そうですか。私を妻として娶るのはどうでしょうか」
「もしかしてそれが本命かな?」
「全て本命です。私黄玲様の側にお仕えすることのみ考えております故、私自身の立ち位置は重要ではないのです」
「そっか」
会話が自然と止まる。
煌葉は賢い少女だ。俺が賢いと称することすら烏滸がましいほど天才少女だ。やはり俺の考えはある程度分かっているのだろう。近くない未来、
数拍空いて、煌葉は言葉を紡いだ。
「一つだけ、お聞きしても良いでしょうか?」
「何かな」
「私に何かあった際は、助けてくださいますか?」
安請け合いの返事をしかけて、声を喉の奥に留めた。
何かあった際。この聡い少女がどういう事を想定して言っているのか分からないな。話の流れが見えない。
少し考えてみる。
もし仮に揉め事があって、その中心に煌葉が居て、俺が見過ごせるかと言えば絶対に手を差し伸べる。俺が手を出した方が良い方向に転ぶのであれば煌葉を助けるだろう。見過ごす自分が想像できない。
「助けるよ。それが最善なら」
その言葉に、煌葉は知りたいことは聞けましたとでも言いそうな、澄ました顔で一礼をした。ちょっと反応が素直過ぎる気がする。
正直、何か企んでそうで怖い。まあ性格的に無いと思うけど。
部屋から出て行く煌葉を見ながらそんなことを考えた。
■────煌葉────■
黄玲様が私を遠ざけようとしていると気付いたのは二日目、昨日の事でした。
昨日も私は冒険者の登録をして、官吏の着衣を脱ぎ、ただの煌葉として黄玲様に付き添いました。
表面上、人前での言葉を除けば黄玲様は以前と同じように私に接してくれています。それでも黄玲様を疑ってしまった理由は、一言もこの先のことについて展望を口にしなかったからです。
黄玲様は聡明な方です。何も考えずに毎日を過ごすような冒険者ではありません。
黄玲様は何も言いませんが、岳都に居た理由も纏まった貯蓄を得るためだと予想は付きました。岳都という街は採掘業で成り立つ街です。少なくとも黄玲様が好きな場所ではないでしょう。であれば冒険者としての仕事を得るためと推測するのは容易な事です。
その上で金銭が溜まった時、黄玲様は何をするのか。
私には残念なことに黄玲様の心を読むことが出来ないので、真意を察することは出来ません。しかし金銭を溜める必要があるとなれば、腰の重い計画なのでしょう。
恐らくですが、私はそれについて心当たりがあります。
それは旅です。黄玲様は他の国にも昔から興味があったのを当然側仕えだった私は覚えています。特に、天授試験の傍らで魔術の本場たるメリウスデウル皇国の書物を多く読んでいた姿を良く拝見しました。夏楼一族としての黄玲様だったら隣国に赴くことは官吏にならない限り許されない暴挙でしょう。今の黄玲様であれば容易な事です。
そして、旅になると私が重荷になります。
私も未熟ながら、官吏としてかなりの期待をされている自覚があります。だからこそ遊弋を許されているのです。
裏返せば私には中央から注目が集まっています。別国に行こうとすれば必ず中央に伝わり、私に接触して出国させないようにするでしょう。同伴している黄玲様にも目は行きます。従者にすることも秘書にすることも拒むのはこの点が関係していると思います。しかし、黄玲様が魔術に長けたお方と知っているのは青碁様と私だけですし、長年韜晦した黄玲様が簡単に本懐を露わになることは無いはずです。これは遠ざける理由になりません。
なので、もしかすると、私の才覚を考慮しているのかもしれません。
根拠はあります。黄玲様は常々私の才能をお褒めになります。過剰なほどに賞賛を送られます。その一つ一つがこの身を麻薬のような甘美さで震わせ、一度知れば忘れられぬ劇物となるのですが、一方で、黄玲様は私をこの世の遠い存在として見る節があります。
物理的な話ではなく、表現の的確さを軽んじて言えば、世界の全てを糸で操り自身の都合の良いように変革することさえ思いのままに出来る天賦の能力を持っていると、そう思われている気がしています。有り難い評価ですし、黄玲様の為であればそうでありたいと思うこと山々ですが、それは過剰評価です。私が出来ることは黄玲様も出来るのです。術式は勿論のこと、天授試験も意志さえ伴えば私よりも早く及第されていたと確信しています。
ですが畏れ多くも天より高く私の才覚を評価する黄玲様は、私の才を最も良い形で世界に還元すべきだと考えられているのかもしれません。
今回も遠ざける理由は
しかし可笑しいです。黄玲様は決して全体主義的なお方ではありません。どちらかと言えば自身で完結していて、赤の他人にはあまり干渉しないような性質のはずです。私は思い違いをしているのでしょうか。
もう一度考えてみます。
紅泰では恐らく私の事情ではなく私の才覚が理由で
嶺瑛については、確かに紅泰は嶺瑛の一部ではありますが、公務以上の直接的な関係性はありません。宮殿内にもお知り合いはいないはずです。
となると、嶺瑛を良くする理由が黄玲様にはありません。
つまりこれは黄玲様が私を遠ざける理由にはなりません。
……いえ、一つだけ心当たりがあります。
それは私の身を案じている可能性です。
安直に考えて、官吏はこの嶺瑛で暮らすに当たって成功者です。黄玲様が今やられている冒険者などとは比較にならないほどの給金に加え、特権や、末代とまでは行かずともその子供にも成功の恩恵が与えられるくらいです。
なるほど、確かに私は恵まれています。
普通であれば官吏としての最優の人生を捨ててまで、誰かに尽くす生涯など選ばないでしょう。だからこそ宮殿内は醜悪な権謀術数が蠢いているのですから。
とはいえ、もしそうであれば黄玲様は私のことを思い違いしています。
私の人生はどうであろうと、既に黄玲様と共にある所存です。親に捨てられたときに一度死んでいるのです。黄玲様がご自身のために私をどう使おうとも自由ですが、使う選択肢にすら含めようとしないのは気に要りません。
ならばまずは遠ざける理由を切り捨てる必要があります。
やはり、官吏という肩書きは捨てるべきでしょう。黄玲様が敬語を使う上に、敬語じゃなくとも本心をお話されていないように感じてしまいます。
官吏は普通に辞めようとしても辞められるとは限りません。あの宮殿に務める官吏たちの言葉から私はどうにも、頗る優秀な新人という最上級の評価そのまた上の新人が得てはならない評価を受けている気がしてなりません。慰留は間違いなく、最悪としては連行された挙句の果て、宮殿に閉じ込められるなんて可能性だって本気で考えています。
となると、私は簡単な策を講じる必要があるようです。
黄玲様にお伝えしてしまうと余計なご心配をされてしまうので、事が終わるまでは内密に処理をします。
丁度、岳都の事情も知れたことですし。
そこで私は死ぬことに決めました。
春休みが終わるので投稿することにしました。