似非中華ファンタジーだけど科挙はあった   作:金木桂

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官吏と主人

 

 岳都に引き続き滞在をしておおよそ一か月。

 毎日齷齪と日銭を稼いで、ある程度金を溜めることが出来た。

 

 そろそろ、岳都を発つ頃合いなのかもしれない。

 何せ冬が近い。

 天奉山の冬は肌を刺すような寒さに加えて、多量の降雪に見舞われて雪解けの時期まで身動きが取れなくなる。周辺の魔物もその厳しい寒さから冬眠を始め、冒険者への依頼も少なくなり糊口を凌ぐために貯金を切り崩す羽目になることが予想される。程々に稼がせてもらったしこの辺りが潮時だろう。

 

 まだ国外に出るのに十分な路銭があるとは言えない。冒険者と言えど国外に赴くのはそう簡単なことじゃないのだ。言語の壁に文化の壁、人種の壁。冒険者の仕事を見つける難易度も低くなく、車や飛行機が無いこの世界で世界各地を旅するためにはやはり十分という言葉でも足りないくらいに備えはたっぷり要るだろう。

 今後も変わらず入念な装備と当分の生活費を稼ぐべく、暫くはまた嶺瑛(りんえい)国内の別都市に滞在するつもりだ。

 

「煌葉、今週中に発つよ。天候を加味して四日後くらいかな」

「承知しました。私もそのつもりで準備を進めて参ります」

 

 と、俺の考えを煌葉へ伝えれば予想通りではあるが付いてくる気満々だったようだ。

 にしても煌葉に対して無駄な心配かもしれないが、遊任刺史の仕事は問題ないのだろうか? 正直あまり仕事内容が想像ついていないが求められる仕事の質はそれなりに高いだろうに。

 

「いえ、それほどでもございません。黄玲様であれば二日もあれば終わる内容でしょう」

「アレ、俺声に出してた?」

「はい」

 

 首を縦に振って肯定した。これは恥ずかしい。

 煌葉はすっと表情を引っ込めると、真剣な相貌を作って佇まいを正す。

 

「黄玲様。私に黙って置いていく選択肢を放棄して下さりありがとうございます」

「当たり前だろう? 煌葉、今の君は俺の従者じゃない。適切な言葉を探すのは難しいけど、敢えて言えば唯一の幼馴染なんだ。幼馴染に黙って出ていくほど人情に薄いつもりは無いよ」

「置手紙で絶てる程度の繋がりだと、ご認識されているのではないかとこの煌葉は不安に思っていました」

「許してくれよ。当時は次男と言えど夏楼の家名を背負っていたんだ。今みたく気軽に私情で動けたわけじゃないさ」

「そうですね。配慮が至らず申し訳ございません。しかし主人として私の不安を知って欲しかったのです」

「……そうだね」

 

 主人じゃないけどな、とは言えなかった。

 煌葉がこういう考えになった原因の一つは確実に俺だ。今でこそ従者と主君という関係性じゃないが、煌葉が従者という立場に拘るのであれば、一緒にいる限りはそれでいい。だがいずれは膠着状態と化したこの関係性を解消させる必要があるとも思う。

 

 煌葉は珍しく口籠ったように言う。

 

「それでは黄玲様、これから出立日までお暇をいただけますでしょうか」

「いいよ」

「ありがとうございます」

 

 滅多にないお願いだった。煌葉がお暇だなんて、従者として働いていた日は体調不良以外じゃ殆どないんじゃないか。

 もちろん構わない。元々気楽な一人旅だった訳で、煌葉がパーティーから外れるくらいで依頼が熟せなくなるわけじゃない。

 

 それから二日間は岳都で依頼を果たす。と言っても岳都じゃ魔物討伐以外の依頼はほぼ無い。毒や薬になる有用な植物も大して自生しておらず、討伐以外で一番多い依頼は遺品探しだろうか。行方不明になった鉱夫のタグを探す。見つかればセットで大体その持ち主が近くで死んでいる。見つかった傍に五体満足な仏さんであればいい方で、大抵は魔物や動物に食いちぎられ時間が経ち腐乱した肉片となっている。依頼者である鉱夫の雇用主も勿論それを知っていて、頑張って見つけても事務的に受け取るのみ。まあ何というか、とっても気が滅入る依頼だ。精神的にしんどい割に大して金にはならない。当然誰もやりたがらない汚れ仕事ではあるが、難易度が高い仕事が多いこの周辺では駆け出し冒険者が良く受ける印象である。ただ他の町の方がもっと安全で高価な依頼も多いから駆け出しなんて絶滅危惧種、この街をホームにするのは中級以上か地元住民くらいなものだ。娯楽も無ければ男臭いしな。

 

 最後の一日は食糧の買い出しに使った。次の目的地は嶺瑛(りんえい)南東部にある呂畔(ろはん)にした。国境に近く、更に東へ行けばメリウスデウル皇国がある。旅路でちょこちょこと稼ぎつつ呂畔で最後にガッツリ貯金をして、嶺瑛(りんえい)を出る。大まかにそんな計画を俺は立てていた。

 

 そうして明日はもう旅立てるよう準備を整えて、荷物の紐をきっちりと縛る。食糧と消耗品は万全。換金も全て終えた。元々荷物は少ない方だ。今すぐにでも町を出ていける。

 

 なんて、新天地に向けて気分が少々高ぶっていたのか悪かったのか。

 外がヤケに騒がしい、と思ったら静寂が一瞬訪れ。

 ドゴンッッッッッッ。

 地面が物凄い勢いで捲れたような、重い地鳴り音が響いた。

 

 なんだ? 一揆か?

 それにしちゃ派手過ぎるな……掘削に使う爆発物の扱いでも間違えたか?

 

 音に釣られて宿の外に出てみると、俺と同じように野次馬がなんだなんだと遠くを見ていた。

 爆心地はどうも岳都の政治の中心地に見える。

 岳都の県舎は地方の癖にかなり豪勢だ。俺も何度か県舎の前を通りがかったことがあるが、門扉から見える中の調度品は中々に成金だった。仮にも貴族だったから分かる。さり気ない通路の石畳や壁面は洗練されていて、窪みには複雑な造りをした壺が置かれている。中庭に示威的な噴水が設置され、そこからは植物園へと水路が引き込まれている。

 

 そんな豪邸にも似た建物から黒煙が立ち上っている。

 どうやら事故、じゃなさそうだ。

 

 ………いや待て。煌葉はどこにいる。

 煌葉は官吏だ。刺史という立場上、県舎にも立ち入る機会も何度もあったそうだ。ここ三日は朝と夜しか見ないが、普段俺と一緒にいた反動で今は溜まった自分の仕事を片付けているんだろう。

 そう考えた刹那とんでもない焦燥感に駆られて、身体が動く。

 

 巻き込まれているんじゃないか。この爆発に。

 

 足が県舎へと向かった。本気で走れば5分もかからない。

 意匠が刻まれた門扉は開かれており、門兵が足早に対応に追われているようだった。しかし予想と違い兵達は中から門の外へと出ていく姿ばかり。どういうことだろうか。爆発の処理をしている訳じゃないのか?

 

「あの、すみません」

 

 引き留めるように俺は兵の一人に話しかけた。長身の若い男は迷惑そうに眉を潜めた。

 

「なんだ。見て分かるだろ、俺は忙しい。些事は後にしろ」

「それは失礼しました」

 

 兵は走るように行ってしまった。

 ……方面的には天奉山の採掘場に兵の流れが出来ている。事件性を鑑みると、この爆発を引き起こした犯人がそちらに逃げたのだろうか。

 

 煌葉はどこにいるのだろう。まだ建物内にいるのか。

 そう思って開けっ放しの門から敷地内を見て、俺は愕然とすることになる。

 

 噴水を植木鉢にして、大樹が天へと伸びていた。ここからだと見えにくいが、とんでもなくデカい。

 

 恐る恐る近づく。

 巨大な塔のような太い幹に、ふさふさとした樹冠が枝を覆う。自然界であれば樹齢1000年は下らないであろう樹木が、何の前触れもなくそこで自生していた。

 刹那、俺は悟った。

 悟って当たり前だった。

 俺はこの術式を幾度となく見ている。

 

 これをやったのは煌葉だ。

 嶺瑛広しと言えど、この規模の木属性の術式を操れるのは煌葉しかいない。何か事情があって術式で生やしたんだろう。地鳴りの下手人は煌葉だったというわけで。

 

 ───つまり、兵に追われているのも煌葉ってことにならないか?

 

「煌葉ッ!」

 

 俺は可能な限り全力で、天奉山へと向かった。

 

 

 

 

 

■────煌葉────■

 

 この国は外見は絢爛で、その中身はかなり腐敗しています。

 都である蝶香(ちょうこう)がその最も代表格と言えるでしょう。天子第一主義が招いた弊害として、心の底から誰かを信頼して築かれた人間関係など官吏間では存在しませんでした。同じ位であれば捏造した冤罪で蹴落としてはいがみ合い、格式に差があれば派閥に取り込み取り込まれる。実力主義と言えば体裁は整いますが、深い欲望と怨恨が渦巻く蝶香は、気が狂うような天授試験の勉学に振り落とされなかったのは良いものの狂気と正気の狭間に落ちてしまった官吏たちの町です。全体便益の最大化という理念を掲げて国を操舵しようしている官吏なんて恐らく一人もいません。いたとすれば目障りなので消されます。素晴らしい場所だと思います。

 

 そんな模範的な町がこの国の都なので、地方も腐敗するのは自然の理でしょう。

 

 私がこの岳都に来て思ったのは、金回りが随分良いという事でした。

 確かに山岳地帯では兪月石(ゆゆえいし)が採掘できます。物によっては貴族の離宮ほどの値段で取引されると聞きました。

 ですが、それを勘案してもこの町は経済的に不自然でした。不整合と言っていいです。

 

 県舎もそうですし、町全体に高級層向けの店が揃い過ぎています。高級な宿、料亭、個人注文型の衣料品店。鉱夫と冒険者で大半を占めるこの街に、貴族が通うような価格帯の店があるのは奇妙な話でした。需要と供給が明らかに乱れているのは明確です。

 まだ岳都が主要な大街道近辺の交易の要点というのであれば理解できますが、実際には大街道から大きく離れ、北と東には堅牢な山脈を侍らせています。交易の面で言えば明らかに流動性の低い町です。

 

 疑いつつも県舎では、県令からどうでもいい接待を受けながら書類を確認しました。内容は経済や内政の報告書で、最も気になったのが兪月石(ゆゆえいし)の採掘量と販売量。一見すればその量は釣り合いが取れているように見えました。ですが、私の主観だと想像以上に採掘量が少ない。当時は未だ根拠はありませんでしたが、腑に落ちなかったのはやはり経済でした。貴族と呼べるような金持ちはほぼおらず、採掘事業は国策としているため民間の商人もこの町にはあまり寄り付きません。そして鉱夫の給料を考えれば、間違いなくあの店群はこの町には不格好です。

 あと県舎自体の造りも羽振りが良すぎます。たった数年程度稼いだだけでここまでの余剰金が出るとは思えませんでした。

 

 少しして県令は袖の下を見せました。私が勘付いていることに気づいたのかと思いましたが、彼の余裕そうな表情を見て違うと確信しました。刺史全員に配っているのでしょう。

 きっと私のように不信感を抱いた刺史もいたはずです。ですが金銭を受領して見なかったことにする、なんて所作が官吏にとっては日常茶飯事なのもまた一つの事実です。見逃すもの簡単です。黒に近い灰色なのだから。

 そうではなくとも貰えるものは貰っておけという感覚で受領している可能性もあります。黄玲様が昔仰っていた言葉を借りれば『ログインボーナス』と言うのでしょう。私には何語なのか今でも分かりません。

 

 金は受け取らずに調査を続行しました。

 無から富が湧き出すことはありません。大方、二つの可能性を視野が存在します。

 一つ、採掘量を誤魔化して自分の懐へ入れている。

 二つ、利益の過少申告を行い脱税をしている。

 多分ですが、前者だろうという気がしました。書類上は特に不備はなかった点、それから県令は私から脱税が出来るような賢い顔に見えませんでした。

 

 怪しいのは岳都から1日離れた小規模な町を拠点にしている犯罪集団です。確か名前を畦蛇(あぜへび)とか言いましたか。様々な犯罪に手を染めているこの不届き者ですが、不定期的に兪月石(ゆゆえいし)の輸送経路に罠を張って襲っては盗んでいるようです。県令は盗賊対策については消極的で『ああ構わん構わん、命が助かったのならば何も問題は無い』と慈愛に満ちた態度で静観しているとは委託された輸送業者の弁で、理屈で言えばここが一番怪しいのは明らかでした。

 

 という訳で乗り込みました。

 

「なんだてめえ!?」

 

 平屋を拠点とした男共が8人ほど、昼から酒盛りをしていました。隨分と興奮しており、私のような官吏相手に剣を抜き去り、酷く不躾な視線を送ってきています。

 

 どうやらやる気みたいです。何も問題はありません。犯罪集団と言えど所詮は田舎の小さな暴力しか知らぬ井の中の蛙。

 しがない官吏でしかない私だろうと対処出来る相手で、賊が何人いようが相手にはなりませんでした。

 

 私の唯一とも言える戦闘手段である、木属性の術式の基本は樹木の生成です。水があるのであればどこだろうと自由自在に木を生やし、相手を絡め取ることが出来ます。言うまでもないことですが水場は必ずしも必要ではありません。大気には大抵満遍無く細やかな水が含まれています。黃玲様は水分子と言っていました。水分子がある限りはいつでもどこでも如何様にも樹木を私は操れます。

 

 最終的に生殺与奪の権を私は握ると、簡単に尋問をしました。同情の余地も無い犯罪者というのは非常に御しやすくて助かります。私は確かに黄玲様以外に対しては情が薄い自覚がありますが、それでも人の子なので、それなりに痛む心を持っています。 

 ですが犯罪者ならば別です。どう扱おうが誰に文句も言われることはありません。黄玲様も言いません。良心も痛みません。だから何をしても問題にはなりません。

 

 先程尋問と言いましたが、終えてから賊の身体を見て、拷問だったかもしれないと思いました。

 水分が少しでもあれば樹木は生えます。水分量に対してどの程度の樹木が成すかは術者の腕次第です。

 目の前の賊共を一言で表せば新手の妖怪でした。

 毛穴から細い幹が複雑に伸びて、更に別の賊から伸びた幹同士で絡まり合っています。幹は血液を吸って仄かに赤黒く、葉脈は濃厚な赤血球の色合いとなっています。文字通り養分となった彼らの表情は感情が抜け落ちたように虚ろで、廃人にも見えます。でも知りたい情報は搾ったので問題はありません。

 

 得た情報として、彼らはやはり県令から情報を得たうえで入念な準備を行った上で強盗行為を働いていました。裏付けとなる物証もあります。隠蔽する知能が無かったのか、彼らの家にはその輸送ルートと思わしき依頼書も残っていました。そこには依頼者の名前は当然ながら書いてありません。しかし文面から察するに恐らく彼らは都合良くこう考えたんでしょう。これは蝶香で活動している大規模マフィアからの依頼だ、この依頼を果たせば自分たちもその仲間入りが出来るかもしれない、と。

 

 彼らは頭は良くないですが馬鹿というわけではなかったと思います。それは手引きがあったとはいえ、長期間、複数回に渡り輸送業者への強盗行為を成功させていることから伺うことが出来ます。ここの県令は聡明そうには見えませんでしたが、自分より知能の劣る者を騙す程度のことは出来るみたいです。

 

 生活の痕跡や賊の使っていた備品を精査して、一応漏らしがないか確認します。使っていた刀剣や食器の数から、私が処理した男で構成員は全員だと判断しました。仮に残りがいても何ができるわけでも無いでしょう。少なくとも兪月石(ゆゆえいし)を強奪するような真似は出来ないはずです。

 

 私がその場で検証をしていると、ドアが開きました。

 

「何かあったのか───!?」

 

 男はここの住民でした。いけません、物音を立てすぎました。

 不思議そうに扉を開けた男は、官吏として正装を身に纏う私を見て、それから居間に鎮座する木のオブジェを確認すると固まってしまいました。

 ふむ、どうしましょうか。見られてしまいましたね。これは私の失態です。

 処理するには私の心が痛みそうです。彼は無辜の平民。殺すのはちょっとだけ罪悪感があります。かと言ってここでただで逃がすのは後のことを考えればあまり好ましくない。官吏が賊とはいえ平民を私刑に処すのは社会的には悪と言えるでしょう。

 ……それに、目撃者の男のこの様子。この街では賊共はそこまで嫌われている訳じゃなかったようですね。儘なりません現実は。

 

「天上貴族様……これは……?」

「汚れは景観を損ないます。淀みは可能な限り減らすべきです」

「何を、言ってるんでしょうか……?」

「銭を差し上げましょう。心配要りません。ただの口止め料です」

 

 手形を押し付けます。これを商人に持っていけば金と引き換えられます。

 

「これは……受け取りません」

「受け取ってください。命令です」

「こんなことが、認められる訳が無い」

 

 目撃者の男は清廉な性格をしているみたいでした。立場で物を言っても引かないとは、この小さな町に相応しくない一廉の人物です。人間としては好ましいかもしれんませんが、しかし、今の私にはこの男の翳りのない強い意思は不都合です。

 

「そうですか。ではこのようにしましょう。従わない場合、貴方もこの男と同じ目に遭って頂きます。どうしますか?」

「どうって……」

 

 男は木のオブジェを見た。彼らは別に死んでいるわけじゃありません。直に死ぬでしょうけど。体内の水分を樹木が栄養として吸い切ったその時、賊共の命運は尽きます。

 

「お互い、今日の不幸は過去に流しましょう。拘泥する意味なんて無いのですから」

 

 目撃者の男は再び固まって何も言うことは出来なくなったようでしたので、手形を無理矢理握らせて私はその場を後にしまました。

 

 それから依頼書を頼りに紙や筆を売る商店に赴きました。紙など早々売られておらず、岳都で取り合う商店は2つしかありません。そのうち一方が依頼書と同様の紙質のものを扱っており、それを定期的に県舎に卸していることも分かりました。県令が指示を出した証拠としては弱いですが、第三者的には疑いの目を強められることでしょう。確たる証拠である必要はないのです。なにせ私の目的は県令の失脚ではないのですから。

 

 ある程度証拠を揃えた私は県令に面会すると、糾弾しました。

 証拠を提示してもしらばっくれようとした県令でしたが、私が天子に報告すると話すと態度が明らかに変わりました。金銭で解決出来ないかと露骨な交渉が始まります。この場においては真実かどうかなど関係ないのです。重要なのは刺史である私が県令の汚職嫌疑を報告するその点に尽きます。報告内容に完全性こそ無いものの、人が見ればその確率はかなり高いと判断することでしょう。

 

 私は頑なに拒否をしました。それと私はこの県令を明確に嫌悪の目で見るようになりました。私の欲望に訴えかけようとしたのは構いませんが、どうやらこの男は私が普段より黃玲様と共に居ることを認知していて、従者を殺すと言い放ったのです。黃玲様がこの程度の男に殺される心配などするだけ失礼ですが、しかし従者と見下し、あまつさえ殺害を予告し真似をしたこと、それは私にとっては許容範囲外です。

 

 この広い国で最も偉いのは天子様ですが、その理由はただ血を受け継いだだけです。官吏になった際に会ったことがあります。

 私が知る天子様という人物は確かに凡人ではありません。でも私の思う聡明さを持ち合わせた人物でもありません。結局は柵に囚われているのです。

 国、血筋、従者、民草。

 檻の中でどれだけ上手く踊ろうとも、題目の無いこの世では見世物にすらなりません。天子様は黃玲様の劣等生命です。この世の全ては黃玲様の劣等生命です。例外などありません。

 

 それを理解しろとは言いません。しなくていいです。理解するのは私だけで良いのです。

 ですが、疎んじるとなれば、また話が別です。黃玲様を従者として認識して殺意を持った。敬意も尊厳も畏怖もそこにはありません。

 それは私が許せる裁量を超過しています。

 全くいけませんね、俗物は。

 

 苦悩するように顔を顰める県令を尻目に私は懲らしめることを考え始めました。

 賊同様に殺すのは宜しくないです。黃玲様はお優しい方なので相手を殺意を持って害することに忌避感を覚えています。私が堪えれば良いのです。殺さずに身の程を知っていただくのです。

 

 そう言えば、この立派な県舎には噴水があります。それを使えばかなり大きな樹木を増やせることでしょう。

 そうして県令と会話を合わせるふりをしながら術式を用いて、今居る四階の高さまで生やせば、一気に成長を加速。

 すると、視認するのも困難な速度で窓を突き破り、木の太い枝葉が県令の首筋へ襲い掛かる。殺す気はありません。薄皮一枚、枝葉で斬るのみに留めました。

 

 県令は呆気に取られたように枝を見ると。

 

「殺せ。───こいつを殺せ」

 

 何か上手いこと行きました。もう少し小細工を弄して追い詰めようかと思っていたのですが、激情家で助かりました。

 

 衛兵が寄ってくる前に私は窓から飛び出して、枝の無い細い木を空中で生やし、幹を掴み滑るようにして地面へ着地。そのまま天奉山へ向かうことにしました。

 

 天奉山は傾斜の急な斜面も多く、それ故に足場を踏み外して行方不明になる冒険者も枚挙に暇がないそうです。

 即ち、死を装うにはうってつけの場所と言えるでしょう。

 

 兵に追われながら私はこういう場合もあろうかと下見していた場所までやって来ました。採掘場から少し離れ、あまり使われない天奉山南西部の旧道です。幅の狭い山道で、右手側が切り立った山面、左手側が落差で言えば建物20階分の崖になっており、眼下では荒い水飛沫を立てて渓流が流れています。

 

 疲労の末に追い詰められ、それでも逃亡を続ける私は足場を誤り滑落して川へと落ちる。そういう話にしようかと思っていました。この高さから急流に落ちれば普通は死ぬと考えます。死体が上がらなくとも捜索は然程真面目にはされないでしょう。県令としては私は死んでいた方が好都合なのです。少なくとも官吏としての正装、青霜法衣(せいそうほうい)が下流で見つかれば私は死んだものとして捜索は打ち切られるはずです。星霜法衣は天子様に仕える物的な証であり、官吏という身分を示す重要な物品である。どのような理由であれどこれを紛失すること即ち、未来永劫天子様に背いた者として、蝶香には絶対に立ち入ることは出来ません。他人にそのことがバレれば罪人のような扱いを受けます。だからこそ官吏の多くがこの服を預ける為だけに従者を雇うほど、目立つことこの上ない正装を大事にしているのです。

 

 私は今となってはどうでも良いのでいつでも捨てれました。捨てなかった理由は宮殿の官吏たちから好条件で引き留められたこともありますが、もう一つ、黄玲様がどのようなご意思をお持ちか判明するまでは捨てないほうが利と考えたのです。なにせ組織は腐っていても官吏です、この身分の価値は国内では絶大です。

 しかし、黄玲様は私を利用することをお考えになっていないご様子。であれば、最早この身分に未練はありません。

 

 普通に辞職は多分出来ないでしょう。中央による私への評価は常軌を逸しています。他の新人官吏や既存の官吏を差し置いて刺史、況してや例の無い遊任刺史など、真っ当な人事ではありません。恐らくですが、この偽装も見破られる可能性があります。でもいいのです。黄玲様は国外に出るはずです。それまで時間が稼げれば私としては何一つ問題は生じません。

 

 苦悶に満ちた顔をする私は表情とは裏腹に、脳内ではそんなことを考えていました。

 現状、私は兵たちに追い詰められ、崖下までじりじりと下がっています。誰から見ても追い詰められていると見えるはずです。

 

 急流に落ちる対策は勿論しているので、後は事故を装い落ちるのみになります。渓流の水中には術式で網状の木の根を水底から生やし、流されないようにしています。怪我はするでしょうが死ぬことはありません。

 

 そろそろ頃合いでしょう。身投げしましょうか。

 

 そんな風に思っていれば、急に何人もいた兵たちが同時に意識を喪失させるように、身体から力を抜きました。細い道です。三人ほど渓流の方向へ身体が倒れ、重力に沿って自由落下が始まりますが、轟音が鳴ると崖の壁面が延伸して三人はその上へ落ちました。

 

「殺すのは忍びないからね」

「黄玲様…………?」

 

 空から人影が降りて来たかと思えば、それは黄玲様でした。

 人が空を飛ぶことについては黄玲様と過去に話したことがあります。勿論常人に出来る技ではありません。官吏になった際に風を操ることを得手とする同期から聞いたことがあります。しかし習熟した術者でも現実的じゃないという回答が返ってきました。

 対して、黄玲様は昔にこう言っていました。

 『やったことないけどさ。多分簡単だよ。方法は幾つか思いつくけど、楽そうなのは空気を魔術で操って風を作ることかな。厳密には風自体じゃなくてもいい。分かりやすく属性なんて区分で分類されているけど、魔術の本質は原子を操る力だからね。術式で言えば五行説か、まあ五行説なんて眉唾以下の信用に値すらしない、自分を大層な人間と思い込みたい魔術師が0から生み出した妄想と言っていいゴミ理論だけど、敢えてそんなカスに即して言えば五行説に風は無いだろう。風ってのは原子が、分子が動いた結果でしかない。つまり努力をすれば誰でも飛ぶことはできるのさ、多分』

 多分と二度言いましたが、現に出来ているのです。私も初めて見ました。どれだけの才能があれば成し得る技術なのでしょうか。いいえ、技術と称するのも不足しているかもしれません。誰も成し遂げられぬ技術などもはや技術ではなく、奇跡と呼ぶ他ありません。

 到底、その深淵を覗くことは私には出来なそうです。

 

「煌葉、何があったか聞かせてくれるかな」

「仰せの通りに」

 

 黄玲様は温かい目で、それでいて冷徹な声音で、私へと真意を問い質しました。

 私は問いに対し包み隠さずその全てに回答すると、溜息を吐かれました。黄玲様は拗ねるように、同時に呆れるような視線を投げ掛けられました。

 

「煌葉は向こう見ずだったよね。前から思えばそうだった。しかもとても聡明で物事の趨勢をよく理解しているから質が悪い」

「申し訳ございません」

「責めちゃいないよ。何かを仕出かそうとしていたのは何となく分かってたし、それを深く聞かなかった俺も俺だ。でも一つ言いたいのは、俺に相談せずに物事を成そうとするのは止めてくれないかな」

 

 言葉自体は柔和ながら剥き出しの刀身のような相貌。

 正直、怖い、そう思いました。

 

「俺はね煌葉。煌葉のことが大事だと思っているんだ。でもそれは俺と一緒にいて欲しいという意味じゃない。煌葉は煌葉らしく生きていればそれでいいと思ってる。今でも思ってる。官吏として生きる道は大変だろうが奴隷や商人見習いよりよっぽど幸福だろう」

「黄玲様…………」

「だから自由にさせていた側面はある。煌葉がそう考えるならどうぞご自由に、とね。でも自分を蔑ろにするのは許容できないな。俺を理由に自殺未遂を計画し、職務を放棄する。それは俺が望んでいた幼馴染としての煌葉でもなければ、従者としての煌葉でもないよ」

「……捨てないでいただけますでしょうか」

 

 声が震えなかった自信は無かった。

 当たり前です。

 恐怖でした。根源を揺さぶる慄きでした。

 私の存在価値など、そこにしか無いというのに、このお方から否定され不要と放逐されてしまえば、私など…………。

 

 死ぬよりも忌避すべき事態だったはずです。忌避していたつもりでした。

 ですが私は自分を万能と勘違いをしていました。

 天授試験に想定より何年も早く及第して、自身の才覚を過剰評価してしまった。

 私など黄玲様に拾われなければ大した人間でもなかったのに。

 私など道理や知識を黄玲様から授からなければ、髪色が珍しいだけのただの側仕えでしかなかったのに。

 

 慢心だった。浅薄だった。

 

 私は黄玲様のお気持ちを量り違えてしまった。

 その事実が途方もなく重い。

 私という人間はそう強くないのです。

 親に捨てられ、黄玲様にも一度捨てられました。黄玲様からすれば捨てたつもりは無かったと仰いますが、私は捨てられたと感じました。ですが親はともかく、黄玲様は私の事を家族のようにお思いになっていることを知っていましたから、もう一度会いたいと考えるのは当然のことでした。

 

 しかし、三度目はどうなるでしょう。

 今度は黄玲様からはっきりと拒絶をされて。

 私は廃人になるでしょうか。

 それとも惨めに黄玲様の影を追うでしょうか。

 少なくともすっからかんと忘れ、新たな日々に身を投じることは出来ぬと思います。

 

「私は……黄玲様を……お慕い申し上げて……」

「……あの、えーと。悲しませようとする気はなかったんだけど……取りあえず笑おうよ煌葉。笑顔の方が似合うよ」

「出来ません……大変忸怩たる思いでは、ございますが、今は無理です」

 

 捨てられたら、などと考える自分が末恐ろしい。

 そうなった私はきっともう私ではありません。

 他人に人格が乗っ取られるのと同じです。

 捨てられた未来の私はもう今の私ではなく、黄玲様と幼い頃より喜怒哀楽を分かち合った私ではありません。

 黄玲様は自己の喪失の重みを理解していません。

 ……いえ、それこそ私の傲慢でした。

 黄玲様に希求すること自体、畏れ多いことであるはずなのに。

 

「聞いてくれ煌葉」

 

 黄玲様は私の頬に手を伸ばしました。触れられると暖かな感触。

 

「別に捨てようとか考えてる訳じゃないんだ俺は。ただ自分のことを軽んじるのは止めて欲しいって言いたかった」

「黄玲様……私は捨てられたくは……ありません」

「俺には『なら黙って何も考えずに俺に付いてこい』とか出来ないよ。俺は煌葉が思うほど大した人間じゃないんだ。身内に不幸があれば悲しむし、幼馴染が計画的自殺未遂なんてしようものなら嫌な気分にもなる。普通の人間なんだ。俺に煌葉を捨てる権利なんて無いし、煌葉も俺に捨てられる権利なんて無い」

「捨てられる権利……でしょうか」

「仮に俺が捨てたとしても、煌葉は俺をしつこく追い回して真意を問い質せばいい。ちょっと粘着すれば俺ならコロッと吐くだろうさ。だからまずは、勝手に自分が取捨選択される立場と思い込むのは止めようか。昔は立場があったけど……まあ今は官吏と冒険者か。なら寧ろ煌葉が俺を顎で使う方が正しい在り方だな」

「そんなことは、絶対に」

「まあだろうさ」

 

 深海のような色合いを思わせる、黄玲様の瞳が私を貫きます。

 

「じゃあ俺と煌葉は対等だね。俺は煌葉と一緒に旅をしたい。煌葉はどうかな?」

「……無論、お供させていただきます」

「お供って言うのは目上に使う言葉だよね? 正しく言ってごらん?」

「……一緒に行きたいです」

「分かった。じゃあ一緒に行こうか。そして今後は自分を軽視しないこと。煌葉がどう思うかは俺は分からないけど、少なくとも俺は傷付くし傷付いた。言いたかったのはたったそれだけのことなんだ」

 

 黄玲様は私を頭を撫でるようにして言った。

 私は愚かで簡単で、それだけで黄玲様から受け入れられた気がした。

 黄玲様は優しい。そして聡明で、術式的には前例がないほどの腕前だ。

 やはり私にとっての天子様はこのお方で、天子は仮初の主従でしかなかった。

 その事実を改めて再確認したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

───────── ─────────

 

 

 

 

 

「そうか、アレは縄を千切ったのか」

「左様でございます、鵡荊(むげい)様」

 

 厳かな宮殿内の一室に男が二人。

 一人は、質実剛健さすら感じることができる巨大な椅子に向かって傅き、もう一人はその椅子に座している。

 鵡荊(むげい)と呼ばれた男は頷いた。

 

「お前はアレをどう思う。この国の毒か薬か、どう思う」

「はっ。僭越ながら個人的な意見を述べさせていただきます。……危険かと思います。あれ程の実力を持ちながら誇りは持たず、術式を道具としか考えていない者の目でした。躓く小石次第でこの国にあの樹木を向けることも起きるかと」

「同意見だ。アレはそういう狂った人間の目をしていた。常人の感性を当て嵌めて、その代償を払うのは俺ではない。この国だ」

 

 官吏の登用試験における術式など、筆記に比べればおままごとでしかない。

 順位こそ付けるが、使えれば落第はしないだろう。

 そんな試験で国一番の術師すら凌ぐ木属性の術式を行使し、しかも筆記はどの試験官が確認してもほぼ満点に近い内容。

 この嶺瑛(りんえい)で国防を担う武将軍である鵡荊(むげい)はそうして官吏になった人間を、女とは言え、警戒しないはずが無かった。

 

「岳都は出たようだが、目的は分かったか?」

「どうやら従者の男が大量の食糧を買っていたそうです。売った商人が話しておりました。進路は報告段階で只管東へ向かっているようです」

「東……メリウスデウルか」

「分かりませぬが可能性の一つかと」

 

 メリウスデウルとは長年、停戦関係にある。

 最近は戦こそしていないものの、隙があらば不可侵条約を破り、攻め入るくらいの狼藉は働くだろうと鵡荊(むげい)は考えていた。

 そして、現在嶺瑛の内政は揺れ始めている。

 天子が貴族制の見直しを始めているからだ。

 天授試験を及第していない貴族を減らし、将来的には天授試験を及第した人間だけを貴族とする。

 それはメリウスデウルからすれば大きな付け入る隙になるだろう。

 

「アレを他国に行かせるのは不味い。戦術兵器の設計図を無暗に渡すようなものだ。戦争になった時、アレがメリウスデウルに味方した時、何百個墓が立つかなど俺は考えたくもない」

 

 水場からただ木を生やすだけならばよかった。だがアレはそうじゃない。木を自身の手のように操り、使い方は変幻自在。頭も切れるというのも合わせて最悪だ。きっとアレは、真の実力をこちらに隠しているだろう。

 時間を置かずに鵡荊(むげい)は結論を出した。

 

「生死は問わない。連れて帰ってくることが出来れば報酬をやる」

「はっ」

 

 傅いていた男は短い返事と共に消えるように天井裏へと飛んで行った。

 鵡荊(むげい)は全く気にすることなく、手元にある剣を見た。

 まどろっこしい。

 自身で前線へ出ることが叶うならば、天子様のため、あんな少女の命くらい容易に梳いてみせるのに。

 

 直ぐに考えを断ち切ると、時間を惜しむように早足で鵡荊(むげい)は部屋を出て行った。

 

 

 

 

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