まっかっか
「よ」
「うっわ」
病室の扉をガラガラと開けると、ゴキブリが部屋に湧いた時みたいな顔をしている老人と目が合った。当然、タイミング悪くゴキブリが部屋に出てきたわけじゃない。俺を見てこんな顔をしてるのだ。
「部活はどうした、部活は。次に来る時にまでは、何かしら入っとくと言っただろ。こんな消毒臭いところでサボってんじゃねぇぞ」
「あー、そんな事言ったっけ?」
「俺より先にボケんな、このクソガキが」
「実の孫にクソガキ言うなよ」
「事実だろ」
いつも通りで安心するな、この祖父は。確か肺がんで入院したのが、俺が幼稚園の頃だったか。それが高校に入学するまで生きているというのだから、その生命力には脱帽だ。自分の頑丈さは爺ちゃん譲りの隔世遺伝なのかもしれない。
「ケッ、花なんて買ってきやがって」
「お見舞い品なんだし俺の自由だろ」
「貯金しろ、貯金。バブル崩壊を知らんガキはこれだから困る。そもそも病院の近くの花屋で買うって事自体、向こうの商業戦略に嵌められてんだよ」
「陰謀論大好きかよ。そもそも、俺は爺ちゃんの為に買ってきてるんじゃねーから。看護婦さんの為だから」
「今度はお前の性癖が心配になってきたんだが」
知らねーよ、とぼやきつつ花瓶の中の花を取り換える。俺以外に見舞いに来てくれる人がいないのか、爺ちゃん宛の花瓶の中では、前に自分で持ってきた花が枯れかけの状態で飾られていた。見栄っ張りな爺ちゃんのことだ。看護婦さんもロクに部屋に入れていないから、こんな要救助者の発見が遅れてしまうのだろう。
「悠仁。お前の両親の事だが───」
「別にいーよ、興味ないから」
「.......お前の!両親の、事だが!」
「だから興味ねーって。縁起でもねぇな」
「男はカッコ付けて死にたいんだよ、空気読め!」
ほれみろ、大人ってのは自分の死期を悟った気になったら、もう色々言い始めるんだ。切嗣の死に目には会えなかったけど、あの人も士郎に色々言ってたみたいだし。でもそういう遺言を残して死なれるくらいなら、最後まで馬鹿みたいに笑いながらお別れしたいだろ。
不貞腐れたように口を尖らせると、ベッドの上で寝返りを打ってそっぽを向いてしまった。"ガキっぽいぞ"と追撃を入れてやりたかったが、あいにく花の取り替えで俺も視線を向けられない。今日のところは勘弁してやろう。
「悠仁」
「どしたー?」
「お前は、自分が思ってるより強い男だ」
「いや、なんだよ急に」
いつものように小馬鹿にしてきたのだと思ったが、返事がない。茶化せばいいのか、謝意を述べたらいいのか。どう返答しようか俺が迷っていると、爺ちゃんは話を続けた。
「お前は強いから、人を助けろ。図々しくても良い、自分勝手でも良い。誰かに幸せになって欲しいと思ったなら、絶対にソイツに手を差し伸べろ。迷っても感謝されなくても、とにかく助けてやれ」
「.....言われなくても、そのつもりだよ」
あの日から、俺の生き方というのは決まっている。俺の背中には、救えなかった命が幾つも有る。その全ての命に許されるまで、俺は誰かを助け続ける。その時が例え、命を燃やし尽くした死の間際だったとしても。
「だがな、助けた分だけ他人を頼れ。こっちから一方的に助けてばかりじゃダメだ。返せなかった恩ってのはな、相手が死んだ時に足枷に変わっちまうんだよ」
どういう事だろう。
人を助ける事が、ソイツにとって足枷になるのか?
助ける、ってのは無条件に良い事って訳じゃないのか?
「頼って、頼られて。そんな当たり前な事すら出来なかったのが俺だ。悠仁、お前は俺みたいにはなるなよ」
「ならねーよ。俺にとって、爺ちゃ──」
「お前は、大勢に囲まれて死ね」
それっきり、爺ちゃんは話さなくなった。
普段は言えなかった爺ちゃんへの感謝とか
照れくさいけど、ちょっと尊敬してた事とか
そんなのを言い逃したんだな、と考えると
爺ちゃんが最後に言ってた事が、少し分かった気がした。
「────、───」
あの日も、こんな感じだった。
肌は油をかけられて火を付けられたかのように熱く、肺に吸い込まれた空気は容赦なく内臓を焼いた。身体中は傷だらけで、心もボロボロで。自分の救えなかった命も鑑みず、身勝手に生存本能を口にする。
本当、酷い話だ。俺は十年間、何も成長できていない。
「.....まだ生きてたのかよ」
「あ.....?ああ、お前か」
朦朧とする頭を押さえつつ、身体を起こす。どうやら運動場のど真ん中まで吹き飛ばされたらしい。学校を見ると、自分のいた最上階のフロアが轟々と燃えていた。あのまま反応できていなかったら、あそこに鎮座する炭素のオブジェの仲間入りをしていただろう。
「侮って悪かった.....と言おうと思ったが、そのザマじゃな。せめてもの情けだ。苦しまねぇように殺してやる」
ヤツの手には槍が戻っていた。いくら右腕を奪おうが、俺は全身の自由を奪われているのだ。勝ちの目は無いも同然だろう。
構えようとすると、腹に激痛が走る。ふと視線を落とすと、20cmくらいの太い釘が深々と突き立っていた。あの爆発の中で刺さったのだろうか。無理やり指で引っこ抜いてみると、血液が抜けたのか嫌な眠気が走った。
「.....そうかよ。戦士だったら百点の回答なんだが。お前、生まれる時代を間違えたな」
遠坂は、もう逃げ切っただろうか。ああいう風に見えて、運動部に勧誘されるほどにスポーツ万能なのだ。あれからダッシュで走れば、今頃は家に着いた頃だろうか。
士郎は、大丈夫だろうか。下手に追ってきて、あの爆発に巻き込まれてなきゃ良いんだが。せめて何で死んだのかは伝えて欲しいから、真っ直ぐ帰っててくれたら助かります。
「.....ごめん、藤ねえ。悪い、桜」
あの二人は、"人を助けようとして殺されました"なんて聞かされて、納得してくれるんだろうか。一家のまとめ役ぶってる藤ねえの事だ、きっと通夜になった時でも、いつも通りに振る舞うんだろうな。桜には悪いことをした、今度は士郎と送るって言ってたのに。まあ、運が悪かったと思ってくれ。
「じゃあな、今度は迷うなよ」
紅に染まった槍が迫る。後ろに倒れ込むようにして一打を躱そうとしたが、もう足が言うことを聞かない。あっけなく刃が腹を擦り、一文字に血飛沫を上げた。
今ので最後の一滴を使い果たした。
もう、身体はピクリとも動かない。
視界が赤に染まる。
それは、頭から垂れた血が目に入ってきたのか。
それとも、あの紅い槍が目の前に迫ってきたからか。
まあ、どちらでも良いだろう。あの槍が俺の頭を叩き潰す前に、俺の意識が飛ぶ。負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、俺は遠坂を逃し切ったんだ。これは勝ち鬨というものだろう。
ああ、でもやっぱり─────
「─────────死にたく、ねぇな」
視界が赫で染まり切った。
それは、俺の顔面が潰されたのか。
それとも、もう色を認識する機能が失われたのか。
俺の心臓の鼓動が、緩やかになっていく。
段々と、死に近づいていく。
いや、それは違う。
赫で染まったのは、赤い外套が目に映ったからだ。
心臓が緩やかなのは、誰かが手を取ってくれたからだ。
一体誰なんだろう、危ねぇなぁ。
.......でも、いっか。ありがとな。
俺、死ぬ時は一人じゃないんだ。
おかげで、今日は悪夢を見ずに休めそうだ。
士郎が普通に死にかけただけで足が震えてたのに、この場合はどんな反応してくれるんでしょうね。拙者、気になります。
次回、「もっと、おつかれさま」