どのルートに分岐させようか迷う。
どこかで音がした。
立て付けの悪い障子戸が開けられるような、ガタガタという音。
暗かった道場に光が差し込むと同時に、冬らしい冷気が入り込んでくる。
その寒さに少し体を震わせ、入口の方に顔を向ける。
「悠仁、起きてるか?」
「んん.....悪い、寝てたわ。起こしてくれてサンキューな」
「寝てたってお前.....体を動かしてたんじゃなくて、道場の床の上で寝てたのかよ。悪い風邪ひいても知らないからな」
よっこらしょ、と道場の床から身体を起こす。どうも寝る前.....というか、寝落ちする前の記憶が曖昧だ。確か道着に着替えて運動していた所までは覚えているが、その先がポッカリと抜けている。夜中に動きすぎてランナーズハイになったのかもしれない。
「逆に感心した。高速道路の上でも寝られるんじゃないか?」
「埃まみれの制服で言うなって。士郎は土蔵で寝てたな?」
うっ、と図星なのか言葉に詰まる士郎。説教をするなら、是非とも自分が月に三度くらいのペースで土蔵で就寝する人間だと自覚してからにしてほしい。どうせ今日も、藤ねえか桜に起こされたのだろう。土蔵の中に制服も生活用具も押し込んでいる適応能力には感心するが、もう少し方法は無かったのかと思ってしまう。
.....そう。この男こそが
十年前から同居している、衛宮の苗字を貰った方の男の子だ。
「んで、収穫はどんな感じよ。昨夜からのストーブの
「残念ながら経過観察だな。藤ねえの破壊力と爆発力を甘く見すぎてた、ありゃ下手したら二日はかかるぞ」
「マジかぁ.....そんでビデオデッキは.....」
「あのな、冬場にビデオデッキを優先するはずないだろ」
士郎に昨晩の修理作業の進捗を聞いてみるも、あまり上手くいかなかったらしい。冬場にストーブが無いのは炬燵で我慢できるから良しとして、ビデオデッキが直っていないのは致命的だ。TAMAYAからお気に入りの映画を借りてきたばかりなんだぞ。
「ていうか、悠仁は早く服を着ろ。見てるだけで寒いんだよ」
「えっ....うわっ、上裸じゃん!」
「ほら、早く制服着てこい。俺は今から体動かすから」
寝ぼけた目を擦ると、道場の隅に昨晩着ていたであろう道着が脱ぎ捨てられているのを発見した。どうやら相当疲れていたのか、相当に運動のボルテージが上がってしまったのか。道理で背中が痛いわけである。納得納得。
「んじゃ、士郎。俺は着替えて朝飯を手伝....何見てんだ?」
「.....いや、なんでも」
「んん.....?寝ぼけてんなら顔も洗えよ?」
何やら腹筋の辺りを観察されていたような気もする。それに、どこか眉がピクピクと動いて殺気立っていたような、殺気に似た嫌な雰囲気がしたのだが....。
五年前に切嗣が亡くなってから、この家には俺と士郎しか住んでいない。だが、寂しく二人暮らしをしているのかと言えば噓になる。一名.....いや、最近になって二名ほど、この衛宮家には頻繁に客人が訪れる。
「うん......時すでに遅しだな」
「え....あっ、虎杖先輩。今日もお邪魔してます」
「いや悪い、士郎に起こされるまで爆睡してた。せめて食器は運ぶから座っててくれ」
キッチンを覗くと、ピンクのエプロンを付けた女子高生が料理の盛り付けをしていた。これだけ書くと明らかに事案だが、彼女こそ衛宮家を頻繁に訪れる客人の一人。一つ年下の高校一年生で同じ高校に通っている、
「今日は品数が少ないので大丈夫ですよ。それより、その寝癖を直さなくていいんですか?」
「"洗面所に行ってる間に全部終わらせちゃえ作戦"は通じないからな。クリーム使って整えてんだぞ」
「あれれ?でも、モミアゲが口元まで.....」
「どこのゴルゴだよ」
念のため頬を擦ってみるが異常はない。よかった、これで"髭の剃り残しでした"なんてオチだったりしたら目も当てられなかった。一年半前と比べて性格が明るくなったのは良いことだが、藤ねえの影響で悪知恵まで覚えられると手に負えない。ああいう枠は一人だからこそ輝くのだ。
「とにかく、桜は座って休んでてくれ。先輩としての顔が立たないし」
「それでいいじゃないですか。虎杖先輩みたいな人が同級生だったら、ちょっと面白いです」
「.....それ地味に"留年しろ"って言ってない?」
「ふふふ、それに昨日は先輩達がやってたじゃないですか。今日はそのお返しです」
「分かった.....じゃあ、盛り付けられた分は持ってく。箸とかコップの方は頼むわ」
ふう、とため息をつきながら盛り付けられていく料理に目を移し、試しに片方をヒョイと取ってみる。折衷案に納得したのか、桜が追撃を入れてくる事はなかった。
俺はまだいい。士郎の言う事はもっと聞かないので最近少し困っている。こうして折り合いを付けようとする自分に比べ、士郎は頑固なので終わりのない夫婦漫才のような光景を見せつけられる事も有るのだ。熟年夫婦ならまだしも、第二次成長期も終わっていない学生がこういうのをやるのはどうかと俺は思うぞ。
確か初めて彼女と会ったのは、一年半前。
士郎が怪我をした時に彼女が食事を作りに来てくれて、それ以来ちょくちょく....というか毎日のように顔を出すようになって、そのままズルズルと家事手伝いの期限が伸びて行って。すっかり士郎の怪我が完治してしまった後も、こうして手伝いに来てくれているわけだ。
当たり前だが、こっちとしては全く文句はない。桜の料理はうまいし、洗濯掃除も完璧。それに土蔵で寝落ちした士郎の介抱までしてくれるのだから、小言を言えばバチが当たるレベルだ。むしろ、文句を言う権利は男子高生二人の住む家に通っている桜の方に有るだろう。
まあ....当人が満足するまでいればいいじゃないか。
それが、俺と士郎の出した結論だった。
「んで、コレとコレと.....朝飯、どのくらい有る感じ?」
「えっと、鶏ささみのサラダに鮭の照り焼き、ほうれん草のおひたしに大根と人参のお味噌汁....あっ、とろろ汁も作ってますよ。藤村先生が食べたいって言ってたので」
「.....まあ士郎も運動してたし、いっか」
まあ....当人が満足するまで食えばいいじゃないか。
それが、俺の出した結論だった。
「いただきまーす」
「いただきます」
「頂きます」
三者三様のイントネーションで"いただきます"を言い、静かに食事を始める。
ああいう風に桜も冗談を言うようになったが、基本的には寡黙。士郎も体質的に一つの事に取り掛かると専念してしまうタイプのため、自然と食事は静かになってしまう。
まあ自分も話し続けないと落ち着かない、というキャラではないので不満はない。普段はもう少し騒がしいのだが、今朝に限って件の"喧しい人"は、昨夜忍者映画でも見たのかニンニンと印を組みながら、新聞で顔を隠しつつ此方の様子をうかがっていた。
「なあ、藤ねえ。何してんの?」
「.....ドーモ。ユージ=サン。ダークフジネーです」
「いや何言って──────ちょちょ、ちょっと待って!?」
ダークなフジネーによる突然のオジギに面食らったのも束の間、オジギ終了から0.02秒でニンジャスレイヤー.....じゃなくてダークフジネーは跳んだ。後悔は死んでからすればよい。今は目の前の敵を倒さねばならないとばかりの覚悟で、手に持った新聞紙を丸めて頭をポコポコとシバいてくる。
「ちょ、飯の途中はやめろって!味噌汁飲んでるから!」
「教師をいじめて楽しいか!学生名誉賞なんて貰っちゃって!大人を泣かせて貰う国民栄誉賞なんて、そりゃもう紙切れくらいしか価値無いのよ!実際ルーズリーフだから本当に紙切れなんだけど!」
「学生名誉賞って何の.....ああ、思い出した!」
昨日の帰り際に士郎から押し付けられた紙切れを思い出す。確か赤文字で"藤村先生を泣かせた功績"とか書かれていたような。別に面白がっていた訳でもないが、言い知れぬ執念の籠った手作り感が有ったので捨てようにも捨てられず、結局机の中にしまっていたのだ。
「藤ねえ、ストップ。泣かせたのは俺じゃないだろ。なら俺が名誉賞を貰ってるのはおかしい」
「む.....それは確かに」
「メン」の練習代わりとばかりに打ち付けられていた新聞紙がようやく止まる。他人事のように傍観しつつもズズッとハイテンポで味噌汁を啜る士郎を横目に、俺は続ける。
「俺も藤ねえもハメられたんだよ。真犯人は別にいるはずだ」
「なぬっ、この学校にそんな愉快犯が.....?」
「犯人は藤ねえを泣かせた本人で、俺と藤ねえが個人的に仲が良いと知ってるヤツ。そうなると、つまり犯人は─────」
「なあ、待ってくれ悠仁。犯人捜しはやめn」
「天誅───!!!」
士郎が止める前に、藤ねえが士郎のとろろ汁にオイスターソースをぶっかけた。食い物にダイレクトアタックを仕掛けてくるとは、相当頭にきているな。いつもならインスタント味噌汁の味を検知して小言を垂れてくるほど小煩いのに。
「藤ねえ!コレ、とろろだぞ!と・ろ・ろ!滅多に食えないレア物を潰さなくてもいいだろ!」
「皆と一緒になってお姉ちゃんをいじめるヤツには当然の天罰ですぅー!」
「どこの宗教の天罰だよ!それに藤ねえを崇め始めたら、三日で色々ダメになっちゃうだろ!」
「なりませんー!むしろご利益ありますー!金運恋愛運色々上がりますぅー!」
士郎にキングボンビーを押し付け、優雅にとろろ汁を啜る。うむ、この独特の食感がたまらない。クセになりそうだ。
藤ねえ.....
だが、そんな藤ねえがいたからこそ、色々あった幼少期から真っ当に成長出来たのかもしれない。切嗣がいない間、俺たちには人間的な成長の指針とする物が失われていたと思う。そんな中で、教師としての才能を惜しみなく発揮し、幼い俺たちを教え導いてくれた。そして今や来年に高校卒業を控える身だ、感謝してもしきれない。
「なによ、ちょっとは反省した態度を見せなさいってば!」
「アンタ本当に二十五か!?そんな暴君に下げる頭は無.....おい待て、ささみにオイスターソースをかけるな!せめて醤油にしてくれ!!」
.....ちなみに教師は教師でも、反面教師の才能だが。
テレビから流れるニュースを横目に、食器を片付けていく。四人で食べているというだけあり、シンクの中は通勤ラッシュの如く大混雑だ。だからこそ、手分けをしてライン作業の如く片付けをする必要が有る。こういう作業は割と嫌いじゃ無い。
『続いてのニュースです。またもやガス漏れ事故が発生しました。新都のビルにて発生したガス漏れによってフロアにいた人全員が酸欠の症状を引き起こし、病院に救急搬送されました。いずれも重体と見られ───』
「─────」
桜は洗い物をしながら、何やら熱心にニュースを眺めていた。
「桜、このニュース気になるのか?」
「あ.....新都の方でって言ってたので、近いなぁ....って。先輩も、たしか新都でアルバイトをされてましたよね?」
「してるけど.....そんなに大きな店じゃないから大丈夫だよ。そういった事故は起こらないって」
大丈夫大丈夫、と言いながら食器を運んでいく士郎。ちなみに俺の役割はテーブル拭きと、朝のゴミ出しの袋を纏める事である。更に言うと、藤ねえは既に出勤してしまっている。テストの採点が忙しいのだそうだ。
「にしても物騒な話だよな、気をつけようぜ」
「大丈夫ですよ、虎杖先輩。ちゃんとガスの元栓は二回チェックしてるので安心です。この家でガス漏れなんて起こさせませんから」
「おー、ならウチは心配要らないな!」
えっへん、と胸を張る桜を大袈裟に褒めそやしてみる。この気配りの良さ、台所のヌシが士郎から桜へと代替わりする日も近いかもしれない。少し茶々を入れようと士郎の方を見てみると──
「───どした、士郎。そんな疲れた顔しちゃって」
「.....いや、ウチの家には天然しかいないなって」
........何を言っているんだろう。
親の腹から産まれたんだから、普通に人工だと思うんだが。
やっぱ前日譚が長いなぁ.....
そこが醍醐味でもあるんやけどな。
次回、「日常(Ⅰ)」