インタールードを挟まないとは言っていない。
湿り気を帯びたモノが、床を這いまわる音がする。
ギチギチと水の中で泡を吐くような、汚い鳴き声がする。
何かの薬品が何かの薬品と混じり、急速に気化する音がする。
そこら中から、身の毛がよだつ汚らわしい音がする。
ここに清廉なるモノはない。
どれもこれも汚れて打ち捨てられたモノばかり。長い年月をかけて摩耗しきった空間であり、とある血脈が執念を燃やして流れ着いた孤島。日の目を見ることもなく、地上に弔われる事もなく土塊となる日を待つモノたちの墓標が、この闇だった。
「─────契約の時だ、羂索」
その闇の中心に、巨大な汚物の塊が蠢いていた。
蟲が飛びついては吸い付き、飽きれば飛び立っていく。食いつき肉を抉り、骨を目指して這い上がっていく。あるモノは寿命が尽きて床に零れ落ち、あるモノは皮下に潜んだまま一生を遂げ、その汚物の養分として更なる奥地へと取り込まれていく。
もはや核となっているのは蟲なのか肉なのか。そのような判別すらも付かない、醜悪にして憐れみを誘うような嫌悪すべき塊。ただ長く強く生きるために特化しただけの、効率を求めすぎた生命体。
「足りぬ。この蟲どもも、じきに替え時か」
そう。
蟲が足元から這い上がるにつれ、これの身体はより大きく膨れ上がっていく。足元の蟲が足りなくなれば、何処からともなく新たな蟲が湧いてくる。貯蔵量にして、およそ百年分。コレが蟲を喰らい寿命を延ばすモノだとするのなら、それだけの寿命が既に約束されていることになる。
「まだ先は有る。だが、奴が干渉してくるのは此度が最初で最後だろう。しかし、最高の一枚を地獄の底の底に隠しおって。気色悪さに磨きがかかっておるわ」
今回の場は万全とは言えない。
前回の戦いから十年足らずで開こうとする孔。監督役である神父は二体のサーヴァントを有し、最優のサーヴァントは衛宮の手に渡り、遠坂からは前代未聞の五大元素使いが参戦する。自分が出るのであれば兎も角、孫には荷が重かろう。
そもそも、このような不安定な戦いで満ちる杯など完全には程遠い。門は開けようが、中にあるモノにまで手は届くまい。羂索から受け取った器は、
「しかし、駒だけは出来上がっておる」
手順さえ間違えなければ、必ずや聖杯に手は届く。なにせ、聖杯の中身を受け付けられたモノだ。十年間、神経の至る所まで聖杯の欠片に浸食された細胞具。ならば元が同じモノ同士、引き合うのは当然だろう。
それに、宿儺の器。これは良い。アインツベルンのホムンクルスといった人もどきとは違い、人間の腹から生まれた特異体質なのだ。サーヴァントにすら打ち勝つ魂の持ち主。しかし、精神は不安定だ。宿した中身が"アレ"となれば、心を二度三度と折れば変貌するのが目に見える。
「虎杖悠仁、羂索の傑作よ。さあ、狂気の舞台でどう踊る────!?」
ソレは笑う。蟲に集られ、今にも朽ち果てそうな姿をしたまま。
人間の悪意を胸に、声高々に運命を嗤っていた。
「桜、桜!急にボーっとしたら危ないぞ?」
「え────ああっ、すいません!」
急に桜が胸元に飛び込んできたのでビックリした。どうやら、ちゃんと前を見てなかったらしい。さっきの件も有ったから"変態!"とか言われるかと思ったが、流石にそこまで理不尽ではないようだ。疑って申し訳ない。
「それじゃ、行きましょうか。士郎、近道とか教えなさいよ」
「ンなモンは有りません。これ正しく勉学の道と同じなり、南無南無」
「げ、それ一成の真似!?」
後ろの二人のショートコントを聞き流しつつ、桜と一緒に戸締りを確認する。今日の桜はやけに健気で、火の元の確認から忘れ物まで、何から何まで付いてくる。まるでカルガモの親になった気分だ。
「あ、先輩。制服替えたんですか?」
「あー、そうだな。ちょっと破れちゃって.....あっ、ごめん桜!こないだ貰ったお守り、破れた制服の中に入れてたんだった!折角のお土産なのに!」
「───いいんです、それで。今度は、別のを持ってきます」
どこか寂しげに笑う桜には、一つ下なのに人生の年長者みたいな貫禄があった。そりゃもう、藤ねえなんかじゃ到底敵わないくらいのやつ。どういう人生を送ってきたら、こんな表情筋が死んだような笑い方ができるようになるんだろう。
「というか、本当に合鍵を持たせてるのね」
「いいだろ、別に。悠仁は家族だし、桜にはずっと世話になってるからな。遠坂の分はやれないけど、別に必要ないから構わないだろ」
「確かに必要は無いけどね。窓割って入ってやろうかしら」
どこか寂しげに言う遠坂には、同級生なのに子供を相手してるみたいな味があった。そりゃもう、藤ねえと同類なんじゃないかってくらいのやつ。どういう人生を送ってきたら、こんな三下じみた負け惜しみを言えるようになるんだろう。
「────だろ?やっぱり、それは藤ねえに報告すべきだって」
「俺もそうだと思う。女子の部員だって困っちゃうだろ」
「そうですか。兄さんの事だからアレですが、先輩たちがそう言うなら.....」
重々しい雰囲気を放ちながら、足取りも重く登校する。なんてたって、桜に相談された事が衛宮家でのタブーに関わるほどの重大な一件だからである。もはや聞く事さえ嫌になったのか、遠坂は半歩先を歩いている始末だ。それが何かというと────
「ダメだろ.....女子の前で、"バカ殿様"の話をするのは」
「おう、深刻なセクハラに入ると思う」
「ええ。生徒指導の高木先生も視野に入れて────」
「─────なに馬鹿な話してんの、アンタ達!!」
なんかブチ切れた遠坂が振り向いてきた。さてはバカ殿様を見たことないな?あんな特番を装ったお茶の間ブレイカーの特級呪物を知らないから、お前はそういう事が言えるんだよ。
アレは年末の衛宮邸の話。藤ねえが大物お笑い芸人の特番だって言うから、桜と士郎も混ぜて一緒に見てたんだ。最初は普通のお笑いだと思ってたら、急にスケベな展開が始まってあら不思議。テレビ画面にポロリが映し出された瞬間に藤ねえが暴れ狂い、居間のテレビが全治一週間の刑に処されてしまった。
アレは家族と一緒に見るにはハードルが高すぎるんだよ。
そこんとこ、お分かり?
「というか、貴方そんなに喋るタイプだったの!?いつもは静かだって聞いてたんだけど!」
「ええ.....先輩たちと一緒なら、話しやすいので」
「おっ、褒められたな」
「ああ。日頃の行いだな」
うし、と士郎と腕を組む。確かに桜は中学生の頃は暗かったが、今では大違いなのだ。衛宮邸でのよく笑い、よく驚き、やはりよく笑う感情のブートキャンプ。藤村教官が主導する地獄の数年を耐え抜き、今では桜は.....うん。こんなになっちゃった。
まあ、なにはともあれ四人組で登校していく。男子2、女子2でバランスも取れていて健全な部類のグループだ。恋愛脳な連中からダブルデートなんて言われるかもしれないが、そういう目で見られるのは少ないだろう。いや、視線は感じるんだけど。
「.....ねえ、虎杖君。なんでこんなに見られてるの?」
「そりゃ遠坂が俺らのグループに入ったからだろ。例えるなら、ベーブ・ルースが急に地方の草野球チームにでも入ってみろよ。全米の新聞社が大騒ぎするだろ?」
「あー、そりゃそうね。自分の価値を読み違えてたわ」
マジで何を食ったらこんな精神に成長するのか。俺の場合は溶けた鉛にボンドかけて食ってる、だなんて言われたけど、遠坂の場合は食うもの全てに金箔ならぬルビー箔でもかけて食ってそうな勢いだ。桜の手料理でも食って謙遜を覚えてほしい。
「それに、こんなに他人に見られるのもね」
「ん?結構顔見知りは多いぞ。あそこにいるのが永井で、そこのは剣道部の鈴木だろ。体育館の方には高橋がいるし、校舎の窓から見てんのは氷室と三枝だな。アイツら、朝練帰りか?」
「どんだけ知り合い作ってんのよ、友達百人でも目指してんの?」
「いや、色々成り行きでな。そんで、校門のところにいんのが────」
げげっ、面倒なのがいる。
俺と視線が合ったのに気付いたのか、登校する生徒たちを邪魔そうに押しのけてくる顔見知りの姿が有った。
「────桜!」
「あ......兄、さん」
人混みの中から飛び出てきたのは、同級生の
「どうして道場に来ないんだよ、お前!断りも無く無断欠席だなんて、いつからそんな大層な身分になったんだ、ええ!?」
怒声と共に、慎二の手が上がる。それを────
「よぉ、慎二。朝練ご苦労様だな」
「朝から元気だな、流石は副部長」
士郎と協力して止めて挨拶をする。士郎は振り上げた右手を掴み、俺は手出しができないように後ろから押さえ、桜から無理やりにでも距離を取らせる。
「衛宮に、虎杖....そうか、またコイツらの家に....って、そろそろ離せ虎杖!公衆の面前で引っ付くな、距離感バグってんのかお前は!」
「嫌だね。カリカリしてるみたいだし、たまにはスキンシップしとこうぜ?」
「分かった、分かったから!両手は下ろすよ、だからお前も離れろ!」
降参するように下げた両手を見せたのを確認し、俺も拘束を解いてやる。最近問題になってるDVの典型例みたいだな、お前は。生活実態をそのまま保健の教科書に載せたら、結構いいデータになるんじゃないか?
「クッソ....それで、桜。また行ってたのか?」
「はい、手伝いに行ってました。でも、悪い事じゃないですよね。それに、今までもお咎めは有りませんでしたし────」
「勝手に怪我したヤツを付け上がらせてるだけなんだよ、お前のソレは!それにもう治ってるんだろ?そんな偽善じみた事やらずに、お前は僕の言う事だけを聞いとけばいいんだよ!最近は口答えも多くなってきてるしさぁ!」
キッショ.....と言いたくなるのを抑える。正に、独占欲と支配欲の権化みたいだ。こんな可愛い妹がいるってだけで満足できそうなのに、更にコントロールしようってのか。いくらなんでも強欲が過ぎるぞ。
しゃーねぇ。ちっと先輩として頑張るか。
「なんだい、君たち。そこまでウチの邪魔して楽しいわけ?桜は弓道部の部員なんだから、無理やり朝練をサボらせるような真似をしないでくれるかな」
「でも慎二。お前が副部長になって、弓道部は緩くなったんだろ?」
「そんな訳ないだろ、引き締まってるに決まってるじゃないか。なんで虎杖が────」
「まさかぁ。だって慎二、筋トレしてないだろ。ちゃんと腹筋割れてるのか?」
士郎が我慢できずに吹き出した。桜も口元を抑えつつ、慎二に顔を見られないようにそっぽを向いている。どうだ慎二。お前の部活での態度は、藤ねえの愚痴から大体聞いてるんだぞ。
「ふん、割れてなくてもいいんだよ。だって弓道部なんだから!」
「でも、士郎もこう見えて割れてんだぞ。シックスだけど」
「シックスより先があるみたいな言い方やめてくれない!?それを学生の身分で越えてたらビルダーか化け物の領域だろ!というか笑ってんじゃないぞ桜、割れてない方が普通なんだからな!」
普段人を馬鹿にするくせに、馬鹿にされるのは慣れていないのか。煽り耐性ゼロの慎二は、今度は桜の手を掴んで強引に連れて行こうとする。そうはさせるかと、また士郎と一緒に行く手を阻もうとしたところで────
「おはよう間桐君。朝から随分と楽しそうじゃない?」
第三の刺客、遠坂も話へと混ざってきた。
「え────遠、坂?なんで桜といるんだよ」
「別に意外でも何でもないでしょう。桜さんは衛宮君とも、虎杖君とも知り合い。だから今朝は四人で仲良く登校してきたってわけ。気づかなかったの?」
「な.....この二人と、知り合い!?」
「ええ。これからも一緒に登校して、一緒に下校するくらいの知り合いなの。一人でもいいけど、これからは仲良し四人組って事で身を置こうかと思って」
有り得ない、とばかりに俺らを睨む慎二。
彼が遠坂に気が有るのは有名な話だ。嫉妬を向けられても仕方ないか。
「考え直せよ遠坂、虎杖と衛宮だぞ!?鼻クソほじった手で他人の漫画読んでそうな馬鹿に、中身空っぽでガクチカに"便利屋でした"くらいしか書けなさそうな衛宮だぞ!?」
「いや衛生観念くらい有るわ!」
「衛宮が罵倒語みたいになってないか!?」
「───ええ、そうよ。その虎杖君と衛宮君と仲が良いって言ってるの」
俺らのツッコミもガン無視し、慎二は遠坂の言葉にショックを受けている。遠坂の言葉のナイフは間桐属性に特攻効果でも有るのだろうか。桜とは違うベクトルで、やけにグサグサと心に刺さっているような感じがするぞ。
「....ああ、そうか。君勘違いしてるんだろ。確かにコイツらのとは少し前まで友達だったけど、今は無関係なんだ。君がコイツらと付き合ったところで、あまりメリットはないんだぜ?」
「そうなの?よかった、それを聞いて安心したわ。貴方の事なんて、ちっとも興味なかったからね」
ヒエッと士郎共々息を飲む。今のはクリティカルヒットだ。憧れの女の子にあんなのを言われたら、しばらく立ち直れないトラウマになるのは確定だろう。
「それに、間桐君。さっきの話だけど、弓道の朝練は自主参加のはずでしょ?綾子からちゃんと話は聞いときなさいよ、副部長なんだから」
「煩いな。兄貴が妹に何しようが勝手だろう!」
「あらそう。私から見たら、衛宮君と虎杖君の方が兄として適任に見えるけど。優しいし、叩かないし、ユーモアも有るし、それに筋肉も。ちゃんと胸を張って兄貴だって言えるの、貴方?」
「っ────────」
口喧嘩じゃ勝てないと分かったのか、じりじりと後退しつつ俺たちを睨む慎二。妬みとか僻みとか、なんかドロドロした感情の濁流みたいなのが、その濁った瞳の奥で渦巻いているような気がした。
「いいさ。今日の所は見逃してやる。けど遠坂、次は口を挟ませないからな。そんな風に出しゃばってたら、その"綾子"と同じ目に遭うかもよ」
正に言いたい放題。それだけ言うだけ言った末に早足で校舎へと撤退する慎二。後輩いびりは慣れてるくせに、どうして口喧嘩があそこまで弱いのか。横から見ていて意味が分からん。
「────先輩。ちょっと、弓道場に顔を見せてきますね」
「いや、慎二の事は気にしなくていいと思うぞ?俺が通ってた時も、朝練に来てるのは半分いるかいないか程度だったし」
「それでも、片付けくらいは手伝った方が良いかなって.....」
おずおずと申し訳なさげに話す桜。こういう物腰が低いところは相変わらずだ。もう少し自信を持って人と接しないと、また慎二みたいなのが寄ってきそうで先輩は心配です。
────待て。さっきの慎二の言葉、なんか違和感が有るような。
「なんで、アイツ美綴の事を────?」
「悠仁、どうかしたか?」
「.....いや、何でもない。早く行こうぜ」
一日とは早いもので、あっという間に授業が終わる。
朝はああ言っていたものの、遠坂は何やら用事が有るので帰りは遅れるとか。
桜は買い物をしてから帰ってくるというので、やはり別ルート。
となると、こうして校門で士郎を待つことになるわけで────
「悪い。なんか、慎二に呼び出されてる」
「おう────って、マジで!?」
突然の報告に唖然とする。というか、朝に揉めるだけ揉めておいて、急に慎二からのお誘いなんて裏が有るに決まってんだろ。そんな見え見えな事をするアイツもアイツだし、行こうとする士郎も士郎だ。
「まさか、行く気じゃないよな?せめてセイバーでも連れて行けば───」
「大丈夫だ、喧嘩になったら俺が勝つし。もし慎二が聖杯戦争の関係者でも、令呪を使ったらセイバーを呼び出せる。それなら安心だろ?」
「お前さぁ.....」
確かに令呪を使えば、サーヴァントの強制転移が可能なんだと神父からレクチャーされた記憶が有る。だが、その令呪は補給不可能な消耗品だ。アイツに魔術の心得が有ったとして、そんな凡ミスじみた事で三画の内の一つを使わせられるとか、馬鹿にも程が有る。
「大丈夫だよ。ちょっとは信用してくれ」
「お前を信用できても、慎二は信用できないんだよ......」
大丈夫だ、問題ないとばかりに俺を見つめる士郎。
俺も他人には優しくしようとは思っているが、ここまでではない。
他人を傷つけられるような人間には、優しくしないと線引きしてるからだ。
.....畜生、参ったな。
俺は───────
ここの桜は頻繁に笑います。
分岐アンケと高評価のご協力をお願いします。
こういうのは多ければ多いほど嬉しいです。
俺は────
-
士郎を、信用する
-
慎二を、信用できない